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丹波亀山城に登城!

篠山城の次はちょうど昼食時なので亀岡市に移動して亀岡牛をいただきます。

さっぱりタイプだった瞬間


遠征に来た時はご当地牛を食べるのも楽しみのひとつ。亀岡駅前の「牛楽」さんで
昼間っから限定〇食というステーキをいただきました。暑いから体力つけな・・。
亀岡牛は柔らかいけど脂の甘みがさっぱり。やっぱ育て方によって肉って変わるわね。

おっかなびっくりだった瞬間


亀山城に到着・・・下調べで知ってはいたけど雰囲気がいつもと違ってちょっとドキドキ。
現在は宗教法人「大本」の所有地になっている丹波亀山城。駐車場に車を停めて
誘導のおじさんに聞くと、まず正面の「みろく会館」で受付をしてくださいとのこと。
物珍しくてキョロキョロしながら建物に入り、すぐ左手の受付に声をかけ、お帳面に記名。

思わず拝みそうになった瞬間


受付の女性がパンフレットをくれ、道順や石垣の見どころなどを丁寧に説明してくれた。
「暑いので熱中症が心配ですから、よかったら各所に置いてある冷水をお飲みくださいね」

んま〜なんて慈悲深い!! 拝観料も取らず一般人にも城跡を公開してくれる上、
見学者用のパンフレットまで用意して、熱中症の心配までしてくれるだなんて!!
これが京都市内だったらあなた、間違いなく拝観料300円は取られてるわよw

郷に入れば郷に従うだった瞬間


天守石垣は「天恩郷」と呼ばれている大本の聖地の中にあるので登城者も
神殿でお祓いを受けてから見学をさせてもらう。手水場で清めてたら「万祥殿」に行き、
玄関先でお祓いを受けてから見学してくださいと言われたので仰せの通りに。

神殿に入る橋の下は空堀で天下普請刻印のある石垣が残っているので帰りに寄ることに。

色々なドラマの末だった瞬間


丹波亀山城は信長の命を受けた明智光秀が、丹波攻略の拠点として築城した城。
本能寺の変の前、坂本城を出て愛宕山に登った光秀は連歌師・里村紹巴らと愛宕百韻を催し
「時は今、天が下しる五月哉」の歌を納め、亀山城に入る。そして天正10年6月1日夜半、
備中高松への援軍として1万3千の軍勢を連れて出陣するが、老の坂を下って桂川に来ると
「敵は備中にあらず、本能寺にあり」全軍に下知し、主君信長を討つため本能寺へ向かった。

本能寺の変後、豊臣秀勝、小早川秀秋らが入り、江戸時代には幕府が西国大名に命じて
天下普請が行われ、近世城郭として大修築された。8代続いた松平氏で明治を迎えるが、
廃城令で全てが払い下げになると城跡は荒れ果て、町の人さえ通らない状態だったという。
大正8年、亀岡出身の宗教法人「大本」の教祖、出口王仁三郎が亀山城の様に憤慨し、
亀山城跡を買い取ると、信徒を動員して残った石を掘り起し、亀山城の石垣を復元した。

いざ登城の瞬間!


お祓いを受けたら万祥殿の横を抜け、いよいよ復元された天守石垣へ!
この門がある場所は亀山城当時、本丸の入り口になっていたんだそうだ。

見学者にはじらしプレイだった瞬間


右手の方に天守石垣が見えてきました。正面にすぐ見えないところが憎い演出w

確かに年季が入っていた瞬間


カーブの左側には亀山城破却前からあった井戸跡とされる石組みが見られました。

お城の世界だった瞬間


荒れ果てていたところ信徒が積みなおしたという復元の天守石垣は意外にしっくり。
木陰で苔や草なんかが生えてるのも雰囲気あるし、積み方も昔ぽくなかなかいい感じ。

イメージはとにかく光秀の城だった瞬間


下三段は亀山城破却前の石垣なんだって。光秀が築城した天正中期から明治の廃城令まで、
破却前の範囲かなり広いんですけど・・亀山城って光秀の本拠地で本能寺に向かった城だし、
三層の天守を建てていたのだから、もしその頃だったら超ロマンな感じ増幅なんですがw

ダメと言われると気になる瞬間


天守石垣から先は聖域のため立ち入り禁止になっています。センサーついてセキュリティ厳重w
この上に光秀お手植えの大イチョウがあるらしいんだけど、近くまで行けないから見えづらい。
実際は江戸中期に台風で倒れ、後継ぎに植えた若木が成長したものらしいのだけれど。

偉大なる文豪の表現はむずすぎた瞬間


「街道を行く」で「闇夜に打ち上げられた大輪の花火のように華麗ではかない」と
司馬遼太郎が亀山城のこと書いているけど分かるような分からないような・・。
光秀のことだけ思いながら「儚い」ってところにのみ共感している次第ですw

念入りだった瞬間


ずいぶん前に5層の天守が建った亀山城の古写真を見たことがあるので想像しちゃう。
光秀が築いたのは三層の天守、五層天守は慶長期に藤堂高虎が今治城を移築したもの。
写真で見たあの立派な天守がこの上にあったんだ〜と思って見るのもまた一興。

礼儀に厳しい教えらしかった瞬間


登城したこの日、信徒の集まりがあったようで万祥殿に向かう人が次から次へやって来て、
こんにちわ!と見学者にしか見えないワタクシに誰もが爽やかな挨拶をしてくれます。
山登りしてるくらいの気分でワタクシも挨拶しまくり・・あんな連続挨拶したの久々だわw
お祓いを受けに行った万祥殿へ渡った橋の下にあった空堀に来てみました。
ここの石垣も壊され土中に埋まっていたものを掘り起し、信徒が積みなおしたそうです。

刻印探しを始める瞬間


掘り起こした石には天下普請の証として諸大名の刻印が多く見られたそうです。
左側の木の影になっているところがかつての内堀。当時は空堀で今は池に。
しかし信徒さんは石垣職人じゃないのに綺麗に積み直すな〜と感心します。

意外と見つけづらかった瞬間


キョロキョロしながら石垣沿いを歩き回り、いくつか刻印らしきものが見つかりました。
写真だと分かりづらい小さい◎がついてるだけの石なんかもちょこちょこあった。

本気で取り組んだことが分かる瞬間


矢穴堀りの跡がある石はあちこちに見られました。信徒が積みなおしたと言っても、
きちんと石垣跡に沿って、刻印や矢穴堀の跡が見える向きも考えて積みなおす芸の細かさw
矢穴は跡が小さいほど新しい時代のだとかいうけど、小さい大きいの基準がどうもワタクシ
いまいちハッキリわからないので困ります。割と大きい感じがするのですが。


丹波亀山城はこれにて終了。登城までにいくつか手続きいることや雰囲気が独特だし、
大場所な見どころそんなにないけど、光秀の〜って意味では来て間違いはなかったかなw

この後は光秀気分で老いの坂を降り、本能寺伏見城に向かいます!



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2011.09.03 Saturday 14:44 | - | - | 近畿(京都府) | 

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2020.02.14 Friday 14:44 | - | - | - |