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名胡桃城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

沼田城正覚寺にて小松姫のお墓参りをした後は、国道17号をかっとばして名胡桃城へゴー!!

六文銭にウキウキの瞬間


沼田城から長い坂を下って関越高速月夜野ICを越え、国道17号(月夜野バイパス)を走っていくと、
ほどなく右手に気付かない方が難しいほどの勢いで「名胡桃城址」の盛り上がりが見えてきます。

結果ラッキーだった瞬間


駐車場になっている般若郭に車を停めます。地味に車が停まっているので少々萎えましたが、
実際、登城してみたら誰もいなかったのでラッキー! 案内所でお茶でもしてたんですかね?

釘づけだった瞬間


般若郭には掘っ立て建築の居館があったことが分かっているそうですが、ワタクシは車を降りるなり
ついつい二の丸や本丸との間にある空堀ばっかに目が行ってしまい、居館跡はまったくスルーでした。
名胡桃氏(沼田景久の子 景冬が名胡桃氏を称した)の居館であったと推定されているそうです。

張り切っていた瞬間


般若郭をいったん出て案内所前を通り、でかい案内版のある馬出郭からスタートします。
標柱には「丸馬出し」と書いてあるけど、見た限り丸なのかどうかは全く分かりませんw
空堀右向こうは三の丸、空堀の正面奥は今きた般若郭。単郭で直接行き来は出来ないんです。

余計なことはしなくてよかった瞬間


三の丸から馬出し、月夜野バイパスを見たところ。郭一面に菜の花が咲く名胡桃城の写真があるけど、
あれって今でも春になったらそうなるのかしら? 秋の今、そんな気配ないから別にいいけど、
土塁と空堀のコラボが素敵な城跡に来て、全部菜の花畑だったら分かりづらくて超〜泣けるわ。

圧巻の土木量だった瞬間


三の丸のへりの方に行ってみました。右向こうは二の丸。左奥が般若郭。とてもダイナミック!

名胡桃城は沼田景久の三男、名胡桃景冬が沼田城の支城として築いたのが始まりと言われています。
戦国時代になると上杉謙信が三国峠を越えて関東に進出。名胡桃城や沼田城を落として支配しますが、
天正6年、謙信が没すると武田勝頼の命を受けた真田昌幸が岩櫃城、名胡桃城、沼田城を攻略しました。

気持ちの問題だった瞬間


三の丸と二の丸の間には土橋がかかっています。二の丸虎口に唐突に六文銭の板が置かれてますが、
不自然とか思っちゃダメ。沼田城より「真田の城」を盛り上げようって気が感じられてよし!
土橋の両サイドは二の丸堀。何気に勾配があるので片側だけど手すり付。少しくらいよろけても安心。

ビビッていた瞬間


じゃあ土橋の上から二の丸堀を見てみるよ・・たいした深さ、勾配じゃなさそうだと思ってませんか?
レンズ通すと距離感ずいぶん変わるし、ワタクシも残念な腕前に加え、少し屈んで撮っちゃったしね。

珍しく根性出した瞬間


ってことで駆け降りちゃいましたww 地に足さえついてりゃ多少の高さは平気なのよ。
堀底から土橋と六文銭のある二の郭を見たところよ。草ボーボーじゃないから良く分かる!

エポックメイキングだった瞬間


ちなみにこれは車停めた般若郭から見た二の丸堀。左が二の丸。右が三の丸。郭の高低差はない。

名胡桃城は真田の城になった後も沼田城と合わせ、北条氏との領地争いの舞台になりますが、
天正17年(1589)7月、豊臣秀吉が利根川を境に東を北条領、西を真田領とする裁定を下しました。
しかしこれを不服とした北条方の沼田城代、猪俣邦憲は調略により名胡桃城を奪取してしまいます。
「名胡桃事件」に激怒した秀吉は「大名間の私闘を禁じた惣無事令に反した」として北条氏に宣戦布告。
北条氏滅亡後、沼田全域が再び真田の城になると、役割を終えた名胡桃城は廃城となりました。

妄想力が必要だった瞬間


二の丸は南北縦に長めな広い郭です。今はガラーンとして何もないただの広場状態だけど
春になったら菜の花が一面 当時この広い空間には色々な建物が建っていたはずね。

駆けおりるわけなかった瞬間


三の丸に続き、二の丸もへりに行ってみました。名胡桃城は余計な木が少ないから見やすいよ。
この空堀もどのくらいの深さがあるのか・・この高さだと地に足ついてても覗きこむのすら怖い。

念入りだった瞬間


二の丸から堀を超えて本丸へ向かいます。本丸堀が何気に深いので土橋を渡るのに真剣に確認中ですw
こっから先の本丸は両側が急な崖になっていて、見るからに堅固。攻め側だったら激萎えます。

とにかく悲劇すぎた瞬間


本丸の西側の斜面はこんな! 崖が急すぎて思うより前に出ないと底が見えないのが厳しいと思いつつ、
高い防御力ながら戦わずしてだまし取られちゃ、そりゃ無念どころの騒ぎじゃないわと切なくなります。

猪俣の策略と知らず「昌幸から」と偽った書状にだまされて自分が城を出てしまったがため、
城を乗っ取られてしまった名胡桃城代鈴木重則は不覚を恥じて、正覚寺で自害したと言われます。
華々しく討ち死にとかじゃなく、歴史の流れの中でこういう役割にされたことが悲劇すぎる・・・。

残念な人だった瞬間


いよいよ本丸に突入します! 本丸虎口は食い違いなんですが・・按配のよくない角度だった('A‘)
ここに来ると城址碑やら真田六文銭の旗なんかも見えてきて、ますます気分が盛り上がってきますw

達成感に満ちた瞬間


虎口の脇にある城址碑。城跡にはやっぱこういうドーンとした城址碑があると何気に嬉しい。
か細い石柱みたいなのとか、案内版に毛が生えた程度のとかだと何となく残念な気持ちになるw

どうでもよかった瞬間


本丸跡にイン!で登城宣言〜ここには「名胡桃城址之碑」と刻まれた石碑があります。
大正十三年三月に建てられたもので、徳富蘇峰(誰それ?)という人の書なんだそうです。

驚愕の瞬間


本丸の先に笹曲輪があるのでうねうねとした細い土橋を進んできました。笹曲輪から見た本丸跡がこれ。
空堀も両サイドは異常に深いし、土橋じたいも堀底と斜面を横切るくらいの勢いになってるのよΣ(゚Д゚)!

人間の目は優秀すぎた瞬間


ほうら、東側はこんな感じ!・・でもイマイチね。伝えたいのに伝えきれないもどかしさ。
笹曲輪は段丘の先端にあるんですが、写真じゃ、そしてワタクシの腕前じゃそれを切り取れない(´Д`)

思いを馳せる瞬間


笹曲輪じたいは予備的な狭い空間なのですが、その先にさらに「物見曲輪」ってのがあるんですよ〜
現在は目の前に草木が茂っていますが、当時は物見台でもあって街道の方を見張っていたんでしょうね。

笹曲輪に佇む瞬間


名胡桃城は決して規模は大きくないんだけれど、エポックメイキングな城、そして真田の城として
何か心を揺さぶられる城跡でした。真田太平記に出てくる草の者「お江」も思い浮かんできますねw


名胡桃城のある月夜野町は現在、合併されて利根郡みなかみ町になっていますが、
余計な樹木もなく城跡の構造が見通しよく分かりやすくなっているのは整備が行き届いたおかげ。
菜の花畑は頂けないけど空堀の底も丸見えだし、小さいながら来る価値は極めてある城跡かと。

登城を終えて戻る頃、熟年夫婦やら若いカップルやらがやってきました(女性はブーツはいて)
車は数台あったけど、誰にも会わず一人で真田の城を堪能出来て本当に本当によかったわ!!


満足したところで群馬と言ったら忘れちゃいけない、箕輪城主長野業政さんのお墓参りに向かいますw



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2013.12.04 Wednesday 20:54 | comments(2) | trackbacks(0) | 関東(群馬県) | 

沼田城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

小幡城の次は信越から関越と高速をかっ飛ばして沼田城へ!!

危機一髪だった瞬間


公園の駐車場に停めれるだろうと思っていたら、何とかフェスティバルの真っ最中・・Σ(゚Д゚)!
公園の駐車場、その辺の有料駐車場もれなく満車。おまけに近くの道路は狭いし駐車禁止区域。
正直、沼田城は何度も来たい感じの城跡ではないので、駐車できず撤退>リベンジとかは避けたい。
と思ってしぶとく周辺をうろついていたら、臨時駐車場の小学校に偶然するっと入れて超ラッキーw

萎え萎えの瞬間


5分くらい離れた小学校からまた沼田城の公園に戻ってきました。何とかフェスティバルは
沼田城でやってるわけじゃないらしいんだけど、バンドの演奏とか聞こえてきて雰囲気台無し。
ちなみに人々が見てるのはテニスの試合。写真の奥が本来二の丸で今はコートになっているの。

ムードぶち壊しだった瞬間 


本位じゃないけどバンドをBGMに登城開始します('A`) まずは公園入口の前にある本丸跡。
完全に公園化されちゃってるので、石標がなかったら普通に入場してしまいそうな。

夢見る風景だった瞬間


今回はあんまりいい縄張り図が見つからなかったので、見るところだけチェックはしたけど、
完全に手さぐり登城。とりあえず本丸へ乗り込み、鐘楼目指して歩いていくことにします。
この風景見る限り、江戸城以外で関東唯一の五層天守があったとは思えない公園チックさよ。

たいした興味はなかった瞬間


沼田城のシンボルとなっている鐘楼。元は城内にあって廃城の時に取り壊されましたが、
沼田町役場が楼を建てて時の鐘にして「鐘楼堂」と親しまれ、昭和58年ここに復元されたのだとか。

管理が残念だった瞬間


色あせすぎな城内図の案内版。沼田城は当時、蔵内城と呼ばれたそうです。
慶長年間(1591〜1614)には五重の天守をはじめ、各種櫓や門などを備えた城郭でしたが、
現在は破壊が著しいと言われ、公園化で整備はされたものの、残念な感じみたいです。

唯一の目玉だった瞬間


そんな沼田城、最大の見どころが真田氏時代の本丸西櫓台石垣。5代城主信利の改易により、
翌年城は跡形もなく破却されたと云われていたが、壊されずに地中に埋められていた部分が、
300年以上を経て再び往時の姿を現わしたのである・・・と案内版に書かれていました。

思いは信之じゃなかった瞬間


南側に回ってみました。沼田城っていったらここの櫓台の写真が載ってることが多いよねw

沼田城は天文元年(1532)、周辺を支配していた豪族沼田顕泰によって築かれました。
関東に至る要衝の地であった沼田は上杉氏、北条氏、武田氏による争奪が繰り返されますが、
天正8年(1580)武田勝頼の家臣だった真田昌幸が沼田城を攻略し、武田滅亡後、独立すると、
城郭の規模を広げました。当時、時節の流れで徳川に従っていた昌幸ですが、徳川と北条が
和議を結ぶ際、沼田を北条に譲ることを命じられ、これを拒否。第一次上田合戦へ発展します。
昌幸はメンツをつぶされ全力で攻め寄せる徳川7千を相手に一歩も引かず、これを撃退。
上田城で徳川軍に大勝利し、天正15年、長男の信幸(後の信之)を沼田城主として入城させました。

ちなみに昌幸が時節の流れで徳川についたのは、二俣城のところでご紹介した旧武田家臣、
依田信蕃
の働きかけによるもの。昌幸と信蕃は徳川VS北条の戦いで東信濃でゲリラ戦を展開し
北条の補給線を寸断。これにより徳川は圧倒的に有利となり講話が成立しているんだけど、
そうした経緯がありながら、家康が勝手に北条に沼田を渡す約束しちゃったもんだから
昌幸さんが怒るのも当たり前。依田信蕃はこれより2年前に銃弾の傷が元で死去しています。

真田太平記を思いだす瞬間


天正17年(1589)北条氏との間に新たに領土争いが起こると、豊臣秀吉は北条氏に上洛を促すため、
昌幸に沼田城の明け渡しを命じます。昌幸はこれに従い、沼田城には北条氏の重臣・猪俣邦憲が入り、
真田家臣は名胡桃城へ移ることになりました。しかし邦憲は同年、和議を無視して名胡桃城を奪います。
これをきっかけに秀吉は北条征伐(小田原の役)を決定。北条滅亡後、沼田城は再び真田の城になりました。

手探りすぎた瞬間


櫓台の北側から見た鐘楼方面。縄張り図ないからどの位置にあたる所を撮ったのか怪しいけどw

その後、関ヶ原の合戦で東軍についた信之は上田領も加えて9万石の大名となって城を整備。
沼田城は関東西方の押さえとして機能しますが、元和8年(1622)信之は信濃松代10万石へ転封。
沼田3万石は真田分家が継ぎますが、5代藩主信利の時、悪政と両国橋の架け替え工事の材料調達
遅延を理由に改易され、廃城。幕府の命で徹底的に破棄されてしまいます。

元禄16年(1703)本多氏が4万石で入封し沼田藩は復活しますが、幕府の交付金で三の丸に屋形が
建てられたのみ。黒田氏・土岐氏と替わって明治にいたり、版籍奉還し館も取り壊されました。

盛り上がってきた瞬間


本丸から古城と呼ばれる捨曲輪に向かいます。間にある空堀は深いんだけど・・わからないよね。
古城は真田昌幸の頃、初期の沼田城の本郭だったと言われているところ。そうこなくっちゃ!

愛が足りなかった瞬間


本丸の北側に位置する捨曲輪。本丸よりは若干、低い感じになってるみたいです。

沼田城って見どころ少ないのに「真田の城」として盛り上げようって感じがどうも希薄。
六文銭の旗とか幟の1枚も見てないし、地元愛的な感じだって全体的にどうも足りないね。
信之が後に転封した松代の方が盛り上がっていた。真田太平記でもさんざん出てくるのに。

昌幸イズムに浸る瞬間


こちらは捨曲輪にある「平八郎石」。沼田平八郎景義の首級を載せたと言われる石です。

平八郎景義は沼田城主12代顕泰(あきやす)の側室の子。顕泰は城を嫡子・朝憲に譲り、
平八郎を連れて天神城へ隠居しますが、叔父の金子美濃守にそそのかされ、朝憲を呼びよせて謀殺。

そのため顕泰・平八郎は沼田勢に追われて天神城を焼き、会津芦名氏の元へ逃げこみましたが、
12年後の天正9年(1581)沼田城を真田氏から奪還すべく、上州諸豪族の助成を得て挙兵。
三千の兵を率いて沼田城奪回を開始します。平八郎は摩利支天の再来と言われる勇将でした。

戦っても勝てないと考えた昌幸は、強欲な金子美濃守に1000貫の恩賞を約束し「城を明け渡す」と
偽る芝居をさせます。叔父・金子美濃守の言葉と偽物の沼田城士の血判状を見た平八郎は信用し、
沼田城に入りますが、水の手曲輪で襲われ殺害されました。

面白すぎた瞬間


昌幸は首実検の後、沼田氏旧臣の離反を恐れて遺骸を小沢城址に葬り、沼田大明神として祀りました。

首を載せるには安定感が悪そうだけど、そりゃどうでもいいねw 平八郎さんは気の毒だけど、
それ以上に昌幸さんが沼田を攻略するところは謀略が冴え冴えでバツグン!しびれます。
真田と言ったらワタクシ昌幸パパと幸村さん。信之さんにはないダーティな魅力がいいですw

ちなみに以前、北条氏邦さんのお墓(正龍寺)のエントリーで、沼田城主をめぐる問題によって、
氏邦さんが邪魔な用土重連を毒殺し、それを恨んだ弟の信吉が武田に寝返った話を紹介しましたが、
実はそれが昌幸の沼田城攻略の時なんです。用土信吉はもともと関東管領重臣であった名家藤田家の子。
藤田氏が氏邦を養子に迎えたことで用土を名乗る羽目になった上、兄を殺され怒り爆発だったんでしょうね。

そこへ武田勝頼の命を受けた昌幸が攻略にやってくる。兄に代わって沼田城代を務めていた信吉は
真田家重臣の矢沢頼綱に包囲されると、昌幸の誘いに乗って開城。沼田城に昌幸が入ったところに
平八郎が城を取り戻しにきたと・・ここだけで本が1冊出来そうな盛りだくさんさ!お腹いっぱいw

いい加減だった瞬間


捨曲輪から見たほぼ北側の風景・・・向こうに見える山のどれかの裏に名胡桃城があるはずΣ(゚Д゚)!
ま、ま、ちょっとズレてるかもしれないけど、名胡桃城は山越えてすぐだよって距離感が分かればw

ついでだった瞬間


捨曲輪の東端にお堂がありました。いわれのあるものかと見てみると天狗堂と書かれています。
どうでもいいかな〜と思ったけど、奥の空堀が見たいから進みがてらちょいとのぞいてみることに。

よく分からなかった瞬間


うわ、でかっ!! 中を覗くと顔の長さ3mの天狗面がありました。鼻は1.4m、重さ1トンだって。
迦葉山の大天狗面の分身として作られたそうですが・・・まぁワタクシ的にはどうでもよかったがw

残ってよかった瞬間


そのお堂の裏には規模の大きな空堀が残っていました。すぐそばまで住宅街が迫りくる曲輪東側。
沼田城は崖に面する本丸や捨曲輪が一番西にあって、東側に保科曲輪、二の丸が続く縄張だった様子。
隣は完全に住宅地と化しているけど、初期の沼田城の本郭と言われる雰囲気はある気がしました。

この後、天守台があったという場所に行ってみたけど、神社があるだけで天守台石垣もない上、
小学生の男の子が数人、鳥居の下に座ってゲームしてたので写真は撮らずに終了しましたΣ(゚ロ゚;)

微妙すぎた瞬間


最後に公園入り口の駐車場横にある三の丸跡の土塁を見ました。この向こうが堀跡らしいけど、
完全に単なる駐車場の境界にされてますね・・三の丸も道路や住宅地になっている現在です。

それでも納得だった瞬間


堀跡側から見た三の丸土塁。奥は下がっていくので本丸や捨曲輪の西側が崖になるわけです。

沼田城は城跡として見ると少々残念な感じがするけど、真田の城という思い入れを持って
戦国ドラマチックを妄想しながら、その舞台に立つっていう登城でよかったのかなとw


勝手に納得したところで、次は昌幸さんの謀略にうっとりしながら名胡桃城へ!!
あ、でもその前にその昌幸さんを追い返した女丈夫「小松姫」のお墓に寄るんだったΣ(゚Д゚)!
真田太平記を書いた池波正太郎に、今さらながらお礼を言いたい気持ちになりますね。


正覚寺にて小松姫のお墓参りに続く




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2013.11.24 Sunday 20:06 | comments(0) | trackbacks(0) | 関東(群馬県) | 

小幡城に登城!

[城めぐり] ブログ村キーワード

崇福寺で織田信雄のお墓参りをした後は、小幡城・・小幡陣屋に登城してきました!!

迷いようがなかった瞬間


甘楽町は「織田押し」で観光に力を入れているのでマップも充実。わかりやすくてとても安心w
まずは中小路から。群馬県の甘楽郡は大阪の陣の後、小幡に転封させられた信長の次男・信雄から
8代が統治した土地で、織田家ゆかりの城下町として当時の面影が整備されているところです。
この中小路は大手門から陣屋に至る当時のメインストリートで、武家屋敷などが残っています。

余裕綽々だった瞬間


武家屋敷の石積みを見ながら中小路を進み、車の場合は突き当りの駐車場に車を停めます。
甘楽町は大名庭園のある楽山園を中心に、何か所も観光用の駐車場があるので助かりますね!
ワタクシは停められなかったら困る、と朝イチに来ましたが、これなら何時でもOKそうですw

気合いの整備だった瞬間


駐車場に車を停めて楽山園の方を目指すと、高橋家や山田家などの武家屋敷を見ることが出来ます。
甘楽町全体が何年もかけずいぶん整備されたようですが、石積みなどは当時のままなんだそうです。
高橋家など武家屋敷は基本、敷地に入ることが出来ます。充実度は・・人によるかと思いますがw

こじんまりだった瞬間


中小路の一角となっている山田家の食い違い虎口。戦時の防衛のため作られたものだそうです。
下級武士が上級武士に合わないように設けられたとも言われている、とも案内板に書いてありました。

陣屋は陣屋だった瞬間


食い違い虎口から今来た駐車場の方を見ると、戦時の役に立ちそうにないお上品な石垣が続いています。
甘楽郡甘楽町で市ではないけど、町ぐるみで整備保存しているところにとても好感が持てますね。

さわやかすぎた瞬間


途中、散歩しているオジサンや部活の朝練に向かう自転車やランニング中の中学生に会いましたが、
みんな「おはようございます」と、明らかに観光客であるワタクシに元気な声をかけてくれます。
オジサンはともかく、中学生までよ。ランニングではぁはぁしてても必ずあちらから挨拶してくれるの。
きちんとした街だなと思って妙に清々しい気持ちになったワタクシ。地味に年を感じますwww

頑張ってる感があふれていた瞬間


食い違い虎口のある山田家の角を右に曲がると、突き当りが大名庭園の楽山園。
写真は楽山園の間近から、山田家の方を振り返ったところ。信雄一族押しの感じですw
右側に見えるのは甘楽中学校。挨拶が行き届いた気持ちいい子たちはこの学校の子ですね。

ガラガラだった瞬間


楽山園は織田氏によってつくられた小幡藩邸の庭園です。国の名勝にも指定されていたりします。
織田家の家紋が書かれた幕の翻るこの建物が受付。開場と同時にイン!料金は大人は300円です。

人待ちしなくてよかった瞬間


当時は武士の公式な出入り口だったと言われる中門の復元。高さ7m、門柱間4.5mの門です。
良い天気で登城日和だったけど開場直後は人もいなくて、ラッキー貸切状態ありがとうございます!

気合いが入っていた瞬間


中門をくぐると虎口風の演出になっていて、正面に美しすぎる復元土塁が見えました。
ここは藩邸のあった場所を含め、メインは大名庭園を復元した施設なんだそうです。

美しすぎた瞬間


入場料取ってるだけに綺麗に手入れされてます。緑の芝ってのは青空によく映えますね〜
ただ芝は本物なので晩秋以降に来るとベージュの世界が広がっていると思ってくださいw

字は汚くなかった瞬間


土塁の前をグイと曲がると十九間長屋。禁止とは書いていないものの、写真を撮っていいか分からず
結局撮らなかったのですが、中は資料館になっていて信雄直筆の書状などの展示がありました。

陣屋は陣屋だった瞬間


十九間長屋の先を進むと藩邸のあった敷地への虎口があります。左側の土塁はさっき見た
入り口前の土塁からL字にここまで続いているもの。でも正直、城郭という感じはないですw

整備が細かかった瞬間


藩邸の有った敷地には金明水という復元井戸の他、タイルで「御殿」「薪小屋」なんて書かれてるけど、
同じ高さの立ち位置じゃよくわからないので、先に庭門の先にある大名庭園を見ることにします。

ラグジュアリーだった瞬間


わ〜お!美しいですね!! 中島や築島を築いて起伏をつけた池泉回遊式庭園です。
広い池にまるまる太った錦鯉がゆうゆう泳いでいるのがとってもリッチな感じですw
信雄は何とかいう庭師に命じ、7年かけてこの庭園を造り上げたのだとか・・・・。
手前に見えるのが腰かけ茶屋、奥が梅の茶屋です。梅の茶屋に行って庭園を俯贋してみましょう。

殿様気分だった瞬間


梅の茶屋は中に上がることが出来ます。あぐらじゃなくちゃんと正座して庭園を眺めてみます。
岡山の後楽園や金沢の兼六園に比べたらこじんまりしてるけど、見ればやっぱり大名庭園です。
猫の額ほどの庭しかない実家を思うと、やっぱり物を言うのは財力だなと余計なことを考えますw

なにしろ広かった瞬間


さっき同じ立ち位置ではわかりづらいとスルーした藩邸方面がこちら。こうして高い位置から見ると、
藩邸や御殿のあった場所がよく分かります。建物があった当時、庭園もより際立って見えたことでしょう。

どれだか実は分かっていなかった瞬間


梅の茶屋を出て散策路にそって歩くと「猿石」がありました。発掘調査で検出されたままなんだとか。
案内板には「藩主の歩みを感じてください」と書かれていました。家臣を従え歩く気分で進みますw

朝イチは三文の得だった瞬間


発掘調査で検出された直径1m、深さ10m強の熊井戸。今も水が溜まっています。
梅の屋敷の方を見ると、ぼちぼち中高年の観光客がぞろぞろ入ってくるのが見えました。
ネットなどを見ると楽山園は紅葉の時期も雪の時期もとても美しいので観光客多いそうです。

屋敷のために300mも歩いた瞬間


人が入ってくるのと入れ違いに登城を終えたワタクシは楽山園から甘楽中学校沿いに進み、
松浦氏の屋敷跡を見に行きました。住宅街の間にあるので観光マップを見ていくといいですね。

あまりに地味すぎた瞬間


松浦氏屋敷は群馬県指定史跡です。マジでこれが?と思うけど江戸時代後期の18世紀末から
19世紀初期ごろ建造された建物で、松浦家から群馬県に寄贈された貴重な武家屋敷なんだそうです。
草葺の上をトタン葺きにしてるのは保護のためだとか・・とはいえワタクシ農家に見えたごめんなさい!!

綺麗だけど良さは分からなかった瞬間


松浦氏屋敷はお庭も見どころになっているそうです。さっき見た大名庭園みたいに分かりやすくないと
野暮なワタクシには良さは分からないんだけど、奥の山を借景としたよいお庭なんだそうですよ。

明治以降に著しく興味がなかった瞬間


楽山園周辺から観光マップを見つつ、歴史民俗資料館の方に向かいました。赤レンガ造りの建物は
大正時代の倉庫を改築したこの地域の養蚕を代表した建物ものなのだそう。ワタクシ入りませんでしたが。

ミーハーすぎた瞬間


資料館の前には日本の名水100選にも選ばれた雄川堰があります。古くから住民の生活・農業用水、
精米などの多目的に利用されてきた用水路で、ガイドマップに載ってるので何となく見に来た次第w
そういうわけで、だから何だ?とたいした感動もなく見終えたワタクシかわいげなさすぎ!!

わからなすぎた瞬間


資料館と雄川堰のある交差点の前には大手門礎石がおもむろに陳列。通りの向かいにある資料館の
あたりが当時は大手門だったそうです。が、これだけ置かれてもけっこう分かりづらいものですねw
というよりも、大手門があっても「城」じゃない、「陣屋」というものの存在に少々混乱。


小幡陣屋は江戸時代のずいぶん後になって小幡城と呼ばれるようになったと聞きますが、
武家屋敷があったり大手門跡や礎石を見ても、やっぱり城という感じが薄いという印象。
でも貴重な関東にある織田ゆかりの地だし(信雄さんだけど)、楽山園もとても美しく、
加えて学生さんから、近所のおじさんおばさんまでみんな挨拶してくれ気持ちがいいので
一度は来といてよかったな〜という感じがしました。お土産はもちろん「こんにゃく」ねww


とはいえ本日のメインは沼田城・名胡桃城攻略!高速かっとばして「真田太平記」の世界へ!!




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2013.11.20 Wednesday 15:08 | comments(0) | trackbacks(0) | 関東(群馬県) | 

高崎城&一郷山城に登城!

箕輪城を後にして、現存乾櫓を見に高崎城にGO!

高崎城といったらこれ!だった瞬間
高崎城

高崎城といったら三の丸東門と乾櫓のこのセット!

乾櫓は納屋として使われていたものを移築した現存ものだけど、
石垣は櫓を移築する時、とりあえず積んでみたらしいw

三ノ丸東門の裏に廻った瞬間
高崎城 三の丸東門

この門も移築されたもの。くぐり戸がついてたのはこの門だけ。
乗籠のまま通れるけど、乗馬のままでは通れない仕組み。by高崎城跡案内板

案外、石垣がなじんでいた瞬間
高崎城

乾櫓の碑は裏側にある。
堀があって土塁から続いて石垣が積まれ、その上に櫓が。
緑色に苔むして、所々草なんか生やしちゃってると、
一緒に持ってきたんじゃないの?的ななじみ感がなくもないw

高崎城城址碑は立派な割に・・だった瞬間
高崎城 城址碑

高崎祭りが近いらしく、この碑のすぐ前まで
祭の準備事務所らしきプレハブハウスが迫っていたΣ(゚Д゚)!
無神経よね・・・そもそもこの角度もなんか変だけどw

まったく風情はなかった瞬間
高崎城

高崎市内のど真ん中、オフィス街の一角にひっそりと佇む・・。
まるで石垣の上にビルが立っているようなプチ珍百景w

高崎城は15分ほどで登城終了し、次は一郷山城へ。
超マイナーだけど、城好きとしては見ておくべき理由があるのだ。

うっかり行きすぎた瞬間
牛伏山

ナビでは何もない場所なのに牛伏山にセットするときっちり道案内が出るw
しかし調子に乗って山道をグルグル登ったら展望台入口を通り過ぎた。
行き止まりまで行くと一郷山城のある牛伏山を象徴して立派な牛の像が。
本物より微妙にデカいし、つぶらじゃない瞳がちょっと怖いんすけど・・

気を取り直して登城の瞬間
一郷山城

一郷山城は戦国時代の初期に平井城と一緒に作られて、
戦国時代の中期には廃城になってしまったお城なの。

城といってもその時代、どっちかといえば砦の感じじゃない?
城にしたって天守閣なんてもちろん、立派な建造物がなかった時代よ。
ベースは土塁や堀や堀切なのに適当に建てたこともアンビリーバボーだし、
もっと驚くのは貴重な遺構を破壊してこの模擬天守閣を造ったこと!

そんな嘘っぱちの天守閣を無理して建てなくたって、
ここに戦国時代、城があったことは事実なのに。
遺構を残して公園とか整備されるのは素敵だと思うけど、
それを壊してまで模擬天守を造ることにどんな意味があるのだろう。

見晴らしは戦国時代と同じだっただろう瞬間
一郷山城 模擬天守より

模擬天守3階の高さ分は違うかもしれないけど・・。

吉井町が何のために一体いくら使って建てたのか知らないけど。
そして維持費が毎年いくらかかっているのか知らないけど。

・・こんな見晴らしよくても土曜日なのにだーれもいないよぅ。

城はなくても・・だった瞬間
一郷山城

天守や櫓がなくてもあもは城が好き。
その時のこと考えたり妄想したりするのがセットだから、
城があったということと、城を感じさせるものがあればいい。

今、あんまり適当な城風建物は建てられなくなったらしいけど、
税金を使うのなら貴重な遺構を発掘調査して残す方にしてほしい。

お城が好きなもののはしくれとして、それを確かめたくて行った
箕輪城、高崎城ついでの一郷山城登城なのでした。


来週末は思い切って福島3城制覇に向かいますw



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2010.07.25 Sunday 20:31 | - | - | 関東(群馬県) | 

箕輪城に登城!

日本100名城16番 箕輪城に登城!

朝9時 アラフォーまっしぐらおひとり様 搦手口入り口駐車場に到着w
城跡系はほぼ毎回、車を停めたはいいが、「はて・・どこへ?」となるけど
箕輪城は看板や案内板がたくさん出ていて親切ていねい、分かりやすいw

案内図を念入りに確認していざ登城の瞬間
箕輪城搦手口

誰もいなそうだし、軽く山だから迷わないようにしないとね。
車まで戻れなくなったら熱中症で倒れかねない暑さだもの。
おひとり様で城めぐり、倒れても誰も発見してくれないなんて寂しすぎるわ!!

二の丸広場に車が停めれたことが発覚した瞬間
箕輪城二の丸

んまーー!! ここまで車で来れたんかΣ(゚Д゚)! その辺のアナウンスもっと必要。
ダイエット効果を狙ってリーボックのイージートンを履いて登城のワタクシ。ももに効いてます。
坂道少し登ったらもう脚が心なしか疲れてきてるんだけど・・。

さらに念入りにルート確認した瞬間
箕輪城跡図

ナビ頼みで車を走らせ、現場確認はろくにせず登城するワタクシ。
縄張り図も持ってこなかったわ・・・
入場料もなしで見学自由の代わりにパンフレットももらえない城跡では
現地の案内図だけが頼り。だいたい5分はガン見で頭に叩き込むw

中央コースはまず大堀切と土橋から
堀切と土橋

直進すると大手尾根口とかいう方に行っちゃうからのぞくだけ。
大きな堀はいいんだけど、堀って重要な割に見た目地味じゃない?
ブルーシートとかかかっちゃってるとただの土木現場みたいで困るのよね・・。

ひっそりしていた瞬間
箕輪城三の丸

木漏れ日の三の丸。蝉の声もなくただひっそりと・・・
っていい雰囲気だと思ってたらでかい虫の羽音が!


ぶぅぅぅぅぅ〜ぅぅうううん


ちょっとあんた、邪魔しないでくんないヽ(`Д´)ノ


追い払いたいのだけれど相手の正体がよくわからない。
音からしてクマンバチとかでかいアブとかそれ級のデカさは間違いない。
定期的に近づいてくるその音が怖くってあえなく退散・・。

ビクビクしながらも斜面が気になっていた瞬間
堀底

羽音に神経過敏になりつつ三の丸から堀底の道を通って御前曲輪方面へ。
急な斜面・・ワタクシが足軽だったらもたもたしてる間に討たれるΣ(゚Д゚)!
防御力のある城は立地や地形を利用した建物以外のとこもすごいわ。

御前曲輪でホッと一息の瞬間
箕輪城御前曲輪

森を抜け、やっと開けた御前曲輪に到着。
御前曲輪は城の精神的な中枢部だったらしい。

戦国当時、武田信玄に何度もロックオンされた箕輪城。
それを当時の城主だった長野業政が何度も追い払いました。
でも信玄は超しつこいので業政はこんな遺言を残したそうです。

我が葬儀は不要である。菩提寺の長年寺に埋め捨てよ。
弔いには墓前に敵兵の首をひとつでも多く並べよ。
決して降伏するべからず。力尽きなば、城を枕に討ち死にせよ。
これこそ孝徳と心得るべし。


こんな遺言されちゃったのが当時17歳くらいだった嫡子の業盛。

風林火山の暑苦しい武田信玄軍団がしつこく攻めてくるよ。
武田軍2万VS城兵1500・・上杉謙信の援軍も間に合わない。
業盛は何度か城門から討って出たりして力の限り奮戦したけど
最期はこの御前曲輪にあった持仏道堂で自刃して果てたという。

春風に梅も桜も散り果てて名のみぞ残るみわの山里

業盛クンの辞世の句・・・なんて切ない!!

信長や信玄や謙信たちビッグネームの側から書かれた小説じゃ
わからないし描かれないドラマ。でもそれも戦国のリアル。

箕輪将士慰霊碑に思わず合掌の瞬間
箕輪城将士慰霊碑

そんな悲しいエピソードの眠るこの御前曲輪。
他には聖徳太子と書かれた大きな石碑とか
陸軍平和の碑とかどさくさに紛れたものがある。

ちょっと怖かった瞬間
井戸

鉢形城のように枠を置いた復元じゃなくて本物の井戸。
中をのぞいてみたけれど真っ暗で底が見えない。
網はあるけど場所が場所だけに何だかちょっと怖かった。

業盛の気持ちを思った瞬間
箕輪城本丸

外へ討って出た後、死を覚悟した業盛はどんな思いで
この本丸を通ったんだろう・・何もない風景にふと思う。

あっさり城を明け渡すアホな武将はどうでもいいけど、
命がけで城を守って散った武将は色々と思うところが。

城址の碑
箕輪城碑

派手な遺構はないけれど、実際に来てよかったw
スタンプも無事ゲットで、次は高崎城&一郷山城に向かいます。




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2010.07.24 Saturday 16:31 | - | - | 関東(群馬県) | 

金山城に登城!

日本100名城17番 金山城へ登城!
復元とはいえ、石垣好きのワタクシが靴ずれ覚悟で見たかったお城。

登城口の案内板に覚悟を決めた瞬間
金山城

ここまで相当の山道、楽に車で来たくせにw
ワタクシがみたい復元された虎口は、やっぱ一番奥か・・。

あたしには無理!を確信した瞬間
金山城

西城から本丸に向かう途中の西矢倉台下堀切。
ガッツだしてもワタクシには絶対、攻め登れない。
高い石垣だの深い堀だのの防御施設を見る度に、
ワタクシが足軽だったらすぐ死んじゃうだろうと思う。

・・てか、なんであたしいつも足軽ベースで考えるんだろw

金山城も芸が細かかった瞬間
金山城 竪堀と木橋

先日登城した松代城に続き、お金取った方がいいのでは?と少し思う。
全部ちゃんと説明がついているし、整備だって大変だよ。
こんな山の中に石垣積んで城を作った当時の人もすごければ、
これをここまで復元しちゃう太田市もすごいと思うw

大手虎口が近づいてきた瞬間
金山城 月の池

ぜえぜえ息切れしながらも、ここにたどり着くまで
竪堀も木橋も物見台も馬場曲輪もみんな見たわ=3

さぁ、本やサイトで見たあのアングルで写真を撮るのよ!!


総石垣の大手通路にうっとりだった瞬間
金山城

よっしゃ 撮ったどぉぉぉぉーーーーー!!(鼻息荒い)

ああ、石垣。石垣。石垣・・・復元でもこれはいい!!

関東の中世山城に総石垣の城はないといわれていたのに、
調査、発掘してみたらそれまでの定説を覆す大発見とくれば、
復元に気合が入るのも思わず納得。本当にすごい迫力よw

体力のないワタクシには軽く登山でしんどかったけど、
思い切って来てよかったと感動し、しばし妄想。

復元でもこの迫力だから、当時のまま残っていたら
どんだけすごいんだろう・・ふと竹田城を思い出す。

単なる池じゃなかった瞬間
金山城 日の池

入り口にあった月の池とともに儀式的な意味で作られた池らしい。
山の上に池があるのは珍しく、これもかなり忠実に復元されたみたい。

日本100名城17番スタンプゲットの瞬間
金山城

せっかくだから石碑を入れて土塁石垣も撮っておく。
ただ石が並んでいるだけなのになんで石垣って素敵なんだろうw

スタンプはこの後ろの休憩所の中でひっそりとゲットw

難攻不落の意味が分かる瞬間
金山城

岐阜城の時も思ったけれど、誰が考えてもやっぱ無理よね。
山城が難攻不落とか堅固とか、守るに易く攻めにくいと言われる理由、
実際にその場でフィールドを体感すると尚いっそうわかるし納得。

内通者作るとか、少数精鋭を何とか送り込んで扇動とか・・
いろんな武将がやった作戦になるほどなと思ってしまう。

もうひとがんばり、実城にも行ってみた瞬間
金山城

石垣を見たからもういいかな・・とも少し考えんだけどw

ものすごい暑さと脚のだるさに耐え、もうひとがんばり。
城主の御殿があったという実城・・天守曲輪跡へ。

せっかくだから・・と軽〜くお参りをして振り返ったところに、
何やら見覚えのある格好の女性ランナーがすごい勢いでやってきた。

・・・あなた、ワタクシが車で追い抜いた人じゃないのΣ(゚Д゚)!

気合入ってんなぁと思って覚えていたこの女性。

あのつづら折りの車道をずっと走って登ってきた挙句、
ワタクシがぜえぜえしていたコースを来て、また走って戻るだなんて!!

こんにちわ♪

唖然としているワタクシに、疲れも見えぬ爽やかな笑顔。

・・・金山城、あなたが一番すごいかも!?

走り去る女性の後をワタクシはヨロヨロしながら車に戻り、
エアコン全開に気を取り直し、次は帰りがけの駄賃で忍城リベンジへ。


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2010.07.18 Sunday 18:49 | - | - | 関東(群馬県) | 

館林城へ登城!

3連休の初日。車で2時間圏内の近場の城を朝5時に起きて効率よく廻ってきたw

館林城に登城の瞬間
館林城 千貫門跡 石碑

家康が関東に来た時、四天王の一人である榊原康政が入場した館林城。
10万石の城も、今は館林市役所の敷地内にひっそりと遺構を残すのみ。

効率を考えて登城のルートは念入りに考えるくせに、
現地のことは毎回、ろくに調べもしないあも。
何度か「どこ行きゃいいの?」と困惑する目にあっている。

今回もそう。車を停めてから市役所の掲示板を見て場所を記憶。
1本道だから楽勝〜なんて思っていたら石碑しか見つからない。

えーー!! あたし復元した門が見たいんだけど!!

うろうろした挙句、ようやく見つけた瞬間
館林城 土橋門

朝から暑いし、この先3つ・・しかも山も控えてるから
無駄に掲示板まで戻りたくない!! と思いながらウロウロし、
結果、おそらく相当、無駄に歩いてやっと土橋門を発見w

門をくぐったら「はい、終了!」だった瞬間
館林城

・・・いいんだよぅ。だって館林城はついでの登城だもの・・。
遺構が少ないけど今日のルート上にあったから登城したんだもの。

単品で存在する土塁や水路はスルーして、次の足利氏館へ行きます・・。


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2010.07.18 Sunday 17:28 | - | - | 関東(群馬県) | 
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