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皆川城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

犬伏で真田親子の別れを勝手に堪能した後は栃木市に移動して皆川城に登城!

盛り上る瞬間


皆川城は別名「法螺貝城」とも呼ばれるお城です。本当に遠くから見るとまきまき!
思わず、車を停めてまきまきをじっくり見なければと思ってしまいました。

分かりづらかった瞬間


皆川城はワタクシのナビでは出ず、公民館を目指すもののそれも登録がなくて出せず・・
ゴルフ場目指して現地をうろうろした挙句、やっと入り口にたどり着いた次第。

立派過ぎた瞬間


なんと! こんな立派な公民館ならナビで出してくれよ!!とひそかに思いましたしw
駐車場は広くてほとんど車も止まってないから、お城の貸切はほぼ確定!! ほくそ笑みます。

のっぺりすぎた瞬間


公民館裏の山が皆川城跡。登り口には案内板があるのですが、まきまきの遠望を先に見ると、
どうも平面の縄張図はピンときません。とりあえず左っぽい方向目指して登って行きます。

納得の瞬間


と、思ったら復元模型図の絵もありました。これなら納得! だけど登るの地味に大変そう。
体力もなく足腰も老人並みに弱いワタクシ。おまけに今日はひどい強風だから難儀しそうだわ。

実感しづらかった瞬間


登っていくとまず土塁が見えてきます。主要な曲輪に行く前に見えてくる土塁。
実際に城域にはいってみると高い土塁に阻まれてまきまきの感じは体感できません。

地味になえた瞬間


本丸まで525m・・普通の体力のある人にはたいしたことない距離でしょうね・・・
でも著しく体力、足腰ともに弱いワタクシには甚だうんざりするものがあります(´Д`)

気合いが入っていた瞬間


本丸に向かう前に、西の丸方面に向かいつつ、途中にある竪堀を拝見します。
幅9m、深さ4〜5mの竪堀は復元らしいんだけど、気合い入ってんな〜と思いました。

おどおどしていた瞬間


本当ーーーに強風なの。マジで立ってるのもやっとというくらいの凄まじい風。
竪堀に沿って西の丸>本丸へ行きたいんだけど、横風にあおられ恐怖で足が震えてきます。

恐怖を感じていた瞬間


横に落とされてもヤバいでしょ。下に落とされたらもっとヤバいでしょ・・(´Д`)
でも本当に立っているのもやっとくらいの強風で、本当に本当に怖かったわ。
復元にしても実際の現場に立っていると、それくらい奥行や深さ感があるんですね。

巻き具合に納得の瞬間


誰もいないからかっこつける必要もないので、へっぴり腰の低重心で登りきると、
まきまきの真骨頂、本丸が間近に見えてきました。ホントにまきまきに見えるわ。

分かりづらかった瞬間


ヨロヨロしながら二の丸に到着〜!!奥に見えるこんもりがどうも西の丸みたい。
登ってみたけど特段何もなく。二の丸は通称お花畑と呼ばれていたそうです。

勇者じゃなかった瞬間


二の丸の奥から本丸に進む途中、西の虎口という案内板がありました。
が、コレ下っていったら駐車場のある公民館と真反対に出てしまうじゃないの!!

心が折れた瞬間


でも一応、距離感測ってみるぶってのぞいてみちゃったりし・・結果見なかったことにΣ(゚Д゚)!
どこまで下りると虎口なのか分からないけど、行ってまで見るべきとは到底思えないわよ。

巻きを感じる瞬間


ここは最初に見てきた復元模型の写真でいうところの最後の「くるん」にあたる部分よ。

皆川城は標高147mの山に作られたお城で、その形状から別名・法螺貝城とも呼ばれます。
1230年頃、小山宗政の孫にあたる長沼宗員が下野国都賀郡皆川荘に居館を構えて皆川氏を名乗り、
この地を支配しますが、鎌倉の執権北条高時に背いたことにより、一時断絶してしまいました。

しかし室町期になると奥州に移っていた長沼秀宗が下野に戻り、その子、氏秀の頃には
皆川庄を本拠と定め、再び皆川氏を称します。第二次皆川氏と呼ばれ、皆川城を築いて
七代が居城し関東の勢力争いの中、ずぶとくしたたかに戦国時代を生き抜きました。

いぶかしんでいた瞬間


本丸に到着〜! たいして広くもない山頂の本丸に展望台がドーンと建っています。
基礎工事もやったろうし舗装なんかもされてるから、遺構は破壊されてんでしょうねぇ・・

気が利かなかった瞬間


山頂に来てさらに風が強くなってきて、冗談じゃなく本当に飛ばされそうな勢いの中、
変な向きの城址碑を見ます。文字入ってる正面にスペースなさすぎなのよね・・なんで?

あわや!だった瞬間


気が利かない城址碑は裏側だと何の面白みもないと文句を言いつつ、一緒に撮るのはお約束w
すごい強風に帽子を吹き飛ばされそうになったわ。反射神経悪かったら多分失くしてた(ノД‘;)

タイムスリップな瞬間


山頂の本丸からこれから行く皆川氏の菩提寺、金剛寺を見て距離感を味わいつつ、
城主皆川広照の気分になって、北条軍が押し寄せてきた感を勝手に妄想しますw

皆川広照さんは信長の野望で何度か見かけますよね・・・たしか浪人でΣ(゚Д゚)!

歴史上のリアル広照さんは世渡り上手で先の目鼻が利くなかなか出来る人みたいなので、
ゲームの顔も能力もなんかパッとしない印象とか、浪人で登場ってのも気の毒すぎだわ。

したたかだった瞬間


皆川氏は宇都宮氏や佐竹氏と争いながら何とか勢力を保っていたものの、
天正12年(1548)北関東に進出してきた北条氏1万8千に攻められると3ヶ月に渡る戦いの末、
和議を結んで傘下に入りました。天正28年(1590)小田原の役で広照は小田原城に参陣、
籠城します。主のいない皆川城は上杉景勝、浅野長政の軍勢に攻められ落城するものの、
小田原開城寸前、広照がひそかに城を出て家康を通じて秀吉に投降、皆川は安堵されました。

広照は栃木城を築いて移りますが、慶長8年(1603)家康の子、松平忠輝の信州移封に伴い
附家老として7万石で信州飯山に入ります。しかし忠輝の不行跡を幕府に訴えたことで
逆に勘気を蒙り領地は没収。大阪の陣の後に許されて常陸府中1万石の藩主となりました。

ごつカワだった瞬間


色んな意味で整備が行き届いてて、通路の両サイドはあっちもこっちも水仙の花道なのよ。
巻いてるだけに帯曲輪だらけ、でも意外にもどこも狭すぎって印象はないのが不思議です。

勝手に思い入れる瞬間


帯曲輪から巻いた1段下に降りるところもちょいとひねりを利かしてありました。
西に比べて地味な印象の関東だけど、やっぱり戦乱の渦中にあった戦国の城だったんだね〜

漂いすぎていた瞬間


本丸に行く手前にはあちこちに梅の花が咲いていて、梅香風情あふれる登城でした。
登城以外あまり外出もせず、車通勤で季節の移ろいに疎いワタクシにとっては、
春の気配を感じる貴重な出陣になったような。桜は人ごみ苦手なのでまぁ無理だしw


次はさっきロックオンした金剛寺へ皆川一族のお墓参りに向かいます。
信長様をチェックしていながらとんだ大誤算にあった広照さんの悲運を思いにねw


金剛寺にて皆川広照のお墓参り〜に続く



2014.04.29 Tuesday 19:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 関東(栃木県) | 

唐沢山城に登城!

関東七名城のひとつ 唐沢山城に登城!


遺構の状態の良さと見どころの多さで有名な関東屈指の名城。
来てみたかったお城にやっと登城することが出来ました。

期待が高まる瞬間


唐沢山城の登城と言ったら大手枡形の食い違い虎口から。
観光さんはジロジロ見る人もなく普通に通り過ぎていきますw

ちょっと残念だった瞬間


食い違いをじっくり・・・といっても石垣は明治に修復されたもので、
さらに昭和に入って車乗り入れのための拡張で石垣も積み直されたらしい。

天狗には見えなかった瞬間


食い違い虎口を入ってすぐに見えるのが天狗岩。
当時はここを登った岩場に物見櫓が建っていたのだとか。
物見櫓のあった場所にも行くことが出来るんだけど、
どうやらそこは岩の突き出た断崖らしいので遠慮しておく。

お告げのとおりだった瞬間


大炊の井と呼ばれる井戸。築城の際、厳島大明神に祈願をして、
霊夢により掘ってみると水が湧き出たとの言い伝えがあり、
今日まで水が枯れたことはないそうだ。直径7〜8m? 結構大きい。

水琴窟また聞いちゃった瞬間


現在は神社っぽい建物がある天徳丸(西城跡)にあった水琴窟。
武田神社同様、誰もいなかったので聞いておいたw
今回は準備万端、案内図持参で来たから縄張全部丸わかりよ!!

石橋ではなかった瞬間


主郭のある城山に入る部分に設けられた堀切・・四ツ目堀。
当時は木造の曳き橋が架けられていて、謙信が攻めて来た時は
ここで橋を引き揚げて侵入を食い止めて守りきったのだという。

最大だった瞬間


神橋のかかった四ツ目堀は唐沢山城で最大規模の空堀で、
今は幅8mくらいかな・・当時はもっと深かったそうだ。
城山側は高い崖になっていて四ツ目堀の奥には竪堀もある。
この辺りで徹底ガードしますよ〜って雰囲気がぷんぷんします。

まずは三の丸を目指す瞬間


唐沢山城は年配のご夫婦や家族連れなど普通の観光さんが多い。
神橋を渡ってまっすぐ行くと唐沢山神社、左へ上ると三の丸方面。
予想外に人多いわ〜汗かくわ〜と思ったらほとんどの人は神社へw
この辺は当時のままっぽい荒々しい感じが残っていて素敵ですよ。

ただの広場だった瞬間


三の丸は唐沢山城で最大の広さがある曲輪だったそうだ。
当時は御使者の間という応接所があり、侍の詰所や馬舎もあったという。
今は人形塚があって人形祭りの旗がぽつーん・・・藤棚もあったけど。

苔むし具合が素敵な瞬間


三の丸の奥にある武者詰と呼ばれる帯曲輪側からではなく、
本丸の高石垣が見えるルートから二の丸に移動。
鬱蒼とした木陰で見る苔むした石垣って廃れた感が出てていい。
写真右が二の丸虎口に続くんだけど枡形はなく直進でGoですw

石垣残っていた瞬間


本丸の西に位置する二の丸。石垣で囲まれているのが見えます。
奥御殿直番の侍者が詰めた所だけど、今は神楽殿が立っているだけ。

いざ本丸の瞬間


二の丸に続く本丸の搦め手口にあたる部分から神社のある本丸へ。
ここも石垣でがっちり。本丸の石垣はすべて当時のままなのだそうだ。

ライトアップされるらしかった瞬間


搦め手を上がって鳥居をくぐった虎口の石垣。
今は唐沢山神社となっている本丸跡。夜はライトアップされるのねw

唐沢山城は平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷(俵藤太)が築城したと言われ、
戦国時代には秀郷の子孫にあたる佐野氏が居城としていた。
当時、北関東は上杉氏と北条氏の勢力争いの最前線であったため
唐沢山城は10数回もの攻撃を受けたが、落ちることなく耐えた。
関東七名城のひとつで関東には珍しい石垣の城。

佐野氏は小大名ながら時には上杉、時には北条と和議を結ぶなど
外交戦術を駆使して生き残り、関ヶ原の戦いでは東軍に味方して家名を保った。

藤原秀郷が守護神だった瞬間


この唐沢山神社には平将門の乱を平定した藤原秀郷が祀ってある。
藤原秀郷 の遺徳を偲んで明治16年(1883年)に創建されたそうだ。
二の丸三の丸の方は人が全然いなかったけど神社は観光さんがちらほら。

イメージはわかなかった瞬間


神社の表参道は当時は引き局と言われ、奥女中達の詰所だったところ。
今はごっつ神社の風情で灯篭や鳥居が立ってイメージしにくいけれど。

眺望最高ー!だった瞬間


本丸は木々に囲まれ下界が全く見えないけれど、
少し降りたところにある南城跡からの眺望は最高!!
平野は丸見えだし、写真には映らないけど肉眼だと遠く正面に
かすかだけど東京の高層ビル群も確認できるの。

でもこの眺望の良さが唐沢山城を廃城に追い込んだと言われている。
ある時、唐沢山城から江戸の火事を見た佐野氏が江戸に駆けつけたところ、
家康に江戸を見下ろす場所に城を構えている事を咎められ佐野移封となり、
後に佐野城と領地も没収され改易となった。そして唐沢山城は廃城。

火事を見て江戸に駆けつけたところでどうにもなるまいに・・
忠義が裏目ったのか、打算が裏目ったのかは分からないけど。

ひっそりだった瞬間


本丸の裏手にある車井戸。別名かんかん井戸とも呼ばれたらしい。
茶の湯に使われた井戸で深さは25メートル。竜宮まで続くと言われたそうだ。
網の間から底を覗いてみたけれど水もあって暗かったけど深そうではあった。

見る影もなかった瞬間


薬草を作っていたというお花畑跡。めぐらせた土塁は残っているけれど
今は単なる空地のようになっていてここ自体はあまり見る影もなし。
お花畑周辺と本丸あたりに見える堀切や竪堀の方が目立つしw

見る影もなかった瞬間その2


宝蔵があったことから金の丸と呼ばれる曲輪跡。
土塁が多少残っているけどロッヂが建てられていて雰囲気いまいち。
しかもこのロッヂ今は使われていないらしくボロボロで見栄えもいまいち。

御殿というには・・だった瞬間


狭いけど引き局の横にあるのは表御殿跡。
何があるというわけじゃないけれど本丸の石垣がいいですw

調教していた瞬間


二の丸の下に設けられた三ツ目堀。上に見える橋は三の丸から
二の丸に行く時に通ったところ。ごっつい竪堀になっています。
当時はここに桜馬場(さくらのばば)と呼ばれる帯曲輪があり、
馬の調教が行われていたのだとか。神社に直行する観光さんは
この桜馬場の案内板が見える参道を通って行くことになります。

唐沢山城は体力も全くいらないし、苦労ないわりに見どころありあり。
残っている石垣もいいし関東七名城にふさわしいお城だな〜と思いました。
近所の佐野城は残っているけど・・栃木はこれで一応一区切り。

次はいよいよあもの空白地帯、静岡攻略に着手しますw



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2010.11.10 Wednesday 22:31 | - | - | 関東(栃木県) | 

祇園城(小山城)に登城!

栃木県の祇園城(小山城)に登城!
わざわざ来るテンションは上がらないけど近くに来たのでこの際ついででΣ(゚Д゚)!

分かりづらかった瞬間


ナビに出ないので住所を打ち込んで付近を目指していたところ
城址公園の裏側にある住宅街の中の駐車場に連れていかれる。
あんまり燃えた登城じゃないから縄張図も持参していないし、
駐車場も公園付属の割に案内板もなく、とにかく表に廻ることに。

大通り沿いの思川にかかる橋のたもとにある城址公園の入り口。
石垣風に囲まれた坂を上ると本丸と言われている場所が見えてくる。

西の守りは完璧だった瞬間


祇園城は思川に沿って南北に広がる台地に造られたお城で特に西側は
川幅のある思川と川の浸食で切り立った台地の崖を利用した天然の要害。
今は大部分が住宅街になってしまい、公園内すら色んな施設が建っているけど
江戸初期の廃城直前には東西400m南北700mに及ぶ大城郭だったそうだ。

落ち葉清掃中だった瞬間


本丸の中央・・なんてことはないΣ(゚Д゚)! 周囲には西も東も
残っている土塁が見られるんだけど、この時はあいにくあちこちで
落ち葉の清掃中。邪魔しちゃ悪いな・・と思って遠目で見て終了。

祇園城は鎌倉幕府の有力御家人小山氏の居城で小山城とも呼ばれる。
11代義政の時、関東管領足利氏満に叛して滅亡。その後、室町幕府の配慮で
同族の結城氏から次男泰朝が祇園城に入り、小山氏を継いだ。
しかし戦国時代になってこの地に進出してきた北条氏照に城を明け渡し軍門に下ると、
小田原の役後、北条に味方したとして秀吉の怒りを買い領地没収、小山氏は追放された。

ちなみに氏照はここを攻める時、滝の城から出陣したの。

虎口らしかった瞬間


高い土塁があって大きな堀切にかかる赤い祇園橋を渡ると二の曲輪。
案内板を見る限り「虎口」どころかこの場所自体ノーマークなんだけど、
いろんな資料を見てみると虎口だったんじゃないか?的なものも多い。
まぁ虎口かどうかはともかくこの下にある空堀が素晴らしいのよ!

なぜ赤なのかは分からなかった瞬間


当時、ここはどんな種類の橋がかかっていたんだろう。
少なくともかけっぱなしの木橋じゃないよね。まして赤いはずはないw
岩槻城とかもそうだったけどお城公園の橋ってなんで赤が多いの?

巨大豪快だった瞬間


案内板には虎口や橋の説明はなかったけれど、この堀切については
「空堀(旧結城道)と書かれていた。城の当時から道としても使っていたのか、
廃城になった後、道として使われていたって意味なのかは分からないけど。
堀切の幅は10m、高さは6〜7mくらい。この突き当りは思川になっている。

小山氏がいたころからあった堀切なのか北条氏照が手を加えたものなのか・・
不勉強で分からないけど、どっちにしてもすごい堀切でびっくりしました。

セオリーでは読み切れなかった瞬間


本丸から祇園橋を渡ると左に馬出し、右が二の曲輪に続きます・・・
って馬出しは虎口の前にある防御施設なのに2手にわかれるの?
馬出しかすりもせずに二の曲輪に行けちゃうなんて変じゃない?
じゃああれはやっぱり虎口じゃない? それとも実は馬出しじゃないとか?
しろうとのワタクシにはまだまだまだまだ計り知れないお城の奥深い世界。

北条氏照プロデュースだった瞬間


馬出しと呼ばれている部分は方形で周りは広い空堀がめぐらしてある。
滝の城の空堀同様、規模が大きく、馬出しとセットだと北条スタイル全開!
祇園橋の堀切ほど深さはないけど当時はもっと深かったかもしれない。

首をかしげただろう瞬間


馬出しの北面の空堀は少し深め。幅は8mくらいあるかしら?

公園化された場所に来て土塁や空堀を見て最近とても思うのは
建物があるのがお城と思っていた頃だったら何を思ったかということ。
もちろんそんな頃にはそもそも登城すらしないわけなんだけど、
もし来ていたら「変な作りの公園ね〜」と不思議に思ったりして、
仮に案内板を読んで城だったと分かってもピンと来なかったと思う。
興味や知識を持つと楽しみ方が広がる。今にケバだらけの縄張図を見て、
脳内復元や脳内攻防再現がさらっと出来るようになるといいけれどw

熊本城を思い出した瞬間


二の丸には公孫樹の古木がどーんと立っていました。
祇園城落城の際、古井戸に身を投げて亡くなった姫君の霊がこの木に宿り、
実を結ぶことがないという伝説があり「実なしいちょう」とも呼ばれるそうだ。
高さ10メートル。1800年代に書かれた書物ですでに「古木」と書かれていたらしい。
あもはほんの1月前に見た熊本城の清正お手植えの大イチョウを思い出すばかり。

分かるのはここまでだった瞬間


二の曲輪と三の曲輪、四の曲輪の間にある空堀。正面は公孫樹の木。
ナビに連れてこられた四の曲輪側にある公園駐車場に戻ります。

橋の東西は対称的だった瞬間


二の曲輪から見て東にある四の曲輪側の空堀はそこが平らな箱堀。
深さは5m前後くらいだと思う。家が何軒も建てられそうな広さ。
頑張って掘った感じがします。でも三の曲輪側の空堀を見ると・・・

自然を使っちゃいました!だった瞬間


四の曲輪側とは全く違い谷を利用した野趣あふれる天然堀!
木や草もあるから深さが分かりづらいけどそこそこ深いの。

三の曲輪や四の曲輪も土塁や空堀、堀切が残っているけど
始めに見た案内板にはこっち方面については大した説明もなかったし、
記憶した案内図は見どころ見るうちうろ覚えになってきたし・・

帰ってきて資料を見たら行かなかった曲輪にもうひとつ馬出しがあったり、
小山氏累代の墓所がある天翁寺とかも敷地続きにあるとのこと。惜しい!

しょっぱい城だと思って何も準備しないで来たあもが悪いんだけど、
こんなに立派な遺構が残っていて公園としても整備しているんだから
もう少し案内板とか各所の説明を充実してくれるといいんだけどなぁ。

やっぱりどんなに大したものがなさそうなお城だとしても
登城するからには簡単な下調べはしておいた方がいいね。

まぁ今回は仕方ない(すでに何度かやらかしているが)。
次は本日のメインキャッスルである唐沢山城に向かいます!!


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2010.11.07 Sunday 20:01 | - | - | 関東(栃木県) | 

宇都宮城に登城!

関東七名城のひとつ宇都宮城に登城!

初冬の午前中は逆光だった瞬間


夏と違って夜明けの遅くなった近頃は遅めスタートで9時半到着。
定番カットが撮れるポジションに立ったら中途半端な高さに逆光Σ(゚Д゚)!
この時期だと昼前後に来るのがよかったようです。

浅すぎた瞬間


北側と西側だけ復元されている本丸堀はかなり浅いの。
この写真に写っているのは清明台の見える北側にあたる部分。
何もなかったところで1から復元すると雰囲気重視になるみたいw

地味すぎた瞬間


逆光を避け反対側に廻って清明台を単品で撮影したらビューティフォー!
天守のなかった宇都宮城の天守代用だったと言われている清明台。
・・にしても御三重櫓とかに比べると代用でもかなり地味な佇まい。

中身はモダンだった瞬間


宇都宮城は城壁が石垣ではなく土塁で築かれた特徴的なお城。
土塁が高いのは日光参拝時の将軍の宿泊先という保安上の理由から。

一見、見事な土塁に見えるけれど堀と同じく雰囲気重視で、
コンクリートの基礎を土で覆った復元。建築基準法で復元した土塁の上には
建物を建てることが出来ないなどの理由でこの工法が取られたこと。
加えて国から予算をもらうため都市防災公園の機能をつけることになり、
本来ないはずの大きな入口が土塁の真ん中に設けられる形になったらしい。

そんな宇都宮城、現在復元されているのは本丸の西1/3の部分。
復元模型を見ると当時の本丸への入り口は南側だけだったようだ。

狭かった瞬間


で、本来は写真右奥に南側の土塁が続くはずの富士見櫓側。
隣がすぐ民家で後ろに下がれず、こっちからは土塁全景が撮れない。
南側は復元されていないからちょっと先で土塁は終っているのよw

風情はなかった瞬間


ちょっと城風を意識して造ってみました的な公園・・・Σ(゚Д゚)!
ここだけ見ちゃうとやっぱりちょっと違和感があるみたい。
なんでこういう入り口にしちゃったんだろう? もう少し門風というか、
避難場所の入り口にしたってどうせなら雰囲気ある感じにすればよかったのに。

近代的な公園だった瞬間


中からの風景は「城」と思って見るといただけない・・。
これを果たして「復元」と言っていいのかちょっと考えちゃう。

残念すぎた瞬間


堀越しに外側から見ると・・建築工法うんぬんの話は置いておいて、
土塁の上に石垣の台を置いて櫓が建っているのはかっこいいんだけど、
中に廻って見てみると、予算取るために基準満たすって大変なんだね、
と思わずにはいられない残念な雰囲気が漂っています。建物は木造なぜ?

通り過ぎた瞬間


最近のちょっとこじゃれたビルの中を歩いているような感じ!
足早に反対側の富士見櫓に向かって歩いてしまいました。
最近、たくさん行ってる戦国城郭の土塁が一層愛おしく感じるわw

ほぼ同じだった瞬間


清明台も富士見櫓もほぼ同じ。説明書きによると富士見櫓の方が
当時は半間分だけ大きかったようだけれど・・2階建て本瓦葺。
2階の窓から明かりが見えるので上がれるのかと思いきや・・

2階はダメだった瞬間


・・・なぜに? 首をかしげながら靴を脱ぎ中へ。
清明台は入らなかったけどせっかくだから入っておくことに。
木造で再建したのはすごいし変な展示がないのも潔よい!

普通だった瞬間


狭間から外を覗いてみると住宅街に面した西側の堀が見えました。
道路があった関係で現在の正面になっている西側の堀の幅は
狭くなっているらしいから、当時はちょうど向こうの堀際が
がっちり狙える感じになっていたのかもしれないね。

帰りに土塁の中にある宇都宮城ものしり館に寄って復元模型を見て、
ボランティアガイドのおじいちゃんの長ーい口上をありがたく拝聴し・・・

宇都宮は源平の頃からありまして・・・復元費用は36億円と言われていますが
実際かかったのは33億円くらい・・・江戸時代には譜代大名がおった城で・・
譜代大名というのは・・・戊辰戦争と太平洋戦争で何もなくなり・・・
商業地や宅地になって何もなかったところから・・・位置は同じで・・

いつまで続くのかと思ったけど一生懸命話してくれるので
ついつい最後まで(おそらく)聞いてしまったわw

将来は御成御殿と清水門、伊賀門の復元も予定されてるんだって。

宇都宮城は賛否両論いまだに色々あるらしいけれど
違和感は多少あるけどなかった城を勝手に建てたわけじゃなし、
CG復元で見る城とかよりはリアルなイメージを持てる分いいかな〜
外側から見て妄想する分にはかっこよかったと思いますw

次は祇園城(小山城)に向かいます。



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2010.11.04 Thursday 21:59 | - | - | 関東(栃木県) | 

足利氏館に登城!

館林城から日本100名城15番 足利氏館に登城?

「城じゃないじゃん・・・」と思った瞬間
足利氏館 西門

日本100名城15番の足利氏館。現在は鑁阿寺というお寺。
駐車場が近くに見つからず少し離れた市営駐車場から汗だくで到着。
鎌倉時代の武士の館の面影が・・と言われても、
その辺の時代まではあんまり深く勉強していないあも。
実際見るとやっぱり、土塁や堀に門だけじゃなぁ・・と思っちゃう。

名所旧跡巡りに一瞬、変更だった瞬間
鑁阿寺 経堂

この経堂は重要文化財。室町時代の建立なんだって。
大修繕されているから綺麗すぎちゃってあまりピンと来ない。
GWに行った別所温泉の安楽寺みたいな迫力はないの。
ま、あっちは鎌倉時代だから年季が違うかもだけどw

鐘楼は一目瞭然、古かった瞬間
鑁阿寺 鐘楼

本堂と同じで鎌倉時代に作られたものらしい。
これくらい古い感じなら何となくピンと来るw
本堂もどれくらい・・と思いきや瓦葺き替え工事中で、
無情にも全面シートに覆われ、チラとも見えずΣ(゚Д゚)!

本堂で手を合わせ、お守り販売のところでスタンプゲット!

よくわからないまま、お約束の写真は撮った瞬間
足利氏館

武家の館の門だと言われればそうなんだと思うし、
でもこういう門、古い寺とかでよく見ない?とも思う。

堀の巡った敷地の様子とか「館」の様子がよくわかるけど、
ごめんなさい・・興味薄いからどうも妄想がわいてきません。

東門は工事中だった瞬間
足利氏館 鑁阿寺 東門

エッΣ(゚Д゚)! このまま置いといて大丈夫なの?

ちょっと気になりながらも心はすでに次なる城へ。

少し太った堀の鯉や鴨を眺め、足利学校にも後ろ髪惹かれつつ、
今回最大の目的地の太田市金山城へ向かいます。


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2010.07.19 Monday 20:46 | - | - | 関東(栃木県) | 
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