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祇園城(小山城)に登城!

栃木県の祇園城(小山城)に登城!
わざわざ来るテンションは上がらないけど近くに来たのでこの際ついででΣ(゚Д゚)!

分かりづらかった瞬間


ナビに出ないので住所を打ち込んで付近を目指していたところ
城址公園の裏側にある住宅街の中の駐車場に連れていかれる。
あんまり燃えた登城じゃないから縄張図も持参していないし、
駐車場も公園付属の割に案内板もなく、とにかく表に廻ることに。

大通り沿いの思川にかかる橋のたもとにある城址公園の入り口。
石垣風に囲まれた坂を上ると本丸と言われている場所が見えてくる。

西の守りは完璧だった瞬間


祇園城は思川に沿って南北に広がる台地に造られたお城で特に西側は
川幅のある思川と川の浸食で切り立った台地の崖を利用した天然の要害。
今は大部分が住宅街になってしまい、公園内すら色んな施設が建っているけど
江戸初期の廃城直前には東西400m南北700mに及ぶ大城郭だったそうだ。

落ち葉清掃中だった瞬間


本丸の中央・・なんてことはないΣ(゚Д゚)! 周囲には西も東も
残っている土塁が見られるんだけど、この時はあいにくあちこちで
落ち葉の清掃中。邪魔しちゃ悪いな・・と思って遠目で見て終了。

祇園城は鎌倉幕府の有力御家人小山氏の居城で小山城とも呼ばれる。
11代義政の時、関東管領足利氏満に叛して滅亡。その後、室町幕府の配慮で
同族の結城氏から次男泰朝が祇園城に入り、小山氏を継いだ。
しかし戦国時代になってこの地に進出してきた北条氏照に城を明け渡し軍門に下ると、
小田原の役後、北条に味方したとして秀吉の怒りを買い領地没収、小山氏は追放された。

ちなみに氏照はここを攻める時、滝の城から出陣したの。

虎口らしかった瞬間


高い土塁があって大きな堀切にかかる赤い祇園橋を渡ると二の曲輪。
案内板を見る限り「虎口」どころかこの場所自体ノーマークなんだけど、
いろんな資料を見てみると虎口だったんじゃないか?的なものも多い。
まぁ虎口かどうかはともかくこの下にある空堀が素晴らしいのよ!

なぜ赤なのかは分からなかった瞬間


当時、ここはどんな種類の橋がかかっていたんだろう。
少なくともかけっぱなしの木橋じゃないよね。まして赤いはずはないw
岩槻城とかもそうだったけどお城公園の橋ってなんで赤が多いの?

巨大豪快だった瞬間


案内板には虎口や橋の説明はなかったけれど、この堀切については
「空堀(旧結城道)と書かれていた。城の当時から道としても使っていたのか、
廃城になった後、道として使われていたって意味なのかは分からないけど。
堀切の幅は10m、高さは6〜7mくらい。この突き当りは思川になっている。

小山氏がいたころからあった堀切なのか北条氏照が手を加えたものなのか・・
不勉強で分からないけど、どっちにしてもすごい堀切でびっくりしました。

セオリーでは読み切れなかった瞬間


本丸から祇園橋を渡ると左に馬出し、右が二の曲輪に続きます・・・
って馬出しは虎口の前にある防御施設なのに2手にわかれるの?
馬出しかすりもせずに二の曲輪に行けちゃうなんて変じゃない?
じゃああれはやっぱり虎口じゃない? それとも実は馬出しじゃないとか?
しろうとのワタクシにはまだまだまだまだ計り知れないお城の奥深い世界。

北条氏照プロデュースだった瞬間


馬出しと呼ばれている部分は方形で周りは広い空堀がめぐらしてある。
滝の城の空堀同様、規模が大きく、馬出しとセットだと北条スタイル全開!
祇園橋の堀切ほど深さはないけど当時はもっと深かったかもしれない。

首をかしげただろう瞬間


馬出しの北面の空堀は少し深め。幅は8mくらいあるかしら?

公園化された場所に来て土塁や空堀を見て最近とても思うのは
建物があるのがお城と思っていた頃だったら何を思ったかということ。
もちろんそんな頃にはそもそも登城すらしないわけなんだけど、
もし来ていたら「変な作りの公園ね〜」と不思議に思ったりして、
仮に案内板を読んで城だったと分かってもピンと来なかったと思う。
興味や知識を持つと楽しみ方が広がる。今にケバだらけの縄張図を見て、
脳内復元や脳内攻防再現がさらっと出来るようになるといいけれどw

熊本城を思い出した瞬間


二の丸には公孫樹の古木がどーんと立っていました。
祇園城落城の際、古井戸に身を投げて亡くなった姫君の霊がこの木に宿り、
実を結ぶことがないという伝説があり「実なしいちょう」とも呼ばれるそうだ。
高さ10メートル。1800年代に書かれた書物ですでに「古木」と書かれていたらしい。
あもはほんの1月前に見た熊本城の清正お手植えの大イチョウを思い出すばかり。

分かるのはここまでだった瞬間


二の曲輪と三の曲輪、四の曲輪の間にある空堀。正面は公孫樹の木。
ナビに連れてこられた四の曲輪側にある公園駐車場に戻ります。

橋の東西は対称的だった瞬間


二の曲輪から見て東にある四の曲輪側の空堀はそこが平らな箱堀。
深さは5m前後くらいだと思う。家が何軒も建てられそうな広さ。
頑張って掘った感じがします。でも三の曲輪側の空堀を見ると・・・

自然を使っちゃいました!だった瞬間


四の曲輪側とは全く違い谷を利用した野趣あふれる天然堀!
木や草もあるから深さが分かりづらいけどそこそこ深いの。

三の曲輪や四の曲輪も土塁や空堀、堀切が残っているけど
始めに見た案内板にはこっち方面については大した説明もなかったし、
記憶した案内図は見どころ見るうちうろ覚えになってきたし・・

帰ってきて資料を見たら行かなかった曲輪にもうひとつ馬出しがあったり、
小山氏累代の墓所がある天翁寺とかも敷地続きにあるとのこと。惜しい!

しょっぱい城だと思って何も準備しないで来たあもが悪いんだけど、
こんなに立派な遺構が残っていて公園としても整備しているんだから
もう少し案内板とか各所の説明を充実してくれるといいんだけどなぁ。

やっぱりどんなに大したものがなさそうなお城だとしても
登城するからには簡単な下調べはしておいた方がいいね。

まぁ今回は仕方ない(すでに何度かやらかしているが)。
次は本日のメインキャッスルである唐沢山城に向かいます!!


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2010.11.07 Sunday 20:01 | - | - | 関東(栃木県) | 

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