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鳥越城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

小松城から山の方に向かい、国史跡「鳥越城」にやってきました!

ホッとした瞬間


鳥越城は国史跡なので車での道も山の入口にも案内がそこそこ出てるんだけど、
入ってしまえばなんたって登りの1本道。こういうの見るとちょっと安心します。

あなどれなかった瞬間


安心した勢いでブイブイ登っていくと、ほどなく鳥越城の登城口に到着!!
すぐ前が駐車場なのがいいです。地味な城なのに案外人がいることに勝手に驚きます。

痛まし気だった瞬間


鳥越城は一向一揆の拠点で最後の砦だったところ。織田信長の一向一揆討伐によって
佐久間盛政らに攻められ激戦となり、数度の攻防が繰り返された後に落城しました。
門徒らは磔にされ一帯の村は廃村同然に・・で記念碑には「一揆破れて山河あり」と。

先走っていた瞬間


登城口から上がってくると右手に後三の丸、本丸やら何やらは左手の方になるのですが、
少し登城路を登って振り返る方が全体を見やすいので・・まず左側の後三の丸へ行きます。

斜面がすごかった瞬間


鳥越城の北端に位置する後三の丸は空堀で囲まれて、本丸から独立した感じになってます。
一番面積が広い郭なので、あちこちの方向を警戒する門徒がたむろしてたかもしれないね。

想像力が大切だった瞬間


で、下りてきたら今度は後二の丸へ。空堀はもっと深かったんじゃないかと思います。
今はひとまたぎって感じだけど、当時なら越えて後二の丸へ攻め上がるのは激ムズかと。

門徒パワー炸裂の瞬間


後二の丸に向かう途中、本丸を見上げます・・・こりゃ意地でもよじ登らせない気ですw

鳥越城は天文年間から一揆の拠点となっていたところ、天正期に織田勢侵攻の備えとして
一揆集団山内衆を率いた鈴木出羽守が城主となり築城、拡充されたと言われるお城。

織田がなんぼのもんじゃー来るなら来いやー!!という門徒の気合いを感じずにいられません。

背後を守っていた瞬間


後二の丸は半円形のような形をしているのですが、見下ろさないと分からないわね。
掘立柱建物跡が展示されています。空堀が間にあって奥の1段高いところが本丸です。

静かすぎた瞬間


後二の丸から見下ろすのは、当時と変わらなそうな山の合間に田畑が広がるのどかな風景。
織田軍の旗がひしめき、一向一揆最大の激戦が繰り広げられたことが想像しづらいほどに。

やる気ゴリゴリすぎた瞬間


右は後二の丸からでてきて、左は登城口から上がってきて、本丸前で合流する感じ。
このあたりは本丸西側という風になっていました。ここにも建物跡が残っています。
後二の丸、本丸西側、そして本丸とバンバン建物立てて手ごわいイメージを演出です。

ワイルドに萌えな瞬間


本丸西側を回り込むように進むといよいよ本丸。枡形門が見えると盛り上がりますねw
本丸南面にある枡形門は復元されたものだけど雰囲気があります。よっ、さすが国史跡!

興奮しかける瞬間


布目積みの石垣で鏡石を置いて魔除けとし、角部は算木積み技法を取り入れる〜と説明が。
奥に見えるのは本丸門にはない石垣。城内で唯一三方を固められている場所なんだそうです。

超キルゾーンだった瞬間


門をくぐって枡形に踏み入れた瞬間見える本丸門はこんな感じ。石垣はないけど櫓門ね。
それしてもこの枡形は囲まれ感や閉塞感がすごいわ〜攻め手だったらヤバすぎる空間。

コンパクトが大事だった瞬間


攻め手の気分で本丸門までたどり着いた瞬間「狭っ!」と思い、門の低さを確認します。
こちらは石垣がないかわり高い土塁と柵列で本丸入口をガッチリ守っています。

アメージングすぎた瞬間


守り手側の気分も味わうため、ヨロりながら本丸門横の土塁によじ登りましたw
素晴らしい枡形よ!傾斜と高さの違いやコンパクトさで、より囲まれ感が増すのね。

高所恐怖症だった瞬間


土塁の上から尾根のはじっこに面する方の堀切を何気なく見てワタクシ驚愕Σ(゚Д゚)!
マジよじ登ってくるとか絶対無理だし、守るのだって足を踏み外したら激ヤバやん!

気合いすぎた瞬間


こわいのでさっさと本丸の中に入りますw 中から見る本丸門の土塁と掘立柱建物跡。
食器やら武器(鉄砲玉・小刀)の他、米や粟が炭化したものなんかも出土したそうです。

極楽を勝手にいぶかしむ瞬間


説明はなかったけど井戸跡もありました。囲いだけで実際は埋まってるけど山の上なのに
井戸まであって、門徒はどこまでも徹底抗戦の構えだったんですね・・信心てすごいわ。

戦国の城感に酔いしれる瞬間


懲りずに再び土塁の上によじのぼり、中の丸と中の丸門の方をねめまわしておきますw
さっき驚愕した堀切は見ないようにして・・怖いけど期待以上の素晴らしさで夢中になります。

そんな体力はなかった瞬間


こちらが中の丸門。城外に向かって急な斜面になっているので中が見えない作りです。
ワタクシはもちろん斜面を下りたりしませんw ここは搦手みたいな感じなんでしょうね。

どこもかしこも念入りすぎた瞬間


門の前から本丸の外側を取り巻いているのが中の丸で、外から門を入った右手には
二の丸が配置されている縄張りです。他の曲輪に比べると比較的狭い空間だけど、
土塁に囲まれた二の丸には建物の他に、隅櫓が2基もあったそうだからなんとも厳重。

自分のチョイスにも酔いしれる瞬間


最後に二の丸側から、中の丸とその向こうの本丸をもう1度眺めます・・いい!!
正直、そんなに期待はしていなかったんだけど、確実に来てよかったお城でしたw

次は最後、源平の頃へ飛んで篠原古戦場に急ぎます!


篠原古戦場に出陣!〜に続く




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2014.08.09 Saturday 21:09 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(石川県) | 

小松城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

安宅関から鳥越城に向かう途中、小松城天守台跡に寄りました。

とりあえず的だった瞬間


小松高校のグランドの隅に残る本丸跡の一部と天守台。高校の敷地内だから駐車場なんかなく、
裏門らしき前に車を停めてサッと見てくる作戦。向かう途中にある本丸跡の碑がやっつけっぽいw

微妙な空気だった瞬間


グランド沿いに進むとほどなく天守台が見えてきました。縄張を見ると当時は周囲を水堀が
廻っていたようですが、今は住宅街と高校のグランド・・orz  コレ小松市指定文化財です。

青春すぎた瞬間


ゴールデンウィーク中にも関わらず隣のコートではテニス、後ろの校庭では野球の練習中。
体育館からは吹奏楽の演奏が聞こえてきます。なので登城してる感が全く盛り上りませんw

ぴっちり積まれていた瞬間


小松城は戦国時代後期に一向一揆の拠点として築かれたと言われています。
天正7年(1575)織田信長の命を受けた柴田勝家が攻略し、丹羽長重が城主となりますが、
関ヶ原で西軍に味方した長重は改易され、以降、前田家の支城となりました。

元和元年(1615)の一国一城令で小松城はいったん廃城となるものの、寛永16年(1639)
加賀藩3代藩主前田利常が隠居城にすることを願い出て幕府に認められ、改修が行われます。

ロクでもなかった瞬間


利常は本丸を水堀で囲んで二の丸、三の丸、琵琶島、中土居などを配置して天守台も築き、
天守代用の二層三階の数奇屋造りの櫓を建て、万治元年(1658)に死去するまで、
小松城で過ごしました。利常の死後は城番が置かれて存続し明治維新を迎えますが、
明治5年(1872)小松懲役場が三の丸に置かれ、囚人の役務として城は取り壊されました。

ラグジュアリーだった瞬間


さすが江戸期に築かれた石垣! ワタクシがあんま萌えない切込ハギでピシッとしてるわ。
四隅は算木積み。本家の金沢城と同じ戸室石を使って金に糸目をつけない前田イズム全開w

同情する瞬間


文化財保護はいいとしても落石の恐れがあるなら、崩れないようメンテした方が・・
生徒になのか、登城者向けなのか分からないけど、小松高校の校長先生は大変ね。

心からメンテを願った瞬間


天守台の階段は危険ですから登らないでください〜小松高校学校長

いやーーーん登りたい!! と思ったけど校長先生の言うことは守らなきゃいけないw
天守代用だったという数寄屋造りの櫓跡とかきっと残ってるんでしょうけどね。

天守台を1周したけど結構な大きさ。4〜5層の天守くらい軽く築けそうに思えたけど、
さすがの利常さんも幕府に憚りつつ、しかし豪気に天守台だけはデカくしたのかしらねw


小松城三の丸跡にある芦城公園には利常さんの銅像があるというので寄りたかったけど、
ゴールデンウィーク中で駐車場に入れず断念・・空くの待ってる時間はないので次行きます!

次は一向一揆最後の砦、国史跡の鳥越城よ。時間も押してきたので急がなきゃ=3=3


鳥越城に登城!〜に続く。



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2014.08.03 Sunday 15:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(石川県) | 

金沢城に登城!その2

三の丸、本丸と来て、いよいよ二の丸にある復元櫓にインすることにします。

グローバルだった瞬間


入城券売り場手前で、一人で来ているらしき外人と目があった途端さわやかに微笑まれ、
英語圏の人か分からないのに堂々「ハロー!」と元気に声をかけてやりましたわ。ハッハッ。

リアルだった瞬間


復元施設は菱櫓〜五十間長屋〜橋爪門続櫓と続いて見られます。入り口は菱櫓のところ。
寛永9年(1632)に建造された菱櫓は度重なる火災で焼失しているそうですが、
2001年日本古来の木造軸組工法で復元されました。文化6年(1809)の姿なんだとか。

ロックオンだった瞬間


前回、三の丸から見た時ちょっと書きましたが、菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓でした。
大小7つの石落としが設けてあり、出しが大きいのが特徴。窓は鉄砲狭間として用いられました。

勝手に納得の瞬間


金沢城模型をしばしガン見。城内をずっと歩いてきて、残っている石垣や重文の建物だけでなく、
復元された建物を見てきているので、直感的に全貌が分かる模型に思わず釘づけ。
未整備だった草木生い茂る本丸からの鉄門の辺りは特にシゲシゲ眺めてしまいます。

見惚れていた瞬間


菱櫓の骨組み模型。強度を考えつつ釘も使わずこうした建物を作る日本人の技術にほれぼれ。
これをちゃんと復元したと思えば尚更。明治以降建てられた木造城郭建築物としては全国再最大規模なの。

木の香ただよう瞬間


さっき見て来た重要文化財の三十間長屋と比べたら、床板なんてワックスきいてピッカピカ。
真新しい木の明るさはいかにも復元なんだけど、梁なんかを見るとやっぱ現代建物とは違うなと。

地震にも強かった瞬間


匠の技ってすごいよね〜コンピュータなくても技と手間をかけると数百年残る建物が出来る。
百万石のプライドをかけ、お金のかかる木造復元をちゃんとしたからこそ出来る展示。

現存にできないことだった瞬間


匠の技にこだわりつつ、エレベータ完備で体の不自由な方も見学できる心遣いは現代チック。
案内板も必ず英語の説明がついてたし色んな人に見てもらおうって配慮がいいなと思いました。

守備兵気分だった瞬間


橋爪門続櫓から登城した石川門方面を眺めます。手前に広がる三の丸が丸見えです。
三の丸で戦闘が起きた場合には指揮所になる櫓だったということにとても納得します。

アクティブだった瞬間


復元櫓を出た後は、見学できるというので復元整備中の橋爪門二の門にやってきました。
大人気観光スポットの金沢城は色んな写真見ると人多いのよ。早く来てよかったわマジで。

ラッキーだった瞬間


足場を登ってるので2階の屋根部分が目の前!完成したら見上げるしかないのでちょい感動。
この場所に入るのは人数制限があるので、混んでる時だと見学するのも待ったりするみたい。

うっかすぎた瞬間


まだまだこれから瓦が葺かれるところも見られました。ゴールデンウィーク中でお休みだけど、
普段は職人さんが1枚ずつ昔ながらの方法で作業しているのよね〜復元って本当に大変だわ・・

ワタクシはこれを最後に金沢城を後にしましたが、後になって大手門見なかったなとwww

ついていた瞬間


前にも一度来てるし香林坊は混んでるので迷ったんだけどやっぱり武家屋敷にも寄っときました。
駐車場空いてなかったらやめるつもりだったけど停められたので前田藩士旧高田家跡素通りからの〜

もの好きすぎた瞬間


まだまだ行くところがあって時間もないワタクシは加賀藩千二百石野村家のお屋敷にまっしぐら。
混雑してるスポットに再びわざわざ寄ったのは、このお屋敷のお庭をもう1度見たかったから。

萌え気味だった瞬間


いくらだったか忘れたけど、なかなかいい値段の入場料を払ってお屋敷に入ると鎧がお出迎え。
江戸期に作られた戦に出たことのない鎧でも、リアル武士所有だと何となく気になってしまうわw

2度目のくせに感慨にふける瞬間


床の間の掛け軸は15代藩主前田利嗣公筆。このお屋敷の持ち主は野村伝兵衛信貞さんのもので、
野村家は代々奉行職を務めてきた家なんだそうです。藩主直筆の書を賜るってすごいわね。

前田家家訓に違いなかった瞬間


説明によると「金に糸目をつけない総檜造りの格子天井の上段の間」です。
さすが百万石のお家の上級武士。金に糸目をつけない・・コレ前田家ではかなり大事w

首をかしげた瞬間


ワタクシはこのお庭をもう1度見てみたかったのよ。2009年にミシュラン観光地格付けで2つ星に、
そして米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の日本庭園ランキングで
第3位に選ばれたお庭なのよ!!同誌で1位になった足立美術館の庭を見たから、改めてもう1度見たくて。

・・・ワタクシは足立美術館より野村さんのお庭のがこじんまりして好きなんだけど、
1位がアレで3位がコレってことは選定基準はいったい・・・見てよかったけど少々悩むわw

太っ腹だった瞬間


野村さんのお屋敷では書画や蒔絵の生活道具、刀剣なんかも展示されています。
写真撮影ダメとかケチくさいこと言わないところがいいですねw

歴史を感じる瞬間


展示の中で驚きなのは屋敷の主である野村信貞さんのご先祖の野村さんがもらったらしき
朝倉義景や明智光秀からの感状。朝倉さんからは「加賀国江沼郡横北口の戦いで敵の首を
取る働きをして立派だ」、光秀さんからも「戦いに尽力してくれたおかげて戦に勝てた、
度重なる戦での活躍で負った傷の具合はどうか」なんて言われちゃってんの、すごい!!


・・おっと、そんなのに見惚れている場合じゃなかったわ!!
今日はまだ日暮れまでに戦国から源平の頃まで遡らなきゃならないのw

ということで連休中で大渋滞の街中を抜け、次は野田山の前田家墓所を目指します。


野田山墓地にて前田利家と一族のお墓参り〜に続く




2014.07.10 Thursday 20:35 | comments(2) | trackbacks(0) | 中部(石川県) | 

金沢城に登城!

[日本百名城] ブログ村キーワード

七尾城から移動して金沢市内泊→混む前にできるだけ早く登城したつもりが・・・

出遅れも甚だしかった瞬間


朝8時にしてすでにパラパラと人が・・のんびり朝ごはん食べてる場合じゃなかったわ。
でも前向きなワタクシは「早く来たからこの程度でマシだわ」とすぐ気を取り直しますw

利家時代に反応する瞬間


登城する前に石川門に続く橋の上から、利家の頃の石垣を見て気分を盛り上げときました。
奥の石垣は写真だと分かりづらいけど素晴らしいです。道路反対側に兼六園があります。

長っ尻だった瞬間


では当時は搦手だった石川門からイン! 鉛板の白っぽい屋根瓦を忘れずチェックします。
鉛の屋根瓦は昨日見た瑞龍寺の仏殿とこの石川門だけ。いざとなったら鉄砲玉にする気ね。
同時に切り込みハギミックスの石垣にもかわゆいナマコ壁にも注目! ひとり居座ります。

石川門は宝暦9年の大火で全焼して天明8年に再建された現存門で、国の重要文化財です。

うっとりしていた瞬間


石川門は枡形なので中に入ると正面には石垣がドン! 続き櫓や櫓門で囲まれた空間です。
右側は切込ハギ、左側は打込ハギ、あまりに違う積み方ってなんだか不思議。
積み直しや修復の関係なんだろうけど、どっちかに合わせて積めばいいのにと思ったり。

威風堂々だった瞬間


石川門を抜けたら案内所で百名城スタンプとパンフレットをもらって三の丸広場へ。
右から「菱櫓」「五十間長屋」「橋爪門続櫓」がデーンと立ち並ぶ姿が目に入ります。
平成13年に復元されたものだけど、気合い入ってるので百万石の威風が感じられますね。

今も昔も総工費は莫大だったに決まってる瞬間


菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓で、死角の少ない菱形(内角が80度100度)が名前の由来に
なっているそうです。高さは石垣と櫓を合わせて約28m。石落としもあってやる気マンマン。
だけど実践的なだけじゃなく破風なんかも設けて「百万石」の華やかさも忘れずアピールね。

五十間櫓は武器などの保管庫で戦闘時は砦として、そして二の丸への通行を監視する
位置に建つ橋爪門続櫓は三の丸で戦闘が起きた場合に指揮所として機能するんだそうです。

迫力だった瞬間


三の丸の右側には河北門も復元されています。橋爪門、石川門とともに当時「三御門」と呼ばれ、
金沢城の実質的な正門として使われていたそうです。発掘された礎石が復元に使用されているとか。
こちらの枡形もワタクシ中入ってちゃんと見たんだけど、人多すぎていい写真がないのよね。

貧乏性ここでもだった瞬間


先が長いので三の丸からパンフレットおすすめの順路で東の丸、本丸方面へ向かいましょう。
しかし三の丸だけでどんだけ広いんだ! 勝手に百万石の財力に思いをはせたりもします。

萌え〜だった瞬間


東の丸北面石垣が見えてちょいと駆け寄り。城内でもっとも古い技法が用いられた野面積みは
利家が平山城だった石垣の改修を始めた頃の姿を伝える貴重な石垣なんだそうです。

すでに疲れていた瞬間


利家が修復した頃どころか、どっか一部には尾山御坊だった頃の石なんかも
残ってたりすんじゃないの? とか思いながらフラフラ歩いています。

元は本願寺の寺院である金沢御堂(尾山御坊)があった地に築かれた金沢城。
信長の北陸攻略後、佐久間盛政が入って築城され、当初は尾山城と呼ばれましたが、
天正11年(1583)前田利家の入城後、金沢城と改められました。

利家はバテレン追放令で改易されたキリシタン大名 高山右近を引き取って縄張りをさせ、
大手口や搦手を中心に城の大改修を行い、二代藩主利長の頃に曲輪や堀が拡張されて
近代城郭となります。当初は五層の天守が築かれましたが慶長7年(1602)落雷による火災で
消失すると幕府への遠慮から再建されず、二の丸に三層の菱櫓を建て天守代用としました。

加賀藩金沢城は利家から数えて13代が270年間在城して明治維新を迎えます。
維新後は陸軍師団が置かれますが、本部として利用された二の丸御殿からの失火で
石川門と三十間長屋を残し、ほとんどの建物を失ってしまいました。
陸軍は第二次世界大戦終戦まで設置され、戦後は国立金沢大学が置かれますが、
平成13年金沢城公園として一般に開放され、現在も復元整備が進められています。

しかし・・明治政府とか陸軍とか絡むと本当に本当に本当にロクでもないね。
正直、ほぼ全焼するほどの失火した奴は切腹して責任取るレベルだったと思うわ。

恐れ入った瞬間


順路通りに進んで鶴丸倉庫にやってきました。イマイチときめかない建物だけど、
実はコレ、石川門やこれから行く三十間長屋と並ぶ国の重要文化財Σ(゚Д゚)! 
嘉永元年(1848)に建て替えられた武具土蔵で城郭内土蔵で最大の大きさなんですって。
明治以降は軍隊の被服倉庫だったらしいけど燃やされなくてよかったわね〜イヤほんとに。

思いを馳せる瞬間


鶴丸倉庫の次は丑寅櫓跡。本丸の東北角「丑寅の方角」にあったから丑寅櫓。
1755年宝暦の大火で焼失した後は再建されなかったんだそうです。石川門をくぐる前、
前田時代の石垣だって見たのがちょうどこの辺り。櫓跡の前は通り挟んで兼六園。

心は天正時代だった瞬間


で、こちらは本丸の東南角にあった辰巳櫓の跡から見る風景。辰巳櫓も宝暦の大火で焼失後
再建されず、櫓を支えた石垣も明治の改修でほとんど残っていないんだそうです。
目の前には金沢21世紀美術館。その手前の水堀は陸軍が埋めた堀を復元した「いもり堀」。
櫓跡から現代の金沢の街を眺めつつ、天正期の平山城の雰囲気を堪能して満足します。

首をかしげた瞬間


本丸跡はびっくりするくらい草木ボーボー。金沢御堂(尾山御坊)があった場所で、
前田利家入城後の天正14年(1586)には天守が設けられていたと言われているそうです。

防御力を思う瞬間


森林浴地帯の本丸跡から本丸の北西角にあたる戌亥櫓跡にやってきました。
西と北に「出し」と呼ばれる出窓のついた2層の櫓が建っていたのだとか。

無神経極まり無かった瞬間


戌亥櫓跡から三の丸方向に目をやるとぽっかり空いた異質なトンネルが目に入りました。
草ボーボーだけど土塁じゃなくて石垣よ。結構デカいの。何だか場違いで気持ち悪い。

警護の目線だった瞬間


気を取り直して戌亥櫓跡から見渡す二の丸。奥から菱櫓、五十間長屋、橋爪続櫓。
そして一番手前に足場がかかって現在復元整備中の橋爪門二の門が見渡せます。

金沢市民に乾杯の瞬間


完成時期がいつだか見忘れたけど近いうち、ここも枡形門として出入りできるのね。
次々と復元整備する気合い入ってる金沢市に百万石のプライドを感じずにはいられませんw

火事多すぎだった瞬間


で、こちらが鉄門跡。嘉永の大火(1631)以降、二の丸から本丸に入る正門だったそうな。
重厚な櫓が乗ってて、鉄板を張った扉がつけられていたことから名前がついたそうですよ。
切込ハギで多角形の石がぴっしり積まれてますが、ワタクシは野面積みに萌える方ですw

実際は26間半だった瞬間


鉄門跡を出ると国の重要文化財「三十間長屋」がドーン!二層二階の多聞櫓です。
宝暦の大火で焼失後ずっと再建されず、安政5年(1858)再建されたもの。
当時は食器類を納めた倉庫だったそうな。それにしても海鼠壁がとても美しいです。

ピンボケだった瞬間


9時過ぎていたので中に入ることが出来ました。建ったのは幕末だから激古じゃないんだけど、
藩時代の建物だものね。年季具合を目に焼き付けて復元の新しい菱櫓などを見に行きましょう。

バチあたりだった瞬間


三十間長屋のある本丸側と二の丸の間にある空堀にかかった極楽橋。金沢御堂だった頃から
この名前があったらしいよ。参詣する人が極楽往生を願って渡った橋なんそうです。
ワタクシの極楽は仕事終わりのビールかお風呂・・・信心というのは果たして何なんだろ?

落ち着きない人だった瞬間


極楽橋を渡ると二の丸で、目の前には菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓が見えます。
まだまだ人も少ない・・しめしめww 券売り場に行きかけて何気なく後ろをチラリ・・・

まさかのロックオンだった瞬間


ふと目に入った石垣上の三十間長屋、こっから見るとちっさいわ〜と思いつつ、
堀底に入るところに柵がなさそうなのに気づくと、そっちが気になり廻れ右!!

案外ビビりだった瞬間


右手本丸側の石垣には印のついた石が多くありました。自分の世界で堀底を歩くワタクシ。
散歩中風のおっさんに橋の上から「ご苦労さん!」と声をかけられ心臓止まりそうになったわww

微妙な笑顔を返しながら動悸を鎮め、混まないうちにさっさと菱櫓たちに向かいます!


金沢城に登城!その2 五十間長屋とおまけの武家屋敷〜に続く



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2014.06.28 Saturday 20:43 | comments(2) | trackbacks(0) | 中部(石川県) | 
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