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唐沢山城に登城!

関東七名城のひとつ 唐沢山城に登城!


遺構の状態の良さと見どころの多さで有名な関東屈指の名城。
来てみたかったお城にやっと登城することが出来ました。

期待が高まる瞬間


唐沢山城の登城と言ったら大手枡形の食い違い虎口から。
観光さんはジロジロ見る人もなく普通に通り過ぎていきますw

ちょっと残念だった瞬間


食い違いをじっくり・・・といっても石垣は明治に修復されたもので、
さらに昭和に入って車乗り入れのための拡張で石垣も積み直されたらしい。

天狗には見えなかった瞬間


食い違い虎口を入ってすぐに見えるのが天狗岩。
当時はここを登った岩場に物見櫓が建っていたのだとか。
物見櫓のあった場所にも行くことが出来るんだけど、
どうやらそこは岩の突き出た断崖らしいので遠慮しておく。

お告げのとおりだった瞬間


大炊の井と呼ばれる井戸。築城の際、厳島大明神に祈願をして、
霊夢により掘ってみると水が湧き出たとの言い伝えがあり、
今日まで水が枯れたことはないそうだ。直径7〜8m? 結構大きい。

水琴窟また聞いちゃった瞬間


現在は神社っぽい建物がある天徳丸(西城跡)にあった水琴窟。
武田神社同様、誰もいなかったので聞いておいたw
今回は準備万端、案内図持参で来たから縄張全部丸わかりよ!!

石橋ではなかった瞬間


主郭のある城山に入る部分に設けられた堀切・・四ツ目堀。
当時は木造の曳き橋が架けられていて、謙信が攻めて来た時は
ここで橋を引き揚げて侵入を食い止めて守りきったのだという。

最大だった瞬間


神橋のかかった四ツ目堀は唐沢山城で最大規模の空堀で、
今は幅8mくらいかな・・当時はもっと深かったそうだ。
城山側は高い崖になっていて四ツ目堀の奥には竪堀もある。
この辺りで徹底ガードしますよ〜って雰囲気がぷんぷんします。

まずは三の丸を目指す瞬間


唐沢山城は年配のご夫婦や家族連れなど普通の観光さんが多い。
神橋を渡ってまっすぐ行くと唐沢山神社、左へ上ると三の丸方面。
予想外に人多いわ〜汗かくわ〜と思ったらほとんどの人は神社へw
この辺は当時のままっぽい荒々しい感じが残っていて素敵ですよ。

ただの広場だった瞬間


三の丸は唐沢山城で最大の広さがある曲輪だったそうだ。
当時は御使者の間という応接所があり、侍の詰所や馬舎もあったという。
今は人形塚があって人形祭りの旗がぽつーん・・・藤棚もあったけど。

苔むし具合が素敵な瞬間


三の丸の奥にある武者詰と呼ばれる帯曲輪側からではなく、
本丸の高石垣が見えるルートから二の丸に移動。
鬱蒼とした木陰で見る苔むした石垣って廃れた感が出てていい。
写真右が二の丸虎口に続くんだけど枡形はなく直進でGoですw

石垣残っていた瞬間


本丸の西に位置する二の丸。石垣で囲まれているのが見えます。
奥御殿直番の侍者が詰めた所だけど、今は神楽殿が立っているだけ。

いざ本丸の瞬間


二の丸に続く本丸の搦め手口にあたる部分から神社のある本丸へ。
ここも石垣でがっちり。本丸の石垣はすべて当時のままなのだそうだ。

ライトアップされるらしかった瞬間


搦め手を上がって鳥居をくぐった虎口の石垣。
今は唐沢山神社となっている本丸跡。夜はライトアップされるのねw

唐沢山城は平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷(俵藤太)が築城したと言われ、
戦国時代には秀郷の子孫にあたる佐野氏が居城としていた。
当時、北関東は上杉氏と北条氏の勢力争いの最前線であったため
唐沢山城は10数回もの攻撃を受けたが、落ちることなく耐えた。
関東七名城のひとつで関東には珍しい石垣の城。

佐野氏は小大名ながら時には上杉、時には北条と和議を結ぶなど
外交戦術を駆使して生き残り、関ヶ原の戦いでは東軍に味方して家名を保った。

藤原秀郷が守護神だった瞬間


この唐沢山神社には平将門の乱を平定した藤原秀郷が祀ってある。
藤原秀郷 の遺徳を偲んで明治16年(1883年)に創建されたそうだ。
二の丸三の丸の方は人が全然いなかったけど神社は観光さんがちらほら。

イメージはわかなかった瞬間


神社の表参道は当時は引き局と言われ、奥女中達の詰所だったところ。
今はごっつ神社の風情で灯篭や鳥居が立ってイメージしにくいけれど。

眺望最高ー!だった瞬間


本丸は木々に囲まれ下界が全く見えないけれど、
少し降りたところにある南城跡からの眺望は最高!!
平野は丸見えだし、写真には映らないけど肉眼だと遠く正面に
かすかだけど東京の高層ビル群も確認できるの。

でもこの眺望の良さが唐沢山城を廃城に追い込んだと言われている。
ある時、唐沢山城から江戸の火事を見た佐野氏が江戸に駆けつけたところ、
家康に江戸を見下ろす場所に城を構えている事を咎められ佐野移封となり、
後に佐野城と領地も没収され改易となった。そして唐沢山城は廃城。

火事を見て江戸に駆けつけたところでどうにもなるまいに・・
忠義が裏目ったのか、打算が裏目ったのかは分からないけど。

ひっそりだった瞬間


本丸の裏手にある車井戸。別名かんかん井戸とも呼ばれたらしい。
茶の湯に使われた井戸で深さは25メートル。竜宮まで続くと言われたそうだ。
網の間から底を覗いてみたけれど水もあって暗かったけど深そうではあった。

見る影もなかった瞬間


薬草を作っていたというお花畑跡。めぐらせた土塁は残っているけれど
今は単なる空地のようになっていてここ自体はあまり見る影もなし。
お花畑周辺と本丸あたりに見える堀切や竪堀の方が目立つしw

見る影もなかった瞬間その2


宝蔵があったことから金の丸と呼ばれる曲輪跡。
土塁が多少残っているけどロッヂが建てられていて雰囲気いまいち。
しかもこのロッヂ今は使われていないらしくボロボロで見栄えもいまいち。

御殿というには・・だった瞬間


狭いけど引き局の横にあるのは表御殿跡。
何があるというわけじゃないけれど本丸の石垣がいいですw

調教していた瞬間


二の丸の下に設けられた三ツ目堀。上に見える橋は三の丸から
二の丸に行く時に通ったところ。ごっつい竪堀になっています。
当時はここに桜馬場(さくらのばば)と呼ばれる帯曲輪があり、
馬の調教が行われていたのだとか。神社に直行する観光さんは
この桜馬場の案内板が見える参道を通って行くことになります。

唐沢山城は体力も全くいらないし、苦労ないわりに見どころありあり。
残っている石垣もいいし関東七名城にふさわしいお城だな〜と思いました。
近所の佐野城は残っているけど・・栃木はこれで一応一区切り。

次はいよいよあもの空白地帯、静岡攻略に着手しますw



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2010.11.10 Wednesday 22:31 | - | - | 関東(栃木県) | 

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