<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
<< 駿府城に登城!〜家康公像とお手植えミカン編 | main | 山中城に登城!〜その2 >>

山中城に登城!〜その1

駿府城から東海道を通り山中城までやってきました。

日本100名城40番 山中城に登城!


敷地内に国道1号線が通る山中城。東海道を取り込んだ縄張だったから
ある意味リアル。国道通す時、ばりばり破壊されないでよかったよ。
岱崎出丸入口の売店に車を停めて100名城スタンプとパンフレットをもらい、
まずは国道を渡って最大の見どころ、障子堀のある本丸側からスタート。

期待が高まる瞬間


売店側から国道を渡ると三の丸跡広場。そこから三の丸掘沿いに登って行く。
三の丸の西側にある堀の長さは180m。最大幅30m。山中城に石垣は一切なく、
土塁と空堀の圧倒的土木量と北条プロデュースの縄張をがっつり見ることが出来る。

飲めそうにはなかった瞬間


田尻の池。盛り土によって区切られた池で雨水や湧水を貯めて
飲料用にしていたそうだ。山城では水の確報は超大事!

今朝は登城寸前まで豪雨だったから土だらけの山中城はどろどろ。
池もそうとう濁っているけど普段はもう少し綺麗なのかしら?

念入りだった瞬間


田尻の池のすぐ上には箱井戸もある。箱井戸からあふれた水は田尻の池へ。
田尻の池からあふれた水は三の丸堀へ流れる排水の仕組みが出来ている。
箱井戸の向こう正面を登っていくと二の丸だけど、まずは西の丸へ。

重要だったと思われる瞬間


元西櫓下の堀。丸く刈り込まれた木のおかげで分かりづらいけど、
ここは堀底に近く、400年前の当時はもっと急斜面だったそうだ。

ドロドロツルツルだった瞬間


土だらけの城だから雨上がりはどろどろつるつる・・・
スニーカーのまま来たけどトレッキングシューズに履き替えた方が楽だったかも。
濡れた落ち葉も微妙に滑るので足に変な力が入って疲れます。
でもこの先に見事な障子堀が待っているのでガツガツ進みますw

かわいそうすぎた瞬間


売店でもらったパンフレットの地図をたよりに障子堀や畝堀が満載の西の丸へ。
と、そこで目に入った「改修工事中」の立て看板・・山中城もだなんて!!
しかも一番肝心な西の丸周辺だけ。障子堀が見えるコース付近だけ立ち入り禁止。

駿府城の坤櫓の石垣が修復中で見れないのとは残念の度合が違う。

誰もいなかったら一時モラリスト撤回して侵入しようかと思ったけれど、
工事のおっさん達が数人、打ち合わせでたむろっているため敢行ならず・・orz

・・・・うわーんうわーん。

障子堀見られない。畝堀しか生で見られないよぅ。

執念深かった瞬間


泣きながら模擬冠木門をくぐり出丸である西の丸へ入ります。
西の丸の周りは全部、畝堀と障子堀だから上からなら見れるかも。

広大だった瞬間


西の丸は広さ3400屬旅大な曲輪で山中城の西方防御の拠点。
左の盛り土が積まれた見張り台から続く土塁で囲まれている。
その土塁の上に登って堀がばっちり見えるところを探してみるけど
木が邪魔したり、角度的に厳しかったり・・がっちり見えるのはどこだ?

上からは難しかった瞬間


こんなところが限界だった・・やっぱり障子堀をばっちり見るには
堀の周りをうろうろした方がいいらしい。立ち入り禁止ほんと残念。

ただ土を積んだだけじゃなかった瞬間


見張り台に登っても高さや斜面の具合で思うようには見えない感じ。
見張り台は発掘の結果、基底部と肩部を堅固にするためロームブロックと
黒色土を交互に積んで補強してあることが分かったそうだ。
・・ロームブロックって何? よくわからないけど念入りな造りなんだねw

執念を感じる瞬間


谷を盛り土で仕切り人工土手を作って深い堀にした溜池。
この溜池に本丸や北の丸の堀水や、西の丸や西櫓の排水が流入する仕組みで
発掘の際、4m以上掘っても池底に達しなかったそうだ。
水は山城の生命線。水の確保を頑張ったことがよくわかります。

予定では障子堀や畝堀のあたりで小一時間はうっとりする予定だったのに、
工事中の立ち入り禁止で台無しになったためあっさり西の丸を後に。

並んでいた瞬間


箱井戸のところに戻り、二の丸へ行く前に宋閑寺へ寄ります。
ここには北条方と豊臣方の武将の墓が並んで建っています。
真ん中にあるのが岱崎出丸から三の丸を攻めた豊臣方の一柳直末の墓。
左奥が北条方の城将の墓。敵味方だった武将の墓が並んでひっそりと。

あまりにもひっそりとしていた瞬間


山中城は永禄年間に後北条氏が築城し、天正17年秀吉と不仲になった際、
小田原攻めに備え急遽、堀や岱崎出丸の整備、増築が行われた。
しかし増築が未完の天正18年3月、豊臣軍4万の総攻撃を受け、
北条軍4千の必死の防戦むなしく半日で落城したと伝えられている。

その当時の城主松田康長、副将で岱崎出丸を守っていた間宮康俊の墓。
山中城攻防は小説やCG復元みたいな雑誌も何冊か読んだけど、
増築が完了してて北条方の兵力がもう少し多いとどうだったのかしら?
かなり堅固な造りだから兵力はたとえそのままでももっと粘れたかも。

力攻めした豊臣方も被害が多かったみたいだから半日とはいえ、
想像以上にものすごい壮絶な戦いがあったのだろうなと思う。
壮絶な討死を遂げたに違いない山中城将。何となく合掌です。

完璧だった瞬間


箱井戸のところに戻り、今度は二の丸へ。まずは二の丸虎口から。
三の丸から長い道を登って大土塁に突き当たった右手が最大の曲輪二の丸。
土だけだけど横矢もかかってばっちり防御。北条スタイルだから抜かりはありませんw

元西櫓側から二ノ丸虎口を見た瞬間


二の丸虎口の左には元西櫓と区切る堀があり、そこに架け橋が復原されている。
遺構を保護するため盛土して本来の位置より高くかけられているそうだ。

厳重だった瞬間


元西櫓の先にある西の丸が落ちたらここで食い止める感じなのね。
橋の下には畝のある深い堀が。当時はもっと深かったんでしょう。

最大だった瞬間


二の丸は尾根を切って構築された山中城で最大の広さを持つ曲輪。
斜面のまんまで普段の生活も戦闘時も微妙に動きづらそうな・・。

本丸付近さらに防御重視だった瞬間


二の丸と本丸の間の堀にかかる本丸西橋。半分は土橋で、
いざという時には木橋部分を堀に落とし本丸への侵入を防ぐそうだ。

敵は日照だった瞬間


その橋の下にある本丸堀は深い畝堀。・・・これだけでもすごいけど
見ると西の丸の障子堀だらけが見られないこと改めて残念に思われる。
3時近く日が傾き始めているのでいい写真も撮れないしヽ(`Д´)ノキー!

狭すぎた瞬間


本丸狭ーーっ!! 土塁や堀に囲まれて防御はばっちりだけど、
生活するそれなりの建物とかあったらぎゅうぎゅうなんじゃない?
藤棚のところに本丸広間があったらしいけど・・でも狭い!!

天守櫓跡も狭かった瞬間


狭いし何もない天守櫓跡。天守なんかもちろんなかっただろうけど、
ちょっとした櫓を建てたらいっぱいいっぱいの狭さ。櫓というより
街道に近いから見張り台みたいな感じの建物があったのかも。

北条スタイルここにもだった瞬間


北の丸との間にある堀。畝はないけど深く幅があり急な空堀。
日暮れの時間が心配で何もない北の丸には行かなかったけれど・・。

どちらにしろ広くはなかった瞬間


本丸の一段下には兵糧庫があったと言われ、発掘された柱跡の礎石が見れる。
兵糧庫の周りも土塁があって、縄張図を見るとここも本丸の一部のようだけど
土塁で区切られ3段になっているので結果、どちらにしろ狭いみたいなw

本丸には暗い&高すぎるアングルで写真には撮れなかった矢立の杉や
駒形諏訪神社などもあります。この後は岱崎出丸方面を見るんだけど、
上り下りの多い城内来た道を戻って岱崎出丸に行くのはつらすぎるので、
あもはここで国道1号線に出て通り沿いを歩き、岱崎出丸に向かいます。

山中城に登城!〜その2に続く



*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング
2010.12.11 Saturday 17:59 | - | - | 中部(静岡県) | 

スポンサーサイト

2020.02.14 Friday 17:59 | - | - | - |