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梁川城に登城!

本庄繁長のお墓参りをした後は伊達市の梁川城に登城!

ほくそえんだ瞬間


ナビにドンピシャ地点がなかったけど、近くまで来たらいい感じに案内発見!
街中の城跡は時々迷ってさまよう時があるけど、今回は楽勝♪と思いきや・・

悪魔の囁きに打ち勝つ瞬間


ちょっとーーーー!!!! 肝心なところに一切入れないってナニ!?
でも案外モラリストなワタクシ。侵入したりせず泣きながら撤退しました。

人っ子一人いなかった瞬間


持参していた周辺地図を見ながら、やむなく梁川高校の方に廻ってきました。
恐らくこの辺は三の丸ではないかと・・ってワタクシは庭園を探しています。

ついていなかった瞬間


高校から道を挟んだ向かい側はすで本丸の端っこの方にあたるんだと思う。
本丸跡には梁川小学校があったけど震災後に移転して今は発掘調査中みたい。

つくづくついていないと思った瞬間


こちらもブルーシート。中世と近代。色んなものが見つかるんでしょうか。

梁川城は13世紀に伊達氏によって創建されて以降、伊達氏の重要な城でした。
秀吉の奥州仕置で伊達氏が岩出山城に移ると蒲生氏郷が入り、氏郷の死後は
上杉氏の支配になりますが、後に梁川領は没収されて天領となり廃城となりました。

市街化で遺構も少なかった所へ、改めての発掘中で感慨薄まりすぎてるけど
政宗が初陣の時の拠点で、政宗は近くにある梁川八幡宮に戦勝祈願したそうだし、
田村氏の娘の愛姫を正室に迎える時に受け渡しされたのもココ梁川だった
とかって思えば、残念な感じながら一応は来といてよかったなとか思う次第。

せっかくだから後で梁川八幡宮に行ってティーン政宗気分になってみるつもり。

心の底からホッとする瞬間


え・・もしや庭園も見れないの?と一瞬、凶悪な顔になりかけたわww
こちらには一部復元ながら、本丸跡にあった中世庭園が残っているのです。

真夏の炎天下で風情はイマイチだったけどな瞬間


庭園の部分だけはちゃんと残ってて、発掘中でも見られるのは素晴らしい!
以前の写真を見ると、左や正面の空き地はモロ小学校の校庭だったみたい。

権勢を誇りまくる瞬間


池が「心」の字の形をしてることから「心字の池」と呼ばれています。
この庭園は伊達氏居城の時代にさかのぼるものでとても貴重なのだとか。
でも池より向こう側にある石垣の方についつい目がいっちゃうけどね。

奥州探題にもなって絶大な勢力を誇ってた時期もある伊達氏ですから
拠点として固めながらも、お金をかけて風流は外せない!って感じかw

見逃せなかった瞬間


庭園の後は、下調べで手書きしたメモを見ながら城の北側にある枡形へ。
知らなかったら絶対通らないような団地の影にひっそりと佇むデカブツ!

近寄って驚愕の瞬間


ちょっと〜デカいじゃないのーー!!枡形部分だけでもこの土木量。
改めてココで縄張図を見ると城域も広いし・・梁川城すみにおけない!!


梁川城は小学校跡地の発掘が進んで、早く改めて整備されるといいね。
あの枡形なんかも案内が道々あると行きやすいけど難しいんだろうなぁ。

しょっぱな心が折れそうになったけど結果、来てよかったな!


次は上杉時代に梁川城代を務めた須田長義と父満親のお墓参りに行きます。


興国寺にて須田満親のお墓参り<⁄u>〜に続く



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2017.05.18 Thursday 11:59 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(福島県) | 

小浜城に登城!

畠山義継の首さらし場に行ってから、車で直接の本丸攻めΣ(゚Д゚)!

何となく気づいた瞬間


ここは首さらし場に行くのに車を停めた二本松市役所岩代支所の駐車場。
山城だから麓のここらが大手門だったのね。本丸狙いでノーマークだったわw

親切すぎた瞬間


暑い中、麓から延々と登っていく体力も時間もないので車で直撃!
山道を進むけどほら、案内が出てるからナビなくても平気なのよ。

イマイチ伝わらない瞬間


本丸前に着く手前では二の丸との堀切が見られたんだけど、
草木が生い茂ってて写真だと規模が尚更分かりづらいわね・・・

よく整備されている瞬間


本丸入り口に到着!駐車場はすぐこの先に数台分のスペースがある。
2台あったから人がいるのかと思ったけど結果、誰も会わなかったな。

大事な見どころだった瞬間


本丸入り口の横に残る石垣。この部分しかないけど残ってていい!
蒲生氏郷が会津に入って支城になった頃のものらしいです。

若き政宗の拠点だった瞬間


発掘調査からの想像図付案内。これから見るのは公園になってる一曲輪。

小浜城は文明3年(1471)、大内晴継が築いたお城で、出身地の若狭小浜に
地形が似ていることから小浜城と名づけられたと言われています。

天正13年(1585)、大内定綱が伊達政宗に背いて葦名氏に組したことから
政宗の攻撃を受け落城。大内氏は会津に逃亡し、政宗が葦名攻めの拠点として、
1年ほど居城としました。葦名氏を滅ぼした後は家臣の白石宗実が入りますが、
秀吉の奥州仕置きで蒲生氏郷の支配になると、会津若松城の支城として
蒲生忠佐衛門が城代を務め、 慶長3年(1598)上杉の支配下になった後、
元和元年(1615)一国一城令で廃城となりました。

リアクションしづらかった瞬間


階段を登って本丸に入ったところ。普通に公園のようになってます。
この本丸の奥の方では政宗居城の時の御殿跡が発見されてるようです。

戸惑う瞬間


ちょっとした山の上なのにすべり台やブランコまであって本格的(*°∀°)=3
本丸だけと思って図の用意をしてないから、ワタクシ合ってる?みたいなw

大胆すぎた瞬間


と思ったら本丸内にも案内板があったので安心しながらしげしげと眺めた。
堀切見たよね〜御殿跡はアレか〜で石垣でしょ・・・遊園地!? ちょとウケるw

イメージはわく瞬間


遊園地ゾーンを抜けて進むと「戦国政宗桜」と書かれた桜の木がありました。
樹齢430年のエドヒガンザクラで、最近この名前が付けられたそうです。

アピっている瞬間


「宮森家祖大内城趾」碑は会津で酒造屋を営んでいる宮森家が建てたもの。
宮森家は葦名を頼って会津に逃げた大内定綱の子孫なんだそうですよ。

何ごともなかった風だった瞬間


小浜城には政宗手植えの松があるはずなのに標柱はあれど木は見えず。
写真とかで見るに手植えと思えぬヒョロイ松だったから枯れたのかもね・・

若い時ってやっぱ色々あるんだよねって勝手に納得する瞬間


建物なくて当時の眺めに近そうだから政宗気分で会津の方を見ておく。

政宗がこの城に入って葦名を攻めるぜ!って鼻息荒くしていたところからの
粟の巣の変人取橋の戦い・・きっと若き日のほろ苦い思い出の城なんだろうな。


政宗の父、輝宗がいた宮森城も近くだったのにワタクシ寄り忘れてスルー(*°∀°)=3
だいぶ先に進んでから気付くも後の祭り・・まぁ過ぎたことはしょうがないっす。

小浜城を後にして、次なる宮森城 丹羽家の墓参りに向かいます。
丹羽家の墓参りにウキウキして前のめったわけじゃないんだけどなぁ・・・


大隣寺にて丹羽家墓所に参拝!〜に続く

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2017.04.22 Saturday 13:25 | comments(2) | trackbacks(0) | 東北(福島県) | 

三春城に登城!

土津神社から少し走って田村郡三春町に移動してきました。
三春城や田村氏墓所の他もちょいちょい見るところがあるので忙しいよ!

三春城に行く前にまずは三春小学校へ立ち寄っておきます。

何だかかわいい佇まいだった瞬間


18世紀後半に7代藩主秋田倩季によって設けられた藩講所の表門を移築した校門。
倩季の筆による明徳堂の扁額を掲げていることから「明徳門」と呼ばれています。

とにかく体力をケチる瞬間


明徳門をくぐって夏休みで誰もいない校庭へ。ここは当時藩主の屋敷だったって。
校舎の後ろに見えてる「こんもり」が三春城跡。車でチャッと登っちゃおう!

ぐいぐい行く瞬間


三春小学校のすぐ先に登城口があって、車で駐車場のある二の門跡まで登れます。
三春城って近世に改修された部分もかなりあって縄張り図が分かりづらい!
ワタクシは山頂にある中世の遺構が見れればいいので、車で登城が正解ですw

あやうくスルーするとこだった瞬間


駐車場の脇には「愛姫 生誕の地」の碑。愛姫三春城主田村清顕の1人娘。
政略結婚で12歳で伊達政宗に嫁いで以来、57年も寄り添った才色兼備の人。
五郎八姫や2代忠宗を産んでいます。メゴちゃんは超かわいかったんだって。

速攻で萎えかけてた瞬間


さて。本丸に向けて登っていきます。光って見づらいけどつづら折りになってて。
著しく体力がないワタクシには暑い中、登りが続くのが一番きついけど頑張る・・

勝手に予想する瞬間


ハァハァしながら揚土門跡。詳しい説明がないから詳細はわからないけど
数ある門の中でも大事な所だったんだろうなと思いながら息切れしていますw

さらに登る瞬間


門があった所・・名前からして中世の頃は土を盛った門だったのかな?
暑くてきついけど、ヤブ蚊とか変な虫がいないのがホントに救い。

やたら時間がかかる瞬間


少し登って次は三之門跡。分かりづらい図を見るにもう少しで本丸のはず!!
とか言いながら、ワタクシはもう死にそうで木陰で休憩しましたけどもw

とにかくもう登らなくてよさそうだった瞬間


やっと大門跡に着いた! 本丸のように思うけど実はまだ本丸ではなくて、
縄張り図見ると本丸下段とか二の丸とか・・何かちょっとわかりづらいの。

ロックオンの瞬間


少し先に目をやるとこんもりした場所があって、案内板と城址碑が見えます。
下段に対して上段と言うのかわからないけど、とにかくあの部分が本丸です!!

ややこしかった瞬間


さっさと木陰の本丸に行かなきゃ焦げるのに、脇見したら見えたので来てみた。
下段じゃなくて二の丸跡って書いてあるね・・・まぁこの際どっちでもいいかw

木陰がありがたい瞬間


フーフー言いながら本丸前にきました。案内板と城址碑が建っています。
案内は三春城跡ですが、城址碑には「舞鶴城跡」の別名が彫られています。

無理だわコレと思った瞬間


城址碑を進んでいくと本丸虎口・・から見える奥の方は草ボーボー!!

三春城は永世元年(1504)築城と伝えられ、坂上田村麻呂の子孫と言われる
田村氏が居城として勢力を広げました。戦国期になって葦名氏や佐竹氏と争うと
1人娘を伊達政宗に嫁がせて同盟を結び、田村家の存続を図ります。
しかし秀吉の小田原攻めに政宗の命で参陣しなかった事から改易されると、
会津に入った蒲生氏や加藤氏の支配を経て、江戸時代に松下氏が入封。
三春藩となり城も改修されました。正保2年(1645)秋田俊季が入ると
以降、三春藩5万石として11代続いて幕末を迎えました。

ジャングルだった瞬間
石垣もあるけど見えない

ボーボーの中に本丸の標柱・・石垣も残ってるのにまるで見えない(*°∀°)=3
ありがたい砂利が敷かれた通路も虎口からここまで。草を踏みしめて進むよ・・

秋田色だった瞬間


本丸にある天守台的なのは秋田氏を祀ろうとした基壇なんだって。
秋田氏の慰霊碑があったらしいんだけどヤブ過ぎて探せなかった。

春秋がおすすめだった瞬間


大広間跡。ベンチとか置いてあるんだけど草に埋もれてたどり着けないし、
山城だからホントは三春の町が見渡せるはずなんだけど見晴らしも全然ダメ。
なのでもう降りますw 近世に造られた二の丸は公園風だし別にいいかなって。


ワタクシ的には田村氏の方が印象強いんだけど改易されたから影薄い(*°∀°)=3

一人娘を嫁に出して伊達と同盟したはずが、気づけば服属したみたいになり、
行くなと言われて守ったら、言った本人はちゃっかり小田原参陣してたっていう。
結果、はめられたみたいになって改易された田村さん・・役者が違ったんだな・・('A`)

愛姫(陽徳院)もこんな断絶の仕方だから心を痛めていたんだろうね。
夫の政宗や子の忠宗に度々再興を懇願したそうで、後に忠宗の三男宗良が
岩沼3万石を与えられ田村家を継ぎ、子孫は一関藩として維新を迎えました。


さて。ダッシュで山を下りたらまずは田村氏三代のお墓参りに行くよ!


福聚寺にて田村氏三代のお墓参り〜に続く




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2017.02.18 Saturday 17:08 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(福島県) | 

猪苗代城に登城!

摺上原古戦場に一寸、立ち寄ってから猪苗代城にやってきました。

貸切な予感だった瞬間


公園側から廻った登城口前が駐車場なんだけど車1台もない!
真夏の昼下がり。ハアハアしてても誰にも見られず登城できますw

もれなくロックオンの瞬間


駐車場スペースの片隅には今は公園に内包された城域の案内図やら、
説明なんかの案内板がバンバンあるので見逃さないようにする!

見応えに期待の瞬間


現在は亀ヶ城公園として整備されていて、本丸を中心に遺構が残っています。
というわけで嬉しい大手口からの登城。思ってた以上な感じでテンションアップw

ウットリする瞬間


大手多聞櫓跡の石垣。この辺りは蒲生氏郷時代に積まれたものだそうです。
下調べで初めて立派な石垣が残ってるってことを知って楽しみだったんだ。

アドレナリンとか色々なものが出始めてる瞬間


大手枡形門跡を過ぎて登ってく。真夏の昼下がりで超〜激暑なんだけど、
見応えある遺構に囲まれながらだと思ったより頑張れるから不思議w

取ってつけたようだった瞬間


階段登ると三本杉井戸が出現。当時はきっと石積みとかだったろうね。
猪苗代城には2つの井戸があったそうな・・・んー先を急ごうw

古っ!色んな歴史があった瞬間


石段を登ります。全然コンパクトなんだけど廻されるので広く感じます。

猪苗代城は源頼朝の東北遠征で功のあった佐原経連が築いたといわれ、
戦国期にはその子孫が猪苗代氏を名乗って居城としました。別名、亀ヶ城。
猪苗代氏は会津地方に勢力を誇った葦名氏の分家でもありましたが、
摺上原の戦いでは当主猪苗代盛国が葦名氏を裏切って伊達政宗に内応。
猪苗代城は伊達氏の会津攻略の重要拠点となり、衰退していた葦名氏は滅び、
猪苗代氏はこの功績により伊達準一門に列せられ、幕末まで仕えました。

その後、会津には蒲生氏郷、上杉氏、加藤氏の時代を経て保科氏が入りますが、
鶴ヶ城(会津若松城)の出城である亀ヶ城(猪苗代城)は会津の重要拠点とされ、
一国一城令の例外として存続し明治に至ります。しかし戊辰戦争で城代だった
高橋権太夫が官軍の接近を見て城を自焼して退却したため、建て物は焼失。
そのまま廃城となりました。明治38年、有志が城跡を保存し、昭和33年になって
都市計画により整備が進められ、昭和44年亀ヶ城公園になりました。

高橋ぃ・・近づいて来ただけでビビッて城を焼くんじゃないだよ!!

炎天下でもウットリの瞬間


フーフー言いながら登ってくると帯曲輪法面石垣。古びて味がある。
大震災で被害があったと聞いた気がするので修復されてるのでしょうか。

見るだけにする瞬間


法面石垣からのひろびろ帯曲輪。猪苗代城って帯郭がすごい印象に残る。
左は二の丸。これを行くとモロ公園みたいな方に出てしまうので廻れ右!

暑いけど案外体力ケチらなかった瞬間


法面石垣から更に石段を登っていくと本丸にあたって左右に分かれる。
右に進むとダイレクト本丸でつまらないから左の門跡からネットリ行くw

目を見開く瞬間


左に行くと二の郭櫓門跡がドーン!重厚な門構えだったろうなって思う。
誰時代にどう手を入れたとか詳しく分からないけどなかなかなお城だよね。

ぎらぎら照りつけてる瞬間


二の郭櫓門西側の石垣。猪苗代城は主要な遺構には名称が表示されてる。
でもどうせなら誰の時代のとか案内板なんかも置いてあるといいのにね。

気になる瞬間


こちらは二の郭櫓門南側の石垣。同じ櫓門石垣でも積み方違うもんね。
後からちょっと調べてみたけど詳しい説明とかが見つからなくて。

気になるのは首の方だった瞬間


二の郭にイン!ここ自体はすごい広ーいって感じではないのかな。
周りは申し訳程度に残ってる感じの低い土塁で囲まれてました。

勝手に思い入れる瞬間


首の人は世界のドクター野口。猪苗代町で生まれ育った野口英世はこの城でも
遊んだりしたらしいよ。この人ホントすごいよね。てか母シカさんもすごいんだよ。

のぞいては見た瞬間


二の郭にある井戸門跡。軽く崖みたいになってて向こう側に降りられなかった。
縄張を見るに降りていくと大手口の南の方に繋がっているみたいな。

吸い寄せられる瞬間


四脚門跡と本丸隅櫓台石垣。建物ないけどごつかった感じが分かりやすい。
暑くて残りの体力も少ないんだけど本丸を後にして下に降りちゃいますw

美しかった瞬間


四脚門と本丸櫓台が鎮座した様を見上げる想像しながらの帯郭も見とく。
猪苗代城やっぱ帯郭がかっこいい。そこへの土塁に石垣・・よすぎw

大勢は居座れなそうだった瞬間


帯郭から公園の方を見下ろしたところ・・って低っ!本丸はもう少し上だけど、
にしてもちょっとした丘の上みたいなとこにあるコンパクトなお城なんだね。

ざわつく瞬間


さっきの門跡に戻っていよいよ本丸へ。本丸へは黒門跡からインします。
ここまで貸切だったけど本丸に来たら家族連れとカップルがやってきました。

モヤモヤしていた瞬間


土塁のところに「雁木」の表示があったけど・・説明ちょうだい!
土塁の内側を段状にした的なやつのことを指すのでしょうか??

美しい城と美しい山に満足する瞬間


本丸内部は結構広い!周りを2mないくらいの土塁が廻っています。
せっかく磐梯山が望める所なのに写真が見切れてしまっているのが残念!


猪苗代城はコンパクトながら見ごたえのある美しくてかっこいいお城でした。
近くにある町役場情報館に行くと縄張図とか資料もらえるらしいのだけど、
お盆で休みだったから残念。それがあったらモヤモヤも少なかったのかもw


次は会津藩主保科正之のお墓参りに、すぐ近くにある土津神社に向かいます。


土津神社にて保科正之のお墓参り〜に続く



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2017.01.27 Friday 17:48 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(福島県) | 

会津若松城に登城!

神指城にてマッハで上杉景勝withかねたんに思いを馳せた後は会津若松城へ!

大変だ!急がないと入場時間前に着けない!とせかせかしながら(*°∀°)=3

会津若松城は2010年に来た時は瓦の張替工事中で全くその姿が拝めず、
リベンジを誓って6年・・1番乗りしてやるくらい気合が入ってる!

いい感じだった瞬間


今回は(おばか)ナビに任せた結果、西出丸駐車場からの登城になりました。
前回は廊下橋からの登城だったので、あの子(ナビ)にしては上出来かとw

鼻息が荒すぎた瞬間


上図の通り、廻っている堀を見て満足したら、さっさと天守を目指すのよ。
朝から暑いけど彦根城作戦で、人がいないを狙って梅坂からせっせと登ります。

へっぴり腰だった瞬間


急いでいるけど土塁の上にもよじ登り、水堀を覗いてみたりはしときます。
当時は土塀とかあったでしょ?これがずーっと続いてるんだからすごいよね。

好みがうるさかった瞬間
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梅坂を登ると西中門、その先は帯曲輪があり天守が見えてくるはず。
中門は切込接でキレイです。でもワタクシあんま好きじゃないんだ・・

お約束だった瞬間


お約束の武者走り。大手門に続く櫓に素早く登れるように作られたもの。
城の紹介に必ず載ってる見どころ。この向こうは太鼓橋でビューポイント。

言い知れぬ感動があった瞬間


ついに足場も変なカバーもない美しい天守を見ることが出来ました(泣)
五重五階の層塔型で高さ約36m。ドーンと重々しい感じのする佇まいです。

参考までに・・・


なんせ2010年に来た時はコレだったからね・・
フェイクとか成りすましって何でもツライわww

雰囲気が大事だった瞬間


元々は普通の瓦だったらしいけど江戸初期、会津松平の藩祖保科正之の頃、
寒さに強い赤瓦が使われるようになり、2010年の葺き替えでコレになりました。
天守自体は昭和40年、1億5000万円かけて鉄筋コンクリートで復元されたもの。

うっとりしていた瞬間


8時半の開場と同時に天守へ。前も登ったけどせっかくだから一応ね。
石垣は当時のものなのね。穴太衆メイドの武骨な野面積みがいいです。

早くも混雑していた瞬間


開城したばっかでも盆休み中なので人は多かった。マジ早く来て正解!
展示は撮影NGなものばかりなので残念ながら写真はありません・・・

勝手に納得する瞬間


会津若松城は文禄2年(1593)に蒲生氏郷が7層の天守閣を築いて城下町を建設。
黒川を若松と改め、鶴ヶ城と改めました。当時は漆黒の天守だったそうです。
氏郷の死後、地震の影響で傾いてしまったため、伊予松山から転封した
加藤嘉明の子、明成が寛永16年(1639)5層へ大改修を行いました。

会津若松城が今に見る白亜5層の姿に整えられたのはこの時なのだとか。
戊辰戦争では激しい砲撃にあいながら、1ヶ月の籠城に耐えたんだよね。

噂によると2000発とか半端ない砲弾ぶっこまれたらしいよ(*°∀°)=3
で、松平容保はやむなく降伏するんだけど、やっぱ名城だったんだね。

謎めきすぎた瞬間


2001年に復元された干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋。順路通りに天守を降りて、
1階の売店(100名城スタンプ押せる)から入り口が続いてて入ることが出来ます。

ワタクシもモチロン入ったけど、写真1枚も撮ってなくてびっくりしたー!
鉄砲狭間とか石落としとか防御の様子の展示が色々あったんだけど・・なんでだ?

単純だった瞬間


天守を出て鉄門。本丸の正門で扉や柱が鉄で覆われていたから鉄門と呼ばれます。
復元でも実際に戦闘を経験した城だと思うと、歴史の重みが感じられる気がする。

トラウマ解消の瞬間


2010年に来た時は工事中の足場が見えてた廊下橋も見とく・・・ん、粘着質?

黒川城と呼ばれた葦名時代には屋根のある廊下造りだったことから、
廊下橋と呼ばれているそうな。蒲生氏郷の頃まで屋根があったみたいだけど、
加藤氏が屋根を取り壊した後は保科氏も屋根を付けず名前だけが残ったって。

安定のビューポイントだった瞬間


二の丸の堀、廊下橋の両側に築かれた高石垣。相変わらずツルと藻がたっぷり。
高さ20mで城内で一番高いの。水堀と合わせて加藤氏が改修したみたいよ。
打込接でいいのかな? ワタクシは整いすぎてあまり好きじゃないけど!

横着すぎた瞬間


西出丸を囲む堀。車に乗った帰りに信号で停まったから撮ってみたwww

記事はずいぶん端折っちゃったけどパンフレット片手にかなり見て回って、
でも、それだって本丸部分に出丸チョロっと足したくらいなもんでしょ。
ドンパチしてた頃は二の丸、三の丸あり、そして出丸の堀にしてこの規模。
氏郷が築いて明成が改修・・二人が気合いを入れた城ってやっぱすごいな!

しかしワタクシは氏郷押し。漆黒の七層天守がよかったぜ〜明成さんよぅ、
と思いながら、近くにある興徳寺へ氏郷さんのお墓参りりへ向かいます。


興徳寺にて蒲生氏郷のお墓参り〜に続く。


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2016.12.04 Sunday 13:38 | comments(2) | trackbacks(0) | 東北(福島県) | 

神指城に登城!

蒲生秀行廟所の次は、ゆっくり見る暇ないけど神指城へ。

上杉景勝と直江兼継が家康の会津征伐に備えて築いた未完の城よ。
せっかく近くにいるんだから、ちょとでも行かなきゃでしょ!

チャンスがなさ過ぎた瞬間


どゆこと!? 神指城跡はナビにないのにケヤキの大木は表示されるんだけどw
この辺が当時の三の丸で説明とか書いてあるんだけど、作業中の軽トラがいたり、
農道自体も狭くて、車をとめてのんびり眺めたりできなかった (*°∀°)=3

はるかに見えた瞬間


二の丸端だったケヤキの大木前から見る本丸跡がアレ。あの緑のこんもり。
田んぼ部分がずっと二の丸だから、どんだけデカイ城だったんだっていうね。

分かりづらかった瞬間


田んぼの間を走る農道をかっ飛ばして、いきなり本丸入口に到着!
とか言って、入るところが分かりづらくて一度、通り過ぎちゃったけどww
ちなみに車はこの手前の空き地のようなところに停めておけました。

絡まった旗をちゃんと整えた瞬間


三の丸とか二の丸はほぼ田畑になってるので、残っているのは本丸のみ。
後から思えば、盛り上げてる感じにしてあるのは入口だけだったねっていうw

ちょっとうれしい瞬間


当時の縄張が書かれたきれいな資料が置かれてるのは行き届いてる!
残念ながら全部残ってるわけじゃないけど雰囲気わかってありがたい。

とにかく巨城ぽさは分かる瞬間


右上の方角マークのすぐ下にある角が、さっき見たケヤキのところだよ。
絵がコンパクトすぎて、さっきはるか遠くに見えた距離感が幻のようw

様子がちょっと残念だった瞬間


個別の案内が立てられて、ちゃんとわかるのは本丸入口付近だけw
ちなみに肝心な本丸自体は私有地とのことで全く入れず・・・Σ(゚Д゚)!

神指城は越後から会津120万石に国替えとなった上杉景勝が築城を開始。
重臣直江兼続の指揮により、12万人を動員しての突貫工事が進められ、
わずか3ヶ月で本丸や二の丸、土塁や水堀が完成しました。

しかしこれを戦の準備と疑った徳川方から上洛を促す書状が届けられると、
直江兼続は後に「直江状」と呼ばれる書状で上洛を拒否して徹底抗弁。
激怒した家康が会津征伐の軍を上げると築城を中断して迎撃態勢に入りますが、
戦うことなく関ヶ原で決着すると、上杉家は米沢30万石に減封され、
神指城は未完のまま破却となりました。

さみしい残骸だった瞬間


入口にある穴太積み石垣跡。石垣跡は掘り返すと裏込め石が出るんだって。
上杉家が去った後には運び出されて鶴ヶ城の石垣に利用されたそうな。

立派すぎだった瞬間


コレが神指城 妄想 想像図。超〜上杉オマージュ(*°∀°)=3
でも神指城って建物までは着手されてないことが発掘調査でわかってるそう。

この規模の巨城だと実際にきちんと完成するまでに数年かかるレベルだから、
家康との戦に備えてのことじゃなく、若松城から居城を移して新たな拠点にするべく
築城を始めたっていう見方が有力みたい。越後から移って気合入ってたんだねw

泡沫の夢だった瞬間


石垣作りに使われたと思われる石もあるけど・・1個だとありがたみ薄い。
120万石の巨大城郭だったって思うから、コレだけ見るとなおさら寂しいわ。

あまりに短すぎた瞬間


右の土塁上が本丸。入れないけど遊歩道的なのがあるところだけ進んでみます。
とかいって、進む前から目と鼻の先で終わってるのが見えてるんだけどもw 

どうにもならなかった瞬間


はい、行きどまり。この辺りは縄張見ると内堀からの二の丸だと思うんだけど
堀のあたりは草ボーボー。二の丸は田んぼってことで一旦、外に出ることに。

どんぶり勘定すぎた瞬間


城の南側から 田んぼ 本丸を眺めています。二の丸がデカ過ぎなので、
田んぼがそこそこ広くても、これが内堀か〜くらいに思っとけばよさそうですw

つらすぎた瞬間


勇気を出してカラスが大量な農道を進み、西側に来てみたらこの有様。
破壊された部分も多い上、残っている遺構の整備も全体には行き届かず・・

どしどし整備される会津若松城と、隣にありながら放置されてる神指城。
そういや安土城観音寺城もそんなだった。せっかくの素敵な城跡なのに。

と思いながら神指城を後にして、開城前に会津若松城へたどりつくのだ!!
前回登城時は瓦の吹替中で見れなかったお金のかかった天守を見てやるw



会津若松城に登城!〜に続く



Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2016.11.20 Sunday 10:31 | comments(2) | trackbacks(0) | 東北(福島県) | 

白河小峰城に登城!

東北3名城そして日本100名城13番 白河小峰城に登城!

ついに福島の大物3城制覇の瞬間
白河小峰城

二本松城会津若松城、そしてこの白河小峰城。
単に建物を復元するだけでなく公園として一帯もきちんと
整備されている福島のお城はどれも何となく品がある。
もちろん歴代藩主の家柄や歴史、土地柄もあるのだろうけれど。

二の丸清水門跡よりいざ登城!の瞬間
白河小峰城

白河小峰城は東北では数少ない石垣づくりのお城。
南北朝時代に築かれ、1627年に移封された丹羽長重が大改修。
川の流れを変え、石垣を積み、複雑な縄張をして、
奥州の関門となるべく実践向けの男前なお城になった。

前御門と三重櫓ビューティフォーだった瞬間
白河小峰城

白河小峰城と言ったら門と櫓のこのカット。
二本松城もそうだったけど、ここも人いなくてよかったw

激しい妄想にとらわれる瞬間
白河小峰城

前御門は「表御門」とも言われ、三重櫓とともに
江戸後期の修理で利用した絵図を参考に忠実に復元されたもの。
絵図を見て設計図書いて、三重櫓の礎石を完全な形で発掘して、
ちゃーんと作ったんだって。その情熱に頭が下がる思い。

佇まいが美しすぎた瞬間
白河小峰城

一国一城令以降に建てられた白河小峰城に天守はなく、
この三重櫓が天守の代用とされた。実践向きというけれど、
やる気満々というガツガツ感はなく端正で何だか美しいの。

本丸、実は驚きの広さだった瞬間
白河小峰城

前御門をくぐった広場が本丸御殿跡。
当時の御殿はなんと驚きの700畳Σ(゚Д゚)!
小市民あもにはさっぱりピンと来ない数字ですw

青空じゃないことが超不満だった瞬間
白河小峰城

人がいなくてうっとりしながらゆっくり写真が撮れるのはいいけど、
二本松城に続き、青空じゃないことだけがとっても不満。
城にいない時は頭の地肌がチリチリするくらい晴れてるくせに!

ぶつぶつ言いながらいよいよ三重櫓の中へ。

入場無料・・・でも本当にいつも思うのだけれど、
このくらい気合い入った復元ならお金を取ってもいいし、
逆にしょぼいのに入場料取るとこは何だろうと謎にも思う。
100円でも取ってくれて入場券が記念に残るといいのに。

展示品・・・以上!だった瞬間
白河小峰城

白河小峰城は入場無料だけど所縁の品などの展示は一切なし。
しかし消火器の横におもむろに、そして無造作に置かれたこの鎧・・。
壁に貼られた手書きの説明によると、白河甲冑塾のものらしい。
この空間で異質に浮いてる感じの違和感がちょっとかわいいw

木の香りを堪能した瞬間
白河小峰城

白河小峰城は鉄筋コンクリートじゃなく気合いの木造で復元されたの。
ワタクシは木造建築の梁を見るのが好き。城の梁はもっと好き。
古いのはもちろん、たとえ新しかったとしても木造のお城には
どんなに立派でも鉄筋コンクリートのお城にはない独特の雰囲気がある。

階段もちゃんと城レトロ風だった瞬間
白河小峰城

お城の階段はやっぱこれじゃないとね。
狭かろうが、急だろうが、奥行少なかろうが・・

14mもある三重櫓には立派な杉の通し柱もある。
使われた杉は戊辰戦争の激戦地だった稲荷山から見つかった
鉄砲の玉や弾痕の残ったもの。痕跡を見ることができる。

入場制限は関係なかった瞬間
白河小峰城

木造の上、三階は激狭なので1度に上がれる人数が決まっている。
ワタクシは貸切だったから好き放題にヨロヨロしながら階段をよじ登り。
二階で石落としの再現設備を見つつ、いざ激狭の三階へ。

大人5〜6人入ったら心配になるくらい、まじで狭い!!

格子窓がはまっているためワイドビューな見晴らしはない。
そこで視野と射程はどんなもんかと何気なく狭間を覗くと・・


敵 発 見 ! !


でもこの距離じゃ本丸に侵入してきた敵を見つけても
当時の鉄砲じゃ早い段階で撃ち倒すことは出来そうになく、
とはいえ近づくの待ってたら視野から外れてしまう。

・・ダメじゃん。

哀悼の意 再びの瞬間
白河小峰城

清水門西側の石垣。月見櫓跡には戊辰戦争の碑が。
白河小峰城は会津武家屋敷で見てきた会津藩家老
西郷頼母が将として必死の防戦を試みた舞台でもある。

頼母さんがここで必死に維新軍と戦っている時、
鶴ヶ城では白虎隊が、女房子供が・・・・・・・・・合掌。
福島で城を見ている限り、戊辰戦争から離れられないのだ。

またもや未練たらしかった瞬間
白河小峰城

登城を終えて帰る時は、いつも後ろ髪ひかれる気分。

次に見られるのはいつだろう? 桜の時期に来るだろうか?
もっと見ていたい。お城のある町の風景っていいなぁ・・

何度も何度も振り返りつつ、思うことはいつも同じ。

福島制覇ツアー。運転、暑さ、歩きまくりとハードだったけど
お城も素晴らしく、いつもと違う時代の歴史にも触れて、
色んな意味で印象に残る登城になりましたとさw

次はいよいよ盆休み! これまた気合いで岡山攻略〜まずは鬼ノ城に向かいますw


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2010.08.06 Friday 23:07 | - | - | 東北(福島県) | 

会津若松城に登城!

二本松城から磐越道をかっ飛ばすこと1時間少々。

会津若松城に登城!の瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

苔むした・・じゃなくつる草に覆われた高石垣。
夏の登城の敵は暑さだけでなく、ヤブ蚊とやりたい放題の
雑草であることを会津若松城にても改めて認識ヽ(`Д´)ノラー!

あらためて残念さ炸裂だった瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

本当なら天守がチラ見えし、モチベアップするはずの廊下橋と廊下橋門跡。
会津若松城(別名:鶴ヶ城)は平成23年春まで瓦の張替工事の真っ最中。
無機質なシートに覆われて天守が見えないことは重々承知の登城だったけど、
実際、廊下橋に立ってシートを目の当たりにすると残念感が倍増する。

ごまかされませんよ!だった瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

会津若松城は1591年に蒲生氏郷が7層の天守閣を築き、
名もそれまでの黒川城から鶴ヶ城と改められた。
蒲生氏郷が建てた7層天守は漆黒の城だったという。

その後、地震で傾いた天守を加藤嘉明が現在の5層に作り替え、
ここで戊辰戦争時の激しい籠城戦が繰り広げられたのだ。
戊辰戦争時の瓦は赤かったことが分かり、今はその葺き替え最中。

シートにこんな小細工したってごまかされませんからね!!
実物大完成予想図的なものを見せられて無念さが余計に募る。

鐘つき堂で戊辰戦争を妄想した瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

幕府軍として戦う会津藩は戊辰戦争で維新軍から激しい攻撃を受けた。
時の鐘を鳴らそうと鐘つき堂に会津藩士が上がると外から狙撃される。
しかし1人が倒れても鐘を鳴らそうと会津藩士が次々と鐘つき堂に上がる。
途切れることのなく聞こえる鐘の音は会津藩士を非常に勇気づけ、
また敵方の維新軍も驚嘆させた・・というエピソードのある鐘つき堂。

義によって戦う勇敢な会津藩士・・いじらくして涙出ちゃうよ。
その先にたとえ滅びや廃れがあったとしても信念や信義のために、
命を投げ出して戦う・・・あもはそういうのに非常に弱い。

天守の見えない今、貴重な見どころだった瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)武者走り

有名な武者走り。シンメトリーが美しいしとっても素晴らしい。
大手門に続く櫓に素早く登れるように作られたもの。
城の本にも会津若松城の紹介では必ず載っている見どころ。

近くで見れていいのか、やっぱ違うのか迷った瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)しゃちほこ

瓦の葺き替え工事中、しゃちほこは降ろされ特別展示されている。

ガラスケースの中にちんまり展示されたしゃちほこを前に
普段間近に見れないものが見れることを喜ぶべきか、
天守とともにあるべき姿で見られないことを悲しむべきか、
ちゃっかり写真は撮りつつ、しかし一寸、本気で悩んだw

鉄板アングルも拝めなかった瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

天守から続く南走長屋と干飯櫓。鉄門は残念ながら見れず。

うう・・石垣と門跡ごしに見える天守も見えなけりゃ、
鉄門と天守がセットになった超〜鉄板アングルも拝むことならず・・

修築中の登城って分かっていてもやっぱりつらいものね。

スタンプは無事ゲットしたけど、園内に数多く植えられた桜の木を見て、
遅い春、桜色に染まった新しい天守を見にまた登城したいと思った。

未練たらしいにもほどがあった瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

何度、振り返ってもシートで見えないのは分かってんだけどw
あるべきものが見えないのは本当に本当に寂しい限り。

腹が減っては戦ができなかった瞬間
輪箱飯 田季野

あもの場合、遠征登城の楽しみはご当地グルメにもある。
今回はるるぶを見て一発で目が行った輪箱飯をいただくことに。

よくばりすぎた瞬間
田季野 よくばり輪箱飯

いくらとか鮭とか五目とか輪箱がいろいろある中から
あもはあえて「よくばり輪箱」と書かれたメニューを選んだw
ほかに味噌汁と漬物、揚げまんじゅうと昆布煮物がつく。
炊き上げる釜めしとはまた違い、蒸す輪箱飯もとてもおいしい!

会津においては城とセットで忘れてはならなかった瞬間
飯盛山

会津若松城を見たからには、飯盛山や白虎隊も外すわけにはいかぬ=3
と張り切って飯盛山まで来たものの、階段を見て若干、萎え萎えΣ(゚Д゚)!
覚悟を決めて歩きだしたらすぐ、エスカレーターの存在を知り、こりゃラッキーw

楽して来たけど墓参りは真剣だった瞬間
白虎隊のお墓

白虎隊自刃19士の眠るお墓。会津若松城の天守内で
隊士の写真と紹介文をそれぞれ見てきているので、
お墓を目の前にするとエピソードのリアリティもひとしお。

「えらかったね・・頑張ったね・・」思わず涙が出そうに。

50円でお線香を買って墓前に供え、しばし合掌。

墓のある広場には白虎隊を称え、ローマ市民が贈った石柱や
ドイツ大使館の武官が贈った碑なども建てられている。

しばし白虎隊の少年たちにリンクの瞬間
白虎隊自刃の地

城の安否を確かめようと飯盛山に登った少年たちは
ここから市中火災を城が燃えているのだと思いこんでしまう。
悲観した少年たち20名全員がこの場所で自刃。
年齢を偽って参加し、死に切れず一命を取り留めた
飯沼貞吉ほかの19名がこの場所で亡くなった。

涙が出そうアゲインな瞬間
白虎隊自刃の地

藩のために戦いたいと年齢を偽って参加した少年たち。
決して生き恥さらすまいと潔く自刃した少年たち。

戦にしろ戦争にしろ、美談や綺麗事では済まされない
悲しい現実がもっと山のようにあるのだと改めて思う。

二本松少年隊といい会津の鐘つき堂といい白虎隊といい・・
そろそろ涙腺の我慢も限界なので次なる見どころへ移動。

これも見なけりゃ!だった瞬間
さざえ堂

飯盛山といったら白虎隊の墓のほか、さざえ堂も見逃せない。
見た目、なんつーことないボロい3階建ての木造の建物だけど、
中は二重らせんの階段になっていて上がる人と下りる人、
建物の中では絶対に出会わない。そのかわり天井低いΣ(゚Д゚)!

雨が降り始めたせいなのか、さざえ堂の中は独特の匂いが。

城見たらば屋敷までだった瞬間
会津武家屋敷

飯盛山から近いのでついでに会津武家屋敷にも寄ってみた。
せっかく会津若松城を見て白虎隊の墓参りもしたんだから、
どうせなら会津藩家老の屋敷も見ておこうという魂胆だw

ドラマのシーンは想像できなかった瞬間
西郷頼母の屋敷

武家屋敷は入場料が微妙に高いけど基本、見学は建物外から。
戊辰戦争時の会津藩家老、西郷頼母の屋敷が再現されている。
1700石取りの家老屋敷は庶民のあもにはピンと来ない2400坪Σ(゚Д゚)!
広大な敷地の中に書院の間だ、控えの間だ、武具の間だと公開され、
上流階級のかたくるしそうな武家の生活がよーっく分かる仕組み。

ちなみにこの書院の間、何かの映画の撮影で使われたそうな。
あもは邦画にうといので説明と写真見たのに名前忘れちゃったけど、
マネキン武士がいるのといないのとでは全然違う雰囲気なのがおかしいw
(小姓連れてるのが松平容保。家老屋敷に来たという設定のようだ)

あもにはとても住めないと思った瞬間
西郷頼母の屋敷

出かけようと式台まで行って「おっと忘れ物」と思っても
ぐるーっと回廊を廻って部屋まで取りに行くなんてめんどくさい!
忘れ物ぐらいは家来が取りに行ってくれるかもしれないけど、
お手洗いとかお腹壊して何度も行きたい時とか大変だよね・・。

見応えある武家屋敷の他、展示資料室では戊辰戦争時、
西郷頼母の妻子が赤熊をつけた維新軍に立ち会われ
自害した場面の再現などもあり、マネキンなのだけれど
じっと見ていると妙にリアルな感じもあって切なくなった。

会津藩では老人と少年までが戦力として出陣したが、
女子供は足手まといにならないようにと自害したという。

涙腺の我慢を超えた瞬間
野口英世記念館

会津、磐梯山、猪苗代湖ときたら野口英世も気になる。
福島の残り1城、白河小峰城に向かうついでに寄り道して、
この際だから野口英世記念館にも足を運んでみた。

今回のあもはかなりアグレッシブえらいw

ついでに・・なんて軽い気持ちで寄ったものの、
移築された英世の生家でやけどを負った囲炉裏を見たり、
英世のすさまじい努力の跡や情熱的な生き方を詳しく知ったり、
英世の母「シカ」の苦労や英世への思いを深く知るにつれ、
何だかたまらなくなって目がうるんでしまった。

英世にそっと謝罪した瞬間
野口英世記念館 ドクター野口

自筆の手紙、着ていた服や靴、研究用具、写真などの展示も多くて、
下手な伝記を読むよりも、この記念館を見た方がいいと思うくらい。

ついでに・・くらいの軽い気持ちで寄ってごめんなさい。
ついでに・・諭吉の方が好きとか言ってごめんなさいw

英世に謝罪してスッキリしたところで会津若松城から
ずっと緩みっぱなしのだらしない涙腺もリセット。

次は福島ラストの白河小峰城に向かいます。



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2010.08.02 Monday 20:22 | - | - | 東北(福島県) | 

二本松城に登城!

このところ2時間圏内の近場登城が続いたので、
思い切って4時間圏・・福島3城の制覇をすることにした。

二本松城に登城!の瞬間
二本松城(霞ヶ城)

12時過ぎに寝たのにしゃっきり3時半に起きて朝8時に登城!
入場無料はチケットやパンフなしが困るけど見学自由はこういう時よい。

二本松城は別名、霞ヶ城と呼ばれ一帯は公園として整備されている。
戊辰戦争の時、会津藩と運命を共にして幕府側として戦うことになり、
17歳以下の少年も二本松少年隊として城を守るために出陣した。

うう・・泣けちゃう。白虎隊の方が有名すぎるのも何か気の毒だし。

二本松少年隊の悲哀を胸に感じつつ、二の丸箕輪門へ。

城址案内図をガン見の瞬間
二本松城(霞ヶ城)

と思ったが、まずは城址案内図を慎重に確認することに。
見学自由の城に来ると、かなりの確率でルート間違うからね。
ちょっと広めな感じにびびりつつ、気を取り直していざ登城。

二の丸箕輪門
二本松城(霞ヶ城)

櫓がついてて結構いかすわね。
復元だけど堂々とした雰囲気が出てるのがいい!

二本松城だけに松がいい感じだった瞬間
二本松城(霞ヶ城)

門をくぐって振り返ると両再度の櫓がよく見える。
何気なく松が配置されているのもまたいい感じ。

品のいい松に見とれた瞬間
二本松城(霞ヶ城)

虎口を入ったところ。松のある風情があんまり素敵なので、
わざわざルートとは反対側に廻りこんで全景を撮ってみた。
松あるこの佇まい、何だかとっても品があるのよね。

なんとなく合掌の瞬間
二本松城(霞ヶ城)

やけに歩くので順路どおりに進めているのか心配しつつ進んでいると、
白旗ケ峰の少年の丘にある二本松少年隊顕彰碑にたどり着いた。

戦国ほど興味を持ってない幕末は一般的なことしか知らないので、
薩長側や幕府側、描かれる主観に思うことを左右されがちなワタクシ。
西郷さんや竜馬で、新撰組や白虎隊で、それぞれのドラマを思う。
ここでは二本松少年隊のことを思うと切ないなぁと思うばかり。

どうやら一応順路どおりだったらしい瞬間
二本松城(霞ヶ城)

「順路」の看板が見つけられなければ野生の勘を頼りに
何となく歩いていたけど、搦手門跡の石垣にたどり着けた。
ちょっとしたハイキング風。曇り空の早朝にも関わらず汗だく。

霞が城址の碑にテンションアップの瞬間
二本松城(霞ヶ城)

汗だくでいい加減、登るのが嫌になってきたころ
城址の碑とともに、ようやく本丸石垣が姿を現した!

立派な石垣だった瞬間
二本松城(霞ヶ城)

山の上に積まれた石垣って平城のよりなんかかっこいいよねぇ。
この石垣は修復復元らしいけど積み方も色々で細かい。
素晴らしいわ〜と思いつつ振り返ると、すぐ後ろに駐車場がΣ(゚Д゚)!

・・てか、ここまで車で来れたんかい!!

でも車で来てたら少年隊碑や搦め手門跡なんか見に行っちゃいまい。
汗で化粧落ちかけてるけど、城巡りなんだからこれでよかったのよ・・。

本丸跡、飾り気がなかった瞬間
二本松城(霞ヶ城)

何か特別に処理がしてあるのか草1本も生えていない本丸跡。
中央に印がぽつーん…何も足さない何も引かない、潔しw

天守はなくても天守台だった瞬間
二本松城 天守台

天守閣はなかったらしいけど念のため天守台w
東西櫓台跡とそんな広さは変わらないものね。
・・とか言いながら天守台にだけは立ってみたり。

天守曲輪がよーっく分かった瞬間
二本松城(霞ヶ城)

この右手が虎口。天守台を挟んで櫓台が東西にあり、
本丸をぐるっと囲んでいる様子がコンパクトな敷地ゆえよく分かる。
綺麗な四角形ではなかったんだね。石垣だけの復元グッドw

元の石垣ちょっぴり残念だった瞬間
二本松城(霞ヶ城)

旧二の丸の大石垣って・・草ボーボーすぎて見づらいよぅ。
このままでは見えなくなるのも時間の問題と思われる。
やつらが枯れた頃じゃないと塩梅よく拝めない。残念。

あんまり怖くはなかった瞬間
二本松城(霞ヶ城)

日本の三井の一つに数えられているという「日蔭の井戸」。
先日の箕輪城に続き、勇気を振り絞ってのぞいてみたら、
な、な、なんと、少し深かったけど水がたっぷり見えた!
箕輪城は怖かったけど、ここは勇気を振り絞る必要なかったw

何でもいいけど、とにかくかゆかった瞬間
二本松城(霞ヶ城)

汗と息切れで二酸化炭素をまき散らしたあも。
動いているのにすっかりヤブ蚊の標的にヽ(`Д´)ノキー!

イラッとしながら腕をボリボリかきつつ駐車場まで無事帰還w
時刻は8時50分。スタンプが置いてある歴史資料館は9時開館。
ワタクシったら・・ナイススケジューリング。ブラボー!

スタンプもらったら次は修築中の会津若松城を目指します。



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2010.07.31 Saturday 18:45 | - | - | 東北(福島県) | 
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