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設楽ヶ原に出陣!

[古戦場] ブログ村キーワード

正月早々インフルエンザ→マイコプラズマ肺炎にかかり今頃やっと復活!
予防注射したのにどないやっちゅうねんヽ(`Д´)ノ 肺炎も体力落ちて非常に危険・・。

というわけで今さらですが今年もよろしくお願いしますww

非常に立派だった瞬間


<長篠城周辺フィールドワークの後は織田・徳川軍VS武田軍激戦の地、設楽ヶ原へ。
車で移動すれば10分ちょいの距離。戦の内容を理解している戦場跡に行くのはわくわくします。
設楽ヶ原古戦場につくと車を停めるために、まずこの設楽原歴史資料館まで来ることになります。
再現された馬防柵や連吾川がある実際の戦場は後にして、まずは資料館を見てみることに。

圧巻だった瞬間


テーマは「日本一の火縄銃」。戦国時代から江戸〜幕末までの様々な種類の鉄砲が展示されてます。
レプリカを実際に持つことが出来るコーナーもあり鉄砲足軽の大変さも体感できますw
レプリカが何キロだったのか分からないけど、本物の火縄銃は5キロくらいあるんだとか。

使い方が大事だった瞬間


設楽ヶ原一帯のジオラマの上に乗っているのは実際の鉄砲玉・・・小っさ!!
大量に撃つとか近くで撃つとか・・戦で工夫が必要なのは必然なのだと思いました。

着たいのはフル装備だった瞬間


中級が着用したものだと思いますが桶側二枚胴や朱漆塗仏胴具足なども展示されていました。
朱塗りの艶も消え、全体に茶色になってるけど山形昌景の赤備えはこんな感じで。

複製でもわくわくする瞬間


左は信長が、右は勝頼が合戦の前日に勝算を記した書状の複製。
何書いてあるか読めないのが悲しい。訳した説明がないのも悲しい。
でもこういうの見ると自分の頭の中にある戦の存在に奥行きが出る感じがする。

家康の娘人生いろいろだった瞬間


鳥居強右衛門の「わが君」奥平信昌君と奥さんの亀姫の肖像。亀姫は家康の長女。
奥平君の武田への寝返りを防ぐのと長篠城を守った力量が認められ、政略結婚で
長篠の合戦後に嫁いだけれど奥平君とは仲睦まじかったんだとか。

かっこ悪すぎた瞬間


さざえってやつですか? ワタクシはこんな兜はかぶりたくありません。
重いばっかりで目立たなそうだし、なんか全然強くもなさそう・・。

鉄砲以外の展示も充実している設楽原歴史資料館を十分堪能して次は戦場に向かいます。
後から知ったのですがこの資料館の近くに信長が戦死者を祀った信玄塚があったのだとか。
今回はフィールドワーク重視で来たのでいつもより予習してきたんだけど甘かったなw

何しろ壮絶だったことは感じられた瞬間


設楽原歴史資料館の入り口にある武田軍の甘利信康の墓。
この古戦場には陣跡や墓の他、何かしら合戦に所縁のある場所それぞれに
設楽原をまもる会が作った「設楽原古戦場いろはかるた」が設置されている。
いろはかるただからもちろん「いろは」から「もせす京」まであるらしい。

甘利さんは「お」を担当。〜雄々しくも 立ち腹さばく 甘利信康〜

甘利さんは合戦時、鉄砲隊を率いて左翼に布陣。山形昌景を支援していて
弾薬が尽きると敵陣に突入し、討死したと言われているそう。
柵と堀がなかったら家康本陣も突き崩せたのにと立ったまま切腹した噂もあるとか。

とにかく大変だったんだろう瞬間


柳田前激戦地では「ぬ」。〜ぬかるみに 馬もしりごむ 連吾川

ここは武田軍視点な感じで。でその連吾川っつうのはどれほどのもんかというと・・

冗談かと思った瞬間


連吾川ちっさーーーー!! すごい大きい川だとは思ってなかったけど、
ここまで小さい川だとは思わなかったw ぬかるみっていうのは川ではなく、
川の周りに広がっていた田んぼのことなんだそうです。フィールドワーク大事!

妄想に浸る瞬間


設楽原をまもる会が設置した馬防柵のある場所に来ました。
柵の向こうから武田の騎馬隊がすごい勢いでわんわん押し寄せて来たのね。
ワタクシ柵の近くに寄って鉄砲足軽気分でしゃがんで、一番わかりやすく
赤備えの山形隊が泥をはね上げて突進してくる妄想をしてみました。
連吾川は柵から本当にすぐ近く。そこでぬかるみに足を取られてもたつく騎馬隊。
遠くから迫ってくる騎馬隊を見たら一瞬ビビるかもしれないけど、柵の中で鉄砲をかまえる
織田・徳川軍の足軽はその様を見て案外冷静でいたのかもしれないと思いました。

すでに戦は始まっていた瞬間


柵にもかるた「え」が。〜えんえんと 柵木岐阜より かつぎくる〜

信長は柵を作らせるため岐阜から足軽に丸太を持たせて出陣したという。
戦略、戦術を練って勝てる可能性を最大限に広げてから戦に挑む信長。
残念ながら勝頼さんとは役者が違う・・何だかかわいそうになっちゃうね。

リアルすぎた瞬間


柵内には左翼側にもうひとつかるたが。

武田軍の武将、土屋昌次の「つ」。〜土屋昌次 柵にとりつき 大音声〜

この場所は土屋昌次が戦死した場所と伝えられているそうです。

昌次さんは柵まで辿りついたんでしょうか・・ならきっとボロボロでたどり着いて、
柵の前で怒りと無念の凄まじい形相のまま討死したんだろうと想像されます。
何のために? 死ぬだけなのに柵にたどり着いてどうする? 退却も勇気じゃないの?
ワタクシには分かりようもない生き様、それが好きなんだけど。しかし名を残すって大変。

そして土屋昌次といえば、弟の昌恒も長篠の合戦を生き残って
勝頼が天目山で自害する時までずっと武田に仕えたいじらしい武将よ。
土屋昌恒の片手千人斬り・・・兄弟そろって忠義ある凄まじい男です。

もう1回戦を目論む瞬間


山形昌景の墓とかもかるたを辿ればあるようなのですがフィールドワークはこれで終了。
最初に行った三方が原古戦場よりもずっとずっとリアル。妄想が止まらない戦場跡でした。
川中島に行った時と同じくらい知識とイメージが同化して感動や感慨が増した感じ。

やっぱり実際の場所に行くって大事。歩くの嫌いだけどフィールドワークはとても楽しいw

医王寺とか大通寺を見たり、山形君のお墓や信長側の武将の陣跡とかもじっくり見たり・・・
長篠城と設楽原だけで1日かけてもよかったのね。機会があればこれは再挑戦したい!


次回は10月に登城した坂本城跡方面のエントリーですΣ(゚Д゚)!
次回もまた見てくださいね〜じゃんけんポン! うふふ。



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2012.01.21 Saturday 17:17 | - | - | 古戦場に出陣 | 

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2020.02.14 Friday 17:17 | - | - | - |