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豊国神社にて豊太閤と清正公に参拝!

脇坂安治の出生地を見た後は、近江牛を食べるべく長浜駅前へ!

まずは前回、長浜城登城した時、時間がなくて見逃した豊国神社へ参拝します。

こじんまりしていた瞬間


鳥居の立つ入口が2ヶ所あったから、表参道ぽい方から入ってみました。
長浜駅から数分の街中にあるせいか、思ってた以上にコンパクトだった。

ウキウキしている瞬間


鳥居をくぐってすぐ左側には加藤清正像。うふふ〜来た目的のひとつはコレw
大好物の清正さん銅像は妙行寺名古屋城でお目にかかって以来、実に3年ぶり。

豊国神社に加藤清正も祀られてるからなのかな。銅像は戦前に奉納されたものが
戦争中の金属供出で台座だけになり、昭和55年になって再建されたんだって。

お立ち台が高すぎな瞬間


清正銅像としては佇まいや迫力が物足りない気がするけど、でもいい!
それにしても雨が止んだものの、天気が悪くて全く映えないのが残念すぎた。

かわゆいやつだった瞬間


「秀吉公遺愛の虎石」もありました。こちらは秀吉が長浜城主になった時、
清正が寄進した庭石で、秀吉は「虎石」と呼んで気に入っていたんだって。

江戸時代に大通寺の庭に移したところ「いのう(帰ろう)いのう」と泣くので
長浜城の元の場所に戻され、後年、秀吉が祀られたこちらに移されたのだとか。

鼻息が荒い瞬間


ささ。お参りしましょう。まずは豊国神社の手前にある出世稲荷神社へ。
出世・金運・健康・・これにご利益のある所へのお参りは欠かせません!!

図々しかった瞬間


御祭神は宇賀乃御魂命と稲玉命。秀吉も稲荷信仰してましたからね。
鳥居を奉納する財力はないけど、少しでもあやかれますように(*°∀°)=3

前のめる瞬間


そして本命の豊国神社へ!! 出世稲荷の隣なのでズンズン迫りますw

こちらの豊国神社は慶長3年(1598)に秀吉が亡くなった後、
長浜の人々が京の豊国廟にならって建立したものなんだって。

愛されていた瞬間


大阪の陣で豊臣家が滅んだ後、徳川幕府によって神社は取り壊されるんだけど、
町民が商売の神様「恵比須宮」を祀りたいって彦根藩に頼んで一社を建立。
奥にこっそり秀吉の像を隠してお参りしてきたんだって・・・泣ける!!

今の社殿は明治31年(1898)、秀吉300回忌に造営されたものなのだとか。

えびす様には申し訳なかった瞬間


御祭神はもちろん豊臣秀吉。そして配祀神として加藤清正木村重成も祀られます。
秀吉亡き後も秀頼を支え、最後まで豊臣を守ろうとした忠臣二人の名前、いい眺めw

欲深い瞬間


秀吉は一番奥として、左右はどっちが誰かな〜全く分からなかったけど(*°∀°)=3
出世稲荷に続き、こちらはもっともっともーっと念入りにお参りしておいた。

すっかり気がすんだ瞬間


帰りは豊国神社側にある鳥居からアウト。やっとお参りできてとても満足!
お昼まで少し時間があるから、線路をくぐって長浜城に再登城しに行こう。


長浜城に再登城!〜に続く




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2018.08.03 Friday 14:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

芳泉寺にて小松姫のお墓参り

大輪寺で真田兄弟ママン山手殿のお墓参りをした後は、すぐ近くの芳泉寺へ。

こちらではワタクシの大好きな小松姫のお墓参りをするのです。

ぴかぴかだった瞬間


こちらは歴代上田城主ゆかりのお寺で、元は「常福寺」と呼ばれていたものを、
仙石忠政が上田城主となった際、「芳泉寺」に改められたのだとか。

現在は小松姫の墓所と、仙石家の霊廟を見ることができます。
山門には真田の六文銭と徳川の三つ葉葵、仙石氏の永楽銭が輝いています。

気持ちのよいお寺だった瞬間


山門を入るとキレイにお手入れされた広い境内が何ともすがすがしい!
芳泉寺は浄土宗のお寺で色々と立て札なんかもあるけどスルーして本堂へ。

いうほど気にしてなかった瞬間


本堂には家紋がずらりw ・・てか右中の家紋はどちら様のでしょうか? 
と思いながらお参りをしたら、さっそく小松姫のお墓に向かいましょう!

おっちょこだった瞬間


本堂の左手の方の通路を進むとほどなく到着・・え!扉しまっとるやん
と思ったら、自分で開け閉めして入っていいやつだった。マジ焦るしw

前のめる瞬間


案内もあるので念入りに確認。よしよし入ったらまず小松姫サマのお墓ね。
でその先が仙石さんの霊廟・・・勝願寺と同様、もれなくゴンベもおりますたw

小松姫は本多忠勝の娘で、徳川家康の養女として天正17年(1589)真田信幸のもとへ嫁ぎました。
女丈夫と言われるほど気が強い反面、愛情深く細やかな人柄で真田家を支えた女性です。

ロックオンの瞬間


まずは小松姫のお墓。宝篋印塔の銘文から真田信之が小松姫の1周忌に建てたもので、
霊屋は信之が松代へ移封された際、大英寺に遷されているんですって。

合掌の瞬間


元和6年(1620)、病いの療養のため、江戸から草津に向かう途中の武州鴻巣で
亡くなった小松姫。信之は「わが家の燈火が消えたり」といって悲しんだそうです。

小松姫の遺骸は火葬され、巣鴨勝願寺沼田正覚寺、ここ芳泉寺に分骨されました。

法名は「大蓮院殿英誉皓月大禅定尼」。享年48歳。

信之さんはこの時、55歳くらい。父や弟と袂を分かって真田を背負って立ち、
共に生き抜いてきた年下の妻に先立たれたら、まぁそりゃ悲しすぎる。
信之さん93歳までの長生きだったし・・って考えると切なくなっちゃうな。

ちょっぴりうっとりする瞬間


案内図で見た通り、小松姫の墓所を出た隣が仙石家の廟所になっています。
通路に続く小松姫の扉には、やっぱり六文銭と葵の紋が輝いておりました。

なんだかんだ行く瞬間


せっかく来たんだし、隣だからやっぱりゴンベのお参りもしとこうかw
扉を見ると永楽銭じゃない方の家紋も、仙石家ゆかりの家紋ぽいね。

チラリ・・な瞬間


扉をくぐって正面にあるのが、2代上田藩主政俊(直政)公の廟所。
仙石氏は久秀の子、忠政の時に小諸から加増で上田に入り、3代84年在城したそうな。

政俊さんは忠政の死により12歳で跡を継ぎ、40年以上藩主を務めた人。
土地開発や産業振興に力を入れたなかなか立派な藩主だったみたいです。

開閉オッケーだった瞬間


奥にあるのが仙石秀久公の廟所。どちらも上田藩時代の建立なんだって。
ゴンベのお墓は鴻巣の勝願寺小諸の西念寺、ここ。他にもまだあるみたい。

仙石秀久は秀吉に仕えた武将。九州征伐の大失態に激怒した秀吉によって
領地没収の上、高野山に追放されますが、小田原征伐に陣借参戦して活躍。
秀吉に赦免され、信州小諸5万石を賜って大名に復活しました。

語りかける瞬間


慶長19年(1614)5月6日、江戸から小諸へ戻る途中、鴻巣で病没。享年64才。

秀久には伏見城で石川五右衛門を捕縛したいう豪傑チックな噂もあり、
浪人集めて参戦してまで再起を狙う辺りも気合入ってんな〜と思うのよ。
でもでも、ワタクシは今後もずっと「ゴンベ」でいくからね (´∀`) 

声かけながら合掌しといたw ・・やっぱコレ親しみわいてる?笑



さてさて次は、チョロっと真田発祥の地に寄ってから真田氏本城へ向かいます!


真田氏本城に登城!〜に続く



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2018.05.24 Thursday 11:10 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

大輪寺にて真田昌幸夫人(寒松院)のお墓参り

武田からの〜真田へ素早くシフトチェンジw これから上田で真田めぐりです。
せっかくなんで、まずは気分を盛り上げるため3度目の上田城へ。

大喜びな瞬間


わーい! めちゃ早朝ってわけじゃなかったけど、奇跡的に人がいなかった!
当時は尼が淵と呼ばれて、川が流れていたこの場所。じっくり脳内復元ナウ。

スキップする瞬間


今回は3度目だし、気分が盛り上がればいいので本丸にちょいと立ち寄るだけ。
でも「めぐり」のため、真田太平記と真田三代を再読したからムダに高揚していますw

アウトローだった瞬間


本丸に入ると櫓門前や真田神社は意外と人がいて、相変わらずの人気ぶり。
ワタクシは櫓の隅から遠くを眺めまわして、真田昌幸気分になったら終了w

ダッシュで車に戻ったら真田めぐり開始。まずは大輪寺からお参りします!

幸先よかった瞬間


数分ほどで到着! 駐車場は大きな山門前なので参道ショートカットでした。
大輪寺は上田城の鬼門にあるお寺で、真田昌幸の正室、山手殿のお墓があるのです。

ちょいと豪壮だった瞬間


重厚な山門に回廊、そして堀・・・もうちょっとした城みたいな雰囲気。

元は砥石城のふもとにあったそうですが、真田昌幸が上田城を築いた時、
山手殿の発願により、この場所に再建されたと伝わる曹洞宗のお寺です。

盛り上がる瞬間


お墓は外だから山門の中に入らなくてもいいんだけど、一応本堂を見ておこうと。
いい写真が撮れなかったんだけど、屋根に六文銭がついてて真田感ハンパない!

わかりやすかった瞬間


盛り上がったところで山門を出て、右手の方に進んでいくと案内板発見!
「寒松院」というのは昌幸の死後、出家した山手殿が名乗った院号です。

ひっそりだった瞬間


真田丸が放送されていた時はお参りに来る人も多かったんでしょうね〜
ちっとばかり寂し気なのぼり旗を眺めつつ、案内どおり上がっていきます。

波乱の人生を思う瞬間


こちらが「寒松院」のお墓。上田市の指定文化財になっているようです。

山手殿の出自は諸説あってハッキリしないけど、とりあえず昌幸に嫁ぎ、
小山田茂誠に嫁いだ村松殿、信幸信繁(幸村)を生みました。

山手殿は天正10年(1582)武田滅亡までの一時期を人質として新府城に暮らし、
関ヶ原の合戦の前には大阪にいたことで西軍の人質となり大阪城に留め置かれます。
その後、昌幸が西軍に味方することを決めると、大阪城を抜け出し上田に戻りますが、
合戦後、昌幸と幸村が九度山に幽閉されると、山手殿は同行せず、信之の元に残り、
出家して寒松院となり、慶長18年(1613年)に亡くなるまで大輪寺で暮らしました。

準備が足りない瞬間


昨日お参りした信之お兄ちゃんの眠る大鋒寺で見たのと同じく六文銭風を見かけ、
あ、そうだった!と思って財布をのぞくも、またしても6枚揃った小銭なしww

気安く語りかける瞬間


真田太平記と真田三代では描き方がけっこう違う(大河もそうなんだろう)けどさぁ
昌幸のワイフ、信之&信繁のママンであることは間違いないもんね!と語りつつ合掌。

単純だった瞬間


小高い裏山にあるお墓の帰り道には、本堂の屋根にある六文銭がよく見えた!
見る度に胸が熱くなるような思いになる六文銭! ルンルンで次にいこw



では次は信之お兄ちゃんの嫁サマ 小松姫のお墓参りに向かいます。


芳泉寺にて小松姫のお墓参り〜に続く



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2018.05.14 Monday 14:20 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

生島足島神社と安楽寺に参拝!

長野市の明徳寺から高速をかっ飛ばして上田に移動してきました。

腕前があまりに悪すぎた瞬間


武田軍団の願文を見るために立ち寄ったんだけど、思ってた以上に立派な神社。
広い境内の中に神池があって、そこに浮かぶ神島に御本社があるのですが・・

少しも切り取れてなかった瞬間


遠景を撮りそびれ、まったくもって神秘でゆったりした感じ伝わらず(*°∀°)=3
目当ては古文書だけど、まずは参橋を渡って本殿でお参りをしていきます。

信濃屈指の古社だった瞬間


由緒を読んだところ創建の年代は不明らしいけど、神代の昔からあったようで、
歴代の帝の崇敬も厚く、平常天皇や醍醐天皇など寄進の記録もあるんだって!

こちらには、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、
生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られているそうです。

女一匹、力強くグイグイ生きていけるよう念入りにお参りしたけど(*°∀°)=3

勝手に納得する瞬間


本殿の向かいには真田信之が寄進したという摂社 諏訪神社がありました。
真田昌幸の朱印状も残っているというから、本拠地「上田」だなって改めて。

まっしぐらだった瞬間


さて、お目当ての願文へ!諏訪神社の隣の歌舞伎舞台という建物内に展示されてます。
常設展示で入場無料! 歌舞伎舞台も県宝らしいけど、いそいそと中に入ります。

鼻の穴が膨らむ瞬間


実物は撮影出来ないからポスターで。信玄自筆の願文は、上杉謙信との決戦を前に
戦勝祈念したもので、第4次川中島合戦の2年前、永禄2年(1559)に奉納されたんだって!

みんな必死だった瞬間


こんな感じで展示されてる。古文書はコピーらしいけど撮影不可なのでじっくりガン見。
大半は武田家臣が信玄に忠誠を誓った起請文。237名が提出して83通が残ってるってすごい!

力強かったりか細いかったりする色んな筆跡。変色しながら鮮やかに残る血判。
こんな紙1枚出すところから、生き残るための戦いが始まってたんだな・・って。

謙信の味方をしない!信玄を裏切らない!もし裏切ったらあらゆる神仏からの
天罰を受けて無間地獄に落ちることになります! って感じが基本の文章(軽っ)。

ちなみに信玄の願文は、謙信と決戦する覚悟を決めてガッチリ戦勝祈願した内容。

長尾景虎(謙信)と戦うべきか占ったら、吉と出たので天の教えに従い、出陣します。
景虎を追い払って滅ぼせるよう助けてください。勝てたら10年、毎年100文奉納します。

さすがの信玄でも相当の決意と覚悟だったんだなってのが、改めて分かる!
実際、キツツキ戦法敗れて「あわや!」だったもんね・・願文大事だった件w


よーし! 満足したところで次は真田ワールドにコロッと気持ちを切り替え!
この日の宿がある別所温泉の安楽寺に向かいます。

思い込みが激しい瞬間


前にも来てるけど、最近、真田太平記を再読したこともあって改めて来てみた。
安楽寺は信繁(幸村)が別所温泉に来た時の宿として、小説に何度も出てくるの。

妄想が暴走する瞬間


小説だから当然フィクションだけど、池波マジックにやられますからねw
上田城からほど近い、小さな鄙びた風情ある温泉地と古刹を目の前にすると、
小説のシーンが次から次へと浮かんで、真田の世界に引き込まれちゃう!!

古刹すぎる瞬間


こちらには国宝の八角三重塔があるので、幸村は関係ないけど見てくるよ!
本堂まで自由参拝、三重塔を見るには300円かな?の拝観料がかかります。

安楽寺は鎌倉時代に建てられた臨済宗のお寺で、後に曹洞宗に改められたそう。
長野県最古の禅寺としても有名で、入口でご朱印もらってる人が多かった!

雰囲気ありすぎな瞬間


拝観料を払って進むエリアに入ったら、木立の中をひたすら登り(*°∀°)=3
運よく人がいなかったこともあって、ピン!とした雰囲気を味わえました。

圧がすごかった瞬間


この三重塔は江戸時代以前に建てられた現存する唯一の八角塔で、
禅宗様建築としては日本最古の建物。昭和27年に国宝に指定されました。

鎌倉時代に建てられたっていう歴史の重みに、見るからに重厚な造り。
どこから見上げても「すごい!」としか思えない。本当に立派な塔。

もしかして真田一族の誰かも、こうして見上げたかもしれないね。



よーし満足満足! この勢いで上田の真田巡りへ勇みます!!


大輪寺にて真田昌幸夫人(寒松院)のお墓参り〜に続く


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2018.05.04 Friday 15:10 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

長禅寺にて大井夫人のお墓参り

信立寺の次は信玄ママン大井夫人の菩提寺長禅寺にやってきました。

圧倒される瞬間


中央本線の線路っぱた。ナビに連れられ「コレ合ってる?」と思いつつ、
細い道を走って行くと、突如、ドーンと現れる立派な惣門に軽くびっくり。

風格の瞬間


長禅寺は信玄が母の菩提寺として建立したお寺。古長禅寺(南アルプス市)から
甲府に移されたもので、後に信玄が定めた甲府五山の筆頭とされた名刹です。

キョロキョロする瞬間


惣門をくぐった先の駐車場に車を停めて境内へ・・と思ったら山門は通れない。
横っちょに入れそうなところはないし・・・で、右から廻ることに気付きました。

危うく入れないのかとビビる瞬間


ワタクシが訪れた時は右に回ったところで大々的な工事をやっててね。
このお寺は建築好きみたいで、拝観出来なかったらどうしようかと思った。

雰囲気だった瞬間


無事に境内にイン!するとなかなか立派な三重の塔が目に入るけど、
これは昭和53年(1978)に建てられたものだそう。色あせてますw

興奮できる瞬間


本堂は門が閉じてて入れず。でも屋根の武田菱を見てよしとします。

晴信(信玄)は39歳の時、このお寺で出家して岐秀禅師に「機山信玄」
という法名を授かった・・そういう所にいるって思ったら十分満足!

優しいイメージだった瞬間


こちら大井夫人の北の坊霊廟。説明がなくて詳細は分からないけど・・。
霊廟の奥には五重塔があるけどやっぱり現代建築なんだそう。

安心しまくる瞬間


霊廟の奥にお墓の参道がありました。分かりやすくすぐ見つかって安心。
だいぶ歩くのかなと思ったら、たいしたことなかったのでさらに安心ww

リッチすぎた瞬間


参道の途中にはまたもや塔が。今度は四重。しかも新しい!
五重塔が数十億円という噂・・やばいw(写真を撮り忘れている人)。

ひっそりしすぎな瞬間


道なりに歩いてほどなくお墓に到着。お花もなく寂しい感じです。

大井夫人は甲斐の国人大井信達の娘で、政略結婚で武田信虎の正室となりました。
信玄信繁信廉の生母で、信玄が信虎を追放した後も躑躅ヶ崎館に暮らし、
天文21年(1552)5月7日、55歳で亡くなりました。「長禅寺殿心月珠泉大姉」

なれなれしかった瞬間


大井夫人は子供への愛情あふれる優しいお母さんだったと思ってます。
定恵院(信玄の姉・今川義元正室)も生んでるけど嫁に行った娘より、やっぱ息子ねw
とわかった風に勝手な共感をしつつ合掌。ワタクシは古長禅寺の方がおススメ。


さーて。次は今回の山梨武田巡りのラスト。信玄の出生地に向かいます。


積翠寺にて武田信玄の出生地探訪!〜に続く


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2018.03.02 Friday 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

浅利与一のお墓参りと銅像拝見!

古長禅寺で信玄ママン大井夫人のお墓参りをした後は中央市にあるシルクの里公園へ。
戦国武将じゃないけど、甲斐源氏つながりで浅利与一のお墓参りと銅像を見ようと思って!

まっしぐらだった瞬間


養蚕が盛んだったことにちなんで名づけられた公園には資料館や温泉もあるみたい。
だけどワタクシは用ナッシング! 上の駐車場前にある浅利さんの墓めがけて突進!

あっと言う間だった瞬間


舗装された坂をちょろ〜と下れば、すぐに右側の与一さんの墓所が見えてきます。
著しく体力のないワタクシですら、息が上がる間もないほどホントにすぐw

厳かめだった瞬間


木立の中に佇む浅利さんのお墓。案内板には「浅利与一公の層塔と五輪群」とあります。
平安末期から鎌倉初期に作られたと推察されていて、全国的に有数なものなんですって。

安定感!な瞬間


奥まったような場所にありながら、花こそないけど手入れが行き届いています。

浅利与一は源清光の十一男として生まれ、元服して浅利郷を本拠地としました。
与一というのは十一男の通称で、浅利義成とか義遠というのが本来の名前です。

義経に従って壇ノ浦の戦いに参戦し、平家との矢合わせに勝って武名を上げ、
那須与一、佐奈田与一とともに、弓の名手「三与一」として称えられます。
鎌倉御家人として頼朝、頼家2代に仕え、承久3年(1221)9月7日没。享年73歳。

よそ見しつつ合掌の瞬間


お墓の左右に背の順でズラッと並んでる五輪群が何だかかわゆいのよw
与一さんも鎌倉武士らしい骨太で潔ぐ浮ついてない印象ですごい好ましい!

鼻息が荒い瞬間


お墓参りをしたら必ず公園に寄って、銅像もセットで見ないといけません。
公園正面入口に移動して突撃! 与一さんは噴水の中のお立ち台にいましたw

かぶりつきの瞬間


小学生らが丘の上から銅像に絡みつくワタクシを超〜見てる。気にしないけどw
壇ノ浦での一幕をイメージしてるのかな。かなりイケてる感じの銅像だと思う!

ちなみに与一さんの嫁サマ、板額御前も百発百中の弓の名手でした。

板額御前は鎌倉幕府に謀反した城氏の娘で、反乱軍を率いて戦った女傑。
最後は捕虜として鎌倉に送られるんだけど、将軍頼家の前での堂々とした様子に、
惚れてしまった浅利さんは、頼家に「結婚したい!」と申し出るのです。

彼女との間に武勇に秀でた男子を儲けて幕府や朝廷に忠義を尽くさせたい!!

惚れた女は謀反人だもの。与一さんもここは相当きばったんだと思うよね。
そしてそれを笑って許した頼家も、へぇそういう懐の深さあるんだなってww

ときめく瞬間


与一さんの長兄は武田氏初代信義。浅利氏は室町時代には武田家の譜代衆となります。
武田信玄に仕えた浅利信種(三増峠の戦いで討死)は与一さんの子孫なんだって!

与一さんの弓矢を射る後姿が意外と素敵でw 見に来てよかった銅像でした。


 
さて次は甲府市内に移動して、引き続きガツガツ武田史跡めぐりよ。


遠光寺にて加賀美次郎遠光のお墓参り〜に続く


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2018.01.27 Saturday 20:04 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

古長禅寺にて大井夫人のお墓参り

諸角さんの次は、信玄ママン大井夫人のお墓参りにやってきました!

静かな佇まいだった瞬間


勝手に大きいお寺と思い込んでたけど、静かな通りにひっそりとある感じで。
アピールも右の塀にただ「大井夫人墓所」って書いてあるだけの控えめさ。

古刹の風格だった瞬間


門をくぐるとこじんまりした品のある庭園があって、池に沿ってまわると本堂。
古長禅寺は正和5年(1316)に夢窓国師が創建した臨済宗のお寺です。

英才教育だった瞬間


本堂はモダンで味気ないけど、少しの間、しみじみと庭を眺めてみたりした。

このお寺は子供の頃の信玄が母の大井夫人に連れられて、岐秀禅師に学びに
来てたってこともあり、夫人のお墓参り以外にもどうしても来たかったところ。

濃ゆい 晴信少年(信玄)もお勉強の合間に夢想国師の庭を眺めたかな。

岐秀禅師は尾張の瑞泉寺から、大井夫人がわざわざ招いたほどの人。
学問や兵法を教わった信玄は39歳で出家した時も岐秀を導師としています。
信玄にとってはすごい影響を受けた偉大な師。ママン大井夫人やるぅ!!

即ロックオンだった瞬間


さて大井夫人のお墓へ・・・案内とかは出てないけど今回はすぐ気づいたw
キョロった瞬間、すき間からそれらしきのが見えたからね。本堂右進みます!

前のめる瞬間


くぐるとすぐ目の前。大井夫人のお寺について書かれた説明板も建っています。

大井夫人は明応6年(1497)、甲斐西郡の国人大井信達の長女として生まれ、
永正12年(1515)、政略結婚によって国主武田信虎の元に嫁ぎました。
晴信信繁信廉の生母となり、躑躅ヶ崎館の北曲輪に暮らしていましたが、
天文21年(1552)5月7日、55歳で亡くなると、岐秀禅師によって葬られました。

母子の情愛を感じる瞬間


大井夫人は信玄に追放されて駿河に退隠する夫の信虎にはついていかず、
剃髪して躑躅ヶ崎館に暮らしたんだって。間違いなく息子を取ったかとw

賢母に合掌の瞬間


信玄は後に、夫人が深く帰依した岐秀禅師を開山として甲府に長禅寺を建立。
母の菩提寺としたため、こちらは以降、古長禅寺と改称されたのだとか。

息子にいい教育を受けさせるため甲府から連れて通って(ここ南アルプス市)、
生涯、息子のそばに寄り添ったママンよ。信玄もママン思いな印象あるものね。

母は偉大だった瞬間


大井夫人の辞世の句も刻まれていました。

"春は花 秋はもみじの色いろも 日かずつもりてちらばそのまま"

信玄の弟、逍遥軒(信廉)も「武田信虎夫人像」と母を描いた絵をを残しているし、
息子たちを思う慈愛に満ちた優しく賢いお母さんだったでしょうね。

やじうま根性だった瞬間


こちらは古長禅寺の前にある国指定天然記念物のビャクシン。樹齢700年(*°∀°)=3
開山当時、夢想国師が手植えしたとか・・すごいなって思ってとりあえず見といたw



さて次は甲府市内に戻る通りがかりに、浅利与一の墓と銅像を見に行きます。


浅利与一のお墓参りと銅像拝見!〜に続く




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2018.01.19 Friday 16:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

専称寺にて駒姫のお墓参り

常念寺で最上義康のお墓参りをした後は、妹駒姫のお墓を訪ねます。

顔がほころぶ瞬間


ナビに連れられてきたんだけど狭い道で不安になりかけたら着いた!
お寺さんが幼稚園をやってて看板がかわいいw 駐車場に入ります。

雰囲気を大事にする瞬間


お寺っぽい門だけどこちらは幼稚園側の入り口。右手の駐車場に車を停めて、
いったん通りに戻ってから、半周歩いて反対側のお寺の入り口に向かいます。

幼稚園ぽさがはみでてた瞬間


案内板だけじゃなく園児募集の看板も出てるけど、こちらがお寺の正面入り口。
入ったところにおじさんがいたので挨拶したら、どちらから?と声をかけられた。

早起きは三文の得だった瞬間


埼玉から駒姫のお参りに来ました〜言ったら、歩きながらお寺の説明してくれて。
元は高擶(天童市)にあったものを駒姫の菩提を弔うため義光公がこの地に移したそう。

しげしげと眺める瞬間


山門を入って左にある鐘楼と梵鐘は1606年に作られたもので県指定文化財。
秀吉が天下一の名工と呼んだ西村道仁って鋳物師が作った一品なのだとか。
奥の桜は義光が駒姫の墓参りに来る度に馬をつないだという「駒つなぎの桜」。

デカすぎだった瞬間


本堂は元禄16年(1703)に建てられたもので、これは山形市の指定文化財。
遠目で見てもデカイけど、近くで見るとなおのこと重厚感がハンパない!
傷んだ部分の修理の最中とかで、向こう一面はまるっと足場に覆われてました。

眠り猫とは違った瞬間


本堂の四隅にある「夜鳴き力士像」も左甚五郎作と言われて有名なんだって。
屋根が重いと泣く声が聞こえたという逸話があるそうな・・あのデカさだもんね。

親切すぎた瞬間


さて、駒姫のお墓参りに向かいます。本堂右手にある墓域入り口に案内が。
思っていたより奥の奥にあるので、所々に立ってる案内がとてもありがたい。

さみしい感じだった瞬間


案内をたどってワーワー込み合ったコンクリートの墓域を抜けると、
奥の奥にある木立に囲まれたスペースに駒姫のお墓だけポツーン・・・

落ち着かなかった瞬間


石柵に囲まれるとかでもなく広いスペースに墓石だけって寂しくない?
綺麗な生花が活けられ、きれいに掃き清められているのが救いだわ。

駒姫は最上義光の二女。東国一の美しさといわれる美貌の持ち主で、
その噂を聞きつけた関白・豊臣秀次に側室にしたいと望まれます。

義光は何度も断ったそうですが、時の権力者、豊臣秀吉の甥である秀次の
執拗な求めに抗いきれず、15歳になった駒姫をしぶしぶ上洛させました。

泣けちゃう瞬間


上洛した駒姫は最上屋敷に入るのですが、ほどなく秀次は謀反の疑いを受け、
秀吉の命により高野山で切腹させられ、妻子までも連座で処刑を命じられます。

義光は娘の助命嘆願に奔走。正式な側室になる前ということで家康を始め、
諸大名からも同情と嘆願が上がりますが、駒姫は処刑されてしまいました。

駒ちゃん、かわいそうに・・(泣)ジジイになった秀吉ホント嫌いだわ。

諸大名からの嘆願を無視できなくなった秀吉が駒姫の助命を命じたけど、
ギリ連絡が間に合わず処刑されたって説もあるけど、そんなの・・ねぇ。

控えめすぎた瞬間


立派な墓石の後ろにある小さな丸い石が、元々のお墓らしいよ・・・・

妻子や乳母も含めて女子供30数人も引きずりだされた中、正式な側室でもないのに
11番目に処刑されたという駒姫の最期は、従容としたものだったと伝わっています。

罪をきる 阿弥陀の剣にかかる身の なにか五つの 障りあるべき

駒姫の辞世の句。きるは「切る」と「着る」がかかってるんだよね。

駒姫の遺体は他と一緒に穴に放り込まれ、引き渡しも許されなかったというから、
秀吉の助命連絡が間に合わなくて処刑されちゃったなんて話は信じられない。

その後、娘の死を悲しんだ駒姫の母、大崎夫人も後を追うように亡くなると、
義光は専称寺を駒姫の菩提寺とし、母娘の肖像画を描かせて納めました。

それから5年後・・関ヶ原の合戦の時には東軍についた義光さん。
駒姫だけが理由じゃないだろうけど、まぁそりゃそうだよねっていう・・

大胆すぎる瞬間


戻る時に幼稚園側に廻ったら、なんと本堂にちびっ子用時計が(*°∀°)=3
元禄時代に建てられた市の文化財なのに!? かわいくて笑っちゃうけどw



さて。次は予定になかったけど少し時間が出来たし天気もいいから、
駒姫パパ、義光さんの雄姿を拝みに山形城に寄って行きます!


山形城に再登城!〜に続く



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2017.10.02 Monday 15:50 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

大善寺にて武田勝頼主従を追慕!

雲峰寺ショックを乗り越え、勝沼にやってきました!
天目山で自刃する前、勝頼一行が泊まったという大善寺にお参りするのです。

感じがよかった瞬間


拝観の多いお寺で宿坊もやっているからか、受付の人が丁寧で感じいい!
500円の拝観料を払ってパンフをもらったら、さっそく山門へ向かいます。

山門は元禄17年(1704)に土屋惣蔵の子孫によって建立されたものが焼失し、
寛政10年(1798)再建されたそうな。・・土屋惣蔵ってもちろんあの人よね?

いきなり盛り上がる瞬間


土屋惣蔵は勝頼に最後まで従って奮戦の末、討死した忠臣の中の忠臣。
片手でつたを握りしめ、片手で織田勢相手を斬りまくったことから、
片手千人切りの逸話が残ってます。3日も川が赤く染まったとか・・。

詳しい説明はないけど、勝頼主従が最期を迎える直前に投宿していることから、
土屋さんの子孫はきっと供養のつもりで山門を建立したってことなんだろうね。

主従の追慕で来てるんだけど、こんな出だしからグイグイ来るとはw

反応薄なインフォメーションだった瞬間


この山門前の柏尾坂では新撰組の近藤勇が官軍と戦ったそうです・・・
・・・ワタクシは佐幕派だけど、なぜか新撰組にピンとこない人w

気持ちは分かった瞬間


お寺には川所縁の寺宝があったので被害に巻き込まないように
近藤さんは山門で指揮をとったんだって。負けちゃったけど(*°∀°)=3

何もかもが弱すぎた瞬間


山門の次は楽屋堂を目指して階段を登るんだけど・・・地味に長い!
息が上がってヨタヨタしてたら、後から来た中年夫婦にぬかされたwww

ハアハアしている瞬間


やっと楽屋堂まで来たと思ったら、地味にまだ登るのかーい!っていう。
でも勝頼主従も歩いただろうし、薬師堂も見えてるから頑張りましょう。

どうやらお祭り用らしい瞬間


階段を上がって振り向くと、くぐってきた楽屋堂と稚児堂が見えます。
古くないし文化財指定もないので建て替えたりした建物なんだろうね。

大善寺は養老2年(718)行基が薬師如来像を刻んで安置したのが始まりで、
奈良時代、聖武天皇の頃には鎮護国家の勅願と寺号を賜るほどの隆盛を極めたとか。

妄想に入る瞬間


楽屋堂に入るとたくさん階段登った分、いい感じに甲府盆地が見下ろせます。

この寺に辿り着いた時には数日後に最期の日が来るなんて夢にも思わず、
ただ再起を願い、小山田信茂の待つ岩殿城を目指していたはずの勝頼。
こうして甲府盆地を見下ろしていたとしたら、どんな思いで見ただろう?

天正10年、織田軍に攻めこまれた武田勝頼は新府城を落ち、
再起を図るべく、家臣小山田信茂の岩殿城を目指します。

一行は信玄の従妹理慶尼が住んでいた大善寺に泊まって戦勝を祈願しますが、
小山田の裏切りにあい、8日後の3月11日、勝頼が自刃。武田家は滅亡しました。

とにかく感慨深すぎてた瞬間


さて、ではいよいよ前を向いて国宝の薬師堂を拝見します!
弘安9年(1286年)建立・・って元寇のちょい後ってことでしょ?

それを考えても何だかとにかくすごいなーって圧倒されちゃうし、
勝頼が北条夫人、子の信勝と死の直前に宿泊したと思えば妄想さらに広がる。
寺にたどり着いた日に理慶尼にもてなされ、ココで共に過ごしたんだって。

思いがけない感動の瞬間


本堂の中には入ることが出来て、係りの方から説明もしていただけます。
ワタクシは勝頼主従追慕で訪れたので、中とか完全ノーマークだったけど、
せっかくだからと見て回ったら素人目にも十二神将立像が素晴らしすぎて。
芝居がかってないというのかな。自然な佇まい過ぎて逆に重みがあったよね。

撮影NGで見せられないのがホントに残念。お寺のHPで見られます。

本尊の薬師如来は平安時代の作で、5年に一度しか拝めないんだって。
だから写真が飾ってあったけど・・まぁ正直、ありがたさ全然ないよねw

死亡フラグの勝頼主従に思いを寄せ、風景や空気感を味わえばよし!
以前、すでに訪れている天目山景徳院との距離感や至る経緯を思いだせば、
ホント来てよかった!来る価値あったな!と自己満足に浸る次第。

絶対に見逃せなかった瞬間


薬師堂の横手の方には理慶尼のお墓もあります。

理慶尼は信玄の父信虎の弟信友の娘で信玄の従弟にあたる女性で俗名は松葉。
永禄3年(1560)兄信元が謀反を企て信玄に誅された際、嫁ぎ先から離縁されると
大善寺の慶紹を頼って尼となり、理慶尼と名乗って庵を結び住したそうな。

真偽はともあれ悲しすぎる話に違いない瞬間


理慶尼は勝頼主従の自決までの一部始終を記した「理慶尼記(武田滅亡記)」
という記録を残しているそうで、大善寺に保存されているんですって。

後に誰かが理慶尼に託したものだとか、真偽は怪しいらしいんだけど、
誰が書こうが悲しい話に違いないしちょっと盛ってたとしてもいいでしょw

心からお祈りする瞬間


理慶尼は82歳まで生き、慶長16年(1611)大善寺で亡くなったそうです。
戦国あるあるで嫁ぎ先を離縁されて尼になり、一族の滅亡も見届けてね・・
戦国時代の女性ってのは、身分に限らずなんだか本当に切なくてつらい。

素晴らしいお寺だった瞬間


最後に受付に戻って江戸初期の手法で作られたという庭園も鑑賞します。
特徴や詳しいテクは分かりませんが、品があっていいお庭だと思います。

お庭は受付から入った広い座敷に面してて、こちらは解放されいるらしく、
ポットにお茶も用意され、持参したお弁当を食べたりも出来るようでした。

薬師堂の係りの方の説明も分かりやすくて丁寧だし、受付の人の感じもいいし、
庭園が見られる座敷は解放されてるし、お寺なのにホスピタリティがすごい!

ここは武田関連史跡としてはもちろん、由緒あるお寺としてもおススメ!!


とても満足したので次はその理慶尼の実家。勝沼氏の館跡に行ってみます!


勝沼氏館跡に登城!〜に続く




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2017.07.06 Thursday 16:55 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

武田ゆかりの雲峰寺を探訪!

恵林寺の後は、武田関連の史跡をグイグイ廻るよ〜ってことで雲峰寺へ。

恵林寺からだと行きたいところの多い甲府方面とは逆なんだけど、
今回を逃したらわざわざ目指すのは難しいと思って行ってみた次第。

雲峰寺には宝物殿があって武田関連のお宝が拝観できるのです!

覚悟を決めた瞬間


駐車場の前に坂で登れる道もあったけど、珍しく階段で行く気にw
とはいえ見上げてみると、なかなか上の方にあらっしゃる(*°∀°)=3

ハァハァしている瞬間


頑張って登ってきたけど、仁王門が見えてきたところで息切れ休憩。
杉の木立と苔の効果で体に良さそうな気があふれてて気持ちがいい!

膝がほほえみ出していた瞬間


仁王門に到着! 周りの雰囲気も相まって古刹の趣が感じられます。
正面からじゃ全然分からないけど、八脚門入母屋造りの茅葺です。

落ち着きまくりな佇まいだった瞬間


本殿は檜皮葺でどっしり重厚な佇まい。説明によると仁王門も本殿も
永禄元年(1558)頃の建立だといわれ、重要文化財なんですって!!

雲峰寺は天平17年(745)に名僧行基が開いたという臨済宗の古刹。

甲斐源氏による武運長久の祈願寺として深く崇敬されてきたお寺で、
武田信虎が印判状を与えたり、信玄が願文を納めたりもしたのだとか。

天正10年(1582)、武田勝頼が天目山の戦いに敗れて自刃した時には、
家臣が再興を期して武田家の宝物をひそかに運び込んだと言われていて、
その貴重なお宝が宝物殿に保管されてる⇒拝観可能!というわけなのです。

ロックオンの瞬間


本殿の右手には同じく重文指定されている庫裡と、そして宝物殿が!!
・・・ん? ちょと待って。宝物殿なんか開いてない感じじゃない??

すっ倒れそうになる瞬間


ちょっとー!! あの張り紙なにーー?? やめてーー!!

予感的中の瞬間



ガ━━Σ(゚Д゚|||)━━ン!!


休館中って・・・休館中って・・・・・・(白目)
ちゃんとホームページに書いておいてください!!!

日の丸の御旗、孫子の旗、諏訪神号旗とかが見たくでわざわざ来たのにな・・

残念な思いしかなかった瞬間


駐車場前の緩い登り口がコレ。心折れてよろめきながら降りてきたわww


ワタクシが帰る時、登山ルックの熟年カップルがお寺の方へ登って行った。

雲峰寺はアクセスが悪くて車じゃないとかなり不便なところにあるから、
大菩薩峠とかへの登山途中に通りかかりで寄っただけだといいなと思った。
だって宝物殿を目指してここまで歩いて来てるとしたら気の毒すぎるもん。


・・まぁ今回は縁がなかったってことで、気を取り直して次行こ!!


さて。甲府の方へ向かう前に、通りがかりの勝沼へ立ち寄ります。
天目山の戦い前に武田勝頼一行が泊まった大善寺へお参りするのです。


大善寺にて武田勝頼主従を追慕!〜に続く



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2017.06.30 Friday 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 
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