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三方ヶ原犀ヶ崖古戦場へ出陣!

[古戦場] ブログ村キーワード

に登城して三方ヶ原へ寄らずして何とする!

というわけで野生の勘を頼りに三方ヶ原古戦場・・犀ヶ崖資料館へ寄ってきました。
ナビに出ないので住所を入れて目指したけれど交差点の角にあるのに1度見逃しましたw

到着の瞬間


ここには三方ヶ原犀ヶ崖古戦場の史跡碑と宗円堂(現在は犀ヶ崖資料館)があります。
三方ヶ原の戦いの中の局地戦と言っていいのかな・・脱糞して浜松城に逃げ帰った家康は、
何とか一矢報いようとこの犀ヶ崖という場所で武田軍に夜襲をかけたと言われています。

危険な場所だった瞬間


犀ヶ崖は浜松城の北1キロのどのところにある東西約2km、幅50m、深さ40mの切り立った断崖絶壁。
家康軍に急襲された武田軍の兵士は地理を把握しておらず多くが崖に落ちたと言われています。
その崖下を覗きこむと結構な深さがあって、今は観光や史跡を守るために護岸というの?
コンクリートの補強がされて柵もついているけれど、当時を考えたら危なすぎる感じ。

念入りにアピールだった瞬間


違う場所にも石碑が建っています。こちらは三方ヶ原犀ヶ崖古戦場と書かれた立派なもの。
心身ともにダメージ特大の家康が気合いを振り絞って犀ヶ崖に討って出ていなかったら、
浜松城はあっけなく落とされ、家康はもちろん徳川家だってどうなっていたか分からない・・・
負けず嫌いなのか、1人でも多く道連れに根性だったのか、わずかな撃退の可能性にかけたのか
あもには知る由もありませんが、判断した時には気づかなくても人生にはその後を左右する
重大なターニングポイントがあって、それも歴史なんだと考えるとやっぱり面白いと思う。

無防備なら確実だった瞬間


高所恐怖症のあもは建物3階分以上はもう全くダメなんだけど、それくらいの深さは軽くあるしw
犀ヶ崖での夜襲を決めた家康は、崖に布を渡して橋と見せかけ武田軍を落としたと伝えられています。
危険な場所での夜の戦いは地理に暗い武田軍には絶対的不利。崖があると知らずに走っていれば、
すごい勢いで転がり落ちてあの世行確定・・・武田軍は多くの人馬を失ったそうです。
犀ヶ崖資料館のある布橋一丁目という住所の「布橋」は、このは伝承にちなんでいるのだとか。

現場で起きていた瞬間


小説や歴史本などで何度も読んでいるので戦いの時系列や流れはよく知っているつもり。
犀ヶ崖のくだりについて書かれたことを嘘だとか大げさだとか思ったことはないけれど、
実際の場所に来て、見て、距離感やスケールを感じると妄想に深みが加わるというものw
しかし・・写真だと深さがいまいち伝わらないのが残念。事件は現場で起きているのに。

無料で太っ腹だった瞬間


お寺っぽい建物の犀ヶ崖資料館。三方ヶ原の戦い両軍の死者の霊を祀った宗円堂というお堂で、
現在は資料館として死者を供養するために始まったといわれる遠州大念仏や、三方ヶ原の戦いに
関する資料が展示されています。遠州大念仏は三方ヶ原の戦いの後、崖から人のうめき声がするなどの
怪奇現象が起こり、それを鎮めるために家康が念仏を上げさせたのをきっかけに始まった供養のこと。

入る前にその隣にある「家康の散歩道」コースのひとつでもある本多忠真の碑を見ておきます。

本多恐るべしだった瞬間


本多肥後守忠真は徳川四天王、
本多忠勝の叔父で、三方ヶ原の戦いで殿を務めた際、
道に旗指物を立て、ここから先は一歩も引かぬと刀1本で敵に切り込み39歳で討死した勇者。
忠真の子は父親が死んだこの戦いで無常を覚え、父を葬った後、出家してしまったそうだ。
気持ちは分からなくもないけどこの時代において草食系男子は何だかいや。

時間はなかったけど見てしまった瞬間


中に入ってきょろきょろしていたらおじさんが「ビデオ見る?」と声をかけてくれたので
講談師の名調子で解説される三方ヶ原の戦いの映像を15分ほど見ました。座布団に正座してw
モニターに映像が出て、手前の地形図で位置を確認するという分かりやすい内容でしたよ。

インパクト大だった瞬間


資料館の道を挟んだ向かい側には家康の身代わりを務めて討死した夏目次郎左衛門吉信の碑が。
夏目さんは一揆の首謀者でしたが家康に許されたことを恩に思い、ここで恩を返したようです。

三方ヶ原のことが書かれた小説を初めて読んだのは多分、中学生の時だったと思うけれど、
子供ながらに夏目サンの忠義がいじましく、それ以降の徳川史では一切出てこないのに
名前を未だ忘れることがない。討死するまで戦うと言い張って聞かない家康から兜をぶんどり、
ごめんと言って無理やり馬に乗せ、我こそは家康なり〜と敵陣に向かうシーンは印象深い。
そして全然、話は変わるけどこの夏目さんの子孫が夏目漱石なんだってね。

根性も時間もなかった瞬間


犀ヶ崖資料館のおじさんに三方ヶ原古戦場の碑がある場所を教えてもらったので、
長篠城に向かいがてら寄ってみることにしたのですが・・なんと霊園の横っちょΣ(゚Д゚)!
9月23日だったのでお彼岸の墓参りに来た車の大混雑で車を停めて降りることが出来ず、
霊園から出てくる車を入れてあげるふりをして止まった一瞬の隙に撮ったらこんなことにw

もう少し北上すると祝田の坂にも行けると聞きましたが長篠城に向かう身では無理・・。
武田軍魚鱗の陣VS徳川軍鶴翼の陣のシーンを思い浮かべながら心は長篠城に飛んでいますw

長篠城に登城したら頑張って広域フィールドワークをしちゃうつもり!
時間いくらあっても足りないから車内でおにぎりかじりながら長篠城に向かいます。




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2011.12.03 Saturday 17:22 | - | - | 古戦場に出陣 | 

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2019.08.15 Thursday 17:22 | - | - | - |