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長府毛利邸と毛利秀元の銅像を拝見!

壇ノ浦串崎城を高速で見ての〜最後は長府毛利邸へ!

遠い目になる瞬間


城下町の風情ただよう美しい街並みを 車で爆走 マッハで抜けて到着!
時間があって天気が良ければ、長府の城下町散策とかきっと素敵なんだろうなぁ…

格式高すぎた瞬間


毛利邸は明治36年(1903)、長府毛利家14代当主毛利元敏によって建てられた邸宅。
明治天皇が熊本で陸軍大演習を視察された時は行在所としても使われたんですって。

束帯姿だった瞬間


表門をくぐると長門長府藩の初代藩主、毛利秀元の銅像がありました。
晩年なんだろうね。ワタクシの中では武将の印象が強いので少し残念ですw
しかし義経さんだけじゃなく、秀元さんまで見れるとは・・カメラないのが泣ける。

スマホ×雨天コラボは最悪だった瞬間


毛利元就の四男元清の次男として生まれ、従兄である輝元の養子となった秀元は
後継者としての期待を裏切らない、武勇と知略に優れた人物だったといわれます。
14歳で輝元名代として朝鮮に渡り、秀吉の期待に応えて総大将の務めを果たすと、
長門一国他17万石を与えられて独立大名となり、秀吉の養女を正室に迎えました。

輝元に実子の秀就が生まれると、秀元は宗家後継者の地位を譲りますが、
関ケ原の戦いでは毛利一万二千の総大将として出陣。東軍と対峙するものの、
戦わぬまま敗戦を迎え、毛利家が防長2州に大減封された後に6万石を分知され、
初代長府藩主となりました。

秀元は本家を継いだ秀就の後見人を務めながら、幕府との関係修復も図り、
晩年は三代将軍徳川家光の御伽衆として江戸に暮らし、72歳で亡くなりました。

時間もなかった瞬間


武家屋敷造りの重厚な建物に四季折々の花が楽しめる日本庭園ということなんですが、
雨も降ってるし、梅雨時期は緑が美しいばかりなのでさっさと中へ…入場料大人200円。

超高速だった瞬間


質実剛健なお部屋を見て回り、純日本家屋も素敵だわ〜とか思いながら、
じっくり立ち止まるでもなく、あっという間に床の間のある書院へw

こじんまりしていた瞬間


そしてこちらが明治天皇ご宿泊の間。熊本への行き帰りで3泊されたそう。
8畳ほどだったかな。明治に思い入れはないけど少しだけ往時を偲んでみたり。

毛利邸を高速見学した後は、近くだから功山寺も見てくださいと連れられて。
でもすぐ着いちゃった上、着くまでの間、仕事の話を少ししたもんだから・・

すごい困惑していた瞬間


駐車場に車回して待ってるからどうぞ見てきてくださいと総門の前で降ろされる(*°∀°)=3
観光地まるでノーマークのワタクシ、前フリなしの放置プレイにすごい戸惑ったww

元応2年(1320)に創建され、足利尊氏や大内氏の帰依を受けて隆盛を誇った寺で、
元は長福寺といい、毛利秀元が修復し菩提寺とした際、功山寺と改めたのだとか。
この総門は創建当初の室町時代に建てられたものだそう(ぜんぶ後から情報)。

巻き戻したい瞬間


総門をくぐって数十m。雨のそぼ降る中、ワケもわからまま山門を目指します。
豪壮な山門だな〜と見上げながら(案内板にも気づかず)さっさと境内にイン・・

もったいなさすぎた瞬間


年季の入った立派な仏殿を見て、さすがにこれは見どころと気づいて近寄るも、
「すごい超〜古い!」で終了…後から鎌倉時代創建の国宝と聞いておののきましたね。

スマホじゃダメだった瞬間


境内には高杉晋作の銅像も! カメラなしが本当に悔やまれすぎてならない。
華奢すぎて武者ぶりはイマイチだけど頭よさそうで、何となく雰囲気あるのでは。
功山寺は高杉晋作が挙兵した地なので、幕末ファンが多く訪れるんだそう。

古そうな仏殿と高杉晋作ゆかりの地だったか〜と勝手に納得したワタクシは
雨だしお客さんは待たせているしで、他にはわき目もふらず退散したんだけど、
後から、毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所でお墓があることや、
長府毛利家墓所まであったと聞いて大ショック! ホントもったいないことした。

大満足だった瞬間


市内に戻って最後は、天気は悪いけどせっかくだから一望できる雰囲気だけでもと
海峡ゆめタワーへ案内され、高さ140mの展望台へ。天気がよければパノラマだけど、
雨だからしょうがない。でも関門海峡の雰囲気や九州との距離がよくわかったし、
巌流島(写真中央)を見たのも感動だったな。お客さんの気持ちも嬉しかったしね!

活気あふれる瞬間


午後から仕事に戻るので、お昼にドドっと市場に案内してもらい、
寿司をちょい食いしながら、実家にトラフグを送るまでやってのけた(*°∀°)=3


いや〜とんでもない超高速観光だったから半日でももりだくさんだったw
天気もカメラがないのも残念だったけど、楽しかったしとてもいい思い出!

下関へ出張に行ったら思いがけず観光できちゃった件はこれで終了!

下関は史跡の宝庫な上、街のそばに海峡と大きな港のある風景も珍しいし、
解放的な雰囲気だけど落ち着いた風情もあったりしてとってもいい! 
念入りに無駄のない計画を立てて、いつかまた絶対に再訪したいな。


長浜市小谷丁野町にて脇坂安治の出生地を探訪!〜に続く


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2018.07.18 Wednesday 13:34 | comments(0) | trackbacks(0) | 中国(山口県) | 

串崎城に登城!

壇ノ浦の次は「お城が好きなんですよね!」と気づいたら駐車場に到着してた串崎城。

クシザキジョウ?・・・ドコソレ (*°∀°)=3 でもせっかくだし!
とはいえ、雨風もかなり強くなってきて。そこへスーツにパンプスのワタクシですw

色々ブルーだった瞬間


傘さして足元気にしながら未舗装の遊歩道を丘の上まで一心不乱に登った結果、
気づいたら、本丸跡にある天守台前の案内板のところに到着しちゃってたYo!

億劫がっていた瞬間


雨風よけながら傘さして、撮り慣れないスマホ撮影するのが正直めんどくて。
せっかく来たのでロケーションと雰囲気だけ感じておくことにしましたw

なかなか適当だった瞬間


城跡は関見台公園として整備され、本丸跡や天守台が復元されています。

串崎城は元は大内氏の家臣、内藤隆春の居城として使用されていました。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに敗れ、防長2州に減封となった毛利輝元が
萩に本城を構えると、毛利秀元が長府に入り、支藩の城として改修しますが、
元和元年(1615)、一国一城令によって廃城となり取り壊されました。

どんよりしすぎだった瞬間


せっかく来たから、風景に全く期待できないけど天守跡には行っておく。
眼下に関門海峡が見える絶好のロケーションなんだけどなぁ・・惜しすぎる!

残念すぎて言葉もない瞬間


どよ〜ん・・・海峡と空の境目がかろうじて分かるくらいの残念な風景・・・
天気が良ければ、関門海峡とその向こうにある門司まで丸見えなハズなのに。

でもやっぱり実際に来て、距離や空気を自分で感じられたのは良かった!
雨の中、面倒がりもせず案内してくれる優しいお客さんに感謝だな(´∀`)

ちなみにイヤでも目に行くクジラの尾っぽは、今は閉館した下関水族館の
ものなんだって。やってないなら撤去した方が景観が良くなっていいんじゃ・・

急いでいた瞬間


案内板にもあるけど、張り出した半島の高台に築かれてるのは見たまんま!
幕末には関見台台場として、攘夷に備えて2つの砲台が置かれてようだけど、
ココなら確かに監視していざとなったらぶっ放すには絶好のポジだと納得。

帰りがけ、アレ・・そういや城址碑ないのかな?と探したけど見つからず。
後で調べたら、高台の下に石垣の一部が残ってて碑はそこにあったみたいね・・


「さ、さ、次行きましょう!」時短観光ならまだ他も回れるそうですw
長府の城下町がこの辺ですよ〜と通りすがりに案内されながら次へダッシュ!



長府毛利邸で毛利秀元の銅像を拝見!〜に続く


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2018.07.11 Wednesday 17:32 | comments(0) | trackbacks(0) | 中国(山口県) | 

壇ノ浦古戦場跡に出陣!

今回は「下関へ出張に行ったら思いがけず観光できちゃった件」を番外編として。

仕事で下関に行って1泊2日でやること山盛りの弾丸出張だったんだけど、
うまいこと数時間の空きが出来た瞬間、お客さんが「チャンス!行こう!」って。

下関ジモティのお客さんはワタクシ長いお付き合いをさせてもらってて、
せっかく来たなら少しでも巡らせたいって思ってくれてたんだって。泣ける。

行きたいとこ聞かれたけど、どう目論んでも時間がない予定だったから、
全くノーマークじゃない? 一瞬、舞い上がってアワアワなったけど


「だ、だ、壇ノ浦でーっ!!」


ココだけは外せないと思って、超食い気味に叫んだよね(*°∀°)=3

頭に血が上っている瞬間


ということでやってきましたぁぁ 関門海峡@壇ノ浦!! みもすそ川公園。
源平史跡もちょこちょこ巡ってて、いつか見たいと思ってたから鼻息が超荒くなるw

あ、ちなみにこの時、当然だけど装備が何もないので撮影はスマホだった上、
天気も悪くて傘マスト。せっかくの写真がイマイチなことだけが残念の極み。

躍動感あふれる瞬間


平家の大将「平知盛」碇を担ぎ中と源氏の大将「源義経」八艘飛び中。

壇ノ浦の合戦は寿永4年(1185)3月24日に行われた源平最後の戦い。
当初は平家が優勢だったものの、潮目が変わり追潮になったのを機に形成は逆転。
源氏が勢いを盛り返すと、平家は次第に追い詰められて奮戦むなしく敗北となります。
平清盛の妻二位の尼は8歳の安徳天皇を抱いて入水。主だった武将も入水の最期を遂げ、
知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡となりました。

知盛さんはだいぶ華奢な人だったらしいけど、碇を投げつけて頑張ったんだね!
平家って貴族ぽくてナヨっちい印象だけど、壇ノ浦で戦った武将はなかなか武闘派で。

激しょぼすぎた瞬間


なんてこったい!「八艘跳びの瞬間」の義経さんも全く良さが伝わらないわ。
平教経の攻撃を八艘の船を飛び移ってかわしていく超いいシーンなのに(号泣)

脳内デモ中の瞬間


関門橋の向こうは福岡の門司港。合戦の舞台になった狭い海峡を超ガン見!
これまで本で読んだシーンなんかがリアルに妄想出来て感慨ひとしおよ。

吾妻鏡によると平氏の船が500、源氏が840艘とかなり戦力差があったようだから、
海戦が得意な平氏とはいえ流れが変わったら無理だよね・・潮目ってマジ大事だわ。

キョロキョロしていた瞬間


公園には長州砲レプリカもあって「維新の風だ!」って雰囲気を味わうものの、
攘夷戦争とか詳しくないから「へぇそうなんだ!」ですぐ終わっちゃうの。

不運極まりなかった瞬間


壇ノ浦の次は「安徳天皇が祀られてます」と赤間神宮に連れて来てもらいました。
が、ここ来て雨ザーザー(怒)。せっかくだから超ダッシュでお参りだけすることに。
お客さんに悪いので、ひとっ走り行ってくるから待ってておくんなせぇとか言ってw

大事な時にはキョロキョロしてない瞬間


アジア観光客がすごい多かった。雨が強いから傘かぶって人の流れで本殿到着。
ここに安徳天皇がね・・って思いながらチャチャッとお参りして傘を握りしめ戻る・・

後から聞いたら赤間神宮には壇ノ浦で亡くなった「平家一門の墓」があって、
怪談「耳なし芳一」の舞台なんだって。あの地味に怖い世界観を味わいたかったな。

順路に案内もあったみたいで、傘がなければきっと気づいてたはず・・遠い目


下調べなしってつらいね。大雨ってつらいね。カメラがないってつらいね・・
思いがけない下関観光は続きます・・続くほどつらさ染みるけど(*°∀°)=3


串崎城に登城!〜に続く

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2018.07.01 Sunday 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) | 古戦場に出陣 | 

信綱寺にて真田信綱・昌輝のお墓参り

長谷寺で真田幸隆・昌幸 with 幸村のお墓参りをした後は信綱寺へ!

存在感がすごい瞬間


ナビに連れられ到着すると、何もないところにドーンとそびえたつ山門。
周りに何もないし雰囲気も少し変わっているから、ちょっと浮いてる感ありw

どうかしてた瞬間


山門の手前に車を停めたら、上にあるお寺まで長めの階段を登って行きます。
ホントはここで「墓前の桜」を眺めるべきところ、ワタクシ完全に見逃し・・

ほら、右側にニュッと斜めに伸びている木があるでしょ。これが桜の老木で、
長篠で討死した真田信綱の首級を、家臣が自分の陣羽織に包んで持ち帰り、
この樹の下に埋めたと言われてるのに、その根元を見てないって・・ちょw

さらに残念な人だった瞬間


六文銭が輝く本堂。曹洞宗のお寺です。元は打越寺とされていましたが、
真田昌幸が長兄信綱の牌所として寺堂を改築、信綱寺と改めたんだそう。

で、このお寺、予約すれば信綱の首級が包まれていたという血染の陣羽織や、
信綱着用の黒漆塗仏二枚胴。昌幸書状など貴重な品も見せてもらえたんだって・・

ワタクシは予約できるってこと、行くまで気づいてなかったけど(*°∀°)=3

ハズさない瞬間


信綱さんのお墓は本堂の裏。門の外に出て急な裏山を上って行く必要があるのです。
場所を念入りにチェックしすぎて、他の大事なことがきっと漏れちゃったんだねw

ゼエゼエしながらだった瞬間


なかなか急な斜面を登ってたどり着きました・・・ひ、ヒザが痛い!!
享保2年(1717)にお寺が改修された際、お墓はこの裏山に移されたんだそう。

痛恨のミステイクだった瞬間


石段を上がった正面にあるのが、真田信綱夫妻と真田昌輝さんのお墓。
そして右の石灯籠の後ろにある2つの墓石が、信綱さんの首級を持ち帰った家臣、
白川兄弟の墓。ワタクシ、うっかり写真を撮り忘れてこれしか映ってなかったw
白川兄弟は首級を届けた後、信綱さんを追って殉死したんだってさ・・泣ける。

手っ取り早く真田三代を妄想する瞬間


中央の宝篋印塔が信綱さん、で、左が信綱夫人、右が昌輝さんと並んでます。

信綱は真田幸隆の嫡男。武勇に優れた信綱は信玄からの期待や信頼も高く、
第4次川中島合戦三方ヶ原の戦いなどに参戦し、武田二十四将の一人に数えられました。
信玄の死後は勝頼に仕え、天正2年(1574)に病に倒れた父幸隆に代わり真田家を継ぎますが、
翌天正3年長篠の戦いで弟昌輝とともに壮絶な討死を遂げました。享年39歳。(昌輝は享年33歳)

信綱さんは馬防柵をなぎ倒しながら敵陣に突撃する中、銃弾に斃れたんだそうな・・
小説でこのシーン読むと、なんかもう胸がグッとしめつけらちゃう感じがするよね。

真剣に合掌の瞬間


昌輝さんのお墓は近年(お墓が移された後)建立されたものと説明されていました。
いつもは気安くなんか語りかけてるんだけど、今回は何となく神妙にお参りして。

真夏の炎天下だった瞬間


信綱寺の前には、六文銭の旗を模したモニュメントがずらっと立ち並んでいます。
奥から長篠、関ヶ原、大阪の陣と真田の重要な戦を表現しているんだってさ。

看板だけ見て終わらす瞬間


歴史の丘っていうんだね。上田市が気合入れて作った真田に捧げる公園です。
一番手前が大阪の陣だけに、先頭の丸い部分は「真田丸」を象徴したものなんだそう。

上田市の気合を感じる瞬間


モニュメントのところには信繁(幸村)の他、昌幸、信之、信尹、信綱、
そして信玄や勝頼、秀吉に秀頼、家康の花押も配置された。凝ってるな!



長野攻略はこれで終了! 次は「超〜弾丸!下関番外編」に続きます。


壇ノ浦古戦場跡に出陣!〜に続く



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2018.06.18 Monday 14:04 | comments(1) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

長谷寺にて真田幸隆・昌幸父子のお墓参り

真田氏本城の後は、長谷寺にやってきました。

真田太平記と真田三代を再読して来てますから、めっちゃ鼻息荒めwww

にんまりする瞬間


長谷寺は天文16年(1547)、真田幸隆が真田家菩提寺として建立したお寺。
元は種月庵があったので「真田山種月院長谷寺」と呼ばれるようになりました。

後に真田昌幸の子、真田信幸が松代に移封になった時、菩提寺として長国寺を建立。
こちらの長谷寺はその末寺なんだそうです。松代の長国寺もいつか行かねば・・。

お参りを済ませたら人が来ないうち、本堂右手の方からさっさと墓所に向かいます。

好印象だった瞬間


こじんまりとした庭園を見ながら、順路にそって更に奥へ進んで行きます。
案内も行き届いてお寺の方も感じよく、参拝客を大事にしてくれるお寺でした。

一目でわかる瞬間


本堂裏の墓域に入ると、杉木立の正面にオーラ漂うお墓が見えますw
真田丸の時はすごい人だったらしいけど今は静か。そしてワタクシ貸し切り!!

キレイで読みやすかった瞬間


お墓の前には幸隆・昌幸父子についてザックリ書かれた説明板もあります。
これによるとお墓には父子だけでなく、幸隆夫人も一緒に眠ってるようです。

羨望のまなざしだった瞬間


中央が真田幸隆、向かって左が幸隆夫人、右が真田昌幸の墓なんですって。

昌幸の父であり、信之・幸村にとって祖父である幸隆は信濃の滋野三家のひとつ、
海野氏の一族に生まれ、小県郡真田郷を本拠としたため真田を称したと言われます。

海野氏が武田軍との戦いに敗れて滅亡すると、幸隆は郎党を連れて上州に亡命しますが、
後に武田家に仕えると謀略を駆使して砥石城攻略を果たし、信濃に旧領を回復します。
幸隆は信玄に重用されて川中島他の戦いに参戦し、吾妻郡の支配を任されました。
晩年、幸隆は病気を理由に、家督を嫡男の信綱に譲って隠居しますが、
天正2年(1574)5月19日、居城である砥石城で亡くなりました。享年62歳。

吹けば飛ぶような小豪族、そして亡命からの再浮上→ノンストップ大躍進! 
最終は武田二十四将の一人に数えられたんだから、幸隆さん恐るべしです。

その息子たちが信綱、昌輝、昌幸、信尹でそれぞれの生き様がまたこれぐっと来る(*°∀°)=3

念入りに拝む瞬間


少しでも智謀のかけらが宿るようワタクシ念入りにお参りしているところですw

真田昌幸は幸隆の三男。幼少時に武田家への人質に出されて信玄の近習となり、
後に武田ゆかりの武藤姓を与えられ、武藤喜兵衛と名乗っていました。
しかし天正3年(1575)長篠の戦いで信綱・昌輝2人の兄が討死したため真田家を相続。
勝頼に仕えて沼田城名胡桃城を攻略し、北上州を勢力下におくようになりました。

武田滅亡後は織田信長の配下となりますが、本能寺の変により信濃で争奪戦が起きると、
生き残りをかけて北条、徳川、上杉と臣属を替えながら、次第に勢力を拡大。
小県を統一して上田城を築城すると、信繁(幸村)を人質として秀吉に臣従します。

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは次男信繁とともに西軍に属し
上田城に立てこもって徳川秀忠軍の西上を阻止するも、西軍は敗北。
昌幸は九度山に蟄居を命じられ、慶長16年(1611)6月4日65歳で病没しました。

秀吉に「表裏比興の者」と称された昌幸さん。とんだくわせ者でしょうけど、
「一所懸命」の生き様が激アツすぎて、憎めないどころか超〜魅力的だわ!

ロックオンの瞬間


幸隆・昌幸父子に念入りにお参りしたら、お墓の向こう側にも注目!
「みんな大好き★幸村」の供養塔があるので、もれなくお参りです。

合掌の瞬間


新しめの綺麗な供養塔は平成25年に建立されたものなんだそう。
幸村終焉の地である大阪安居神社の土が納められているんだって。

分かったぶる瞬間


幸隆じいちゃん、昌幸パパを差し置いて、供養塔だけど幸村一番人気!
お賽銭の六文銭置きも、気持ちと一緒であふれ出ちゃってる感じだなw



幸隆さんと昌幸さんのお参りが出来てワタクシ超〜満足!
次は真田昌幸の2人の兄上たちのお参りに向かいます!


信綱寺にて真田信綱・昌輝のお墓参り〜に続く



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2018.06.08 Friday 17:18 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

真田氏本城に登城!

芳泉寺で小松姫とゴンベのお墓参りをした後は、真田氏本城へ!
でもその前に通り道なので「真田氏発祥の郷」の碑を見ておきます。

ついでだった瞬間


史跡ってわけじゃないけど、真田本城や所縁のお寺に向かう入口にあるから
車を降りて見た次第。奥には真田三代のレリーフもあったらしい(後の祭り)。

整備されていた瞬間


真田氏本城はまぁまぁ山の上にあるので、歩きやレンタチャリだと大変そう・・
車だと城跡前にある駐車場まで一気に上がれるので体力ナシにはありがたい。

はりきっている瞬間


さっそく目の前の入り口から登城します。案内図を見ると真田氏本城は
土塁、本郭、二の郭、三の郭と直線で並んだ連郭式の縄張のようです。

貸し切りだった瞬間


この辺りは段や堀切があるんだけど、段はともかく堀切はハッキリせず、
城跡っぽさはあんまりないけど、六文銭の旗にウキウキして進みます。

城跡ぽくなってきた瞬間


ほどなく土塁に到着! この先が本郭なので駐車場から登城すると
一番奥から逆に進んでいく感じ。きっと土塁は本丸後ろの防御なんだね。

簡潔すぎた瞬間


案内板には、馬蹄形状に構築されていることや防御の要点などの説明と、
上田城築城以前の真田氏本城であったと推定されるとも書かれていました。

真田丸の恩恵がなかった瞬間


こちらは案内板のところからぐるっと回りこんだ上にある本郭の土塁。
しかしこの年季の入った標柱・・色々整備されたのにコレは古いままかw

見晴らし最高だった瞬間


本郭から眺める風景は、当時と雰囲気は変わらない感じなんだろうな。
麓に村があって、辺りの山に砦や城があったっていうこの距離感!

スリム郭だった瞬間


先に進んで細長い二の郭から本郭の方を眺めると、段差はこのくらい。
本郭から下がって二の郭、先端の三の郭はさらに少し下がっていきます。

ロックオンな瞬間


二の郭からの眺望。右に見えてる山、アレがきっと砥石城。その奥の町並みは上田市内。
真田幸隆さんも攻略前はこうやって朝な夕な、ガン飛ばしていたかもしれないねww

びびりすぎる瞬間


二の郭(左)と三の郭(右)の間の虎口。もうちょい詳しくと思ったけど、
郭の側面側に向いてるから、少し進むと斜面がきつくなって怖いからやめたw

よせつけない瞬間


三の郭もスリムだけど他より若干広め。ピクニックセットが置いてありました。
郭の先端は切岸で急崖になってて、両サイドも斜面なので防備はとても厳重。

真田氏本城は尾根筋に築かれた超ディフェンスな作りがよくわかる上、
体力が全然なくても、はぁはぁしないで回れる優しい山城でした笑

ミーハーに決める瞬間


城を降りてから真田歴史館を忘れてたって気づき、大急ぎで寄って来た。
真田関連の古文書や甲冑などが展示されてて、急いでたけど楽しめました。

記念撮影スポットだった瞬間


本城跡と違って歴史館には人がたくさんいて、中の写真はあきらめたんだけど、
銅像ハンターとしてどーしても逃せないと思って、幸村像は粘って撮ったw



よーし。この調子で次もミーハーに長谷寺にいっちゃうよ。


長谷寺にて真田幸隆・昌幸父子のお墓参り〜に続く



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2018.06.01 Friday 17:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(長野県) | 

芳泉寺にて小松姫のお墓参り

大輪寺で真田兄弟ママン山手殿のお墓参りをした後は、すぐ近くの芳泉寺へ。

こちらではワタクシの大好きな小松姫のお墓参りをするのです。

ぴかぴかだった瞬間


こちらは歴代上田城主ゆかりのお寺で、元は「常福寺」と呼ばれていたものを、
仙石忠政が上田城主となった際、「芳泉寺」に改められたのだとか。

現在は小松姫の墓所と、仙石家の霊廟を見ることができます。
山門には真田の六文銭と徳川の三つ葉葵、仙石氏の永楽銭が輝いています。

気持ちのよいお寺だった瞬間


山門を入るとキレイにお手入れされた広い境内が何ともすがすがしい!
芳泉寺は浄土宗のお寺で色々と立て札なんかもあるけどスルーして本堂へ。

いうほど気にしてなかった瞬間


本堂には家紋がずらりw ・・てか右中の家紋はどちら様のでしょうか? 
と思いながらお参りをしたら、さっそく小松姫のお墓に向かいましょう!

おっちょこだった瞬間


本堂の左手の方の通路を進むとほどなく到着・・え!扉しまっとるやん
と思ったら、自分で開け閉めして入っていいやつだった。マジ焦るしw

前のめる瞬間


案内もあるので念入りに確認。よしよし入ったらまず小松姫サマのお墓ね。
でその先が仙石さんの霊廟・・・勝願寺と同様、もれなくゴンベもおりますたw

小松姫は本多忠勝の娘で、徳川家康の養女として天正17年(1589)真田信幸のもとへ嫁ぎました。
女丈夫と言われるほど気が強い反面、愛情深く細やかな人柄で真田家を支えた女性です。

ロックオンの瞬間


まずは小松姫のお墓。宝篋印塔の銘文から真田信之が小松姫の1周忌に建てたもので、
霊屋は信之が松代へ移封された際、大英寺に遷されているんですって。

合掌の瞬間


元和6年(1620)、病いの療養のため、江戸から草津に向かう途中の武州鴻巣で
亡くなった小松姫。信之は「わが家の燈火が消えたり」といって悲しんだそうです。

小松姫の遺骸は火葬され、巣鴨勝願寺沼田正覚寺、ここ芳泉寺に分骨されました。

法名は「大蓮院殿英誉皓月大禅定尼」。享年48歳。

信之さんはこの時、55歳くらい。父や弟と袂を分かって真田を背負って立ち、
共に生き抜いてきた年下の妻に先立たれたら、まぁそりゃ悲しすぎる。
信之さん93歳までの長生きだったし・・って考えると切なくなっちゃうな。

ちょっぴりうっとりする瞬間


案内図で見た通り、小松姫の墓所を出た隣が仙石家の廟所になっています。
通路に続く小松姫の扉には、やっぱり六文銭と葵の紋が輝いておりました。

なんだかんだ行く瞬間


せっかく来たんだし、隣だからやっぱりゴンベのお参りもしとこうかw
扉を見ると永楽銭じゃない方の家紋も、仙石家ゆかりの家紋ぽいね。

チラリ・・な瞬間


扉をくぐって正面にあるのが、2代上田藩主政俊(直政)公の廟所。
仙石氏は久秀の子、忠政の時に小諸から加増で上田に入り、3代84年在城したそうな。

政俊さんは忠政の死により12歳で跡を継ぎ、40年以上藩主を務めた人。
土地開発や産業振興に力を入れたなかなか立派な藩主だったみたいです。

開閉オッケーだった瞬間


奥にあるのが仙石秀久公の廟所。どちらも上田藩時代の建立なんだって。
ゴンベのお墓は鴻巣の勝願寺小諸の西念寺、ここ。他にもまだあるみたい。

仙石秀久は秀吉に仕えた武将。九州征伐の大失態に激怒した秀吉によって
領地没収の上、高野山に追放されますが、小田原征伐に陣借参戦して活躍。
秀吉に赦免され、信州小諸5万石を賜って大名に復活しました。

語りかける瞬間


慶長19年(1614)5月6日、江戸から小諸へ戻る途中、鴻巣で病没。享年64才。

秀久には伏見城で石川五右衛門を捕縛したいう豪傑チックな噂もあり、
浪人集めて参戦してまで再起を狙う辺りも気合入ってんな〜と思うのよ。
でもでも、ワタクシは今後もずっと「ゴンベ」でいくからね (´∀`) 

声かけながら合掌しといたw ・・やっぱコレ親しみわいてる?笑



さてさて次は、チョロっと真田発祥の地に寄ってから真田氏本城へ向かいます!


真田氏本城に登城!〜に続く



Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.05.24 Thursday 11:10 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 
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