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長篠城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

日本100名城46番 長篠城に登城!

前々から登城したいと思いながら中途半端に遠くて後回しになっていたところ。
出現頻度が高い合戦だけに色んな切り口や見方の小説や資料を読んでいるけれど、
歴史的な意味はもちろん外せないエピソードの多さでとっても面白く興味深い。

やっとたどり着いた瞬間


三方ヶ原から距離はたいしたことなくてもお彼岸渋滞なのかナビがアホなのか
なかなかの時間をかけてようやく到着。駐車場には停められたけど人が多くてびっくり!
100名城他、色んなお城に行っているけど、城跡で人がこんなにいるのは初めてかも。

ちょびっと粘った瞬間


大混雑であきらめるほどじゃないけど、ちょろちょろ人が行きかうので、
資料館周辺は写真を撮るのに時間がかかりました。その甲斐あって平日みたいw
まずは資料館に行ってスタンプとパンフレットをもらうことにします。

モザイクはなかった瞬間パート1


資料館の入り口で早くもヒーロー鳥居強右衛門さんの姿を目にすることが出来ました。
今日は体力振り絞って長篠城周辺のフィールドワークもしちゃうつもりなので、
じっくり伝説の戦国烈士「スネちゃま」ワールドを堪能出来ると思います。

モザイクはなかった瞬間パート2


資料館の中でも鳥居強右衛門さんの姿が真っ先に目に着きました。

武田軍1万5千に攻められ落城寸前だった長篠城から援軍要請のため抜け出した鳥居強右衛門は
首尾よく岡崎城に到着。家康と信長の出陣を確かめ長篠城に戻る途中、武田軍に捕らえられてしまいます。

鳥居強右衛門は長篠城前でふんどし姿で磔にされ「援軍は来ない。早く降伏しろ」的なことを
伝えるよう武田勝頼に強要されるが「2,3日で援軍が来る。それまで持ちこたえよ!」と叫びました。
鳥居強右衛門は激怒した武田勝頼により槍で突かれて殺されてしまうが、それを見た長篠城兵500人は
「強右衛門の死を無駄にするな」と士気を奮い立たせ援軍が来るまで城を守りきりました。

鳥居強右衛門の命を賭した忠義は長篠の合戦に必ず出てくる有名なエピソードです。

ワタクシはこの関連の小説や資料などを読んでいると長篠の合戦と同じくらいかそれ以上、
長篠城攻防のくだりに食いついてしまう。若き城将、奥平貞正(後の信昌)が少ない城兵をよくまとめ
必死に城を守り、人質に出した弟や許嫁を犠牲にしてまで武田を裏切って徳川方についたため
降伏はありえないというバックグラウンドがあったりとか、この鳥居強右衛門の「漢」ぶりとか・・
今の時代の価値観で測れない漠然とした「何か」にすごく心惹かれる気がするのです。

強い男は素敵だった瞬間


ワタクシは熱心な武田信玄ファンではないけど家臣には好きな人が結構います。
馬場美濃守信春さんはその一人。信玄の父・信虎から信玄勝頼の三代に仕えた武将で、
40年間で70回以上の戦に出陣して1度も負傷していないというエピソードがあるあたり、
本多忠勝君と同じ匂いがぷんぷんw 信長も「馬場美濃守手前の働比類なし」と称賛したという。

馬場さんはこの合戦で討死します。織田軍の設置した馬防柵によって武田軍が総崩れになると
主君、勝頼が敗走するのを見届け「我こそは馬場美濃守という者なり」と・・・享年61歳。

滅びの美学 男の生き様だった瞬間


大通寺の水杯のワンシーンを再現した展示もありました。

鳥居強右衛門の死から数日後、武田側は織田・徳川3万の援軍到着を知ります。
すぐに軍議が開かれ、馬場美濃守は山中の隘路に連合軍を誘い込むことや、
長篠城を強引に落として城の天然の堀となっている豊川沿いに布陣することを提案しますが、
勝頼によって却下され、馬防柵が待ち受ける設楽が原で決戦に挑むことになってしまいます。

その夜、馬場信春、土屋昌次、内藤昌豊、山県昌景は大通寺に集まり、
この戦では勝利は難しい。勝頼公は一国を束ねる器ではない。明日は討死しよう」と語り、
今生の別れに水杯を交わしたと伝えられています。翌日の合戦で敗走する勝頼を守って
付き添わなかったのは、この戦で討死すると決めていたからなのですね・・壮絶です。

フィールドワークを思い出した瞬間


資料館でいちいち妄想しながら見ていたら思わぬ時間を食ってしまいましたw
ようやく外に出て城址を歩きます。城跡見てから城周辺のポイントを訪ね歩くのよ。

野趣あふれる城跡だった瞬間


資料館の目の前にある内堀。この向こう側は今は駐車場だけど当時帯郭だったところ。
内堀は向こう側までぐるーっと続いているようで規模は大きめ。彼岸花が怪しげですw

読むと見るとは違う印象だった瞬間


本丸跡の土塁上にある長篠城址碑。土塁や堀がくっきりばっちり残っています。
立地は天然の要害、縄張を見るといくつもの曲輪があり、実際に堀や土塁があるけれど、
ぐるっと周囲を見渡してぶっちゃけ500人で守るの厳しくない?と思ってしまいましたw

メモ帳を首からぶら下げておけ!だった瞬間


場所があやふやだけど写真の順番からして帯郭とか二の丸方面だと思います。
本丸土塁から内堀まではかなりの高さがあります。この先に郭が2つ続いて搦手門があったようです。

デリカシーがなかった瞬間


城跡には一部、線路が通っています。なんでここ通しちゃったんだろう?と思ってしまう。
迂回するとかなんかねぇ・・川に挟まれたり崖になってたりだから仕方ないんでしょうけど。

広っ!だった瞬間


まだまだしぶとく土塁の上に居座っておりますよw
本丸の一番奥側から入り口の方を見た感じ・・やっぱりすごく広いんです。
建物の痕跡などは全く残っていないようだけど500人で守った城の本丸はどうだったのか、
奥平君がこの辺うろうろしていたのかな、などと考えるとちょっと楽しいです。

距離感大切だった瞬間


このフェンスの向こうの崖下を流れる寒差川の対岸で鳥居強右衛門は磔にされました。
こっちも向こうも木が生い茂っていて思うほど対岸の様子は見えませんが、
当時は城内に強右衛門の姿を見せつけるため向こう側では切り倒していたでしょうね。
長篠城兵はこの辺りに立って悔しい思いで涙目を凝らしていたのかもしれない。

知識が増えた瞬間


ワタクシは今日ここに来るまで「援軍が来る」と叫んだのは磔にされた時だと思ってましたが、
どうやら実際に鳥居強右衛門が叫んだ場所はもっと大手門よりの場所だったみたいですね。
この後のフィールドワークで叫んだ場所と川向うの磔にされた場所、磔死の碑を見に行きます。

涙が出そうになる瞬間


フェンスに乗り出し寒差川を撮ってみました。崖を下って行くのも大変そうだけど、
そこそこ流れもありそうなこの川を鳥居強右衛門は4キロも泳いだって・・
水練が得意な人だったらしいけど、それにしたって5月の水は泳ぐには冷たいよ。
名のある武将とかじゃなかったのに「わが君のために」。切なくて涙が出ちゃうよ。
ワタクシが鳥居君の立場だったらどうだろう・・城を守って必死に戦った結果、
討死してたってのはありかもだけど、殺すぞと槍を突き付けられた時に忠義はどうか?


む〜ん・・・・・・・無理じゃない? 鳥居強右衛門君に献杯!


いちいち妄想してるときりがないのでさっさと長篠城周辺フィールドワークに行ってきますw




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2011.12.17 Saturday 15:22 | - | - | 中部(愛知県) | 

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2020.02.14 Friday 15:22 | - | - | - |