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騎西城に登城!

栃木市の大中寺から高速ぶっとばして一路、埼玉にリターン!!
ハンパな時間を使って、微妙な距離で行きづらい所に寄ってしまうのだ。

まったく心躍らない瞬間


埼玉県加須市にある騎西城・・・いや、城風建築の郷土資料館です。
当時は土塁や堀のゴリゴリ戦国城だったけど、こちらはリッチに鉄筋三階建。

微妙すぎた瞬間


騎西城跡は遺構もほとんど残ってないので全く興味もわかず今日までとことんスルー。
中途半端な時間を余しての通り道じゃなかったら、正直「コレ」目指しては来れないわw
展示は民俗資料やら町の歴史を語る写真とか・・うぐ、まだ行くとこあるからいいや。

反応が薄かった瞬間


模擬天守の建っているこのあたりは本丸じゃなく天神曲輪だったみたいね〜
下調べをしていないので、わりと大きかったと聞いてるだけで何もわかりませんw

そこそこ広そうだった瞬間


案内版があったので縄張りを確認してみると、本丸は模擬天守のもっと奥だった様子。
写真で言うと一番左にあるひょうたんみたいな形のところが本丸、天神曲輪はその右隣り。
水に囲まれた城っぽいね。同じ埼玉の忍城のような浮城だったんでしょうか。

微妙すぎた瞬間


ワタクシ桜が咲くタイミングで建物のあるお城に行くことって考えたらあんまりないので、
風情あるそういう写真は少ないんだけど、模擬天守の時に限ってバッチリ撮れるというwww

まっしぐらだった瞬間


模擬天守のある場所から通りを挟んだ向かい側に、土塁の一部が残っていました。
ほとんど住宅になってしまったので、よくここだけポツンと残ったなと妙に感心します。

騎西城は戦国時代から江戸初めまであったお城で、戦国時代には小田顕家・助三郎父子、
成田泰喬が居城し、江戸時代には松平康重、大久保忠常・忠職父子が二万石を賜っていたそうな。

アブナイ毘沙門天サマだった瞬間


他にたいして見るものもないので、横着せずに道路を渡って近くまで見に来ました。
土塁を見ながら「謙信が逆鱗で攻め落とした」ということを思い浮かべるのですw

永禄6年(1563)上杉憲勝が守る武蔵松山城が北条・武田に包囲されたことを受け、
謙信は越後から急ぎ、救援に出張ります。が、埼玉の北本に来たところで城は陥落。
目前まで来ながら北条・武田に攻略され、しかもその陥落は救援を待てず
上杉憲勝が勝手に降伏しちゃってのことなもんだから、謙信はそりゃ怒りまくり!

どっか城のひとつも落とさなきゃ気が済まない! のこのこ越後に戻れるか!

と騎西城をロックオンするやすごい勢いで攻め込むと、城にこもっていた女子供まで
「一人残らず撫で斬りにせよ」で落城させ、鬱憤ばらしをしたという・・・Σ(゚Д゚)!

上杉憲勝は救援が来てる情報をちゃんとつかめてなかったんだろうね・・残念な人だ。
この後、謙信に人質として出していた息子は殺されてしまったのだとか・・・

ピンとこなかった瞬間


土塁の上には騎西城の別名「私市城址」の碑が。詳しいことは分からないんだけど、
15世紀にこのあたりに初めて居館的なのが建てられた頃から呼ばれてた名前みたい。

反応する瞬間


さっきの縄張り図で見た大手門があった方向に少しだけ歩いてみました。
大手門跡はただの交差点で本当に何も残ってないけど、ふと目にした住所は「根古屋」。
こういうのを見ると城跡だな〜と思って、ほんのちょっぴりだけどグッと来ますねw


他に見るところもないので騎西城はこれで終了〜!!
この後はラブ小松姫と微妙な武将、仙石秀久のお墓参りに行きます。


勝願寺にて小松姫と仙石秀久のお墓参り〜に続く



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2014.05.15 Thursday 20:20 | comments(0) | trackbacks(0) | 関東(埼玉県) | 

深谷城に登城!

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妻沼聖天山の後は深谷城に登城! ・・正直、城跡としての存在感は激薄です(´Д`)
遺構もほとんど残ってないけど、地元埼玉の城ぐらい何かのついでに足を運んでもいいかとw

立派すぎた瞬間


城跡は現在は深谷城址公園になってまして、さも立派な城があった風な佇まいで整備されてますw
実際に遺構として残っているものはこの公園には一切ないので「城風」の演出を狙っているようです。

大胆だった瞬間


上の写真の反対側にも石垣が・・ちょっとした虎口の雰囲気を出してるって感じなのかな?
本来の深谷城とはかけ離れてるのですが、人によって城の入り口を再現したものかと思っちゃうかも。

気合いが入っていた瞬間


道路から見た公園の外側。公園の周囲はぐるっと石垣風な囲いがめぐらされています。
普通に柵や生垣を造るよりよっぽど予算がかかるのに何かこだわりあったんだな〜と別の意味で感心w

スルーだった瞬間


公園の中はこんな感じ。遊具は片隅にあるだけで憩いの場の部分はかなり広いですがただそれだけ。
市民文化会館とかコミュニティーセンターとかが併設された市の文化施設の一角という感じです。

深谷城は1456年(康正2年)、深谷上杉氏の上杉房憲が古河公方のに備えて築いたといわれる城で、
南北600メートル、面積20ヘクタールの大規模な城郭には土塁と深い空堀がめぐらされていたそうです。
関東管領上杉氏の庶流で上杉房憲から5代が居城としたことから深谷上杉氏と呼ばれていました。

天文15年(1546年)川越夜戦後、北条氏の支配下に入っていたため、天正18年(1590)豊臣秀吉の
小田原征伐が始まると城主上杉氏憲は小田原に籠城。深谷城は前田利家と浅野長政に囲まれますが、
重臣、秋元長朝・杉田因幡は総攻撃を避けるため開城、深谷を戦火から救ったと言われています。

家康の関東入国により家康の甥、松平康直が1万石で入城し、その後、家康の子、松千代、
六男忠輝、酒井忠勝ら居城としますが、寛永4年(1627)廃藩と共に廃城となりました。

かけ離れていた瞬間


せっかく来たので少し公園の周りを歩いてみると次の角には城郭風の狭間つき白壁が出現!!
土塁、空堀、木柵で囲まれていただろう当時の深谷城から比べたらモダンすぎますw

執念を感じた瞬間


で、また歩いて行くと公園の別の城郭風入り口が出てきてまたびっくり!! どんだけ好きなんだw
デザイニングされた経緯や意図はよく分かりませんが、役所のエライ人に城好きな人でもいたのかしら。
いっぱしの近世城郭の城址公園のような見かけ・・知らなくて通りかかったらちょっと車降りそうだw

シミュレーション中だった瞬間


城だったことを厳重にアピールしている公園に遺構は残っていませんが、東側に隣接する富士浅間神社に
申し訳程度の外堀跡が残っているというので、公園や文化施設の駐車場裏から行って見ることにします。
左奥の方が神社なのですが、若干ヤブヤブ。でも遠回りしたくないのでショートカットを目論見中。

イメージ湧かなかった瞬間


雑草のないところから外濠跡に入ってみました。ずいぶん浅くなっちゃってるんでしょうね。
深谷城は唐沢川、福川に囲まれた低湿地にあった平城で複雑な堀がめぐっていたそうです。
深谷城の調査資料を見ると、場所によっては幅18メートル、深さ3メートル近い堀があったり、
堀の底面なんかも畝堀とか障子堀とかいろいろあったことが分かっているみたい。
市街地だから仕方ないけど、貴重な埼玉の城。もう少し残っていたらよかったのにね。

うらさみしかった瞬間


外濠跡づたいに富士浅間神社の前に来てみました・・が、人もほとんど通らなそうな寂しい佇まい。
深谷上杉氏の祈願社で智形神社(ちかた)と呼ばれていたものが、明治始めに改称されたのだとか。
最後の城主上杉氏憲と子の憲俊は領地を没収されて信濃に移住、氏憲は信濃で隠居し、子の憲俊は
上杉の名を捨て、赤穂藩主の池田輝興に仕えたとか。すぐに開城しても改易厳しいわ。。。
なんにせよ何代も続いた家が没落していく感じは、今の神社の姿とかぶるような気がします。

ギャップが激しかった瞬間


神社の入り口に「市指定文化財 深谷城外堀跡」の標柱が立っています・・・狭ーーーΣ(゚Д゚)!
奥の方に浅いながら幅の広いところがあるのに、なんでこんな小川みたいなところに立てたのか・・

あっさり終了だった瞬間


細い小川風をたどって角を曲がると急に幅が広くなり、さっき見た神社のお社の横にある外濠跡へ。
で、ワタクシが入ってきた駐車場のところで曲がると、その先はまた細くなってしまっていました。
他に見るところがないので、市内の昌平寺にあるという深谷城を築いた上杉房憲のお墓へ行くことに。

実は有名らしかった瞬間


人見山昌福寺は上杉右馬助房憲が古河公方に備えて深谷城に移った時、父祖の冥福を祈るために創建、
慶安4年(1648)には寺領20石を拝領した名刹と言われるお寺なんだそうです。

案外くいつかなかった瞬間


中に入るとまず仁王門がありました。仁王様の前には金網が貼ってあったので写真はありませんが、
妻沼聖天山の赤い仁王様と違って、こちらは塗りのないタイプ。ワタクシは塗りなしが好きですな。
案内板などがなく建立時期などは分からないけど上の方の彫り物なども古そうで立派な門です。

やっぱりくいつかなかった瞬間


でこちらが本堂。本堂内には釈迦三尊像・千手観音像・開山禅師などがあるそうです。
裏に室町時代と推定される禅宗庭園があって、特別の時だけ見せてもらえるのだとか。

奥が浅すぎた瞬間


境内には「典座和尚と若き日の道元禅師」という問答のワンシーンを表現した銅像がありました。
しいたけの話 問答をしてるところです。暑い中、笠もかぶらず汗だくで一生懸命
しいたけを干している典座和尚(ご高齢)を見かけた若き日の道元禅師が質問します。

「なぜ他の人にやらせないのか」
「他は是れ吾にあらず」(他がやったら自分の仕事にならない)
「なぜこんな暑い時なさるのか」
「更に何れの時をか待たん」(今でなくて一体いつやるのか)

典座(てんぞ)というのは食事や供膳など食べ物を司る役僧のこと。道元禅師はこの問答を通して、
典座の大切さ、修行とは何かを悟ったそうです。これはまだ何となく分かるけど禅問答はムズイですね。
「今でしょ!」って答えた場合、その後も問答は続くのでしょうか・・ワタクシ悟りは遠いですw

立派だった瞬間


話がそれましたけど、ワタクシが見に来たのはこれ。本堂の左奥にある上杉房憲のお墓です。
立てた時期とか誰がとか説明がなく調べてもよく分からないのですが、なかなか立派な佇まい。

説明が足りな過ぎだった瞬間


累代の墓ということで憲房だけでなく、何代か血筋の人のお墓も並んでいるようなのですが、
昌福寺自体の説明には「房憲と憲盛の墓」としか書いてなく案内板もないのでよくわかりません。
ついでにこの辺で○憲なんだか憲○なんだか、ワタクシもわけが分からなくなってきましたw
房憲は室町の頃の深谷上杉氏初代。憲盛は川越野戦の後、北条に乗り換えた時の城主・・ムズイ。


頭が混乱してきたので深谷上杉氏から離れたい!! というわけで次は埼玉との県境にあって
ついでに行ける距離なので、群馬県太田市にある徳川発祥の地、大田歴史公園に行ってみます。


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2013.08.15 Thursday 00:24 | comments(0) | trackbacks(0) | 関東(埼玉県) | 

山口城に登城!

最後は地味城の多い埼玉県内でも屈指の地味の極み「山口城」に登城ですよ!!

地名表示大事だった瞬間


ナビでたいていの目的地周近にはちゃんと行けるけど、風景から明らかに「着いた!」って
分かる時ばっかじゃないから・・「え、ほんとにここで合ってんの?」みたいだと少しキョどる。
着いたのはマクドナルドとセブンイレブンと大型洋品店が隅を陣取る大きな交差点。
信号機に「山口城址前」がなかったら、ひとまずマック入って・・になるとこだったよ。

目立たなすぎた瞬間


交差点の角のこんもりしたところが土塁で、コイン洗車のでかい看板の下にひっそりと
案内版と城址碑が立っています。おまけに隣には選挙看板まで・・扱いが残念すぎます。

残念すぎる遺構を横目にまずは大型洋品店のでかい駐車場へ車を停めます。発券とかもなく、
無料で停められるのは助かりますね。買い物ないのに悪いけど、敷地内を見るということでw

ピンと来なかった瞬間


車を停めてさっきの土塁に戻ってきました。城址碑を入れて撮りたかったのですが、
とある議員だか候補者だかの名前入り看板がどうやっても入ってしまうのでこの角度に。
地元だから看板立てるんだろうに、地元の数少ない史跡・・それもわざわざ碑の隣に
看板立てるような地元愛のない無神経な議員には絶対に投票しないぜ!と思いましたし。

駐車場を借りたお礼に遺構を残した大型洋品店「サンキ」を宣伝しときましょうか。
わざわざ来る人はそうもいないと思うけど、ナビで目指す場合は「サンキ」がベストですw

土塁は敷地内にいくつか残っているんだけど、小山をポコッと置いたような上、
この扱いだと置きっぱなしの残土に雑草が生えただけのように見えてしまうわ。

実は大規模だった瞬間


10年近く前まで林だったそうです。そこを開発して店舗を建設する際に発掘調査されたみたい。
写真左すみが今見た残土に見える土塁ですね。今も残っているのは左すみと右側の線路沿いの土塁のみ。

山口城は平安末期から鎌倉・室町時代にこの一帯を本拠とした武蔵七党村山党の山口氏が築いたお城。
さっき見てきたばかりの難波田城もでしたが、ここもまた武蔵七党がらみ! 
山口氏は源平合戦での活躍が保元物語や吾妻鏡にも記されている武闘派の武士らしいですw

話が飛びますが、このあたりは鎌倉時代に坂東武者がブイブイ言わしてた頃は結構イケてた場所らしく、
いざ鎌倉!の鎌倉街道やら、鎌倉幕府を倒した新田義貞絡みスポットなども点在しているようです。

まるで雰囲気はなかった瞬間


今見た土塁の裏側にやってきました。駐車場の入口から見ると残土ぽさは軽減しますねw
でも城跡とか土塁とか分かって見ないと、やっぱりお店の植え込みかな〜みたいな感じ。

ありがちな風景だった瞬間


発掘調査中の写真に載っていた線路側の大きな土塁です。ちょうど西武球場行の電車が通りました。
大きいけどこっちもやっぱり普通に見たら線路前の土手かな〜って感じに見えますねw 

ズームインの瞬間


寄ってみました。発掘中の写真はきれいに形が残っていますが草木が生い茂るとやっぱり土手です。
ただこっちは規模が少し大きく長いので、この規模の土塁が郭を何重か囲んでいたんだろうと思えば、
石垣もなく地の利と土木量が防御力を決定した時代のお城の雰囲気は少しだけ感じられなくもない気が。

遺構に明暗ありだった瞬間


線路側から見てみました。駐車場側のいわゆるブロック塀&フェンスとは違う土止めが救いです。
地味すぎる城跡ですが、よく考えたら店舗開発と西武鉄道の線路工事で消滅の危機にあいながら、
分かりやすい部分の土塁がこれだけでも残されたのは奇跡的だと思えてきました。

見る影もなかった瞬間


線路の反対側には川が流れていました。鎌倉や室町の頃から流れていたのか分かりませんが、
土塁の向こうにある位置とかから見て堀の役目をしていたかもしれないと思いました。


地味〜な地元埼玉の登城&寺めぐりでしたが、行けば行ったでそれなりに楽しいものですね!
またそのうち【地元埼玉 地味の極みシリーズ】をお送りしたいと思いますwww


次からはゴールデンウィークの北近江攻めをじゃんじゃんエントリーします!!!!

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2013.05.16 Thursday 16:14 | comments(0) | trackbacks(0) | 関東(埼玉県) | 

難波田城に登城!

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難波田城(難波田氏館)に登城!地味〜ですが埼玉の貴重な数少ない城跡のひとつです。

設備が整いすぎていた瞬間


駐車場が2か所あり、ワタクシは古民家ゾーンの方の駐車場から登城。
こちらから入ると親切丁寧なパンフレットがもれなくゲットできますw
これを頼りに古民家ゾーンと城跡ゾーンに分かれた難波田城跡を堪能します。

ゾーンてなんだ!だった瞬間


よくよく考えるとゾーンてセンスないでしょw 整備されすぎって感じがゾーンにあらわれてますw

我が家より広かった瞬間


難波田城公園は所在地である富士見市内に残されていた古民家を移築して再現した古民家ゾーンと、
難波田氏時代の城跡ゾーンの2つのエリアに分かれています。まずは古民家ゾーン 旧鈴木家表門から。
市の指定文化財、旧鈴木家表門。中は農具などが展示されています。豪農は立派な家に住んでたんですね。

豪華すぎた瞬間


旧鈴木家表門をくぐると今度は旧大沢家住宅が現れます。やはり市内にあった民家だそうです。
当時は相当な名家だったのでしょうね。下手な武士よりよっぽど立派。名主に恥じない立派な邸宅です。
案内板の間取り図によると7DKプラス式台付玄関ってとこですね。うちよりよっぽど豪華ですΣ(゚ロ゚;)

一般ピープルとは思えなかった瞬間


ワタクシの家にはこんな立派な書院はございませんし。実家の和室も床の間有りますが負けてますw

財力がものをいう瞬間


はばかり(トイレ)もちゃんとありますw 陶器の便器・・今も陶器だけど焼き物風なのが気になりますw
本当に立派なお宅。豪農または名主としてブイブイ言わしていたことが察せられます。

お金がかかっていた瞬間


ちゃーんと整備されていますよ。この古民家ゾーンには旧鈴木家表門、旧大沢家住宅の他に、
でっかいちゃんとした穀蔵、農家の傍ら油商を営んでいた豪勢な旧金子住宅なんてのもあるんです。

癒される瞬間


でも(ワタクシよりお金持ちな昔の)一般ピープルの住まいはそんなに興味はないので、
さくっと城跡ゾーンに向かいます。この難波田城公園の周りはすぐ住宅密集地なんですが、
そんなこと忘れちゃうくらい自然豊かな・・蓮池なんかがある連結地帯を通って城跡に向かいます。

そんなに興味はなかった瞬間


城跡ゾーンの入り口には十玉院墓地が・・って、なんじゃそれ?
中世に栄えた修験道寺院で戦国時代に衰えたものの江戸時代になって難波田氏の縁者ということで
江戸幕府が難波田城跡に移築・再興することを許可したものらしいです・・ってどうでもいいかw

昔すぎた瞬間


いよいよ城跡ゾーン。古民家ゾーンから廻ると本城跡前の曲輪2というところに到着します。
難波田氏は中世に富士見市内を本拠として活躍した武士です。戦国どころかルーツは古く、
平安の終わり頃、武蔵七党と呼ばれた武士団がいて、そこから派生した一族なんだそうです。
難波田氏としては南北朝の頃に存在し、戦国時代には 扇谷上杉氏の重臣として活躍。
天文15年(1546)の河越夜戦で北条氏に敗れたことを期に北条に仕えるようになるも、
北条氏が秀吉に敗れたため難波田城は廃城になります。江戸時代になるとこの城跡に
十玉院が建てられ、そんな関係でお墓なんかもおかれちゃっている・・ということだそうです。
ちなみに主郭の前方にあったこの場所は馬出し曲輪だったと考えられているみたい。

やっと「登城!」の瞬間


いきなり本城跡に出ましたのでポーズと共に宣言をしておくことにしますw
難波田城は荒川低地の一角に築かれた平城で50,000岼幣紊反篦蠅気譴討い襪修Δ任后
戦国時代以前の古いお城。古絵図を元に復元整備された城跡公園なので綺麗すぎるのがナンですw

近すぎていい迷惑かもな瞬間


ポーズを取った場所の左手に模擬の本城門があり、その中に城址碑が建てられています。
すぐ後ろはどなたかのお宅。これまで見た中で最も城跡に近接しているお宅だと思われますw
本城と呼ばれるいわゆる主郭の部分は古地図によると東西45m南北30mもあったそうです。

綺麗すぎた瞬間


本城門前の曲輪にある四阿から追手門の方を見たところ・・・綺麗でしょ。綺麗すぎるでしょ?
城跡なんでしょうけど戦国以前の野趣あふれる雰囲気がなく洗練されすぎて違和感がありますw

和風公園みたいだった瞬間


模擬門の東門。この前にも駐車場があります。こちらに停めると城跡ゾーンからの散策になります。
難波田城は三重の堀と土塁に囲まれた平城だったそうですが、綺麗すぎてその風情は全くありません。

さらに美しすぎた瞬間


東門から見た城跡ゾーン全景。正面に見えるのは復元木橋です。発掘調査の時に出土した橋脚を元に
復元されたものなんだそうです。曲輪2と曲輪3を東西につなぐための橋だったと考えられていて、
東門側が幅2.7mだったのに対し、主郭側は1.8mになっていて馬出しから出撃しやすい造りに
なっていたと案内板に書かれていました。ちなみに曲輪2とか曲輪3というのは便宜上の名称。

早すぎた瞬間


もう少し遅い時期に来たら、美しく整備された城跡であやめや蓮の花のある堀が見れたようです。
ここまで綺麗に整備されている城跡公園だったら花のある風景を楽しむために来てもいいのかも。

実際は分からなかった瞬間


こちらは追手門。城の正面入り口の門で冠木門に屋根をかけた棟門という形の門です。
綺麗すぎるのか、荒々しさが足りないのか、戦闘やる気があんま感じられないというか・・・・
戦国以前の感じはあんまりしないんですw この先が便宜上の曲輪3・4になります。

びっくりだった瞬間


追手門を入ると食い違い虎口が出現します。整備されすぎるなのに芸が細かいなと思いました。
本来は土塁に綺麗な刈り込みなんかされていなかったでしょうし、高さももっとあったろうし・・・
予算とか決して高くないんだろうけど、富士見市も頑張ってるなと変な関心をしてしまいましたw

やっぱり綺麗すぎた瞬間


時期に来れば水堀のすべてに蓮の咲く風景が見事で綺麗なんだろうと思いました。
こんだけ整備されてパンフレット付、入城・駐車場ともに無料。花を見に来るのはありですw

堀の向こうにあるのは難波田城資料館。ワタクシは時間がないので割愛しましたが、
武蔵武士と難波田氏の関わりや、戦国の城や人々の暮らしの展示などがあるようです。

我が地元埼玉なんてのぼうの城でメジャーになった忍城以外ほぼマイナー城ですけど、
武将と言ったら基本北条系列オンリーですけど、何だかんだ言ってもおらが地元w
岡城といい難波田城といい、華なさすぎるけどそれはそれ。地味城も面白いじゃないか!!


次は県内でも指折りの【地味の極み】と思われる山口城跡に向かいます。


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2013.05.10 Friday 20:36 | comments(3) | trackbacks(0) | 関東(埼玉県) | 

岡城(埼玉)に登城!

GWの連休ですがワタクシは持ち帰りの仕事もシコタマあり、後半に遠征も控えているので、
いつでも行けると数年放置していた地元埼玉の未登城マイナー城と平林寺をめぐってきました。

まずは岡城。朝霞市にある城跡で今は城山公園として市民憩いの場になっているようです。
マイナーすぎてカーナビの「城」カテでは登録がないので、朝霞市岡3丁目30と住所入力で出発。
が、車では行きづらい場所らしく住民しか通らないようなすごい所を通る羽目になりました。

何はともあれ登城の瞬間


住所と概要くらいしか調べなかったので、細かい縄張とかはよく分からないまま何となく登城ですw
駐車場から上がって手前から1の郭、2の郭、3の郭になってることくらいしか分かっていませんが、
とりあえず登ってまずは1の郭に行く感じで。もともと詳細不明の城跡なので土木量を見る感じです。

安心だった瞬間


体力脚力ともにないワタクシでも難なく登れる程度を登ると、また1段高くなって1の郭に続く階段が。
昔はこんな階段やら柵やらはなかったでしょうけど、遺構としてよく残ってるような感じがします。

ほどなく出現の瞬間


あっという間に1の郭に到着! そこそこ広いけど何もなく、土塁に囲まれてるな〜くらいな感じでw

岡城は城主や築城者は不明で詳しいことは分かっていないながら、一説には15世紀に太田道灌が
築いたとも、太田康資の居館だったとも言われているそうです。北側に目黒川が流れる舌状台地にあり、
天然の要害になっている割と大規模な平山城なのに詳しいこと分からないって変な感じ。

こんな感じだった瞬間


後付けですけど縄張はこんな感じ。直線連郭式の珍しいお城です。今は川もがっつり護岸されて
川沿いには道が出来、ワタクシも車を停めた駐車場などが整備されてますけど当時は川まで、
ずーっと斜面になっていて、ここにも堀切やら空堀なんかがあったのかもしれませんね。

唯一だった瞬間


物見櫓跡だけ案内板が立っています。後にも先にも案内板が立っている遺構はこれだけw
土塁が他よりちょっぴり盛ってあるなくらいな感じです。案内板なかったら絶対気づかないです。

勝手に脳内復元の瞬間


寄ってみました。ここに物見櫓が建っていて東の方を警戒していたんですね。
逆井城荒砥城で見た物見の井桜櫓が建ってるところを想像してみました。
今のように城山全体に樹木が鬱蒼としているわけじゃなかったと思うので雰囲気きっと違うね。

さくっと次への瞬間


1の郭を出て犬走り?のような細い道を廻って2の郭に向かいます。犬の散歩の人が多くて、
ワタクシどういうわけかすれ違う犬という犬によってこられ、脚にまとわりつかれます(´Д`)
ワタクシ噛むとか噛まないとか性格的な情報がない知らない人の犬は苦手。非常に困ります。
犬のことはさておき、写真右側が1の郭です。そこそこの規模な感じが伝わりますかしら?

マメだった瞬間


案内図にある公園側から登ってくると、左に2の郭、正面から右が1の郭というところに出ます。
奥に一段高くなった2の郭が見えます。何とか高さが出ないかと階段下りて撮ってみましたw

単純じゃなかった瞬間


2の郭に行く前に1の郭との間にある空堀を拝見。どこに出るのかと空堀を歩いてみると、
折れがかかってこれから行く2の郭の奥まで続いていました。横矢になるってことですよね!

レジャースポットだった瞬間


で2の郭がこちら。1の郭より広いんですね。そのせいか決まりがあるのか分かりませんが、
連休中のこの日、何組もの家族連れがバーベキューやらフリスビーやらを楽しんでいました。

一般の人にはどうでもよさそうなところを真剣に撮っているワタクシを変な目で見ないで!!(笑)

さらにマメだった瞬間


今日は久々の登城そして地元埼玉でドライブに体力取られてないので元気です。
1の郭とつなぐ橋を見て、この下の空堀も見ておかなければ!と橋を降りてぐるっとまわりこみw
このお城、直線連結式で一見単純な縄張に見えるけど、歩いて来た道は回り込む感じなので、
平時の行き来を考えると、もしかして当時は木橋がかかっていたかもしれないね。

知ってる感じがした瞬間


また回り込んで戻ってきました。橋の下にw 地味なお城だけどやっぱり結構な土木量。 
ついでに奥まで行ってみたら行き止まりに。その先は斜面になっていて足場はありません。
築城者も城主も不明というお城だけど、ワタクシは何となく北条のお城の感じがします。
関東・・特に埼玉は北条がらみが多いし、不明ってことはそういう可能性だって・・ねぇw

手つかず過ぎた瞬間


3の郭と2の郭の間の空堀・・といっても単なる林みたいになってますがΣ(゚Д゚)!
足元には落ち葉がたんまりあってふっかふか。夏場はカブトムシとか取れそうです。

築城者も城主も詳細も不明ながら、城山公園として整備され遺構が残っているのは素晴らしい!

何も情報がないから遺構を眺めながら好きなように想像しちゃうってのも楽しいですねww


今日はこの後、平林寺難波田城跡、そして山口城跡に向かいます。



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2013.04.29 Monday 14:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 関東(埼玉県) | 

川越本丸御殿に登城!その3 ようやく御殿へ

ようやく本日の大本命、川越本丸御殿にたどり着きましたw

やっと宣言の瞬間!


日本100名城19番 川越城に登城! ・・てか御殿だけどΣ(゚Д゚)!
でもそんな小さいこと気にしちゃだめ。思えば武田神社だってそうだった。
同じ埼玉にありながら修復工事完了を待って満を持しての登城なんだから。

どや顔全開だった瞬間!


大唐破風と大ひさしのついた立派な玄関、渋さと品格があります。
川越17万石の威風漂う本丸御殿。川越城唯一の遺構で貴重な建物。


渋さ炸裂だった瞬間!


玄関で靴を脱いであがり受付で拝観料を払って100名城スタンプをもらいます。
掛川城の二の丸御殿と同じく、庭に面した廊下を歩いて部屋を見て廻ります。
掛川城の二の丸御殿は廊下に畳が敷かれ部屋も広かった。
欄間なんかも部屋によってはとっても凝った作りだったけど、
川越本丸御殿は余計な飾りがなさそげで質実剛健な超武家風。

何も足さない、何も引かない・・潔くって男らしいわ!
政務を行う場だし、お堅い印象の松平さんだから当然かw

17万石の懐具合を心配した瞬間


庭も渋い。財政難でコストパフォーマンスを重視したってことは・・ないないw

川越本丸御殿は嘉永元年(1848)藩主松平斉典が造営したもので、
玄関と大広間、移築復元された家老詰所のみが現存している。
家老詰所は明治維新後、福岡市の福田屋の分家に移築され昭和62年まで
母屋として使用されていたものを川越市が貰い受け、当時に近い場所に
移築復元したそうだ。移築とかされてなければ重文だったかもしれない。

それはザ・武家の美学!だった瞬間


あるべきところにはちゃんと釘隠しなんかもありますし。
派手さはなくても家格にふさわしい設えはバッチリだから大丈夫!
いかにも金かけてまっせ〜ってのはもう流行りじゃないのよw

手間もかかっていた瞬間


御殿の中では修復時の資料なども見ることが出来ます。
これは建築当初の「土井葺き」と呼ばれる屋根下地で短冊状に薄く切った
サワラ材を重ねるので大変な手間がかかる下地なんだそうだ。

三つ葉葵に松平家の風格だった瞬間


こちらは今回の修復工事で交換された大棟南側にあった鬼瓦。
建築当初は南側には書院が続いていたので鬼瓦はなかったそうだが、
瓦表面の風合いが北側の鬼瓦に似ていることから書院が解体された際、
鬼瓦が必要になったため、旧本丸御殿のいずれかで使われていたものを
置いたと考えられているそうです。そして役割を終えた今は展示品に。

年季が入っていた瞬間


それぞれのお部屋はこじんまりした普通の和室風が多いので、
ちら見ちら見で見どころのひとつである家老詰所に向かいます。
途中の窓枠に何気なく目をやると築160年あまりの味わいが。
同じ数百年でも石造りじゃこうはいかない。日本建築は素敵w

話の中身は難しそうだった瞬間


家老詰所で政務に励む家老3人衆・・うつむきがちで何やら難しい顔。
あれ、やっぱ財政難だった? 家老たちが見どころにひとつなんですw

悩みはつきなそうだった瞬間


一見、この肌色にこのメイクって何だか悪役ちっくですが
真面目で頑固一徹、忠義な家老が真剣に思案中ってところでしょうか?

花鳥風月を楽しむ暇はなかった瞬間


家老詰所前の庭。ちょっぴり野の趣が感じられる庭ですw
老中を務める川越藩主はほぼ江戸詰だから家老はとっても忙しい。
いっそさっぱりした庭の方が集中できて良かったのかも?

宮大工さん匠の技に感謝の瞬間


家老の間の廊下天井。きれいに修復されているのが分かります。
どこに行っても思うけど修復する大工さんは本当にすごい!!
現存として存在しているのはメンテナンス出来る人がいればこそ。

どこかずれていた瞬間


大広間には川越藩御用絵師である船津蘭山が書いた杉戸絵がありました。
そこの写真を取り忘れ、手前の廊下の杉戸絵は撮っていたあものバキャー!!Σ(゚Д゚)!


大本命の登城は完了しましたが、春日局化粧の間や家光誕生の間を見に、
川越歴史博物館を訪ねがてら近くの川越喜多院にも行ってみることにします。


川越本丸御殿に登城!その4 ついでに喜多院へ編に続く


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2011.04.29 Friday 19:45 | - | - | 関東(埼玉県) | 

川越本丸御殿に登城!その2 中ノ門堀と富士見櫓跡

時の鐘から再び、太田道灌さんのいる川越市役所に戻り、
本丸御殿方面へ向かいつつ途中にある川越城中ノ門堀跡を目指します。

唯一だった瞬間


通りに面した住宅街に挟まれた状態で突如出現する川越城中ノ門堀跡。
川越城の堀跡として唯一の遺構となるもので、2010年の春に復元された。
中ノ門堀はさっき見てきた市役所のところにあった西大手門から侵入した敵が
本丸方向へ向かうのを防ぐために造られたもの。当時、他に2つ堀があり、
合わせて3堀でがっちりガードしていたらしい。写真向かって左方向が本丸。

なんちゃってだった瞬間


今は実際にはなかった冠木門が建っている中の門堀跡だけど、
当時は立派な2階建の櫓門があったようだ。冠木門は演出用w
ちなみにこっち側も隣はすぐ普通の住宅。ほんと突如出現な感じなのよ。

いざ、見学の瞬間


入場は無料だけど公開しているのは9時から18時まで。
門をくぐって手すりのところから再現された堀を眺めるスタイル。

あまりにもコンパクトだった瞬間


ちっさいわ〜思ってたよりだいぶw

現在、残っている堀跡は18mなんだとか。それでも唯一の堀跡だからありがたや〜
西大手門(写真右手)から攻めて来た敵は勾配60度の堀面(写真右側)が登れない。
もたもたしてるところを狭間から弓や鉄砲で嫌と言うほど狙い撃ちする作戦。

・・・見学、以上Σ(゚Д゚)!

案内板ガン見の瞬間


隣にある案内板を見い見い、しげしげと堀を眺めていたら、
門を開けに来てそのまま草むしりをしていた管理人のおじさんが
いりますか?とポケットからおもむろにパンフレットを出して渡してくれた。

ありがと〜おじさん!これでブログにもっともらしい説明が付け足せるよ!

長居できるところじゃないので次の目的地である富士見櫓跡に向かいます。

久々の一人じらしプレイ炸裂だった瞬間


中の門堀からまっすぐ行けば本丸御殿だというのに途中の小道をちょいと曲がり、
先に富士見櫓跡を見ることに。地図はなくても野生の勘で何となくたどり着く。

富士見櫓も住宅街の中に違和感ありありにどーんと現れる感じで。
櫓跡(写真奥の階段がある小山)の目の前に川越城田曲輪門跡の石碑。
なんだか超〜適当な感じで、夏なんか草ボーボーなんじゃないかと思われる。
川越城の貴重な遺構だというのに放置プレイされている感じが満載ですw

若干、迷った瞬間


櫓跡には登れるんだけど、登っていいことがありそうな気がしない。
しかしたいして高くないので登って降りて数分だと思い直しいざ参る。

川越城には城の中央に太鼓櫓、東北の隅に虎櫓、本城の北に菱櫓、
そして南西の富士見櫓と4つの櫓があり、一番高台にあったこの富士見櫓は
天守の代わりに使われていたと考えられているそうだ。
大して高くないけどこの上の櫓なら当時は富士山丸見えだったんだろうね。

予感的中だった瞬間パート1


ほらごらん・・さっそく城と無関係な石碑が出てきたよ。
石碑の文字は全く読めないけど案内板と無関係なことだけは分かるw

なぜここに?だった瞬間


これがその案内板。川越城と富士見櫓の説明は分かりましたが、
頂上の見晴らし台的なところの方がしっくりくるじゃないでしょうか(´Д`)

予感的中だった瞬間パート2


やっぱりね・・登りきったら中途半端に工事してますよ的な。
富士見櫓はそれらしき図面なんかも見つかっていてずいぶん前から
復元予定が持ち上がっているというけど結局、進んでないようだ。
2階だか3層だかの櫓だったらしい。復元されたら見てみたい。

またしてもなぜここに?だった瞬間


富士見櫓跡には御嶽神社と浅間神社が祀られている。
近くまで行かなかったのでよく分からないけどこれは多分、浅間神社。
この左に御嶽神社の社がある(上の写真だと屋根が見える)。
いつ建てられたのかは分からないけど櫓跡にして微妙な立ち位置w

予感的中だった瞬間パート3


あらら・・危険立ち入り禁止って・・ええ入りませんとも。

櫓跡は木立が鬱蒼としていて晴れてるのに薄暗めで視界もさえぎるし、
当時は富士山丸見えの高台も今となっては下手すりゃ近くのマンションより低め。
おまけになんちゃって工事中・・風情も何もあったものじゃない。
せっかく本丸御殿にほど近い史跡なんだからもうちょっと頑張ってほしいわ〜

放置プレイな富士見櫓跡を見て気が済んだ?ところで、
あもも一人じらしプレイ終了でいよいよ本丸御殿に向かいます!


川越本丸御殿に登城!その3 ようやく御殿へ に続く


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2011.04.22 Friday 21:18 | - | - | 関東(埼玉県) | 

川越本丸御殿に登城!その1 太田道灌像と時の鐘

[太田道灌] ブログ村キーワード

2ヶ月ぶりの城めぐり。

修築工事の終わった川越本丸御殿に登城しがてら小江戸川越を散策してきました。
灯台下暗し…たいして遠くもないのにじっくり見たことのない川越。
今回は『エコ登城』なので万歩計をつけて気合いを入れて歩きます。

イメージがわかなかった瞬間


まずは川越城大手門跡に建つ川越市役所へ。
本丸御殿に行くなら大手門跡からってのもいいかなと思ったし、
太田道灌の像もあるというので話のタネに見ておくことに。
交差点の角のとってつけたようなスペースに脈絡なくどーん!
どんな大手門だったのか全くわからないけど写真右手に進むと当時は
外曲輪、八幡曲輪、二の丸・三の丸そして本丸となっていました。

バランス悪めだった瞬間


太田さん・・ちょっぴりちんちくりんな感じがするのはあもだけかしら?
写真でしか見たことないけど日暮里駅前の騎乗の像や東京フォーラム前の像、
岩槻市役所とかにある像は堂々とした佇まいで英雄らしさ満載なんだけどなw

・・もうちょっと近づいてみる?

納得がいかなかった瞬間


やっぱり太田さん、あものイメージとは違うみたいΣ(゚Д゚)!
銅像って違和感を全然感じないのと「・・おや?」みたいな2種類があるね。

太田道灌は室町時代の武将で扇ガ谷上杉家の家宰として関東平野を駆け回り、
負けなしの戦歴を誇る文武両道の名将と言われ人望も厚かったそうだ。
道灌の活躍で扇ガ谷上杉家は関東管領山内上杉家を凌ぐ勢いになると、
恐れた山内上杉顕定は「道灌が謀反を企てている」と扇ガ谷上杉家正に讒言。
道灌はその言葉を信じた主君家正に糟谷の館(伊勢原市)に招かれ暗殺された。享年55歳。

道灌は死に際「当方滅亡!!」と叫んだという。(扇ガ谷上杉もこれまでという意味)
その後、両上杉家は何度も戦いを重ね、最後は北条氏の前に滅んでしまう。

アフォな主君に仕えると尽くしてやっても馬鹿を見ちゃうね・・
下剋上の世の中、太田さん謀反した方がむしろよかったのかも?

文武の他、築城の才もあり、江戸城・河越城・岩付城の縄張もした太田道灌。
川越市開府の始祖と仰がれて川越市役所前に今こうして銅像があるそうです。

小江戸川越らしさな瞬間


本丸御殿方面に行く前にほど近い逆方向にある時の鐘を見ておきます。
室町時代の妄想からいっきに江戸時代に頭を切り替えますよw
大通りから小江戸を演出中の路地に入るとすぐ時の鐘が見えてきました。

人気スポットだった瞬間


岩槻城登城の時に見た時の鐘もそうだったけど、
川越の時の鐘も住宅街の中に突如、現れる感じでw
でも町全体で小江戸な城下町風情が演出されてるから素敵ね。
蔵造りの町並みとして有名な一番街や菓子屋横丁はこの先に続く。
小江戸川越観光の人気スポットだけど朝早いので観光さんの姿なしw

薬師神社の入り口でもあった瞬間


400年前の寛永年間(1624年〜44年)川越城主酒井忠勝によって創建された時の鐘。
度重なる火災のため何度か焼失し、現在建っているのは4代目のもの。
明治26年に起きた川越大火でもろとも焼失した際、町民はじめ町長や県知事の寄付の他、
明治天皇下賜金などでいち早く再建され、川越のシンボルとして今も1日4回鳴るそうだ。

鐘楼の先には小さな薬師神社があって鳥居みたいな感じになっちゃってますw

ひっそりすぎた瞬間


お賽銭箱もなくこじんまりとした社殿。
両サイドと奥を住宅に囲まれ後ろには鐘楼がどーん!
でもずっと昔からこの場所にあった神社なんだろうね。

振り返ってみた瞬間


時の鐘どーん! トタン屋根三層作りで16メートル。
階段がついてるけど鐘楼には登れません。
今は自動鐘撞機が時を報せてくれるそうです。

せっかくだから・・とチラ見の瞬間


蔵造りの町並みを味わおうと一番街の探索を始めてしまったら
本丸御殿から遠ざかってしまう・・今日は全行程徒歩なので
目的を果たす前にヨロヨロしたら困るから路地から首を出しチラ見のみw

左を見ても右を見ても江戸から明治、大正な香り漂うレトロな建物がずらり!
しかもほぼすべての建物が現役で商いしてるからすごいわね。
寛政期に建てられた国の重文、大沢家住宅や蔵造資料館などもあるので、
遠くから来て観光するなら一番街は一見の価値ありだと思います。

あもはチラ見で割愛して中ノ門堀跡、富士見櫓跡、本丸御殿に向かいますがw


川越本丸御殿に登城!その2 中ノ門堀跡・富士見櫓跡 に続く

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2011.04.16 Saturday 16:12 | - | - | 関東(埼玉県) | 

武蔵松山城に登城!

杉山城の後は吉見町にある松山城にも登城!

松山城も菅谷館杉山城、小倉城と一緒に国史跡、比企城館跡群のひとつ。

わけありだった瞬間


松山城に車で来た場合は吉見百穴の無料駐車場を利用します。
埼玉県民だけど吉見百穴に来るのはこの年になって初めてΣ(゚Д゚)!
穴が見たいだけなら入場料払わなくても柵越しに丸見えなんだけど、
松山城登城前にちょっと見ておきたいものがあるのでしぶしぶ入場。

入ったからにはだった瞬間


高いのか安いのか分かりづらい150円を払ったのでちらっとは見ておく。
観光さんが案外いるのにびっくり。しかも穴に出たり入ったり結構盛り上がってるw

怪しすぎた瞬間


吉見百穴は古墳時代の横穴墓群で確認されているだけで219も穴があるんだとか。
第二次世界大戦時には地下軍事工場として使われていたそうで、ここはその跡。
入場してすぐのところにあったので入って見たら暗くて怖かったわ・・。
武田信玄はこの百穴を見て、穴攻めを思いついたとかつかなかったとか。

目的達成の瞬間


150円払ったのは吉見百穴の資料館にある松山城の模型を見るためよ=3
松山城はあんまりイケてる縄張図が見つからなくてイメージがわかなすぎた。
そこで吉見百穴に模型図が置いてあるというので登城前に寄ってみたのだ。
手前からササ曲輪、本丸、右に移って二の丸、三の丸になっている模様・・・
しっかり覚えて入場券売り場に戻り、おばちゃんに登城口を聞いていざ出発!

・・のつもりがまた寄り道だった瞬間


松山城へは吉見百穴の無料駐車場から県道に戻った登城口から行くのが正規ルート。
県道までは10分ほどで途中に岩に挟まるように建てられた岩室観音堂がある。
山門ぽいけど奥には何もない。懸造りの堂で1660年に再建されたものらしい。

匠の技を感じた瞬間


こんな田舎の防衛拠点的な山城にこんな立派なお堂があったなんてね。
宮大工の技術って日本建築ってのは本当にすごいなと見惚れてしまう。

プチ霊場だった瞬間


堂を入って右側に岩道があって石仏が安置されている。
石仏は四国八十八ヶ所の本尊を模して造られたもので、
1度拝めば八十八ヶ所回ったのと同じご利益とかいうやつらしいw

観音様の無事はアンビリーバボーだった瞬間


2階にも上がれるので狭く急な階段を登って観音様を拝んでみた。
松山城は秀吉の関東攻略で前田利家や上杉景勝軍に攻め落とされ、
この堂宇も全焼したが、観音様は焼けずに残ったのだそうだ。

年季が入っていた瞬間


再建とはいえ古いからワイルドな骨組みに年代物の千社札がいっぱい。
端っこの方に行くと2階とはいえ、地味に通りまで高さが思った以上だったので、
高所恐怖症のあもは建築基準や何やらまで考えて急に怖くなりダッシュで退散・・。

本曲輪への最短ルートだった瞬間


観音堂の向こうには何もなく、日照のない凄まじい切り通しになっています。
ここを這い登れば本曲輪への最短ルート。でも見るからに滑りそうでとても無理!
と思いつつ、ようやく本来の目的である登城のため正規ルートへ向かうことに。

帰りにここを降りることになろうとは、この時はまだ夢にも思わず((((;゚;Д;゚;))))

いざ登城の瞬間!


バスやダンプがばんばん通る県道沿いに松山城址の登城口があります。
最初の部分だけ舗装された階段。もちろん観光さんなんかいませんw

欲しいのはむしろ簡易縄張図だった瞬間


関東管領上杉対北条の戦いが始まって以来、両者の攻防が続き、
すったもんだの末、小田原征伐で滅びるまでは北条の城だった松山城。
秀吉の関東攻略で前田利家や上杉景勝の軍に攻められ落城し1601年廃城になった。

鉄壁ではなさそうだった瞬間


正規登城口から入って本曲輪を目指すとまずはササ曲輪を抜けることになります。
城の南側にあたるササ曲輪は斜面と段になっていて堀底道も蛇行気味の防御。
吉見百穴の模型では櫓とかあったけど、杉山城を見た後だと何だか心配ですw

分かりづらかった瞬間


ササ曲輪から本曲輪に入る虎口。この先をぐっと回り込むと本曲輪です。
・・ってイケてる縄張図がないし、案内板少ないから分かりづらっ!! 
あもが持ってきたのは曲輪の位置だけ書かれた超簡易すぎる案内図のみ。
杉山城を見習って、もう少し要所要所に案内板を設置してほしいわ。

思ったより広かった瞬間


縄張図付の案内板、本曲輪に出現Σ(゚Д゚)! 多分これが一番詳しい。
その足元にある無粋なコンクリートの土台・・何の残骸なのか気になるわ〜

物見放題だった瞬間


物見櫓跡に建つ松山城址碑。本曲輪より少し高くなっています。
松山城は平山城で今も周囲には高い建物がないので見晴らしは抜群!
ここに櫓があったら四方とも相当遠くまで丸見えだったと思われます。
この城址碑の向こうは兵糧倉跡からさっき見た岩室観音堂へ続いている。

規模は大きかった瞬間


物見櫓跡の一番先端。規模の大きな空堀を挟んで向こうが二の丸。
兵糧倉方面は後回しにして先に見どころである空堀を見に行きます。

健脚が肝心だった瞬間


土橋もなけりゃ木橋もかかっていないので杉山城での曲輪間の移動は基本、
自力で降りて登る!です。降りる登るとなると結構しんどい傾斜なのよ。

案内板希望の瞬間


二の丸から春日丸、三の丸方面を見たところ。学校だか病院だかの建物はあるけど見晴らしはいい。
しかし案内板ないから詳しいことが全く分からないのよ。空堀の規模はちょっとすごいけど。

ちなみに松山城も夏場は超ボーボー。空堀や堀切も様子が変わるけど、
至るところにあるちょっとした土塁なんて全くわからなくなりそう。
自分で空堀登り降りすること考えると藪こぎ頻度も高くてつらいわね。

せっかく国史跡なのに・・だった瞬間


二の丸ど真ん中あたりに来ました。松山城は案内板にあった縄張図を見ると、
独立したそれぞれの曲輪を廻る空堀が複雑につながって面白そう。
でもうまいこと曲輪を見て回れるちゃんとしたルートも整備されていないし、
案内板は単発すぎだし、空堀を登り降りだと歩きやすいとこを選んじゃう。
だから歩いてるわりに何だかイメージしづらく、あもには繋がらないのよね・・。
大手も結局どこだか分からなかったし。なんだか残念な感じ。

空堀と堀切ばかり眺めた瞬間


ピンと来ないまま本曲輪に戻って城址碑裏にある兵糧倉跡へ移動。
資料不足を補うために150円払って模型まで見たのに全体がつかめないので
空堀や堀切のパーツばっかり眺めてしまう。超難易度高し! 激マニア向けw

防御のレベルが分からなかった瞬間


兵糧倉跡から堀切を挟んで本曲輪方面を見たところ。一段低くなっているので本曲輪内は見えません。
松山城は三方を市野川に囲まれた高台で天然の要害になっていて、
城内も立派な空堀があるけど、実際の堅固さはどうだったんだろう?
前田、上杉の猛攻を受けた時、守り手は300人前後だったというから、
このくらいの防御だと一撃であっさり落城したんじゃないかしら?

などと考えつつ先へ進むと予想外に岩村観音堂裏の切り通しに出てしまった。
終日ほぼ日陰の急斜面は湿った落ち葉がバッサーで見るだけで滑るのが分かる。
でもテンション下がってるから戻るの嫌だし・・意を決して特攻決定Σ(゚Д゚)!
カメラを首にかけて上着の中につっこみ、何があっても首から上は無事なよう
常に体を3点で支えてへっぴり越しでヨロヨロ降りる・・・ああ怖かった。
砥石城とかみたく気を利かせてまじでロープとか渡しといてほしいし。

今回の登城はこれにて終了・・てか何であたし小倉城行かなかったんだろ?

しばらく仕事がとても忙しいけど春はもうすぐ!
千葉と茨城攻略をしないうちに日照の長い遠出の季節になりそうだ…orz
お金よりなにしろ時間がほしい今日この頃ですw


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2011.02.25 Friday 21:28 | - | - | 関東(埼玉県) | 

杉山城に登城!その2

鼻息荒く本郭を目指す瞬間


井戸跡のあった場所から本郭を見上げると結構な高さが。
右は井戸跡に降りてきた井戸郭方面。左へ行くと本郭の北虎口。
落ち葉の積もった細い堀底を歩いたら足にちくちくがたくさんついたΣ(゚Д゚)!

何気ないけどやっぱりディフェンス重視だった瞬間


井戸跡から続く帯郭を進んできました。右手急斜面の上が本郭。
ショートカットで攻めようとしたってそうはさせないよ的な気合いが感じられます。
左側は竪堀があって逆に横移動はさせず、登ってきたら狙い撃ちの感じでw
竪堀も写真撮ってみたけど上手く凹凸が写せなかったのは非常に鬱。

中世城郭の教科書と言われるだけあって素人のあもでも
縄張図を持って歩けば構造がよくわかり気づくのでとても楽しい。

右に曲がりま〜すだった瞬間


進んできた帯郭はここでぎゅーんと曲がります。空堀はないよりマシ程度のものだけど
方向転換すると本郭から背後を狙われちゃうからうかうかしていられないね。

もれなくだった瞬間


本郭の北虎口に到着。ここも当然のことながら横矢掛かり。
虎口受もセットで。左の北三の郭方面へ行く前に本郭に入ってみます。

落ち葉ゾーンでついたちくちく、取りきれないらしく地味に痛痒いわ〜

ちょっぴり切なかった瞬間


城址碑と案内板を発見。平成19年まで県指定史跡だった杉山城。
そのせいか城址碑には埼玉県の文字が。隣の案内板は県指定史跡の部分、
国指定史跡と書かれたシールで修正されていました・・もう少し頑張ってよぅ。
城を愛する埼玉県民として埼玉県教育委員会に心の中でそっとエールw

縄張図の配分より大きく感じた瞬間


本郭東虎口は東二の郭へ通じています。本郭の東虎口は発掘調査で
両側に石積み、石列を巡らしたものだったことが分かっていて、
廃城になる時、壊して埋められてしまったと考えられるそうだ。
写真は虎口受から一段低くなった東二の郭方面を撮ったもの。
城で一番高いところから見るせいか広く開放的な郭に見えます。

どこまでもディフェンス重視だった瞬間


本郭から南二の郭方面に延びた帯郭を見たところ。虎口受が見えます。
本郭の斜面はかなり急。人工的に作った切岸というやつですね。

がっかりだった瞬間


杉山城に登城その1 で井戸曲輪側からは見た本郭南虎口。
案内板には石を貯めてあった場所や木橋が架かっていた跡が
発掘された時の写真が載っていたけど埋め戻されたのか見られず。
写真では凹凸が全然分からないけど真ん中に立っている木のすぐ下が空堀で、
その向こうは井戸郭なの。こっち側のが高いから狙いはバッチリですよw

狭さでディフェンスだった瞬間


次は本郭北虎口に引返し、次は北二の郭、北三の郭、搦手口へ向かいます。
本郭から帯郭に出て北二の郭に入ります。北二の郭側からみると虎口部分は
キュッと狭くして斜面をつけた上、ごっつ盛っちゃう感じになっているから、
やっぱり本郭の方は全く見えない。でも食い違いとかまではしてないのね。

なんとなく大雑把っぽかった瞬間


北二の郭と北三の郭の間は土塁が張り出し大きく迂回する感じの虎口が。
でも杉山城って北側はあんまり凝ったことしてないというか、
主郭やその南側とは少し違う雰囲気でちょっと地味地味しい。
わざと極端に狭くしたのかなって部分も多い気がする。
搦手から攻められたらまずここを必死で守る感じなんでしょうか?

やる気が感じられなかった瞬間


北三の郭はぼんやりしてたら単なる雑木林と思いそうな風景。
郭の端っこの方に行くと空堀も廻ってるし竪堀もあるんだけど地味〜
縄張図を見ても南側の方が充実してるし、北側は最低限って感じなのかね。

登城は大手口からが絶対だった瞬間


搦手側の登城口。大手口にあったのと同じ案内板が立っています。
っていうか案内板なかったらうっかり見過ごしちゃう感じだわw

狙われてなければ大丈夫だった瞬間


残る東二の郭、三の郭を見るために、せっせと雑木林風北三の郭、
北二の郭の斜面を登って本郭の手前まで戻り、本郭の斜面で左折。
強引に土塁の上を伝って東二の郭へやってきました。
奥に見えるのが東三の郭。本郭から段々になっていくのが分かります。

ディフェンス重視再びだった瞬間


東二の郭から本郭と北二の郭へ続く部分を見たところ。
本郭の切岸から空堀、土塁、堀切がごっちゃ〜とあるのは何て言うの?
あもが通って来たところ。本郭から丸見えで横矢がかかってる。
本郭のすぐ横だから当たり前だけどやっぱ北側とは何か違うわw

何はともあれ感謝の瞬間


東二の郭からこれから戻る大手方面を見ると玉ノ岡中学校が見えました。
ふと足元を見るとこの辺りからまたウッドチップが敷かれていました。
余計な木が伐採されて遺構がとても見学しやすい杉山城。
切った木をウッドチップにして生徒が敷いてくれているんです。
中学校の教育方針にもボランティアで頑張ってくれる生徒も立派だと思う。
気持ちよく危険なくこんな素晴らしい城跡が見られることに感謝です。

多角的が大切だった瞬間


屏風折りになっている南二の郭、三の郭の東外側斜面(切岸)。
これならフィンファンネル並みに弓矢あちこちに向かって打てますよw


今回、杉山城に来て本当に良かった。しかもこの時期正解!
杉山城は私有地なのに本当にお手入れが行き届いて見やすいけど、
すぐ伸びてくる雑草で緑に包まれているより冬枯れの方が尚いい。

縄張図とか見ながらでも正直よくわからない城跡も多い中、
自分ですぐ気づいてする理解できる部分がめっちゃたくさんあったし、
想像しながら見てもいちいち納得出来たので喜びひとしおw
詳しい案内板があちこち充実してるのも素晴らしい!!

同じ埼玉でも前に登城した滝の城とも鉢形城とも違う気がした。
中世城郭の構造をちゃんと教えてくれた素晴らしいお城、杉山城。
いったい誰が作った誰がいたお城だったのか気になりますね。

もやもやしながら次は武蔵松山城に向かいます!



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2011.02.14 Monday 23:53 | - | - | 関東(埼玉県) | 
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