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岐阜城に登城!〜凝りもせず3度目

津市から移動して、夏の陣3日目は第三次岐阜攻略! 
相性悪目なのに凝りもせずまた行ってしまいましたw

首をかしげた瞬間


岐阜城登城前に岐阜駅によってゴールデン信長サマ銅像を拝んでおきます。
なぜ黄金色にしたんだろうか?むやみに高い位置にあるのも何だかな・・です。

人影もまばらだった瞬間


この日はお盆休み中には珍しく朝から雨が降っていて若干ブルーな気持ちでの到着。
人がいないのはいいんだけど、雨の中の行軍ってのは本当に心から萎えます。

15分間隔の運行だった瞬間


岐阜発チャレンジでのロープウェイ90分待ちがトラウマなので今回も朝イチでの登城。
ロープウェイは始発にギリ間に合わず、2本目のに乗って金華山山頂を目指します。

嫌な予感がした瞬間


待ってる間、山頂を眺めるとこんな感じ・・・おお、まさか山の上は霧だらけ?
ロープウェイは往復で結構いいお値段なんだけど、もう完全に期待薄な覚悟を決めます。

意気消沈だった瞬間


ガラガラのロープウェイに乗っていざ金華山山頂へ!・・やっぱガスりまくりです。
雨も強くなってきました。岐阜周辺なんて城はたくさんあるんだから、こんな状態なら
予定を変えて歩いて回れる他の城にしてもよかったな・・という後悔に苛まれます。

コンディション最悪だった瞬間


予想通り山頂はこんな状態。ワタクシは車を降りた時からあきらめて傘持参でしたが、
先を歩いてる同じロープウェイにいたカップルは傘なし。彼女がぶーぶー文句を言ってた。
自発的に登城してる傘ありのワタクシですらかなり萎えてるので若干気持ちは分かりますw

うすらぼんやり過ぎた瞬間


天守が丸見えるはずの大場所でさえこの調子・・往復1080円も払ってこれだもの。
模造でもわざわざ登ってきて「城のある風景」が見れないと何気にがっかりですね。

岐阜城はかつて稲葉山城と呼ばれた斎藤道三の居城でした。永禄10年(1567)織田信長は
稲葉山城を攻略して小牧山から本拠を移し、井口から岐阜と改め天下統一の拠点としました。

今ある天守は昭和31年に建てられたもの。せっかくなんで中もまた入りましたが、
以前来た時と展示も変わらず、展望もこの天気では何も見えず涙がこぼれそうでした。

目をこすりそうになった瞬間


建て物がダメなので土塁空堀なんかもチェックして歩いたんだけどいい写真が撮れない。
これは本丸井戸だけど、レンズがすぐ曇るし霧が濃すぎて何見てもぼんやりなんです。

何しに行ったか分からなかった瞬間


山頂にいてもどうしょうもないのでロープウェイ代の元も取らぬままさっさと下山。
信長の居館跡に立ち寄ります。今でこそ山頂の天守はロープウェイでも行けますが、
歩いて行く場合は馬の背と呼ばれる難儀な山道を1時間以上登らなければなりません。
なので普段住まうのは山麓。信長の居館も発掘され、跡を見学することが出来ます。

想像に難くなかった瞬間


当時は4階建ての居館や複数の庭園があり、招待された宣教師のフロイスは
素晴らしい宮殿で今まで見たことがない、と「日本史」の中に書いているそうな。

やる気を出してほしかった瞬間


発掘調査は昭和59年から始まって、未だ続いています。何年か前に登城した時と
そんなに変わらないような気がするんだけど、かなりのんびりやってるんでしょうか?

情報が古かった瞬間


駐車場の端っこの方に「若き日の信長像」がありました。岐阜公園の中にあるとばかり
思ってキョロキョロしていたら移動されたそうで、車に戻った時こちらで無事発見。

ガン見はしなかった瞬間


芸術的かもしれないけど、武将銅像としてワタクシは好きなタイプじゃないです。

顔の感じや表情がどうもどっかで見たことある雰囲気だと思って色々調べてみたら
長崎平和記念像を作った北村西望さんという彫刻家の作品なんだそうです。
くっきり晴れていれば背後に金華山山頂の天守も見えるんだけどね・・残念でした。


第三次岐阜攻略もどうもイマイチ・・ワタクシは岐阜城と相性悪いのかもしれない。
でも信長サマだって美濃攻略はあきらめず何度もチャレンジしてましたからね。
気長に「スッキリ青空&人も少ない時」の機会を狙ってリベンジしたいと思います。


次は雨も強くなってきて心が折れそうだけど常在寺に斉藤道三の供養塔を見に行きます。


常在寺と道三塚にて斎藤道三のお墓参り〜に続く



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2014.11.21 Friday 21:25 | comments(8) | trackbacks(0) | 中部(岐阜県) | 

苗木城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

素敵すぎた岩村城を堪能した後はお近くの苗木城にももれなく登城!

がっつきすぎた瞬間


苗木城は麓に苗木遠山資料館があって、(整備された)駐車場もそこを利用できるんだけど、
まず資料をもらわねば!と駆けこんで、受付のおじさんに色々話をきいたら満足しちゃったのか?
肝心の資料館の写真を撮り忘れていたことに今気づく次第w 写真はもらえたパンフと案内図です。

混雑の予感だった瞬間


おじさんが奥にも狭いけど駐車場があるというので、岩村登城でお疲れのワタクシは迷わずGo! 
しかし未舗装の狭い駐車場は車がたくさん・・運よくラス1のスペースに車を入れて登城開始! 
そうしている間にも中高年のグループを中心に、登城を終えた人がわらわら帰ってきます。

盛り上ってきた瞬間


とここから苗木城の見どころへの入り口、風吹門跡までしばし歩きます。
左側にはところどころ巨石が見え、珍しい懸造りだった城跡への期待が高まります。

巨石に驚きの瞬間


風吹門跡に到着。大手門とも呼ばれたそうで、縄張を見るとここから先が三の丸になるみたい。
写真だとわかりづらいけど、元からあった巨石を基礎にして石垣を積んでる個性的な造りなんです。
さっき寄った資料館に風吹門にあった木戸が展示されているらしいけど・・見ないで来ちゃったわw

息をのんだ瞬間


三の丸の見どころがこのでかい大矢倉跡。この上に3階建ての大矢倉が建っていたそうです。
巨石にうまいこと石垣組んでるので迫力が増す感じがします。懸造(かけづくり)と言います。

嫌いなくせに行く瞬間


せっかくなんで上によじ登ってみました。高いのでこれから行く二の丸の方が見えます。
でも当時はここにプラス3階分だったんから視点はもっと高かったのよね・・怖すぎるわ。

建物を想像する瞬間


一番上の部分。ここだけ見ても想像しづらいけど、大矢倉は三方を石垣に囲まれた1階が倉庫で、
2〜3階が戦闘態勢。壁には矢狭間が設けられて風吹門や北側の防衛をしていたそうです。

萎え気味になった瞬間


さっき見えた二の丸の方から視線を上にすると本丸跡に建つ展望台が見えました。
・・・山城だからやっぱりあそこまで、ぐるーっと登っていかなきゃならんわけね。

しびれすぎていた瞬間


苗木城最大の櫓建築だったという大矢倉・・どっしり腰の据わった重厚感にほれぼれしてますw
白亜じゃないやる気満々のワイルドな櫓が建っている風景を脳内復元しながらウットリ(*'v`*)*:・。

七曲りでも死にそうなのに!だった瞬間


大矢倉の正面には駆門跡もありました。この先は縄張図によると四十八曲りになっており・・
戻ってこれる保証がないので見なかったことするとしても、そもそも高い位置にある三の丸は
風吹門、駆門、そしてこれから行く大門で区切られ、最大の防御施設も待ち構えてるわけだから
中が見えないまま下から攻め上がってくるのが大変なんだということは非常によく体感できます。

触れないでほしかった瞬間


ではいよいよ大門跡を通って二の丸、そして本丸の方に向かいます。ここから先が苗木城本番。
大門は城内最大の門で2階建ての櫓門でした。ここでも巨石が目に着きます。岩だらけの山ね。
今は右側は見通しのいい空間になってるけど、当時は勘定所などの建物があったみたいです。

写真を撮っていたらオジサンが来て「曇りで残念だね〜晴れていたら風景は素晴らしいよ」
話しかけてきました。言われなくても分かってるわよ・・と思いつつ愛想笑いでごまかしますw

石垣の居住まいも正しかった瞬間


大門を入ったすぐ左側にある御朱印蔵跡。石垣がきっちり積まれていますね〜
2階建ての蔵があって将軍家から与えられた領地目録や刀剣などが保存されていたそうです。

想像力が必要だった瞬間


御朱印蔵跡を進んで行くと右に二の丸が見えてきます。まっすぐ行くと坂を登って本丸へ。
まずは城主の居館があったという二の丸へ。坂を下りた二の丸入り口には当時、台所門がありました。
もらった見取り図を見ると、台所門跡を入ってすぐのところに台所や役人の詰所が置かれていて、
写真手前の方に書院や広間があったようです。当時はびっしり建物が建っていたんですね。

鍛錬第一だった瞬間


礎石が整然と並んでいます。建物が建っていたその向こうは一段低くなっていて、
的場になっていたようです。弓や鉄砲の練習をしたんでしょうか? 城主居館の前でw

城の歴史を感じる瞬間


戻りがてら礎石のあたりから台所門跡の方を見たところ。ここには巨石はなく切込の石垣です。
後から積みなおしたか、修繕したものなんですかね。苗木城は色んな積み方の石垣があります。

苗木城は諸説あるようですが、文元年(1532年)遠山直廉により築城されたと言われています。
本家の岩村城、明智城、そしてこの苗木城で、遠山三人衆と呼ばれていました。

直廉は織田信長に仕えていましたが、本家の岩村城が武田軍に降伏したことから武田に寝返り。
敵となった織田方の三木次郎左衛門との合戦で負傷し、その傷が元で死亡します。
信長は飯羽間城城主で同じ遠山氏の遠山友勝に苗木城主を命じ、友勝の死後は子の友忠が入って
最前線である苗木城の防衛にあたりますが、本能寺の変で信長が斃れると遠山氏は徳川方につきます。
一時は城を追われるもの関ヶ原の後に城主に返り咲き、12代続いて明治維新を迎えました。

厳重だった瞬間


では本丸に向かいましょう。まず最初に綿蔵門を通過します。ここから九十九折れで登ります。
案内板によると綿蔵門は夕方七つ(午後4時)には扉が閉められ、本丸には進めなかったそうです。
年貢として納められた真綿が門の二階に保管されていたことから、この名前がついたんだとか。

苗木城はなんと1万石だったそうです。1万石でこの規模を維持しなきゃいけないんだから、
米以外の地元特産品はとっても大事。そりゃ門に名前もつくはずだと妙に納得してしまうw 

念入りすぎる瞬間


綿蔵門跡からギューンと曲がったところにある次の門が坂下門。坂の下にあるから坂下門w 
別名を久世門ともいったそうです。門!門!そしてその先もすぐまた門!どんだけ厳重なんだ。

人待ちが多かった瞬間


坂下門のところは門礎石や柱穴も残っています。2脚門だったようです。
穴をしげしげと眺めていると、上からまた中高年たちがぞろぞろ降りてきました。
苗木城は山城だけど整備されていて歩きやすいので、観光にも人気なんですね。

吸い寄せられる瞬間


で、坂下門からちょっと登るとすぐまた菱櫓門が。折れ曲がると本丸の入り口になります。
自然の巨石に合わせて積まれた打込みの石垣がとてもきれいで惚れ惚れしちゃいますね。

千人分の水だった瞬間


菱櫓門をギューンと曲がって本丸入り口の手前に到着! 菱櫓台の石垣もまたとっても綺麗。
正面は千石井戸で、城内で一番高い所にあるけど枯れることがないんだとか。
左に行くと帯曲輪。右に進むと具足蔵、武器蔵跡を経て、本丸の玄関口門に続きます。

小さすぎた瞬間


井戸の中には縁まで水がありました。大きさが分かるように足を置いてみましたよw
日照ろうが何だろうが、枯れないなら小さくても用が足りるからいいね。

鍛錬しすぎだった瞬間


本丸へ向かう前に菱櫓台の左側に広がる帯曲輪を。的場と書いてあります。
二の丸下に続き、縦に長いここでも弓だの鉄砲だのの鍛錬をしたんでしょうか? 

先は長かった瞬間


本丸口門跡・・綿蔵門、坂下門、菱櫓門と来てここへたどり着いても、まだ本丸口です。
本丸はまだ先、そしてまだ上。山城ならではの防御構造がとても分かりやすいです。

釘づけになる瞬間


本丸口門を入ると右手には具足蔵、武器蔵の跡があります。長さ八間の土蔵が建っていました。
所蔵の甲冑や旗、弓、鉄砲などがそれぞれ納められていたのだそうです。
左側を登った上が本丸。またしても桁外れの巨石に野面積み石垣がワイルドな風情です。

やる気マンマンだった瞬間


いよいよ本丸へ。ここにも玄関口門という門があったそうですよ。どんだけ門好きなんだ!
登らず右に行くと馬洗岩という名物石があるのですが、それは帰りに見ることにします。

勝手に想像する瞬間


見上げると本丸にある天守展望台が見えます。天守の柱があった穴を再利用しているそうです。
天守といってももちろん白亜のではなく、この展望台のように柱がニョキニョキ立った上に
茶色い板張りの建物が乗っかっていたって感じですよね。岩とのコラボ・・男前だわぁ。

存在感ハンパなかった瞬間


本丸に入る前に本丸口門を見下ろすと、向こうに大矢倉が見えました。見上げる大矢倉もよし!
見下ろして見る大矢倉もまたよし! 複雑な作りの建物がある様子を想像するとワクワクします。

ぎっしりだったに違いない瞬間


本丸にイン! そんなに広くないけど見取り図を見ると岩に乗っかるように建つ天守の他、
次の間、居間、台所、一段下がって千畳敷なんて書いてあります。きっとギューギューでした。

勝手な共感していた瞬間


展望台の作りはこんな感じ。当時よくこの岩に柱穴をあけて天守建てようと思ったよね。
人が入れ替わりやってくるので、いなくなり待ちの間じっくり見るほど不思議に思うばかり。
頑張って岩に穴あけた上、岩からせり出す部分にわざわざ石垣積んで高さを調整してまで
ここに建ててるんだもの。縄張した人はいいけど作る方はたまったもんじゃないわ!とかw

お気に入りすぎた瞬間


展望台からまたまた大矢倉・・どっから見てもいいわ〜もっと紅葉してたら最高だったね。
でも少し晴れ間が出てきて明るくなってきたので、なかなか機嫌もよくなっているワタクシですw

絶景のはずだった瞬間


展望台からの風景がこちら。木曽川とその向こうが中津川市街。ガスって見えないけど
左奥の方は中央道の先に恵那山もあるはず。雰囲気は当時もこんな感じだったってことで。

ありがちすぎた瞬間


本丸から来たのと反対側にある石段を降りると馬洗岩と呼ばれるでかい岩があります。
城を包囲された時、岩の上に馬を乗せ、米で洗って水が豊富なように見せたという逸話から
その名がついたそうです・・て、そもそもこの巨岩にどうやって馬を乗せるんだ!?
砥石城でも同じ話があったけど、ほんまかいなと若干、ワタクシはいぶかしんでおりますw

ワクワクする瞬間


最後に本丸南西にある笠置矢倉跡へ。正面に笠置山が見えたから笠置矢倉と呼ばれたそうです。
三階建ての矢倉が建っていたみたいだから、当時は遠目に見ると山の上にせり出す岩の上に
笠置矢倉の建物があって、さらにその奥の上に天守が見えるというごっつい眺めだったろうね。


山城といっても岩村城のように息をのむほどの感動や、時間が止まっている感はないけど、
巨石を利用した色々な積み方の石垣や、コンパクトにまとまった縄張も分かりやすくて、
一度は見ておいてよかった城跡でした。ほどよく整備されてるってところもいいのかも。


岩村城、苗木城と山城堪能しまくり大満足したところで、イマイチ興味がなくて放置していた
高遠城に今回逃してなるものかと向かいがてら、信玄と馬場さんのお墓参りに向かいます。

長慶寺にて信玄と馬場さんのお墓参りに続く



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2013.12.29 Sunday 16:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(岐阜県) | 

岩村城に登城!その3~本丸から出丸

[日本百名城] ブログ村キーワード

六段壁から長局門跡と興奮状態で登ってきて鼻息荒いまま、いよいよ本丸突入です!

戦国に浸っている瞬間


山のてっぺんだだけど本丸もなにげに広いのよ。信長もここに立ったのね。死の80日前に・・
岩村城には遠山氏の、そしておつやや秋山信友の歴史もあるのに、あえてそこに食いつきますw

ご満悦の瞬間


本丸には納戸櫓など二重櫓2棟、多門櫓2棟が石垣上に構えられていたそうです。
が、内部に施設はなく広場になっていたっていうから、この風景ほぼまんまってことよね。
岩村城は日本一高いところにある山城だけど窮屈な感じが全然ない。防御があまりに厳重で
やる気マンマンだけど、曲輪も空間も細切れすぎず、城全体でダイナミックなのがいいわ。

恵まれていた瞬間


ここまでで3つ目・・一番山上の本丸にも井戸。山城だけど水が豊かで籠城もこれなら安心w
防御万全で城兵が効率よく守れた上、水の心配がなければ援軍来る前提の場合はイケちゃうね。

問題なかった瞬間


本丸からは出丸が見えます。ここが本丸直前まで来れる車で登る場合の駐車場です。
岩村城ってワタクシが登ってきたルートだと門に次ぐ門で厳重な守りだったけど、
本丸の先にあるのは出丸だけ。でも急斜面で帯曲輪もあり防御はこれでバッチリなのね。

腕前が残念すぎた瞬間


六段壁に次ぐ岩村城の見どころのひとつ本丸埋門跡がこちら。なんでこんな曲がって撮ったんだ?
右側に二重の納戸櫓が建ち、正面に櫓門のある厳重な搦手門だったそうです。石垣の積み方が
少々違うところがあり、左手の方は江戸初期の頃に積まれたものだと案内板に書いてありました。

攻め手気分になった瞬間


せっかくなんで埋門からあえて本丸の方に向かってみます。櫓門が頭の上にあったとして
ここをくぐりますと前は石垣なのですぐ左手に曲がるわけです。しかし曲がったと思いきや・・

キルゾーンだった瞬間


おっと〜また曲がるんかい! てな感じで今度は右に曲がります。しかも通路めっちゃ狭いし。

勝手口的だった瞬間


ただでさえ狭いのに、こんなところにも何かちょっとした門扉みたいのがあったのか?
通路にそぐわないサイズの礎石らしきものがあって、どんだけ厳重なんだと勝手に驚きます。

完全にクランクだった瞬間


何のかんの考えるより上から見た方が分かりやすかったわ・・本丸のへりに立って見下ろしてるけど、
実際は納戸櫓や門などがドーンと建ってるわけなので、キツキツ感や圧迫感は相当だったでしょうね。

労力にためいきの瞬間


で、またクランク通って埋門まで戻り、帯曲輪を通って今度は出丸の方に向かいます。
本丸の周りは出丸につながるようにぐるーっと帯曲輪があるんです。しかし石垣はんぱないわ。

なぜか攻め手側になってる瞬間


迫力すぎて出丸に向かう途中、何度も振り返ってしまった。しかし岩村城どんだけ念入りなんだ!
二俣城と同じく結局、力攻めでは一度も落ちてないから、秋山信友がウルトラC攻略を考えるのも無理ないかw

やっぱ厳重すぎた瞬間


出丸には建物建ってますが中は・・何? 土産物屋と聞いたことがあるけど中は空家状態でした。
出丸は本丸南面の防衛施設で、櫓が2つ多門が3つあって帯曲輪からしか入れなかったそうです。

苦労の末に得たものは大きかった瞬間


出丸に車を停めると正面に見えるのがこの風景。本丸まで150メートルと書かれてます。楽ちん。
でもワタクシは今回、800メートル下から登って本当によかったと、ここで改めて思いました。

登った分のもとを取る瞬間


800メートル登ったということは車までまた800メートル降りるわけだけど、下りは早いワタクシ。
とはいえ、下りで見る風景にはまた違う発見があったりで、今回はけっこう時間をかけて下山。
2時間以上山の中にいて降りたら晴れ間も出てきて、太鼓櫓もマシな明るさで撮れましたわw

仕事も登城も同じだった瞬間


さぁ開館している岩村歴史資料館で100名城スタンプもらって次行こう〜と思いきや、
駐車場には何やらたくさんの車が・・・あとで撮ればいいやと思って登山前はスルーしたんだけど、
薄曇りで写真撮るには暗かろうが、朝早く行ったら撮れる時に撮っとけ!という残念な例です(´Д`) 

早駆はお得だった瞬間


なんだよ〜この混み具合?と思ったら岩村にゆかりのある誰だかの何回供養とかなんとか・・
そういや朝、あの人がいる場所に何かの胸像があったの見たわ。おかげで車出すのも一苦労。
この時点で10時過ぎだけど、この時間に来てたら車停めれなかったわ〜危なかった!!


日本三大山城のひとつ岩村城。備中松山高取、岩村とワタクシこれでめでたく3つ制覇。
ワタクシ的には備中松山城が第3位。現存天守さっぴくと規模や迫力はあと2つのが上に思えて。
高取城、岩村城は規模や迫力ともに甲乙つけがたいけど、どっちかしか再登城できないとしたら
って究極の選択を考えた場合は、迷わず岩村城かな〜と思うので、高取城が2位ってことでw


山城サイコー!!と興奮しているワタクシは、憑りつかれたように次なる苗木城に向かいます。


苗木城に登城!〜に続く。




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2013.12.26 Thursday 19:11 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(岐阜県) | 

岩村城に登城!その2〜八幡曲輪から本丸

[日本百名城] ブログ村キーワード

岩村城を一番下から登り、いよいよ本丸に近づいてまいりました!

大場所に迫っている瞬間


八幡曲輪のところの虎口を通って、まずは八幡曲輪の中をちょいと見ていくことにします。
どんな門が建ってたとかは分かりませんが、要所に必ず門を設けて防御が念入りです。

広すぎた瞬間


初代遠山氏の加藤景廉を祀る八幡神社があることからその名がついた広い八幡曲輪。
東西に長い曲輪には当時、西方と北方の物見台として二層の遠見櫓も建っていたのだとか。

伝説はありがちだった瞬間


八幡曲輪には2つ目の井戸、霧ヶ井がありました。城主専用の井戸でお堂の中にあったそうです。
敵が攻めてきた時、井戸に蛇骨を投入すると霧が湧き出して山城を包み、敵を阻んだという伝説や、
どんな日照りが続いても決して水の涸れなかったと言われる井戸なんだとか。
岩村城が別名「霧が城」と呼ばれていたのは、この井戸の伝説から来ているようです。

女城主もゴクリ?だった瞬間


小さい井戸なんですけどね、見るとすぐ縁まで、しかも案外透き通った水が入っています。

岩村城は文治元年(1185)、源頼朝の重臣加藤景廉によって築城されたとされています。
景廉の長男景朝が遠山氏を名乗って代々居城していましたが、戦国時代になると美濃・信濃・三河を
結ぶ地にあることから、武田信玄と織田信長による争奪が繰り広げられます。

元亀年間の城主は遠山景任で、織田信長の叔母おつやが嫁いでいましたが元亀2年(1571)景任は病死。
信長は五男御坊丸を養子にして家督を相続させますが、実質上城主はおつやが務めることになりました。

やっぱり女だった瞬間


八幡曲輪の中ほど・・この上に遠山氏初代景康を祀った八幡神社があるので行ってみましょう。

元亀3年(1572)武田信玄が上洛を開始すると秋山信友が東美濃に侵攻。しかし岩村城の守りは堅く、
攻めあぐねた信友はおつやに「妻にして御坊丸を養子にするから開城しないか」ともちかけます。
信長の援軍が期待できない状況下、領民や城兵の命を守るため苦渋の決断だったんでしょうね。

おつやは信友と結婚し開城しますが、御坊丸は人質として甲府に送られてしまいます。
信長は激怒しますがこの頃は武田の勢いも強く、畿内に手一杯で奪還の余裕はありませんでした。

しかし天正3年(1575)で武田勝頼に勝利すると、信長は嫡子信忠に岩村城を包囲させます。
5ヶ月に渡る籠城の末、秋山信友は城兵の命を助けることを条件に降伏しますが信長はこれを許さず、
城兵を皆殺しにし、秋山信友や叔母であるおつやらを城外で逆磔にしました。

おつやは「我れ女の弱さの為にかくなりしも、現在の叔母をかかる非道の処置をなすはかならずや
因果の報いを受けん」 叫んで果てたと言われているそうです。

立場も気持ちも分かるけど信長様にそれは絶対に通用しませんね・・残念ながら。
小松姫とか立花訐藺紊箸・・豪気な女だったら少なくとも婚姻は飲まないだろうしなぁ。

放置プレイだった瞬間


八幡神社の入り口に来ました・・が何かヤブヤブでどうみても大事にされてない感じです。
あんまり行きたくない感じだけど、ここまで来たから一応見ておきますかね。

やっぱり放置だった瞬間


寂し・・当時は大事にされていたらしいんですけどね。曲輪の名前になったくらいだし。
神社というよりちょいと設えた祭壇に後から囲いを付けたような作りが何とも言えず、です。

じらしが大事だった瞬間


八幡曲輪から二の丸に入るくらいのところでいよいよ「本丸まで残り100米」。
ここでうっかり正面見たらチョロっと例の風景が見えちゃうので慌てて横を向く次第w

わかりづらかった瞬間


俄坂櫓門跡。裏門だったそうで有事の際はここから城下まで降りることができたのだとか。
搦め手なんでしょうけど、ヤブすぎて下も見えないし、櫓門跡もよく分かりませんでした。

興奮の瞬間


では心の準備を整えたところでいざ拝見! キョー!!なんかドキドキしてきたわw
右側手前に菱櫓跡があるので、それを見ながらもったいつけてゆっくり行きましょう。

珍しかった瞬間


山の地形に合わせて石を積んだので菱型になったそうです。上に建っていた櫓も石垣に合わせたので
菱形だったから菱櫓と呼ばれました。分かりやすいですw 菱っぽい感じわかりますかね?

テンションMAXの瞬間


ついにキターーーーーー!! 岩村城と言ったらコレな「六段壁」。俄然鼻息が荒くなります。
汗水たらして苦労してじらしながら来ると、目に飛び込んで来た時に感動もひとしおですw
息をのむ感じになってしばし見惚れます。ハイキングとか紅葉見物とかいなくてマジよかった。
しかしその反面、どんだけ曇天どんよりしてんだ!と少々怒りの感情もこみあげてきます。

怨念オーラまき散らす瞬間


上に登ってく前に本丸をめぐる帯曲輪を見ておきます。これ出丸までずっと続いているらしい。
青空だったらどんなに写真映えするかと思うと、やっぱり心までモヤモヤしてきますね。

下から登ってきたんだから一瞬くらい何とかしろやーー!!! あ、これ心の声ですw

女の執念岩をも砕くな瞬間


本丸の方へ上ろうと振り返ると・・おお! なんと薄日が差したじゃないか! ホホホ。
違う角度から見ても迫力のある六段壁。光がさすと陰影が生まれるから迫力が増すよ。

この六段壁は防御のために始めから六段にして積んだわけじゃなく、崩落を防ぐため
前に補強の石垣を積んでるうちに、この姿になったんだそうです。それでも見事すぎる!

元から赤でもよかった瞬間


六段壁の階段を上がるとまず細長い曲輪があります。六段壁と本丸の間に位置する感じね。
紅葉はまだの岩村城ですが、赤い葉の木が一本あるだけで風景の雰囲気が変わります。

山城らしさ全開の瞬間


曲輪から長局門跡を見上げたところ・・赤い葉っぱを意地でも入れて撮ってみましたw
折れ曲がった道の先にドーンと重厚かつ厳重な門が建っていたんだろうと思います。

ナイス規模だった瞬間


長局門は櫓門で両側の石垣に多聞櫓が乗っていたそうです。曲輪から上がってくる部分が
そんなに広くないから、真上見上げる感じに櫓門があったらけっこう威圧感ありそうな。

超ディフェンスだった瞬間


長局門を上から。長局門をくぐって左に曲がるといよいよ本丸の入り口本丸東口門です。
この位置なら万一突破されても狙い撃ちだね。六段壁からここまで厳重さがよく分かります。

脳内復元力が大事だった瞬間


長局門からずっと来て本丸東口門の枡形、そしてついに本丸。どんな門か分からないけど
ここに最後の門があったのよね。当時、六段壁の下の方から本丸の方を見上げたら、
しっかり積まれた石垣の上にいくつもの門や櫓が折り重なって、すごい迫力だっただろうな。

かみしめまくりの瞬間


この本丸は本能寺の変80日前に織田信長が宿泊したところなんだそうですよ。
信長様が見たかもしれない風景を見て(当時は門が邪魔だったと思うけど)登城をかみしめますw


岩村城へ登城!その3〜本丸から出丸 へ続く。



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2013.12.20 Friday 18:22 | comments(2) | trackbacks(0) | 中部(岐阜県) | 

岩村城に登城!その1〜登城口から大手

[日本百名城] ブログ村キーワード

夏に高取城へ行ったら断然見たくなった岩村城。念願の登城を果たしましたw
朝4時前に家を出て中央高速かっとばし、8時到着。天気がイマイチなのがちと残念。

気合いが違った瞬間


岩村城は100名城スタンプが置いてある岩村資料館前の駐車場と出丸駐車場の2ヶ所に駐車可。
資料館前は本丸まで下からずーっと登っていくことになり、出丸の場合は降りたら目の前が本丸跡。

高取城はてっぺんの大場所から登城→下に降りていく作戦で行ったけど、結果マムシにひるんで
一番下の登城口まで行かずに戻った。けどあのクラスの石垣は下から登った末に見れた方がもっと感動。
ということでワタクシにしては珍しく、岩村城は一番下から登ることに。脱水も心配ないしねw

そこで覚悟を決めて藩主鄭跡に建つ資料館に車を停め、いざ登城口へ!
その前に平成2年に再建された太鼓櫓と表御門を。しかし天気が悪くてなえますわ。

モチベの維持に努める瞬間


太鼓櫓、表御門と続き、1つ前の写真の一番奥にあるコレが平重門。しかし暗いわ〜。
これじゃ山の中入ったらますます薄暗いだろうと、せっかく登る気になってるのにヘコみます。

単なる登山みたいだった瞬間


資料館の敷地を出た隣にある登城口がこちら。近所のオバサンたちが草刈をしています。
民家の間を通って山の中の城跡行くってなんか変な感じw では張り切って行ってみよ〜! 

テンションだだ下がりだった瞬間


と歩き出したらすぐ「本丸まで800米」の案内が・・ずっと登りで800ってきついわよね〜
今回は珍しく文字通り下から「登城」するので、ルートをガチで紹介しようと思ってマスw

不安がよぎる瞬間


800米のとこから少し歩くと最後の民家。ここにも草刈さんがいるのを見て・・まさか上まで?
今日が城全体の草刈デーじゃないことを祈ります。石垣前で草刈してたらマジ終わる(´Д`)

早くもくたびれていた瞬間


下田歌子という人の勉学所まで来ました。たいした距離じゃないけどすでに息切れしてます。
ワタクシ不勉強で存じませんが、歌子さんは岩村藩出身の歌人・勉学者なんだそうです。

どうでもよかった瞬間


歌子さんの胸像・・少々こわい。実践女子学園を作った人なんですね〜学校は知ってる!
なんでこの銅像を見たかというと、100メートルくらい登って疲れたから休憩したかったのねw

心が折れそうだった瞬間


歌子さんを過ぎるといよいよ城域に入ります。まずは藤坂。ここから一之門というところまで、
300メートルも(!)石畳の急な坂が続くそうです・・頑張って防衛の第一弾を突破しましょう。

最初の関門だった瞬間


ふうふう言いながら登ると次に見えてきたのは初門。ここにきて登城路は急に曲がりが出てきます。
有事の際はここに臨時の門を構えて通行を遮断するようになっていたため「初門」というそうです。

想像力が膨らむ瞬間


初門のところから登ってきた坂を振り返ったところ・・すごい急でしょ!?
攻める側はこんなところ戦闘装備で登ってくるんだからハンパないったらありゃしない!!
今は周りに杉の木がたくさん立ってるけど、当時はまた違った風景だったと思います。

デカすぎた瞬間


歩いてると両側にちょいちょいこういう古い切株が残ってて、これが当時、城を築く際に
伐採された跡らしいのね。だから木立の雰囲気や本数はたぶん結構違ったんだろうなと。

カラータイマー点灯の瞬間


初門のあたりに「本丸まで500米」の案内が・・こんなに息切れて疲れたのにまだ半分イッテナイ・・
苔が生えた石畳も微妙に滑って歩きづらいので、体力なさすぎのワタクシには相当きついです。

あやうく後悔しかけた瞬間


やっぱ無理せず出丸行けばよかったと思い始めた頃、少々モチベの上がる風景が見えてきました。
一之門跡です。ここから先が岩村城の本城。ワタクシ単純なので、これで気持ちが相当持ち直しますw

厳重だった瞬間


一之門は当時、二層の櫓門で大手一之門とも呼ばれていたそうです。左側には番所があって
常に出入りを見張っていて、右側の石垣上も土塀で厳重に固められていたのだとか。

足元注意だった瞬間


一之門跡を過ぎると次の土岐門手前まで直線が続きます。突き当りを左に曲がると土岐門です。
ワタクシ登山靴履いてるけど石畳がかなり滑るので、足ごしらえはしっかりした方がよいわよ。

距離の方に目がいった瞬間


土岐門に到着〜!! 頑張った甲斐あって、やっと「本丸まで300米」になりましたよ!!
ついでに石畳もここまで。ここの石垣は積みなおされてるのかしら? ずいぶん綺麗です。

イメージしづらかった瞬間


土岐門は岩村遠山軍が美濃の豪族土岐氏を破った時、城門をここに移したということから
名がつけられたのだとか。門は廃城の際、山門として徳祥寺(岩村町飯羽間)に移されました。

でも登りはきつかった瞬間


土岐門の先の道はずーっとこんな感じ。石畳よりはいくぶん歩きやすい感じがします。

目を見開いた瞬間


しばらく登ると畳橋・大手門・三重櫓跡が出現! ここまで来るとテンション激上がりよ!
ここに畳橋がかかっていて、有事の時には板橋を取り外したんだそうです。

ひねりがきいていた瞬間


今は橋がないのでワタクシは底を通って大手枡形に向かいます。普段は橋を渡って枡形に行ったみたい。
ちなみに大手枡形の入り口から畳橋のあった方を見るとこんな感じ。回しますね〜

挑発的だった瞬間


大手枡形にイン!畳橋を渡って枡形に入ると、当時は大手門とそびえ立つ三重櫓があったんだね。
三重櫓は城下から見ると天守のように見えたと言われているそうです。山城に橋をかけたり、
大手門に天守のような櫓を配置したり、岩村城は斬新というか、やる気満々じゃんと思いました。

攻め手には厳しすぎた瞬間


三重櫓の石垣は下をのぞく形で見ると草木が邪魔なのと暗くてうまく撮れなかったので、
大手枡形から畳橋の方をかわりに。横の方は深い空堀。やっぱり激固い守りなんですね。

うっとりしはじめた瞬間


大手門跡の抜けると、両側を石垣に囲まれたまっすぐな大手道が続きます。
石垣にさりげなく反りが入ってるのがよいですね。岩村城あちこち小技きいてますw

2週間早すぎた瞬間


左側は八幡曲輪、右側は五郎作屋敷跡。まもなく「岩村城と言ったら」的な場所が出現するはず。
この辺りに来ると息切れとか疲れたとか忘れますねw 紅葉してればもっとよかったのにね。

湧きまくりだった瞬間


五郎作屋敷跡のところにあった竜神の井戸。岩村城最大の井戸で今も水が湧いているんだとか。
この後、他の井戸も見ることに。岩村は水の備えもばっちりでやっぱりやる気満々www

ほぼスルーだった瞬間


で、これが侍屋敷の跡・・広いけど特に防衛設備とかはなかったようなので本当の居住空間。
これと言ったものはないので中には行かず、さっさと八幡曲輪の方を見ようと思います。


鼻血が出ちゃうかもな風景までカウントダウン開始!下から登るじらしプレイ案外いいねw


岩村城に登城!その2〜八幡曲輪から本丸 に続く


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2013.12.14 Saturday 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(岐阜県) | 

加納城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

墨俣城を後にして大至急、加納城にすっ飛んできました。

はりきって登城の瞬間!


駐車場は南側なんですが入り口風になっているのは北側。車を停めて回り込んでの登城です。
加納城は昭和58年に本丸跡が国の史跡に指定されました。現在は加納公園になっています。
公園の入り口に建つ城址碑はよくある石塔じゃなく、ちょっとモダーンでシャレオツな感じw

管理はしっかりだった瞬間


国史跡に指定された本丸跡だからか、公園に入れる時間は17時までで夜間は施錠されるよう。
本当は門があったところにある青い鉄柵・・公園だから仕方ないけどあんまり色気ないですねw

案内板には17世紀後半の縄張が書かれています。それによると公園として残っている本丸の周囲には
堀がぐるっとめぐっていて、今ワタクシがいる本丸北側を取り巻くように御三階櫓のあった二の丸、
太鼓門のあった三の丸、厩曲輪が、南の方に大藪曲輪があり、そこそこの規模だったみたいよ。
曲輪間も堀で囲まれて橋が架かっていたようで、当時は水に浮かぶ城の様子だったのだとか。

贅沢に残っていた瞬間


上の案内板の左側に続く石垣がこれ。これほど良好に近世初頭の石垣が現存するのは美濃では珍しく、
極めて貴重な遺構・・といった説明がありました。この石垣の手前は当時堀になっていたようです。

珍しかった瞬間


ワイルドな野面積みだけど、びっしり生えた草木の根張りも加わって簡単には崩れなさそう。
これらの石垣には岐阜市近傍の山で産するチャートという石が用いられているんだって。

加納城は慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後、徳川家康が豊臣方の巻き返しに備えて築城させたお城。
初代藩主として家康の長女亀姫の婿、奥平信昌が10万石で入城し、以降、大久保氏、戸田氏、安藤氏と
譜代大名が城主を務め、永井氏の時代を最後に明治維新を迎えました。

昭和58年に国の史跡に指定された時に発掘調査が行われ、徳川時代に建てられた城の地面の下に、
戦国時代の土塁が埋もれていることや、堀の底に堀障子があったことなどが確認されたそうです。
今残っている石垣などは関ヶ原の時に落城した岐阜城から運ばせたものと言われています。

ザ・広場だった瞬間


で、これが公園の中・・本丸跡。ゴールデンウィークの最中だけど親子が1組遊んでいただけ。
遊具とかは何もないし、野球とかもやったらダメそうだから案外、遊び場にはされないのかな?
写真で見るより実際はもっと広くて、御殿や何やら色々な建物が建っていたんだろうと思います。

素晴らしすぎた瞬間


本丸の内側はぐるーっと見事な土塁がめぐっています。明治維新の後、建物はすべて取り壊され、
堀も埋め立てられてしまったそうですが、それから国の史跡になる昭和58年までずいぶんあるから、
本丸跡や土塁・石垣だけでも、よくこれほど綺麗に残ったものだと感心せずにいられません。
岐阜城から移築された御三階櫓があったという二の丸など他は市街化され跡形もないらしいから尚更。

校門みたいだった瞬間


入り口から真反対になる公園南入り口はこんな感じ。当時はここに本丸南門にあたる臆病門があり、
堀にかかる橋で大藪曲輪につながっていたようです。縄張図を見るとこの先は枡形だったみたい。
ワタクシが写真撮影をしている場所は当時は堀。ここだけ見ると城のイメージは湧きづらいねw
模擬門でもあった方がいいのか悪いのか・・いや、変なのだとそれも困るからきっとこれでいいのだw

まだ徳川風味はなかった瞬間


臆病門前の埋め立てられちゃった堀跡は今は公園の駐車場として利用されていますが、
門から東側に続く石垣はこちら側も見事に残っています。高さは2m以上はあったかな?
外は石垣、中は土塁。チャートって石のせいかは分からないけど味のある石垣だと思いました。

何はともあれ備えは大事だった瞬間


再び公園の中に戻ってせっかくだから横から櫓跡と石垣でも眺めておこうかと思います・・
と思ったらカメラがまさかの電池切れΣ(゚Д゚)! 虎御前山からここまで500枚は撮ったもんね〜と、
バックを探すと、遠征にはいつも持ってくる予備の電池を忘れ、なぜかコンデジ持ってるというΣ(゚ロ゚;)
危なかったわ〜まだ3つ登城するのに。未だガラケー愛用のワタクシにはコンデジでもないよりマシ。
ちょっぴり動揺したせいか写真もピンボケw 写真には撮り手の気持ちが表れるものなのよ・・ハハ。

全ては石垣の味わいだった瞬間


角を曲がった向こう側はさっき見た臆病門のある方。地面のところはずーっと水堀があって、
石垣の上には櫓。奥に見える住宅の方に大藪曲輪が見えたんでしょうね・・なかなかよいです。

戦国末期といっていい頃に建てられたから、徳川のお城といっても他とは何か雰囲気が違うね。
天守があったかどうか分からないらしいけど(天守台は残ってる)、>岐阜城から移築したという
御三階櫓とか含めて、もう少し色々と残されていたらきっと素晴らしいお城だったろうに。

加納城跡からはその岐阜城が見えると聞いたのですが、ワタクシにはわかりませんでした・・。


滋賀から埼玉への大返しの帰りがけ駄賃で、次は小牧山城に向かいます!!



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2013.07.10 Wednesday 21:43 | comments(2) | trackbacks(0) | 中部(岐阜県) | 

墨俣一夜城に登城!

[城めぐり] ブログ村キーワード

大垣城を出て、この際ついでに一度くらい登城しよ!ってことで墨俣一夜城にやってきました。

存在感ありすぎだった瞬間
墨俣一夜城

当時は一切なかったはずの激模擬天守なのに橋の上からもよーく見えるのはある意味すごいw
観光用のお城はいつでも何気に人が多いので、今回も混んでそうな匂いがプンプンしてます。

萎え萎えだった瞬間
墨俣一夜城

城の前まで行ってみると路駐はすごいわ、狭い道を人がゾロゾロ歩いてるわ・・すごいったらありゃしない。
バスツアーらしき団体さんなんかもいて、元々モチベの低いワタクシ完全に戦意喪失です。

やりすぎだった瞬間
墨俣一夜城

太閤出世橋だって・・大垣城の勝手に作った西門に続き、大垣市やっちゃったなと再び思ったりΣ(゚Д゚)!
あ、ちなみに写真に人がほぼいないのはたまたま。車が停められず運動公園の方まで止めに行って戻ってきたら、
団体さんは中に入ったらしく、ちょうど人の切れ目だったの。このお城を人の通過待ちで粘れませんw

ちぐはぐすぎた瞬間


出世橋の先には木下藤吉郎秀吉の像がありました。木下なのになぜかスタイルは太閤さんだというw
管轄はやっぱり市の観光課になるんでしょうか? もし教育委員会だったら少々びっくりするΣ(゚ロ゚;)
武将の銅像好きとしては名前の入った台座の方が銅像より目立つところが全くもって残念ですw

主張が強かった瞬間


模擬天守の入り口にやってきました。どでかい城碑が立ってます。団体さんが入って行ったところだし、
一夜城に関する貴重な展示とかはないようなので、ワタクシは特に興味もないため中は割愛よw

一夜城は織田信長が美濃進出の足場とするため、洲股(すのまた)に砦を築こうとするものの、
そうはさせじと出陣してくる美濃勢に阻まれ失敗が続いた後、秀吉が敵の目を盗んで一夜で砦を築き、
見事、美濃攻略の足掛かりを作って出世の糸口をつかんだという有名なエピソードからつけられたもの。

でも実際、墨俣一夜城の話は歴史的に価値ある書物に詳細がなく、事実かどうか不確かなんだそうです。
一級資料と言われる「信長公記」(太田牛一)には、墨俣に砦があったことは書かれているようですが、
蜂須賀家の資料にもそうした記載はなく、秀吉がそこに関わったことすら分からないのが本当みたい。
一夜城の話が出てきたのは江戸後期の「絵本太閤記」だというからまぁ創作なんでしょうねぇ・・。

ワタクシは一夜城のエピソードは好きです。蜂須賀党をいつの間にか丸めこんで山の奥から木を切り出し、
いかだに組んで川を下ってプレハブ工法的に一晩で砦を築く・・歴史小説を読み始めた若ーい頃、
秀吉が知恵を使って頭角を現してく様に胸をワクワクさせていたものです。ええ、純粋でしたw

事実かどうかに学者は目くじら立てるかもしれないけど、ワタクシにとっては歴史ロマンの問題。
秀吉の一夜城のエピソードは夢があっていいよ。絵本太閤記の創作だってやたらリアルだからいいw

だけどこの天守はやりすぎでしょ〜ってどうしても思ってしまう。模擬天守なんて立てないで、
木の柵で囲んで掘っ立て小屋や簡易な櫓でも立てた若干リアル目な墨俣一夜城にすればよかったのに。
観光さんが多いから子供がこれ見て本気にしたらどうすんだ?とちょっと心配になってきますw

怪しすぎた瞬間


そうしたらありました。「藤吉郎の柵」というのが天守の裏手に・・・どれ、案内板を読んでみます。

永禄9年(1566)9月、墨俣築城において斉藤勢の騎馬を防ぐため、地上高さ一間、地中三尺、
松桧藤づる二重巻にて結び、城の周囲に二重に柵総数延長千八百間を巡らした(前野文書より)

えーーー!千八百間ってマジっすかΣ(゚Д゚)! そもそも事実かどうかって言ってる時に突如飛び出す
まるで見て来たような説明。なんだ、ちゃんと文書が残ってるじゃないかと思うかもしれませんが、
この前野文書というのは武功夜話のこと。専門家の鑑定がされず偽書の疑いが晴れてない文書なの。
大垣市・・大丈夫かいな。歴史的大場所いっぱい持ってんだからもっとデリケートに考えてほしいわ。

アピりすぎだった瞬間


模擬天守入り口にも城碑はありましたが、藤吉郎の柵の横にも城址碑が立っています。
リアルな城跡じゃなさそうだけど敷地の端っこでやけに堂々とした佇まいですw 

何としても主張したかった瞬間


先に進むとさらに「一夜城址公園」の碑がΣ(゚Д゚)! いやいや、もうわかったってば!!
どんだけ城址碑立てたら気が済むの? これに至ってはやっつけとしか思えない出来栄えですし・・

予算が心配だった瞬間


と思っていたらラスボス登場w この城址碑は黒御影石なんか使っちゃって相当お高いわよ。
同じような城址碑をいくつも・・ワタクシ大垣市民じゃないけどいい加減、予算の出所が気になりますw
何か一夜城であることをそんなにアピールしなきゃいけない理由でもあるのかとも勘ぐったり。

正直どうでもよかった瞬間


そういえば天守撮るの忘れてましたw 観光さんが来ないから天守の裏を1枚さっと撮りで終了。
もう来ることはないけど一応登城はしたからこれでスッキリ! グーグルマップのピン外せますw

立つ鳥跡を濁さずだった瞬間


天守の前に「太閤秀吉出世の泉」というのもありました。秀吉の馬標だった千成瓢箪モチーフですね。
これを最後に墨俣一夜城を後にするワタクシ・・もう何も言いますまいw


痛い足を引きずって離れた駐車場にトボトボ歩いて戻ったら「ついで登城」この後は加納城に向かいます!



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2013.07.06 Saturday 19:03 | comments(7) | trackbacks(0) | 中部(岐阜県) | 

大垣城に登城!

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三成ゆかりの観音寺を出て下道で関ヶ原を抜け、プランBの思いつきで大垣城にやってきました。
関ヶ原を見れるだけ見ちゃおうかと誘惑にかられたけど、雑な思いつきの出陣ではもったいない。
ワタクシ来たる日のためにグーグルマップに陣跡や見どころをもれなくマークして準備してますのでw

複雑な乙女心だった瞬間


まずは東門から。お城は大垣公園内にあるので東門からでなければ公園側から入ることになります。
ワタクシは駐車場の都合でたまたま今でいうところの正面、東門から登城することになりました。
この門は天守が復興された時に、七口之門の 1つである柳口門を移築したものなんだそうです。

ワタクシ実は大垣城は今ある建物という意味ではあまり興味がなく、ついついスルーしてました。
しかしながら関ヶ原出陣の時は城を見るとかじゃなく大垣スタートにしようと思っていたりもして、
自分で急に登城することにしたくせに、少々屈託あり気味 Σ(゚Д゚)! 女心は複雑なのよw

色々と残念だった瞬間


木が邪魔で完全に見づらいですけど、これが復興天守。珍しい四層四階。死相につながるということで
あまり好まれないらしいです。天守は戦災で焼失する前はなんと旧国宝に指定されていたそうです。
今の天守は鉄筋コンクリート造。窓とかいらなかったし、どうせなら木造で頑張ってほしかったけどね。

中は博物館で入場料は100円。ワタクシは時短都合もあり中に入りませんでしたが、
関ヶ原の資料があるので来たる出陣の日にはやっぱり大垣スタートはアリだなと思いました。

重要拠点だった瞬間


現在は大垣公園になっている本丸の配置はこんな感じ。今見てきた天守と櫓の一部が再建されてます。
江戸期、10万石当時の大垣城は櫓が10を超え、水堀を何重にも巡らした大規模な堅城だったそうです。

関ヶ原の時には石田三成が入り、西軍の本拠地となりました。当時の大垣城は伊藤盛正3万4千石。
合戦前夜に三成の義弟、福原長堯ら7500の兵を残して大垣を出た西軍は関ヶ原に布陣、東軍と激突します。
同時に大垣城でも激しい攻防戦が行われました。 当初、よく戦っていたものの関ヶ原の敗戦により
裏切り者が出たため合戦の8日目には落城。長堯は自刀し、石川康道が5万石で入城となりました。

美濃を制する者は天下を制す・・関ヶ原の頃も江戸時代も大垣は重要な場所だったんですね。

やっぱり残念だった瞬間


鉄門跡というのが残っています。上の写真の案内図を見ると分かると思うけど、手前の砂利道のとこは
当時は堀だったのね。大垣城は明治まで続きましたが維新後、次々と建物が取り壊されて堀も埋められ、
旧藩士の運動によってかろうじて天守と艮櫓が残ったそうです。で、国宝になったのに戦火で焼失・・。
結果、維新の頃に米○俵で売られて取り壊されたとか、焚き付けの薪にされたとかよりマシって程度。

ワイルドだった瞬間


で、その鉄門のすぐ近くにあった辰巳櫓の跡がこちら。上の写真の右に映ってるのがその櫓台。
あまり広くない櫓跡に石がごろごろしてます。元からこうなのか整備されていないだけなのかは不明。

空気を読んだ瞬間


公園側に出てきました。家族連れが多く、サッカーやらキャッチボールやら広い面積を使う遊びが
思う存分出来る広い公園です。なのでカメラで城を狙ってずーっと公園の真ん中の方に下がっていくと
櫓まで入る引きの素晴らしい写真が撮れるに違いないんだけど、ワイワイ子供が遊んでるもんでね・・
ものすっごい好きな城だったら行くけど、足痛いし今回はまぁこのくらいにしといてやるか、とww

ちなみに手前にある、さも「以前からあったので復元されましたが、何か」みたいな感じの西門ですが、
これ当時は全く存在しなかった門らしいですよ。・・やっちゃったね大垣市!とひそかに思いました。

秀逸すぎた瞬間


公園にはイケてる騎馬の銅像が建っています。ポーズも立ち位置もなかなか計算されてると思います。
この方は戸田氏鉄(とだうじかね)さん。そもそも大した知識があるわけではありませんが、
それにしてもまったくワタクシの記憶の中に名がない戸田さん・・かっこいいけど誰ですか?

調べてみると大垣城の大垣戸田藩の初代藩主で、維新まで230年余続く大垣藩の藩祖のようです。
近江膳所城主である父の跡を継いで城主となり、関ヶ原、大阪の陣を経て最終的に大垣10万石へ。

譜代大名で10万石なんて相当のものよ。四天王と言われた本多忠勝だって10万石だったんだから!
天正17年くらいに家康の近習になって、文禄の役の頃には従五位下采女正になったそうですが、
戸田さんどんだけのスピードで出世したんだ! というよりどんな功でマッハ出世をしたんだ!
名前もそうですが、活躍の次第がよく分からないところが謎すぎて気になって仕方ありません。

それまで藩主が入れ替わりまくっていた大垣は、戸田氏鉄が藩主になって藩政が安定。
治水や新田開発、教育などにも力を入れた戸田氏鉄は地元のヒーロー。銅像が建ちました。

雑多すぎた瞬間


本丸北西では平成12年の関ヶ原400年目に合わせて復元された水の手門と塀が見られます。

お城のこっち側は・・といっても、復興や模擬でアレなんで歩いたのはこの通りだけだけど、
立地にとても違和感があるというか、狭い通りの反対側はすぐ住宅街で、その並びには風俗もΣ(゚Д゚)!
今の正面にあたるワタクシが登城した側は商店街のアーケード突っ切った奥になってるし・・なんか微妙。

案外どうでもよかった瞬間


水の手門跡の正面はこんな感じ。縄張り図を見ると道路になっているところが堀だったので、
当時は舟をつけられるようになっていて、水の手門を経て本丸に入る構造だったんでしょうね。

終始ノレなかった瞬間


水の手門跡を入った右側にある戌亥櫓。外側じゃなくて中から撮っちゃいましたΣ(゚Д゚)!
ワタクシ足が痛くて横山城断念したくらいだから、鉄筋コンクリートの櫓くらいじゃ、
角度にこだわってあっちから、こっちから歩き回ってジロジロ見る気にならなくて・・・。

あっさり終わりだった瞬間


当時とずいぶん違ってしまっているのは当たり前ですが、大垣城の外堀の名残りが見られます。
水が豊かだった大垣の雰囲気は感じられますね。たらい舟で川下りなんかもやってるそうです。


関ヶ原出陣の時はともかく、城めぐりとしてこれまでワタクシの攻略目標にならなかった大垣城。
お城も好き嫌いや相性あるわね。帰りがけの駄賃で登城完了めでたし!というのが正直な感想。

この後は今回行かなきゃ絶対行かないと思われる墨俣一夜城ほかへ「あも大返し」で登城します。



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2013.07.02 Tuesday 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(岐阜県) | 

郡上八幡城に登城!

朝いちロックオンで登城した彦根を出発し、午後は郡上八幡へ。

せっかく彦根に行くのだから、隣の長浜城へ・・とも考えたけど、
この辺り、まだ安土城、大垣城、小牧山城、清州城が残っている。
どうせあと1回は来るのだから長浜城はその時にコースに入れられる。
登城効率を考えると、少し離れた郡上八幡を単品で残す方がつらい。
で、下呂温泉に泊まることにして、この際、思い切って行くことにw

駐車場でいきなり一豊と千代だった瞬間
一豊と千代

郡上八幡は当時から、天守閣だけポツンと山の上にあったらしい。
城下にあたる山麓にはお土産物や資料館など散策スポットがあるけれど、
あもは今回、時間のない旅。いっきに駐車場まで車で登るw

革靴で山ガールにならざろうえなかった瞬間
軽く登山中

こんな山道を登るだなんて聞いてないけど・・・。
舗装された道路はプチいろは坂風。ゆるいかわりに距離長いΣ(゚Д゚)!
足痛いのには変わりないから、あもは急こう配短縮コースを登る=3
ハイヒールとかじゃなかったのがせめてもの救いだわ・・・。

疲れも吹っ飛ぶ城のある風景だった瞬間
郡上八幡城

城の全容がやっと見えてきました。
新緑と青空に映える城の風景・・・模擬天守でもいいものだ。

残念な感じが漂ってきた瞬間
郡上八幡に登城!

入り口に来ると模擬天守独特の雰囲気が漂ってまいりましたw

思った通りやっぱり残念だった瞬間
近くに来たら拍子抜け・・

途中で見上げた青空に浮かぶ姿の方が美しかったわ・・。
白く飛んじゃってあものカメラの腕前が悪いせいもあるけれど、
郡上八幡城って天守閣前の広場、狭すぎΣ(゚Д゚)!

・・・だからプロの写真も正面撮りがあんまないのかーっ!!

と帰ってから気づく後の祭り('A`)

これからは撮影ポイントも念入りに研究してから行かねば。

鎧に少し興奮の瞬間
軽く博物館

レプリカだろうが大物のじゃなかろうが鎧があるのはいい!
遠藤さんと青山さんのちょっとしたものが展示してあるが、
千代の家ということで千代コーナーが充実。賢婦人アピールMAX。

木造作りにちょっとびっくりの瞬間
結構凝ってます

模擬天守のわりに珍しい木造。年季はないけど風情がある。
人が歩くたび、ぎしぎしギューギュー半端ない音が出るのは頂けないが。

ちょろっと妄想に入りかける瞬間
眺めは当時をイメージしやすい

川に沿って広がる高い建物なんて全くない町並み。
天守の位置自体は変わらないみたいだから、
町の色彩は違えど、当時もこんな風景が見えたのだろう。
ここじゃリンクする武将はいないけどしばし戦国期を妄想w

下呂温泉到着の瞬間
下呂温泉

岐阜城登城断念の時から1年。2度目の下呂温泉。
郡上八幡城を廻ったおかげで1泊目は選択の余地があまりなかったのだw

水明館にチェックインの瞬間
下呂温泉 水明館

下呂駅前の結婚式場なんかもある超〜でかい旅館。
天皇陛下ご夫妻もお泊りになったとか・・・。
あもは大きな旅館はあんまり好きじゃないんだけれど、
空いているとこなかったし、たまには超大浴場もいいかw

水明館ディナー案外、簡単に攻略だった瞬間
水明館ディナー

旅館の夕食はたいてい、最後のご飯にたどりつけない。
品数が少し少ないのか、量も少し少なめなのか、
お腹にたまるものが少ないのか…珍しく無理せず完食w

昼間、彦根で近江牛を食べ、夜は下呂で飛騨牛。
近江牛の方が値段が高い肉ってこともあるだろうけど、
脂の甘みは近江牛が好み。飛騨牛もおいしいけどw

夜はさっさと寝て、明日は戻りがてら長野に移動し、松代城と小諸城に向かいます。


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2010.05.10 Monday 21:23 | - | - | 中部(岐阜県) | 
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