<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
<< 千葉城に登城! | main | 杉山城に登城!その1 >>

畠山重忠公史跡公園と満福寺

[畠山重忠] ブログ村キーワード

冬枯れのこの時期にこそ登城しておかねばと思い立ち、
国史跡、比企城館跡群の杉山城松山城に登城することに。
でも近くには畠山重忠公史跡公園があるので登城前に寄り道。

何だか立派だった瞬間


畠山重忠さんは鎌倉時代の武士で源頼朝の信頼が厚かった御家人。
武蔵七党の一つとして先日登城した千葉城の千葉常胤さんと共に頼朝を助け、
木曾義仲追討では先陣を務めてこれを破り、義経に従って平氏討伐にも参戦。
文武両道で忠誠心の厚い坂東武者の見本のような素敵な武士なの。

かっこよすぎた瞬間


一の谷合戦の鵯越(ひよどりごえ)の逆落しの際、自分の愛馬三日月を
背負って斜面を降りたという有名なエピソードが残る重忠さん。
普通にありえないからせいぜい馬を降りて労わりながら降りたんだろうけど、
強くて人柄がよく慕われていたからこそ残る逸話なんだろうと思う。

鎌倉武士とか坂東武者っていまいち人気がない感じがするし、
ワタクシ自身も戦国ほど覚えた知識や興味があるわけじゃないけど、
足利氏館菅谷館に行ってから畠山重忠さんが何だか気になり、
知れば知るほど好きというか、気になる武士になっているんです。

非業の最期だった瞬間


重忠に信頼を寄せていた頼朝は死に際し、頼家を重忠に託しましたが
頼朝亡き後、実権を握った北条時政にとって重忠は邪魔な存在。
鎌倉由比ヶ浜に謀反ありと告げ、菅谷館にいた重忠をおびき出し、
北条軍1千騎の兵で待ち構え、だまし討ちにしました。

この時、重忠の手勢は郎党130騎。館に戻ることをよしとせず、
この地を一歩も動かず戦い、誉れを後代に残そうと郎党を諭し、
多勢を相手に夕刻まで戦い続け全滅。1205年6月22日、享年42歳。

北条軍として参戦していた御家人の中には重忠に恩ある者も多く、
戦いに積極的でなかったばかりか後味の悪い思いが残ったのだとか。

重忠が最期を迎えた地は神奈川県の二俣川の万騎が原だけど、
生まれた地である畠山館跡の公園だけに慰霊碑が建っています。
重忠みたいな武士のあっけない最期が残念すぎる気もするし、
清廉で潔い生き様はあっぱれ、名が残るのが納得な感じもする。

ちなみにアフォの北条時政はその後ほどなく失脚。ざま〜みろ〜!!

まつられていた瞬間


埼玉県指定史跡である畠山重忠の墓。五輪塔六基。
重忠主従六基の五輪塔を墓碑として祀ってあります。
賽銭箱の上には新しいワンカップとお菓子が置かれていました。
真剣にお参りする人の存在を知り、ワタクシも真剣に合掌。

ヒーローだった瞬間


中には入れないから扉の隙間から拝見。綺麗にされていることや壁にかかった書状などから
地元の人に今でも大切にされているんだなと感じました。ここで地元の人らしきおっさん2人連れに遭遇。

「おねえさん桜の観測でもしてるの?」と聞かれ・・はて?
「史跡めぐりしてます」と言ったら「おお、ご立派!」と去っていった。

なぜに桜の観測なのよ。桜どころか木とか見てないし・・Σ(゚Д゚)!

昔からずっとだった瞬間


板石塔婆には1304年卯月9日の記念銘と光明真言の梵字が。
重忠の百年忌にあたって建立されたものと伝えられているそうな。
今はもちろん、重忠は昔からずっとずっと慕われているんだね。

場所が分からず行けなかったけど、この公園の近くには
重忠生湯の井戸や唱を詠んだ鶯の瀬という場所があるらしい。

時ならぬ岸のおささのうぐいすは あさせたづねて鳴き渡るらん

洪水で川を渡れずにいたら鶯が鳴いて浅瀬を教えてくれたらしいよw
重忠は鶴岡八幡宮で静御前が舞う時に銅拍子やったりしたみたいだから、
文武両道で強く賢いだけじゃなく風流の才もあったのかもしれないね。

実山宋眞大居士だった瞬間


畠山重忠公史跡公園のすぐ近くには重忠の菩提寺である満福寺があります。
正式な名前は白田山観音院満福寺。真言宗のお寺で鳥羽天皇の頃建てられ、
後に重忠が再興して菩提寺にしたそうだ。重忠の位牌があるらしいです。

立派だった瞬間


お墓詣りの人もいなくてひっそりとした境内。立派な本堂です。
住職さんとかウロウロしてたら絶対、お話を聞きたいところだけど
人の気配がまったくないので墓地ゾーンには入らないようにして
お目当ての重忠廟の碑を探すことにします。

残念すぎた瞬間


墓地を挟んで本堂の隣にある観音閣には重忠の守本尊である
等身大6尺3寸の千手観音もあるのだとか・・エッΣ(゚ロ゚;) 6尺3寸?
等身大って重忠さんのこと? だとしたら180センチ越えでしたか!! 

む〜ますます素敵すぎるわ。本多忠勝、加藤清正に通じるものがw

中は覗きようもなく御開帳の時じゃなきゃ見られないだろうけど、
知らなかったら通り過ぎていただろうから下調べしといてよかったわw

発見の瞬間


観音閣の右奥にある重忠廟碑。菩提寺というけれどお墓はないみたい。
公園で見たのも祀るための墓碑。本物のお墓はどこにあるんだろう?
でも少なくとも重忠もこのお寺には来ただろうから妄想すればいいかw

鶯の瀬とか産湯の井戸の場所は調べてなくて分からなかったけど、
帰宅後、気になってネットを調べたら、なななんと満福寺のすぐ隣に
井椋神社があり、そこも重忠ゆかりの地らしかった・・・orz
次に行く杉山城のナビ見てたから隣にあっても目に入らなかったし。

さてさて、次は本日の大本命、杉山城に向かいます。
ワタクシのナビでは直接、出せないから玉ノ岡中学校目指して30分。
中世城郭の教科書と言われる縄張を見るのが楽しみだわ!!




*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング
2011.02.06 Sunday 19:52 | - | - | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

スポンサーサイト

2020.02.14 Friday 19:52 | - | - | - |