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彦根城に登城!その2〜三重櫓と玄宮園

天守を一瞬ひとりじめして満足した後は三重櫓を見に行きます。

違う顔だった瞬間


西の丸に向かう側から見る天守は正面からとまた違った表情。附櫓と多聞櫓が接続された複合式。
維新後は廃城令で取り壊される予定でしたが、明治11年10月、北陸巡幸の帰りに彦根城を通った
明治天皇が廃城を惜しんで保存するよう命を出したことから、今こうして見られるわけです。

拝みそうになった瞬間


附櫓の裏あたりで石垣の解体修理をしていました。番付して石垣と裏込を解体。
それから積み直しをするんだけど、積み方で表情が変わるので熟練の技が必要なんだそう。
積み直しの時に既存石じゃないものを使った場合は、見えない所に墨で年を書きいれて
後世に分かるようにもしてるのだとか。致死量に達する暑さの中、本当にご苦労様です。

徹していた瞬間


西の丸に到着!重要文化財の三重櫓は・・西の丸の中から見ると三重感はわからないの。
でもこれは西からの敵に備えた守りの要。余計な飾りは一切ないのがやる気のあかしw

まっしぐらだった瞬間


三重櫓の内部がこちら。中は特にコレを見るってものがあるわけじゃないんだけど、
三重櫓の中から外を見るため、わざわざ靴を脱いで暑い建物内に潜入した次第。

かぶりつきだった瞬間


西の丸の反対・・三重櫓が睨みを利かせている側には堀切があり、高石垣の上に建っている
三重櫓からの目線の高さと言ったらそりゃ〜すごいのよ! 徹底的な防御ぶりに見惚れます。

長らくの脳内復元中だった瞬間


三重櫓を出て、こちらがその堀切にかかる落とし橋からの風景。敵が来たら橋を落とし、
向こう側でモタモタしてるところを高石垣上の三重櫓から狙い撃ち・・しびれますね。

備えあれば憂いなしだった瞬間


で、今度は橋を渡って攻撃側から見るとこんな! 三重櫓から続櫓から集中砲火浴びちゃう。
飾りはないけど白漆喰塗りの綺麗な顔して恐ろしいわw でもこれがお城の魅力なんだよね。

うっとりしすぎていた瞬間


攻め手の気持ちで出曲輪の山道からも三重櫓を見ようとして周りの石垣に気を取られる人w
説明板にあった穴太衆が積んだというのが恐らくコレよ。ワイルド石垣に囲まれ至福の時。

イラっとしていた瞬間


主郭部が小高い所にある彦根城。少し下に降りて内堀沿いを黒門方面に向かいます。
木陰なんで涼しいかと思いきや湿度ハンパないので汗ダク。蚊にもたかられ厳しい行軍w

人は少なかった瞬間


前も見たけど大名庭園「玄宮園」も寄っておくかと黒門を出ました。ここからも入場可。
今は黒門跡ですが、残っている石垣を見るに当時は立派な櫓門があったんでしょうね。
彦根城には内堀にかかる橋が大手、表門、黒門のところと3ヶ所あるけど、ここだけ土橋。

やっぱり威風堂々だった瞬間


ずっと続く内堀。内堀の中だけであんだけの広さってこと考えると当時の規模はハンパない。
天下普請で西への備えとして建てられた彦根城。迫力の圧倒的な存在感だったんだろうね。

心安らぐ瞬間


何度見ても庭園越しに石垣と天守が見える風景は素晴らしい! 戦闘仕様を見るのが萌えるけど、
ただ眺める日本の城がある風景も美しくて好き。願わくばワタクシはお城の見えるところに住みたい。

ひこにゃんはどうでもよかった瞬間


最後は彦根城博物館へ。企画で「彦根藩士の甲冑−赤備えの家臣団」をやっていたから。
ちなみにひこにゃんの登場は10時天守前だったようで実物には会っておりませんw

へばりついてガン見する瞬間


撮影がダメなものもあったけど、フラッシュ焚かなきゃオッケーってのもあったので少しだけ。
こちらは井伊家2代当主 直考所有と言われる具足。兜の立て物は脇立になってるんです。

若干めんどくさかった瞬間


赤備え・・朱色の甲冑、兜の立て物は金色の半月を「正面」でってのが井伊家スタイル。
初代直政や直考が脇立てだったことの遠慮から正面ルールになったみたいですよΣ(゚Д゚)!
朱色の甲冑がずらっと並んだところは圧巻。自由がきいた兜の形には個性がありました。

井伊家コンフォートだった瞬間


博物館の奥には表御殿が復元され、当主が休息した部屋とかひと通り見ることが出来ます。
こちらは奥向きに面した庭園。発掘調査で発見されたものを再現しているんだそうですよ。

腹ペコすぎた瞬間


彦根城をたっぷり堪能した後は京橋口の枡形を抜け、キャッスルロードに向かいます。
ワタクシあまり城下はうろつかないけど、今回は行きたいお寺と近江牛を目指してねw


宗安寺にて木村重成の首塚にお参り〜に続く



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2014.09.05 Friday 21:35 | comments(2) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

彦根城に登城!その1〜天秤櫓と天守

[日本百名城] ブログ村キーワード

2014年の夏の陣は、休みも短かったので畿内再攻略で行くことにしました。
再登城ついでに行きたいお寺や見たい銅像もぼちぼち残っていたからね。

覚醒の瞬間


夜討ち朝駆けにて彦根に到着! 仮眠を取っても眠いわ〜だるいわ〜と思いながらも、
高速を降りて目の前に彦根城が見えると、再登城とはいえ、がぜん鼻息が荒くなりますw

うっとりな瞬間


彦根城が開くのは8時半。なのでまずはおにぎりかじりながら彦根駅で井伊直政像を拝見!
徳川四天王の赤備。気性が粗くてかなり乱暴だったとかも言われるけど、ここはイメージ重視でw
早朝は逆光気味なのがイタイけどね・・でも今日もかぶりつきで全方向から写真撮影したわw

萎え気味な瞬間


まだ早いので駐車場に向かいがてら、中堀から重要文化財の佐和口多聞櫓を見ときます。
はるか遠く小山の上に天守が見えます。攻め手だったらこのあたりですでに意気消沈だわ。

盛り上がってくる瞬間


左に建っているのが佐和口多聞櫓。右側の建物は昭和35年に建てられた開国記念館。
佐和口多聞櫓の向こう側が彦根城表門に一番近い駐車場なので、枡形を通って向かいます。

なじみすぎだった瞬間


昭和になって建てられた開国記念館はそれなりに神経使って建てられたんでしょうね。
本物の多聞櫓と並んでいることもあり、堀越しの風景はパッと見あんまり違和感ないです。

地味すぎた瞬間


ひとまず駐車場を通り過ぎ、先に大手門跡も見ておきます。ここからも登城出来るんだけど
ひっそりしてて大手っぽさも薄いので、やっぱり入城は駐車場も近い表門からにしておきます。

横着すぎた瞬間


家老の西郷さん屋敷の長屋門を横目で。解体修理されて移築されたものだそうですが、
内堀と中堀の間は上級藩士の屋敷があったようなので、スケールのデカさは味わえます。

気合いが違った瞬間


表門前の佐和口駐車場にイン! 1日400円でお安い! すぐ満車になるから早めがベスト。
今回は彦根城への一番乗りを目論んでいるワタクシ。開城前ですがいそいそと車を出ますw

すばしっこかった瞬間


暑いけどとにかく我慢! 涼しい車の中で待機とかしてたら絶対に出遅れちゃう。
表門橋を渡って石垣を眺めて券売所前に並び、開いた→買った→入った→ダッシュ!!

息切れしていた瞬間


入ってすぐの坂道はきついけど猛ダッシュでかけあがり、後続を引き離して天秤櫓に到着!
堀切から見上げる石垣の高いこと。牛蒡積みという築城当初の積み方なんだそうです。

時代劇を思いうかべる瞬間


橋を挟んで反対側の石垣は幕末(嘉永年間)の大修理で積み替えた切石の「落し積み」。
築城数年後には建てられ、修理を繰り返しながら今日に至る天秤櫓。重要文化財です。

のんびりしかけた瞬間


天秤のように見えるから「天秤櫓」。左右対称じゃないんだけど納得しちゃうわね。
前に登城した時はゴールデンウィークで人だらけだったから、ゆっくり見れて嬉しい限り。

なりふりかまわなかった瞬間


のんびりしてるとすぐ後続が追い付いてきますw 今回は一番槍の大手柄を狙ってるので、
細かなところは後から二度見で。もうすでに汗だくだけど鼻息荒く天秤櫓を突破します。

ある意味 命がけだった瞬間


進めや進め〜! 彦根城は天守までずっと地味に登りなので暑いわ疲れるわ・・
体力のないワタクシはヨロヨロしながら本丸へ最後の関門となる太鼓門櫓を目指します。

後ろが気になる瞬間


重要文化財の太鼓門櫓に到着〜これを突破するといよいよ本丸インです。
築城時に他の城から移築されたもので、合図の太鼓が置かれていたとかいないとか。

前のめりすぎた瞬間


太鼓門櫓をくぐって折れると本丸(天守広場)の入口。くぐったところで振り返り、
造りの珍しい門の裏側を見ておきます。一番乗り間近でソワソワしてるので写真を忘れますw

感無量の瞬間


ついに目標どおり一番乗りで天守に到着! 一瞬の国宝貸切状態にニンマリw
元は大津城にあった四重五階の天守を三重三階に縮小移築されたと言われているそうな。
通し柱のない望楼型で小ぶりな天守は、日本に4つしかない貴重な国宝です。

威風堂々すぎた瞬間


破風が美しいのも特徴。元は西に備えて徳川重臣の井伊家が入り築城されたお城だけど、
華麗な天守の装飾を見ると風格アピールして優雅に威嚇って作戦もありかなと思いますw

再び鼻息があらい瞬間


独り占めを大喜びで堪能していたら後続がワラワラ到着しだしたので次は一番で天守内へ。
時間的には開いたところなんだけど、係員の人がまだ入口の掃除をしていました。

人工密度低かった瞬間


前に登城した時はワタクシが混雑した天守から出てきたら、入口に並ぶ行列が1時間待ち
とかになっててびっくりしましたけどね。今日は掃除のオジサンたちしかまだいませんw

ガクブルな瞬間


現存天守でお約束の急でせまーい階段。手すりがあっても上り下りは容易じゃありません。
高所恐怖症のワタクシなんて降りる時がホント怖くて・・でも犬山よりはまだゆるいかな。

でも登りづらかった瞬間


階段の足をかける部分はどこもスチール?今風の建材に替えられています。
毎日たくさんの人が出入りし続ける現存天守。造りの頑丈さに感心するばかり。

ぞうきんが置き去りだった瞬間


朝っぱらからカンカン照りで蒸し暑い夏の日。汗だくで天守内をうろつき階段を登って
まだ人のいない三階最上階に到着すると、風が吹き抜けてとても気持ちいい!! 

視界はイマイチだった瞬間


窓には金網が貼ってあるので少々見づらいけど、琵琶湖の方を眺めています。
小高い山の上にある天守の上の見通しはバツグン! 隣りの佐和山城跡も見えました。

汗だくだった瞬間


天守を出たら本丸石垣を見おろしながら回り込み、西の丸へ三重櫓を見に行くの。
一番乗りの目標は果たしたので、人の集中しないここから先は焦らず行けますw

しかし・・毎年懲りないけどホント真夏の登城は山じゃなくてもきっつい!!


彦根城に登城!その2〜三重櫓と玄宮園〜に続く



2014.08.30 Saturday 15:55 | comments(2) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

安土城郭資料館と信長の館

[安土城天主信長の館] ブログ村キーワード

安土城登城エントリーの後、城郭資料館と信長の館に行ったことを書き忘れてしまいました(´Д`)
夏の陣で高取城などに出かけ、写真整理をしてて思いだしたという・・・今さらですが安土城の続きです。

三度の飯より・・だった瞬間


城郭資料館に行くため安土城駅に戻ってきたので、駅前のそば屋で近江牛そばを食べました。
朝イチでおにぎりを食べたきり、3時前になって何も食べてないことにやっと気づくというwww
B級グルメでエントリーしているものらしいです。近江牛が甘くておいしいお蕎麦でした。

脱兎のごとくだった瞬間


信長の銅像がある側とは反対側の駅前にある城郭資料館にやってきました。
雨が降っているので車を停めたらダッシュです。撮りポジ考える暇はないので写真は何やら適当。

迷わずインの瞬間


安土城郭資料館。ここでは20分の1スケールの安土天主の模型と安土城屏風絵陶板壁画が見られます。
入場料は200円。模型にしても他では見られないので入ってみましょう。

脳内復元に力む瞬間


資料館といっても喫茶店やら学習コーナーなんかもあって見るべき展示自体はそんなにないです。
が、天守模型の存在感はばつぐん!真っ二つで天主内部が見えるように展示されています。
それぞれの半分の天守の下にはレールがついた可動式で、天主完成系に合体も出来るみたい。
五層七重、不等辺八角形の天主台・・20分の1でも重厚でダイナミック、そして超個性的。
天守さきがけにして、他のどんな天守とも全く違ったんだなという雰囲気は感じ取れます。

威風堂々だった瞬間


金箔が惜しみなく張られた内部、襖絵なんかもちゃんと描かれていて丁寧に作られてます。
諸説あるけど吹抜け構造だったと言われる安土城。天主跡、真ん中に礎石なかったもんね。
どれが何の、誰の部屋とかはわかりませんが、豪華絢爛。天の主の居城にふさわしい拵えです。

発想力ハンパなかった瞬間


とんだピンボケですけど吹き抜け地下中央には宝塔もありました。アメージングとしか言いようがない。
安土城が残っていたらどれほどのことだったのか・・と模型を見ながら想像せずにいられませんでした。
と同時にやっぱり信長の安土城は「幻の城」がらしいというか、歴史の意志なのかなとも思いました。

繁栄しすぎだった瞬間


安土城南蛮屏風図陶板壁画というのも展示されていました。信長がイエズス会ヴァリニャーノ神父に
贈呈した屏風絵のレプリカだそうです。安土城、安土城下、京都などの面があります。
写真は安土城の面。異国への贈り物ということで多少盛ってるかもしれないけどでかさハンパないw
安土城の天主は「見せる」「アピールする」第一よね。海外にもたっぷり伝わったことでしょう。

後悔先に立たずだった瞬間


一角には信長の南蛮甲冑の試着コーナーもありました。さすがのワタクシもちょいと勇気がなくて
試着できなかったけど、今にして思えば涼しい顔で試着を頼めばよかったわ・・と思うばかり。

混雑していた瞬間


城郭資料館の次は信長の館にやってきました。ここでは安土城天主の5〜6階部分の原寸復元が見られます。
1992年開催のセビリア万国博覧会に日本館メインとして出展された後、安土町が譲り受けたそうです。
入場料は500円。安土城より城郭資料館よりどこよりも人が多くて混雑していたのにびっくりしましたw

残念すぎた瞬間


5〜6階部分だけとはいえ、原寸大が室内に展示されてるもんだから、カメラを縦にしようが、
後ろに下がろうが、這いつくばろうがどうやっても全容が撮れないのがとっても残念。
せっかくの展示なんだからもう少し見やすく工夫してくれればいいのにと思いました。

変換力が必要だった瞬間


で、結局こういうことになりますw 色んな角度から見ながら、さらに上の方を見上げたりして、
原寸大の最上階部分を目に焼き付けます。安土城のこの最上部のカラフルな部分は天主全体からすると
上にちょこんと載ってるみたいな感じ。でも原寸だと近くでみればこの規模なのか〜と城郭資料館で見た
20分の1の天主模型を思いだすと、下層部を含めた天主のスケールがどれだけか少し分かる気がします。

リアルだった瞬間


これは5階部分で八角形で構成された30坪の空間です。釈迦説法図が描かれています。
総塗りの床の真ん中には畳が2枚敷かれ、釈迦説法図と対面するようになっているのね。
フロイスは「日本史」の中で安土城について「内部で光彩を放っている金、赤く漆で塗られた柱・・
(中略)豪華で完璧な建造物」と書いているようなので、かなり雰囲気近いと思うと感動します。

財力ハンパなかった瞬間


織田家の家紋 五つ木瓜の金箔瓦も復元されています。安土城跡で金箔瓦発掘されてますからね。
遠くから見たら分からないかもしれない瓦にまで金箔を贅沢につかっているんだから豪勢です。

まぶしすぎた瞬間


で、これが6階部分を見上げたところ。金箔10万枚を使った外壁に庶民のワタクシ目がつぶれそうw
当時、晴れた日にお城を見たら山の上はさぞかしキラッキラ輝いていたことだろうと思います。

匠の技にホレボレだった瞬間


ワタクシが地味に感動したのは天主を復元に携わった各職人さんたちの仕事。
金箔張りやら漆塗りやら目立つ部分はもちろんのこと、長押一つから錺職人さんが叩いて抜いて・・
見かけだけそれらしく復元しているのではなく丁寧に復元されていること、何年も昔からそういう技術を
受け継ぎ守っている職人さんが存在することに改めて感動。この案内板をじっくり見てしまいました。

豪華絢爛すぎた瞬間


さて6階部分。天主6階が見える位置に上がれる階段が別にあり、そこから中を見る感じ。
6階は正方形で中は黒漆塗りになっています。狩野永徳一派が描いた「金碧障壁画」が描かれています。
中国故事に基づく 道教・儒教(老子・孔子)などの教義を表現したものなんだとか。
復元だからもちろんレプリカなんだけれど匠の技なんですね・・ちょっと息をのむ迫力がありました。

地味にくいついた瞬間


この安土天主を復元した職人技にも感動ですが、加えて当時、築城に携わった人々にも拍手!
安土城に限らないけど、どんだけ過酷な労働だったのかと思うとちょっぴり涙が出そうになります。

のんべえ加速中だった瞬間


今回のおみやげはコレ。城マグネットも最近ひそかに集めている城スノードームもないけど、
信長が描かれたタオルや湯飲みはいらんから、信長ワインを買いました。飲んでラベルとっとけばw


次回は前回の深谷城エントリーの続き、徳川発祥の地、太田歴史公園〜世良田東照宮に戻ります。

本来の登城はこの後、夏の陣奈良攻め〜高取城へ続きます。


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2013.08.16 Friday 16:42 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

安土城に登城!その2〜本丸天主跡編

[安土城] ブログ村キーワード

黒金門跡を入ったら、まっすぐ本丸方面へ向かう前に左手の方にある織田信雄の供養塔を見ておきます。

哀愁が漂っていた瞬間


信長の次男、信雄から四代の供養塔。右から初代信雄、四代信武、三代長頼、二代高長と並んでいます。

信雄と言えば、無断で伊賀国に出陣して大敗し信長に譴責されたとか、
本能寺の変後、安土城を燃やした張本人ということにされていたりとか、
小牧長久手の戦いでは家康に無断で秀吉と単独講和をしてしまったりとか・・

信長の息子なのにかわいそうなぐらい暗愚なエピソードの多い人です。
ワタクシも信長の野望をやる時、一度も頼りにしたことはないですけど・・

それも取り柄だった瞬間


信雄の供養塔・・写真じゃなくて供養塔そのものが少し傾いているのよw

清州会議でも次男なのに織田家の家老は誰ひとり信雄を推戴しなかったといいます。
不出来でも父親が信長じゃなければ、そこまで評価は低くされなかったかもしれないわね。
4代の供養塔を見て、ワタクシは信長直系の血筋を残した点は優秀だったと思いましたw

あけっぴろげと思いきや・・だった瞬間


黒金門跡を入ったところに戻って、今度はまっすぐ二の丸〜本丸、天守へ向かいます。
左手の石垣上が二の丸。突き当りを左に曲がるまで幅の広い直進の石段が続いていますが、
当時は二の丸の入口よりも手前に「二の御門」があったそうです。やっぱり厳重ですねw

貴重品だった瞬間


二の丸へ向かう石段の突き当りには仏足石が置かれています。仏足石も大手道で見た石仏なんかと同じく、
築城当時は石垣に使われていて、昭和の初期の登山道整備の際に発見されたものなんだそうです。
最古のものは奈良の薬師寺にあり、ここ安土の仏足石も中世の遺物として貴重だと書いてあります。

ラブリーすぎた瞬間


仏足跡はお釈迦さまの足跡を表現したもので古代インドでは仏像に先立ち崇高の対象とされてたって。
指紋がお花の形になってるのもキュートだし、指の長さがほぼ一緒なのもお人形チックでかわゆすぎる!

いざ突入の瞬間


仏足石の左側に二の丸への入口があります。三の御門の石垣と言われる場所です。
櫓台みたいのが見えますね。ここを入ると二の丸、そして本丸に直結だから厳重だったのでしょう。

盛り上がってきた瞬間


三の御門の石垣を上って右に行くと本丸から天守跡へ、左に行くと二の丸に続く石段があります。
「織田信長公の廟入口」と書かれた看板がかかってます。本丸へ行く前にまずはお参りしてきましょう。

燃え方が気になった瞬間


石段を登り切ったところに二の丸跡の標柱がありますが、廟所はもう1段上にあるようです。
二の丸は天守や本丸の消失後、織田信雄や三法師(秀信)が入城したところ。
本丸や天守跡とは近いのに居館として使えるほど被害が少なかったのは意外な気がします。

違和感だった瞬間


信長廟に到着!まずは百名城スタンプを押します。安土城の百名城スタンプは色々見ていると
雨ざらしで状態が悪いと書かれてることが多いんだけど、インクも濃く綺麗に押せました。
廟所前のこの場所にわざわざ設置しなくてもいいんじゃないかと心の底から思いながらw

念入りだった瞬間


で、これが柵の中。石垣で囲まれた中に石灯籠が4基。一番奥には石積で2段になった墓石?
廟所の中はこんな感じ。元は信長一周忌に伴って羽柴秀吉が建立したそうです。
消失を免れた二の郭を整備して、遺骸の代わりに太刀や烏帽子、直垂などの遺品を埋めて弔われたそうな。
ワタクシは秀吉の「信長ラブ」アピールのためのパフォーマンスもあったと思います。
この廟が建てられた翌年の小牧長久手後に安土城は廃城になってるのも秀吉だけに意味深w

信長の墓や廟所はあちこちあるけど、建立の背景も場所もある意味リアルだから感慨深いです。

気が気じゃなかった瞬間


本丸跡に到着。天主跡に行く前にじらしプレイでもしようかと思ったら、ここでついに雨が・・。
ちょいと!!なんで今頃降ってんのよ。あと少しで終わるんだから我慢してくれよヽ(`Д´)ノ 
と思いながら、こうなったら本格的に降る前に天主跡だけは行かなけりゃと先を急ぎます。

千畳敷とも呼ばれる本丸に、天皇が住む清涼殿と似た建物「御幸の御間」が建っていたそうです。
小説なんかにもよく出てきますね。信長が来客に自慢げに御殿を見せてるようなところとか、
天皇行幸を目的に建てたのではないかとか、そこから本能寺の変の朝廷黒幕説とか色々・・・。

信長のみぞ知る・・だからけっこう重要な妄想ポイントだったのに全くもって台無しよ!!

ロマンのかけらもなかった瞬間


自分のずぶ濡れはいいとしても本格的に雨が降ったらカメラやタブレットが心配なので急ぎます。
本丸から天主址への入口だっていうのに・・この辺り、ワタクシの登城前シュミレーションでは
信長も絶対に通ったところよ〜って超念入りにロマンに浸る場所のはずだったのにぃ!!
てか、天主跡に行ってもこの調子じゃ瞬撮して帰るようになるじゃないの なによー!!

執念が通じた瞬間


ついに天主跡にやってきましたぁぁぁ!!と同時に雨が一瞬収まりましたw ワタクシついてる!!
本や復元図で見るあの派手でアメージングな五層七重の天主のイメージからすると想像より狭いけど、
ここにドカーンとアレが建っていたのだと思うと感動的。天主を支えた礎石がスケールを物語る!
真ん中には礎石がないのね。雨が収まってるから少々落ち着いてプチ妄想くらいすることが出来るわw

つきまくっていた瞬間


ほーほっほっ。優雅に案内版なんか読む時間もありました。天主跡に初めて調査が入ったのは
昭和15年で、礎石はその時に発掘されたんだそうです。石垣の崩壊を防止するため若干の補強が
加えられた他は検出されたままだと書かれています。天主台の絵図なんかも書いてあって、
これを見ると不等辺八角形と言っても対面の辺は平行でそれぞれ等辺になっていたみたいです。

安土城の天主は五層七重、高さは46mもあり、世界で最初の木造高層建築だったといわれています。
内部には高さ20mもの吹き抜けがあり、金の鯱を乗せたのも安土城が最初だったようです。
通常は「天守」だけど安土城に限っては「天主」。やっぱ信長様は「天の主」目標だったのかもねw

ポジティブ大事だった瞬間


一瞬、収まったとはいえ、あいにくの雨模様で安土城天主跡から眺める琵琶湖方面はこのありさま。
埋め立てられて湖岸は当時よりだいぶ遠くなっているというけれど晴れていれば湖面が見えるそうです。
信長だって雨の日にはきっとガスったこの風景をきっと見たよ! 見れただけでもよしとしよう。

と、ここでまた雨が降ってきたので急いで天守台を降り、結局じっくり見れなかった本丸を横目に
大手道の終わりまで戻ったら、最後に一瞬だけでもとダッシュで総見寺本堂跡方面に向かいます。

ずぶぬれ3分前だった瞬間


安土山(城)の西には総見寺本堂跡や、そこに建つ三重塔などが残っています。
安土城築城時、城の一角であるこの場所に織田家の菩提寺として信長が建立したんだそうです。
石段や礎石の残る本堂跡も本当はちゃんと見たかったんだけど、なんであと15分我慢できないのか・・
雨がいよいよすごくなってきて、もう寺跡の見学どころじゃない!! 石段を転がるように降りて 
明らかに古そうな三重塔だけ、ヤブ蚊にたかられながら木陰より垣間見てハイ終了〜(´Д`)

室町年間〜享徳三年(1454)建立、天文二十四年(1555)修理という古い三重塔らしいです。
築城時、どっかから持って来て移築したものなんだとか。チラッとしか見てないけど、
垂木なんか年季入っててすごかったわ・・・あ、これもちろん重要文化財です。

傘は必要だった瞬間


で、これが仁王門。やっぱり室町時代に建てられたもので、門も仁王像2体もそれぞれ重要文化財。
だけどじっくり見る間もなく、写真を撮ったこの位置までダッシュで駆け下り瞬撮してハイ終了・・。

せっかくリュックしょってるのにカッパを出してきちゃったワタクシおろかすぎる!!
いや、まて。カッパなんかいらん。必要なのはカメラ守れる折りたたみ傘だったわΣ(゚Д゚)!

覚え:登城時に必要な装備〜出来るだけ強力な虫よけマスト。カッパよりむしろ傘が必要。

とんだチラリズムだった瞬間


駐車場に戻って着替えてからジュースを買おうと休憩所に行くと中には天主の模型〜上の方だけがw
ここだけ見せられてもモヤッとするわ〜ということで復元された天主が展示された信長の館やら、
天主を真っ二つにして内部が見える模型があるという城郭資料館
やらに立ち寄ることにします。

名残り惜しんでいた瞬間


最後に・・城の敷地入り口に建つ安土城址碑をなでなで・・なぜに帰りがけ? 


さぁ、これでもう天気関係ない!! 次は雨の日も安心な城郭資料館と信長の館に向かいます。



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2013.08.09 Friday 20:35 | comments(2) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

安土城に登城!その1〜大手道・黒金門跡編

[日本百名城] ブログ村キーワード

日本100名城51番 安土城に登城!

観音寺城のある繖山(きぬがさやま)とは尾根続き。あっという間の到着です。

空模様が怪しすぎた瞬間


ついに信長の城、安土に来てしまった!! もったいつけてあえて登城せずにいたから、
いざ来てみると、長い旅の終わりが近づいたみたいな気分にうっかりなりかけるわw
安土城の麓の有料駐車場(500円)に車を停めて、雨が降りそうなのでさっさと行きます。

信長イズムだった瞬間


安土城の南側にある大手口から入城します。大手のあたりは2002年に東虎口の石段が発掘されてから、
長い時間をかけて整備が進められました。写真では左奥に西虎口の片隅がチラッと映ってるだけだけど、
当時は大手門の他に3つも門が並んでいたみたい・・ヨーロッパとか中国のお城みたい感じなのかな?
入口からして天下人の城のスケールのでかさ感をアピールする効果がありそうな気がします。

幻にチェックインの瞬間


ここで入城料を払ってパンフレットをもらいます。2006年くらいまでは見学自由だったみたい。

安土城は天正4年1月(1576)信長の命を受けた丹羽長秀が普請奉行となって築城が開始されました。
各地から多くの人夫や当時最高の技術を持った職人が集められ、3年後の天正7年天主の完成後、
信長が移り住みました。標高199mの安土山を丸ごと城域として石垣をめぐらし、五層七重の豪華絢爛な
天主を持つ安土城で信長は天下人になるはずでしたが、天正10年(1582)本能寺の変が起きると、
城は明智光秀方の手に渡り、光秀が秀吉に討たれると天主・本丸は消失しました。

その後、織田家の後継者をめぐって信長の次男信雄<や孫の三法師が入城するものの、
天正13年(1591)、小牧長久手の戦いで信雄が秀吉に屈すると三法師は岐阜城に移され安土城は廃城に。
その後は信長が城内に建てた宛寺によって城跡が守られ、現在にいたっているそうです。

威風堂々だった瞬間


お金を払って中に入るとまず目に入るのが大手道。安土城と言ったら必ず写真に載るところですね!
道の幅は6メートル、これがまずは直線状に180メートル続きます。両側には幅1メートルほどの側溝、
両側に石塁が並んだ堂々たる景観です。この両脇にこれまた歴本に必ず登場する重臣の屋敷跡が並びます。
こっから山頂の天主跡まで400段ちょっと・・・またヨロヨロしながら気持ちで登って行きましょうw

心理作戦だったに違いない瞬間


まずは大手道入ってすぐの右側、前田利家の屋敷跡。大手道正面の守りを固める重要なポジション。
写真は少し上から大手門があった方向を見下ろしているもの。隅櫓が建っていたという櫓台があります。
ちょっと空いているところから中に入ると枡形になっていて、奥に向かって屋敷が建っていたようです。

少し残念だった瞬間


枡形を入って左手には上段郭が。案内版を見るとここには当時、多聞櫓が建っていたみたい。
屋敷はこの方向から右手奥の郭にあったようですが、未整備らしく奥まではいけませんでした。

仲良く防御だった瞬間


大手道を入った左側・・前田利家屋敷の向かい側には羽柴秀吉の屋敷跡もありました。
城の入口を重臣の犬猿が守る配置だったんですねw 秀吉の屋敷は大きく2段に分かれていて、
当時は下段にあたるこの位置に壮大な櫓門が建っていたようです。

ものすごい想像力が必要だった瞬間


案内版にあった復元図によるとこんな感じ。当時、大手門を入ってすぐ両側にこんな建物が建っていたと
思って今の大手道を見ると威圧感が5割増以上になりそうだから、雰囲気もかなり違ってきますね。

分かりづらかった瞬間


で、これが秀吉屋敷跡の下段の部分。当時建っていたという櫓門を入った辺りから中を見た感じですね。
ここに遠侍と呼ばれる武士が控える部屋が設けられた厩があり、馬6頭を飼うことが出来る広さだったとか。

それにしても安土城は案内板が充実してます。説明も詳しいし図もちゃんとあるのが素晴らしい。
隣にあって同じ百名城指定なのに放置プレイもいいとこの観音寺城が尚さら痛ましく思えてきます。

スケールが大きかった瞬間


下段から上段の方を見上げてみます。写真右側が大手道に面した方。櫓台があるのがわかります。
上段は生活の場で主殿や内台所などの建物が建っていました。秀吉屋敷は城内で最大規模だったそうです。

息切れしてきた瞬間


180メートルの直線が終わると大手道はここで大きく左手に曲がっています。
整備された石段とはいえ登りが続くとヨロヨロしてきます。なので休憩がてら振り返ってみました。
青々とした樹木ではなく、道の両側に櫓や門や屋敷の屋根が並んだところ見てみたいね。
ちなみに大手道の左側(写真左)手前にある入口らしきところが家康屋敷跡と総見寺の敷地。
総見寺を見学するには別料金がかかります。ワタクシは時間がなかったので割愛しましたが。

パンフ二度見の瞬間


大きく左に曲がった大手道はここから七曲の様相になってきます。道幅も狭くなってきました。
最初の方は屋敷を並べてディフェンスを固めた直線の道、そのまま行けるかと思いきや左に曲がり、
そっからはグニャグニャ曲がり道幅も狭くなる・・普通に考えたら攻め上がるの大変なんだと思うけど、
案内図を見る限りこの七曲付近には屋敷や郭とかの設備はなかったみたいで少々変な感じがします。

信頼は絶大に違いなかった瞬間


七曲を上がりきる手前左に武井夕庵の屋敷跡はありますが、下で見た重臣たちの敷地よりコンパクト。
武井夕庵は信長の側近ですが右筆などを務めた人。守りのために配置されてるわけじゃなさそうよね。

上から目線だった瞬間


大手道の石段には全体を通してあちこちに石仏が使われているのが見えます。
神をも恐れぬ信長だからってんじゃなく、当時の感覚では普通のことなんでしょうね。
光秀ですら福知山城なんかでは転用石(墓石や石塔)を惜しみなく(?)使っている。
石仏などが使われる理由はワタクシにはわからないけど、なんだかんだお寺が潰れて野ざらしになり、
後にその辺に石ころ扱いで放置されているより、お城で使われて案内版付きで残る方がいいわよ!

先は長かった瞬間


大手道の終わり。本丸のある方までは続いてなくて、ここで道が2つに分かれ、一方は本丸方面へ。
もう1方は城の西に向かっています。写真は本丸方面へ向かうところ。信忠の屋敷がここにありました。

やっぱり後継ぎだった瞬間


信長の長男、信忠の屋敷であったことを示す標柱が立っています。大手道が終わり、天主のある本丸に
至るところへ立ちはだかるように配置されています。もちろん門などが建っていたんでしょうね。
秀吉屋敷のような復元図は見当たらなかったけど、ここに配置されたなりの設備はあったと想像します。

うんざりしていた瞬間


うへぇ〜まだ石段が続きます。いい加減、膝がほほえみ出します。信長はもちろん、家臣のみなさんも
フロイスも朝廷の勅使もみんなここを登ったのよ・・と当時に思いを馳せながら引き続き気持ちで登ります。

片時も離したくなかった瞬間


二の丸〜本丸に至る入り口にある黒金門手前には、織田信澄邸と森蘭丸邸の標柱がありました。
標柱は石段から見える位置にありましたが、実際の屋敷はここよりもっと奥にあったそうです。

信澄は若かりし頃の信長が尾張統一の中で殺した実弟、信行の嫡男。自分の嫡男である信忠より
本丸に近いところに屋敷が配置されているのね。信長は信澄が幼い頃は柴田勝家に養育させ、
後に明智光秀の娘を娶らせています。戦国の習いとはいえ、実父を殺された信澄が叔父である信長に
どんな気持ちでいたか分からないけど、信長が信頼して厚遇していたことがうかがえます。
逆に言えば猜疑心が強いと言われ、身内でも気に入らなければ冷遇した信長に重用されるほど
信澄さんは手堅い人だったってことよね。信長が寵愛した小姓の森蘭丸が近いのは普通に納得w

想像しきれなかった瞬間


ようやく天主のある本丸へ続く二の丸の入り口に建っていたという黒金門跡にたどり着きました。
ここまでに見て来た石垣と明らかに規模の違う大きな石が積まれた虎口には当時、厳重な防御施設が
あったことが想像できます。黒金門も本能寺の変後、天主と共に焼失していて、発掘調査では
焼けた瓦の中に菊紋や桐紋のついた金箔瓦が見つかっているそうです。あの豪華絢爛アメージングな
天主のあった城の中枢へ続く門だもの・・そりゃ壮大で威圧感のある眺めだったに違いない!!
ああ・・・焼けてしまったの本当に惜しいですね。家に帰ったら改めて安土城3D復元でも見てみよう。

いい加減疲れて来たけど、本丸>天主跡に近づいてきたのでアドレナリンが出てきたみたいw
登城開始時よりさらに今にも雨が降ってきそうな感じになってきたけどハッスルして先へ進みます。


安土城に登城〜その2 本丸天主跡編へ続く



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2013.08.07 Wednesday 21:55 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

観音寺城に登城!その2

[日本百名城] ブログ村キーワード

本丸跡を出て大手道を降りて観音寺城の大場所、平井丸に行きたいのですが・・

けもの道だった瞬間


本丸から平井丸あたりの観音寺城で一番見どころのエリア=人がそれなりに来るところでこの状態。
整備されすぎも困るけど、放置プレイも恐ろしいわね。整備もなけりゃ、案内板もほとんどなし。
ワタクシは縄張図を持参なので平井丸の方向は分かるんだけど、大手道を降りきったところで、
どう見てもこの道しかないのが分かった瞬間、ちょっぴり引いた。引いてる間にまた蚊に刺されヽ(`Д´)ノ

とはいえ埼玉から寝ずに来て、1300段も登ってここまで来たのに平井丸の虎口を見ずして何とする!
と鼻息荒くしつつ、遭難とか山での事故のきっかけは、こういうことなのかもしれないと妙に納得w

意を決して足を踏み入れたら・・ギャー!!小さい蛾みたいな虫がたくさん草の中から飛び出してくる!!
1歩1歩・・1歩ごとに・・時々、都会じゃ見なくなったでかいバッタも横切ります。マジきもすぎる!!

気分は探検隊だった瞬間


百名城にもなってるし、そうじゃなくてもワタクシのような物好きや城ファンがそれなりに来るのに。
隣の安土城整備にお金かけすぎて観音寺城は二の次・・どころか忘れられてんじゃないかと心配になる。
六角さんの頃、郭間を行き来した家臣の気持ちをリアルに体感できるってのはいいんだけど。

緊張がとけた瞬間


やっぱ遭難しかけてんじゃないかと心配になってきた頃、明らかに郭とわかる空間に出てひと安心。
平井丸は右側になるので、おそらく池田丸との間にある落合丸の一部になるんだと思います。
総石垣づくりの城跡を感じさせる巨石の石積み。誰もいない静かな城跡は時間が止まっているよう。

感無量の瞬間


で、ここが観音寺城といったら必ず写真に出てくる平井丸の虎口。百名城スタンプもここの風景を使用。
ワタクシはこれが見たくて1300段や嫌いな虫の試練に耐え、暑い中ヨロヨロしながら頑張ってきたのよ。
土塁や空堀がメインの城跡じゃないから、生い茂る草木に囲まれた様もまた独特の風情がある気がします。
冬枯れの時期のが遺構は見やすいかもしれないけど、観音寺城に限ってワタクシむしろこの方が好きかも。
それに晴天の時より、水気を含んだ梅雨の薄曇りっていうのも雰囲気が出て逆によかったのかもしれない。
やっぱり思い立ったが吉日。城は逃げないのに時期を選ばず梅雨の最中に登城して正解だったんだわw

ひとりで納得の瞬間


虎口前に立ってみました。感動のあまりいつものように登城ポーズ撮るの忘れておりますw
密林の中の忘れ去られた遺跡っていう感じ。一人佇んでいるとやっぱり時が止まっているみたいな。
栄枯盛衰を物言わず語っているようにも思い、廃れていく美しさがあることを気づかせてくれます。
石の大きさや石垣の規模が大きいことが伝わるかしら・・ちなみにワタクシの身長は168僉

実は頼りなかった瞬間


1つ上の写真の左手には落合丸の虎口があります。平井丸もそうだけど虎口としてはシンプル。
ほぼ隣り合ってる感じになりますね。標柱には「伝落合氏屋敷跡」と書かれています。
観音寺城は山の中に重臣の屋敷を置いた郭がいくつも配置された縄張になっていました。
でもディフェンス重視の縄張がされた堅固な山城かというと案外そうでもなかったみたい。

郭の数ばっかり多くても、けもの道を通って感じたように郭間の伝達からして大変だろうし、
攻城側は弱い所から攻めるだろうから、郭ごとに分散してたら兵の移動もままならない。
信長に攻められた六角さんが戦わずして逃げたのは、籠城に向かないからなのだとか。
観音寺城は支城と連携して防御する城なので、箕作山城が落とされジ・エンドだったようです。

飛び出す虫だらけだった瞬間


では平井丸の中に潜入してみます。虎口を反対側から見ると木で隠れている部分もちゃんと石組が。
同じ山城でも整備されている小谷城なんかとはやっぱりワイルド感が違いますw

何気に不気味だった瞬間


石段の片隅に仏様が彫ってあるような石が置かれていました。元の石の色なのか新しいめのものか
分からないけど、当時からあっても後から置かれても、どっから持って来たの? ちょっと怖いわ。

哀愁が漂っていた瞬間


平井丸の中に入ると「伝平井氏屋敷跡」と書かれた標柱がありました。平井丸は完全に樹木に覆われて、
晴れている日でもあまり日が差さないのか「色がない」印象の空間。うら寂しい感じがします。
標柱の奥に丸い墓石のようなのが立っているの分かります?平井丸だけあんなのがあちこちに。

異空間だった瞬間


ほら、こっちにも。整備されてないから逆にそれなりに昔からあるものなんだと思うけど、
なんで平井丸にだけ?と思ったら、色がなく薄暗い空間だけにちょっぴり怖くなりました。
オーメン出来に感心、13日の金曜日笑っちゃう。パラノーマルアクティビティ意味不明Σ(゚ロ゚;)
でもこういう想像が何かを補っちゃう言い知れぬ雰囲気は怖い。落ち武者とか見えたら・・ギャー!!

酸素パワーで体力回復の瞬間


平井丸を出て落合丸を抜け、追手道を通って池田丸に向かいます。この辺は平坦で歩きやすく、
ずーっと続く苔むした石垣を眺めながら、ちょっとした森林浴・・いや、でも虫がうざすぎです。
同時に昔見た怖い話の特集で、どっか真夏の山でゲートル巻いた兵隊さんの幽霊の話をふと思いだし、
矢が刺さった落ち武者とかに遭遇したらどうしようと、山城につきもののマムシより心配したりw
体力心配しなくていい所だと余裕があるから、余計なところで恵まれた想像力が逞しくなるみたい。

広さが分かりづらかった瞬間


池田丸に到着しました。細長い空間なので分かりづらいけど観音寺城で最大規模の郭です。
観音寺城の西側の端にあって、この先は大石垣を経て埋門という配置になっていたようです。

首をかしげた瞬間


池田丸にも虎口がありました。向こう側に行ってみたけど降りるなり登るなりの道が分かりません。
すぐ目の前は下に向かって斜面、横に向かって虎口の石垣沿いもまともな道はなく・・謎ですね。

気合いが入っていた瞬間


池田丸の西側には先ほどの虎口から続いてずーっと石垣が積まれています。そんなに高くないけど
池田丸は尾根筋にあるので、後ろの斜面から登ってこられた場合に備えての防御なんでしょうね。

おもむろに登城を振り返る瞬間


一部には土塁もありました。それにしても何とも言えない裏さびれた感じにしびれます。

今回、ワタクシは観音寺城に電撃登城しましたが、山城はノーチェックだと何かと大変なので
縄張図を印刷して見たい郭と方向だけは確認してきました。おかげで平井丸の目的は果たせたけど、
案内板もないし、縄張図だけじゃ細かなルートも分からず、多分地味な見どころも見逃してる。
小谷城春日山城なんかは山城でも整備されて、登城マップ的なものももらえるから苦労ないけど、
観音寺城は多少でも予習してないと厳しいね。それでも現地来てひるむ場面もあるのだけれどw

整備熱望の瞬間


本当は池田丸の先にある女郎岩やら大石垣やらといった巨石を見て帰りたかったんだけど、
途中まで行って、藪のせいで見えないのか、ワタクシが迷ったのか進む道が分からなくなり、
足場の怪しい場所に立ってることも怖くなったので断念。写真はその場所にあった石垣です。

道が整備されていないので見どころはたくさんあっても、行けなかったり分からないのが残念ね。
人様のブログの写真を参考に縄張図と紐づけて、独自マップ作るくらいの気合いが必要だw
それにしても滋賀県にもう少し頑張ってほしいわ。安土小谷もいいけど中世総石垣の山城である
観音寺城だって後世に残さなきゃいけないよ。道以前に崩れかけてるとこ補修しないと壊れる。


とりあえず観音寺登城今回の目的はコンプリート! まだ城の東半分残ってるけどどうしよ?
また1300段上ってわざわざ残りを見に行く物好きになるかどうか、非常に悩ましいところですw
でももし次に登城するとしたら、今度はあえてカッサカサの時期にしてみようと思います。

帰りの1300段は楽勝!! マッハで降りていよいよ信長の安土城に向かいます!! 鼻血がでそうよw



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2013.08.03 Saturday 13:35 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

観音寺城に登城!その1

[日本百名城] ブログ村キーワード

日本100名城 52番 観音寺城に登城!

張り切っていた瞬間


セミナリヨ跡から9時開門のスーパー林道を通り、観音寺城登城口のひとつ観音正寺にやってきました。
観音寺城はワタクシの「たぶん登城したい城と城跡ベスト10」にずーっと入っていた城跡よw

城跡に行くにはいくつかルートがあるけど、こんな巨大な山城をイチから登るだなんて無理すぎる!
でスーパー林道を通って、山の中腹あたりに位置する観音正寺スタートのルートにしたんだけど、
やっぱり巨大山城、そうそう楽は出来ないらしく、このお寺からして難儀なこと、まぁ難儀なこと・・

リアル天国への階段だった瞬間


城跡への入口は観音正寺の中にあるから、まずお寺にたどり着かなきゃ始まらないんだけど、
なんと、この自然石の歩きづらい階段を1300段も登らな到着出来ないという・・Σ(゚Д゚)! 
体力のなさすぎるワタクシ。数十段上っただけで息切れ。数百段上ってペースダウン幅さらに倍。
手すりにぶら下がって這うようにヨロヨロ歩き、半分を過ぎた頃にはほぼ瀕死の状態です。

お見通しだった瞬間


普段こんな階段を登らないから仕方ない・・心の声がMAXになった頃、これが出現( ;゚Д゚)
そんな余裕がないから何段ごとか忘れたけど、定期的に仏様のメッセージらしきものが出てくるのよ。
思い立ったら矢も楯もたまらず、蒸し暑い梅雨の最中、わざわざ奇襲のように出陣したのは自分。
思ってる以上にみじめにならないよう、体力の代わりに与えられた根性を使って登っていきますw

迫力のお出迎えだった瞬間


息もたえだえ、ほうほうの態でたどり着いた観音正寺の入口。やっと苦しみから解放されました。
あやうく登城を忘れそうになるくらいの言い知れぬ達成感を感じている自分を持て余しますw
観音正寺は西国33所巡礼の32番札所。西国札所の中では最も難関な札所と言われているそうです。
中高年以上の巡礼さんがここを普通に登っているなんてマジすごすぎ!と本気で思いました。

由緒正しかった瞬間


観音正寺の境内は花木の手入れもお掃除も行き届いていて、とても気持ちのよい雰囲気。
1400年前、この地を訪れた聖徳太子が人魚に会い、人魚に頼まれて自らが千手観音の像を刻み、
堂塔を建立・開創されたのが縁起だそうです。この山の中で人魚?と思ってしまいますが・・。

建設の苦労を思う瞬間


本堂は1993年に火災で焼失し、2004年に再建されました。火災の前は重要文化財だった千手観音立像や
聖徳太子が寺を開く元になったことに絡んでいるらしき人魚のミイラ(!)などがあったそうです。
本堂の右手にはたくさんの石が積まれています。仏様やらお釈迦様やらお地蔵様の姿も見えます。

盛り上がってきた瞬間


いよいよ観音寺城だと思ったらウキウキしすぎて境内の登城口の写真を撮り忘れました(ノд-。)
境内の大仏様とかが並んだ脇にある小道をふっと入るとすぐ、こんな山城チックな風景に!!

余すところなく見たい気持ちは山々ですが、観音寺城は何しろ山ひとつ丸ごと城という巨大城郭。
全部に見て回るにはかなりの時間と体力はもちろん、準備や装備もないと遭難するかもしれん。
今回は・・といって果たして次があるかは不明だけど、本丸>平井丸>池田丸側を攻略します。

虫よけ必須アイテムだった瞬間


観音正寺から本丸へ向かう道すがら、ちょいと入ったヤブの中に供養塔と供養碑がありました。
ヤブ蚊に食われながら近づいてみると「佐々木家累代の墓」の文字が。内容は・・とにかく供養よw
建立者の名前が佐々木さんとなっていたから子孫などゆかりの方が建てたものなんでしょうね。
源氏の名門、佐々木六角氏の居城だった観音寺城。供養塔は新しいけど名前を見ると雰囲気出てくる。
それにしてもヤブ蚊がハンパない!!シャッター押す指に2匹もとまりやがったヽ(`Д´)ノ

かゆすぎた瞬間


ズボンにも数匹単位でたかってくるしつこいヤブ蚊どもに襲われながらヤブ漕ぎをしていくと
ようやく本城跡に到着しました。山城に一番向かない梅雨の最中の登城だから仕方ないけど
供養塔から本城跡まではそこそこ山道で樹木ワッサー状態。蚊に食われてかゆいのか、
得たいの知れぬ草木の刺激でかゆいのか、べとべとの汗のせいか・・かゆすぎてたまらない。

観音寺城は佐々木六角氏の本城で中世の代表的な山城。応仁2年(1468)に完成しその後、
鉄砲に備えて大々的に石塁が改修されたそうです。永禄11年(1568)将軍足利義昭を擁して
京都へ上ろうとした信長の通過を拒否して攻撃を受け、支城であった箕作山城が落城すると
六角義賢は城を捨てて逃亡。近江の名門六角氏は滅亡し城はそのまま残されました。

謎すぎた瞬間


広い本丸跡。六角氏の頃にはもちろん天守はなく、2階建の屋敷があったと言われているよう。
観音寺城のある繖山(きぬがさやま)は標高432.9m。本丸は頂上ではないけれど結構高い。
城のある山の高さは小谷城がちょい高いくらいでいい勝負。いや〜ほんと住むとかご苦労様だわ。
通常の利便性度外視で住んでても、いざって時に籠城で粘れない城ってのもどうかと本気で思う。

地味めすぎた瞬間


本丸の搦め手虎口。手前が本丸でこのまま降りていくと別の登城口になる桑実寺があるそうです。
写真だと分かりづらいけど食い違い虎口になっています。観音寺城は平虎口が多いので珍しいって。
この虎口の石垣も高さは3mくらいあると思うけど、やっぱ存在が単品だから迫力にかけちゃうね。
正直、本丸あたりだとまだまだ遺跡や神殿の廃墟ような雰囲気が少ないので感動はまだ来ません。
観音寺城跡と言って写真に載るのが、まず本丸じゃない理由がよーくわかるわw 

こんな大手はイヤすぎた瞬間


なので早々に本丸から大手道の石段を下りて観音寺城の大場所、平井丸虎口を見に行くことにします。
観音寺城は山の上の巨大城郭として有名だけど、縄張りが本丸、二の丸、三の丸・・という構造じゃなく、
重臣の屋敷が建つ郭がいくつも連なっている構造。防御を全く考えていないわけじゃないだろうけど、
本丸が山頂にあるわけでもなく籠城にはチョト向かない、イコール六角さん速攻で逃亡って感じで。

さぁさぁ立ち止まってるとヤブ蚊が倍たかってくるから(本当しつこい&大量すぎて病気になりそう)
本丸から大手道をいったん降りたら、平井丸へは道なき道を自力開拓しながら進んでいきます。

覚え:観音寺城攻略に必要な装備〜出来るだけ強力な虫よけマスト。登山靴あると尚よし。



観音寺城へ登城!その2へ続く。



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2013.08.01 Thursday 20:06 | comments(2) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

長浜城に登城!

[豊臣秀吉] ブログ村キーワード

徳勝寺から何とかギリ長浜城に登城!! 豊公園の駐車場が満車で一瞬「マジか!」と思いましたが、
臨時駐車場に停めれてセーフ。粘るところじゃないのでサクっと見て退却することにします!!

奇跡!人いなかった瞬間


長浜城は琵琶湖のほとり市民憩いの場になっている豊公園内にあり、大通寺や黒壁スクエアと並ぶ
長浜観光の目玉になっているので、もっと人が多いかと思ったけれど夕方のせいかパラパラ程度。

犬山城なんかを参考にして初期の感じで建てられたという鉄筋コンクリート造の模擬天守。
琵琶湖からは巨石なんかも出てきているようですが、この石垣も建てる時に積まれた新しいもの。
模擬天守もピンからキリまであるけど、長浜城は模擬なりにちゃんとしてっぽいなと思いました。

市の文化財だった瞬間


模擬天守の横に本丸跡の碑が立っています。当時は御殿や庭園なんかがあったんでしょうね。

元は「今浜」と言ったこの地を信長に与えられた秀吉が、信長の一字をとって「長浜」に改称し、
城下町を作りました。その後、山内一豊、徳川家臣の内藤信成らが入城しますが、元和元年(1615)、
信成の子、信正が摂津高槻に移る時、伊井家の領地となって長浜城は廃城となったそうです。
建物や石垣のほとんどが彦根城に移され、天秤櫓、隅櫓などがその遺構だと言われているのだとか。
長浜城の近くにある大通寺台所門、 知善院表門なども移築門として有名らしいのですが、
日暮れも近いし・・もうワタクシ足がパンパンで攣り気味なので割愛することにしました。

もったいなかった瞬間


模擬天守の前には天守台跡が残っています。当時は東西12間×南北10間もあったと言います。
長浜城跡では石垣や礎石建物跡や舟着場らしき石組み遺構等も一部発見されているようですが、
調査は部分的で、全体の縄張や細部の構造については未だ解明されていないんだって。
秀吉が手をかけたお城でも江戸初期に廃城になってしまうと謎に包まれてしまうのね。
絵図でも縄張図でも、最悪きれっぱしでも何かしら資料が残っても良さそう気がするんだけど。

好みがうるさかった瞬間


長浜は秀吉によってつくられた城下町ということで未だ【秀吉ラブ】が強い土地柄なんだそうです。
というわけで天守台跡には太閤になった秀吉さんの銅像が建てられていました。
大阪城内の豊国神社にある秀吉像を見た時にも、銅像としては素晴らしいケド何か違うわ〜と思ったけど
長浜に来てまた違った秀吉像を見て、その思い「さらに倍!」みたいなΣ(゚ロ゚;)
長浜町人の家に伝わる絵が元ネタらしいんだけど、町人の家になぜ太閤さんの絵が・・怪しいw
そのうち名古屋の中村公園にある銅像も清正の銅像のついでに(!)見に行くつもりなんだけど
ワタクシ的には出世街道爆走中の「猿!」と呼ばれてノリに乗ってる頃の感じが欲しいんですw

夢と希望が浮かんでいた瞬間


天守台からは今は目の前に木が茂っているけど、夕日の差し込む琵琶湖が見えました。
案内板にあった復元予想図を見ると、琵琶湖の水を取り込んで曲輪の周りに堀を巡らし、
湖のほとりに張り出すような縄張になっていました。天守からは琵琶湖が丸見えだったよう。
初めて城持ちになった秀吉は「まだまだビッグになってやるぜ!」と野心に燃えて琵琶湖を、
そんで琵琶湖をと見せかけてからの〜「西」を眺めていたかもしれないねw

10分待った瞬間


模擬天守は歴史博物館となっています。混んでないと言っても人がパラパラ出たり入ったりするし、
おまけに天守横づけで某宅配便のトラックまで停まってたもんだから模擬天守でも待っちゃいましたw

足が本当にイカれ始めてプルプルしていたけど、せっかくだから景色を見るかと思って入城。
階段あがるの辛かったわ〜ちょっと動かすとピキッと攣りそうになるから本当にまいったΣ(゚ロ゚;)
中は秀吉関連の他に、小堀遠州や国友一貫斎とか長浜の歴史とともに人物の展示がありました。

ビル相当邪魔だった瞬間


どんだけ好きなんだ!って感じで長浜城に登ってまで小谷城虎御前山方面にかぶりつきますw
ビルの右に虎御前山、その重なって奥に小谷城があって、ビル左には賤ヶ岳まで見えますよ!
さっき見て来た浅井三代のお墓がある徳勝寺は、秀吉が小谷から長浜に移したというのも
この距離を見て納得。旧小谷家臣への配慮とかそういうのもあったんだろうと思いました。

北近江素敵すぎた瞬間


伊吹山と関ヶ原方面もよく見えました・・これまた中途半端なマンションが邪魔ですがw
彦根方面なんかもよく見えて・・ちょいちょい邪魔な建築物がある今でさえパノラマビューだから、
交通の要衝に睨みを利かせる意味で建てられるお城の重要さがリアルにわかりますね。

セキュリティが心配だった瞬間


発掘された石垣根石もゴロッとさりげなく置かれています。彦根に持ってかれなかったやつね。
根石と言ってもものすっごい大きいものではないんです。ポジティブにとらえるとちょうどいい感じに
女性の足が写ってますので、遠近感をどんぶり勘定してもらうと何となく大きさ分かるかも!?

微妙だった瞬間


琵琶湖のほとりにある太閤井戸。長浜築城の際、秀吉が掘らせた井戸だと言われているそうです。
昭和4年に琵琶湖の渇水で発見されて、発見当時は厚さ3僂曚匹量擇糧弔念呂泙譴討い燭鵑世辰董
琵琶湖の水位によっては石柱の部分しか見えないこともあるらしいんだけど、
西日で何だかよく分からんシルエットで全部見えるのとどっちがいいのか・・少々迷うね。
でもそれよりも琵琶湖にそんなに潮位の差があることの方が気になって仕方がなかったりw

うがちすぎだった瞬間


石垣出土地には碑の他に、他と違って豪華な案内板が設置されていました。

従来、この附近の水面下には長浜城石垣の用石と伝えられる巨石が散在していた。
昭和44年7月、この地に湖岸埋め立て工事が進められる事になり、同年11月下旬から約1ヶ月、
水底の発掘調査をしたところ、石垣の根石と認められる30数個の巨石が延長約30mに亘り、
整然と列をなしている事がわかった。 (長浜市教育委員会の案内より)

もしや・・埋め立てちゃった埋め合わせか!?

ものぐさすぎた瞬間


帰りがけわざわざ長浜駅によって「三献の茶」の銅像を見てきました。

長浜城主となった秀吉は鷹狩の帰り、領内の観音寺に立ち寄り茶を所望します。
汗をかいた秀吉の様子を見た寺の小姓、佐吉少年は一杯目は大きな茶碗にぬるいお茶をたっぷり出し、
秀吉が二杯目を所望すると、今度は先ほどより少し熱いお茶を茶碗に半分ほど出しました。
さらに秀吉がもう一杯所望すると、三杯目は小さな茶碗に熱いお茶を入れて出しました。
秀吉は相手の様子を見て、茶の入れ方一つに気を配れる佐吉少年を気に入り召し抱えます。

この佐吉少年が後の石田三成・・三成が秀吉に取り立てられた時の有名なエピソードです。
本当かどうか別として、後に官僚として頭角を現す知恵者で機転の利く三成はもちろん、
ノリに乗っていた頃の秀吉の冴えっぷりも表している感じでなるほど納得な逸話ですね。

この銅像、駅前ロータリーにあるのですが、ロータリー狭すぎて一瞬も路駐できず、
しかしワタクシもう足が本当に痛すぎて、離れたところから歩くのも難儀だったゆえ、
何とか車からちゃちゃっと撮ったろ思い、うまいこと銅像の前の信号停止線で止まれるまで
ロータリーを3周もしてしまいましたΣ(゚Д゚)! こりゃワタクシも相当知恵者だわ・・フフ。

寝ずに憧れだった戦国ど真ん中でフルに遊んで充実感に満ち溢れていますが、
足はもっと腫れ上がっています。北近江に来てまでドラッグストアに寄って冷湿布を買うワタクシ。

それでも明日はその三献の茶の舞台となった観音寺石田町、横山城を目指します!!!(鼻息荒っ)


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2013.06.20 Thursday 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

小谷城へ登城!〜黒金門から本丸・大堀切

[城跡] ブログ村キーワード

長政自刃の跡を見た後は、ラスト黒鉄門跡から本丸・大堀切をご紹介します。

立派に違いなかった瞬間


大広間の入り口となるこの場所には当時、扉に鉄を打ちつけた門が建っていました。
長政は最後の攻撃の時、この門から討って出たと言われています。織田軍の攻撃を受けて
本丸に戻れなくなった長政は、やむなく赤尾屋敷に入り、そこで自刃しました。
今ここに黒金門はなくても、残された石段や石垣から頑丈で立派な門があったことが想像されます。

兵どもが夢の後だった瞬間


黒金門跡の近くには苔むした大きな石も。当時はどこかに積まれていたものなんでしょうね。
破壊されたものなのか分からないけど、崩れた石が無造作に置かれて風化している様にも、
小谷落城の物悲しさが演出されているよう。それでも徹底的に破壊されなくてよかったですよ。

最大だった瞬間


黒金門のあった虎口を抜けると大広間。千畳敷とも呼ばれ約3000屬らいあるんですって!
この付近からは土師器皿がたくさん出土していて、山の上に浅井家の人々の暮らしがあったこと、
そして政治的に主要な施設があったとも考えられているそうです。木はさっぴいて考えないとねw

暮らしを感じる瞬間


とにかく広いです。今はまさに「大広間」さながらだけど、当時はここにいくつかの建物が建っていて
酒宴が開かれたり、時には重臣が集まって軍議なんかも開かれたりしてたんでしょうかね。

キョロキョロしていた瞬間


礎石があちこちに残っています。この大広間、下を見て歩いていると礎石と同じくらいの大きさの石も
ゴロゴロしているのですが、ガイドさんが「完全に埋まっているのが礎石ですよ」と言っていました。
それでも礎石らしきものはかなり多く、御殿のような大きな建物もあったんだろうなと思いました。

尾根筋を体感した瞬間


黒鉄門から入って大広間の正面には石垣が積まれて一段高くなった本郭が見えます。
本郭の左手に降りると御局屋敷跡、大堀切そして京極丸や山王丸に向かうルートになります。

水不足が心配だった瞬間


本郭の右前には井戸跡も残っていました。大きなものではありませんが山城では貴重な水源。
馬洗池と同じように石で囲いがしてあります。掘り抜きではなく貯め井戸だったんでしょうね。
今は単なるくぼみのようになっているのでガイドさんに言われなきゃ気づかないところですけどw

戦国の城らしかった瞬間


小さな石を積み上げた本郭の石垣。ところどころ崩れかけているところに長い年月の経過を感じます。
本郭は鐘ヶ丸と呼ばれ、構造については不明だけれど、何層かの櫓はあったのだそうです。

想像しきれなかった瞬間


ガイドさんにくっついて本郭の上に上がってきました。大広間を背に奥へ長い郭のようです。
ものすごい広いというわけではありませんが、上下2段の作りになっていました。
三棟以上の建物の礎石が見つかっていて、御殿があったと考えられているそうです。

本郭にあった天守が彦根城の西の丸三重櫓として移築されたと言われていたそうですが、
昭和30年代に行われた解体修理でそうした痕跡は確認されず、今は否定されているようです。

復元絵図プリーズ!の瞬間


本郭から大広間を見下ろしてみました。当時ここから見下ろす風景はこんなだだっ広い空間ではなく
いくつもの建物が建って家臣が行き来していたんですよね・・なかなか想像しづらいんだけど。

分かりづらかった瞬間


本郭から御局屋敷跡がある方を覗いてみました・・・高低差を表現するってやっぱムズイね(´Д`)
撮ってすぐ液晶で確認するけど、都度ため息が出ます。目で見ている高低差はもっとあるのに、と。

実際見るのが一番だった瞬間


それでも懲りずに小谷城最大の防御施設である大堀切を本郭の上から狙ってみます。
空堀の向こうに見えるのが中の丸・・・ごめんなさい。ワタクシの腕前では表現できません。
深くて広くて迫力なのですがお届けできないのが残念。当時は橋が架かっていたようです。

キリがなかった瞬間


大広間を眺めて当時の想像を試みたり、上から撮る大堀切に納得いかず悶々としているうち、
ツアーのみんなは本郭をさっさと降りてしまったので、ワタクシもあわてて追いかけます。
が、今度は石垣に近寄ってジロジロ・・頑張って積んだ感と風化した石の感じがうっとりw

ワタクシは空気が乾燥した5月の晴れた日の登城だったけど、これもっと湿気の多い梅雨とか、
それも晴れ間じゃなく雨上がりの薄曇りなんかだと、水気を帯びた苔と石垣がまた違った味を
醸し出して、遺跡のような雰囲気倍増で訴えかけてくる感じはまた違うんだろうなぁ・・
いや、しかし。梅雨以降の山城は草ボーボー虫大量でイヤだから困っちゃうわよね・・・

確信した瞬間


・・・いかんいかん。やっぱワタクシ、この手のガイドツアーには向かないみたいね。
やっぱ登城は基本マイペースが一番。とはいえ、みんな大堀切に行っちゃうから急がなければ!!

御局屋敷跡から大広間方面を振り返った感じです。左手にあるのが本郭。

残念すぎた瞬間


やっとみんなに追いつきました。ここが小谷城最大の防御施設と呼ばれる大堀切です。
左が中の丸、右が本郭・・下から撮ったら今度は見切れて高さがわかりませんね(´Д`)
小谷城は尾根沿いに郭が縦に並んだ構造なんで、この位置も後ろに下がるに限度があるの。
あんまり下の方に降りていくと自分も怖いし、ガイドさんも心配しちゃうからね・・

秀吉にこの左側の中の丸の先にある京極丸を落とされ、長政は小丸にいた父 久政と分断されました。

尾根の上に建つ郭を落とすには、急な斜面を上からの攻撃に耐えながらひたすら登ることになります。
小説やドラマだとそこの長い描写はないから、秀吉軍が小丸に侵入してどうの・・となってますが、
実際に来て見てみると、堀切や竪堀のある尾根の上に建つこの山城に侵入して郭を1つ落とすだけでも
並大抵のことじゃないことが分かります。ガイドさんは「内通者がいたんでしょうね」と言っていた。

城の目の前に陣取る虎御前山の信長軍団のプレッシャー。朝倉の援軍は期待できない。
難攻不落の堅固な城は落ちないというひそかな慢心が重臣の中にはあったかもしれないし、
そういう雰囲気がビビりの家臣の恐怖に火をつけて保身の内通に走らせたのかもしれない。

ものすごい攻めにくい守りの堅い城ということを、実際に行って見て納得すると同時に、
アフォやビビりがいて、何かタイミングが合ってしまうとすべて台無しなんだなと改めて思う。
勝ち負けって武力や防御力だけじゃなく、それ以前に人の心の動きや雰囲気、時の運が大きく
関わっているんだとわかります。士気が大切という知識がリアルに結びつきますね。

未練たらしかった瞬間


ガイドツアーはこの大堀切までで終了です。写真には中の丸方面に向かう勇者の後ろ姿が映ってますが、
この先からは相当ハードになるそうです。中の丸、京極丸、小丸、山王丸、六坊、大嶽城、福寿丸、山崎丸・・
名残り惜しく手元の案内図を見るとごっつ山上行きますし、郭間が離れているところも多い!
本当は京極丸や山王丸は見たかったんですけどね・・ツアーだしツアーじゃなくても時間体力ないし、
というわけで、もうすでに大広間の方に移動しているみんなに追いついてワタクシも小谷城を後にします。
降りている最中にガイドツアーの御一行様が次々と、加えてどこかの山城研究会の団体さんがゾロゾロ
上がってくるのに出くわし、桜馬場や馬洗池のあたりは結構な人でした。早く来てホントよかったわw

計略にはまった瞬間


小谷城を降りた後、小谷城戦国歴史資料館に立ち寄りました。ここで100名城スタンプをもらいます。
スタンプは入館しなくてももらえるのですが、スタンプ押そうとしたら受付のオッサンに愛想よく
挨拶されてしまい、ワタクシもうっかり愛想よく答えてしまったので流れで入館することに。
300円払って入りましたが、展示物が多いわけでも、ワタクシ的にあまり興味のあるものもなく、
入らなくてもよかったわ〜とひそかに思いました。そう考えると300円は高い気がします。

派手な手帳だった瞬間


100名城スタンプと一緒に置いてあった浅井長政の花押のスタンプもついでに押してきました。
かっこいい花押ですね! なぜノートがゼブラ柄なのかってことはそっとしておいてくださいw


小谷城に大満足した後は賤ヶ岳古戦場へ! 「八本槍」を目論んでウキウキ車を走らせますw



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2013.06.09 Sunday 13:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

小谷城へ登城!〜番所跡から桜馬場

[城跡] ブログ村キーワード [日本百名城] ブログ村キーワード

戦国バスに乗ったらあっという間に番所跡手前まで上がれました。徒歩登りはきつそうだったわ。

ツアー開始の瞬間


バスを降りて少し歩くと案内看板の立つ番所跡前。ここから本丸まで案内してもらうそうです。

念入りだった瞬間


ワタクシ、登城したり史跡を見たりする時は、ボランティアガイドさんや係りの人を見かけると
ちょいちょい話しかけて色々聞いたりするのですが、こういうツアーに参加するのは初めて。
まずはボランティアガイドさんが案内板でこれから見て回る場所の概要と流れを説明してくれます。
写真はちょうど今回はコース外だけど、山麓には家臣の屋敷があったことなんかの説明ですね。

残念だった瞬間


番所跡の手前には金吾丸という郭があります。浅井亮政の頃に六角と対峙している時、
越前から朝倉左衛門尉教景が援護に来て、この郭に陣を敷いたそうです。左衛門尉の唐名は「金吾」。
そこからで金吾丸と呼ばれるようになったとのこと。ツアーでは金吾丸には登れなかったので
上がどうなっているかは見られず広さなどは分かりませんが、何気に急斜面でなかなかっぽいです。
ツアーだとこういうのが残念ですね。戻りのバスの都合があるので往復の時間が決まってるんだって。

目論み通りだった瞬間


家族連れや熟年夫婦がガイドさんと話ながら張り切って先行しているので自動的に最後尾確定w
ポイントに着くたび耳をダンボにして説明を聞くことにして、道中のよもやま話はあきらめます。
迷子にならない程度に何がなんでも最後尾で行くわよ!!これも人の映りこまない写真のため。

セキュリティ大事だった瞬間


まずは番所跡から。城内への出入りを厳重に見張っていた場所だそうです。結構広い!
番所跡を過ぎると、ここから先は尾根伝いにほぼ一列の形で郭が続いて行きます。

立場変われば思いも変わる瞬間


番所跡から少し坂を登ると、急に見晴らしの良い場所に出ました。さっき登った虎御前山が目の前に、
そしてその奥にはかすんでいますが琵琶湖が見えます。この場所は小谷城を少し登ったところだけど、
本来、下の山麓には家臣の屋敷があったので、なるほど・・虎御前山から人の動きも見えたはずだ。
逆に虎御前山だって木々なんかなかったろうから、信長軍の存在がそりゃ丸見えだったってこと。
首根っこつかまれてる感じうっとうしいというか・・ものすごいプレッシャーですよね(´Д`)

名前とは裏腹だった瞬間


御茶屋敷〜お茶屋敷前でございま〜す・・・名前は上品ですが軍事施設だったそうです。
建物があった跡もあるそうですが、茶屋があったかどうかは分かっていないのだとか。
御茶屋敷の前は番所、すぐ後ろが御馬屋敷だから、お茶屋敷は違うんだろうなと思いました。

アブニモ負ケズ・・の瞬間


御馬屋敷の前には伊吹山の見える絶景が広がっていました。真ん中に飛び出てるのが伊吹山。
関ヶ原で敗走した石田三成が捕らえられた山・・小説で何度も読んでるけど実際見るのは初めて。
伊吹山って山頂に雪があるイメージでしたが、4月末で雪はなくなってしまったんだそうです。
この辺り、巨大アブがブンブン飛んでいて怖かったけど、首をふりふり景色を堪能します。

アドレナリン全開だった瞬間


姉川の合戦の際、信長が陣を置いたとされる竜ヶ鼻も丸見え!! 横にびよーんと伸びてる小山が
竜のようだということで、その先端が竜ヶ鼻と呼ばれていたのだそうです。後で行くわよ待っとれw
そのずっと奥の方には関ヶ原があるということで、歴史の舞台を俯瞰している気分は最高!!

足元注意!の瞬間


小谷城はメインの通路の地面、だいたいこんな感じです。時々、落ち葉たんまり積もった道。
ワタクシは虎御前山で落ち葉だらけの道をスニーカーで登って歩きづらかったのでバス乗るのにどうよ?
と一瞬思ったけど、登山靴に履き替えて来て大正解! グリップがきいて足首固定できるのは楽です。
登城する際は間違ってもサンダル履きとかク○ックスとかで行くのはやめた方がいいと思いますよ!

マイペースだった瞬間


ワタクシが歴史舞台の俯瞰でいい気になっている頃、みなさんはすでに後ろの御馬屋敷にいましたw
ということでロクに説明を聞いていませんでした・・ハイ。ここでは馬が飼われていたようです。
砥石城では武田軍に水がたっぷりあることを見せるため、白米で馬を洗ったという話もあったけど、
山の中で馬を飼うってリアルに考えるとすっごい大変よね。第一わざわざエサ運ぶのもコトだし、
山城は水の確保だって場合によっちゃ大変なのに馬が飲む、洗う水までねぇ・・つうか、
出陣の都度、馬の出し入れも何気にストレスでは? 負け戦だった日にゃ登る気力もありゃしない!!

・・・何の話だ。面倒くさいこと嫌いな自分ベースの発想をしてしまいました。

やっぱり水は貴重だった瞬間


御馬屋敷のすぐ横には馬洗池と名付けられた小さな池がありました。やっぱ山城において水は貴重。
馬を洗ったというよりは城の飲料水確保の溜井だったという説が有力なんだそうです。
周りは石で囲いをして、底の方も水が無駄に吸い込んで行かないような工夫がしてあるみたい。
城内に井戸は3ヶ所と言ったかな?(↑余計なことを考えているので肝心なところを聞いていない)

効果はいかに?な瞬間


馬洗池から少し登ると首据石がありました。罪人の首を晒すための石で、天文2年(1533)、
六角氏に内通した今井左衛門尉秀信の首が晒されたと言われているそうです。
石の形からすると、ちょん切った首が安定感を持って乗っかりそうにないですけどねw
奥の方を御一行さんが先行しています。結局、ちらっと写真に映りこんでる時点でどうかと
薄々思ってはいますが、ワタクシ未だ最後尾キープ中。後できっと甲斐を感じる時が来ますよw

クライマックス目前だった瞬間


首据石を過ぎると、すぐ分岐が出てきます。まっすぐ行くと黒金門を経て本丸方面へ。
右へ行くと赤尾屋敷跡になります。赤尾屋敷跡は小谷城で絶対に見逃してはならない場所!
そう、浅井長政が無念のうちに自刃したと言われているのが、この赤尾屋敷だからです。

長政の気持ちになってみる瞬間


元亀2年(1572)8月27日、小谷攻めをしていた秀吉によって京極丸が落とされ、本丸にいた浅井長政は
父、久政のいた小丸と分断されてしまいます。その後、小丸を攻められた久政は自刃。
父を助けることも出来ないまま翌28日、信長から本丸に攻めこまれた長政は赤尾屋敷に逃れ自刃しました。

もはやこれまで・・死を覚悟した長政は無念と失意を抱えて、この細い道を歩いたんでしょう。

先の見えない細い道・・行き止まりの赤尾屋敷・・死に場所を探して歩く長政の耳に、
背後の本丸に迫った信長軍の声は聞こえていたのかな? むしろ静寂を感じていたのだろうか?
信長を裏切った時からこうなることは分かっていたのかしら? どのくらい覚悟してたのかな?
秀吉に託して落としたとはいえ、お市さんと三人の娘もきっときっと最後まで心配だっただろう。
名を残す、朝倉への義理を果たす、父の考えを尊重する・・この日まで自問自答どれくらいしただろう。

ワタクシ、いい感じに長政の気持ちになったつもりで歩いていました。

すると先行しているはずの御一行様の中のおっとり歩いていたおばちゃんにうっかり追いついてしまい、

いいわよね〜小谷城。わたし遠藤周作の本を読んで来てみたいと思っていたの!


と話しかけられてしまいました!! 遠藤周作はいいんですけど、わたしゃ今、長政なんですよヽ(`Д´)ノ

この細い道、落ち葉が積もっていて歩きづらい上、片側が急斜面になっていまして、
おばちゃんはどうも足が悪いらしく足元が怪しいので、もし転がり落ちたら困るわ〜と思い、
ワタクシは引き続き、長政になって後の話は上の空で聞きながらも、すぐ後ろをついて歩いときました。
夫婦で来ているのに旦那はさっさとガイドさんと先に行って・・夫婦仲睦まじかったという
長政ゆかりの地に来ているのに「オイ旦那、どうなってんだ!」とマジ本気で思いましたし。

さらにマイペース過ぎた瞬間


赤尾屋敷にたどり着きました。奥の方にガイドさんが何か説明しているのが見えますね。
ワタクシそれくらい本気で長政になったつもりでゆっくり歩いて来たってことですw
だから肝心な所の話を聞けよ!って話ですけど、追いついて耳をダンボにしてみたら、
ラッキーなことにまだ赤尾屋敷と急斜面の郭の作りについての話なんかしてたみたいで。

何気にお得だった瞬間


で、追いついたところで、長政がこの地で自刃したと言われていますという説明のくだりが始まり。
ワタクシ、御一行さんに追いついちゃったから、肝心なところで写真撮るの相当待つかな?と思ったのですが、
よくよく考えてみると、この御一行がたまたまそうなのか分かりませんが、案外みんな写真撮ってないの。
一眼持ってる人が2人ほどいるだけで、あとはスマフォで琵琶湖が見えた景色とか伊吹山の風景とか
そういうところは撮ってたのを見たのに、これまで見て来た遺構とかこの自刃の場所とかほとんど。

なわけで説明の後、ガイドさんが「じゃあ戻ります」と言ったらさっさとみんな行ってしまい、
ワタクシまたまた自動的に最後尾キープ。自刃の地でしばし長政の最期を思って佇みました。
その時、長政は何を思っていたんだろう〜本当に悔いはなかったのかな〜とかね。

それでも例のおばちゃんにはまた追いついてしまい、ちょいちょい話しかけられたのですがw

それはどうでもよかった瞬間


赤尾屋敷から先ほどの分岐に戻ってくると桜の馬場に出ます。本丸直前の郭です。
高さの違う郭が3つ連なっているところで、大河ドラマのロケ地になったところなんだとか。
ガイドさんから「ここでお市さんが小谷に嫁いでくるシーンが撮られました」と説明されると、
御一行様は一番食いついていました。「ここにスタッフが機材持って来たの?」とか質問出てたりw

絶景ポイントだった瞬間


桜馬場の先端からの眺望は素晴らしいです。何がどう見えるか分かりやすいので、
ワタクシの下手な風景写真ではなく親切丁寧な解説入りの案内でご覧いただきますよw
この場所は本丸のすぐ下。きっとお市さんもリアルにこの景色を見ただろうと思いました。

ズレズレだった瞬間


桜馬場には浅井氏及家臣の供養塔もあります。長政が自刃する時まで城と主を守ろうとした
多くの浅井家臣が命を落としたんですよね。戦国のならいとはいえ切ないことです。

奥の石碑は明らかに城跡が整備されてから建てられたものですが、あんなでかい石を足場の悪い山道
わざわざ運んできたのはご苦労ね。車は無理だからどうやって運んだのか地味に気になりましたw


この後は黒鉄門跡から大広間に入り、本丸〜大堀切を見て回ることになります。
思った以上に長くなっちゃったので次のエントリーで小谷城完結にしようと思いますww


小谷城へ登城!〜黒金門から本丸編 へ続く。


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2013.06.03 Monday 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 
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