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2020.02.14 Friday  | - | - | - | 

佐倉城に登城!その1

日本100名城20番 佐倉城に登城!&千葉初攻略w

すっきりしていた瞬間


朝8時前、自由広場に到着。寒いけど車を停めて完全防備で登城開始。
まずは自由広場横の三の丸空堀から。大きくて立派な空堀。
明治時代は陸軍連隊が駐屯してたから改変されちゃってるんだって。
今はのっぺりしてるけどもっと起伏があったりしたかもしれない。

見る影もなかった瞬間


三の丸の門跡。三の丸は堀で仕切られた独立した曲輪で、
三の丸御殿や上級家臣の屋敷なんかが建っていたそうだ。
当時は櫓門があり、広小路を抜けて大手門に続いていた。

説明書きがなくて困った瞬間


どう考えても意味ありげな盛り上がり・・しかし説明一切なし。
登ってみると高い建物のない田畑中心の風景が丸見えだから、
見張り台だか見晴らし台だか櫓か・・そんな感じたったのでは?

見なかったことにした瞬間


三の丸と本丸の裏手にまたがるようにある南出丸への入り口。
行ってみようかと思ったけどちょっと行くとそこそこ急な斜面・・。
城内図を確認すると蛇行の末、距離もそこそこありそうな。
ということでここは見なかったことにして次に進みますΣ(゚Д゚)!
ちなみに下まで深そうですが浅間坂というんだそうな。

幕末はピンと来なかった瞬間


開国の父、堀田正睦さん(1810〜1864)の銅像。
わたくし幕末はとんと不勉強で教科書+薩長新撰組程度の
知識しかなく全く知らなかったですが有名な人らしいですね。佐倉藩に西洋の学問を奨励し、
幕末期の老中として動乱の日本を開国に導いた佐倉藩主なんだそうです。
重臣クラスで堀田○○守とか耳にするけど、佐倉城主も家名だけで、
実際、堀田さんよく知らなかったのが現状。勉強になりましたw

想像力が大切だった瞬間


堀田さんの建っている後ろが二の丸で、ここに二の門跡があります。
本瓦葺二階造り、梁間三間、桁行八間の立派な門は本丸から大手に至る
第二の門で「二の御門」と呼ばれて武器庫を兼ねていたそうだ。

今は公園化され佐倉城址公園になっている城内。
舗装された散策路に惑わされると配置を考えると想像しにくい。
散策路は無視して門や曲輪、空堀を脳内復元しないとダメですw

ジャングル状態だった瞬間


二の丸の空堀。やりたい放題のび放題のヤブヤブ状態Σ(゚Д゚)!
実際のその場に立てば配置も規模も分からなくはないけど、
せっかくだからもう少し何とかならないのかなと思っちゃう。
保存の観点とか予算とかいろいろあるんだろうけど・・惜しいなぁ。

ラブリーだった瞬間


空堀の猫三匹衆w 日向でもないのに、ふきっさらしなのに、
寄り添ってたくましく城に住まう猫たち。猫好きなので思わずw
公園内に猫が多いようで、餌をやるなという歴博の看板が立っていました。

特徴だった瞬間


ヤブヤブを見ながら本丸入り口までやってきました。
木造本瓦葺、二階造り、梁間四間、桁行八間の一の御門。

佐倉城は三の門、二の御門、一の御門と配置は直線上にある縄張が特徴。
でも空堀や枡形構造、横矢ですんなり侵入されないよう構造のようです。

惜しまれる瞬間


二の丸も案内板には当時の写真が載っていたけれど、
こんな立派な門が明治初期には残っていたのよね。
せっかくすごい遺構が残ってるんだからせめて門のひとつくらい
ボロボロでも残っていればよかったのに!と思わずにいられない。

土塁ウォーキングだった瞬間


で、その一の門跡から本丸の土塁を見たところ。
犬の散歩は本丸ドッグラン、散歩とジョギングは土塁へゴー!
次々くるおじさん、おばさんが軽快な足取りで土塁上へ。
本丸の周囲はぐるっと土塁が廻っているので立派だわ〜なんて
寄ってくる散歩中の犬にかまわずジロジロ眺めていたのだけれど、
おじさんたちにつられ、あももいざ行かん土塁ウォーキングへw

やっぱりジャングルだった瞬間


健康のために歩いているわけじゃないので空堀眺めつつのんびりw
しっかしヤブヤブだわ〜もっと堂々と空堀をアピールしてほしいわ〜
写真じゃわかりづらいけど結構、深さもあるのよ。竹よりもっと底に。

本丸を眺めた瞬間


広い本丸。右奥の濃い緑で囲まれたところが天守跡。
当時は三層四階の天守があったという。模型は管理センターで見られるけど、
この場所に案内板がないの残念。1830年、失火で焼失したそうです。

ボロかった瞬間


銅櫓跡。ここにあった銅櫓は土井利勝が将軍より拝領し、江戸城吹上庭内より
移築したもので太田道灌が造ったとも言われているそうだ。

佐倉城は1610年、土井利勝が3万2400石で入封し廃城となっていた鹿島城を改修。
江戸東方の守りとして関東屈指の壮大な城郭で、家康は築城にあたり、
この城の要害堅固さに天下の名城たらんと督励したという。

銅櫓も明治の初期まではあったみたいで案内板には写真が載っていた。
銅瓦葺、六間四方、二階造り・・壁は板張り。当時で相当ボロそうだった。
佐倉城、建造物の復元とかはしないのかしら? でも空堀もそのままだし、
何も引かない、何も足さないって潔さでずっと保存されるんでしょうね。
歴博前の馬出しは復元されてるそうで、それは楽しみですがw

さっぱりわからなかった瞬間


詳しい説明の載った案内板がないので不明門跡としか分からず。
それなりの門があっていわゆる開かずの門だったのだろうと想像するばかり。
市史にはある程度のことが書かれているらしいのでぜひ案内板の設置を!

この近くには隅櫓跡もあるんだけど、1本ずつ黒いカバーのかかった
変な植木の保護ゾーンが広がっていて上手い角度で写真が撮れず・・。

ろくなもんじゃなかった瞬間


二の丸に戻って来ました。ここでは佐倉城の礎石を見ることが出来ます。
明治政府は陸軍を駐屯させるにあたり、惜しげもなく佐倉城を壊し、
なんとその礎石を兵営の基礎に使ったのだそうだ。明治政府絡むと
お城にとってろくなことないね。熊本城も天守焼かれちゃったしね(怒)

さぼりすぎてはいけなかった瞬間


距離が長く険しそうな南出丸は遠慮したけど西出丸は行ってみることに。
正面に見えてきた歴博を横目に、へび坂と言われる道を進みます。
空堀の斜面を見ながら歩幅のおかしな階段を使っててくてく坂道を降り・・

雨上がりじゃなくてよかった瞬間


軽くハイキング風な道をたどって水堀に囲まれた出丸に向かいます。
雨上がりだったら泥だらけになりそうな道。霜もなくてよかったw

堀底みたいだった瞬間


土塁に囲まれた出丸。土塁の向こうは水堀。後ろの本丸は結構高い。
佐倉城、石垣とかは一切なく気張った感じは全然しないけど、
縄張を見るとすわ一大事の時の戦闘モードな要素満載。さすが江戸東の守りw

土塁ウォーキング再びの瞬間


さすがにここは誰もいないけど水堀見ながら土塁ウォーキング。
水堀は深さは分からないけどそこそこ幅もあっていい感じ。

ぱっと見、日本昔話風だった瞬間


水堀越しの風景。門の左側が西出丸、右奥は本丸側。
なんか里の山寺みたいな雰囲気になっちゃってるけど城ですよw

さりげなさすぎた瞬間


山寺風にすっかりなじんでいたこの門、移築門らしいです。
出丸から出るのに見た時は「なんでここだけ門?」と不思議に思い、
戻ろうとして何気なく門の上を見るとさりげない注意書きがΣ(゚Д゚)!

目立たなすぎだった瞬間


昔、城内にあったものらしい。どこの門か分からないにしても、
移築なんだったらもう少し目立つところに説明おけばいいのに。
あまりに奥ゆかしすぎて危うく見落として山寺風にするとこだったわw

ちなみに門内の天井近くにかかっています。登城する方、ぜひご一読をw


佐倉城へ登城!その2へ続く

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