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2020.02.14 Friday  | - | - | - | 

平林寺~増田長盛と松平信綱の墓参り

[パワースポット 関東] ブログ村キーワード

有名なお寺で県内にあるのに今まで一度も訪ねたことがなかった平林寺。
今回まわるマイナー県内城のすぐ近くにあるので一緒にまわることにしました。

別世界だった瞬間


近くには役所とか住宅街とか、交通量が馬鹿みたいに多い国道254なども走っているのですが、
平林寺の通りに入った途端まるで別世界! 高い木立に囲まれて違う場所に来たような感じです。
この通りはバス通りで、目の前の「平林寺」というバス停があるのでバスでもアクセスはいいみたい。

思ってた以上にすごかった瞬間


禅修行の専門道場を持つ関東の代表的な臨済宗妙心寺派の禅刹である平林寺。
檀家さんとかじゃない一般の観光客はこの総門から入ります。拝観料は500円。

威風堂々の瞬間


中に入ると見えてくるのが山門。境内案内図を見ると本堂まで奥が深いようです。
山門は入母屋造茅葺の楼門で、左右に松永耳庵寄進の金剛力士像を配されています。

絵画のようだった瞬間


山門で金剛力士像をねめまわした後、門をくぐって次の仏殿に進みます。
仏殿の重厚な佇まいとコントラストのある植栽でとっても美しい!

静寂が際立つ瞬間


入母屋造り、いかにも禅宗って感じの立派な仏殿です。入ってきた時に別世界のようと感じた通り、
境内に入っても本当に静かで、結界とか本当にあるんじゃないかなっていう雰囲気です。
ちなみに入り口の総門から、山門、仏殿、そしてこの先にある中門の4棟は県指定有形文化財です。

ゴージャス過ぎた瞬間


なんつー豪勢な茅葺屋根!! すごくない? この厚み。何年くらいで葺き替えるのかなどは
書いてないから分からないけど、いくらかかるんだ!?と思うワタクシは煩悩の塊ですw

仏教を知らな過ぎた瞬間


仏殿の中には須弥檀があって釈迦・阿難・迦葉の三尊像が安置されているのを見ることが出来ます。
ワタクシはあいにくお釈迦様しか存じませんが、何だかありがたい気持ちになりますです。はい。

ある意味本丸だった瞬間


仏殿を出て中門に来ました。この門の先に本堂があります。本堂まで4段構え。鉄壁の守り(?)ですw
このちょっとした中門だって茅葺。それにしても境内はどこも本当に植栽が美しいです。

ありがたいBGMつきだった瞬間


本丸・・いや本堂にたどり着きました。本堂のところに来ると修行の時間だったのでしょうか。
たくさんのお坊さんが声を揃えて読経する声が中から響いてきて、また独特の雰囲気が味わえました。
一人とか二人じゃないですからね、渋い声の読経が合唱団くらいの規模で聞こえてくる・・・
ちょっと有名なお寺に行ったからって、そういうことなかなかないですからね。
残念ながら本堂の中は一切見学できません。ちなみに本堂の屋根は銅板葺になっているようです。

案内図をガン見の瞬間


街中にあるのにどうしちゃったんだというくらい広い境内。読経に興奮して勝手に盛り上がったので
一休みしながら入り口でもらった案内図を見て、次に行くところを物色します。

平林寺は関東地方ではとても格式が高い臨済宗妙心寺派の歴史ある有名な寺院のひとつ。
600年前、岩槻城主・太田備中守によって建てられ、鎌倉建長寺の住持をしていた名僧
石室善玖禅師によって開基されました。当時は岩槻にあったお寺だったそうです。

天正18年(1590)5月、豊臣秀吉の関東経略による岩槻城攻めの際、兵火によって伽藍の大半を焼失。
翌年、江戸入りした徳川家康が鷹狩りで岩槻を訪れた際、休息で立ち寄り、名僧石室禅師開山による
平林寺の由緒を知り、伽藍再建のため朱印状を与えられました。

その後、徳川時代に川越城主松平伊豆守信綱の遺言により、子の輝綱によって寛文3年(1663)
新座市野火止に移され、現在の姿になったそうです。なぜに知恵伊豆が? と思いますが、
平林寺の檀那である大河内氏というのがいて、大河内秀綱が死去した際、葬送の地になったと。
信綱は秀綱の孫にあたり、長沢松平家へ養子に入った後、別家して大河内松平家を興し、
平林寺を祖廟とした・・・松平伊豆守信綱と平林寺にはそんな関わりがあるそうです。

よく分からなかった瞬間


これは半僧坊です・・で、半僧坊って何? 明治23年(1890)鎌倉建長寺の守護神として分祀されて
平林寺に勧請されたものなんだそうです。手前にあるのは桜の木、春の景色は素敵そうです。

軽くて浅かった瞬間


ところどころにこういう【ありがたい言葉】が掲げられています。たまにはこういう仏様の言葉に
聞いてみるのも大事ですね。ええ、ええ、ワタクシは過去のことは振り返りません。特に過ちは。
そして先のこともあまり考えません。後先考えず・・もとい。今を生きるに賛成ですw

唐突にも思えた瞬間


島原の乱の供養塔。寛永年中に起こった「島原の乱」から200年が経過した文久3年(1863)に、
犠牲になった士卒や庶民のため、三河国吉田藩の家臣大嶋佐源太が建立したものなんだそうです。

無知すぎた瞬間


安松松永安左エ門の墓。ワタクシは存じませんでしたが、「電力王」と言われたすごい人なんですね。
電力事業に一身を捧げた人ですが実業家としてだけでなく、耳庵の名で「近代三大茶人」のひとりとも
呼ばれたそうです。耳庵の名は60歳からお茶を始めたことから論語の「六十而耳従」にちなんだとか。

意外だった瞬間


増田長盛の墓。豊臣秀吉に仕えた豊臣五奉行の一人。大和郡山20万石の城主でしたが関ヶ原で敗戦し、
所領没収の上、高野山に追放されると、元和元年(1615)5月27日自刃。享年71歳。
岩槻の平林寺に葬られ、野火止移転に際し、改葬されたのだそうです。
政権にいたころは埼玉なんておそらく全く縁のなかっただろう土地で眠っているんですね。

ふと思いだした瞬間


見性院・・武田信玄の二女で穴山梅雪の正室の供養塔。梅雪の死後、梅雪と懇意だった家康に養われ、
秀忠の子幸松丸(後の保科正之)と母お静の方を引き取り養育しました。お墓は浦和市の清泰寺にあるそうです。
家康や禅師と懇意だったため、後に建立されたものなのだとか。そういえばワタクシ何かで、
武田勝頼が母である諏訪御料人の供養を平林寺に頼んだという話も聞きかじった記憶があります。
古い由緒あるお寺には戦国時代にまつわるエピソードが何かしらあるんですね。埼玉だとしてもw

あやかりを期待する瞬間


平林寺の境内はとっても広く自然豊かなのですが、もみじ山やらなんやらの散策をする暇はないので、
最後に松平信綱公一族の墓所を見て終わることにします。先に紹介したエピソードのとおり、
大河内家の墓所で松平信綱のお墓もここにあるそうです。ずらーっと松平家のお墓が並んでます。
大河内松平家の墓所は3000坪もあるそうです。見渡す限りお墓と五輪の塔・・壮観です。

身を乗り出した瞬間


本堂から信綱のお墓の前に続く「廟所参道」。平時には使われないそうで柵があり立ち入り禁止。
古そうな杉木立の中、石畳に座禅灯篭がずらーっと並ぶ様はとても荘厳な感じがします。

歴史を感じる瞬間


左が信綱の墓。松平伊豆守信綱は才知に富んでいたことから知恵伊豆とも呼ばれた三代将軍家光の老中。
川越藩主でもあり、藩政では武蔵野新田開発や野火用水の開削に力を入れた俗にいう名君ですね。
岩槻にあった平林寺を野火止に移すよう遺言し、川越ではなくこの地に静かに眠っています。
没年は1662年。その時からあるんですもんね。石灯籠にもそれぞれ古い元号がたくさん書かれてます。

真面目に合掌の瞬間


少しでもあやかりたいと思い、人がいないのを幸い、真剣に手を合わせておきましたw

心は次への瞬間


大場所はこれで全部見終わった! 多くの武士たちが眠る墓所を後にして、次なる目的地「難波田城」へ。
今までなぜ来なかったんだろう? 平林寺よいお寺でした。入場料を都度払ってまでどうかと思いますが、
桜の季節、紅葉の季節、冬枯れの季節・・広い境内の散策スポットも見たいと思いました。


次は埼玉の地味城シリーズ、難波田城に向かいます!


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2013.05.05 Sunday 14:54 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 14:54 | - | - | - |