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勝沼氏館に登城!

大善寺の次は理慶尼の実家でもあった勝沼氏館へ。

なぜかウロウロしていた瞬間


ナビで出なくてだいたいの位置で向かったら通り過ぎてしまいました。
アレ・・この辺だけとあった??とか一寸迷ったわw(多分ワタクシだけ)

真新しかった瞬間


駐車場の敷地内に勝沼氏供養地蔵がありました。元は理慶尼が館内の太鼓櫓に
建立したものがいつしか失われた為、有志の寄付でここに再建したものだそう。

まさかのトラップだった瞬間


・・てか、館跡ドコ?? 駐車場から少し回り込むとはノーマークだった!!
アワアワしながらスマホで位置を調べ、畑の周りを通って目指してしまった。

ちょっと興奮していた瞬間


無事に到着! 後から見たけど道路沿いの入り口もちゃんとありました・・。
けど反省もそこそこに「おお〜想像してた以上!!」と鼻の穴が広がりますw

出鼻をくじかれた瞬間


東側の空堀には前に見た写真だと木橋が架かってたけど無くなってたΣ(゚Д゚)!
注意書きがあって先は立ち入り禁止にもなっていたので東門から入れません。

鼻息が荒くなる瞬間


東側からの〜北側の空堀。写真だと伝わりづらいケドなかなか立派でね。
武田巡りだから行っとこうってノリだったから思った以上で正直驚いてます。

きっと色々ワケありだった瞬間


勝沼氏館は昭和48年(1973)、県立ワインセンター建設に伴って発見され、
現在は国指定史跡として保存され、史跡公園として一般公開されています。

勝沼氏は武田信玄の父、信虎の弟信友がこの地に住んで名乗ったのが始まりで、
親族衆として信虎の信頼も高く、大きな勢力を持っていたと言います。

天文4年(1535) 北条氏との戦いで信友が戦死すると子の信元が跡を継ぎ、
信虎を追放して国主となった信玄に従って信濃侵攻に従軍していましたが、
永禄3年(1560)、関東侵攻した上杉謙信と通じ謀反を企てた書面が見つかり、
信玄の命を受けた飯富昌景により謀殺。勝沼氏は断絶しました。

信元の妹、理慶尼(松葉)はこの謀反の騒動によって婚家を離縁され、
大善寺の慶紹を頼って尼となり、理慶尼と名乗って一族を供養して暮らすんですね・・。

念入りに確認する瞬間


北門から中に入ってみます。模擬橋がかかってるけど劣化の手当てが雑w
東門の橋はなくなってたし、アレコレ新しくするタイミングなのかもね。

念入りだった瞬間


さっき見た大きな空堀に加え、北門前にも空堀で二重になってるようです。
甲州街道が近いから重要な拠点として機能していた城館だったんでしょうね。

適当だった瞬間


中に入ったところの武者溜りから北門の方を見ると石積みがありました。
復元か何か分からないけど、北門が大手だっていう雰囲気は出てるような。

さすが国史跡!だった瞬間


武者溜りの軽トラ何者? と思ったらオジサンが二人草刈りしてました。
ちょうど休憩中で、うるさくもなく、ワタクシも邪魔にならずよろしw

コンパクトな館だった瞬間


中には主屋の他、番所や会所、工房など色々な建物があったようです。
奥の方に模擬水屋、他は建物の名前が書かれた表面展示がされてます。
親族衆とはいえ家臣クラスの暮らしの規模ってこんな感じなんだなって。

橋をかけてほしかった瞬間


アッという間に東門の所に来ました。土塁の向こうが橋のなかった空堀。
松葉と呼ばれた子供の頃の理慶尼さんが遊んだりしてたかもしれないね。

危うくスルーしかけた瞬間


東門横には櫓台跡もありました・・ってコレ、超〜ちっさ! 
梯子に毛が生えたくらいの見張り台しか置けなかったかと思いますw

甲州市にずっと頑張ってほしい瞬間


畑の横を通って駐車場に戻る時、しつこくまた東門の方を見といたw
橋がないだけじゃなく、立ち入り禁止で目の前にも行けないんだよね。


武田巡りでは外せないってことでコースに入れ、気楽にフラッと来たけど、
もっと前のめって「勝沼氏館見てぇ!」って鼻息で来てもいいくらいだったわw


城館に思いがけず満足した後は逍遥院に向かいます。


逍遥院にて武田信廉のお墓参り〜に続く



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2017.07.16 Sunday 18:02 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(山梨県) | 

大善寺にて武田勝頼主従を追慕!

雲峰寺ショックを乗り越え、勝沼にやってきました!
天目山で自刃する前、勝頼一行が泊まったという大善寺にお参りするのです。

感じがよかった瞬間


拝観の多いお寺で宿坊もやっているからか、受付の人が丁寧で感じいい!
500円の拝観料を払ってパンフをもらったら、さっそく山門へ向かいます。

山門は元禄17年(1704)に土屋惣蔵の子孫によって建立されたものが焼失し、
寛政10年(1798)再建されたそうな。・・土屋惣蔵ってもちろんあの人よね?

いきなり盛り上がる瞬間


土屋惣蔵は勝頼に最後まで従って奮戦の末、討死した忠臣の中の忠臣。
片手でつたを握りしめ、片手で織田勢相手を斬りまくったことから、
片手千人切りの逸話が残ってます。3日も川が赤く染まったとか・・。

詳しい説明はないけど、勝頼主従が最期を迎える直前に投宿していることから、
土屋さんの子孫はきっと供養のつもりで山門を建立したってことなんだろうね。

主従の追慕で来てるんだけど、こんな出だしからグイグイ来るとはw

反応薄なインフォメーションだった瞬間


この山門前の柏尾坂では新撰組の近藤勇が官軍と戦ったそうです・・・
・・・ワタクシは佐幕派だけど、なぜか新撰組にピンとこない人w

気持ちは分かった瞬間


お寺には川所縁の寺宝があったので被害に巻き込まないように
近藤さんは山門で指揮をとったんだって。負けちゃったけど(*°∀°)=3

何もかもが弱すぎた瞬間


山門の次は楽屋堂を目指して階段を登るんだけど・・・地味に長い!
息が上がってヨタヨタしてたら、後から来た中年夫婦にぬかされたwww

ハアハアしている瞬間


やっと楽屋堂まで来たと思ったら、地味にまだ登るのかーい!っていう。
でも勝頼主従も歩いただろうし、薬師堂も見えてるから頑張りましょう。

どうやらお祭り用らしい瞬間


階段を上がって振り向くと、くぐってきた楽屋堂と稚児堂が見えます。
古くないし文化財指定もないので建て替えたりした建物なんだろうね。

大善寺は養老2年(718)行基が薬師如来像を刻んで安置したのが始まりで、
奈良時代、聖武天皇の頃には鎮護国家の勅願と寺号を賜るほどの隆盛を極めたとか。

妄想に入る瞬間


楽屋堂に入るとたくさん階段登った分、いい感じに甲府盆地が見下ろせます。

この寺に辿り着いた時には数日後に最期の日が来るなんて夢にも思わず、
ただ再起を願い、小山田信茂の待つ岩殿城を目指していたはずの勝頼。
こうして甲府盆地を見下ろしていたとしたら、どんな思いで見ただろう?

天正10年、織田軍に攻めこまれた武田勝頼は新府城を落ち、
再起を図るべく、家臣小山田信茂の岩殿城を目指します。

一行は信玄の従妹理慶尼が住んでいた大善寺に泊まって戦勝を祈願しますが、
小山田の裏切りにあい、8日後の3月11日、勝頼が自刃。武田家は滅亡しました。

とにかく感慨深すぎてた瞬間


さて、ではいよいよ前を向いて国宝の薬師堂を拝見します!
弘安9年(1286年)建立・・って元寇のちょい後ってことでしょ?

それを考えても何だかとにかくすごいなーって圧倒されちゃうし、
勝頼が北条夫人、子の信勝と死の直前に宿泊したと思えば妄想さらに広がる。
寺にたどり着いた日に理慶尼にもてなされ、ココで共に過ごしたんだって。

思いがけない感動の瞬間


本堂の中には入ることが出来て、係りの方から説明もしていただけます。
ワタクシは勝頼主従追慕で訪れたので、中とか完全ノーマークだったけど、
せっかくだからと見て回ったら素人目にも十二神将立像が素晴らしすぎて。
芝居がかってないというのかな。自然な佇まい過ぎて逆に重みがあったよね。

撮影NGで見せられないのがホントに残念。お寺のHPで見られます。

本尊の薬師如来は平安時代の作で、5年に一度しか拝めないんだって。
だから写真が飾ってあったけど・・まぁ正直、ありがたさ全然ないよねw

死亡フラグの勝頼主従に思いを寄せ、風景や空気感を味わえばよし!
以前、すでに訪れている天目山景徳院との距離感や至る経緯を思いだせば、
ホント来てよかった!来る価値あったな!と自己満足に浸る次第。

絶対に見逃せなかった瞬間


薬師堂の横手の方には理慶尼のお墓もあります。

理慶尼は信玄の父信虎の弟信友の娘で信玄の従弟にあたる女性で俗名は松葉。
永禄3年(1560)兄信元が謀反を企て信玄に誅された際、嫁ぎ先から離縁されると
大善寺の慶紹を頼って尼となり、理慶尼と名乗って庵を結び住したそうな。

真偽はともあれ悲しすぎる話に違いない瞬間


理慶尼は勝頼主従の自決までの一部始終を記した「理慶尼記(武田滅亡記)」
という記録を残しているそうで、大善寺に保存されているんですって。

後に誰かが理慶尼に託したものだとか、真偽は怪しいらしいんだけど、
誰が書こうが悲しい話に違いないしちょっと盛ってたとしてもいいでしょw

心からお祈りする瞬間


理慶尼は82歳まで生き、慶長16年(1611)大善寺で亡くなったそうです。
戦国あるあるで嫁ぎ先を離縁されて尼になり、一族の滅亡も見届けてね・・
戦国時代の女性ってのは、身分に限らずなんだか本当に切なくてつらい。

素晴らしいお寺だった瞬間


最後に受付に戻って江戸初期の手法で作られたという庭園も鑑賞します。
特徴や詳しいテクは分かりませんが、品があっていいお庭だと思います。

お庭は受付から入った広い座敷に面してて、こちらは解放されいるらしく、
ポットにお茶も用意され、持参したお弁当を食べたりも出来るようでした。

薬師堂の係りの方の説明も分かりやすくて丁寧だし、受付の人の感じもいいし、
庭園が見られる座敷は解放されてるし、お寺なのにホスピタリティがすごい!

ここは武田関連史跡としてはもちろん、由緒あるお寺としてもおススメ!!


とても満足したので次はその理慶尼の実家。勝沼氏の館跡に行ってみます!


勝沼氏館跡に登城!〜に続く




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2017.07.06 Thursday 16:55 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

武田ゆかりの雲峰寺を探訪!

恵林寺の後は、武田関連の史跡をグイグイ廻るよ〜ってことで雲峰寺へ。

恵林寺からだと行きたいところの多い甲府方面とは逆なんだけど、
今回を逃したらわざわざ目指すのは難しいと思って行ってみた次第。

雲峰寺には宝物殿があって武田関連のお宝が拝観できるのです!

覚悟を決めた瞬間


駐車場の前に坂で登れる道もあったけど、珍しく階段で行く気にw
とはいえ見上げてみると、なかなか上の方にあらっしゃる(*°∀°)=3

ハァハァしている瞬間


頑張って登ってきたけど、仁王門が見えてきたところで息切れ休憩。
杉の木立と苔の効果で体に良さそうな気があふれてて気持ちがいい!

膝がほほえみ出していた瞬間


仁王門に到着! 周りの雰囲気も相まって古刹の趣が感じられます。
正面からじゃ全然分からないけど、八脚門入母屋造りの茅葺です。

落ち着きまくりな佇まいだった瞬間


本殿は檜皮葺でどっしり重厚な佇まい。説明によると仁王門も本殿も
永禄元年(1558)頃の建立だといわれ、重要文化財なんですって!!

雲峰寺は天平17年(745)に名僧行基が開いたという臨済宗の古刹。

甲斐源氏による武運長久の祈願寺として深く崇敬されてきたお寺で、
武田信虎が印判状を与えたり、信玄が願文を納めたりもしたのだとか。

天正10年(1582)、武田勝頼が天目山の戦いに敗れて自刃した時には、
家臣が再興を期して武田家の宝物をひそかに運び込んだと言われていて、
その貴重なお宝が宝物殿に保管されてる⇒拝観可能!というわけなのです。

ロックオンの瞬間


本殿の右手には同じく重文指定されている庫裡と、そして宝物殿が!!
・・・ん? ちょと待って。宝物殿なんか開いてない感じじゃない??

すっ倒れそうになる瞬間


ちょっとー!! あの張り紙なにーー?? やめてーー!!

予感的中の瞬間



ガ━━Σ(゚Д゚|||)━━ン!!


休館中って・・・休館中って・・・・・・(白目)
ちゃんとホームページに書いておいてください!!!

日の丸の御旗、孫子の旗、諏訪神号旗とかが見たくでわざわざ来たのにな・・

残念な思いしかなかった瞬間


駐車場前の緩い登り口がコレ。心折れてよろめきながら降りてきたわww


ワタクシが帰る時、登山ルックの熟年カップルがお寺の方へ登って行った。

雲峰寺はアクセスが悪くて車じゃないとかなり不便なところにあるから、
大菩薩峠とかへの登山途中に通りかかりで寄っただけだといいなと思った。
だって宝物殿を目指してここまで歩いて来てるとしたら気の毒すぎるもん。


・・まぁ今回は縁がなかったってことで、気を取り直して次行こ!!


さて。甲府の方へ向かう前に、通りがかりの勝沼へ立ち寄ります。
天目山の戦い前に武田勝頼一行が泊まった大善寺へお参りするのです。


大善寺にて武田勝頼主従を追慕!〜に続く



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2017.06.30 Friday 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

恵林寺にて武田信玄のお墓参り

向嶽寺から今回の大本命、恵林寺にやってきました!

ずっと前から「行こう 行きたい 行かなきゃ 行かないの?」と思ってた!
でも近いからすぐ行けるとか何とか・・そしてやっと来れたパティーンですw

いきなり武田紋がまぶしい瞬間


塩山駅の信玄像、向嶽寺と寄ってるけど、まだ拝観時間ちょい前( *´艸`)
時間もあるので車を停めてから少し戻り、赤門から入っていくことにします。

ハリキリすぎてた瞬間


初秋の天気のいい土曜日。有名だからかなり混むものと思ってたけど、
さすがに朝イチはそうでもなかった(*°∀°)=3 空いててよかった!

無理すぎた瞬間


参道を進んで行くと有名な三門が見えてきます。こちら県重要文化財。
織田信長の焼き討ちを受け、快川和尚が壮絶な火定を遂げた場所に建ってます。

「安禅必ずしも山水を用いず 心頭滅却すれば火もまた涼し」

・・妄想スイッチ全然入らないw 無我夢想の境地とかマジ遠い!

後から情報だった瞬間


三門を入ると見えるのが開山堂。夢窓疎石、快川紹喜、末宗瑞曷の像が
堂内に安置されているそうですよ。ワタクシは見てないけど(*°∀°)=3

共通券を買うことにした瞬間


ちょうど拝観時間になったので開山堂の右手にある入り口に向かいます。
このさらに右には信玄公宝物館があるので、帰りに寄ることにしました。

迫力があった瞬間


庫裡へ進みます。庫裡は信長の焼き討ち後、家康によって再建されたものの
明治38年の火災によって再び焼失。現在の本堂や庫裏は明治末期のものなんだとか。

空いていてよかった瞬間


拝観料は大人300円。高校生以下100円。信玄公宝物館と共通券で700円。
靴を脱いで上がるけど割と狭いので、混んでる時や団体さんいると大変そう。

後悔先に立たずだった瞬間


何気なく入り口に貼ってあったお知らせの紙を見てがっくり(´Д`)
信玄の墓は間近で見られないんだね・・もっと早く来とけばよかった。

そのくせ案外、前のめりだった瞬間


墓参りのために来たのに入れないって何だよ〜と自分のミスを棚に上げ、
心の中でブツブツ文句を言いながら、でもイソイソと順路を進みますw

1人でじっくり堪能する瞬間


こちらはうぐいす廊下。侵入者探知のため、床の上を人が歩くときしんで
音が鳴るように作られています。その音が鶯の鳴くような音ということで・・

侵入がばれるのは確実だった瞬間


どこを歩いてもキュキュキュッとしょうもないほどの音がします。
右側にはズラーッと位牌が並んでました。誰のだろうね?(いい加減)

特別感満載だった瞬間


うぐいす廊下の先にあるのが「明王殿」。武田不動として崇拝されていて、
不動明王が鎮座しています。で、このすぐ外が信玄のお墓というポジです。

ドキドキの瞬間


不動明王は信玄が比叡山より大僧正の位を受けた際、京より仏師斉藤康清を招いて、
対面で模刻させたというもの。大きさ良く分からなかったけど等身大とかって。

とんだジラシプレイでお預け感満載の瞬間


お知らせの通り、信玄のお墓には入れないので順路に沿って墓域外を廻ります。
この場所からだと遠すぎてチラとも見えない・・目の前にあるのにあんまりだ!

執念深かかった瞬間


とキーキー思ってたら、家臣の墓の方へ回り込んだ所から少し覗けたw
改めて言っとくね。通常は非公開で月命日の12日だけ特別公開ですから!

この信玄の墓のすぐ裏手には家臣の墓がいくつも建っているんだけど、
順路からは全体に遠い上、ポジ取りしづらく暗くて写真がうまく撮れず。
中には馬場だの内藤だのの墓もあるらしいけど誰ドレとかも不明だし。

案外スルーだった瞬間


信玄、家臣の墓の次にあるのが柳沢吉保公墓所。正室定子の墓も並んでます。
信玄と同じ甲斐源氏の一族であることを自負していた柳沢さんの意を汲んで、
大和郡山への転封にあたり夫妻の墓がここに設けられたのだそうです。

とりあえずのぞいてみた瞬間


こちらが夫妻の墓所隣に設けられた霊廟の中にある柳沢吉保坐像。
吉保自筆の納め状によると正徳元年(1711)に製作され奉納安置されたそうな。

大判ふるまい武田菱だらけだった瞬間


最初に見てきた中門や三門にあるような金ピカに輝く武田菱ばかりじゃなく、
庫裡や方丈のあちこちにある他、廊下にこんな無造作に置かれてたりもしますw

紅葉の時期しかありえない瞬間


最後に夢想国師の作った恵林寺庭園・・・全く素敵さ伝わらず(*°∀°)=3
ワタクシの写真の腕前に加え、木々が緑だらけなのもよろしくないと思われます。


順路通り廻って入り口に戻ってくるとすごい規模の団体さんが来たのに遭遇。
ワタクシ朝イチに来て貸切で見られてよかった・・うぐいす廊下とかやばいw

こちらも貸切だった瞬間


恵林寺拝観の後は信玄公宝物館へ。常設展示で「信玄と戦国文化」をやってて、
孫子の旗「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」なんかも見られます。

じっくり見られて満足な瞬間


撮影ダメなので中の写真はないけど、風林火山の旗の他、諏訪法性の旗とか
武藤喜平衛(真田昌幸)所有の甲冑、伝信玄所有、愛用の兜だ軍配だの他にも、
色んな起請文や文とか、逍遥軒作の像とかもあり、なかなか面白かったよ!
こちらも入れ違いに別の団体さんが来て。ワタクシ本当についてたww

絶対マストな瞬間


次に向かう車に乗り込む前に向かいの「ドライブイン信玄館」に立ち寄り。
お昼には早く食事するわけじゃないけど、ココはどうしても外せないの!

存在感ハンパなかった瞬間


だってほら!!入り口横に鎮座するドデカイお屋方様の銅像を見て!!
遠目にしてもあのデカさ。武将銅像好きとしては絶対に見逃せないじゃんw

何しろ大迫力だった瞬間


ドーーーーーォォン!! まぁデカい!!濃い!!暑苦しどっしり!
動かざること山の如し。重厚すぎて見上げてると威圧感マジはんぱないんすけど!!!

戦利品は勝沼ワインと信玄餅だった瞬間


いつもは超急いで次次に移動してるから店とかあんまり寄らないけど、
せっかくだからたまにはママンにお土産でも買おうかなって店内へ。

そしたらレプリカながら信玄だ勘助だとあちこち甲冑が飾ってあって、
絶対買わない民芸品とかのコーナーの方まで廻っちゃったよねw

恵林寺に来たら、ドライブイン信玄館もセットでぜひおすすめ!


さて。本日一番狙いを無事見終わって力が抜けたところで、
あとは日が暮れるまで力の限り、武田関連史跡をグイグイ廻って行きます。


武田ゆかりの雲峰寺を探訪!〜に続く




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2017.06.20 Tuesday 17:34 | comments(2) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

塩山駅の信玄像と武田ゆかりの向嶽寺を探訪!

ここからしばらくは山梨攻略シーズン?(いくつだろう)のエントリー。
山梨は武田絡みの史跡が多すぎなのでエリア絞って刻んでくのがよし!

今回は甲府周辺にある未訪の武田関連史跡をグイグイめぐったんですが、
一番狙いは恵林寺なので、朝イチ。まずは最寄りの塩山駅に立ち寄ります。

意外とコンパクトだった瞬間


恵林寺の最寄駅となる塩山駅北口には、信玄公の銅像があるのです。
ロータリ前の通りから遠目だと、思ってたのよりだいぶ小さく見える。

かわゆげがある瞬間


甲府駅前の戦モードな信玄像とは違い、こちらは鎧兜なしの入道姿。なんかかわいいw
塩山ライオンズクラブ寄贈で、長谷川等伯の書いた画を元に造られたんだって。
小さ目だけど台座が目の高さにあって、間近にジロジロ見られる銅像もよいです。

やっぱり信玄だった瞬間


佇まいがちょっとかわいいと思ったけど、アップで見たらやっぱ濃い!!
信玄の雰囲気がちゃんと表現されて、武将銅像レベルも高めだと思う。

朝イチ、独り占めで堪能して気も済んだところで次に行きます。


塩山駅から恵林寺に向かう途中、通り道なので向嶽寺に立ち寄りました。
非公開寺院で建物内とか庭園は見れないけど、武田関連なので外せない!

ちょっぴり緊張しちゃう瞬間


非公開ながら境内の一部は入れるので、行儀よくしてサッと見学しましょう。
まずは檜皮葺の中門。室町時代中期のもので、天明6年(1786)の大火により
諸堂がことごとく焼失してしまった中、唯一残っている建造物なんだそう。

妄想スイッチをオンにする瞬間


中門の横っちょにある入り口から境内に入ると広がるのがこの風景。
様子のいい橋、姿のいい木々、品のある仏殿の佇まい・・素敵だよね。

でも悲しみのどん底に沈んでいる人には、どんな風に映ったんだろう・・

ワタクシ武田関連のおめぐり中ですから、勝手に思いを馳せています。
武田滅亡の時、この寺に一時身を寄せていた勝頼の妹「松姫」気分でね。

松姫は信玄の娘。7歳の時に織田信長の子、信忠と同盟のため婚約するも、
信玄の西上によって破棄されると、誰にも嫁がず高遠城で暮らします。

松姫にとっては会ったことがなくても婚約破棄になろうとも、
夫になるはずだった信忠の存在が拠り所だったのかしらね・・
破棄後も二人はしばらく文のやりとりをしていたと伝わっています。

それから十数年後、信忠が指揮する織田軍による武田攻めが始まると、
松姫は高遠城から兄仁科信盛の娘らを連れて新府城へ逃れ、さらには
織田軍が迫る前に城を出て、落ちのびる中で向嶽寺に滞在しました。

タイミング的に松姫はここで武田滅亡を迎えてると思うんだけど・・

仁科信盛と武田勝頼、自分を逃してくれた兄達の死と家の滅亡を知った
松姫の気持ちなんてとても想像もつかない。しかも敵は思いを残す信忠。
きっと心が乱れて息もできない。戦国の女性ってホントに悲しい。

きっとすごく強い女性だった瞬間


こちら中には入れませんが仏殿。本尊は「釈迦如来」だそうです。
雰囲気ちょっと変わってる? 唐とか?(適当)なんか中国っぽい気がw

武田滅亡後、松姫らは残党狩りから逃れつつ、山中を武州に向かい、
八王子の金照庵に入ります。その後は心源院で出家して信松尼となり、
姪たちを育てながら一族の冥福を祈って静かに暮らしました。
武田滅亡時には敵だった北条氏照も支援していたそうな。

そして一説によると八王子に松姫の生存を知った信忠から使者が来て、
松姫が京に向かう途中で本能寺の変が起きた・・って話もあるんだってね。

もしそうだったら思いがかなって幸せに思った分、さらにショックじゃん。
そりゃ出家したくなる。姪たちがいなかったら自害したかもしれないよね・・

松姫のお墓は八王子の信松院にあるので、そのうちお参りに行こう。

満足する瞬間


自由に入れるのは一部境内だけなので、写真の通り見渡せば終わるw
何もないし、松姫ゆかりの何があるってわけじゃないけど来てよかったな!


さて、朝からディープな妄想をしてとても満足したところで、
次は今出陣の一番狙い、武田滅亡時やっぱりエライ目にあった恵林寺に向かいます。


恵林寺にて武田信玄のお墓参り〜に続く



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2017.06.13 Tuesday 10:58 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

梁川八幡神社にて政宗初陣祈願所を探訪!

興国寺で須田親子のお墓参りをしたら、ついに福島攻略最後の地!!
伊達政宗ゆかりの梁川八幡神社と龍法寺にやってきました。

大盤振る舞いだった瞬間


もっとだいぶ手前から始まってる参道なんだけどワタクシは途中から気分だけ。
でも駐車場は本殿横だから歩かなくてもいいところ、体力ケチらず来てみた次第w

そこここに趣があった瞬間


案内がなくて詳細が分からないけど途中には古いお堂みたいのもあります。
伊達氏の居城が梁川に移った時に伊達氏の氏神「亀岡八幡」と合祀され、
伊達氏の保護を受けてきたのだとか。福島県の史跡名勝の指定されています。

勝手に感慨深くなる瞬間

拝殿が見えてきました。若かりし頃の政宗もこの参道を通ったのかと思うと
ちょっと感じ入るものがありますね。とかいって大して歩いてないけど(*°∀°)=3

グイグイお参っちゃう瞬間

拝殿に到着! よ〜し。何はともあれ、まずはとにかく参拝だ参拝!!
ご利益は武運長久に勝運、縁結び、厄災除け・・何でも頼んどこっかw

伊達家にとって大事な場所だった瞬間


天正10年(1582)4月1日、16歳になった政宗が初陣の戦勝祈願にきた神社。
それより前、政宗の正室愛姫が輿入れの際、田村家から受渡されたのもここ。

ワタクシ帰ってから拝殿近くに受渡し場所が残っていると知りガッカリしています。

趣ある山門だった瞬間


神社の隣には別当寺である龍寶寺があります。文治年間(1185〜1189)に
伊達氏初代朝宗が祈願寺として開いたお寺で、神社と共に保護を受けました。

政宗エピソードばっか目立っちゃうけど、こういうお寺の説明を見ると
伊達氏がずっと昔から梁川と関わって来たってことがスッと入ってくる。

いい気が流れていそうだった瞬間


特に伊達家所縁の何か的なのはなさそうで山門から本堂だけ見ておき。
こじんまりしたお寺ながら手入れが行き届いて何か雰囲気がよかった。

何やら無造作な感じだった瞬間


お寺の前の駐車スペース横には茅葺屋根の趣ある鐘楼が建っています。
宝暦12年(1762)建立で指定文化財。鐘は昭和63年に再鋳されたそうな。

渋滞の心配もしていた瞬間


1泊2日で超〜盛りだくさん詰め込んだ福島攻略シーズン2これにて完了!
阿武隈川を眺めて東北の地に割拠した色んな皆さんを思いつつ埼玉に戻ります。


次回からは「秋」に出陣した山梨攻略シーズン?のエントリーです。


塩山駅の信玄像と武田ゆかりの向嶽寺を探訪!〜に続く



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2017.06.03 Saturday 15:37 | comments(2) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

興国寺にて須田満親のお墓参り

梁川城の後は、梁川城代須田長義のお墓がある興国寺にやってきました。

立派なお寺だった瞬間


興国寺は曹洞宗のお寺。前身は長野県須坂市南原の臥龍山の中腹にあったそうで、
その山麓が須田氏発祥の地なんですって。須田長義が上杉氏に従って福島に入り
梁川城代になった際、菩提寺としてこの地に建立されたそうです。

思ったほど歩かず済んでホッとする瞬間


境内はかなり広く、暑くてあちこち歩きまわらなかったんだけど
本堂の他にも数々のお堂や経蔵などがある立派なお寺さんのようです。

にんまりする瞬間


須田氏のお墓は境内入った手前の方にあるお堂の中にありました。
扉も開いているので、グイグイのぞかなくてもちゃんと見られそうですw

遠慮なくかぶりつく瞬間


お堂の中は中央が長義、左が父の満親、右がお菊の方って感じで。
説明ないしどうでもいいけどお菊の方は長義の奥さんだと思います。

イメージ先行だった瞬間

実はワタクシ的には梁川城代の長義さんより、満親さんのが印象が強くて、
今回こちらに立ち寄ることにした動機も満親さんの墓があったからっていうw

須田満親は信濃の武将で、村上義清と共に信玄の信濃侵攻に対抗して破れ、
越後に逃れて以降、謙信に仕えて数々の戦で活躍。後に海津城将として4郡を任され、
徳川の上田城攻めの際には上杉景勝の命を受けて真田支援の指揮を執りました。

若い頃の須田満親が主人公の吹けよ風 呼べよ嵐を少し前に読んで印象に残ってたし、
それ以前にも真田昌幸だったかを書いた小説に出てきた満親さんがいい感じで覚えてた。
それだけで詳しく知らないんだけど、お墓があるならお参りしたいなって。

で、そういえば満親さんって晩年はどうだったんだろうって調べたら、
上杉が会津に移封された時、次男長義に家督を継がせ、自身は海津城
切腹したって・・・ナンデ?? (病死という説もあるらしいんだけど)

よくは知らないけど優秀そうだった瞬間


満親さんの長男満胤は色々あって改易の憂き目にあって浪人した関係で、
須田家は次男長義が継ぎ、上杉氏に従って会津に入り梁川城代を務めました。

長義さんは猛将で伊達政宗を二度も撃破したり、大坂夏の陣でも活躍して、
徳川秀忠から感状をもらうものの、その時の傷が元で居城にて死去。去年37歳。

なんか・・政宗。本庄繁長にも須田長義にも追っ払われ、対上杉は調子いまひとつだねw



次はやーーーっと福島攻略シーズン2ラスト! のろすぎ長かった・・・・


梁川八幡神社にて政宗初陣祈願所を探訪!〜に続く


Writen by あも Love城! Go!名所旧跡




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2017.05.27 Saturday 14:13 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 
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