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小谷城へ登城!〜黒金門から本丸・大堀切

[城跡] ブログ村キーワード

長政自刃の跡を見た後は、ラスト黒鉄門跡から本丸・大堀切をご紹介します。

立派に違いなかった瞬間


大広間の入り口となるこの場所には当時、扉に鉄を打ちつけた門が建っていました。
長政は最後の攻撃の時、この門から討って出たと言われています。織田軍の攻撃を受けて
本丸に戻れなくなった長政は、やむなく赤尾屋敷に入り、そこで自刃しました。
今ここに黒金門はなくても、残された石段や石垣から頑丈で立派な門があったことが想像されます。

兵どもが夢の後だった瞬間


黒金門跡の近くには苔むした大きな石も。当時はどこかに積まれていたものなんでしょうね。
破壊されたものなのか分からないけど、崩れた石が無造作に置かれて風化している様にも、
小谷落城の物悲しさが演出されているよう。それでも徹底的に破壊されなくてよかったですよ。

最大だった瞬間


黒金門のあった虎口を抜けると大広間。千畳敷とも呼ばれ約3000屬らいあるんですって!
この付近からは土師器皿がたくさん出土していて、山の上に浅井家の人々の暮らしがあったこと、
そして政治的に主要な施設があったとも考えられているそうです。木はさっぴいて考えないとねw

暮らしを感じる瞬間


とにかく広いです。今はまさに「大広間」さながらだけど、当時はここにいくつかの建物が建っていて
酒宴が開かれたり、時には重臣が集まって軍議なんかも開かれたりしてたんでしょうかね。

キョロキョロしていた瞬間


礎石があちこちに残っています。この大広間、下を見て歩いていると礎石と同じくらいの大きさの石も
ゴロゴロしているのですが、ガイドさんが「完全に埋まっているのが礎石ですよ」と言っていました。
それでも礎石らしきものはかなり多く、御殿のような大きな建物もあったんだろうなと思いました。

尾根筋を体感した瞬間


黒鉄門から入って大広間の正面には石垣が積まれて一段高くなった本郭が見えます。
本郭の左手に降りると御局屋敷跡、大堀切そして京極丸や山王丸に向かうルートになります。

水不足が心配だった瞬間


本郭の右前には井戸跡も残っていました。大きなものではありませんが山城では貴重な水源。
馬洗池と同じように石で囲いがしてあります。掘り抜きではなく貯め井戸だったんでしょうね。
今は単なるくぼみのようになっているのでガイドさんに言われなきゃ気づかないところですけどw

戦国の城らしかった瞬間


小さな石を積み上げた本郭の石垣。ところどころ崩れかけているところに長い年月の経過を感じます。
本郭は鐘ヶ丸と呼ばれ、構造については不明だけれど、何層かの櫓はあったのだそうです。

想像しきれなかった瞬間


ガイドさんにくっついて本郭の上に上がってきました。大広間を背に奥へ長い郭のようです。
ものすごい広いというわけではありませんが、上下2段の作りになっていました。
三棟以上の建物の礎石が見つかっていて、御殿があったと考えられているそうです。

本郭にあった天守が彦根城の西の丸三重櫓として移築されたと言われていたそうですが、
昭和30年代に行われた解体修理でそうした痕跡は確認されず、今は否定されているようです。

復元絵図プリーズ!の瞬間


本郭から大広間を見下ろしてみました。当時ここから見下ろす風景はこんなだだっ広い空間ではなく
いくつもの建物が建って家臣が行き来していたんですよね・・なかなか想像しづらいんだけど。

分かりづらかった瞬間


本郭から御局屋敷跡がある方を覗いてみました・・・高低差を表現するってやっぱムズイね(´Д`)
撮ってすぐ液晶で確認するけど、都度ため息が出ます。目で見ている高低差はもっとあるのに、と。

実際見るのが一番だった瞬間


それでも懲りずに小谷城最大の防御施設である大堀切を本郭の上から狙ってみます。
空堀の向こうに見えるのが中の丸・・・ごめんなさい。ワタクシの腕前では表現できません。
深くて広くて迫力なのですがお届けできないのが残念。当時は橋が架かっていたようです。

キリがなかった瞬間


大広間を眺めて当時の想像を試みたり、上から撮る大堀切に納得いかず悶々としているうち、
ツアーのみんなは本郭をさっさと降りてしまったので、ワタクシもあわてて追いかけます。
が、今度は石垣に近寄ってジロジロ・・頑張って積んだ感と風化した石の感じがうっとりw

ワタクシは空気が乾燥した5月の晴れた日の登城だったけど、これもっと湿気の多い梅雨とか、
それも晴れ間じゃなく雨上がりの薄曇りなんかだと、水気を帯びた苔と石垣がまた違った味を
醸し出して、遺跡のような雰囲気倍増で訴えかけてくる感じはまた違うんだろうなぁ・・
いや、しかし。梅雨以降の山城は草ボーボー虫大量でイヤだから困っちゃうわよね・・・

確信した瞬間


・・・いかんいかん。やっぱワタクシ、この手のガイドツアーには向かないみたいね。
やっぱ登城は基本マイペースが一番。とはいえ、みんな大堀切に行っちゃうから急がなければ!!

御局屋敷跡から大広間方面を振り返った感じです。左手にあるのが本郭。

残念すぎた瞬間


やっとみんなに追いつきました。ここが小谷城最大の防御施設と呼ばれる大堀切です。
左が中の丸、右が本郭・・下から撮ったら今度は見切れて高さがわかりませんね(´Д`)
小谷城は尾根沿いに郭が縦に並んだ構造なんで、この位置も後ろに下がるに限度があるの。
あんまり下の方に降りていくと自分も怖いし、ガイドさんも心配しちゃうからね・・

秀吉にこの左側の中の丸の先にある京極丸を落とされ、長政は小丸にいた父 久政と分断されました。

尾根の上に建つ郭を落とすには、急な斜面を上からの攻撃に耐えながらひたすら登ることになります。
小説やドラマだとそこの長い描写はないから、秀吉軍が小丸に侵入してどうの・・となってますが、
実際に来て見てみると、堀切や竪堀のある尾根の上に建つこの山城に侵入して郭を1つ落とすだけでも
並大抵のことじゃないことが分かります。ガイドさんは「内通者がいたんでしょうね」と言っていた。

城の目の前に陣取る虎御前山の信長軍団のプレッシャー。朝倉の援軍は期待できない。
難攻不落の堅固な城は落ちないというひそかな慢心が重臣の中にはあったかもしれないし、
そういう雰囲気がビビりの家臣の恐怖に火をつけて保身の内通に走らせたのかもしれない。

ものすごい攻めにくい守りの堅い城ということを、実際に行って見て納得すると同時に、
アフォやビビりがいて、何かタイミングが合ってしまうとすべて台無しなんだなと改めて思う。
勝ち負けって武力や防御力だけじゃなく、それ以前に人の心の動きや雰囲気、時の運が大きく
関わっているんだとわかります。士気が大切という知識がリアルに結びつきますね。

未練たらしかった瞬間


ガイドツアーはこの大堀切までで終了です。写真には中の丸方面に向かう勇者の後ろ姿が映ってますが、
この先からは相当ハードになるそうです。中の丸、京極丸、小丸、山王丸、六坊、大嶽城、福寿丸、山崎丸・・
名残り惜しく手元の案内図を見るとごっつ山上行きますし、郭間が離れているところも多い!
本当は京極丸や山王丸は見たかったんですけどね・・ツアーだしツアーじゃなくても時間体力ないし、
というわけで、もうすでに大広間の方に移動しているみんなに追いついてワタクシも小谷城を後にします。
降りている最中にガイドツアーの御一行様が次々と、加えてどこかの山城研究会の団体さんがゾロゾロ
上がってくるのに出くわし、桜馬場や馬洗池のあたりは結構な人でした。早く来てホントよかったわw

計略にはまった瞬間


小谷城を降りた後、小谷城戦国歴史資料館に立ち寄りました。ここで100名城スタンプをもらいます。
スタンプは入館しなくてももらえるのですが、スタンプ押そうとしたら受付のオッサンに愛想よく
挨拶されてしまい、ワタクシもうっかり愛想よく答えてしまったので流れで入館することに。
300円払って入りましたが、展示物が多いわけでも、ワタクシ的にあまり興味のあるものもなく、
入らなくてもよかったわ〜とひそかに思いました。そう考えると300円は高い気がします。

派手な手帳だった瞬間


100名城スタンプと一緒に置いてあった浅井長政の花押のスタンプもついでに押してきました。
かっこいい花押ですね! なぜノートがゼブラ柄なのかってことはそっとしておいてくださいw


小谷城に大満足した後は賤ヶ岳古戦場へ! 「八本槍」を目論んでウキウキ車を走らせますw



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2013.06.09 Sunday 13:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

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2020.02.14 Friday 13:00 | - | - | - |