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典厩寺にて武田信繁のお墓参り

地蔵寺と川中島古戦場史跡公園からの電撃訪問で典厩寺にやってきました。

武田菱がまぶしい瞬間


近くに来たんだから2度目だけど、やっぱり典厩信繁さんのお墓参りをしなくちゃね。

典厩寺は川中島の合戦で討死した武田信玄の弟、典厩信繁と、合戦で亡くなった
両軍6000人を弔い、供養したお寺。元は鶴巣寺と号し、合戦から60年後の元和8年、
真田信之の命で典厩の名を取って寺号が改められました。曹洞宗のお寺です。

少しオドオドしていた瞬間


駐車場もガラガラだなと思ったら、なんと今回は受付も無人だった(*°∀°)=3
声をかけたけど誰も出てこないので、お皿の上に拝観料200円を置いてさっそく中へ。

まっしぐらな瞬間


急ぐので日本最大の閻魔様はスルーして、典厩信繁公くび清めの井戸へ。
兄の信玄を守って37歳で討死した信繁さんの首を奪い返してきて、
井戸で丁寧に清めた後、葬って塚を築いたと伝わっているそうです。

萌え萌えな瞬間


武田の「風林火山」、上杉の「毘・龍」の旗が掛けられた本堂。
こうして並ぶと両将の気質や考えってあらためて対照的なんだなって。

前のめる瞬間


信繁さんのお墓は本堂の先。案内も出ているのですぐ分かります。

典厩信繁は武田信虎正室大井夫人との間に生まれた次男で、信玄の4歳違いの弟。
智勇に優れて人望もあることから寵愛した信虎が跡継ぎに考えたほどの人物でしたが、
兄信玄を慕い、信虎が追放された後は武田家副将として両国支配や軍事を補佐しました。

思い浮かべる瞬間


自然石を使った墓石と卒塔婆には「松操院殿鶴山巣月大居士」と書かれています。

永禄4年(1561)9月10日の第4次川中島の合戦で、窮地に陥った武田本陣を守るため
自ら槍を取って奮戦した末、壮絶な討死。信玄は遺体を抱き寄せて声をあげて号泣し、
信繁を慕った山県昌景も「惜しんでもなお惜しむべし」とその死を悼んだといい、
敵将上杉謙信も名将の死を惜しんだと伝わっているそうな。

時間ないのに小説のシーンを思い出してると長っ尻になっちゃうな(*°∀°)=3

心を込めて合掌する瞬間


こちらに埋葬されているのは胴で、首は信繁の子、信豊のいた小諸城に運ばれて、
その地に葬られているそう・・って全然ノーマークだったチェックしとこ!

お墓の隣にある五輪塔は右が典厩信繁、左が幸村の供養塔。

真田昌幸は典厩を理想の武将として、次男に信繁(後の幸村)と名付けたといわれ、
典厩寺は実兄の真田信之も関わっているからそういう縁で建てられたのかもね。

知性、温厚、品格、武勇・・どの小説を読もうとも典厩さんは好印象しかない!
どっしり濃い信玄の印象と対照的に、シュッとして端正で涼やかなイメージ特大。

食いついていなかった瞬間


お墓の隣にある「懐古の碑」は、明治39年(1906)に建てられた両軍戦死者の弔魂碑。
供養として右に上杉家の春日山城の石、左に武田家の躑躅ヶ崎館の石が置かれています。

「懐古」ってのは伊東祐亨元帥の命名で、東郷平八郎元帥や上村彦之丞元帥も
典厩公の尊霊に参詣し、宝物をご台覧されました・・・と書いてありましたw

相変わらずのカオスっぷりだった瞬間


で、元帥たちも見学した宝物が置かれてるのが川中島合戦記念館。
ホントに貴重なものがたくさんあるのに、無造作すぎて心配になる所w

写真は撮れないけど、典厩さんの兜や鎧の下着、愛刀が展示されてる他、
甲陽軍鑑が山積みでど置かれ、謙信の鉄扇とか原大隈の槍のさやとか・・
色々あるけど保存状態がよくないから残念だったり心配だったり・・



さて。これで完全に気が済んだから、急いで次に行こう!!
武田軍団として絶対にはずせない高坂昌信のお墓へ。

時間があってもなくても・・こりゃまた前のめりになっちゃうなww


明徳寺にて高坂昌信のお墓参り〜に続く



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2018.04.19 Thursday 13:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

地蔵寺にて原大隅のお墓参り

諸角豊後守の墓参りの次も、これまた分かりづらい地蔵寺を探します。

分かりづらそうだから、事前によく調べたけどストリートビューでは映らず、
グーグルマップを頼りに行ったけど、道も狭くて見つるの難儀したわぁ。

たどりついた瞬間


住宅街で細かい道がごちゃごちゃしてて、ウロウロ迷った挙句、到着。
一時は曲がり切れないかと思うような路地とか入っちゃって泣きそうだった。
原大隅さんのお墓は道路っぱた。境内には入らず、さっそくお墓参りをします。

調べておいたから尚安心だった瞬間


境内の隣にある墓域、道路に面しているのが原大隅さんのお墓。
案内の板が建ってるので、ウロウロ探さず済んでありがたいかぎり。

レジェンドだった瞬間


後で気づいけど、お墓の向かいに案内と説明板もありましたw

原さんは第4次川中島の戦いで、武田本陣に乗りこんできた上杉謙信と
信玄が一騎打ちをした時、謙信に槍を突き出して窮地を救った人。

イケイケだった瞬間


原さんは横目衆の一人で、「甲陽軍鑑」には信玄から感状を18通も与えられた
と記されているそうだから、武田家臣らしく武勇に秀でた人だったでしょうね。

感化されやすかった瞬間


原さんは謙信を打ち損じた無念のあまり、傍らの石を槍で突き通したと言われ、
それと伝わるものが八幡原史跡公園にあります・・改めて見たくなっちゃうな!

法名は「直心院殿前原大隅守見外成性居士」。でも生没年は不明・・

フットワーク軽すぎた瞬間


予定に全然なかったけど、やっぱり見たくなってマッハで寄ってきたw
以前は「八幡原史跡公園」だったけど、今は「川中島古戦場史跡公園」に変わってた!

けちらず時間をかける瞬間


昭和44年に放映された大河ドラマ「天と地と」を記念して建てられた銅像。
7年前に来てるけど、ホント何度見ても素晴らしいし、マジうっとりする。

怪力すぎた瞬間


今回は銅像の他に時間をかけず、原大隅さんの「執念の石」にロックオン。
正面に開いてるのが槍を突き通したという穴・・・・・でもこれもロマンよw


さてさて。

山本勘助諸角さん、そして原さんからの川中島古戦場史跡公園とめぐったら
これまた予定になかったけど、やっぱり典厩信繁さんのお参りもしたくなって、
またまた超絶ダッシュで、典厩寺にも立ち寄ることにしたんだ!


典厩寺にて武田信繁のお墓参り〜に続く




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2018.04.12 Thursday 08:45 | comments(2) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

川中島周辺にて諸角豊後守のお墓参り

山本勘助のお墓参りをした後は、バイパス飛ばしてセブンイレブンを探します。
分かりづらい場所で、ワタクシはコンビニを目印にするしか着く自信がなくて。

ひっそりすぎた瞬間


大通りに面したセブンの路地裏の片隅にある諸角さんのお墓がこちら。
ストリートビュー見て念入りに調べてなかったらマジ来れなかったかも。

神妙な面持ちの瞬間


甲府市の慈照寺に続き、討死した合戦地にあるこちらにも前からお参りしたかったんだ。
気骨あるおじいの武将に弱いワタクシ。偲んだらウルウルしちゃうかもしれないなw

グッと来ている瞬間


墓碑は明治になって豊後守の子孫が建てたもので、後ろの五輪塔が元のお墓と
伝えられているんだそう。もうちょっといい角度で撮ればよかったけど(*°∀°)=3

諸角豊後守昌清は武田信虎信玄と2代に仕え、家老として武田を支えた譜代の重臣。

永禄4年(1561)第四次川中島の合戦では81歳の高齢で出陣し本陣右翼を守備しますが、
信玄の弟、信繁が討死すると「もはや我が武運の尽きる時。我もお供つかまつらん」
と僅かな手勢で突撃し、奮戦の末、壮烈な最期を遂げました。

信繁の守役として幼少期からずっと支えて来た諸角さんの無念や気持ち・・胸がつまる。

敬慕の思いしかない瞬間


地元で「もろずみさん」と呼ばれて親しまれているだけじゃなく、
昔から「諸角講」もあって、お墓の管理や春秋2回の祭典もしているんだって。

ソレ! 超わかる! ワタクシも地元なら絶対に講に入ってると思うもん!

お参りしながら、諸角さんに強ーく訴えておきましたw



よーし満足! 次は謙信に槍を突き入れたレジェンドのお墓参りに行きます。


地蔵寺にて原大隅のお墓参り〜に続く



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2018.04.02 Monday 16:37 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

松代町柴にて山本勘助のお墓参り

大鋒寺の次は車をそのまま置かせてもらい、歩きで山本勘助の墓へ。
歩いて数分の近い距離なんだけど、道が激せまで車じゃ厳しいんだよね。

喜んでいる瞬間


念入りに下調べしといて、グーグルマップ見ながらたどり着けたところ。
看板に沿って、ここから車が止まっている方向に降りて行きます。

挨拶は大事だった瞬間


お墓に向かう途中、畑仕事をしているおじさんがいたので、元気に挨拶!
「お墓参りですか」と聞かれたので「そうです!」と胸を張って答えたら、
パンフレットがあるから持っていきなさいと小屋まで案内してくれました。

早起きも大事だった瞬間


聞けばこの方、勘助のお墓や信州柴阿弥陀堂の管理をされている吉池さんという方。
「朝早くからご苦労様!」とか言ってくれ、色々な話が聞けるなんて超ラッキー!

信州柴阿弥陀堂は文明年間(1469〜1486)、親鸞上人真筆の十字名号を本尊として、
吉池氏の先祖が開基した浄土宗のお寺。永禄4年(1561)、第四次川中島合戦の後、
信玄は陣小屋を寄進改築して「善光寺如来御分身仏」を奉安、両軍の戦死者を祀り、
それを聞いた謙信は家臣を遣わせて礼拝したといいます。

以降、歴代松代藩主に庇護され、多くの人々が参詣に訪れ親しまれました。

昭和のはじめに千曲川河川改修のため、吉池さんの宅地内に移築され、
現在はここに「信州柴阿弥陀堂跡」の碑が建っています。

すがすがしかった瞬間


少し進むとキレイにお手入れされている山本勘助の立派なお墓が。

元は千曲川の陣ヶ瀬の勘助塚にあったものを、元文4年(1739)荒廃するのを憂いた
松代藩家老鎌原重栄・原正盛が遺骨を信州柴阿弥陀堂境内に移し、墓碑を建立。
文化6年(1809)勘助の没後250年に合わせ、鎌原重賢が末長く墓が守られるようにと、
中台を設けて土台を高く石積みして、現在のお墓となったんだそうです。

風林火山で勘助を演じた内野さんも何度もお参りに訪れているんだって。

勝手に萌えている瞬間


墓石には「山本道鬼居士墓」と刻まれています。

山本勘助は晴幸または道鬼斎とも称し、諸国行脚の末、44才で武田信玄に仕えます。
信玄の元で軍師として活躍しましたが、第4次川中島の戦いで「きつつきの戦法」を
謙信に見破られて武田軍が窮地に陥ると、勘助は本陣を守るため奮戦し、討死しました。

永禄4年(1561)9月10日没。享年62歳。

勘助のお墓は他に静岡県の医王寺や、愛知県の長谷寺にもあって、
長谷寺は行ってないのにアレだけど、お墓が建立された経緯や雰囲気に加え、
合戦地も討死した場所も近くってことで、いつもより合掌にも念が入るなw


ワタクシは現地でたまたま吉池さんにお会いして話しを伺えましたが、
事前に連絡してガイドのお願いもできるそうです。こういうのはマジおすすめ!

吉池さんのホームページ 「山本勘助墓所と信州柴阿弥陀堂」

余韻も大事だった瞬間


せっかくなので次に向かう途中、オリンピックスタジアムのある運動公園に寄って
あらためて勘助宮も訪ねておいた。勘助が討死したのがこの辺りと言われてるのね。

お墓参りで思いをはせた気持ちのまま、討死の地でまた妄想・・濃くね濃くw



さて。次は勘助とともに川中島で討死した諸角さんのとこに行ってきます。


川中島周辺にて諸角豊後守のお墓参り〜に続く


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2018.03.23 Friday 18:44 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

大鋒寺にて真田信之のお墓参り

今回からは長野攻略シリーズ・・相変わらず遅れまくりだけど(*°∀°)=3
長野も何度も行ってるけど、この時は長野から上田の細かいやつ巡り!

ということで、まずは川中島古戦場に近い大鋒寺からスタート!

狭すぎた瞬間


こちらには真田信之と鈴木忠重のお参りのため、鼻息荒く朝イチで訪問。
めっちゃ狭い生活道路を抜けて来たから広いお寺を見て超ホッとしてるとこw

テンション上がる瞬間


車を停めてまずは山門から本堂へ。すぐ屋根の六文銭に目が行きます。

ここは元々、松代藩主、真田信之の隠居所があった場所で、
万治元年(1658)信之が亡くなると、遺命により寺が建てられ、
大鋒寺されました。「大鋒」は信之の院号なんだそうです。

ハイクオリティだった瞬間


本堂のすぐ左側にあるのは霊屋。さすが史跡の多い長野市。説明文が詳しい!
お寺の建った経緯や、正面3間、奥行5間・・カヤ葺きという霊屋のスペック。
霊屋は隠居所の書院があった場所に建てられたなんてことも書いてありました。

偲び始める瞬間


敷地の中には入れるので近くまで行ってみよう。書院跡に建つ霊屋。
ご長寿お兄ちゃんが天寿を全うした場所なんだなって思いながら。

見逃さなかった瞬間


霊屋の中は見られないので、次はお墓に行ってお参りをします。
お墓は本堂や霊屋とは畑や墓所を挟んだ少し離れたところにあります。

鳥居がナゾい瞬間


離れてるっていっても1本道。歩けば鳥居や案内板が見えるから安心!
信之さんはここで荼毘に付され、その灰塚の跡に墓碑が建てられたそう。

ひと安心の瞬間


中が見れなかったら・・と心配してたけど朝イチでも扉は開いていて。
鳥居に再び首をかしげつつ、六文銭のついた門をくぐります。

合掌の瞬間


信之さんの墓碑は高さ3.3mの宝篋印塔。「大鋒寺殿徹巌一当大居士」、
「骨頭片々即琺身」「万治元年戌年」「10月17日烏」と陰刻されてるそう。

吸い寄せられる瞬間


六文銭って見るとちょっと胸が熱くなるような不思議な家紋じゃない?

真田信之は永禄9年(1566)、昌幸の長男として生まれます。幼名は源三郎。
幼少期は人質として武田家で過ごし、天正7年(1579)武田勝頼の子、
信勝とともに元服。信の一字を賜って「信幸」と名乗りました。

天正10年(1582)武田家が滅びると、母の山手殿と昌幸のいる上田に逃れ、
その後は昌幸に従って天正壬午の乱上田合戦に出陣し武功を挙げます。

天正17年(1589)真田が徳川氏の与力になると、信幸は家康に高く評価され、
本多忠勝の娘(小松姫)を家康の養女として娶り、駿府城に出仕しました。

足りなかった瞬間


お約束の六文銭風。ワタクシも・・と財布を見たら6枚揃ってなかった(*°∀°)=3

関ヶ原の戦いで父弟と別れて東軍に残った信幸は沼田上田9万石の大名となり、
沼田を本拠とし、昌幸らの助命嘆願し決別を表すため「信之」と名前を改めました。

元和8年(1622)信濃松代10万石へ加増移封になると、信之は民政に力を入れ、
35年に渡り藩主を務めて、松代藩の基礎を固めます。明暦元年(1656年)92歳にして
次男の信政に家督を護ると隠居し、万治元年(1658)10月17日93歳で亡くなりました。

よりそっていた瞬間


信之さんのお墓の向かいには、殉死した鈴木右近忠重のお墓もあります。
忠重は名胡桃城代鈴木主水の息子。名胡桃城が北条の手に落ちて父主水が自害すると、
真田昌幸に引き取られて家臣となり、後は信之を慕って臣として過ごしました。

目に浮かぶ瞬間


真田太平記では、名胡桃を訪れた信幸が、白く美しい顔立ちで体が弱い忠重を
「白毫子(びゃくごうし)」と呼んで目をかけ、かわいがる場面がありました。

まぁそれはフィクションだけれど、実際もそういう信頼関係があったんだよね。
殉死を禁じた信之は忠重だけは生前から許可していたそうな。享年75歳。

気になる瞬間


来た時は「廟所!」「墓!」と前のめってたから気づかなかったけど、
お寺を出る時にこんな標柱を見つけた・・・何か分からなかったけど(*°∀°)=3


さーて。次はここから歩いて、山本勘助のお墓参りに向かいます。
来たかったお寺と、寺じゃないとこにある勘助のお墓が近くてマジ喜びw


松代町柴にて山本勘助のお墓参り
〜に続く。



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2018.03.16 Friday 15:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

積翠寺にて武田信玄出生地を探訪!

長禅寺で大井夫人をお参った後は夫人が生んだ信玄の出生地を目指します。

のどかすぎだった瞬間


武田神社(躑躅ヶ崎館)を通り過ぎ、当時は詰め城があった要害山の麓に
積翠寺はありました。館から思ってたより距離があってビックリした。

大事なポイントだった瞬間


駐車場はこの左手上の方なんだけど、ちゃんと参道に回り込んでのイン!
説明板を読んで「武田信玄公誕生之寺」の碑を見て盛り上げてくのです。

まっしぐらだった瞬間


積翠寺は鎌倉末期に夢窓国師の弟子が中興した臨済宗妙心寺派のお寺。
境内はコンパクトでウロウロするような所もないので井戸に直行します。

下調べ大切だった瞬間


建物沿って端に行くと狭い通路に「庭園入口」という看板があります。
「産湯の井戸」って案内はないので、知らなかったら見逃しちゃたかも。

おどおどしている瞬間


後から知ったんだけど、この白い建物が本堂だったらしい・・
人の家に侵入してるみたいな気になっちゃうけどグイグイ進みます。

古刹の風格だった瞬間


ほどなく庭園に到着。通路が狭いので引いた写真が撮れなかったので
いい感じなのが全く伝わらないけど、夢窓国師の築庭なんですってよ!

あ、あってる??とかなってた瞬間


庭園もいいけど「井戸ドコ?」ってなるくらい気配がないんだけど、
とにかく通路に沿って進んで行くと・・ありましたぁぁぁ!!!!

感慨にふける瞬間


大永元年(1521)今川家臣福島正成が甲府に進軍した飯田河原の戦いの時、
信虎夫人は要害城に避難し積翠寺で信玄を出産。その時、産湯に使った井戸です。

お墓もそうだけど、生まれた場所とか武将の生死に関わる場所に来ると、
その武将が生きた証っていうか、存在感がより感じられる気がするんだ。

ロマンな瞬間


今は井戸としての用はなしてないけど、ちゃんと残ってるのは嬉しいよね。
本堂でお参りできなかったから、ワタクシもここにお賽銭おいてきた。

ちょっぴり残念な瞬間


庭園入口の手前には不動堂がありました。案内板にはお寺の由緒とか、
信玄が生まれたくだりが書いてあるんだけど、カサカサで読みづらいw

ありがた気だった瞬間


不動堂は開いていて中を見ることが出来ます。向かって右が不動明王。
左が毘沙門王。で、真ん中が信玄公像。いいものが見れた気がする!

やっぱり濃い瞬間


なんかちょっとブルドックぽいのが気になるけど相変わらずの濃さ!!
暑苦しめ&濃厚でどっしり・・信玄サマはこうでなくっちゃねw


今回で山梨武田巡りのエントリーは終了! 次は長野に行きます!


大鋒寺にて真田信之のお墓参り〜に続く


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2018.03.09 Friday 13:30 | comments(2) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

長禅寺にて大井夫人のお墓参り

信立寺の次は信玄ママン大井夫人の菩提寺長禅寺にやってきました。

圧倒される瞬間


中央本線の線路っぱた。ナビに連れられ「コレ合ってる?」と思いつつ、
細い道を走って行くと、突如、ドーンと現れる立派な惣門に軽くびっくり。

風格の瞬間


長禅寺は信玄が母の菩提寺として建立したお寺。古長禅寺(南アルプス市)から
甲府に移されたもので、後に信玄が定めた甲府五山の筆頭とされた名刹です。

キョロキョロする瞬間


惣門をくぐった先の駐車場に車を停めて境内へ・・と思ったら山門は通れない。
横っちょに入れそうなところはないし・・・で、右から廻ることに気付きました。

危うく入れないのかとビビる瞬間


ワタクシが訪れた時は右に回ったところで大々的な工事をやっててね。
このお寺は建築好きみたいで、拝観出来なかったらどうしようかと思った。

雰囲気だった瞬間


無事に境内にイン!するとなかなか立派な三重の塔が目に入るけど、
これは昭和53年(1978)に建てられたものだそう。色あせてますw

興奮できる瞬間


本堂は門が閉じてて入れず。でも屋根の武田菱を見てよしとします。

晴信(信玄)は39歳の時、このお寺で出家して岐秀禅師に「機山信玄」
という法名を授かった・・そういう所にいるって思ったら十分満足!

優しいイメージだった瞬間


こちら大井夫人の北の坊霊廟。説明がなくて詳細は分からないけど・・。
霊廟の奥には五重塔があるけどやっぱり現代建築なんだそう。

安心しまくる瞬間


霊廟の奥にお墓の参道がありました。分かりやすくすぐ見つかって安心。
だいぶ歩くのかなと思ったら、たいしたことなかったのでさらに安心ww

リッチすぎた瞬間


参道の途中にはまたもや塔が。今度は四重。しかも新しい!
五重塔が数十億円という噂・・やばいw(写真を撮り忘れている人)。

ひっそりしすぎな瞬間


道なりに歩いてほどなくお墓に到着。お花もなく寂しい感じです。

大井夫人は甲斐の国人大井信達の娘で、政略結婚で武田信虎の正室となりました。
信玄信繁信廉の生母で、信玄が信虎を追放した後も躑躅ヶ崎館に暮らし、
天文21年(1552)5月7日、55歳で亡くなりました。「長禅寺殿心月珠泉大姉」

なれなれしかった瞬間


大井夫人は子供への愛情あふれる優しいお母さんだったと思ってます。
定恵院(信玄の姉・今川義元正室)も生んでるけど嫁に行った娘より、やっぱ息子ねw
とわかった風に勝手な共感をしつつ合掌。ワタクシは古長禅寺の方がおススメ。


さーて。次は今回の山梨武田巡りのラスト。信玄の出生地に向かいます。


積翠寺にて武田信玄の出生地探訪!〜に続く


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2018.03.02 Friday 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 
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