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二条城に登城!

[世界遺産] ブログ村キーワード

日本100名城53番 二条城に登城!

2日目も予定は目白押し。ホテルの直食バイキングをたらふく食べて9時前チェックアウト。
気合いを入れて二条城に車で乗り込んだら、もう目の前の駐車場かなりいっぱいΣ(゚Д゚)!
開いた直後だからかお盆中だからか団体さんはいないけど混み混み・・世界遺産パワー恐るべしw

そんなわけで姫路城同様、人がいない写真どうのなんて贅沢は言っていられません。
少しでも人が減ったタイミングだけ見計らってガツガツ行くことにしますw

世界遺産パワー早くも炸裂だった瞬間


まずは入城口になっている東大手門。ワタクシ実は二条城の登城は3度目。
1度目は中学の修学旅行・・しかしろくに記憶なく覚えているのは清水寺のことばかりΣ(゚Д゚)!
2度目は20歳くらいの時に友達と旅行で来て・・観光さんとしての記憶が残っていますw
京都には他に何度か来ていて、目の前を通りがてら東大手門を目にすることはあったけど、
お城めぐりを趣味としてからの登城は初めて。桁行13間、間口5間。本瓦葺、入母屋造で、
棟上に鯱が上げられ、徳川力をびしびし感じさせる迫力のある大手門です。

剥がれる前だった瞬間


東大手門向かって左側に続く多門塀。あもが登城した半月後・・9月4日の台風で
多門塀の一部が剥がれたとニュースでやっていた。この写真でいうと手前から続く石垣の
高さが変わる角の部分のすぐ上の白い漆喰が剥がれてしまったようだ。

番所もビッグスケールだった瞬間


東大手門を入ってすぐ左側には番所があります。将軍不在時、二条在番と呼ばれる江戸から派遣された
大番組の武士によってその警護されていた二条城。正面十間(19.6m)、奥行三間(6.06m)の建物で、
現存する門番所の建物は少ないため、とても貴重な建物になんだそうだ。

政治の城は豪華絢爛だった瞬間


パンフレットに書かれた順路通り、まずは唐門から国宝に指定されている二の丸御殿に向かいます。
切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造の壮麗な唐門をくぐって二の丸に入ります。

徳川イズム全開だった瞬間


手のこんだ彫刻と金ぴか極彩色の飾りがほどこされた門は二の丸御殿にふさわしい感じ満載。
東照宮の陽明門をふと思い出し、徳川三代の門に対するこだわりになぜか勝手に納得w

二条城は慶長8年(1603年)、徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、
3代将軍家光の時に大改修が行われ、伏見城の天守を移築したり、本丸御殿が建てられた。

西国に睨みをきかす戦闘仕様ではなく、政治的な意味を持ったお城なので雰囲気がちょっと独特。

奇跡の瞬間


唐門をくぐるは待てどタイミングを計れど切れ目なしにゾロゾロ来るにも関わらず、
二の丸御殿の写真を撮る瞬間、冗談みたいに人のいないチャンスタイムがありましたw

国宝、二の丸御殿は武家風書院造の代表的な御殿建築で、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、
黒書院、白書院の6棟が南東から北西に向かって斜め(雁行)に並んでいます。
建物面積3,300屐部屋数33、畳800畳あまり・・。白書院以外には狩野探幽ら狩野派による
金箔をはった鮮やかな障壁画が部屋の目的に合わせて描かれており、豪華を極めています。

残念ながら二の丸御殿内は一切撮影禁止のため写真はないけれど、いつものごとく
欄間の彫刻や釘隠し、飾り金具なんかはもちろんガン見で贅沢な作りをじっくり観察。
狩野派の絵は・・金箔に松の木とか系の絵はワタクシあまり好みではないのですが、
薄暗い御殿内、今は少し色あせたたくさんの障壁画を見ていると、描かれたばかりの当時
どれほど目を奪い、将軍家の威光を彩るものだったか思いを馳せずにはいられませんでした。

徳川慶喜が諸大名を集めて大政奉還を発表した大広間の一の間も今回はじっくりと見て、
教科書で習ったとか程度じゃなく、歴史にちゃんと興味を持った上で改めて見ると
そこから感じるものが若い頃とずいぶん違うのに自分でちょっと驚いちゃったりしてw

ちなみに二の丸御殿の正面、豪華な装飾がついているところが御殿の玄関にあたる車寄。
牛車でそのまま入れるように床は石や敷き瓦を斜め45度に敷く四半敷きになっています。
左側に続く建物が遠侍。中は行列しながら廻るので気合い入れないとガン見出来ませんw

今さら丹波篠山城に納得の瞬間


二の丸御殿を出て二の丸庭園へ。分譲したら町が出来そうな呆れるほど広い庭です。
ちょうど二の丸御殿の大広間の建物が見えました。昨日、見た篠山城の大書院と似ています。
二条城を参考にして復元したってことがなるほどよ〜くわかりましたし、
二条城の二の丸御殿大広間書院に匹敵する規模だっていうのも改めて納得ですw

とりあえず好みではなかった瞬間


古来からの造庭術に従い池の中央に蓬莱島、その左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、
小堀遠州の作と伝えられている。色彩に富んだ大小さまざまな石組にあらわれた力強さは
豪壮な城郭建築とよく調和しています〜とパンフレットに書いてあったw
日本庭園のうんちくや良し悪しのポイントを知らないのでお城の庭や大名庭園などを見ても、
好みか好みじゃないかしか感想のないワタクシ。二条城のは松ばっかで面白くはないですw

びっくり塗り壁だった瞬間


二の丸庭園の後は本丸へ。本丸櫓門を通って行きます。のっぺりした面白くない門ですw
家光が本丸御殿を増築した当時、この門は橋長屋になっていて本丸殿舎と二の丸御殿の黒書院は結ばれ、
外に出ることなく行き来できるようになっていたそうだ。明治以降にこういう風になったらしいです。

どうにもならないくらい汗だくだった瞬間


本丸櫓門向かって右側の石垣と堀の雰囲気を・・内堀に囲まれた5200坪の本丸。
二の丸ほどじゃないにしろ、暑い中聞くだけでうんざりするほど広い敷地です。

ちょっぴり残念だった瞬間


鳴子門の方から本丸櫓門を見たところ。本丸石垣からせり出している珍しい門。
ここから見える部分がずーっと屋根のある廊下橋で二の丸とつながっていたってことですね。
それも現存していたらもっともっと珍しくて見どころになったでしょうね。残念です。

備えあれば憂いなしだった瞬間


本丸櫓門の中は枡形になっていて、門を入って枡形石垣を登ると正面に突き当たり、
左に曲がって本丸の中に入る作り(写真右手が本丸)になっています。結構立派です。

すったもんだがあった瞬間


本丸御殿は建てられた当時、二の丸御殿と同じくらいの規模があったものの天明8年の大火で焼失。
その後、15代将軍慶喜の住居として新たに御殿が建てられるが、これは明治14年に撤去され、
現在、見ることのできる本丸御殿は、京都御所にあった旧桂宮邸を明治26年に移築したもの。
旧桂宮御殿は皇女和宮が14代将軍家茂に嫁がれる前に2年近く暮らした建物で重文になっている。
以前は見れた時もあったらしいけど免震基準を満たしていないので今は一般公開されず残念。

国民の財産なんだからとも思った瞬間


本丸御殿は御常御殿というらしいですよ・・震度6以上の地震が来たら倒壊する恐れがあるんだとか。
耐震補強とかすると重文じゃなくなっちゃうのかね? 倒壊したら元も子もないと思うのだが。

ダメと言われると・・な瞬間


本丸御殿の玄関。1847年(弘化4年)に建てられたもので入母屋造、桟瓦葺、御車寄唐破風造。
銅板葺の建物です。二の丸御殿の方がすごいと思うけど非公開って言われると見たくなるね・・

御殿の流れで明治の香りがした瞬間


天守台から見た本丸の風景。遠くにうっすら東山連邦が見えます。
ビルとか現代風の高い建物が何も見えないから見えるのは当時と同じ風景・・でもちょっと違う。
で、ふと思った。ワタクシなぜか家康の頃より幕末から維新の頃のがピンと来ちゃってるな〜と。

お城の風景だった瞬間


天守台から内堀にかかる西橋方面を見たところ。入り口にあたる東大手門と真逆にあって、
内堀と石垣ばかりが目に入るのでひっそりとした印象。でも一番お城らしい風景かもw

豪壮華麗に違いなかった瞬間


天守台の石垣は打ち込みハギでちょっぴり反りも入っているのかしらね?
天守台石垣の高さは約21m、上敷地445。ここに伏見城から五層の天守が移築され、
寛永3年、落雷により付天守とともに焼失。以後再建されることはなかった。
もし現存していたらどんだけ素晴らしい眺めだったかと思うと残念すぎる。
大火、落雷、空襲・・こういうことで貴重な建物が焼失するのは本当に惜しい。

ちょっとしたところにも重文だった瞬間


北中仕切門を本丸側から見たところ。一間門・一重・招造庇付・本瓦葺き。国の重要文化財。
南側にも同じく南中仕切門があり、2点を結んだ二の丸側が家康が作った部分なるのだそうだ。

ふ〜んそうなんだ・・になってしまう瞬間


北中仕切門をくぐると加茂七石があります。加茂七石というのは加茂川石のことで、
今は全然取れないらしいけど昔は銘石を産したのだという。畚下石(ふぐろいし)、紫貴船石、紅加茂石、
糸掛石、畑石、鞍馬石、八瀬真黒石の7つの石を言うそうで、それが置いてあるんですね。
庭もよく分からないのに石なんて!! 価値観が分からないってつまらないねΣ(゚Д゚||;)

暑さと体力と時間が問題だった瞬間


二条城の外周をぐるっと回って外堀や隅櫓も見た方がいいんだろうけど、
何しろ暑いわ、まだ今日の先は長いのに朝から体力消耗しちゃったわ、時間はないわ・・
ということで次の城に移動しがてら車中から東南隅櫓だけチラ見してみましたw
車なら外周1周くらい廻りゃいいのにって話もあるけど、ま、ま・・二条城だしw

お城マグネットもスタンプもゲットしたので、激混みの高速に乗り水口城へ移動します。




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2011.09.19 Monday 14:27 | - | - | 近畿(京都府) | 

伏見城に登城!そして鱧を食べに大喜久へ

そうだ!鱧を食べに行こう!ということで京都中心が決まった今回の登城先。
ご飯の時間には早いけど二条城登城は間に合わないので、話のタネに伏見城へ。

ガラガラすぎて怖かった瞬間


小高い丘の上にあるお高そうなお屋敷チック住宅街を抜けて伏見城に到着。
以前はキャッスルランドという遊園地だったこの場所。大きな家が多いけど、
普通の住宅街みたいな道を観光客の車がガンガン登ってくるなんて住民だったら
さぞ迷惑だっただろうから、遊園地が廃園になってホッとしているだろうね。

現在は伏見桃山運動公園として京都市が管理している市民のための公園らしいけど、
駐車場はお盆休み中なのにガラガラ・・つうか他の車の影も形もありゃしない。
駐車場は有料。おいおいこれでお金取るの!?と思ってちょっとびっくりしたw

テンション低めに登城の瞬間!


うさんくささ全開の模擬城門。復元された建造物がどれほどの手間とお金と技術を使って
丁寧に作られているのか、これを見ると逆に分かりすぎるほど実感しちゃう次第。

とにかく豪華に見せたかった瞬間


門扉にはよく見ると微妙な感じだけど、太閤紋として有名な「五七桐」がついてます。

伏見城は文禄元年(1592)、豊臣秀吉が自身の隠居城館として築いたお城。
淀城の天守や聚楽第の建物を移築して作られた桃山文化の粋を集めた豪華絢爛なお城で、
指月山に築かれたことから指月伏見城とも呼ばれる。慶長元年(1596)の大地震で倒壊すると
木幡山に新しい城(木幡山伏見城)を築くが、その2年後、秀吉が没すると徳川家康が入城。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに先がけ、鳥居元忠が守る伏見城は西軍の攻撃に落城するが、
東軍の勝利後、城は再建され、元和9年(1623)家光の時に一国一城令により廃城となった。

思っている以上に大きかった瞬間


門をくぐっていざ登城・・・で、でかい!! 想像してたより大きくてちょっとびっくり。
RC造の五重六階の模擬大天守と三重四階の模擬小天守、大きさだけはけっこうな迫力ですw

伏見城本丸跡などの主郭部分は明治天皇陵(桃山御陵)となっているため立入禁止。
キャッスルランド版伏見城はかつてのお花畑山荘跡に建てられているのだそうだ。

伏見のことも夢のまた夢・・だった瞬間


昭和38年に建てられたもので耐震基準を満たしていないため、中に入ることはできません。
キャッスルランド廃園の際、京都市に無償譲渡されたらしいけど、そこは文化財の多い京都。
模造天守に維持費はかけられないんでしょうね・・近くで見ると老朽化が進んでるのが分かります。
豪華風をまとった大きな建物だけに、さびれていく様が寂しい感じを倍増させている気がしました。

選ぶ間もなかった瞬間


伏見城を後にして市内へ戻り、京都に行ったらお土産を買いに必ず立ち寄る錦市場へ。
前回はさば寿司や野菜、豆腐なども買ったれど今回は先が長いのでママンに頼まれた漬物だけ。
お気に入りの打田漬物さんに向かいます・・が、もたもたしてたら時間はすでに18時前。
錦市場は店が閉まるの早いので、片付け始めた漬物屋さんで目につくものをかごに放り込み、
お会計、発送手配。あと5分遅かったら買えなかったわ。本能寺寄らなくてよかったw

鱧づくし始まりの瞬間


ついに鱧の時間がやってきました!! ワタクシ鱧が大好き。好きな魚ベスト5に入る。
以前、京都に来た時は本格的な京懐石が食べたいと思ってお高い料理屋さんに行ったので、
今回は鱧!はも!ハモ!と鱧だらけになりたくて鱧づくしの大喜久さんにやってきました。
円山公園にある料理屋さんで夏は鱧のコースのみ。人生初の夢の鱧だらけ・・ドキドキw

鱧の茶碗蒸し


コースの初めは鱧が入った冷たい茶碗蒸しから・・ワタクシは卵豆腐や茶わん蒸し大好き。
それをいきなり鱧とダブルで味わえるだなんて、夢のコラボに早くも感動ですw

鱧の子


鱧の子は初めていただきました。煮たたらこをほぐしたのに見た目似てますが、
たらこよりふわっとした感じだったような・・・食通じゃないのであてになりませんがw

鱧の刺身


鱧は普通の懐石のコースなんかだと落としやしゃぶしゃぶで出されることが多いけど、
脂がほどよく乗ったしっかりした白身の刺身も意外といけます。ちなみにあもの好きな魚、
ベスト5はタイ、ヒラメ、フグ、ハモ、アジ。基本、筋肉質な白身の魚が好きですw

鱧の落としと炙り


刺身ももちろんおいしいけど、鱧といったらやっぱり落としが一番!
梅ぼし大嫌いだけど鱧の落としの梅肉は全然オッケー!というか、むしろなきゃダメw
炙った鱧は炭の香りがほのかにする皮が超〜おいしい!! 鱧づくし・・来てよかったぁ。

と、ここでふと気づいた。1品1品、鱧の切れ数が普通より地味に多くないかと・・。
鱧づくしのコースだからなのかと思ったら、普通の鱧コースは1人1匹だけど、
うちは1人前に1.5匹使っているんですよ、とお店の人が教えてくれた。
鱧の落としと最初の茶わん蒸しならワタクシ、4人前くらいずつ行けそうですw

鱧と松茸の土瓶蒸し


鱧と松茸は定番かつ王道のコラボレーション。鱧の脂が溶け出たお出汁がとてもおいしい。
松茸もけちけちした薄っぺらいやつじゃないので歯触りも香りもしっかり堪能できます。

鱧のかば焼き


かば焼きって言ってたと思うけど記憶曖昧・・とにかく甘いタレをつけて焼いた鱧ですw
ウナギのかば焼きは嫌い、アナゴは白焼きか天ぷら派のあも。かば焼きと普通に焼いたのと
あったけれど、ワタクシはやっぱり白い普通の焼き鱧の方が好みです。

鱧と賀茂ナス


揚げ浸しにした賀茂ナスの上に鱧やエビを載せて餡をかけたボリューム満点な一品。
ビールや梅酒をぐいぐい飲んでたから、この辺りで結構お腹がいっぱいになってきてて、
このボリューミーなナスと何気にお腹にたまるエビで相当やばしな状態Σ(゚Д゚)!

鱧ちり


お腹がいっぱいだろうが鱧づくしを食べに来て、鱧ちりを食べずに帰れますか!!
食い意地が勝ってペロッと完食w 取り分けてもらった出汁まですっかり飲みほしましたw

鱧ご飯


いや〜さすがに炭水化物は入りませんって・・といいながら土鍋から漂う香りにつられ、
よそわれた1杯だけは何だかんだ食べてしまった。鱧づくしだもの・・これでいいのよw

フルーツシャーベット


色からしてブドウのシャーベットかなと思って食べるとバナナとか果物の色んな味が。
色んな果物を混ぜて作ったオリジナルのシャーベットなんだとか。さっぱりしました。


一度、食べてみたいと思っていた鱧づくしの念願かなって超〜満足満足。
大喜久さんも料理が素晴らしい上、気さくな雰囲気も◎。
夏に京都に行く機会があれば是非また行きたいな〜つうか行けなくても、
毎年夏に1度くらい、鱧お取り寄せもいいかななんて思ったりしていますw


2011夏弾丸ツアー、もりだくさんな初日はこれで終了。
2日目は二条城によって滋賀から伊勢方面の地味城攻略に向かいます。



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2011.09.11 Sunday 12:38 | - | - | 近畿(京都府) | 

丹波亀山城に登城!

篠山城の次はちょうど昼食時なので亀岡市に移動して亀岡牛をいただきます。

さっぱりタイプだった瞬間


遠征に来た時はご当地牛を食べるのも楽しみのひとつ。亀岡駅前の「牛楽」さんで
昼間っから限定〇食というステーキをいただきました。暑いから体力つけな・・。
亀岡牛は柔らかいけど脂の甘みがさっぱり。やっぱ育て方によって肉って変わるわね。

おっかなびっくりだった瞬間


亀山城に到着・・・下調べで知ってはいたけど雰囲気がいつもと違ってちょっとドキドキ。
現在は宗教法人「大本」の所有地になっている丹波亀山城。駐車場に車を停めて
誘導のおじさんに聞くと、まず正面の「みろく会館」で受付をしてくださいとのこと。
物珍しくてキョロキョロしながら建物に入り、すぐ左手の受付に声をかけ、お帳面に記名。

思わず拝みそうになった瞬間


受付の女性がパンフレットをくれ、道順や石垣の見どころなどを丁寧に説明してくれた。
「暑いので熱中症が心配ですから、よかったら各所に置いてある冷水をお飲みくださいね」

んま〜なんて慈悲深い!! 拝観料も取らず一般人にも城跡を公開してくれる上、
見学者用のパンフレットまで用意して、熱中症の心配までしてくれるだなんて!!
これが京都市内だったらあなた、間違いなく拝観料300円は取られてるわよw

郷に入れば郷に従うだった瞬間


天守石垣は「天恩郷」と呼ばれている大本の聖地の中にあるので登城者も
神殿でお祓いを受けてから見学をさせてもらう。手水場で清めてたら「万祥殿」に行き、
玄関先でお祓いを受けてから見学してくださいと言われたので仰せの通りに。

神殿に入る橋の下は空堀で天下普請刻印のある石垣が残っているので帰りに寄ることに。

色々なドラマの末だった瞬間


丹波亀山城は信長の命を受けた明智光秀が、丹波攻略の拠点として築城した城。
本能寺の変の前、坂本城を出て愛宕山に登った光秀は連歌師・里村紹巴らと愛宕百韻を催し
「時は今、天が下しる五月哉」の歌を納め、亀山城に入る。そして天正10年6月1日夜半、
備中高松への援軍として1万3千の軍勢を連れて出陣するが、老の坂を下って桂川に来ると
「敵は備中にあらず、本能寺にあり」全軍に下知し、主君信長を討つため本能寺へ向かった。

本能寺の変後、豊臣秀勝、小早川秀秋らが入り、江戸時代には幕府が西国大名に命じて
天下普請が行われ、近世城郭として大修築された。8代続いた松平氏で明治を迎えるが、
廃城令で全てが払い下げになると城跡は荒れ果て、町の人さえ通らない状態だったという。
大正8年、亀岡出身の宗教法人「大本」の教祖、出口王仁三郎が亀山城の様に憤慨し、
亀山城跡を買い取ると、信徒を動員して残った石を掘り起し、亀山城の石垣を復元した。

いざ登城の瞬間!


お祓いを受けたら万祥殿の横を抜け、いよいよ復元された天守石垣へ!
この門がある場所は亀山城当時、本丸の入り口になっていたんだそうだ。

見学者にはじらしプレイだった瞬間


右手の方に天守石垣が見えてきました。正面にすぐ見えないところが憎い演出w

確かに年季が入っていた瞬間


カーブの左側には亀山城破却前からあった井戸跡とされる石組みが見られました。

お城の世界だった瞬間


荒れ果てていたところ信徒が積みなおしたという復元の天守石垣は意外にしっくり。
木陰で苔や草なんかが生えてるのも雰囲気あるし、積み方も昔ぽくなかなかいい感じ。

イメージはとにかく光秀の城だった瞬間


下三段は亀山城破却前の石垣なんだって。光秀が築城した天正中期から明治の廃城令まで、
破却前の範囲かなり広いんですけど・・亀山城って光秀の本拠地で本能寺に向かった城だし、
三層の天守を建てていたのだから、もしその頃だったら超ロマンな感じ増幅なんですがw

ダメと言われると気になる瞬間


天守石垣から先は聖域のため立ち入り禁止になっています。センサーついてセキュリティ厳重w
この上に光秀お手植えの大イチョウがあるらしいんだけど、近くまで行けないから見えづらい。
実際は江戸中期に台風で倒れ、後継ぎに植えた若木が成長したものらしいのだけれど。

偉大なる文豪の表現はむずすぎた瞬間


「街道を行く」で「闇夜に打ち上げられた大輪の花火のように華麗ではかない」と
司馬遼太郎が亀山城のこと書いているけど分かるような分からないような・・。
光秀のことだけ思いながら「儚い」ってところにのみ共感している次第ですw

念入りだった瞬間


ずいぶん前に5層の天守が建った亀山城の古写真を見たことがあるので想像しちゃう。
光秀が築いたのは三層の天守、五層天守は慶長期に藤堂高虎が今治城を移築したもの。
写真で見たあの立派な天守がこの上にあったんだ〜と思って見るのもまた一興。

礼儀に厳しい教えらしかった瞬間


登城したこの日、信徒の集まりがあったようで万祥殿に向かう人が次から次へやって来て、
こんにちわ!と見学者にしか見えないワタクシに誰もが爽やかな挨拶をしてくれます。
山登りしてるくらいの気分でワタクシも挨拶しまくり・・あんな連続挨拶したの久々だわw
お祓いを受けに行った万祥殿へ渡った橋の下にあった空堀に来てみました。
ここの石垣も壊され土中に埋まっていたものを掘り起し、信徒が積みなおしたそうです。

刻印探しを始める瞬間


掘り起こした石には天下普請の証として諸大名の刻印が多く見られたそうです。
左側の木の影になっているところがかつての内堀。当時は空堀で今は池に。
しかし信徒さんは石垣職人じゃないのに綺麗に積み直すな〜と感心します。

意外と見つけづらかった瞬間


キョロキョロしながら石垣沿いを歩き回り、いくつか刻印らしきものが見つかりました。
写真だと分かりづらい小さい◎がついてるだけの石なんかもちょこちょこあった。

本気で取り組んだことが分かる瞬間


矢穴堀りの跡がある石はあちこちに見られました。信徒が積みなおしたと言っても、
きちんと石垣跡に沿って、刻印や矢穴堀の跡が見える向きも考えて積みなおす芸の細かさw
矢穴は跡が小さいほど新しい時代のだとかいうけど、小さい大きいの基準がどうもワタクシ
いまいちハッキリわからないので困ります。割と大きい感じがするのですが。


丹波亀山城はこれにて終了。登城までにいくつか手続きいることや雰囲気が独特だし、
大場所な見どころそんなにないけど、光秀の〜って意味では来て間違いはなかったかなw

この後は光秀気分で老いの坂を降り、本能寺伏見城に向かいます!



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2011.09.03 Saturday 14:44 | - | - | 近畿(京都府) | 

福知山城に登城!

今年の盆休みはスタンプもちゃっかりゲットしつつ地味城攻略をしようと思い、
京都〜滋賀〜三重〜愛知をマッハの速さで駆け巡ることにした。

なぜに地味城攻略になったかというと、鱧が食べたいな〜と思ったからw
一度、京都の高いお店で鱧を食べてみたい→じゃあ京都に行くようだ→
せっかくだから丹波攻略でもしておくか→帰りがてらついで登城もしちゃえ!→
よし光秀気分で京都に乗り込むか・・敵は本能寺にあり!(信長好きのくせにw)

てな感じで「登城」より「鱧」ありきな感じで自然と決まった感じなのだw
夜中に埼玉の家を出てひた走ること6時間。朝早く第1の城、福知山城に到着。

街中の風景で存在感ドーンだった瞬間


市内に入って福知山市役所前の交差点に来るとドーンとそびえる福知山城。
小高い位置に建っているのと、けっこう大き目なのとでなかなか目立つ。

福知山城登城!の瞬間


由良川と土師川の合流する標高40mほどの丘に築かれた福知山城。
朝9時前なのに猛暑で激暑・・坂を見上げた瞬間うんざりな感じですw

早くも汗だくの瞬間


橋を渡って登城路となっている坂道をふーふー言いながら登ります。
木陰だけどワタクシ体力ありませんし、何しろ湿度が高いったらないので・・。

様子がおかしかった瞬間


登城路から見上げると釣鐘門という名の模擬門が見えてきました。
下の方は見えないけど何やらひょろ〜とした重厚感のない門です。

思った以上に渋すぎた瞬間


模擬門をくぐって登城するルートもあったけど先に天守正面に廻ります。
福知山城は明智光秀が建てたお城よ。ワタクシ勝手に気分が戦国時代です。

大天守と奥に見える小天守のある連立式天守。大天守は入母屋の大屋根に望楼を乗せた
望楼型で天正期の様式。初期の天守。層塔型とは違う味があります。
石垣も築城当時のまま残っていて、荒々しくワイルドな野面積みや穴太積みだらけ!
適当に未加工の石を積んでるように見えても奥深く入っているので強固なんだとか。

光秀は意外とワイルドだった瞬間


石垣のあちこちで転用石が使われているのが見れます。
光秀は石垣を積むのに近くの寺院の墓石や石塔を集めて使ったそうだ。
転用石は安土城でも使われているらしいが、福知山城で使われている数は
それより遥かに多いと聞くと、光秀は言われるほど常識にとらわれた品行方正な
モラリストでもなかったのかと思ったり。あ、ちなみにワタクシ、信長ラブですが、
だからといって信長をやっちまった光秀のこと全然嫌いじゃありません。
歴史は勝者が作るもの。興味深いという意味で魅力があるから好きですw

鬼師は全国に110名もいた瞬間


郷土資料館になっている天守内に入るため裏手に回ると鯱のレプリカが。
高さ150僉幅45僉A換餤柑佞硫颪箸いΦ幹だ作集団の作なのだそうw

さりげなさすぎた瞬間


本丸にさりげなくある井戸は直径2・5m、深さ50mの「豊磐井(とよいわのい)」。
城郭内にある井戸では日本一の深さで海面下7mまで達しているのだとか。
重機もなかった時代、どんな感じで掘ったんだ・・いつも気になるのはそれ。

見えるわけなかった瞬間


現在も地下水がわいていて清らかな水を讃えているというのですが・・
50mも下じゃ水は見えるはずもなく深いということだけが確認できましたw

うっかりしていた瞬間


天守正面に向かう途中に見えた模擬門。こっちから来た方がよかったのか?
門から眺めるとのどかな風景が広がっていて当時の様子が妄想しやすいw
この門は江戸初期の絵図にあった姿を元に2010年に復元されたそうだ。
名前を「釣鐘門」といい、お寺の門みたいな形で城門らしくないの。
変な門だと思いしげしげと眺めていたら全景を取り忘れてしまったΣ(゚Д゚)!

あまりにも近すぎた瞬間


それにしても・・門から天守まで完全に近すぎなんですけど。
門の前もスペースがないから完全に中に入らないと天守は見えませんし。
復元は門の姿だけでなく位置も元にしたらしいから文句言えませんがw

他の城主はどうでもよかった瞬間


福知山城は元は横山城と呼ばれ、丹波の豪族塩見氏の居城であったものを
天正年間(1573〜1590)、信長に丹波攻略の命を受けた明智光秀が攻略。
丹波平定後、縄張をして城を築き、甥の秀満を置いて丹波の拠点とした。

領国経営に力を入れた光秀や秀満は領民にとても慕われていたそうだ。
知的レベルの高い人たちとも親しくしていたことを考えると光秀さん
言われてるよりきっと全然魅力ある人だったのよ。

魔が差したか・・物の怪にでも憑かれたか・・。

それにしてもゆるすぎだった瞬間


その光秀さんがこちら・・・ガ━━Σ(゚Д゚|||)━━ン!!  世の中は忍たま乱太郎ブーム。
原作者の尼子騒兵衛さんが書いたキャラ光秀が愛妻ひろ子さんと出迎えてくれます。
光秀の浪人時代、光秀の客を酒肴のもてなしをするお金を作るため女の命である
髪を売ったひろ子さん。夫の甲斐性を信じて将来性を買ったことにもなるわね。
光秀は側室を置かなかったというから糟糠の妻を大事にして出世も果たした。
しかし2人の最期は・・む〜ん単純に女の立場で考えるとなかなか微妙ではある。

体験は大事だった瞬間


郷土資料館になっている天守内は館内撮影禁止。
部屋に上がれる体験コーナーだけ撮ってみました。

よろいを着てみよう!〜飛び出せ戦国浪漫★

鎧はないけど飛び出しちゃう飛び出しちゃう!! 
何の脈絡もなく置いてある真田幸村と伊達政宗の兜はつまらないので放っておき、
スタンダードに兜らしい吹き返しのついた一番重さが体感できそうなやつをチョイスw

思い切って飛び出した瞬間


飛び出せ戦国浪漫!! いぇ〜い!!年甲斐もなく((((;゚;Д;゚;))))
ワタクシ身長168僉もし武将だったら鍬形の部分がガンガンあたるな。
しかし重いわ〜臭いわ〜緒を締めても歩くとグラグラしてうっとうしい。

やっぱりひょろひょろだった瞬間


結果、撮り忘れていた様子のおかしな模擬門の釣鐘門、思いがけず写ってたし!
山門チックなの。釣鐘下がっていたのかね? 絵図では1階部分に屋根が書かれてなかったから
低い勾欄をつけてみたらしいよw 本丸の門にしちゃ防御力があまりに足りなそうなw

楽しみの一つだった瞬間


三層四階の大天守 最上階からの眺め。光秀や秀満も眺めたのかしら?
高い建物がないので現代建築物を脳内消去すれば戦国時代にタイムスリップ。

ゴロゴロ転がっていた瞬間


ワタクシは逆送したけれど、ひょろひょろの釣鐘門をくぐって登城するコースだと
登ってくる途中で転用石の展示を見ることが出来ます。(あもは帰りがけ)
福知山城では主に天守付近から500個余りの転用石が見つかっているのだとか。

やっぱり保守派だったのかもな瞬間


近くに石材がなかったことや築城を急いだためと近在から集めたことのほか、
罰あたりなのではなく城を守護するものという意識もあったのだそう・・・
あれ、やっぱ光秀はこっちかな? 信長は実利重視だったと思うけどw


福知山城はこれにて攻略完了・・しかし暑い!! 朝から汗だくです。
次は汗まみれで日本100名城57番 丹波篠山城に向かいます。


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2011.08.19 Friday 19:58 | - | - | 近畿(京都府) | 
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