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龍岡城に登城!

信蕃さんにメッタメタにされた伴野城から龍岡城にやってきました。

微笑ましかった瞬間


近くに来たら出てきたこの案内。「日本に2つ」のアピールがほほえましい。
龍岡城は函館の五稜郭みたいにモロ残ってるわけじゃないけど気持ちは分かるw

貸切だった瞬間


無料駐車場に車を置いてさっそく大手門跡へ。城跡は田口小学校の敷地に。
学童は毎日ここから登校するのかな。中への出入り自由なのはありがたいです。

イメージしづらかった瞬間


大手門跡の橋の上から堀を見ると函館に規模は及ばずともやっぱこのライン。
ただ幅も狭いし石塁も低いので、死角がないとはいえ防御力はどうなんだろう?

革新的だった瞬間


案内板にあった龍岡城の縄張図。青いところが今も残る水堀の部分のようです。

龍岡城は信濃1万2千石、本拠三河に4千石の封地を持つ奥平藩松平氏の居館。
元は佐久に陣屋を置いて統治していたものの、11代乗謨(のりかた)の時、
三河が手狭なのと領地の大部分が佐久にあることを理由に幕府に許可を得て
元治元年(1864)この地に移り、奥殿藩を改め田野口藩に改めました。

幕府の要職を務めた乗謨さんは若い頃から洋学の火砲や築城も学んだそうで、
幕末の激動の中、稜堡式築城法を用いて洋式城郭を築いたようです。

ワタクシは幕末〜明治維新は戦国ほど興味もなく詳しくもないけれど、
乗謨さんの後の名前、大給 恒(おぎゅう ゆずる)の名は知っている!
日本赤十字社の前身となる博愛社を創設した人・・だったんですねぇw

普通の学校だった瞬間


明治の廃城令で龍岡城も堀と石塁を除くほとんどが取り壊されてしまいました。
広い田口小学校の校庭の片隅には御台所の建物が遺構として残されています。

中は見れなかった瞬間


御台所の建物は明治時代に学校として使われたので取り壊しを免れ、
昭和になって保存のため移築されたそうです。全く元の姿か分からないけどw

後の祭りだった瞬間


御台所の裏には西側の稜堡に土塁がありました。この並びに黒門跡があって、
ワタクシはそこで引き返してしまい、砲台跡を見逃してしまいました(´Д`)

心は外だった瞬間


校庭にいても面白いものはないので、堀の方へ行って五稜郭ぽさを味わおう。
体育館の前には土塁が残っていました。子供にとっては多分いい遊び場だね。

さほど興味がなかった瞬間


縄張図に通用門と書いてある場所から堀側・・稜堡?に出てみます。
当時は薬医門があって現在は佐久市内の薬師寺に移築されているのだとか。

懐疑的だった瞬間


両側の石垣は積み方が違うのね。場所によって切込、打込み、野面と色々みたい。
それにしても低いし狭いし・・西洋風はいいけれどコンパクトすぎじゃないかね。

やられまくりだった瞬間


直線じゃないので死角がなく十字砲火をバンバン浴びせられるってやつですね。
十字砲火の強烈さはゲームでも浴びてもキツイですからね〜マジたまらんです。

ズレズレだった瞬間


正直、幕末の城なので妄想ポイントが薄くイマイチ食いつけでないんだけど、
こういう部分を見たらホントに五芒星型なんだな〜という点に妙に感心します。

単なる観光さんだった瞬間


ほら。「わ〜星の先端だぁ」って。ここ見た時だけほんのちょっぴり瞳孔が開いたわ。
いつもと勝手が違うので攻守のイメージがワタクシにはピンとこないけどまぁいいw

上から目線だった瞬間


大手門跡のところに戻ってきました。大手門の両脇はさらに絶妙な曲げ入れてねw
いざ攻め込まれたらどんだけ機能したか分からないけど小藩なのに頑張った!

ってことでワタクシ依田信蕃さんのお墓参りに蕃松院を目指したのですが・・

怪我の功名だった瞬間


ちょっと迷ったら龍岡城から少し離れたところにある枡形に辿りつけたのよw
そこの案内板見たら100メートルちょいしか離れてないのにワタクシどう迷ったか・・
小さいけれど綺麗に残ってます。ただ存在が単品なのでふーんで終りましたけどw

ここの案内板のおかげで蕃松院の場所もばっちりわかった! すぐそばだった!!

リアル墓参りをすれば、ついに信蕃ざんまいの旅もファイナル!


松蕃院にて依田信蕃のお墓参り〜に続く



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2014.12.31 Wednesday 09:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(長野県) | 

伴野城に登城!

岩尾城に続き、またまた依田信蕃さんがらみの城跡を訪れました。
ふふふ・・なんたって今回の小諸佐久攻略の目的は「信蕃ざんまい」なのでw

よくは知らなかった瞬間


岩尾城から目と鼻の先。元は甲斐源氏の小笠原氏が地頭として伴野に居を構えて
伴野氏となり、伴野城から後に野沢城と呼ばれるようになったお城・・跡ですw
現在は大伴神社が建ち、城跡公園として整備され市民憩いの場になっているみたい。
この辺りには櫓台があったと言われるそうですが、その名残が見えてるんでしょうか。

よく整備されていた瞬間


伴野城は説明板によると東西74メートル、南北110メートルの方形居館で周囲に
堀を巡らした鎌倉時代っぽく。発掘調査に基づいて復元された土橋がまず目につきます。
こちらも岩尾城と同じく県指定史跡。この違いはなんなの〜とひそかに思っています。

綺麗すぎた瞬間


土橋を渡ると主郭部がドーンと広がってます。綺麗なトイレもあって完全に公園ですw

鎌倉時代に伴野氏によって築城され、後に本拠は近くの前山城に移ったのだとか。
同じ小笠原の出の大井氏と争って降し、戦国期には佐久で一番に武田配下になったそうな。

憩う人はいなかった瞬間


写真だと分かりづらいけど主郭部の周囲は土塁がよく残っているんです。
この伴野城も佐久郡制圧にいそしむ依田信蕃さんにメッタメタにされましたw

単なる館じゃなかった瞬間


主郭の西側の方が存在感ある土塁が残ってます。同じ鎌倉期に作られた館でも
足利氏館より土塁のこんもりがある分、戦国期も存在した城跡ぽさは感じられます。

癒しのスポットだった瞬間


公園として整備されてるけど四方を囲む水堀は残っていて・・西側が一番雰囲気あるかな。

とにかく感動の瞬間


石は後から積まれたものだと思うけど、西側には虎口も残ってて何か感動しますね。
伴野氏はよく知らないし、鎌倉、室町、戦国の改修による移り変わりも分からないけど
立派な天守があったわけでもない城跡が、こうして残っていることが何だかすごいと思う。

車の通りが激しかった瞬間


東側もこんな感じで水堀が廻っています。土止めの石積みがイケてないけど、
主郭内から見ると土塁感はモロなのでいいのかw 依田信蕃さんにやられますが、
江戸期には陣屋がおかれ、明治には神社になったので運よく残されたようです。

鼻がもげそうになる瞬間


最初に入った土橋の右手・・城跡東側の水堀のたまり場・・激くっさーー!!
お父さんと散歩に来たらしい魚をのぞきこもうとした子供が鼻をつまんでおりました(´Д`)
せっかくきれいな公園なんだから、浄水関係もしっかりやってこ!ホント臭かったわ。


ちなみに伴野城跡は公園として整備されてるけど残念ながら駐車場はありません。
道が狭くて路駐する場所も限られているし、それじゃ落ち着いて見られないので
近くの大通り沿いにある商店街の駐車場などを利用するのがよいかと思います。

信蕃さんポイントまたひとつクリアww

次は「日本に2つ」が売り文句の龍岡城(龍岡五稜郭)に向かい、
いよいよ依田信蕃さんのお墓参りもしちゃいます!!


龍岡城に登城!〜に続く



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2014.12.24 Wednesday 19:56 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(長野県) | 

岩尾城に登城!

小諸城玄江院と耳取城跡のある小諸市から、佐久市に移動してきました。
依田信蕃さんが(ほぼ)討死した岩尾城に妄想力アゲで登城しちゃうわよ!!

地獄で仏だった瞬間


間違いなく近くに来たのに城跡の入口が見つからず、諦めて近くのコンビニへ。
缶コーヒーを買って岩尾城の場所を聞いたら、やっぱり近くの小山がそうだった!
ついでに入口を聞くと、車じゃ無理だから置いて歩いていったら?と優しいオジサン。
満面の笑みでお礼を言い、イソイソとオジサンに教わった建物脇の入口を目指します。

ある意味、ハードル高かった瞬間


普通のアパートの横を過ぎたら突然こんなのどかな風景に。正面が岩尾城跡よ。
こりゃ車じゃ入口見つからないし、駐車場ないとは聞いてたけどそもそも車は無理。

世界に浸りはじめた瞬間


信蕃さんはこの岩尾城攻略中に銃撃を受け、その傷が元で亡くなったのよ。

信蕃さんは本能寺の変後に起きた北条VS徳川の争いで東信濃ゲリラ戦を展開し、
北条の補給線を寸断。徳川圧倒的有利で講和が成立→信蕃さん佐久に入るのですが、
北条方だった当時の城主大井行吉は従わず、岩尾城に立てこもります。
すぐ落とすつもりの信蕃さんでしたが予想外の抵抗を受け、討死してしまうのね・・

狭すぎだった瞬間


畑仕事の軽トラがやってきたので、妄想中のワタクシは急いで土留めに登りました。
よけなきゃ足の先を挽かれそうな狭さだし、完全に農道だから謙虚にいかないとねw

妄想が激しい瞬間


登城口手前には三日月堀跡の標柱があるけど、畑と農道で何だかよく分かりません。
武田配下の時代があるので三日月堀と、奥の畑の辺りには馬出しもあったんでしょう。

でもそんなことよりも。ワタクシ的には信蕃さんが撃たれた場所じゃないかと
思われる辺りから城方向を眺め、うろついていることの方が重大な事柄ですw

鼻息荒かった瞬間


今は伊豆箱根三島神社になっている岩尾城跡。鳥居をくぐるとまずは三の丸。
銃弾に倒れた信蕃さんの代わりに、進めるとこまでズカズカ侵入してやりますw

おったまげた瞬間


入口わかりづらい&農道&駐車場ない・・だけど県指定史跡だなんて!!
大井氏が約100年、5代にわたり居城した城跡で貴重だ的なことが書いてあります。

眉間にしわがよった瞬間


案内版は何だか充実。縄張り図を見ながら説明を読み進めた最後で・・・ちっ!

天正11年(1583)2月、依田信蕃と徳川軍監柴田康忠は岩尾城攻略にかかります。
軍艦柴田は堅城であることから長期戦で兵を温存することを主張をしますが、
信蕃は短期決戦を決め、総攻撃をかけます。しかし城の守りは予想外に固く、
死傷者は増える一方、兵を引き上げざろう得ない状況に追い込まれてしまいます。

城を落とせないことについて軍艦柴田の詰問を受けた信蕃は攻城3日目、
弟の信幸とともに自ら先頭に立って攻め込んだところ敵の銃弾に斃れました。
弟の信幸は即死、重傷を負った信蕃も翌日、息を引き取りました。享年36歳。

岩尾城主大井行由はその後、徳川軍艦柴田の説得を受けて開城。
徳川に恨みはないけど依田に従うのがイヤだった的なこと言ったらしいよ。

妄想が激しい瞬間


焦った信蕃さんは三日月堀からこの辺にまで攻め込んでいたかもしれないね〜
と隣りあう丸馬出し跡と思われる畑を見ながらフラフラと三の丸跡を歩きます。

長篠の合戦後、武田の将として半年も二俣城を守り、業を煮やした家康に
全員助命するから明け渡せと言わしめ、クールに高天神城に退去した信蕃さん。
武田滅亡の前には田中城を守って再び家康と戦い、再三の説得を受けながらも
勝頼の安否が分かるまでは、と開城や召し抱えに一切応じなかった信蕃さん。
本能寺の変後は家康に従い、旧武田家臣の取り込みや対北条戦で大活躍!!

信蕃さん、このあたりで調子に乗りすぎちゃったんだろうかね・・
武勇も知略も忠義もそれなりの品も備えたスマート風武将だったはずなのに、
家康に評価され出世して行く中で、驕りが出過ぎちゃったのかもしれない。
人の意見を聞かず強硬総攻撃をして、これからって時に散ってしまった・・

実は軍艦柴田が総攻撃を鬼プッシュして結果死んだ信蕃さんのせいに・・いや、ないかww

でもワタクシは信蕃さん好きだ。武田家臣の時が特に爽やかでいい。
最期のタイミングや無茶が原因みたいな死に様は残念な感じにも取れちゃうけど
堂々たる武人だったから、旧武田家臣の取り込みも相当集まったんだと思うよ。

県指定史跡の風格?だった瞬間


三の丸跡から石段を上ると今は三島神社境内になっている二の丸跡に到着。
失礼ながらボロいのを想像してたので、思ったより立派な社殿でびっくりですw

謎だった瞬間


社殿の背後の一番高いとこから先が本丸。軽く二段になってるのも遺構なのかは不明。
でも三の丸、二の丸、そして最高所の本丸へと高くなっていく感じはよく分かります。

怪しすぎた瞬間


本丸にあがったところ。石積みもチラホラ見えるけど当時のものじゃなさそうな。
小さい祠やら石塔やらがあちこちに立っているんだけど、何なのかしらね。

保身を優先した瞬間


石積みの向こうはヤブだらけの本丸奥。ちょっと足を踏み入れてはみたけど
9月なのにしぶとい飛ぶ虫とツル草のため撤退。搦め手側は見れなかったわ。

後悔先に立たずだった瞬間


次の目的地に向かう途中、岩尾城遠望を見ておきました。本当は千曲川ごと見られる
場所を探したかったんだけどトロトロ走れる道じゃなく・・調べとけばよかった。

大井さんはどうでもよかった瞬間


岩尾城の近くには大井氏の菩提寺、桃源院があります。大井一族の墓があるらしく
ちょっと探してみたんだけど墓域のどれか結局分からず、別にまぁいいかとw 
それよりもワタクシ的には依田信蕃が本陣を置いた寺だという方が感慨あります。

思い込みが激しかった瞬間


こちらはその桃源院の門前。こちらのお寺は「トイレの神様」なども祀っています。

ワタクシは何がどうだろうと信蕃さんびいきなので大井行吉・・チッ!て感じだけど、
もし岩尾城を攻略していたとしても、驕り満々なら信蕃さんますます調子乗って、
どの道きっといい後生にはならなかったろうと・・輝きはやっぱ武田時代だったろうね。

ワタクシは「何か」に惹かれてしまったら、イマイチな所も含めて愛せますww
武将はつきあったり、嫁になるわけじゃないし・・だからそれでも信蕃さん好きです!

信蕃さんの独善的な決断による討死は残念だけど、それもまた武将の生き様。
ようやく討死の地を訪れることが出来て、ワタクシ的にとりあえず大満足。
あとはお墓参りをすれば信蕃メモリアルツアーはいったん終了出来るでしょう。


依田信蕃さんのお墓参りをする前に、通り道にある伴野城跡に立ち寄ります。


伴野城跡に登城!〜に続く




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2014.12.13 Saturday 21:02 | comments(4) | trackbacks(0) | 中部(長野県) | 

小諸城に登城!

2014年秋の陣は小諸・佐久攻略!・・それを今頃エントリーΣ(゚Д゚)!
依田信蕃さん所縁の地めぐりとお墓参りがメインの「信蕃ざんまい」よw

一番乗りだった瞬間


まずは2度目の小諸城から。
依田信蕃さんが城代だったこともある城なので来てみたのw

今日も日暮れまでにあちこち駆け回るつもりなので、
重要文化財の三の門を眺めながら開園時間を待っています。

元和元年(1615)に建てられた三の門は寛保2年(1742)の千曲川の洪水で流され、
今ここに現存しているのは明和2年(1765)に再建されたものなんだとか。

廃藩置県後、本丸跡に懐古神社が祀られ「懐古園」と呼ばれるようになります。
三の門にある「懐古園」の大扁額は徳川宗家16代当主・徳川家達の揮毫です。

鼻息が荒かった瞬間


開園の8時半になったのでさっさと入園券(500円)を買い、人が来ないうち突撃!
上にある看板「野面積み」には垂涎ですが、ゴンベ(仙石秀久)にはあんま萌えないw

年季が足りなかった瞬間


入園するとすぐ分岐。左に行くと動物園に行っちゃうので石垣に沿って右に進みます。
見えてるのは二の丸石垣だけど昭和に復元されたものなので、横目に見ながら先へ行くw

さわやか挨拶の瞬間


二の門跡。右は二の丸。正面は南丸の石垣。当時は立派な櫓門が建っていたそうです。
しばらくキョロキョロ眺めていると、掃除係員の人がパラパラ通り過ぎていきました。
人がいない代わりに、掃除の人をよけつつ写真撮るのが朝イチ登城のお約束ですw

武田に萌える瞬間


こちらが二の丸の入口。入園券売り場の看板には仙石秀久の名前があったけど、
小諸城は武田信玄が山本勘助馬場信春に命じて築いたお城で縄張りもその頃のもの。
信玄が城を築く前は、この二の丸に前身となる館だか砦だかがあったそうですよ。

真田に萌える瞬間


こちらが二の丸。碑に書かれた白鶴城とは、信玄が築城する前にあった城のようです。
関ヶ原の戦いでは中山道を進む徳川秀忠がここに陣を置き、上田城攻略にかかりました。

小諸城主、仙石秀久は秀吉の家臣で、洲本淡路5万石の大名から順調に出世しますが、
九州攻めの大失態により秀吉の逆鱗に触れ、所領没収の上、高野山に追放されました。
しかし小田原征伐の際、浪人を集めて家康の後押しを受けて陣借り参戦。功をあげて
信州小諸5万石の大名に復活し、関ヶ原では秀忠の上田城攻めに加わりました。

ガセっぽかった瞬間


二の丸から先へ進むと南丸入口。苔むした野面が素敵すぎる!デカい石は「鶯石」。
城主の通行や何か祝い事がある度にウグイスの鳴き声をたてた・・意味わからんw

乗り込む瞬間


二の丸と本丸の間にある空堀には黒門橋が架かっています。有事の際は取り外せる
ようになっていたことから、そろばん橋と呼ばれていたも伝わっているのだとか。
本丸側には黒門(一の門)もありました。渡って左に行くと本丸跡です。

抜かりなかった瞬間


城下町より低地に築かれているため穴城ともよばれる小諸城。周囲の方が高いなんて
弱っちい感じだけど、そこは武田の築城エキスパートたちの縄張りだから抜かりなしw
橋の下は規模の大きな空堀がドーン! 穴城だからってまぁ簡単に攻め込めません。

鼻の孔広げ過ぎだった瞬間


黒門橋を渡って右に進み、本丸石垣を見ながら今回は先に天守台下に行きます。
苔むし野面石垣からはフィトンチッドすら出てそうでうっとりしながら深呼吸。

あまりに開店前すぎた瞬間


荒神井戸は寛保2年(1742)に起きた大洪水後に荒神曲輪に掘られた城内唯一の井戸。
しかしワタクシはそんなことより「信州こもろそば」の方に吸い寄せられています。

どっしりだった瞬間


荒神曲輪からの天守台ドーン! 野面積みの天守台はなかなかダイナミック。
小諸城主となった仙石秀久が三重天守を築くものの、寛永3年(1626)落雷により焼失。
その後、幕府の許しが出なかったため天守が再建されることはなかったそうです。

ガン見の瞬間


天守台は本丸北西に張り出す感じになってます。高さは6〜7メートルくらいかな。
すき間が多くて崩れそうに見えるけど、石ががっしりはまってて重厚感たっぷり。

威圧感出てた瞬間


懐古神社がある本丸に入ります。石垣の上にあるんじゃなくぐるっと囲まれてるので
要塞ぽい雰囲気があります。神社は後にして、まずは天守台の上に行ってみることに。

プレッシャーだった瞬間


天守台に登る石段の片隅にはご丁寧な注意書きがありました。余計心配になるわぁ。
ワタクシ心臓は毛が生えてるタイプですが高い所は苦手。注意して行きますw

すでにガクブるだった瞬間


石垣の上にある通路が激細なんですけど! 人とか来てもワタクシ端に寄れないわ。
足を踏み外したら死ぬってプレッシャーを勝手に感じてビビるのが高所恐怖症の性。

無事に到着の瞬間


天守にイン!三重天守なのでそんなに広くなく、跡みたいのも見つけられなかった。

ビビりすぎな瞬間


どこに行っても怖いと言いながら決死の覚悟で一応、下をのぞいているワタクシですが、
端っこに寄れる限界がコレ・・遠っ! 駅のホームですら白線の相当奥に立つワタクシですw

もりだくさんだった瞬間


最後に本丸に立つ懐古神社に寄ります。廃藩置県後、荒れはてた城跡を懐古園にする時に、
元々、城の鎮守神として本丸に祀られていた天満宮と火神(荒神)の二社と小諸藩主だった
牧野氏歴代の霊を合祀して明治13年(1880)に創建された神社なんだそうです。

天神様にロックオンの瞬間


仙石秀久が大改修して城下を整備した小諸城ですが、秀久の子忠政の時に上田に移封になり、
その後めまぐるしく藩主が変わって、元禄15年(1702)越後与板から牧野康重が1万5千石で入封。
10代続いて明治維新を迎えました。本殿には菅原道真さんも祀られてるのでお参りしときますw

勘助はすごかった瞬間


本殿の横には山本勘助が小諸城築城の時に研磨したと伝えられる鏡石があります。
勘助は朝夕この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられているんだとか。

少し薄汚れてピカピカって感じじゃないけど、綺麗にしたら確かに顔は映りそうね。
しかし自分の顔を見て反省って・・小じわのチェックするワタクシとは大違いだわw

見ないふりだった瞬間


最後に水の手展望台と富士見展望台に行きます。富士見の方は写真がいいのなかったので、
水の手展望台だけご紹介。ちなみに橋の右側は深い崖。穴城てこと忘れそうになります。

驚愕の瞬間


水の手展望台からは千曲川が見えます・・てかどんだけ高いとこにいるんだワタクシ!
穴城って言っても背後はぐるっと大規模な崖だらけ!やっぱり武田の築城は恐るべし。

搦め手の展望台側から三の丸の方へ戻っていくと攻め口は基本一方向と改めて実感。
二の丸と三の丸の間に大規模空堀とそろばん橋がドーンと構えているのも当然なんだ。

威風堂々だった瞬間


線路をくぐって大手門を見に来たよ。仙石秀久が築城した頃に建てられた門で維新後、
売却され料亭や小諸義塾の教室に使われていたものが平成3年に小諸市に寄贈され、
平成20年に保存修理して復元したんだそうです。豪壮で重厚感ある堂々たる構え。

通行自由は太っ腹だった瞬間


くぐって反対側から。石垣とは板が嵌まってるだけで完全に連結しない造りなのね。
平成5年に懐古園の三の門と一緒に国の重要文化財に指定されています。

場所が分かりづらかった瞬間


小諸城登城前、時間がもったいないので少し離れたとこにある
光岳寺で移築された足柄門を見たので前後するけどご紹介。

足柄門も大手門同様、維新後に民間に払い下げられ、その後光岳寺に移築されたのだとか。
どこに建ってたのか分かりませんが、ちょっと品が感じられる高麗門です。

来てびっくりの瞬間


光岳寺は浄土宗のお寺。楼門もけっこう年季が入っていてとても立派です。
経緯は分からないけど徳川家康の生母、於大の方が祀られているんだそうですよ。

古刹だった瞬間


彫物や壁面は元禄期のものなのだとか。屋根には徳川葵、松平星梅鉢、牧野三つ柏の紋が。
足柄門だけ見るつもりで来たけど、駆け足ながら思いがけずあちこち見てしまったわw


小諸城はこれにて攻略完了! 今回は詰め込みすぎていつも以上に長くなったわ。


次は依田信蕃さん討死の地に向かうのですが、ちょうど通り道に信蕃さんに仕えた
大井氏の菩提寺があるのでなんとなく立ち寄りますw 耳取城跡も見つかればついでに。


玄江院にて大井氏のお墓参り〜に続く




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2014.12.03 Wednesday 21:33 | comments(2) | trackbacks(0) | 中部(長野県) | 

高遠城に登城!

[日本百名城] ブログ村キーワード

建福寺で由布姫の墓参りをした後は、すぐ近くにある高遠城に到着!!

とんだ誤算だった瞬間


・・のはずが、高遠城はなんと、紅葉祭りの真っ最中!! 正面にあるっぽい駐車場には入れず、
まさかの「絵島囲屋敷跡」スタート。いやはや・・城跡とはいえ城址公園は甘く見ちゃいかんね。
100名城スタンプは帰りにもらうとして、だいぶ日も落ちてきたからまずは公園を目指します。

萎え感さらに倍だった瞬間


正直ワタクシ、高遠城ってどうもあんまり興味がなくて、今回も岩村城苗木城の帰り道なので、
ここで行かなきゃ次はマジないわ〜と思っての登城。だから前日に縄張ちょと確認しただけΣ(゚Д゚)!
本丸からのルートしかシミュレートしてないので、人気のない裏通りを手さぐりで歩いていきます。
すると最初に目に飛び込んできたのがこの風景・・・高遠美術館の敷地らしいけどヤバすぎるわw

いきなりのほぼ枯れ木だった瞬間


すっごい遠回りした気がするけど、南口ゲートというところから城址公園の中に入れました。
法憧院郭(ほうとういんくるわ)というところになるようです。紅葉具合はイマイチだけど、
それでも紅葉祭りの真っ最中。多くの人があちこち木々を見上げながら散策しています。

優雅な調べすぎた瞬間


おまけに公園内はBGMなんかも流れてて「亡き王女のパヴァーヌ」とか聞こえてくるの。
そういう雰囲気の中、ワタクシは一応「登城」で来てるので一人、案内版を読んでおります。
が、そうなんだふーん・・・てな具合でとりわけ妄想もわかず、落ち着かない気分ですw

視線を感じた瞬間


法憧院郭と二の丸・南郭の間にある空堀・・広大な空堀を見て少し食いつきます。
あの人何やってんのかしら?的な視線を度々感じましたw 振り向くと目が合う・・

江戸色が濃かった瞬間


空堀にかかる白兎橋を渡ると南郭。「名君保科正之が幼少期に母お静の方と居住した」
場所なんだそうです。高遠城っていうとワタクシは江戸時代より戦国時代が好きなので、
思い出すのは武田エピソードなんだけど、伊那市としてはとにかく保科押しらしいのね。

温度差があった瞬間


南郭から土橋を渡ると本丸。この土橋は中村元恒という人の記念碑を建てるために作ったもの。
おまけに靖国招魂碑ってのを建てるために地を削って平地に整備しちゃったりもしてるそうな。

高遠城は武田信玄が天文14年(1545)高遠頼継を攻略した後、秋山信友らに大改修させ、
南信濃や駿河・三河方面へ進出する重要な軍事拠点として機能した城でした。

岡崎城に家康の人生が詰まってるように、高遠城にも武田の歴史がてんこもり。

信玄の父 武田信虎が亡くなったのも、勝頼の嫡男 秀勝が生まれたのも高遠城。
信玄の弟武田信廉(逍遙軒)や勝頼、勝頼の弟 仁科盛信が城主をつとめた高遠城。
仁科盛信が武田軍最後の戦として織田軍を迎え撃った末、散っていったのも高遠城。

高遠落城を聞いた勝頼は逃亡を決意。そして死の旅路が始まり武田氏は滅亡しました。

ワタクシにとっては武田のイメージが強いけど、江戸時代には名君保科正之様の保科氏の他、
鳥居氏、内藤氏が入封して明治維新を迎えてるので遺構も武田時代の影は薄いです・・・

そんなに興味なかった瞬間


土橋を超えたところの本丸がこちら。そこそこの広さがありますね。
高遠城は天守はなく、藩庁と城主居館を兼ねた御殿や櫓などがあったそうです。

案内板につられた瞬間


本丸に向かって右手には問屋門があるので、先にそっちに行ってみましょう。
写真手前が本丸、門をくぐって橋を渡った向こう側が二の丸になります。

関係なかった瞬間


問屋門は高遠城下の問屋役所にあったもので、昭和20年問屋役所の取り壊しの時に
売却されていたものを有志が買い取って、募金を集めてここに移築したものなんだそうです。
問屋役所ってのは公用の荷物の取次とか、人馬の手配や宿泊の管理をする役人がいたとこ。

一番人気だった瞬間


問屋門に続くのは桜雲橋(おううんきょう)。桜の時期は大人気の撮影場所で有名です。
この橋も城跡ってことじゃないけど、高遠一番のシンボルスポットになってますね。

幻想的ではなく現実的すぎた瞬間


花見の時期は橋の回りも下も桜だらけで、橋が花の中に浮かんでるみたいなんですけど、
晩秋の紅葉祭りだというのに、ワタクシが見た風景は非常に微妙なものでした(ノД`;)

ダイナミックだった瞬間


桜雲橋のかかる本丸の空堀は広大です。草木が邪魔だけど良く残ってるんじゃないかと思いつつ、
この後ろ(二の丸)には、これまた高遠城のシンボル的な「高遠閣」という建物もあるんだけど、
もはや昭和初期の建物に興味もなく、紅葉祭りの屋台が並んで人も多いので本丸に戻ります。

仁科押し発見の瞬間


本丸の北側にある新城(盛信)神社・藤原神社。文政11(1828)年、城主内藤頼寧は
織田の大軍を引き受け壮烈な最期を遂げた仁科五郎盛信の霊を城内に祀り「新城神」として
崇拝していました・・と案内版に書いてあります。ワタクシその気持ち少し分かりますw

めんどくさかった瞬間


それより先に城内には内藤頼以が藤原氏の先祖大織冠藤原鎌足公を勧請した「藤原社」があり、
廃藩後の明治12(1879)年この神社を「新城神」と合祀して今日に至っているのだとか。
なので左には「藤原神社」右には「新城神社」と書かれています。

しかし今は駐車場だった瞬間


神社の前から見える勘助曲輪。信玄の命で山本勘助が縄張りしたと伝えられてるそうです。
築城時はこの郭はなかったという説もあるらしいけど、今、城址公園として残っているのは
そもそも江戸期に大改修された高遠城の跡だから、曲輪の名前ぐらい夢があった方がいいよ!

そんなに食いついてなかった瞬間


で最後に本丸の太鼓櫓。江戸時代には櫓は搦手門の横にあって、時刻が来ると番人が
時の数だけ太鼓をたたいて知らせたそうです。廃城の時、有志の手で対岸に新設されたものが、
明治10年に今の場所に移されて、昭和18年まで時の鐘ならぬ時の太鼓を叩いていたそうですよ。

主張が激しかった瞬間


イマイチ食いつけず高遠登城はあっさり終了〜車を停めた絵島囲屋敷前に戻り、その隣にある
高遠町歴史博物館で100名城スタンプをゲット!と、バサバサ翻るのぼり旗が目に入ってきました。
保科正之公の大河ドラマをつくろう・・ほうら高遠町も伊那市もゴリゴリ「保科押し」なんですw

微妙な気がした瞬間


たくさんののぼり旗の向こうには真新しい保科正之さんと母お静さんの銅像withお地蔵さんが。
保科さんと言ったら夫人じゃなくて生母セットが定番。お静さんは徳川秀忠の乳母の侍女だった人。

秀忠はこの侍女のお静に手を出して身ごもらせてしまうのですが、キツい正室のお江与にばれぬよう
見性院(信玄の次女)にお静を預けます。お静の生んだ子は見性院の縁で旧武田家臣の高遠藩主
保科正光の子として育てられ、正之が秀忠と初対面したのはお江与がなくなった後だったとか。
正之は3代将軍家光からの信頼が厚く、家光の死後は4代将軍家綱を補佐して善政を敷きました。

〜というのがワタクシが知ってる保科さん。大名の殉死を禁止したとかもありましたっけね。
苦労してそうだからドラマはあるだろうけど、華があって盛り上がるエピソードが少なそうな・・・

心は五郎山だった瞬間


明智光秀・長宗我部元親・本多忠勝・・・他にもメジャーなライバルの居並ぶ中、
保科さんは大河の主役を射止めることができるのでしょうか・・・ガンバレ正之さんw


さて・・・保科さんも一応応援したところで、高遠と言ったら仁科押しのワタクシは
五郎山にあるという仁科盛信さんの銅像と祠探しの旅(?)に向かうことにしますw

ふふふ〜ん♪ ナビで検索・・・・・・エッΣ(゚Д゚)! 五郎山・・出ない。ドコ? 


五郎山にて仁科盛信のお墓参りに続く


2014.01.08 Wednesday 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(長野県) | 

諏訪高島城に再登城!

GW後半の登城記録とか言っておきながら・・
桜が咲いているという情報を得たので高島城にも寄ったのだった。

城には桜だった瞬間


年季の入った松本城クラスのお城じゃなくても城に桜は素敵です。

長野はでかかった瞬間


縦長の大きな県、長野。同じ長野でも諏訪の方が寒いようです。
松本城は散りかけでしたが、諏訪はまだ十分楽しめるくらい咲いてます。

ライトアップが見たかった瞬間


桜のライトアップはただの公園でも幻想的。お城とセットならなおのこと。
今年の始め、「今年は夜行性登城もしてライトアップの素敵なお城に行きたいな〜」
などと思っていたら、震災で自粛になり、自分も節電しつつ目標却下。
城と桜のライトアップ写真集を眺めて思いを馳せていたので昼間の風景でも嬉しいw

単なる観光さんだった瞬間


松本城後、昼頃の登城だったため暖かいこの日は
市民憩いの場になっていました。城というより「桜」と城が目的だし、
2度目の登城だしで、多少人が入ってもあんまりこだわりなしw

中には目もくれなかった瞬間


2度もわざわざ入城するほどのものじゃないけど・・と思いつつ
桜な風景を上から見るために200円払って天守に登りました。

写真にするといまいち・・実際はもう少し桜桜してたんだけどな。
でもここも透明感のある信州独特の雰囲気が感じられたからいいかw


いや〜これで心おきなくGW後半、山形新潟の旅が記録できますΣ(゚Д゚)!


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2011.06.20 Monday 21:59 | - | - | 中部(長野県) | 

松本城に登城! その3 お城マグネットと太鼓門

GW初めの登城がまだ続く・・更新遅すぎ反省中(´Д`)

美しかった瞬間


1871年(明治4)に取り壊されて、平成11年に復元された太鼓門。
一の門と二の門、その間に枡形があり、門台北石垣の上に
太鼓と半鐘が置かれた櫓があったことから太鼓門と呼ばれたそうだ。
外堀に面した二の門は高麗門。一の門の巨石を見に入って見ます。

物騒な曰くがあった瞬間


二の丸側にある一の門や櫓門。総間口10m本瓦葺の堂々とした構え。
左にある巨石は玄蕃石と呼ばれるもの。高さ4m、周囲7m、重さ22.5tΣ(゚Д゚)!
築城工事の際、石川康長(玄蕃頭)があまりの大きさに不平を訴えた人夫の首をはね、
はねた首を槍先に刺して叱咤激励したことからこの名前がついたのだそうだ。

重機のない時代・・城は駆り出された人夫の血と汗と涙の結晶でもあるのね。

しげしげと眺めた瞬間


この太鼓門も最初に入った黒門も、そして復元されていない大手門も
城内へは枡形を通らないと入れない仕組み。大手門は無理だろうけど、
2つ復元されているから当時の雰囲気がより感じられてよいです。

宮大工さんの存在に感謝の瞬間


一の門を内側から見たところ。櫓門はどこのを見ても重厚感たっぷり。
たとえ復元でもそこらの建築じゃ見られない柱や構造もお城ならでは。
いつも思うのは復元にしろ修復にしろ、すごい技術を持った宮大工さんへの
ひそかな感謝。修復工事遭遇率の高いあも。工事中を恨めしくは思うけど、
現場で若い宮大工さんを見ると「あんた、つらくても頑張んなよ!」と思うw

特別公開中だった瞬間


ラッキー♪と思いつつ、復元なのにそんなケチった感じなの?とも思ふ。

感心するばかりだった瞬間


うっかり入り口の写真を撮り忘れ、中に入ってしまいました(´Д`)

手斧の跡が美しい梁。現在、手斧の技術がある大工さんはほとんどおらず、
復元に際し、技術を持った大工さんを集め文化庁が指導をしたのだという。

手斧の跡がやけに揃っているのはお役所が指導したせいなのかしら?
そんな細かいことはどうでもいいけど芸の細かさにちょっと感動。
文化庁にもっと予算をつけてやれ!と思ったのはあもだけじゃないはずw

柱の上に梁が乗り、その上に軒桁を渡す取り置き組という工法も珍しいのだとか。

コンピュータで寸法や負荷を計算したり、設計図やパースも作れない時代。
日本建築って本当にすごい。大工さんの技と知恵ってすごいと感心するばかり。

ちょっぴり妄想の瞬間


駿府城なんかと違って高い建物が近くにないから
ちらっと見える建物を脳内消去すれば勝手に昔気分w
あもは浄化力の強そうな信濃の雰囲気や硬質で透明な感じがする
独特の空気感みたいなものも好き。堀端の風景も格別に思います。

ついに買えた瞬間


お城ファン必携と言われる(?)「お城のしおり」をついに購入しました!
「お城のしおり」は全国城郭管理者協議会が発行しているガイドブックで
どこの城でも買えるわけじゃないから欲しいと思いつつ買えなかったの。
お値段200円。なんてリーズナブル! スタンプ押す用のガイドブックじゃないし、
掲載48城も「え、なんでこの城?」な感じのもあるけどいいのだ。

コレクション追加の嬉しい瞬間


あもは登城にあたり、スタンプの他にお城マグネットを集めています。
城内に土産物屋がある級の観光名所な城にしかないので集まりは悪いけど、
見つけたら必ず買って冷蔵庫に貼っています。内職の人が塗る2Dタイプと、
型抜きタイプ、そして動かすと画面が変わるタイプがあるようです。

ちなみに内職の人が塗る2Dタイプですが、今回買ってきた松本城のもそうだし、
ここには映っていない姫路城のもそうなんだけど、内職の人の腕前とセンスにより
非常に当たり外れがあるので、土産物屋の人に嫌な顔をされるくらい
数多くを引っ張り出して、細かなディティールの塗り残しやはみ出し具合は
厳重にチェックして買うのがコツです・・・・ってどうでもいい情報でしたw

つうかあも、この内職を趣味でやりたいくらいなんですがw

やっとGW初日の登城記録が終わりました。
この勢いでGW後半の登城も更新したいと思います(´Д`)


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2011.06.18 Saturday 16:20 | - | - | 中部(長野県) | 

松本城に登城! その2 初めてじっくり見れた!編

4度の登城で中に入るのは3度目。小学生の頃は来たという記憶だけ。
妹夫婦を連れてきた時はアメリカ人の義弟のため1時間並んで人ごみの中ただ通過。
3度目の2008年の登城は1時間半以上待ちの行列に萎えてすぐ退散。
そして4度目の正直・・今回はがらがら状態で初めてゆっくり見れそうですw

あせらなくてよさそうだった瞬間


本丸御殿跡方面を見て確認。まだまだ人はほとんどいません。
これなら大天守の狭くて急な階段での大渋滞も絶対ないはず!

近くで見るとかなり大きかった瞬間


天守に展示された懸魚の芯材。辰巳附櫓に取り付けられていたもの。
懸魚は入母屋や切妻破風の下についている飾りで、棟木の先端を隠す目的と
火除けのお守りの意味がある。芯材に直接漆喰を塗るのではなく、
麻から取った下げ苧を止めて剥がれ落ちないような工夫をしてあるそうだ。

妄想する余裕があった瞬間


連子窓の同じ高さのところばかり黒ずんでいるのは手の脂?
年季の入った連子窓。明暗のはっきりした感じに時代を感じる。
鉄砲狭間、石落し、武者走・・・何しろ人がいないから
階を上がるごとに男前パーツを含めて隅から隅までじっくり
見ながら自由に練り歩くことが出来る幸せw

備えあれば憂いなしだった瞬間


鉄砲を意識した造りになっている松本城は鎧の他、鉄砲などの展示も多い。
松本城では毎年秋に古式砲術演武の催しがあり松本城鉄砲隊が火縄銃を
ぶっぱなすデモンストレーションが行われる。これをいつか見たいと思っておりますw

秘密の部屋だった瞬間


天守三階は天守二階の屋根裏にあるため窓がなく、
明かりは南側にある千鳥破風の木連格子からわずかに入る光のみ。
外から分からないこの階は「暗闇重」と呼ばれ、普段は倉庫として、
そして有事の際は武者が集まる場所になっていた。実践なかったけどw

くつろげそうにはなかった瞬間


四階、書院造の御座所。写真撮る位置悪くて雰囲気全然違うけど、
これまでの階とは違って柱が少なく広々で窓も四方にあるので明るい。
有事の際に城主の居室になるので鉋がけされた柱や漆喰の壁もあり
手斧(ちょうな)がけの跡が残る他の階よりだいぶ丁寧な感じ。

時が止まった空間に思えた瞬間


破風入り込み間がある大天守五階に来ました。
これは格子窓のある大千鳥破風を内側から見たところ。
戦況を見るのに都合のいいことから有事の際は重臣が集まって
作戦会議などをするのに使うことになっていたのだとか。

人だらけだった瞬間


天守最上階に来たら何気に人が多くてちょっとびっくりΣ(゚Д゚)!
松本城は勾欄が無く半間の廊下を回して戸が閉まるようにした寒冷地仕様。
その窓のところに人が群がり、部屋の中ほどには上を見上げる人が固まり・・

その目線の上にあるのが梁の上に祭られた松本城を守る二十六夜神様。

1618年正月、天守番川井八郎三郎の元に二十六夜様が現れ、
「我を天守の梁の上に祭り、毎月26日に三石三斗三升三合三尺の餅をついて供え、
それを藩士全員で分かち合えば国が豊かになる」と告げた。
お告げは藩主に伝えられ明治維新に至るまで毎月続けられてきたという。

なんで城主じゃなく天守番に?とか細かいことを気にしてはいけないw

自分も群がった瞬間


あもも埋め橋が見える窓に群がって安曇平と北アルプスを望みます。
あいにく雲がかかって山が見えないけど松本城らしい風景。

男前のチャームポイントだった瞬間


上方が尖った特殊なアーチ型になった窓は花頭窓。
禅宗建築として鎌倉時代に伝わったものが城郭にも取り入れられるように。
松本城では乾小天守4階に2箇所、辰巳附櫓2階に2箇所設けられている。
実践想定の男前な面構えにひそかな遊び心の演出w
そんなに大きなものじゃないけど外から見ても存在感は抜群!

品のある表情も持っていた瞬間


書院造、船底造りの天井が風雅な月見櫓にやってきました。
北・南・東にある舞良戸を外すと3方吹き抜けになってとても開放的。
舞良戸(まいらど)は框の間に板を入れ、舞良子と称する細い桟を
小間隔に取り付けた板戸のこと。世の中が平和になった頃・・・
三代将軍家光を迎えるために増築されたので天守とは違い穏やかな表情。
ちなみに月見櫓があるのは岡山城と松本城だけなのだとか。

お月見させてほしかった瞬間


漆朱塗りの高欄つき廻縁が黒い城のアクセントになっている感じで。
櫓から見る月は美しいそうです。月が・・というよりも
この雰囲気の中で月を見るという風情そのものが美しいんだろうね。

目が行くのはやっぱこっちだった瞬間


月見櫓から振り返ると突上戸に狭間に石落とし・・防御設備満載な
勇ましい天守の姿がすぐそこに。ここからだと昭和の大修理でつけられた
捨て瓦の様子もよく見えます。月見櫓よりこっちの方にうっとりw

5度目の登城もありだと思った瞬間


内堀の外から見る斜め45度の次に好きなのが本丸から見るこの角度。
右から小乾天守、渡櫓、天守、辰巳付櫓、月見櫓・・男前すぎるw
天守部分の面構えだけ比べるなら熊本城より松本城の方があもは好きです。

遠くはないけど近いわけでもないから今回が最後かなと思ってたけど、
この姿を見て「やっぱ雪化粧した姿を見なければ!」と考えを改めましたw

この後はお目当てのお土産を買ってから太鼓門を見学します。


松本城に登城! その3 お城マグネットと太鼓門 編へ続く


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2011.05.29 Sunday 16:20 | - | - | 中部(長野県) | 

松本城に登城!その1 4度目は早朝 

人生通算4度目となる松本城登城をしてきました。

人がいなかったのは初めてだった瞬間


1度目は小学生の頃、両親と。2度目は日本の歴史大好きなアメリカ人と結婚して
アメリカに住んでいる妹が夫婦で帰国した時、連れて行き。3度目は2008年

時間にもお金にも限りはあるけどあちこち行きたい城めぐり。
埼玉から遠くないこともあり、同じ城に4度も登城したのは松本城だけ。
出来るだけ人のいない姿、雪景色、おもてなし隊を見たい・・これが希望。

スタッドレスないし、あっても雪道運転は怖いから雪景色を見るには綿密な計画がいるとして、
人がいない姿なら早朝行けば何とかなるのでは? とGW初日に思い立ってみたw

門も閉ざされていた瞬間


だって朝7時前だものw 散歩のおっさんしかいやしない。
いつ来ても観光さんだらけだから、いいのかな?的な感じすらする。
8時半の開門まであちこち回って「ほぼ貸切」な外観を楽しまなけりゃ!

本日も美しかった瞬間


埼玉から遠くないこともあるけどそれだけじゃ何度もは登城できない。
黒い男前な松本城はとりわけ好きなお城。いつ見てもうっとりしちゃう。
朝日の日差しが気になりますが写真をゆっくり撮ることが出来て尚いい!

男前すぎた瞬間


美しい人により美しく見える角度があるように城にもナイスビューな角度がある。
松本城は多くの人がそうであるようにあもも外から見るのはこの角度が一番好き。
ちなみに唯一好きな俳優さんジュードロウは斜め横顔が一番好きΣ(゚Д゚)!
天守の窓から顔出している観光さんとかが一切いない大満足な鑑賞ですw

光量は全く足りなかった瞬間


人がいなすぎて好きなタイミング・位置で写真撮れるので調子に乗りましたw

どうしたら人の写っていない写真が撮れるのですか? と時々聞かれます。
答えは簡単・・人がいなくなるまでひたすら待つだけΣ(゚Д゚)!
姫路城とか松本城クラスのお城では早朝登城でもしない限りまず無理だけど、
ちょっとしたお城ならシャッター切る準備をして狙いをつけてひたすら待ってれば、
人の切れ間に案外、無人の写真が撮れます。バッテリー残量を気にせず、
シャッター押せる状態にして待つのがポイントですw 人がいなくなってから構えては
次の人が来てしまいます。時々、あものフレーム内で地図とか広げちゃう人がいますが、
「早くどいてくれよ〜次の人来ちゃうよ〜」と祈りつつ、ひたすら待つw

・・てそんな話どうでもいいか。

ちなみに朝の日差しがどうの・・と言ってはいけない。
カメラの腕前とカメラの性能には限界があるのですからw

写真の方がよかった瞬間


開門まで時間があるので旧開智学校へ行ってみました。
正直、実際より写真に撮った方が「らしく」見える建物です。
最古の擬洋風学校建築で明治から昭和にかけての教育資料が展示されているそう。
こちらも開館前だったし、モダーンに興味はないので城方面に戻ります。

特別そうじゃなかった瞬間


松本城の堀の北側に鎮座する松本神社。郷土発展の神、縁結びの神として信仰され、
松本城とは特別な由緒関係にある神社なんだとか。大きな神社かと思ったら
こじんまりとしすぎていて、何とか残っている感がちょっぴり切ない感じです。

桜は終わりだった瞬間


松本神社から6時半には解放される二の丸御殿跡へ向かいます。
堀端の桜は残念ながら終わりかけのようです。
おさんぽするおじいちゃんおばあちゃんの姿が多く見られました。

広かったことだけは分かった瞬間


堀端から冠木門を通り抜けると無料で入れる二の丸御殿跡。
本丸御殿が焼失したのち居館となった二の丸御殿は昭和9年に焼失。
発掘調査の後に埋め戻され今はこんな風に表現されてます。

当時の人が見た風景に思いを馳せた瞬間


御殿から眺める男前な天守。御殿の建物があった当時も
堂々たる本丸の天守はよく見えたことでしょうね。

来てみて知ったラッキーの瞬間


二の丸太鼓門櫓が公開中らしい・・が時間がまだ早い!!
GW期間限定公開みたいだから後で必ず来なくちゃね。
太鼓門は開いていて外に出がてら枡形を見ることはできるけど
後で来るからじっくり見るのは楽しみに取っておこう。
人が多くなるかもしれないけど・・なんとかなるさw

そして開門いざ登城の瞬間


なんだかんだ1時間半近く城の外で過ごしてしまいました。
5分前に門に並び・・6組目くらいでお待ちかねの入城!
入城タイムなのに奇跡的に人の映らなかったナイスショットですw

アドバンテージを生かしきれなかった瞬間


門をじっくり眺めたり、のんびりスタンプ押したりしてたら出遅れたΣ(゚Д゚)!
うっかりしてると行列1時間以上の羽目になるからさっさと中に入らなきゃ・・・
これまでの登城3回中、2回は天守に入っているのにまだガツガツしちゃう感じでw

まだまだ人が少ないので今日はじっくり天守内が見られそうです。
今日はおもてなし隊も絶対に見ちゃうぞw


松本城に登城! その2 初めてじっくり見れた!編に続く


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2011.05.10 Tuesday 21:18 | - | - | 中部(長野県) | 

海津(松代)城に登城アゲイン!

最後に日本100名城26番松代城に登城!
今年の5月に登城したけど、せっかくだからまた来ちゃったΣ(゚Д゚)!

今回は断固、海津城だった瞬間


川中島をたどる壮大な旅?のしめくくりですものw
近くに来たらまた寄ってみたいと思う城だったこともあり・・
しかし今回は前回とは反対に北不明門側から登城することに。

季節が変わり、空の色も変わると雰囲気が変わり、また違って見えるわね!

歴史ロマン全開だった瞬間


八幡原の戦いと言われる第4次川中島合戦時には高坂昌信が守り、
信玄が入城した武田家の北信濃における最重要拠点だった海津城。

普段は登城したお城単品の攻防やエピソードを切り取った妄想が多いけど、
ひとつの合戦の背景も入れた広い視野から勉強して触れてみるのも
また違った面白さがあるのだと改めて知り、歴史ロマーンにますます熱w

でかい櫓を妄想した瞬間


復元されているのは真田10万石時代のお城。海津じゃなく松代城ね・・。
江戸時代には天守を作ることが禁止されたから松代城にも当然なく、
この櫓台跡には天守に相当した戌亥櫓があったのだという。
天守相当と言われる櫓ってどこのお城のもそこそこ立派なのものが多い。
櫓台の規模から考えて見栄えのする立派な櫓を妄想してみたり。

妻女山見切れていた瞬間


戌亥櫓跡から土塁の方角に見える稜線の右方に妻女山が見える。

今は松代城だけど気分は川中島当時の海津城のつもりで
謙信が布陣した妻女山方面を撮ってはみたものの、
帰ってきて写真をよく確認したらギリ写ってなかったΣ(゚Д゚)!

写真右側・・ちょうど妻女山になる手前で切れちゃってるのよ。。

復元はやっぱり見事だった瞬間


北不明門の枡形虎口。昔は千曲川にもっと近かったそうな。

親しまれた城主がいた地元の人に愛されてるお城って
復元整備されても無料が多くて、そこにすごくプライドを感じる。
あもの地元には砦に毛が生えた程度のしょっぱい城跡は少しあるけど、
「おらが殿様」なんかいないから、羨ましくもあり感動的でもある。

最後の最後までよく歩いた瞬間


今日は足がダルダルなはずだけど、なんでこんなに歩こうと思えるの?
北不明門から登城して、東不明門からいったん本丸を出ます。
堀にかかる橋を渡って二の丸に出て、石場門も見に行ってみる。

気持ちまですっきりする瞬間


広い二の丸。案内板には長屋のような建物が並んで描かれていました。
立派できれいな土塁にうっとり。そして軽快なステップw

復元はここまでだった瞬間


案内板を見ると当時、二の丸の外側は外堀があって、
石場門の前が丸馬出しになっていたという。
門はきれいに復元整備されているけど後ろは普通の空き地風。
この日は消防車が来ていて何か点検していましたΣ(゚Д゚)!

観光さん待ち無用だった瞬間


こんなお天気のいい土曜日だっつうのに松代城ガラガラなんで?
今回は写真撮るのに観光さん待ちしなくていいから本当にラッキー!!
撮りたい放題なので前回とは逆の角度から念入りにパチリw

癒しの空間だった瞬間


あもはもともと遠くに見える山々のある風景が好き。
名の知れた魅力的な山に囲まれた信州にあるお城って
お城を含めた風景全部が絵になるから素敵だなと思う。

今度こそ名残りを惜しんだ瞬間


二の丸南門から本丸太鼓門と前橋を見る「The 松代城」な風景。
いくらなんでも当分、もう松代城に来ることはないだろうから
雰囲気と佇まいの好きなこのお城をじっくり目に焼き付けて。。。
好きなお城って再登城しても楽しいね!(砥石城はもうこりごりよw)


朝っぱらの砥石城から始まり、歩きに歩いた川中島をたどる旅。
帰りの車で何度も足が攣り、調子に乗ったことをちょっぴり後悔w
戦ありきでお城を廻っていつもとまた違う楽しい1日でした。


ところで・・熊本城登城してきましたぁぁぁ!! 
城主として喜びの初登城の模様は近日中にアップ予定ですw



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2010.10.10 Sunday 20:31 | - | - | 中部(長野県) | 
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