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2019.10.02 Wednesday  | - | - | - | 

脇本城に登城!

久保田城から北上して、ついに男鹿半島まできちゃったわよ〜!!

大きなナマハゲが立ってる公園に寄りたかったけどメッチャ混んでた(*°∀°)=3
で、あきらめて車の流れに乗って走ったら、あっという間に脇本城に到着!
てか、秋田の人ってすごい飛ばさない? 国道だよねって標識を三度見したよねw

模型でごまかす瞬間


あんまり流れに乗りすぎて、うっかり反対側にある入口を通り過ぎそうになり、
入れてホッとしたのもつかの間、登る坂の狭さに引いてたら写真を忘れた(*°∀°)=3

距離自体は大したことないんだけど、なんせ道幅が車1台分って坂だから
上から車が下りてきたらどうなんの? 登り優先ルールとか適用されるの?
とか思ってすごいドキドキしちゃった。でも歩いて登る選択肢はないw

心からホッとする瞬間


おっかなびっくり登って、なんとか案内所のある駐車場に到着!
ここに駐車場があるなら、もう少し道を何とかした方が・・・(小声)
中でパンフレットをもらいます。続100名城スタンプもここにあったよ。

男鹿市に乾杯!の瞬間


まずは案内図を確認。パンフレットは写真や説明も多くキレイでわかりやすい!
国史跡だから整備も行き届いてるはずだし期待大! いそいそと曲輪に向かいます。

汗ばむ瞬間


でも最初しばらくは面白みのない長い坂を登る苦行があるんだけど(*°∀°)=3
真夏の昼時。エアコンキンキンの車から降りたばっかなのにもう暑い!!

見晴らしサイコーの瞬間


わっせわっせ・・息切れしながらなんとか登り切り、振り返ると海が!
日本海に飛び出した男鹿半島の先っちょだから海岸線がよく見えること!

圧倒される瞬間


坂を上りきると案内板が見えて、突然、迫力のある風景が広がります。
お城の説明がかかれた板と、裏になってる方には案内図が載っていました。

脇本城は男鹿半島南側にあるお城で、築年は明らかでないものの、
戦国時代にはすでに城としての機能を果たしていたと考えられています。

天正5年(1577)、出羽の戦国大名、安藤愛季が嫡子業季に湊・檜山の城を譲って
脇本城を居城とし、地形を生かした大改修を行って本拠地にしました。

愛季は安東氏の最盛期を築きますが、天正15年(1587)、戸沢氏との合戦中に病没。
家督を継いだ次男実季が後に本拠を港城に移すと、江戸初期に廃城となりました。

ダイナミックすぎた瞬間


写真がイマイチだから伝わらないと思うけど広くて壮大な感じなのよ。
曲輪がドーンと連なって、パンフレットを合わせて見ると尚よくわかる!

自由奔放だった瞬間


正面は来た道で右手が曲輪ドーンの方。左が本郭なのでそっち行ってみるよ。
脇本城って通路にしてある部分が少なくて、でもアップダウンがあるから、
楽そうなところ見つけて好きに登っていくフリースタイルで行きますよw

ありがたみな瞬間


こちら空堀。きっと虎口の部分だと思うの。角度がイマイチだけど(*°∀°)=3
それにしても真夏にもかかわらず草ボーボーじゃないのがありがたい!
フリースタイルなのに、デフォヤブ漕ぎとかマジで戦意喪失だもんね。

感動している瞬間


空堀の上から最初に見た西の方を振り返ったら、さらに雄大だった件!
地形だけでもこんなに「大迫力!」って感じられるものなんだなぁって。

ワナワナしている瞬間


感動に震えながら大土塁の前にやってきました。最大高低差6メートル!
コレが主郭を囲ってるんだから、すごい土木量だな〜って眺めるばかり。

安定の囲まれ感だった瞬間


中からの高さはこんな感じ。ここに城主の館があったというから超安心!
ここからは食器や火縄銃の玉や武具など色々なものが出土しているそうです。

徳川埋蔵金よりもっとなさそうだった瞬間


主郭の所にあった復元想像図。国史跡なので要所での説明が充実してます。
ここには井戸跡が4つあるらしいんだけど、金の茶釜が埋められた伝説があって、
昔は夜な夜な来て、掘り返す人がいたって話もパンフレットに載ってましたw

死角なしだった瞬間


主郭からは海岸線と町が良く見える!ここが当時の城下町だったらしい。
陸も海もかなり遠くまで丸見えで、改めて要所に築かれてるんだなぁって。

この場所に目を付けて大規模な整備をした愛季さんの気分でしばし眺め、
長い海岸線を見下ろすレア風景に、埼玉県民のワタクシひそかに興奮(笑)

名残おしまれる瞬間


この先を降りた部分だけ、草の成長がたくましく膝丈くらいのゾーンがあって、
ワシワシ歩いて抜け出たら、ズボンに種みたいのがちょいちょいついてた。
でも足を踏み入れる度、虫が飛び出してくるとかじゃなかったから全然おけー!

フリースタイル多めだから、登城はサンダルや生足じゃない方がおすすめです!

男鹿半島は遠かったけど、でもホントに足を伸ばしてよかったぁ!
今までにない新しい感動だったし、初めてドローン欲しいなとも思った(*°∀°)=3



帰りも対向車が来ないことを祈りつつ、激狭な坂道をオドオドしながら下り。
無事に降りれた!!と思ったら、国道から車が入ってきてマジ間一髪w


さぁ埼玉に帰ろ…遠すぎて気が遠くなる笑


修善寺にて源頼範と頼家のお墓参り〜に続く



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2019.04.27 Saturday 13:55 | comments(1) | trackbacks(0) | 東北(秋田県) | 

久保田城に登城!

秋田城を見た翌日、朝イチで久保田城に登城しました!

現在は千秋公園となっている久保田城跡。城内に無料駐車場があるらしいんだけど、
台数が少ない、場所が分からないってことで、ワタクシ近隣の有料Pを利用しまして。

きょろきょろする瞬間


そしたら自動的に大通り沿いの大手門跡からスタートすることになりました。
商業ビルが建ち並ぶエリアでキレイに整備されてるので遺構はないようです。

うっとりしている瞬間


元気に堀沿いに進んで、入口になっている中土橋門跡を目指します。
時間的に花がとじかけてるけど、一面の睡蓮がキレイすぎて見とれちゃう。

うっかりしていた瞬間


中土橋門跡を境に右が大手門の堀、左は穴門の堀って分かれているみたい。
ここでも睡蓮を眺めてたら、中土橋門跡の様子を撮るのすっかり忘れたわw

勝手にしょぼむ瞬間


こっちが穴門の堀。水堀としてはこれがあるべき姿なのは分かってるけど、
睡蓮の後に見るとあまりにも地味すぎて・・・で、振り返るとまた心浮きたつw

目立っていた瞬間


久保田城址碑は堀を渡ったところにありました。日本100名城(9番)です。
今は続100名城もあるんだよね? 最近スタンプを集めなくなったけど(*°∀°)=3

後の祭りだった瞬間


図によると唐金橋跡だったかな。ここから入って二の丸に向かいます。
ここに来て初めてお城のわずかな駐車場はこの先にあることが判明・・。

佐竹イズムな瞬間


こちらが二の丸に続く松下門跡。雰囲気がよく残ってていい感じです!
久保田城は天守と石垣がない城。佐竹義宣のこだわりとっても楽しみ。

重要だった瞬間


広い二の丸。当時は勘定所などがあって、二の丸広場は家臣が集まる集合場所
として利用されたり、能や踊りの見物のため町人に開放されたりもしたんだって。

日陰に吸い込まれる瞬間


二の丸から本丸への登城ルートってことで、左手にある長坂を登ります。
こんもりした土塁にはさまれて、息切れするけど何やら落ち着く感じですw

ちょっぴりアガる瞬間


折れの入った坂を上ったところに長坂門跡(二の門)。その先に久保田城本丸の正門で、
当時、一の門とも呼ばれていた表門が見えてきます。なかなか立派じゃないですか!

どっしりしていた瞬間


表門は絵図などの文献資料や発掘調査の成果をもとに平成13年に復元されたもの。
実際の方が写真で見るよりもっと堂々たる佇まいで、20万石にふさわしい感じ!
超分かりづらいけど、柱のところには「扇に月丸」の佐竹の紋がついています。

久保田城は慶長7年(1602)、常陸から出羽へ転封となった佐竹義宣が築いた城で、
石垣を用いず堀と土塁を中心としたもので、天守は当初からありませんでした。

何度も火災に見舞われながら再建され、戊辰戦争の戦火も免れて維新を迎えますが、
明治13年(1880)の火災により、大半の建物が消失。明治30年(1897)近代的な
城跡公園として、二の丸と本丸跡が千秋公園として整備されました。

貴重だった瞬間


表門の前には侵入者を警戒する御物頭御番所も置かれ、玄関前の守りは超厳重!
この番所はね。旧位置のまま今日まで残っている久保田城唯一の建造物なんだって。

工夫がたっぷりだった瞬間


表門を入って本丸へ。本丸御殿や政務所が置かれてたってことでかなり広い!

この本丸は最も高い所を、土を盛ったり削ったりして平らにして作って、
その周りを土塁で囲み、さらに土塁の上を多聞長屋と板塀で囲んでおいての、
要所には隅櫓を配置するって防御だったんだって。さすが石垣のない城!

豪華すぎた瞬間


本丸には最後の当主、12代義堯の銅像が建ってます。囲いがやたら立派(*°∀°)=3
こんなにスペースあるなら初代藩主、佐竹義宜の銅像も置いてほしかったけど。

チラ見で済ます瞬間


佐竹氏は初代藩主義宣から、12代義堯まで約270年続いて維新を迎えています。
義堯さんは版籍奉還の後、久保田藩知事に任命されて公爵となったそうですよ。

寄り道する瞬間


本丸には初代佐竹義宣を始め、歴代の藩主が祀られた八幡秋田神社もあります。
平成17年に放火で社殿を消失し、平成20年に再建されたものなんだって。

キュンとなってる瞬間


まだまだ新しい感じのするきれいな拝殿の中には義宣さんの肖像がありました。
鬼義重のせがれらしく勇猛そうでかっこいい絵。やっぱ武将の肖像は甲冑がいい! 

台無しだった瞬間


本丸から埋門跡に進みます。当時は土手を切って出入口とし、その上に多門長屋を渡した
隠し門みたいになってたんだって。今はお手洗いが建っててイマイチだけど(*°∀°)=3

木がじゃますぎた瞬間


埋門跡から緩い坂になっている多門長屋跡を進んでいくと御隅櫓が見えてきます。
市政100周年を記念して復元されたもので、展望台として公開されています。

鼻をおっぴろげる瞬間


入場料は100円だったかな? 縄張図とか模型、城の歴史の上映コーナーがある。
御隅櫓は一番高い所に建ってるから、展望台に登ると見晴らしはとてもいい!

執着はない瞬間


下に降りて撮ってみたけど、やっぱり木が邪魔で建物がよく見えないのよね。
こっちの角度だと模擬感あるから、チラ見えくらいがいいのかもしれないけどw

らしさ全開な瞬間


気を取り直して帯曲輪門跡へ。桝形がきれいに残ってニンマリしちゃうよ。
絵図には土塁の上をめぐる板塀に連結される形の門が描かれているそうです。

気持ちが大事だった瞬間


そのまま本丸の中を歩いて裏門跡へ。夜間の出入りの際に使用した門らしい。
裏門といいながら、目と鼻の先の並びには最初に見た表門もあったりするんだけどw

佐竹三昧の瞬間


二の丸広場に戻ってきたら、最後はすごい楽しみにしていた佐竹史料館へ。
戦国ファン必見の貴重なブツが見られて、たったの100円ポッキリ安すぎ!

興奮中の瞬間


展示品の写真が撮れなかったので、入口にあった鬼義重の甲冑だけ一応w

佐竹義宣の甲冑や肖像画を間近で見られるのもエキサイティングだったし、
佐竹の家紋「扇に月丸」が描かれたデカい本陣旗もすごい迫力があった!
久保田城に来たら絶対に見るのがおすすめ!・・っていうかマジ必ず見てw

最後まで堪能する瞬間


下城は資料館横にある黒門跡から。土塁の桝形がいい感じじゃないの!
写真を撮る角度をしくじってるけど、左奥が二の丸広場に通じてます。

包まれ感サイコー!


桝形の手前は腰巻石垣、そして案内柱のところには礎石みたいなのもあるわね・・
と思いながら、ワタクシは土塁に囲まれた落ち着き感を最後にメッチャ味わい中ですw

ホントに一部な瞬間


黒門跡を出ると目の前は大手通りで、当時はここから三の丸だったみたい。
一部だけど内堀も残ってて、睡蓮が浮かぶ大手の堀より雰囲気は断然あるね!


さーて久保田城はこれにて完了! ワタクシはこの日、車で埼玉に戻るんだけど、
久保田城って日本海側で、まぁまぁ遠くに来ちゃったなって感じがしてるわけ。

だから帰り道を思うと「これ以上遠ざかったらいけない!」って気はするんだけど、
でもどーーしても見たいお城があるから、がんばって男鹿半島まで行ってくる!

待ってろ〜ナマハゲw



脇本城に登城!〜に続く



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2019.04.09 Tuesday 15:05 | comments(2) | trackbacks(0) | 東北(秋田県) | 

秋田城に登城!

天徳寺の次は秋田城にやってきました! ちょうど暑い時間に(*°∀°)=3

駐車場に車を停めたら、まずパンフレットをもらいに管理棟に直行!
ボランティアガイドさんがたくさんいたから、ホントはお願いしたかったんだけど、
広いから時間が足らなそうと伝えたら、皆さんで概要を丁寧に説明してくれた!

で、まずはガイドさんに言われた通り、復元外郭門がある方に向かうことに。

雰囲気ある瞬間


これは平成9年に復元された東門。左右には粘土と砂でできた築地塀も続いてて、
奈良時代の創建期の頃の姿を復元しているんだって。古代柵はコレがないとね!

気合を入れる瞬間


ワタクシが見るのは復元公開されてる部分で、だいたいこの写真の範囲くらい。
これでも広いけど、秋田城は元が大きいから全体から見るとこれでも1/3とか(*°∀°)=3
左側にある政庁の方を囲んでた外郭塀の全周だけでも2.2キロもあったんだって。

城跡は道路で分断されて(縦の茶線)、外郭門からの大路も途切れてる。
なのでまずは外郭線の外にある居住区っぽい方から見ていくことにします。

日差しがやばい瞬間


東門をくぐると立派な大路が見えます。素掘りの側溝の跡が発見されてて、
そこから推測すると道幅12メートルで、土の道路だったと考えられているそう。

池との違いを考えた瞬間


大路の脇にある沼は、当時の城内では神聖な場として利用されていたんだって。
コレは自然の沼らしいけど、澱みすぎ草はえすぎでデカイ水たまりみたいなw

食いつく瞬間


沼の前にある覆屋の中には、平安時代に作られたという井戸があるんだって!
平安時代の井戸跡じゃなくて井戸ってすごくない? どれ、見せてごらん。

お風呂を連想した瞬間


えw って一瞬思ったけど、今も水が湧いてるまごうことなき井戸です。
当時も厚い板を組んで並べたような作りで、しかも浅かったらしいし。

なかったことにする瞬間


平面表示している建物跡も多いけど、時短のため丘の上には登らず・・・

秋田城は天平5年(733)、蝦夷地制圧の日本海側拠点として築かれた城柵で、
当初は出羽柵といいましたが、760頃には秋田城と呼ばれるようになり、
奈良時代には国府がおかれると政治、文化、軍事の中心として発展しました。

平安時代に入ると地震や蝦夷の反乱などによって次第に衰退し、
城輪柵に国府が移されると10世紀後半に古代城柵としての役目を終えました。

ちゃんとしていた瞬間


井戸はもう1つあって、ここからは「天平」って書かれた木簡が発見されたんだって。
これは復元で、木枠の中には当時も敷かれてたというレンガが置かれてました。

ハイレベルすぎた瞬間


そして水洗厩舎跡! 水洗トイレの復元したもので、ある意味、秋田城の目玉かとw
沼の近くに建ってて、流れた水は下の沈殿槽にたまり、上澄みだけ沼に流れる仕組み。

奈良時代とかあまりに遠すぎて、ファンタジーぽく思えることもあるんだけど、
人々の生活が分かると(想像より高度だし)少しだけ距離が縮まる感じがする!

ワイルドすぎた瞬間


内部も詳細に復元・・・って穴デカすぎじゃない? 落ちたら流れちゃう(*°∀°)=3
なんで濡れてんのかなって思ったら、水を汲んで流す体験はしてもいいみたい。

ヨロヨロしている瞬間


復元トイレの方まで来ると、沼の向こうの外郭門がやたら遠くに見えるなぁ。
強い日差しにしなびかけながら、今度は道の反対側にある政庁跡へ向かいます。

照り付けられる瞬間


外郭門から続いていた東大路。政庁側にも多分12mの幅で復元されてます。
写真は政庁に近いけど、大路はもっと後ろから続いてて地味に長かった気がする。

充実していた瞬間


入り口にある復元模型。見応えある大きさで、かなり細かくキレイに作られてるの。
正殿は建て替えで6期の変遷があったってことで、時代ごとに展示されて芸が細かい!

雰囲気が大事な瞬間


これは秋田城創建期の頃の。東門を入った正面に正殿、横にも役所的なのが建ってて。
模型の前だとピンと来づらいけど、政庁の区画は東西94m、南北77mの広さだそう。

コンパクトだった瞬間


政庁東門の復元。こちらも築地塀が左右にずっと続いています。
外郭門の方が立派!? 考えてるよりこじんまりした門だなって思った。

妄想力を働かす瞬間


こちらが正殿跡。貢物を持ってきた蝦夷の供応や外国の使節を迎えての儀式が
行われてたそう。表面展示だけど、立派な建物だったんだろうなって感じがする。

感心しきりな瞬間


正殿以外の建物も表面展示されてます。役所とかの建物だったのかな。
写真で見るより大きくて、この区画自体も模型の印象よりずっと広かった。

古代の人々はすごかった瞬間


ちなみに秋田城跡はこんなに大きい! なんなら下の方まだ少し続くくらい。
古代ファンで城域を全部まわろうと思ったら、そりゃもう気合入れないとダメね。

ワタクシは史跡公園として整備公開されている部分だけで満足!満足!


次は佐竹氏の居城がある千秋公園に向かいます!


久保田城に登城!〜に続く




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2019.03.22 Friday 17:24 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(秋田県) | 

角館武家屋敷にて青柳家探訪!

角館城をかけおりて、城下にある武家屋敷町にやってきました!

マメすぎた瞬間


お屋敷が開く時間には人手が多くなると思って、登城する前に寄って撮っといた!
桜や紅葉の方がもっと絵になるけど、夏でもしっとりした風情ある素敵な街並み。

風格漂いすぎな瞬間


街の中には見学できる屋敷が6軒あり、資料館やお土産屋さんなんかもあるから、
ホントはゆっくり散策したいとこけど、ワタクシは時短のため青柳家一点狙いよ。
上級武士にしか許されないという格式ある薬医門をくぐっていざ中へ。たのもー!

鼻息が荒い瞬間


入場料は500円。隣の石黒家が300円で、他4軒は無料って考えると少し高いのかもだけど、
お屋敷の豪華さも展示の充実も一番らしいので、絶対ハズせないからメッチャ楽しみ!

庶民にはわからない瞬間


もらったパンフレットを見ながら、まずは母屋に入って順路通りに進みます。
敷地は3000坪ってことなんだけど、ワタクシには広さの想像が全くつきません。

すでに広くてびっくりな瞬間


玄関を入ると仏間とかの和室がいくつか並んでて、柔らかな明かりや掛け時計で
レトロおしゃれですかって雰囲気だけど、よく見ると造りはとても重厚です。

セレブだった瞬間


続いてお台所とか水屋があるんだけど、調度品がお上品な漆塗りですよ!
上級武士ともなると日用雑貨までイイモノそろえるお金がかかりますね。

垂涎の瞬間


こちらはワタクシが一番楽しみにしてた武器蔵。代々伝わる鎧・兜だけじゃなく、
刀剣や装飾具、江戸時代からの文献など、貴重なお品がわんさとあります。

ワナワナしている瞬間


時代区分とか持ち主に限らず、武将や侍が実際に所有していた甲冑を見ると、
めっちゃ興奮するよね! かなり年季も入ってて長く続く家なんだなって感動。

かぶりつく瞬間


甲冑ケースの上の段には馬具があり、ケースの中には陣笠なんかもありましてね。
いちいちガン見して「へぇ」とかやってたから武具蔵だけで時間くったな(*°∀°)=3

入場料の元を取った瞬間


刀剣類も充実。武士の誇りが宿るたくさんの収蔵品に圧倒されます。
ワタクシがいる間、人が来なかったのでじっくり見られてホントよかった。

感嘆しちゃう瞬間


最後は単独で展示されていた青柳家家宝だという六十二間小星兜と二枚胴具足。
右後ろの五輪塔旗印は鎌倉時代のものだっていうし・・正座で眺めた方がいいですか?

体幹が大事だった瞬間


武具蔵の外には、本物の刀と片刃槍を持つことのできるコーナーもあります。
ちょっと持ちあげてみただけで、わかっちゃいるけど超〜重いよね。
振り上げて戦うとかナイナイ。腰にさして歩くだけでもワタクシよろめくな。

風情ただよう瞬間


武具蔵を出ると母屋の裏手の広い庭に出ます。池泉回遊式庭園ってことで、
写真にはないけど敷地の真ん中にけっこう大きな池があってすごい立派なのよ!
もしここに住んでたら、毎朝の散歩はこの庭だけで終わってもいいなってくらい。

印象が強すぎる瞬間


正面には解体新書記念館。解体新書は江戸時代に杉田玄白や前野良沢が翻訳した
ベストセラー医学書。歴史の授業で必ず習うコレ、なぜか絶対に忘れない不思議w

興味をひかれてる瞬間


解体新書は日本で初めとなる正確な人体解剖図がついてるってのが衝撃なんだけど、
その人体解剖図を描いた画家が、角館の小田野直武という武士だったんですね。

食いつく瞬間


コレコレ教科書に載ってたやつね! 青柳家と小田野直武は姻戚関係にあって、
その後も両家の関係が深いことから、画業を展示する記念館があるんだって。

さらに食いつく瞬間


で、この人が小田野さん。後ろには角館の武士だった小田野さんが解剖図を描くに至った
歩みが紙芝居風に並んでて、見始めたら興味深くて最後までじっくり読んでしまったw

直武は角館を訪れた平賀源内に絵の才能を見出され、西洋画を学ぶんだけど、
源内が江戸に戻った後、秋田本藩から産物取立役として江戸に3年の出張を命じられ、
慌てて江戸に行くと、杉田玄白らに紹介されて解剖図を描くことになったというね。

直武は角館北家(支藩)の平侍。それが急に本藩から江戸でのお役目を与えられ、
行ってみたら藩と関係ない絵を描く仕事だった・・ってちょっと変な話だけど、
当時の秋田藩主、佐竹曙山も絵を好んで、参勤交代で江戸に来ると直武を召して、
主従ともに蘭画の研究をしたっていうから、藩主の特命だったのかもしれないね。

唖然とする瞬間


最後に見たのは「武家道具館」。代々伝わる文献書籍や押絵、焼物、絵皿ほか、
2階にも箪笥やら金庫(?)などの家具が。すごい数だなって思ってたら、
どうもこれで全部じゃないらしく、どんだけ裕福で物持ちだったんだと驚いた。

広大な庭には「秋田郷土館」「幕末写真館」「ハイカラ館」などもあり、
角館の暮らしから、幕末の資料、明治の蓄音機や時計などのアンティークや、
戦争中の陸軍将校装備や軍服なんかの展示もあって、ホントもう歴史がすごい!

この辺はあんまり興味ないのと、武具と小田野さんに時間をかけすぎたので、
ワタクシはちゃちゃっと見て終えてしまったけど、でも一見の価値ありでした。

趣がある瞬間


最後は入場時、玄関側からは見えなかった母屋の反対側を見学して終了。
約200年前の建築で重要文化財。周り縁がある雪国特有の作りなんだって。

うっとりしている瞬間


ここから床の間のついた部屋が見れます。間取り図に「ざしき」って書いてあった。
古い建物特有の落ち着く感じもあるし、でも武家のキリッとした雰囲気も素敵!

青柳家、見学してホントに良かった! 500円じゃ安いくらいの見応えだった!


この後は角館から日本海方面へ、秋田市に向かっての進軍!

途中、唐松城に登城したら少し前の台風の影響で立入禁止になってた・・Σ(゚Д゚)!
残念だけど安全第一! 結果、青柳家でオーバーした時間がチャラになりましたw


闐信寺にて佐竹義重のお墓参り〜に続く


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2019.02.15 Friday 17:03 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(秋田県) | 

角館城に登城!

天寧寺の葦名家墓所に続き、今日も角館の街からスタート!

人が少ないうちに武家屋敷を見たいけど、開いてる時間が決まってるから、
まずは朝イチから気合入れて、涼しいうちに角館城に登っちゃうことにした。

あっと言う間だった瞬間


武家屋敷の街並みを出た大通り沿いにある、古城山公園の入口を車で登っていくと、
すぐ登城口に到着! 朝から標高166mも登ったら倒れちゃうかもしれないので助かるw

ついでにあの車両止めもなければ、楽に上まで行けるのにな〜と思いながら、
案内板の左手奥にある駐車場の、桜の葉が茂った日陰に車を停めてきました。

迷わず却下する瞬間


登城口を進むとすぐ右手に入ってく道があって、これは急だけど本郭へは最短。
でもワタクシ登りが急とかイヤだから、行きは遠回りだけど舗装された道を選択。

おののいていた瞬間


したものの・・・ナニコレ超〜遠い!!地味に急な坂が長すぎてビビった。
でもこっちから登る方が郭を順に見ていけるし、頑張って登らないとね。

はぁはぁしている瞬間


やーっと直線を登り切った! ここで舗装道は右にギュンと曲がるんだけど、
そのカーブの中が六郭らしい。道を作るのに削られてるせいか激狭ですけどw

ふくよかすぎた瞬間


少し進むと目の前が開けて山頂の本郭が見えます。道路以外は草ボーボーなので、
せっかくの切り岸もふんわりしちゃって、高低差や距離は少し分かりづらいかも。

スリムすぎる瞬間


そして五郭も道路の横っちょにひっそりと。知らなかったらスルーしちゃう。

角館城は中世にこの地を治めた戸沢氏が築いた城で、当時は山の上に居館があったとか。

戸沢氏は織田信長や豊臣秀吉と誼を通じ、戦国期を通じてこの地を支配しますが、
慶長7年(1602)常陸松岡に転封になると、常陸から久保田藩主として佐竹氏が入り、
久保田城の支城として、弟の葦名義広を城主としました。

葦名氏は山麓に居館を構え、現在の角館の元になる新たな城下町を整備しますが、
元和6年(1620)、一国一城令により、角館城は廃城となりました。

時短モード発動の瞬間


少し進むと左手に四郭が現れます。広くないけど斜面のへりとは佇まいが違うなw
遺構もないみたいだし、街並みは本郭から見ればいいので先へ進みます。

瞬撮の瞬間


本郭に入る前に、舗装路を挟んで反対側にある三郭をチラ見しておく。
ここもまた狭い郭で、取って付けたみたいな感じがしちゃうくらい。

なんにもなかった瞬間


そして本郭。元は居館があったってくらいだから山頂にしては平坦でなかなか広め。
今は花見の人気スポットなんだって。来るまでの坂はきついしトイレもないけど!

唐突すぎた瞬間


本郭のど真ん中には、城址碑と戸沢氏の供養塔がぽつんと建っています。
転封になっちゃったのに、あえてここに供養塔?とちょっと思ったけどさ。

分かったぶる瞬間


でも城址碑を見たら、城名よりむしろ戸沢氏の顕彰っぽくなってるから
長らく支配していた分、地元の方の思い入れがあるのかなって勝手に納得w

まあまあ残念な瞬間


本郭からの見晴らしは悪くないんだろうけど、ちょいちょい木が邪魔で、
武家屋敷の辺りとかピンポイントで見たい所の見え方はイマイチだよっていう。

ボーボーすぎた瞬間


よーし。帰りは反対側の登城道を降りてこっか!と思ったら道がなーーい!!
2郭に降りてく細い坂道は草ボーボー。おまけに2郭もワッサワサのフッサフサ。

もし変なガッツ出して最短の登城路チョイスしてたらマジやばかった(*°∀°)=3

見なかったことにして来た道を戻ったけど、長い下り坂は膝によくないんだから!



ガクガクしながら車に戻ったら、開館直後の青柳家へ突撃します。たのもー!



角館武家屋敷にて青柳家探訪!〜へ続く



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2019.01.29 Tuesday 15:50 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(秋田県) | 

払田柵跡に登城!

金沢柵から急ぎめで、払田柵跡(ほったのさくあと)にやってきました!

この日は新庄城スタートで、宿のある角館に向けて進軍してたんだけど、
払田柵にたどり着いた時点で、予定どおりに終われることが確定!
ですからワタクシは今、とーーっても穏やかな気持ちですw

とはいえ遅刻だった瞬間


志波城のような長い築地塀はないけど、どちらも古代城柵ってことで似た雰囲気です。
こちらも同じく総合案内所が併設されてるんだけど、16時閉館で間に合わず残念!

払田柵総合案内所では、資料展示や歴史ビデオなんかが見れらるみたい。
間に合ってたらきっと、パンフレットなんかももらえたんでしょうね(遠い目)

用心深かった瞬間


でも! ワタクシはネットで拾った案内図を印刷してきたから何とかなった!
まずは復元の外柵南門。当時は秋田杉の柵木塀が回りを囲んでいたらしいです。

城柵というのは当時、蝦夷(えみし)と呼ばれていた東北の人々を統治するため
設置された朝廷の施設で、行政府や軍事拠点としての役割をもっていました。
当時は鉾もった兵とか、都から派遣された役人が忙しく出入りしたんだろうね。

西日で焦げそうな瞬間


門をくぐると広い大路がのびのび続いてるんだけど、政庁跡マジ彼方すぎ!!
写真より実際はもっと遠くて、ペットボトル握りしめ、根性ふり絞って行ったわw

芸が細かい瞬間


大路を進んでいくと、やたら蛇行した川が流れてるのが見えてきました。
発掘調査でくねくねした川があったことが分かって、復元されたんだって。

色々あなどれない瞬間


川にはしっかりした橋もかかってます。発掘調査を元に復元されたもので、
地中には遺構が埋まってるから、影響を与えない工法で施行されたんだって。

立派な橋にも驚いたけど、よく見たら先がまだ長くてもっと驚いた(*°∀°)=3

東北最大規模だった瞬間


汗をふきふき歩いて、やっと総合説明版のある場所にたどり着きました。

現在、払田柵跡として整備されてるのはほんの一部で、全体は超〜広大!
87.8h…なんと東京ドーム18個分の広さとか! とにかく広いのは分かる。

で、帰り道に気づいたんだけど、周辺の道沿いあちこちかなり遠くまで
「この下に払田柵が眠っています」って標柱があるのを見て勝手に納得w

ミステリーだった瞬間


これは説明版の前にあった西建物跡の表面展示。色々発掘されてるね!

でも払田柵ってこの規模の城柵なのに、文献に一切記載がない謎の柵で、
発掘された材木の年輪から、801年頃に築かれたことが分かったくらいで、
そもそも払田って名前も地名を取って後から付けられたものなんだって。

太平洋側は志波城、日本海側に秋田城、で中間にあったのが払田柵でしょ。
蝦夷支配の最前線みたいに並んでいながら、文献に無いってすごい不思議!

わかりやすかった瞬間


これは大路を挟んで反対側にある東建物。復元だと大きさや雰囲気わかる!
この辺は政庁に近いから、役所みたいな施設だったと考えられてるみたい。

テンション上がる瞬間


おお・・やっと外郭南門が近くに見えてきた! 払田柵っていったらここが
すぐ思い浮かぶぐらい印象的。あえて柱だけっていうのがかっこいいんだわぁ。

門の両側にある石塁は、発掘調査の成果に基づいて復元されたもので、
西側の下部は1200年前の実物遺構だとか! よくわからなかったけどw

ちょっぴり神秘的だった瞬間


外郭南門は発掘調査の後、遺構保護層を設けて柱列の真上に復元したもの。
遺構はクリ材など柱直径60cmだけど、復元は青森ヒバで直径も50cmなんだって。

たどりついた瞬間


石段を登ってようやく政庁跡のある丘の上に到着!しっかし遠かったわぁ。
この丘の辺は長森って場所で、払田柵自体が小丘陵地にあるらしいんだよね。

雑すぎた瞬間


こちらが政庁跡。中心的な施設で、板塀に囲まれた建物だったみたいよ。
全体をイメージするのは難しいから、まぁまぁ大きいやつを想像しておく。

納得している瞬間


政庁前には説明版があって、想像図と一緒に表面展示を見るとわかりやすい。
政庁と正殿の東西にも建物があって、平安京ぽい雰囲気だったんだろうね。




政庁他の建物も建ってたら、結構ギューギューだったかもしれないけど、
この左右に広がるそれぞれの丘の上にも色んな施設が建ってたそうです。

政治以外に祭祀や儀式、蝦夷への供応なんかも行われてたっていうから、
とっさに阿弖流為(火怨)を思い出して、分かった風な空想をちょっとだけしたw

我に返った瞬間


で、満足して振り返ったら・・・ちょw 外柵南門マジで遠すぎじゃない!? 
夕方なのに西日の紫外線もハンパないんだよねぇ。穏やかだった気持ちドコ 笑   

角館で飲む冷たーい生ビールを夢見て、干からびかけて車に戻った(*°∀°)=3

さぁ、ホテルに入る前にもういっちょ! 日が沈むまで頑張って活動する。


天寧寺にて葦名家墓所に参拝!〜に続く



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2018.12.28 Friday 13:22 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(秋田県) | 

金沢柵に登城!

平安の風わたる公園から金沢柵にまっしぐら!怒涛の勢いで押し寄せました。
近くにある「後三年の役資料館」は、時間がないから見なかったことにして(*°∀°)=3

押し寄せる瞬間


通りに出てた案内にそって一気に柵前に到着! 駐車スペースもあって安心!
後三年の役資料館から歩きだと、小山を登るしまぁまぁ大変じゃないかと思う。

縄張図の載った案内を見ると「柵」じゃなく「金沢城跡史跡案内」と書かれてた。
今ある遺構は戦国期の山城で、実は金沢柵は場所の特定がされてないんだって。

だいたいこの辺ではあるけど、発掘調査しても後三年の役の頃のブツが出ない。
だから特定できない、ここだと断定できないってことなんだと思うけど、
ワタクシは後三年の頭で来てるから、細かいことは気にしないで行く(*°∀°)=3

だから今回の記事のタイトルも「金沢柵に登城!」で行くことにした次第。
(後三年の役が起きてから金沢柵の攻防に至るまでのことは前回の記事を見てね)

備えあれば憂いなしの瞬間


パンフレットとかは置いてないので、印刷してきた縄張図を見ながら登城開始!
下から登りだとツライけど、ここからなら階段を登るだけだから足取りは軽やかw

金沢柵は平安時代に清原氏によって築かれたもので、後三年の役では
清原家衡、武衡が籠城するも、源義家・清原清衡の兵糧攻めにより落城します。

長禄2年(1458)には南部氏の家臣、金沢右京亮が入って居館とし、
その後、小野寺氏に支配が移ると家臣の金沢権十郎の居城となりました。

関ヶ原後の慶長7年(1602)、佐竹氏が秋田に入ると本城候補にあがるものの、
久保田城が本拠になると、元和8年(1622)一国一城令により破却されました。

すぐ到着で安心な瞬間


階段を登って整備された通路を進むと「兜杉」と「兜八幡神社」が見えてきます。

兜杉は源義家が凱旋の時、愛用の兜を埋めて上に石を置き、そばに記念のため、
藤原清衛が植えたと言われるもので根回り7.45m、樹齢900年の立派な杉でしたが・・・

妄想かけめぐる瞬間


昭和58年に失火により焼失して、今は切り株(の形の表皮)だけ残ってる状態。
真ん中が兜を埋めた上に置いたっていう兜石。ホントかは別としてちょっとロマンw
そして兜八幡神社は、八幡太郎義家と弟の新羅三郎義光を祭ったものなんだって。
義光は苦戦する兄を助けるため、官職をなげうって参戦したと言われてます。

厳かだった瞬間


兜杉から少し進めば二の丸跡。ここには金沢八幡宮が建立されています。
中央でしかも一番高い位置にあるから、本丸ぽく思えるけど二の丸だって。

こちらは後三年の役が終わった寛治7年(1093)、源義家が出羽鎮護のため、
藤原清衡に命じて京の石清水八幡宮の神霊を勧請して創建したものなのだとか。

重みを感じる瞬間


新羅三郎の末裔である佐竹氏の尊崇が特に篤く、佐竹氏が秋田藩主になった後、
慶長9年(1604)以降には、数回にわたって修改築されてるそうですよ。

鳥肌たちまくりの瞬間


拝殿の左側の方から堀底に降りて、向こうに見える北の丸に行ってみるよ!
ヤブ蚊の他に、羽音のする変な虫も飛んでるのが超イヤだけど頑張ります。

鼻の穴を広げる瞬間


右が北の丸側の土塁。二の丸の方が3倍くらい?だいぶ高い感じかな。
山城で堀底を歩くのも久々な気がするけど、囲まれるって落ち着くねw

ものぐさする瞬間


北の丸はまぁまぁ広め。写真だと分かりづらいけど低い土塁に囲まれてます。
近く行って見てないんだけど、屋根のあるところは土俵になってるのだとか。

深く考えてなかった瞬間


北の丸の次は兵糧倉跡へ。ここの土中からは今でも焼米が出てくるんだって。
案内板には「後三年の役の兵火にかかり消失した糧食」とも書いてあった。

清原家衡は兵糧攻めで食料が尽きたから、火を放って逃げたと思ってたけど、
そうか、無くなる寸前にサッサと逃げ出したパターンもあるんだなぁと思いかけ、
あ、でも金沢柵の場所は特定されてないんだっけって思い出し、少しだけ悩んだw

といいつつ、すぐ「まーいいか!」って後三年モードに戻ったけど(*°∀°)=3

早足になる瞬間


兵糧倉跡を奥に進んで本丸に向かいます。左側が本丸。二の丸くらい高そう。
まーしかし、蜂とも虻とも違う感じの変な虫がいっぱい飛んでて気持ち悪いです。

金沢柵での兵糧攻めは日本史上、初めて行われたと言われてるんだけど、
投降させない方が兵糧が早く減るっていう吉彦秀武の進言を受けた源義家は
投降しようとする女子供を容赦なく斬ったんですってよ!! こわいわぁ…

八幡太郎義家って武士たち憧れの英雄って印象が強いからうっかりするけど、
戦いの場面はキレイごとばっかじゃないんだってことも忘れちゃいけないね。

エキサイティングな瞬間


本丸はかなり広い! 発掘調査で12世紀頃の焼き物だったか?・・が出てるんだって。
後三年の役よりは後だけど、でもその頃から何かしらはあったってことなんだ!!

勝手に納得する瞬間


本丸を見たら一旦駐車場に戻って、道の向かい側にある西の丸を見に行きます。
駐車場になってるところも、当時は郭の一部とかだったのかもしれないね。

虫もいなくて快適だった瞬間


西の丸は長細い! どういう役割の郭なのかは説明がなくて分からなかった。
金沢柵って木立が多いせいか、通路の草が少な目で歩きやすくてとてもいい!

ショッキングな瞬間


だけど長細を進んでいった奥にある肝心な堀切の所だけ、このありさま(*°∀°)=3
草ボーボーでよく分からないけど、幅4〜5m、深さも2mくらいあったのかなぁ。

あきらめが早い瞬間


道路を右奥に進めば、本丸側の尾根筋にある5連続堀切近くまで行けるぽいけど、
西の丸の堀切があのヤブヤブだったから、厳しいだろうなと思ってやめておいた。


余談だけど、車に戻って帽子を取ったら尺取り虫がついててギョッとなり、
何気なく肩先みたらTシャツにも張り付いてたから、ちょっと気が遠くなった。
お尻で踏みつぶしたりしてないか、慌てて車を降りて確認しちゃったわよん。

やっぱ本丸周辺だわ。変な虫とか糸みたいなピラピラにマジ注意!!



さーて、これで後三年の役クリア! 次はもっと時代をさかのぼる!


払田柵へ登城!〜に続く



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2018.12.14 Friday 15:04 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(秋田県) | 

横手城に登城!

佐竹南家の蛍域のある湯沢市から、車をぶっ飛ばして横手までやってきました!
稲庭でうどん食べれず、十文字のラーメンも時間がないから気合で素通りしてね。

グッジョブだった瞬間


ナビにいわれるまま来たら、いい感じの駐車場に到着できました!
この場所は武者溜広場。夏休み中だけど人が少なそうでウホホホ。

わかりやすかった瞬間


観光地としての名称は「横手公園」。明治41年(1908)公園として整備され、
現在は釣り場やバラ園、テニスコート、散策路など市民憩いの場になってます。

案内板は充実な瞬間


まずは本丸跡を見てこようっと。向こうのこんもりしてるのが本丸。
手前が武者溜で、当時この場所に多聞櫓の大手門が建っていたんだって。

ダイナミックな瞬間


大手門の反対側、武者溜を囲む土塁もドーンと存在感たっぷりに残ってます。
説明によれば横手城は当時、多聞櫓11、柵門2の門が設置されてたそうな。

見なかったことにする瞬間


大手門跡の脇にあった当時の大手道、七曲坂への入り口がコレ。
けっこうな斜面でしばらく下ると七曲がりだしますす。オソロシイネェ。

城跡っぽかった瞬間


本丸に上がってみました。七曲坂の入り口から大手門まで比高37.7m。
そこから本丸の表門(があった場所)まで8.7mの高さがあるそうです。

天守が築かれなかった横手城。当時の本丸には本丸御殿と呼ばれる
5つの入母屋屋根で覆われたひとつながりの大規模な建物が建ってたんだって。
しかーし。慶応4年(1868)の戊辰戦争で落城した際、本丸御殿は消失・・・

年季が入っていた瞬間


で、明治12年(1879)戦没者供養のため、この秋田神社が建立されました。

秋田藩祖の佐竹義宣と最後の藩主12代佐竹義堯を祭神としているそうで、
秋田市の秋田神社を分社して建立した時には旧士族、卒、残らず迎えにでて、
参詣の老若男女も多く大変な賑わいだった、と説明に書いてありました。

この後、もちろん久保田城にも登城するからココは念入りにお参りして、
じゃあ、模擬天守のある二の丸の方にも行ってみよっか。

絵葉書にどうぞだった瞬間


本丸を降りて武者溜から見ると、建ってる場所は少し変な感じもするけど
桜が多いから花見の時期なら、天守がチラ見えてとっても映えそうな風景。

ボッチまくりな瞬間


マジいい感じに誰もいない! 人が来ないうち二の丸もサッと見ちゃおう。

横手城は1550年頃、秋田県南部に勢力を築いた小野寺氏によって築かれた城で、
石畳を用いず土居削崖とし、土崩れを防ぐ土止めと、敵が這い登れないよう
周囲に韮(ニラ)を植えた築城だったことから「韮城」とも呼ばれました。

慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍に味方した疑いで小野寺氏が改易になると、
佐竹義宣が入封。久保田城を本城とし、横手には伊達盛重が城代として入りました。

迷わずスルーする瞬間


「天守閣様式の展望台」というそうです。内部は資料館ってことなんだけど、
あんまり時間もなかったし、展示もなんか少なそうだったから入らなかった。

横手城は佐竹義宣の働きかけで、例外として一国一城令による破却を免れ、
久保田城の支城として存続します。寛文12年(1672)佐竹氏一門の戸村義連が
城代になると、以降、明治まで9代にわたって戸村氏が城代を務めました。

実は汗だくの瞬間


模擬天守が端っこの方に建ってるから、二の丸はわりと広々して見えます。
南北97m、東西38mで本丸より広く、当時は城代の屋敷があったそうです。

慶応4年(1868)の戊辰戦争では、久保田藩が奥羽越列藩同盟を脱退し、
新政府側についたため、横手城も庄内藩仙台藩山形藩の攻撃をうけ炎上。
明治元年(1868)8月11日、奮戦むなしく落城し、城士21名が討死しました。

100名で籠城したとこ、連合軍4000が押し寄せて砲撃してきたらマジ無理!
城代の戸村さんは自害しようとして止められ、久保田へ落ち延びたそうな。

勝手に納得している瞬間


こちらは小野寺氏の顕彰碑。昭和11年に地元の有志の方が建立したようです。
最後が悲しいとはいえ、長く支配して一時はここを本拠としてた一族だものね。

でも後悔はしない瞬間


まだまだ誰もいないから、二の丸側から見た模擬天守も撮ってみたけどw
展望すれば曲輪の高さプラス三層分、素晴らしい眺めだったかもしれないね。

乾き目になった瞬間


で、武者溜から…横手盆地と鳥海山が一望ってことだけど鳥海山うっすい(*°∀°)=3
あるのを知ってて目を凝らせば何となく見えるくらい。やっぱ展望いらんかったなw

念願かなった瞬間


お腹が空いて死にそうだったから、横手公園内の売店で作ってもらった!
コレも食べたかったの横手焼きそば。ひき肉たっぷり玉子トロトロで激ウマ!!


やーーーーっとお昼ごはんが食べられて元気がでてきた!
よし。じゃあ次は横手城の裏?脇?にある本多正純のお墓に行くよ!



横手にて本多正純のお墓参り〜に続く



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2018.11.16 Friday 17:35 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(秋田県) | 

稲庭城に登城!

正源寺から車を走らせること30分ちょい? ついに秋田県に入りました。
今回は秋田出陣ですからここからが本番! 分刻みでグイグイ行くわよ!!

ぬかりはなかった瞬間


稲庭城の少し手前。ナビが「間もなく目的地周辺です」とか言い出す辺りに
さりげなくあるのが古城道の入り口。路駐のためダッシュで偵察しております。

踵を返す瞬間


どんなもんか10歩ほど登ってみただけでイケナイ匂いがプンプンしてる…
稲庭城のある山は標高300m。気まぐれにチャレンジしたら死んでしまいます。

スリリングだった瞬間


体力のないワタクシは断然こっち!お金を払ってスロープカーでゴー!
全体の写真撮ってなかったんだけど、最大勾配33度!ちょっとすごくない?

膝に悪すぎる瞬間


山の中腹で見えた九十九折・・・古道はずっとこんな感じみたいなの。
稲庭城は急峻な山と皆瀬川に守られた天然の要害だったそうです。

到着の瞬間!


乗ってたのは5分くらいかな? 頂上からは下がほぼ見えないこの急さ。
あんなレール1本で上手く出来てるなって思いながらまぁまぁビビッてたよねw

日差しがやばい瞬間


スロープカーを降りると目の前に模擬天守。二の丸跡に建ってるんだけど、
広い空間じゃないから、建てる時に遺構を壊したりしたのかもって少し思った。

稲庭城は建久年間(1190〜1198)鎌倉時代初期に小野寺氏が築城したと言われ、
戦国時代に横手城に拠点を移すまで、小野寺氏が本拠地としていたお城です。

今昔館というらしかった瞬間


模擬天守の中は資料館になっていて、小野寺氏ゆかりの展示物のほか、
町の歴史や漆器やこけしなど、地場の産業も紹介されているようです。
入場料はスロープカーの料金420円(だったかな?)に含まれてます。

見応えがあった瞬間


2階までは町の文化や伝統産業などの展示なのでサッと見て3階へ。
いきなり立派な甲冑がドーンと並んでいるのにはテンション上がる!
ちなみに後ろの金ピカは、金箔で作られた黄金の茶室です。なぜw

小野寺氏は元々、下野(栃木県)小野寺郷を本拠とした鎌倉御家人で、
奥州征伐の功により源頼朝から雄勝郡を与えられて以降、平鹿、仙北、由利と
領地を広げて繁栄し、400年にわたって秋田県南一帯を支配した一族です。

吸い寄せられる瞬間


甲冑だけじゃなく刀剣もこんなにたくさん!誰もいないからかぶりつきです。

小野寺氏って系図が複雑で、横手城に拠点を移した主流の仙北小野寺氏とか、
稲庭に残って城主になった弟?から続く稲庭小野寺氏とかの他もまだあった気が・・

だから刀剣や甲冑に誰所有とか伝わるみたいな説明は特になかったけど、
稲庭だけじゃなく、小野寺氏全体のゆかりの品々なのかもしれないね。
なんにせよ、一大勢力を築いて長く支配した家のすごさは分かります。

モヤモヤする瞬間


こちらは稲庭城主小野寺氏の位牌。ダレってのは書いてなかったんだけど、
後ろの写真が広沢寺の墓所なので、広道さんの位牌ってことなのかなぁ。

分かりやすかった瞬間


同じフロアにあった古城址鳥瞰図。今いる二の丸は左の長方形のとこ。
そして真ん中の郭が本丸ってことなので…ちょw 遠すぎ(*°∀°)=3

勝手にビビる瞬間


最上階の4階は展望室になってます。見晴らしはいいに違いない!
窓は開けていいんだけど、スズメバチが入るから必ず閉めてって…。

すがすがしくなる瞬間


田園の広がる先に山並みと集落。長閑で爽やかでなんて心癒される!
一瞬、戦国時代にタイムスリップしたような気分も味わえます。

長く勢力を拡大し続けてきた小野寺氏でしたが、戦国時代になると
拡大した領地に隣り合う領主と争いを繰り返し、次第に力を失っていきます。
そして天正18年(1590)秀吉の奥州仕置では領地の1/3を没収されてしまい、
さらに慶長5年(1600)には最上義光の侵攻をにより、諸城が攻撃を受けます。
稲庭城も城主小野寺道勝の奮戦むなしく落城し、後に廃城となりました。

最後の稲庭城主道勝さんは落ち延びたらしいけど、横手城の小野寺本家も
その翌年、関が原の戦いで上杉に味方した疑いで所領没収の改易ですからね・・

いろいろ気になる瞬間


模擬天守の正面にあるのが、二の丸の見張り台跡と夫婦松。
見張り台は説明がなかったけど、櫓とかあったのかもしれないね。

夫婦松は説明によると、落城して退去する時に城主小野寺道勝が
奥方の身代わりに植えたと伝わる松で、これは2代目とのこと。

折り返す気マンマンの瞬間


模擬天守前にある舗装路。山の上に建てるには道路から作るんだもんね。
ちょっと複雑な気持ち。あ、本丸に行くチャレンジャーはここからですw

汗ダクでそわそわする瞬間


帰りはスロープカーが上に来るまで、炎天下でたっぷり15分も待った。
暑いわ、時間のロスが気になるわ・・でも歩いて降りる選択肢はないけど(*°∀°)=3


よし。じゃぁ次は近くにある小野寺氏の菩提寺に行ってみるよ!


広沢寺にて小野寺道広のお墓参り〜に続く


Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.10.13 Saturday 17:23 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(秋田県) | 
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