<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES

亘理城に登城!

大雄寺から車で5分ちょい・・亘理城跡(亘理要害)に到着!

危うく見のがすとこだった瞬間


道路から上の方にある看板は遠くから近づく時に目ざとく見つけないとダメ。
ナビ見ながらウロウロしてるから危うく気付かず通り過ぎそうだったわw

ちゃっかりしていた瞬間


亘理城跡には停めれそうなところはあるけど駐車場的なのはなさそうなので、
目の前にあるスーパーに停めてしまい・・帰りにおやつ買ういつものパターン。

バッツリ分断だった瞬間


右が本丸、今は道路がバッチリ通り、左側がスーパーのある二の丸跡よ。
跡地として存在してる感じでめぼしい遺構はないらしいのでチャチャと行きます。

やりたい放題だった瞬間


階段上った本丸入口にあった図で、上下逆だけど分断状況が申告されてましたw

亘理城は天正19年(1591年)片倉景綱が城主となり、慶長7年(1602年)白石に
移った後に伊達成実が入り、明治維新まで亘理伊達氏が居城としました。

油断も隙もなかった瞬間


図でいうところの下方向・・・この道路の通ったところあたりに裏門、詰問先が、
そしてその先に大手門と枡形があったってことだよね。全く見る影もないけどw

縄張りを見る限り本丸・二の丸・三の丸で割とこじんまりした感じっぽいです。
一国一城令の後、城じゃなく亘理要害と呼ばれるようになったそうですが、
重臣が守りを固める「砦」という名の城ですからね〜さすが伊達だわww

塩反応すぎた瞬間


本丸の現在の上がり口に立つ亘理神社の鳥居。明治に創建されたそうな。
あんまり興味もないんだけど、せっかくなので数歩だけ先に行ってみますw

ちょっぴり歴史を感じてた瞬間


本丸跡を見渡し・・・土塁なんかはパッと見ないですね。小さなお社がひとつポツン。
でも明治元年、戊辰戦争に敗れた仙台藩がこの地で降伏式を行った聞くと少々感慨がねw

負けた仙台藩の人は農民になるか、士族として北海道に渡るかの二択を迫られ、
亘理さんたちは北海道に移住。亘理要害の建物は取り壊しや払下げになったそうです。

立ち止まる瞬間


大手のあった本丸南側に下りて、唯一の遺構とも言えそうな内堀跡を見に来ました。
今は想像しにくいけど、この辺は一帯が湿地で天然の堀として使われてたようです。

予想が大雑把すぎた瞬間


内堀跡から道路に出ると「大手先」と書かれた碑が。どうやらこのあたりに
大手枡形があったのね。縄張り見ると堀と土塁がめぐってるからきっと堅いですw

亘理城跡ホント見るとこないなw でも逆にこんだけ市街化されてる中、
ハンパにでも跡を残しているのは亘理神社に祀られた成実さんパワーなんだなwww
と勝手に納得しながら道路を戻って車を停めた二の丸跡のスーパーに戻ります。

謎めいていた瞬間


埼玉への帰途につく前、ちょっと小耳にはさんでいたので亘理駅に立ちよりました。
城の遺構が残ってない分、駅で相当に盛っちゃったな〜コレ。ちょとワロタw


やーーーっと晩秋の宮城攻略が終わったよぉぉぉ!!! 

もう間もなくゴールデンウィークの出陣が迫っていると言うのに、
次回からは3月に行った今年の初登城(色んな意味で遅っ!)が続きますよwww



韮山城に登城!〜に続く



*****ランキング参加中〜励みになります!!ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング


2015.05.06 Wednesday 17:11 | comments(2) | trackbacks(0) | 東北(宮城県) | 

仙台城に登城!

宮城攻略2日目は雨の青葉城からスタート!・・てか寒っ!!

出鼻をくじかれた瞬間


雨にげんなりしつつ朝駆けしてきたのに車で入るつもりで来た大手門のところ、
何と通行止めΣ(゚Д゚)! 他の駐車場入り口が分かりづらくうろうろする羽目に・・。

心も折れそうだった瞬間


なんとか本丸駐車場に到着!と思ったらココも工事中でほぼ入れなそうな感じに。
本丸大広間の表面展示整備をしているようです・・てことは政宗の銅像はいかに!?

何もかもが残念すぎた瞬間


と思って工事の人に聞いたら回り込む感じで目の前まで来れてホッとひと安心。
しかし銅像ってのは青空じゃないと映えないね〜銅像の細部もよく映らないし。
加えて残念なのが後ろの松の木。枝葉がないと何だか間が抜けて見えるよ(´Д`)
少し前に撮られたぽい写真は枝があったから切られて間もないんだな、きっと。

気を取り直した瞬間


日本百名城スタンプをもらうため仙台城見聞館へ行くと石垣が見えました。
パンフレットももらったので見どころの本丸石垣を見上げにいきましょう。

ちがいすぎる瞬間


見聞館の前には石垣モデルがありました。奥が政宗が築城した頃の再現。
手前が4代綱村の頃の積み方。石垣を積む技術の進化がよくわかります。

いやな予感の瞬間


本丸詰の門跡から外に出ます。枡形でドデカイ立派な門があったのね〜
と思いながらふと目線を向こうにやるとブルーシートが見えている・・・

オワター!な瞬間


曲がると本丸表門を正面撮影するのに一番邪魔なポジにクレーン車がドーン!
どこもかしこも修復・・ワタクシ完全に来るタイミングを間違えたと思います。

妄想力が試される瞬間


地震で倒壊した石垣の修復をしているようです。この後、青葉城資料展示館で
CG映像を見たんだけど詰の門と東西脇櫓がそびえてたら迫力だろうと思います。

美しすぎた瞬間


本丸高石垣は解体修復が行われたもの。味はないけどピッシリ美しいです。
ワタクシは車で来たので本丸から外に出ていく見方をしちゃってるけど、
大手から登って来る場合はものすごい威圧感を与えるだろうと思います。

覚悟を決めている瞬間


高石垣の横の方に大手門跡にいく案内板とともに城址碑がありました。
下まで歩いて車までまた上がってこなきゃいけないからな・・がんばろ。

仙台城は慶長15年(1610)伊達政宗によって築城されました。別名青葉城。
標高120m東と南を断崖が固める天然の要害に築かれた62万石にふさわしい
壮大な城ながら、家康に警戒を避けるため天守は築かれませんでした。

維新後は東北鎮台が置かれ、失火により二の丸御殿は焼失してしまいますが、
大手門、脇櫓、巽門は国宝に指定されました。しかし仙台空襲で建物は焼失。
戦後、連合軍のキャンプが置かれた後、返還され大学や公園になりました。

帰りが心配な瞬間


大手に向かって降りて行きます。本丸〜大手間の通路は車両通行止め。
でも歩行者用通路は確保されてるので歩きはオッケー。かなり歩きそうだ。

傘がうざすぎた瞬間


中門跡・・なんだけど道路真ん中から撮らなかったから曲がり具合が分からないw
それにしても傘もってカメラも自分も濡れないよう両手でカメラ構えるの大変。

がっかり再びの瞬間


大手から本丸に至る間は当時、沢門とか中門とか厳重な構えがありました。
が、現在はするっと大手門まで到着。こちらは大手門脇櫓。鉄筋コンクリート造。
昭和42年に民間の寄付で復元されたものだそうです。空が暗くて全く映えない。

勝手に萌える瞬間


大手門跡を正面から見て脳内復元w 今は道路が通って素通しだけど、
ここに重厚感満載のデカい櫓門が建っていたら迫力だったんだろうね。

地味すごだった瞬間


大手門から道を渡った反対側の三の丸跡に支倉常長さんがおりました。
支倉さんは伊達家臣で、スペインとの直接貿易を望んだ政宗に命じられ、
慶長18年(1613)石巻から出航しスペインに渡ったチャレンジャーw
スペインまでなんと90日もかかったらしいよ・・ご苦労なことです。

報われないけど何かすごかった瞬間


イスパニア国王フェリペ3世に、ローマでは教皇パウロ5世に謁見し、
ローマ市民権をもらって貴族になるなどかなり歓迎されたそうですが、
貿易や通商についての目的は果たせず、7年後に帰国しています。

主君の命を受け7年も異国で頑張ったけど成果は得られず、帰ってきたら
日本ではまさかのキリスト教弾圧の風が吹き荒れているという・・泣けるぜ。

後でお墓参り行くからね!と心の中で声をかけ早々に本丸に戻るとします。

一見うさんくさそうだった瞬間


青葉城資料展示館に入ることにしました。入場料700円・・高っ!!
でもシアターの上映時間ちょうどだったし展示も色々あるというのでね。

何気に満足していた瞬間


常設展示には刀剣や具足、婚礼調度品や政宗の書状など色々あるようです。
フラッシュたかなきゃ写真撮ってもいいっていうのも太っぱらでよいわw

ハイビジョンシアターはミニ映画館のような部屋でゆっくり座って、
CG映像で復元された仙台城の姿が見れました。各門を通って本丸へ向かい、
白亜の櫓を従えた豪壮な詰の門を抜けて本丸へ。今は表面表示の工事してた
本丸の大広間も煌びやかに蘇り、絢爛豪華な上位の間なんかも見られた。

感心しすぎた瞬間


政宗の重臣が着用していたというレプリカじゃない甲冑も展示されてます。
よく見ると胴の部分に微妙な凹みがあるんだけど実践で受けた傷ではなく、
至近距離から実弾を打って強度をテストしたものんだんだって!
「戦国の世にJIS企画導入」ってうまいこと言うね。これで戦闘も安心w

うっとりしていた瞬間


ちょっとボケちゃったけど詰の門と東西櫓の模型。あの高石垣から続いて
この建物がそびえてたらどれほど豪壮な姿だっただろう。復元しないかな。

やる気マンマンに見える瞬間


大手門から登って本丸にかけての部分、当時の様子がよーく分かる。
模型でこれだから当時城下から見上げた風景は天守がなくてもすごそうだ。

食べ過ぎだった瞬間


朝食も食べずに朝駆けしたので昼にはだいぶ早いけどバラちらしセット頂き!
この後はまだ雨の中あちこち行くから体温と血糖値ガッツリあげとかないとねw


次は仙台ツアーのお約束、瑞鳳殿に伊達政宗廟所を見に行きます。


瑞鳳殿にて伊達政宗のお墓参り〜に続く。



*****ランキング参加中〜励みになります!!ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング

2015.04.03 Friday 20:43 | comments(2) | trackbacks(0) | 東北(宮城県) | 

多賀城に登城!

伊達家ざんまいの松島を出て今夜のがある仙台市内に戻りつつ
特別国史跡多賀城跡にやってきました。

正直に言って完全に興味がないんだけど、遠征してちょうど通り道にあるので
日本100名城「7番 多賀城」のスタンプもらいがてら一寸、立ち寄ってみたのw

激萎えの瞬間


発掘調査中だった・・・低いテンションがさらに下がってしまったわw
第78次調査として多賀城外郭南門跡の発掘調査をしてるんだってさ。

食いつけなかった瞬間


案内板によると今回の発掘調査は南門復元や周辺環境の整備が目的みたい。
東西10.5m、南北6.6mで多賀城で見つかった門跡では南門が最大なんだとか。
復元イメージ図を見るに、大和朝廷の権力を見せつける豪華な門ですね。
ただワタクシは古代ロマンに疎いので、何ともなしに塩反応になってしまうw

気合いが入っていた瞬間


国指定特別史跡なので多賀城市はすっごい気合いいれて整備してるのね。

多賀城は奈良から平安時代に大和朝廷の国府や鎮守府がおかれました。
国府は律令制下の国の役所、鎮守府は軍制の役所ってところです。
蝦夷に対する軍事的拠点としても機能しており、平安時代の書物に
すでに多賀城という名前で記されていたそうな。大正時代に国の史跡になり、
昭和35年から測量や発掘が始まって昭和41年、国指定特別史跡に指定されました。

ワタクシがいるところはブルーシートだらけなので政庁跡に行ってみるか。

歩くモチベはなかった瞬間


政庁跡の方を見ると・・地味に遠い!歩くのやめて車で行くことにします。
今いる場所のすぐ下にある多賀城碑だけちょっと見に行っときましょ。

横目で見ていた瞬間


こちらが日本三大古碑のひとつに数えられる多賀城碑がある覆屋です。
年配の夫婦が・・古代ファンなんでしょうね。説明を熱心に読んでました。

目を凝らして充血した瞬間


762年に建立された多賀城碑。江戸初期に発見されました。別名「壺の碑」。
141字刻まれてるらしいけど、字が薄々で扉越しの距離ではよく見えないw

説明によると平城京、蝦夷国、常陸国、下野国、靺鞨国から多賀城までの距離と、
神亀元年(724)大野朝臣東人(おおののあそんあずまひと)が設置したことや、
天平宝字6年(762) 藤原恵美朝臣朝狩(ふじわらのえみのあそんあさかり)が
改修したなんてことが記されているそうですが・・・正直どうでもよかったりw
それにしても古代のエライ人の名前は難しくて長すぎね。受験勉強思いだすわ。

やりすぎだった瞬間


車で政庁跡に来ました。駐車場あったので結果よかったと思いきや、
なんとこっちは北殿の平面表示工事中だった・・さくっと見て仙台に行こ!

シルバーに人気?の瞬間


通路を通って政庁の正殿跡に行きます。整備工事してるのは周りだけなのかな。
ワタクシが歩き出そうとしたら老夫婦がタクシーで乗り付けてきました。
年寄夫婦で足元おぼつかないので、先を譲ってそっと後からついてったわw
さっき多賀城碑のところにいた夫婦と言い、年配の人に人気なんですかね!?

想像力が全く働かなかった瞬間


こちらが正殿跡。政庁は100m四方が築地で囲まれ、正殿が中心に鎮座。
資料によると東西に脇楼が配置され、ぐるっと翼廊がめぐっていたようです。

いつもだったらアレコレ想像して勝手に興奮するとこだけどイメージ湧かない。
むしろ老夫婦がまだ入り口のとこで何をそんなに見てるのかが気になる始末w

ピンとこなかった瞬間


こちらは工事中の入り口(北殿)と正殿挟んで反対側にある南殿跡。
基壇部分は復元表示されてます。大きさや距離感は分かるけど・・うう。

飽きてきちゃった瞬間


うろ覚えだけど東門跡のところだったかな・・築地塀の跡がありました。
土塁じゃなくて築地塀・・うーんワタクシもうそろそろお暇しようと思いますw

車で正解だった瞬間


最後に多賀城碑のあった外郭南門の方から遠くに見えてた政庁跡の階段。
自然石を並べた階段は復元のようです。政庁に行くのやっぱ遠かったなw

多賀城プライドだった瞬間


日本100名城スタンプをもらいに悠久ロマン国府多賀城駅に来ました。
小さなロータリーに門を象った時計がドーンとあるのが微笑ましいです。

まっしぐらだった瞬間


ダッシュで改札のある2階に登り、切符売り場の後ろにある公衆電話で
スタンプゲット! 久々に公衆電話見たわ〜と思ったところで多賀城!!


晩秋の日暮れは早いので速攻で仙台に行き、墓参りを2つしたら
牛タン食べにいっちゃうぞ! 巡礼を前にして飲む気マンマンw


覚範寺にて保春院と伊達宗清の墓参り〜に続く



※後日談〜古代政庁跡や古代の城柵をリアルにイメージしたいなら
盛岡市の志波城跡がおすすめ!見事な復原ですっごい分かりやすいよ!


*****ランキング参加中〜励みになります!!ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング

2015.03.20 Friday 20:53 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(宮城県) | 

白石城に登城!

愛宕山の片倉家廟所から白石城にやってきました。

盛り上りすぎだった瞬間


駐車場は何ヶ所かあるんだけど、分かりやすく城下前広場駐車場を利用しました。
片倉小十郎の幟旗が数種類ニョキニョキ立ってて、片倉さん愛されてんだな〜と。

一番のり確定の瞬間


駐車場から少し歩いて東門跡のある入り口へ。正式には「二の丸大手二の門」といい、
明治7年(1874)白石城解体の際、専念寺に売却され、その後、当信寺山門として移築。
当信寺には真田幸村の娘、阿梅さんのお墓もあるので後で立ち寄ってみるつもりよ。

貴重だった瞬間


東門跡の先には本丸石垣の一部が残っています。当時の石垣が残ってるのはここだけ。
基底部のみだけど、南側(手前)と北側(奥)で積み方が違っているようです。

適当だった瞬間


手前(南)は野面積み、北側は説明板によると「野面積みより新しい積み方」としか
書かれてないんだけど、切込ハギ布積みという感じかな〜と思って通り過ぎます。

気合いが入っていた瞬間


少し歩くと土塀と天守の頭が見えてきました。ガイドさんによると蔵王から石を運んで、
復元した石垣で、綺麗な白壁も震災後、ヒビを修復して塗り直したんだそうです。

仕方なかった瞬間


白石城は文化財の保護を重視して、発掘調査を行って史実に忠実に復元されました。
まず見えた天守の裏はいい立場がなく、朝は逆光でいい写真が撮れませんでした。

芸が細かかった瞬間


左手には大手一ノ門と大手二ノ門も復元され、土塀には狭間と石落とし。
ここから本丸に入れるけど、ワタクシは裏御門跡の方へ廻ってインしてみます。
手前に見える井戸屋形まで復元。雰囲気出すために端折らないのは大事ですw

当時のままではなさそうだった瞬間


本丸に入らず天守裏から先に回り込んで行くと馬場跡。振り返って撮ったので
右が本丸。縄張図を見るとこの馬場を挟み、反対側が二の丸だったようです。

放置プレイだった瞬間


本丸南側にある裏御門跡に到着!美しく復元された大手側と違って廃れすぎな・・
当時は二階門と枡形があったそう。予算大変だろうけど復元できるといいのに。

目が覚める瞬間


裏御門跡を入るとババーン!破風のないスッキリした美しい復元天守が見えました。
城址碑が裏門入ってすぐ、こっち向いてるのできっと裏から来るのは正解なのよww

明治の破却が残念過ぎた瞬間


本丸の周囲には土塁も残ってます。現在は益岡公園となっているのでベンチも完備w

白石城は戦国期、伊達氏の支配下にありましたが、天正19年(1591)豊臣秀吉は
政宗が臣従するとこの地を没収。会津若松城とともに蒲生氏郷に与えました。
慶長3年(1598)蒲生氏郷の死去により子の秀行が宇都宮に移封されると上杉領と
なりますが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略。
白石は再び伊達領となり片倉景綱が1万3,000石で入城して大改修を行いました。

白石城は元和元年(1615)の一国一城令で取り壊されることなく、
仙台藩第2の城として存続し、明治維新まで片倉氏の居城となりました。

市民の誇りすぎた瞬間


広い本丸のど真ん中には「片倉小十郎景綱公頌徳碑」がドーンと建っています。

片倉景綱は伊達輝宗(政宗の父)に仕え、19歳の時に当時9歳の梵天丸(政宗)
の近侍となり、伊達家の重臣として生涯を政宗に捧げました。

伊達家では「武の伊達成実」と並び「智の片倉景綱」と言われた景綱さんですが、
戦では常に先陣を務めた智勇に優れた武将でした。その智将ぶりから「国家の大器」
とも言われ、秀吉や家康からも高い評価をされていたそうです。

ガイドさんに聞いたら白石の人は伊達より断然、片倉さんラブらしいですよw

白石市に乾杯!の瞬間


大手二の門と天守。下世話な話だけどガイドさん情報によると復元にかかった費用、
大手門が1億、天守は20億 Σ(゚Д゚)! 小十郎万歳!心の中で叫ばずにいられませんw

青空に映える瞬間


ではさっそく工費20億円の貴重な木造復元の天守に入りましょう。
1階は東西9間×南北6間高さは石垣から16.7mで戦後の木造復元天守としては
広さ高さともに最大級なんですって。平成7年(1995)3月に完成したそうです。

貸切だった瞬間


莫大な費用をかけて木造復元した心意気に気持ちよく払う入場料300円。
チケット、パンフレットのついでに資料としてマップも一応もらっておきますw

美しかった瞬間


柱は吉野桧、化粧材は青森桧葉、山陰の松丸太や赤杉なんかを使っているそうです。
釘は床材に使った和釘だけ。伝統建築の粋を集めて建てられた素晴らしい建物ね。

経緯が気になった瞬間


天守内には片倉押しのコーナーも設けられています。鬼小十郎と書いてあるので
初代小十郎景綱さんではなく子の重長さんね。だから縁の深い真田の甲冑も一緒で。

前回のエントリーの田村清顕の墓と真田関わりの説明が少しかぶりますが・・

真田幸村は大阪の陣の前、阿梅、阿菖蒲の2人娘と次男の大八(当時3歳とか)を
片倉景綱に託したそうです。敵方の武将になんで?と経緯はよく分からないけど、
子供たちは白石で大切に育てられ、阿梅は片倉重長の後妻に、阿菖蒲は片倉家臣、
田村定広に嫁ぎ、大八は仙台藩士となって蔵王に移り仙台真田氏として暮らしたそうな。

鬼小十郎まつりでは小十郎と幸村が出てきて道明寺の戦いの再現がされるみたいよ。

ありがたく拝んだ瞬間


木材のことを聞いてきたので、最上階では太い梁に目が行きます。
戦後、木造で復元されたのは掛川城白河小峰城、大洲城とこの白石城だけで、
質のいい桧の大木が希少になっているので木材での復元は今後厳しいらしいです。

妄想力を試される瞬間


今は何もない本丸は広く見えるけど当時は御成御殿、表御殿、奥御殿の3つがあって、
ちょうど芝生のある部分なんかは全部、それらの建物がぎっしり建っていたみたい。

復元力に感動の瞬間


天守から大手一の門と二の門の枡形を見下ろして。奥に見えるデカい建物は
白石城ミュージアム。白石の歴史展示やシアターやお土産屋があるようです。


来てよかったわ〜白石城。片倉さんへの思い入れがヒシヒシと感じられる。
特にラブってなかったワタクシまでうっかり引き込まれそうになったわww


さて次は当信寺に移築された東門と阿梅さんのお墓参りに行くのですが、
ガイドのオジサンに「当信寺って近い?」と聞いたら「あ、阿梅さんのね」
とすぐ名前の方が出てくることにも薄ら感動しつつ、白石城を後にします。


にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング

2015.02.08 Sunday 12:40 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(宮城県) | 
 | 1 / 1 PAGES |