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掛川古城に登城!

竹の丸から1本道に住宅街を歩くこと3分。掛川古城に到着!

手作り感満載だった瞬間


住宅街の並びに丘があり、その入り口に手書き看板を見つける。
天守から位置を確認していても看板なかったら見逃しそうなこじんまりさ。

っていうか、あたし天守に登った時、うっかり富士山の位置ばっかり
ガイドのおじさんに説明されていて、他の方角は全部風景を撮ったのに、
富士山が見える方角と同じ方から見える掛川古城を撮り忘れたわΣ(゚Д゚)!
こんもりした子角山(ねずみやま)と、そこからちらっと龍華院大猷院霊屋
の屋根が見えたからおじさんに確認までしていたのに!!

テンションはそんなに高くなかった瞬間


せっかくだから古城の方も見ておくか的な感じで登城しているw

掛川古城は文明年間(1473年頃)駿河守護今川義忠が重臣の朝比奈奈泰熈に命じて
造らせたのが始まり。朝比奈氏は3代続くが途中、現在の掛川城に城を築いて移り、
掛川古城は出城として残されていた。永禄3年(1560年)、桶狭間の合戦により
今川義元が討ち取られると、武田・徳川から攻められた駿河の今川氏真は城を捨て
掛川城に逃げ込み籠城。城は落城せず最終的に氏真の助命を条件に開城された。
掛川古城はこの時、徳川家康が本陣として使用したという。別名、天王山城。

ごますり効果も台無しだった瞬間


小山を登ると龍華院大猷院霊屋(りゅうげいんたいゆういんおたまや)がドーン!
これは掛川藩主北条氏重が三代将軍家光を祀るため幕府に願い出て建てたもの。
一説によると女子ばかりで後継ぎのいない氏重が、お家断絶を免れるため、
幕府へごますりで建てたものだと言われているらしい。お金をかけて立派な
霊廟を造ったもののごますり効果は一切なく、氏重の死後、家は断絶となった。

その後、この霊廟は火事で焼失し、1818年当時の城主であった
太田氏によって再建されたものなのだそうだ。

漢字が読めなかった瞬間


アルファベットの表記がなければ、説明文の振り仮名がなければ
子角山と書いて「ねずみやま」だとは読めなかったと思うわw
霊廟のある場所が本曲輪で朝比奈時代の土塁や堀切は残っています。

空堀は見えた瞬間


霊廟の東側に土塁と空堀がよく残っていました。
掛川古城の空堀もちろん当時はもっと深かったんだと思うけど、
古城のアピール少ない割に整備は微妙にしてあるみたいw

説明書きはなかった瞬間


霊廟の裏手にはお墓やら供養塔やらがずらりと並ぶ。
本曲輪内は子角山と霊廟の説明板がそれぞれあるだけ。
せっかく掛川城とセットであるのに古城は最低限って感じが残念ね。

お肌ボロボロだった瞬間


紫外線きっついわ〜肌めっちゃ乾燥するわ〜ボロボロだわ〜

という心の声が聞こえてきそうな大仏様も鎮座しています。
いつからあるのか、なぜ大仏なのか・・謎に包まれた大仏様ですw

さらば掛川城の瞬間


掛川城と古城をセットで堪能し、なんだかんだ3時間近く費やしてしまったw
本当はせっかく掛川に来たのだから次は高天神・横須賀城攻略のつもりが、
この日、何だか知らないけど異様に暖かく、完全に装備を間違えたΣ(゚Д゚)!

風邪気味の鼻ったれ登城なのでむやみに汗をかいて悪化したら大変。
高天神・横須賀城は次回持越し、小山城田中城を攻略することにします。


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2010.11.26 Friday 23:10 | - | - | 中部(静岡県) | 

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