<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES

高岡城に登城!

[日本百名城] ブログ村キーワード

予報はあてにならなかった瞬間


富山城から高岡城にやってきました。現在は高岡古城公園となっている城跡です。
朝イチの富山はあんなに晴れてたのに、高岡に来たとたんなんだか怪しい空模様。

気が利いていた瞬間


ワタクシは駐車場の関係で、大手口でも搦手口でもない小竹藪広場から入ることに。
完備されているパンフレットをもらって、メガ内堀を見ながらまずは本丸に向かいます。

公園すぎた瞬間


本丸を囲う内堀にかかった朝日橋を渡ります。古図には「橋台石垣」の記録があり、
有事に備えた可動式の橋があったとも推察され、しかし詳細は不明なのだとか・・

防御の要だった瞬間


平城なんで水堀の規模がデカいです!!江戸初期には廃城になったお城だけど、
この水堀だけでなく本丸、二の丸、三の丸、鍛冶丸などの曲輪も残っています。

天気悪すぎな瞬間


水堀を見ながら歩いてほどなく本丸に到着! 現在は市民憩いの広場になっています。
本丸の周囲は土塁がめぐらされていました。奥に前田さんがいるので見に行きます。

あまりに前田すぎた瞬間


広場の隅にある前田利長さんの騎馬像。思わずワタクシかぶりついております。
武将の銅像は「騎馬で2割増」「イメージ通りで3割増」なので大好物のやつですものw

前田利家の嫡男、利長さんは「加賀藩初代藩主」「加賀前田家2代目」と言われます。
無駄に長い兜は「銀鯰尾形兜(ぎんなまずおなりかぶと)」。本物は高さ140僂蕕靴い茵
グラグラしちゃって颯爽と動けないだろうけど、目立ちたがりなのはきっと血筋ね。

結果往来だった瞬間


利家は豊臣家を守るため「自分の死後、三年は上方を離れるな」と遺言したのに、
ハッスル家康の口車に乗せられ、わずか数ヶ月で金沢に帰ってしまった利長さん。

帰国したせいで「家康を倒す準備をしている」と家康に戦の口実を与えてしまい、
母の芳春院を江戸に人質に出し、養子の利常を秀忠の娘と結婚させ、自分は隠居して
どうにか回避・・危なかったよね。でも必死に前田家を守って最終で百万石!!

前田だらけだった瞬間


利長公の銅像に続き、街灯に施した梅鉢紋でもさりげなく前田をアピール! 

高岡城は慶長14年(1609)、大火で焼失した富山城に代わる隠居城として関野に
前田利長が築いたお城で、高山右近が縄張りしたと伝えられています。

関野を「高岡」と改めて入城した利長でしたが、慶長19年(1614)5月死去。
元和元年(1615)、城は一国一城令により廃城となりますが、水堀や曲輪が残され、
加賀藩の施設として機能しながら明治維新を迎えます。維新後は加賀藩により
民間に払い下げられますが、有志より嘆願書が出され「高岡公園」になりました。

ロックオンの瞬間


本丸から出て二の丸方面へ向かいます。ここは高岡城址最大の見どころ的な場所。
本丸と二の丸をつなぐ土橋側面の石垣を、堀底に降りてじっくり眺めちゃうのです。

鼻息が荒かった瞬間


本丸側の土橋の入口に「高岡城址 石垣」の案内版があります。ここから下に降りるの。
観光さんはみんな通り過ぎていきますが、ワタクシは我が道をゆきましょうw

ウットリ過ぎた瞬間


坂道を下りていく途中から石垣がちら〜り! 5月初旬だってのに草木がうっとうしいけど、
ここまでだだっぴろい水堀ばーっかり見てきたから、思わず視線が釘付けになってしまうわw

かぶりつきの瞬間


キョ―!! 水堀じゃなくてよかった! 堀底からの眺めはなかなか圧巻です。
年季の入った野面積みの石垣は築城当時のものなのだそう。慶長の頃に心が飛ぶわ。

念入りに見ていた瞬間


刻印が入った石があちこちに見られます。前田の隠居城で大名分担とかじゃないから
石工職人がつけたものなんでしょうけど、印の種類もたくさんあって面白いです。

地味に混雑していた瞬間


石垣を堪能した後は水堀を眺めつつ、鍛冶丸にある高岡市立博物館に向かいました。
ここで100名城スタンプをゲット!時間がないので中には入らず先へ進みます。

なんてことなかった瞬間


三の丸に向かって登城完了する前に大手口に来ました。この先が博物館のある鍛冶曲輪。
左の方が二の丸になってます。わざわざ大手口に来たのは右に立つ「彼」を見るためよw

高潔そうだった瞬間


キリシタン大名の高山右近さん。高岡城の縄張をしたと伝わるので銅像があるんでしょうね。

高山右近はキリシタンの父友照に命で洗礼を受け、ジュストの名を授かりました。

右近と父の友照は元は高槻城主、和田惟長の家臣でしたが他の家臣にそそのかされた
惟長に暗殺されかけます。反撃にでた父子は切り合いの末、惟長を倒して高槻城主となり、
天正元年(1573)当時、織田信長につかえていた荒木村重の支配下となります。

この時の切り合いで命に関わる大怪我をしながら奇跡的に完治した右近は
キリスト教への信仰をいっそう強くしたと言われています。

天正6年(1578)村重が信長に謀反を起すと右近も高槻城に籠城しますが、
信長に「従わなければ宣教師とキリシタンを皆殺しにする」と脅され降伏。
父友照に家督を返して信長の前に出頭したため、高山家と所領は安堵されます。

本能寺の変後、右近は秀吉につくものの天正15年(1587) バテレン追放令が
出されると棄教を拒否して出奔。小西行長の助けで淡路島や小豆島に隠れた後、
前田利家に引き取られ、前田家の相談役として加賀で暮らします。

しかし慶長19年(1614)川家康のキリスト禁教令により宣教師らが国外追放されると、
右近もフィリピン・マニラへ渡海。マニラでは「偉大なキリストの騎士」として
歓迎されますが間もなく体調を崩し、慶長20年(1615)に病没。享年64歳。

邪魔すぎた瞬間


軽トラ・・・もうちょい考えて停めてくれよ!アップはともかく正面全体が撮れなかった。

右近さんって武将としての能力も高く茶道もたしなむ文化人で、人柄もよかったから
友人もたくさんいたっていうよね。信仰心がなけりゃ豊臣政権でもっと出世したかも。
しかし高槻6万石や家族や友をすべて捨ててマニラに渡るって・・・すごすぎますよ。

もはやありがたみは薄かった瞬間


最後に三の丸に向かいます。水堀の奥に一番最初に渡った朝日橋が見えました。
石垣もない同じ風景の水堀ばっかり見ていると、だんだん堀に見えなくなってくるしw

ふ〜ん・・な瞬間


市民体育館の建つ三の丸には「民部の井戸」というのが残されています。
この場所は今枝民部という人の屋敷があったらしく、この名前がついたのかね。
城内の重要な井戸だったそうで、後に屋形を建てて保存しているそうです。

これにて高岡城登城は終了! また水堀を眺めつつ駐車場に向かいましたw

しっかり残っている水堀や曲輪の他に、見てると土塁っぽいのもあるんだけど、
公園として整備されてるから遺構かどうか分からないのも多かったわね。
平城で総石垣の城じゃないから、城っぽさはあんまり感じなかったかな〜


本当に今にも雨が降りそうな気配になってきました。まだ昼前なのに・・・
しか〜し、せっかく遠征してんだから雨が降ろうが槍が降ろうが前進あるのみ!

次は国宝瑞龍寺に行って信長サマの分骨廟や利長の銅像やら墓やら見ちゃうのよ。


瑞龍寺にて前田利長のお墓参り〜に続く



*****ランキング参加中〜励みになります!!ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング

2014.06.05 Thursday 19:03 | comments(2) | trackbacks(0) | 中部(富山県) | 

富山城に登城!

[城めぐり] ブログ村キーワード

やっと今年のゴールデンウィークの出陣のエントリーに追いついたよ〜Σ(゚Д゚)!
この連休は北陸攻略・・パート? 何度か出陣してるけど今回は富山城スタートです。

レッドブル炸裂中だった瞬間


出陣の前日、またこれその日に限って仕事の帰りが遅くって一睡もせずに富山へゴー!
レッドブル飲んで変な覚醒してたので、朝イチからポーズなんか取っておりますw
城址公園の地下にある駐車場に車を停め、回り込んであえて大手側から登城です。

ひそかに感心の瞬間


模擬天守なんで食いつきは悪いケド、水をたたえた内堀沿いから見る佇まいは美しめ。
トキメキや興奮はなくても、日本らしい「城のある風景」として見れば素敵なものよ。
ずいぶん昔に見た写真では若干こぎたなかったけど、白亜になった天守は水堀に映えます。

朝イチ登城に最適だった瞬間


内堀にかかる土橋を渡ってさっそく城址公園にイン! 郷土博物館になってる模擬天守は
開館時間があるけど、公園自体の出入り自由なのがケチくさくなくていいですねw

ガン見の瞬間


土橋を渡って枡形虎口を振り返ります。石垣はだいぶ修復されてるみたいだけど当時のもの。
模擬天守の建ってる石垣は鉄門跡ものなんだそうですよ。デカい鏡石が何個もはまっていました。

威圧しすぎだった瞬間


鏡石というのは虎口の石垣なんかに使われる巨石のことで、侵入者への威圧のためとか、
築城者の財力を誇示するために用いられたと言われています。6〜7くらいあったかな。

想像にはげむ瞬間


模擬天守の反対側にある現存の櫓台。残念ながら立ち入り禁止で登れませんでした。
模擬天守の石垣もこちらの櫓台石垣も多聞櫓がドーンと建っていたんでしょうね。

イマイチだった瞬間


公園の中に入って望楼型の三層天守を眺めます・・金網がうざったいですねw
余計な建物なんかも見えちゃうので、やっぱり外からみる佇まいの方がよいです。
白砂利のところに転がってる石は石垣に使っていたもの。あちこちに置かれてます。

決断が大事だった瞬間


時刻は8時過ぎ。9時開館の郷土博物館を眺めつつ1時間は待てないわ〜と思ってるとこw
今回も予定目白押しなのでロスは最小限が鉄則。9時前には高岡城跡に向かう予定よ。

何かと裏目っていた瞬間


何事も かはりはてたる 世の中に 知らでや雲の白く降るらん

信長の頃、富山城主だった佐々成政の句が書かれた碑が立っていました。

佐々さんは信長の譜代家臣。柴田勝家の与力として北陸攻略のため越中富山に入って
上杉家と戦い魚津城を攻略します。しかしそこで本能寺の変が勃発。秀吉に反発した佐々さんは
勝家側につくものの上杉の反撃で動けないまま、賤ヶ岳の合戦は秀吉の勝利で終わります。

その後、小牧長久手の戦いが始まると家康・信雄側に呼応して秀吉方の前田利家と対峙。
しかし末森城攻めに苦戦しているうち秀吉と家康は和睦。進退窮まった佐々さんは
雪中の立山沙羅峠を越え、家康に再挙を促すべく浜松城を訪ねますが拒否されてしまいます。

この振る舞いに怒った秀吉は自ら越中に乗り出し10万の大軍で富山城を包囲。
孤立した佐々さんは剃髪して降伏、所領没収を没収されお伽衆として秀吉に仕えます。
数年後、九州征伐に従って功を立て、肥後一国の大名に返り咲くのですが、
秀吉の命に背いて検地を強行して大規模な一揆を誘発し、これを鎮圧できなかったため
責任を問われ、再び所領を没収され天正16年(1588)5月14日、尼崎で自刃。享年50歳。

歌碑に書かれた句は、佐々さんが剃髪した時に詠んだものらしいです。
ろくな道具も雪山歩く装備もないあの時代、豪雪をかき分け館山を越えたさらさら越え・・
色々なことが変わっていく世の中だけど、雪は白い・・・無念な思いが伝わりますね。

ちなみに・・信長が亡き後、空回りしまくりだった佐々さん辞世の句がこれ。

この頃の厄妄想を入れ置きし 鉄鉢袋 今破るなり

イヤなこと入れた袋をついにブチ破る! っていうんだからすごいわ。
破るってのは死にゆくってことでしょうね・・残念な人でも気の毒な人でもあります。

石が自慢だった瞬間


刻印や墨書きのある石も展示されています。ほぞ穴のある櫓の礎石などもありました。
肉眼では刻印は分かるんだけど、写真だと分かりづらいものばっかなので全体写真だけでw

前田一色だった瞬間


佐々さんの後、一度は廃城になった富山城ですが越中一国が前田家に与えられると
利長が改修して隠居城とし、後に前田家三代目の利常が次男利次に10万石を分与して、
富山藩としたため、富山はすっかり前田の城。梅鉢紋がふんだんにちりばめられてます。

セレブ門だった瞬間


公園の別の出入り口には現存の千歳御門が移築されています。富山城10代藩主前田利保が
隠居所として造営した千歳御殿の正門だったそうで嘉永2年(1849)建築されたものだとか。

貴重だった瞬間


総欅造りの三間薬医門、屋根は切妻造本瓦葺で、東大の赤門(旧加賀屋敷御主殿門)と
同じ建築様式の貴重な城門なんだそうですよ。隠居所でこれだから百万石はリッチですw

前田アピール全開だった瞬間


軒丸瓦には梅鉢がずらり!金ぴかの梅鉢も見えます。建材にも意匠にもこだわってますね。
明治時代に赤祖父家に移されたものが市に寄付されて移築、今は市の指定文化財です。

味があった瞬間


千歳御門の石垣も積まれた時代とかはよく分からないけど現存のもの。
奥に見えてる一見、櫓チックな感じのところは城風建築の美術館ですw

反応は薄かった瞬間


公園内には富山藩2代藩主前田正甫の像がありました。この方、富山売薬の基礎を築いた人なんだって。
反魂丹という薬を常備していた正甫さんは江戸城に登城した際、腹痛に苦しむ大名に薬をあげました。
するとたちどころに腹痛が治ったため、それを見ていた諸大名が自領内での販売を求めるように。
そこで正甫さんは諸国に行商させ、これが「富山の薬売り」の始まりになったんだってさ。

ビルが生えていた瞬間


公園内では庭園の工事をやっていました。模擬天守も塗り替えて白亜にしたし、
千歳御門も移築するし・・なかなか気合い入れて整備してるみたいですね。


富山城はこれにて終了! うん、やっぱ9時の博物館開館は待ってられないわ。
ボヤボヤしないで破竹の勢いで高岡城瑞龍寺、そして七尾城に行かなきゃよ!


高岡城に登城!〜に続く。



*****ランキング参加中〜励みになります!!ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング
2014.05.28 Wednesday 19:27 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(富山県) | 
 | 1 / 1 PAGES |