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七尾城に登城!

[日本百名城] ブログ村キーワード

高岡城から下道をぶっとばして七尾城を目指してきました!!

先が長そうだった瞬間


七尾城に向かう登山口がここ。下調べの時は地図を見てもピンと来なかったんだけど納得。
まぁ歩いて登るわけじゃないからいいわw 登城前に近くの七尾城史資料館に寄ります。

混み混みだった瞬間


七尾城の100名城スタンプの設置場所がこちら。駐車場は数台分だけなので競争率高い!
空いてないので路駐しといて速攻スタンプゲット! 展示はあきらめつく感じなのでスルー。

安心だった瞬間


スタンプもらったら、さっきの登城口から車で一気に本丸直近の駐車場に向かいます。
山道は合ってるか心配な時があるけど、道は険しくともナビに出るだけマシというもの。

大人気だった瞬間


クネクネ進んで本丸直近駐車場に到着してびっくり! すっごい車が停まってます!!
苗木城と同じ感じなのかもね、国史跡で山城だけど大場所まで車でオッケ!的な感じが。

調整が大事だった瞬間


人にあまり追いつかないよう、戻ってくる人は上手くやり過ごすようにして進みます。
国史跡は整備されているので登山靴も必要なく、ちゃんとルートがあるので楽ですw

先が見えなかった瞬間


まずは調度丸へ向かいます。遊歩道右手の崖側を見るとメガ竪堀が(空堀も)ありました。
今は尾根も空堀も無視して我が道をゆく遊歩道が通ってるけど、当時だったらいきなり難儀。

自然体で粘る瞬間


ほどなく調度丸に到着! 七尾城一番の大場所「桜馬場の石垣」が見えて瞳孔が開きます。
見惚れていたら次々と人が下りてくるので、こうなれば意地でもいなくなるのを待とうと、
苔むした野面をさらにうっとり眺めました。するとついに誰も通らなくなりましたwww

そろばんをはじく瞬間


上がって桜馬場へ行きます。石は小粒だけど五段もあるとなかなか迫力があります。
城の規模といい防御施設といい、畠山氏あなどれないわ〜と感心してしまいました。

にんまりだった瞬間


待った甲斐あって人が全然こなくなったので、いい気になって足取り軽く登っています。

七尾城は能登守護であった畠山満慶が正長年間(1428〜1429)に築いたと言われ、
代々のうちに拡張や修復を重ねながら7代目義総の時に完成したと考えられています。
畠山氏はこの地を150年近く支配しますが、天正4年(1576)上杉謙信が能登に侵攻。
七尾城は兵糧攻めで包囲されるものの1年を持ちこたえ、一時は謙信を撤退させました。

しかしその翌年、七尾城下で流行病が発生し幼少の当主、畠山春王丸が急死すると
後見として実権を握っていた長続連と、不服に思う遊佐続光、温井景隆らの重臣が対立。
遊佐、温井は上杉軍に内応して長一族を暗殺し、天正5年(1577)9月七尾城は陥落しました。

その後、しばらくは上杉による支配が続きますが、能登一国が前田家の所領になると
拠点は小丸山城に移され、天正17年(1589)七尾城は廃城となりました。

鼻息が荒かった瞬間


桜の馬場に到着〜虎口になってるんでしょうけど、ワタクシにはイマイチ分からず・・
この場所は東西45m、南北25m。軍馬の調練を行った馬場だったようです。
ここから左へ行くと本丸、右へ行けば二の丸や九尺石方面。なのでまずは本丸へ!

重臣ポジだった瞬間


桜馬場のすぐ先には遊佐屋敷跡の案内版が。「本丸のすぐ西側に位置することから、
城主に次ぐ守護代の地位にあった遊佐氏の屋敷跡と伝えられています」だそうです。

瞳孔が開く瞬間


遊佐屋敷跡を抜けていざ本丸へ!! 石垣に囲まれた急こう配なので威圧感があります。
歩道自体は整備されてるんでしょうけど、なかなか雰囲気があるので足が止まります。

畠山氏の財力を思う瞬間


本丸の高く積まれた石垣・・・門などの建物があったことを妄想で付け足せば、
謙信が攻め落とせなかった五大山城、七尾城の堅固さが実感できる気がします。
内応がなければ柴田勝家も救援に向かっていたことだし、何とかなったかもしれないね。

まったくの余談ですが、七尾城救援に向かっていた柴田勝家は手取川を渡ったところで
七尾城陥落を知って撤退を開始するのですが、謙信による電光石火の追撃を受け、
意図せず背水の陣を敷くことになり大敗しています。謙信はこの勝利により
織田軍は大したことはないと豪語し、信長はより謙信を恐れたと言われます。

織田軍が七尾城救援に向かったのは遊佐・温井に暗殺された長続連の子、
長連龍が一足早く城を抜け出し、信長に救援を要請したため。
長連龍は後に前田家に仕えて重臣となり、関ヶ原、大阪の陣に従っています。

思ってより広かった瞬間


本丸に到着しました。東西50m、南北40mなかなか広め。城址碑と社が建っています。
連郭式の七尾城は本丸の下が断崖絶壁。まずは謙信が酔いしれた風景を眺めましょう。

月夜がよかった瞬間


本丸からは七尾市内と能登湾が丸見え!謙信もこの風景には感動したとか何とか・・・

霜は軍営に満ち 秋気清し 数行の過雁 月三更
越山併せ得たり 能後の景さもあらば 任他家郷の遠征を念ふ

謙信が七尾城を落城させた後、詠んだという「九月十三夜」の詩。
武勇のみならず、「四十九年 一睡夢・・」の辞世の句なんかもそうだけど、
言葉に対してのセンスもものすごくあった人なんだだなと思いますね。

ガスってて少々残念だけど、詩を詠んだ謙信の気持ちになって風景を眺め、
能登の先端まで足を延ばした甲斐があったと勝手に盛り上がりましょうw

念入りだった瞬間


本丸には土塁も残っていました。畠山さん本当にやる気マンマンでしたw

妄想中の瞬間


ではここでおもむろに久々の「七尾城に登城〜!」宣言w ワタクシは信長サマの次に
謙信が好きなので、畠山さんの財力や権力は気にしつつ謙信に思いを馳せてしまいますw

下世話だった瞬間


本丸から桜馬場に戻り、今度は二の丸方面に向かいます。遊佐さんとともに内応した温井さんの
屋敷跡や出現するプチ石垣を眺めながら、またまた畠山さんのすごさをそろばんにはじきますw

要に違いなかった瞬間


温井屋敷跡を抜けると九尺石が見られます。七尾城鎮護のかなめ石だったそうです。
桜馬場や本丸の石垣は小さ目の石だったけど、九尺ってだけに遠目で見てもデカそうな。

首をかしげた瞬間


石の大きさは九尺・・およそ300兪宛紂E時はちゃんと積まれてたんでしょうね。
それにしてもどっからこんなデカい石を持ってきたんだ!! そっちが気になります。

うっとりする瞬間


温井屋敷から二の丸に向かいます。こちらも二段の石垣が積まれて念入りな構え。
苔むして古びた石垣の廃れかけの美しさ・・・何とも言えない佇まいです。

やる気がうかがえた瞬間


二の丸は尾根の分岐点に築かれ、周囲に他の曲輪が配置されており独立して戦える構造。

本丸に隣接した遊佐屋敷、そして桜馬場を挟んだ反対側に二の丸と接する温井屋敷・・
縄張りを考えると内応した重臣2人の畠山家でのポジがどれほどだったのか察せられます。

壮大だった瞬間


山麓の大手口から登城するといよいよ主郭チックになってくる場所だからなのかしらん?
二の丸には懇切丁寧な案内版がありました。図を見ると改めて規模の大きさを感じます。
やっぱ山城は壮大なのが素敵よね〜とは思いつつ、二の丸から先は山を下りながら三の丸、
沓掛場、安寧寺、そして大手道に続くので、また車に戻ってくること考えると意気消沈・・・

前日から一睡もせず朝駆けし、すでに体力ゼロのワタクシは勇気ある撤退しましたΣ(゚Д゚)!

観音寺城月山富田城小谷城春日山城に七尾城で一応の五大山城クリア!
とはいえ、全域を回っての「攻略完了」じゃないので何年かたったら二回戦はアリだね。


北陸攻略1日目はこれで終了〜七尾から金沢に移動して明日の前田三昧に備えますw


金沢城登城!〜続く



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2014.06.20 Friday 20:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(新潟県) | 

新発田城に登城!

日本100名城31番 新発田城に登城!

日差しに激しくやられた瞬間


利用した駐車場の関係で二の丸からの登城。
平成16年に復元された三階櫓が目に飛び込んできます。
三階櫓はT字型になった3つの入母屋屋根に3匹の鯱が乗った全国唯一のもの。
午後の日差しが強くて櫓の白壁に反射する光が目に刺さるわ〜

首をかしげずにいられなかった瞬間


新発田城の天守相当だった三階櫓はなぜT字型の屋根なのか分かっていないそうです。
左側の青い壁の向こう側が自衛隊の駐屯地。昭和28年から本丸の大部分と二の丸が
自衛隊の敷地となり、映画「八甲田山」のロケで使われたとガイドのおばちゃんが言っていた。
明治政府が絡むとろくなことがないというのはよく思うけど、自衛隊もなぜに?と思う。

さりげなく重要文化財だった瞬間


旧二の丸隅櫓は二ノ丸北部にあった乾櫓を昭和34年に解体修理を行って
本丸鉄砲櫓跡の現在地に移築したもの。なまこ壁がおしゃれw

整然としていた瞬間


旧二の丸隅櫓から三階櫓を眺めるアングルは切込接ぎの石垣の長さも感じられ素敵!
寛文8年(1668)の大火で城のほとんどが焼失し、翌年の地震で石垣が崩れたため、
当時最高の技術であった切込接ぎと算木積みで積みなおされているのだそうだ。

防御の工夫が満載だった瞬間


本丸を囲む帯曲輪の南西に位置していた土橋門の跡。堀の向こうが本丸なので、
本丸表門の守りを固めるため、本丸と二の丸の間に帯曲輪を配置。
この土橋門と帯曲輪、本丸の表門及び鉄砲櫓により、櫓を併用した枡形門に等しい
防御機能を持たせる工夫がされていたそうだ。看板の左側の土塁がその名残り。

厳重にキルゾーン確保だった瞬間


今の旧二の丸隅櫓がある場所に鉄砲櫓が建っていた頃は防御の死角を作らないよう
30度ほど表門側に向いていたそうだから、仮に土橋を突破されても猛攻撃が可能。

なまこ壁がやっぱりおしゃれだった瞬間


本丸表門に着きました。当時の橋はいざという時切り落とせるよう木橋だったという。
表門は享保17年(1732)に再建された櫓門。桁行9間(約16.3m)、梁間3間(約5.4m)。
年代を超えてきた重厚な色の柱や梁が年季を感じさせる堂々たる門構え。

世代を超えたコミュニケーションだった瞬間


日本100名城スタンプは門の中に設置。おじさんたちに見てるので何か緊張しますw
100名城スタンプ以外のスタンプもいくつか置いてあるので、子供たちと声を掛け合い、
順番に交換しながら・・横からおじさんも「ご苦労様」と言ってくれましたw

お品が感じられた瞬間


表門をくぐって本丸側から見たところ。なまこ壁がかわいいからなのか、
なんとなく上品な雰囲気があります。まずはこの内部を見学します。

案外明るかった瞬間


本丸表門の内部は隅櫓などの模型や歴代藩主の絵や城の写真が展示されている。
薄暗いかと思ったら予想以上に光が入って明るく梁などもよく見えました。

城に歴史ありだった瞬間


本丸表門を入ったところに建つ初代藩主、溝口伯耆守(ほうきのかみ)秀勝の像。
藩主に恐れ多いからと当時の人は箒(ほうき)のことを「なで」と呼んだのだとか。

新発田城は元々、鎌倉御家人佐々木加地氏の一族である新発田氏の居館があり、
戦国期に新発田重家が上杉景勝と7年に渡る抗争の末に敗れ、天正15年(1587)落城。
慶長3年(1598)秀吉の命により、加賀大聖寺から溝口秀勝が6万石で入封し築城を開始。
3代藩主、宣直の頃(1654)に完成するが、50年以上の歳月をかけて築いた城は、
二十数年後の寛文8年(1668)の大火で焼失することになる・・・おお切ない。

初めて知った瞬間


次は辰巳櫓。二層二階入母屋造、本瓦葺。平成16年に三階櫓と共に復元されたもの。
堀部安兵衛の父である中山弥次右衛門が管理責任者を務めていたが、
櫓の焼失の責任を取って浪人。安兵衛は家名再興のため江戸に出ることとなった。

赤穂浪士は好みじゃないから忠臣蔵の話や主役級の人の名前は知っていても、
その人たちのバックグラウンドなんて知らないから、こんなところで名前を聞いて
ちょっとびっくり。堀部安兵衛が藩祖、溝口秀勝の曾孫だというのにも驚きw

気合いの入った復元だった瞬間


辰巳櫓の内部にある石落とし。梁の写真はぼやけてしまっていいのがないけど、
鱗のような模様じゃなく、線状に削られた手斧掛けで手の込んだ復元がされていました。

阿吽の呼吸以上だった瞬間


三階櫓の3匹鯱。阿・吽・阿と並んでいて、阿がオス、吽がメスなんだって。
オス2匹にメス1匹・・天守代用の屋根の上で危険な三角関係かΣ(゚Д゚)!
歯が4本あるのが口をあけている阿、歯が2本が口を閉じた吽を表現してるのだそう。

復元の気合いと情熱が伝わった瞬間


礎石が見えるようガラス張りになった床。ガイドのおじさんの説明によると、
礎石に柱が建っているのがイメージできるようガラス板を利用して柱が映るように
しているのだとか。素敵なアイディアだと思ってちょっぴり感動しました。

中から見ると地味だった瞬間


旧二の丸隅櫓にやってきました。堀越しに見た時より地味な印象ですw
桁行5間半(約9.9m)梁間4間半(約8.1m)入母屋造の二層二階櫓。

あまりにも殺風景すぎた瞬間


重要文化財ながらガイドのおじさんもおらず中に自由に中に入れる感じで。
窓が防御が必要な堀に面した側にしかないのと、移築されただけに年季の入った
黒光りした梁や柱や床板の重厚感で表門や辰巳櫓よりだいぶ薄暗いです。

心に残る風景だった瞬間


手前から辰巳櫓、本丸表門、旧二の丸隅櫓が並ぶ本丸南面の3ショット。
青空が映えそうな・・夕方になってきて陽が落ちかけた頃なのが残念。
新発田城は周囲に湿地が多く、城の周りにあやめがたくさん咲くことからあやめ城とも、
加治川の堤を切って周囲を水浸しにする設計がされたため浮舟城とも呼ばれたそうだ。

とりあえず撮った瞬間


表門向かい、二の丸になのか帯曲輪なのか・・な場所にひっそりと佇む堀部安兵衛の像。
家名再興のため江戸に出た安兵衛は高田馬場の仇討ちによって名を挙げ堀部家の婿となり、
赤穂浪士として討ち入りに加わって本懐を遂げた・・土居を見に来たついででごめんね。

在りし日の姿を妄想する瞬間


帯曲輪を囲む土居。確かに土塁って感じとはまた違うのね。
この向こう側に当時は外堀がぐるーっとめぐらされていたそうだから、
万一、加治川の堤を切らなくても周囲は湿地が多かったというから、
大雨が続けばお城全体が水に浮いているように見えただろうね。

旅の終わりの瞬間


謎に包まれた3匹鯱を最後にもう1度見て新発田城登城終了。
そして米沢城址から始まったGW1泊2日の旅もこれにで終了。

・・てかGWの話題いつまでかかってアップしてんだヽ(`Д´)ノ

来週末はもうお盆休み。今回は関西方面〜福知山城あたりに出張ろうと計画中。
スタンプ稼ぎと単発で行くにはモチベーションが上がらない城を地味に潰す予定ですw

現在39/100登城完了。



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2011.08.06 Saturday 16:17 | - | - | 中部(新潟県) | 

村上城に登城!その2 本丸と天守、戻って三の丸編

[古戦場] ブログ村キーワード

冠木門跡からぎゅーんと曲がって本丸虎口内に入りました。

枡形にイン!の瞬間


冠木門跡の標木が立ってる後ろにある四角い石が門の礎石。
ほぞ穴もちゃんと残っていましたよ。この周辺保存良好ですw

予想以上に人がたくさんだった瞬間


たくさんのピクニック風家族づれや熟年グループがお弁当を広げていますw
地元の人にとっては手軽にいける風情あるハイキングコースって感じなんでしょうね。

桜には遅すぎた瞬間


山形よりの新潟でもGWじゃやっぱり葉桜なのね・・桜の木だらけの本丸。
満開だったらどれほど美しかったか。念入りに立つ鳥居が何やら気になりますw

山城ブラボーだった瞬間


標高130mの臥牛山に築かれた村上城。山頂の本丸から村上市街を眺めます。
山城から見る下界の風景って当時を思い浮かべやすく爽快だから好き。
見渡す限り山しか見えない山城もあるけど、やっぱ城下が見える方がいいわ。

鉄壁の守りだった瞬間


本丸をぐるっと囲む石積み。天守台から冠木門まで渡り櫓が接続され、
本丸をがっちりガードしていたそうです。小さなシーンだけど時代感じます。

個性を大事にしてほしかった瞬間


村上城は舞鶴城とも呼ばれていたということで城址碑はこれ。
どうしてありがちな別名の方で建てちゃったのか首をかしげるw

火災のすさまじさを今に伝える瞬間


1619年から堀直竒が山上を大改築した時に三重の天守が建てられた天守台跡。
山頂に建つ白亜の天守は当時のランドマーク。城下から超〜目立っただろうね。
1667年に落雷で焼失し以降、再建されることはなかったそうだ。
礎石が残っているものの落雷による火災の熱でひび割れた切ない姿。

琴線にぐっさりだった瞬間


本丸の東南になるのかな?部分の石垣。古色蒼然なイケてる風景。
ちょっと荒っぽい積み方。苔、生い茂る草木、桜の古木・・うっとりw
本丸内部よりワタクシはこっちの方にむしろ吸い寄せられます。

来た甲斐を感じる瞬間


冠木門から続く渡り櫓台。高さは5〜6mくらい? 
ぜえぜえしても山を登って近くに立たなきゃ体感できない迫力!!

日本人のDNAが騒いだ瞬間


後回しにした三の丸に向かう途中、二の丸に咲いていた桜の花。
本当に桜の木が多い村上城。味わい深い石垣with桜満開はさぞ素敵だろう。

三の丸到着の瞬間


七曲を登って四つ門から本丸方面を目指すのと逆方向にある三の丸。
村上城で一番広い曲輪。桜の木だらけ。満開だと桜に包まれてしまいそう。
三の丸のこの奥に武具櫓跡があるから、ここで何かの訓練したんでしょうね。

春でよかった瞬間


靱櫓(ゆきやぐら)跡の石垣。横矢仕様。当時は二重の櫓が建っていたそうだ。
春先に来たからよかったけれど真夏だったら藪化して全く見えなかっただろう・・。

がっちりガードだった瞬間


二重櫓の建っていた玉櫓跡。三の丸は靱櫓と玉櫓が建っていて、
四つ門と狭間のある塀でぐるりと曲輪全体を囲んでいたようだ。
山の斜面に向けて防御に死角なし!くらいの勢いで。

備えあれば憂いなしだった瞬間


三の丸には武具倉も完備。どんな感じだったかは全く分からないけど、
2つの櫓で超ディフェンス中、もし弓や弾が足りなくなってもこれならきっと安心w

まだまだ修行が足りなかった瞬間


三の丸の武具倉跡付近には運搬用のレールが敷かれていました。
延々と修復中の村上城。資材はきっとこれで運んでいるんだね。
この付近、中世の帯曲輪や竪堀が見られるらしいんだけど、
斜面が怖くてあまり身を乗り出せないのと草があるのとで
いまいちよく分からなかった。竪堀は見事らしいので残念。


久々の山城で非常に体力を使ったけど登城して本当に良かった!
村上城でこうだから、そのうち岩村城高取城に登城したら、
ワタクシ、うっとりしすぎて失神してしまうかもしれないわw


この後は昼ご飯を食べて急いで新発田城に向かいます。


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2011.07.28 Thursday 21:04 | - | - | 中部(新潟県) | 

村上城に登城!その1 七曲り、二の丸編

2日目は上山城をみた上山温泉から山道を走って新潟に抜け、村上城に登城!

立ち位置が地味だった瞬間


通りから1本入ると住宅街を抜けて突如、登城口出現の村上城跡。
駐車場も狭いんだけど城址碑、その駐車場の超端っこにぽつーん・・Σ(゚Д゚)!
隣は育英会の建物、前は路駐の車。車の間に割り込んで撮影するの一苦労。
育英会の脇にちらっと見える石垣は当時の一文字門枡形の一部なんだそう。

脳内復元は難しかった瞬間


狭い駐車場の一角からすでに一文字門跡。本丸への入り口になる門で、
当時は全面を枡形として石垣を積み、その上に塀を回して冠木門を附属させた
二重構造の門構え。山頂に行くには一文字門を通らなければならないため、
城攻防の最後の拠点になる場所ということで大きく厳重な門だったそうだ。

といったことが書いてある案内板を読んで周りに残る石垣を眺めたけれど、
たとえば先だって見た松本城の太鼓門枡形の高麗門が冠木門になった
バージョンみたいのしか思い浮かばないのよね。予想図とか見てくればよかったわ…orz

山の上には住みたくなかった瞬間


一文字門跡のすぐ横は城主館跡。昭和の始めの頃までは空堀なども
ずいぶん残っていたと聞く。今は家族連れがお弁当を広げる広場風。

緩やかそうに見えた瞬間


一文字門跡のすぐ後ろから登城口となる七曲道の始まり。
印刷して持ってきた登城図にもがっつり載ってるつづら折りの坂。
7回か8回折れてるけど、見た感じ傾斜は緩そうな感じ。

と思ったのは大きな勘違いだった瞬間


2回くらい曲がったところですでに疲れ始めました。。

つづら折れ過ぎた瞬間


ご丁寧に都度都度がっちりつづら折り(´Д`)
急な傾斜じゃないけど距離が地味に長いのは結構だるい。
なんたってワタクシは運動不足。健康診断では中年のオッサンのごとく、
中性脂肪が基準をちょっぴり超えてしまう今日この頃・・。

楽しい感じが全く表現されなかった瞬間


坂を駆け登っていきなり現れた子供と犬1匹。見てこの躍動感!!
それに比べてワタクシの活きの悪さと言ったら・・(相当息切れ中)
楽しい登城なのに・・登城したかった村上城なのに・・と悲しくなり
活力ある自分を一瞬想像して、無理して子供について行ってみる。

若さには勝てなかった瞬間


ほんの十数歩の駆け上がりにて軽く死亡・・Σ(゚Д゚)!
やっぱ生まれて10年弱のフレッシュな細胞にはかなわないわw
無駄な体力を使ったことを後悔しながらこの後もヨロヨロ七曲りを登り・・

攻める時は息切れ厳禁だった瞬間


三の丸の虎口にあたる四ツ門の石垣が見えてきました!! 
(どんだけ苦労して登ったんだって感じだけどたかが20分くらい)
写真は四ツ門手前から七曲り側を振り返って見たところ。
七曲りを登ってくる敵を狙い打てる感じだから、あもみたく、
ほっと一息なんかついてたら登った甲斐なくあの世行きは確定w

脳内復元不可能だった瞬間


で四ツ門跡。あもの乏しい想像力ではいまいちピンと来ないのですが、
この門は三の丸、二の丸、居館、井戸と4方向封鎖できる構造だったのだとか。
門跡を入って左手(北側)が三の丸跡、右手(南側)が二の丸、本丸、天守跡。
限られた時間で後悔ないよう、まずは大本命の天守跡に向かうべく南へ。

何の前触れもなく残念ポイントだった瞬間


四ツ門から本丸方面へ向かうとまず見えてくるのが二の丸虎口の御鐘門跡。
しかし色気のないパイロンとともにいきなり「迂回路」の悲しいお知らせ。
ここまで工事中のそぶりなんて一切なかったのに、ああ嫌な予感。
ちなみに四ツ門からこの御鐘門跡まではだらだらとした坂になっていて、
もし攻められた場合は高低差を利用して上からガツガツ攻撃が出来たみたい。

うっとりだった瞬間


迂回路を通って外枡形の御鐘門跡を曲がったところ。
石垣の保存状態が素晴らしいです。七曲り登ってきてよかったw

村上城は室町時代に本庄氏が地頭として入り城を築いたのが始まりと言われる。
その後、勢力拡大した本庄氏は戦国時代には上杉謙信とも戦うものの、
家臣となって上杉家の会津移封に同行。堀秀政の家臣、村上頼勝が入封し、
本庄城から村上城へ改称。現在の遺構である近世城郭に大改修されたという。

戦国時代には土塁や木柵で出来た根古屋式の中世城郭だったというから、
残っている石垣や遺構は基本、村上城に改称された以降のもの。
でも割と時代古いし山にあると藪や苔といったオプションが追加されるので
時が止まったような雰囲気がある。登らなきゃ見れないし感じられないもんね、
と毎度毎度、ヨロヨロしながらうっとりしてしまうので、懲りずに登るのだw

ゴロゴロしていた瞬間


二の丸の片隅に積まれた石垣の残骸、あちこちにこんなシーンが。
この石垣はこのままにされるのかしら? 片付けられちゃうのかしら?
どうでもいいけどちょっぴり気になりますw

残念さ満載だった瞬間


二の丸から見上げる出櫓台跡石垣 withブルーシート・・Σ(゚Д゚)!
「激」見どころの石垣なのにこの状態残念すぎる。
ただこんな状態ながら遠目からでもかなりの存在感があって、
近づくにつれ迫ってくるような迫力は感じられました。

分かりづらかった瞬間


出櫓台跡のすぐ近くには下道から登って二の丸に入る黒門跡が。
足元注意の向こう側に道があって、登ってくると目の前に出櫓が出現する。

小さかった瞬間


黒門跡を過ぎるといよいよ本丸ゾーン。
まずは本丸を囲む帯郭に建っていた平櫓の跡。
敷地も狭いから単に1階建てというだけでなく
造り自体がこじんまりした櫓だったと思います。

見なかったことにした瞬間


黒門のある帯郭の延長には本丸表門と向かいあうように埋門が。
中世散策コースという道を行くと竪堀や腰郭群が見られるそうですが、
見るからに藪藪しい上、体力のないあもには生還の保証がありません。

念には念を入れていた瞬間


ようやく本丸冠木門跡。外枡形と内枡形を持つ超ディフェンス構造。
枡形の上、本丸自体真四角じゃないからあちこちの櫓を合わせて死角なし。
横から上から前からついでに明後日の方から・・生きて出られぬ感満載。

気合いある演出も大事だった瞬間


冠木門跡の正面の石垣にはまっているのは多分・・鏡石なんじゃない? 
そんなのも置いちゃったりして気合いのアピールってけっこう大事だよねw


七曲りで会った子供以外、人が全然いなそげに見えるけど、
家族連れやら子供会の遠足風の団体やらが結構たくさん・・
ここまで好き放題、写真を撮ってうっとり眺められたのが奇跡!
本丸内部は弁当広げる観光さん&遠足さんで満載ですw


村上城に登城!その2 本丸と天守、戻って三の丸編へ続く

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2011.07.25 Monday 20:23 | - | - | 中部(新潟県) | 

高田城に登城!

春日山城の後は帰りがけの駄賃でご近所の高田城に登城!

危うく眺めて終わるかと思われた瞬間
高田城 極楽橋

高田城は高田公園の中にあり、先日の岩槻城同様、
スポーツ施設?やら市民憩いの広場?ありな感じで駐車場いっぱいΣ(゚Д゚)!
離れた有料駐車場をナビで探し、歩いて戻ってまで見るほどのものじゃなし、
しかし帰りがけの駄賃とはいえせっかく来たのだから三重櫓は間近で見たし・・・

ダメ元で20分ほど無料駐車場の中で粘っていたら運よく空いて超ラッキーw
しかも台数の少ない極楽橋目の前の駐車場だから、こりゃもうミラクル!

極楽橋に行くと親子連れが鯉に餌をやっている以外、通行人なし!
通行人が来ても通り過ぎるとして、橋のど真ん中で餌をやる親子待ちΣ(゚ロ゚;)
5分くらいで済んだから良かったわ〜運よく貸切での撮影が出来ましたw

極楽橋は二の丸から本丸に通じる内堀を渡る木橋として設けられたもので、
明治41年に陸軍師団によって土塁が切り開かれ、陸続きにされてしまった。
その後、発掘調査で橋の位置が特定され、平成14年に復元されたそうな。

想像するのは少々難しかった瞬間
高田城 本丸跡

今はほとんどの部分が上越教育大付属中学の敷地となっている本丸跡。
極楽橋を渡った先の花壇のようなスペースに「史跡 本丸跡」の碑がぽつーん。
当時は御殿などの建物がたくさんあったというけど、その面影は全くなし。

高田城は慶長19年、忠輝の舅である伊達政宗が指揮を執り、
加賀前田家や米沢上杉家を始めとする十三大名家による天下普請で築かれた。
75万石の大城郭ながら大阪冬の陣直前の築城で工事が急がれたこともあり、
良質の石材を集める余裕がなかったことなどから石垣は積まれず、
天守代用の三重櫓が土塁の上に築かれているのが特徴。別名「鮫ヶ城」。

あっさり三重櫓だった瞬間
高田城三重櫓

で、その特徴的な三重櫓には本丸跡の碑から散策する間もなく到着。
入場料200円払って中を見学・・誰もいない貸切状態ブラボー!

当時は御三階櫓と呼ばれていた三重櫓は明治19年に取り壊された。
現在の三重櫓は資料と発掘調査を元に平成 5年に復元されたそうだ。

基礎の上にちょこんと建った御殿風の三重櫓・・なんかかわいぃw

展示物は・・・なので最上階に直行だった瞬間
三重櫓内部

大名道具も何もかも、ほとんどパネル写真なんだもの!!
レプリカとかにしてももう少し充実するといいのにと残念に思いつつ、
ここは順路どおりささっとひと廻りして、すぐ狭い階段を登り最上階へ。

つやつやの木材、ぴかぴかの釘隠しがまぶしぃー!!
こういうのを見ると、逆井城なんかは相当神経使ったんだなと思ったり。
でも逆にさっしを木枠で隠すだけで武者窓じゃなくても感じる違和感って
ずいぶん違うものなんだなと関宿城なんかも思い浮かべたりw

平城の風景だった瞬間
三重櫓からの眺め

土塁の上には乗ってるけど平城だし櫓の高さも3階だし
公園の中だから桜のほかに木々もたくさん植わっているし。
平城の風景・・でも緑が多くて自然が感じられるのはいいけど!

ちょこん、とだった瞬間
三重櫓

石垣のない近世城郭・・・城における草食系って感じね。
あんまり強くなさそうで佇まいが何だかかわいいのw

ライトアップを脳内復元中の瞬間
高田城定番写真

内装なんか二の次で、楽しむべきはやっぱりこういう景観。
春日山城みたいな戦国ゴリゴリの戦う城も魅力的で好きだし、
でも近世城郭特有の美しいお城がある風景もいいなと思う。
取ってつけたような超模擬はDNAが拒否るからダメだけどw

高田城のある高田公園は日本三大夜桜のひとつに数えられる桜の名所。
桜が咲くと一帯はライトアップされ、高田城も幻想的を通り越して、
もはやあの世の風景では?と思うような怖いくらいの美しさなの。
ものすっごい人出だというし、遠いから時期を狙って行くのは難しいから、
写真で見た桃源郷のようなお城の風景はここから撮ってるのかとしばし瞑想。

春日山城にもう1度行くつもりだから春に行くとかすれば?
でも春日山城って桜咲き乱れちゃう感じじゃなくない?
どうせ行くなら紅葉の時期の方が雑草も枯れかけてよさそうだし・・
あ、じゃ鮫ヶ尾城とか春に登っちゃえばいいんじゃないの?
ほらそれだけじゃ4時間飛ばして来るモチベーション維持するの大変だし。

・・・どんな瞑想だΣ(゚Д゚)!


念願の春日山城登城を終え、次は信玄か、家康かと考えてたら、
なんと、なんと1泊2日熊本出張のチャンスがめぐってきた!!!!
ぐりぐり予定を詰め込めば2日目にちょんの間、登城できそうな予感。
いや、というか自腹で1泊しても絶対登城するし=3=3(鼻息超絶荒っ!)

ついに熊本城主証を使う時がやってきたわ〜2口買っておいてよかったぁ。

秋の夜長、しばらくは熊本城攻略をスムーズに行うためのお勉強ですw




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2010.10.01 Friday 20:36 | - | - | 中部(新潟県) | 

春日山城に登城〜その2

鼻血が出そうになるほど本丸を堪能した後は井戸曲輪に向かいます。
地図はわかりやすいし案内板も充実だしワタクシでも安心w

ちょっとした珍百景を目撃した瞬間
春日山城天守台

本丸と同じく「お天上」と呼ばれた天守台跡。
案内板やガイドマップには「天守台」とあり「天守閣は持たず」のはずが、
建てられた碑にはなぜか「天守閣跡」の文字がくっきりΣ(゚Д゚)!
びっくりするわ〜汗かくわ〜眺めは本丸同様最高だったけれどw

サイフォンの原理はわからなかった瞬間
井戸曲輪

コーヒー党の父はサイフォンを愛用。子供の頃からそれを見ていながら、
結局、サイフォンの原理はろくろく知らず・・物理?とか苦手なのよぅ。
山の上だから平地と違い、掘れば水脈にあたって湧くんじゃなく、
サイフォンの原理が働いてるから山の上に豊かな水が湧いている・・・ふうん。

サイフォンの原理という井戸の確信には触れず勝手に納得することにw

とても飲めそうになかった瞬間
大井戸

だいぶ前に行った井戸さらいでは柄杓とかが見つかったらしいけど
今は濁って落ち葉が浮いて当時の「水の手」とはだいぶ様子が違いそう。
でも今もたっぷりと水が入っていそうなことだけはわかったけれど。

念には念を入れてあった瞬間
油流し

大井戸の横・・本丸の西側は油流しと呼ばれる急斜面になっている。
あまりの急斜面で滑ってしまうことから「油流し」と呼ばれるのだそうだ。
写真の腕前が悪いから大した斜面に見えないけれど見上げると相当急だったよ。
段々曲輪が連なった山頂にある本丸裏まで攻めようもないだろうけど、
万一に備えた防御の積み重ねが難攻不落の城になる要素なのだなと思う。

単に間違えただけだった瞬間
橋台

井戸曲輪から恐ろしく狭い道を降りた正面にあった小さな土階段。
景勝屋敷跡にしてはずいぶんしょっぱい・・と思ったら鐘楼台跡だったΣ(゚Д゚)!
こじんまりした小さなスペース。前は開けているのだけれど木々の間には
何を捕獲するつもりなのか巨大蜘蛛たちが巣を張りまくり視界激悪で撮影不可。

気を取り直して景勝屋敷だった瞬間
景勝屋敷跡

うなぎの寝床風? 奥行はそこそこあるけど広大な印象はない景勝屋敷跡。
当時はどうだったのか分からないけれど、直江屋敷跡や井戸曲輪よりも
木々に囲まれうっそうとしていて、日当たりもいまいちよくなさそうな・・。

景勝は御舘の乱は知っているけど、ワタクシにとっては会津・米沢の印象が強い。
ワタクシはお父さんたち世代に強い思い入れがあるせいか、第2世代となると、
小説などでどんなによく出てきてよく知っていても思いがそこまで及ばない。

天地人も見てなかったしね・・本丸の時よりかなり冷静なのであったw

普段は相当不便だったと思われる瞬間
景勝屋敷跡と橋台の分かれ道

画面手前が景勝屋敷跡側。奥の斜面は鐘楼台のもので道はそこに続く。
右手の道は御成街道に続くんだけど、この周辺は特に道が狭いの。
大きな荷物とか2人がかりで運んだりしたら、狭くてそりゃもう大変よ。

住人だとしても夜道は歩けなかったと思う瞬間
景勝屋敷跡と橋台の通路

左が鐘楼台、右が景勝屋敷跡。この間を通って正面の御成街道に出る。
防衛上、昔は草木や木々なんかは刈られていたのでしょうか?
たいして広くもない上、こんなボーボーじゃ月夜でも真っ暗よ。

斜面だらけだった瞬間
左は景勝屋敷

御成街道を後回しにして、柿崎和泉守屋敷跡に向かいます。
左側の斜面の上は景勝屋敷跡。シャガの咲いている写真を見かけますが、
夏の終わりのこの時期、花どころか名も知らぬ雑草がボーボーですΣ(゚Д゚)!

写真右手の方を見ると草だらけの小山の上に建つ番所跡の碑が見えました。

意外にも柿崎さんが一番セレブだった瞬間
柿崎屋敷跡

あれまぁ、ずいぶん広いじゃないの!!
春日山城においては「広大」って言葉がぴったりよw
左奥方向が景勝屋敷などの見てきた曲輪がある方向。

春日山城では最も大きな曲輪の一つで、池もしくは水堀があったと
考えられています。池だったとすれば春日山城で唯一、
庭園を併せ持った郭の景観が想像されます。(現地案内板より抜粋)

今日はなぜか全然ヨロヨロしないあも。元気あるからやっぱり大手道も・・
なんて思ったけれど、そうすると二の丸方面を見て駐車場に戻るのに
また恐ろしい距離をひーひー言いながら歩かなくてはならなくなってしまう。

こんな元気なら最初から大手道コースにしときゃよかった・・後の祭り。

毛が抜けそうなほど後ろ髪ひかれていた瞬間
御成街道

御成街道に戻ってきても、まだ大手道がかなり心残りでw

御成街道は時の関白、近衛前久が通ったことから呼ばれるようになった。
武闘派とはいえ、京都育ちの雅なお公家さんがこの斜面だらけの春日山城に
しばらく逗留したというから驚きだ。牛車も通れまいに・・何してだんだろ?

得意の足軽妄想で本丸を見上げた瞬間
二の丸跡

本丸や毘沙門堂周辺の実城を囲むよう帯状に造られた郭が二の丸。
警護の要だった場所ながら、古地図には「御二階」「台所」とも書かれており、
当時の生活を知る手がかりなのだとか。笹井戸と呼ばれる井戸も残っています。

春日山城もいよいよ終盤にさしかかった瞬間
米蔵跡

米蔵に到着しました。アドレナリン出てのかしら〜今日はほんとヨロヨロしないわw
米蔵やここから続く三郎景虎屋敷跡を含めて三の丸と呼ばれるのだとか。

春日山城で最も良好に残る土塁。当時は各郭にこのような土塁が築かれ、
城の守備を一層強固にしていたと想像されます。(現地案内板より抜粋)

土塁の向こうは深い竪堀。誰もいなかったのでいい年した女がひとり、
土塁によじ登り、防御する気分でちょっぴり竪堀を覗いてみたり…
高いとこ嫌いだけど、竪堀はやぶやぶ過ぎてリアルな高さがわからないから平気w


三の丸跡

米蔵の隣が三郎景虎屋敷跡。中間に三の丸碑が建っています。
2つ合わせても三の丸もやっぱりあんまり広くはないのね。

景勝屋敷の方が広かったと思う瞬間
景虎屋敷跡

日当たりの悪さはどっこいどっこいだったとしてw

上杉謙信の死後、跡目を争った御舘の乱で敗れた悲劇の武将三郎景虎。
北条氏康の子で人質として春日山城に来ました。謙信から景虎の名を
与えられたことから養子としては破格の待遇だったことがわかります。
また美男として伝えられています。最後には自害して一生を終えました。
小説「炎の蜃気楼」で現代によみがえった景虎が美しい男性として描かれ
人気を博しています。近年、最も賑わいを見せている郭のひとつです。(現地案内板より抜粋)

・・・って全然、賑わってませんけどΣ(゚ロ゚;) 

ワタクシは景勝派。三郎景虎には他の道もあったのではないかと思ってしまう。
それにしても真面目な史跡の案内板に「炎の蜃気楼」って普通に書くか?
と思ってしまったのはあもだけなのでしょうか。なんか違うでしょ。。

やぶやぶ過ぎてわからなかった瞬間
竪堀

米蔵の隣にある竪堀。現地に立って草木をさっぴいて妄想して、
ようやっと深さや迫力がじわじわわかってくる程度だから
写真じゃもうどうにも上手く写しようがない・・・(´Д`)

生えてる木から察するに相当深そうなのだけれど。
当時は草木なんか刈っちゃってただろうしとても登れないね。
ここまで整備されてるなら竪堀くらい除草してくれるといいのに。

でも石垣がなくてもやっぱ戦国の城って迫力あるなって思う。

見ただけで戦意喪失だった瞬間
虎口から米蔵方面を見る

1周して直江屋敷の入り口に戻ってきました。
帯郭から米蔵方面を振り返ると急斜面が飛び込んできました。

・・・・・無理だわw

名残りを惜しんだ瞬間
謙信銅像

戦国山城の縄張や構造が分かって廻ると楽しさ倍増。

帰り際、いつものように未練たらしく謙信の銅像を見ながら、
春日山城には違う季節にまた来てみようと思った。

登城を終えて8時半。せっかく4時間もかけてきたのだから、
この後は林泉寺にも寄って、もっと謙信を堪能することにします。

林泉寺にて謙信の墓参りに続く




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2010.09.26 Sunday 21:33 | - | - | 中部(新潟県) | 

春日山城に登城!〜その1

[城跡] ブログ村キーワード

日本100名城32番 春日山城に登城!
謙信銅像

戦国大名では信長の次に好きな謙信のお城よ。
すぐヨロヨロするけど何が何でもたどり着いてやるわ=3
と鼻息荒く4時間ひとり車を走らせ予定通り7時前到着。

大手道から反時計回りに回るか迷ったけれど体力を考え茶店スタートでΣ(゚ロ゚;)
謙信の銅像を見て4時間睡魔と闘いながら車を飛ばして来た甲斐を感じるw

あもはこの日のためにトレッキングシューズと25リットルのリュックを買った。
いつもみたいに迷わないよう色んなサイトでルートを念入りに確認もした。
いっぱい入るリュックだから水とかおやつも入れたし少しくらい迷っても大丈夫w
そしてルートが分かりやすく出ている地図も印刷して持ってきたし準備万端!!

地図どおりでまずは一安心の瞬間
春日山神社

地図と違ってたら大変なんだけど・・今回は出だし大切。
地図を見てちゃんとひとりで見たいところ行けるって思いこむのw

謙信の銅像に続き、「毘」の旗が見えてアドレナリン大放出!!
ろくに寝てない上、ひとりなのに妙なハイテンションで足を進めます。

とりあえず参拝した瞬間
春日山神社

参拝の仕方が懇切丁寧に書かれているのでその通りに。
地元の人らしい散歩風のおっさんと並んで仲良くお参りw

さりげなく割愛した瞬間
お屋敷

春日山神社のすぐ横に「お屋敷」への通路があるのも地図通り。
謙信が普段いた場所だとか言われている郭跡があるようだけど、
少し降りたら道が細くてちょっとした藪こぎが必要そうだし蚊もすごいの!!
おまけに今は畑になっているらしいと地図にあり、今回は割愛。

すでに息切れ状態だった瞬間
登山道

まだひとつも遺構を目にしてないのにすでに息切れΣ(゚ロ゚;)

ワタクシ呼吸の仕方おかしいの? まだ登り始めたばっかなのに?

はあはあしながら「整備された」山道を登り、まずは千貫門跡に到着。

案内板をガン見の瞬間
千貫門跡

春日山城の古絵図には必ず描かれているという千貫門。
今でも門が建っていたとされる部分のみ、土塁が分断されていて、
春日山神社側からクランク状の道がここに通じている。
三方が土塁と土手に囲まれ左に二本の、一見道と思われる切通しがある。
実はこれは空堀の底で、侵入者を急峻な崖下に落とそうとしたものだろう。(現地説明板より)

はは〜ん・・なるほど〜(とはいえよくはわかっていない)

野生リスの出現にびっくりたまげた瞬間
千貫門跡 切り通し

一番奥の「一見道と思われる」切り通しに近づいていくと
左側の木からいきなりリスが飛び出してきて超〜びっくり!!
気を取り直して切通しを観察し狭いわ〜急だわ〜などと思う。

カメラを手に首をかしげた瞬間
千貫門跡 空堀

目の前にあるのはもう少し急で深い気がすんだけど・・・
撮った空堀の映るプレビューを見てのっぺり2次元な写真にがっかり。
山の凹凸を撮るには、角度や絞りなど何かコツがあるのでしょうか?

ちょっとしたミラーレスを持っていても本領が発揮されないの残念すぎ!

直江屋敷は案外、狭かった瞬間
直江屋敷

思っていたよりずいぶんとこじんまりした屋敷跡。
上下三段の郭があるんだけれど全部足しても広大とは言えない。
戦国山城の造りってこういうものなんだなと本で見たイメージとつながる。

天地人パワーいまだ炸裂だった瞬間
直江屋敷

まだ朝の7時過ぎだというのに観光さんらしき軽装の人がちらほら。
どこまで行く気か知らないけれどビーチサンダルの人もいて超びっくり!!
のんびり油断してると人が来るので写真だけ撮ってからうろうろするw

山だらけだった瞬間
直江屋敷からの眺め

天地人直江さんもこの山ばかりの風景を見たのでしょうか?
この後1段上がってお花畑を見て毘沙門堂に向かいました。

こっちの方がしっくりだった瞬間
毘沙門堂

天地人では毘沙門堂は洞窟の設定だったそうな・・・
ワタクシは大河ドラマを見ないので知らないけれど、ワタクシの中では
ずいぶん昔に見た「天と地と」のイメージが強くお堂がしっくりくる。

謙信が出陣前に籠ったという毘沙門堂。
昔の建物とは違うのだろうけれど案内板によるとこの場所は
堂跡ではあるらしいので勝手な妄想を始めるとぞくぞくするw

初のぞき行為の瞬間
毘沙門像

毘沙門道の扉は閉まっていてガラスがはめられているのだけれど、
ちょうど毘沙門天がナイスポジに見える場所のガラスが空いている。
そこへおもむろにカメラ突っ込み、ありがたい毘沙門天像の姿をパチリ!

謙信が信仰した毘沙門天の尊像は景勝とともに米沢に移り、
火災にあって傷んでいたものが昭和3年に修理された。
今、毘沙門堂の中にある尊像は、修理された時、欠け損じた
毘沙門天の一部をおなかに入れて作られた御分身なのだという(現地案内板より)

やたら堂が多かった瞬間
諏訪堂跡

毘沙門堂を過ぎると、諏訪堂跡と護摩堂跡が見えてきます。
宗教的な場所だったと言われているそうです。こじんまりとした場所。

感動ひとしおだった瞬間
春日山城本丸跡

息は切れたけどヨロヨロせず、本丸まで元気にたどりつけましたw 

隣にある天守台や井戸曲輪と合わせて実城と呼ばれるうち、
特に「お天上」と呼ばれた所で標高は城の中で最も高い180m。

謙信は普段からここで暮らすのを好んでいたとも聞くし、
ワタクシの思っている謙信も麓の屋敷より、山頂の本丸にいるイメージ。

もしかしたらワタクシが立ってる場所に謙信も立ってたかもしれないわ=3=3

ジャニーズのコンサートで○○君と目があった!という女子的なΣ(゚Д゚)!
妄想の翼を広げまくり、ひとりボルテージが上がるばかりだw

謙信が眺めた景色に大興奮の瞬間
本丸からの眺め

トレラン中らしきおっさんが来たので大人しくはしていたけど、
米山や直江津の港の見える風景を目にした時は鼻血が出そうだった。
中世の景観とほとんど変わらないと言われる風景。
出陣の前も、戦から戻った時も、雪解けを待っている時も・・・
謙信がこの風景を日々、見ていたと思うと感慨もひとしお。

濃尾平野を見て信長に思いを馳せたことはここではそっと忘れておくw

しっかし狭いねぇ・・と思った瞬間
春日山城本丸跡

よくよく見るまでもなく案外、狭い本丸跡。
狭いからこそ謙信がいたことがリアルに妄想できていいわね。
復元なり何なり建物があって御座の間ですとかってわけじゃないから
あんまり広すぎても実際いた場所とか想像つかなすぎだもの。

春日山城いい!! リアルに謙信を感じられるのがいい!!

妙な興奮状態継続中のまま、次は天守台、井戸曲輪に向かいます。


〜春日山城に登城その2に続く



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2010.09.24 Friday 21:38 | - | - | 中部(新潟県) | 
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