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姉川古戦場に出陣!

[古戦場] ブログ村キーワード

賤ヶ岳古戦場から無事に生還できたので、今度は姉川古戦場にやってきました。

物好きだった瞬間


姉川古戦場に向かう前、長浜市役所浅井支所に浅井ファミリーの銅像があるというので寄り道。
ナビで支所を登録し、支所の駐車場に車を停めて通りを渡った正面に・・いたいた!!

首をかしげた瞬間


長政パパとお市ママ、嫡男の万福丸に弟の万寿丸、茶々に初に・・ん? 江与ちゃんがいない!?
江与は小谷落城の時で1歳だったから、座っている子供は出家して生き延びた万寿丸ということに。
万寿丸は側室の子とも言われ、初と江与の間に生まれているらしいのですが、せっかく銅像作るなら、
実子かあやふやな子より、赤ちゃん江与をお市さんが抱っこしてる感じにすればよかったんじゃ・・

執念ハンパなかった瞬間


準備万端のワタクシは「姉川合戦マップ」なるものを印刷して持参したのですが、
実際に走ってみると微妙に簡略化された地図が分かりづらく、ナビに出ず・・
でもここまで来て見つからず退却だなんてありえない!! この粘りが他に生かせればw
うろうろ走った挙句、ようやくこの看板を対岸に見つけた時は思わずガッツポーズ!

複雑だった瞬間


対岸の道から迂回して姉川を渡り、やっとの思いで現場に到着・・すごいやり遂げた感!
車で来るのハードル高いのか、他の人もみんなこんなもんなのか。調べ足りないだけ?

徳川パワーだった瞬間


まずは野村橋のたもとにある供養塔。説明が書かれた綺麗な案内板も建っています。
元亀元年(1570)、近江の浅井郡姉川河原(滋賀県長浜市野村町)で行われた姉川の合戦。
一般的に「姉川の合戦」「姉川の戦い」と言われますが、当時はこの戦を朝倉では三田村合戦、
織田・浅井は「野村合戦」と呼び、「姉川合戦」は徳川で使っていた言い方だったそうです。

予算をかけていた瞬間


供養塔には「元亀元年庚牛6月28日 為陣没者建之」と書かれています。漢文ですね・・(´Д`)
少し前にリニューアルされているらしいわ。前はあんな綺麗な案内板などもなかったみたいです。

姉川を挟んで対峙する両軍は織田・徳川軍28000 浅井・朝倉18000(諸説あるようです)。
徳川VS朝倉、織田VS浅井で戦いは朝5時頃から始まったと言われています。
朝倉と闘う徳川勢は渡河しようとする朝倉を必死に防ぎながら本陣に迫っては押し戻されの
一進一退を続けた後、下流から迂回して朝倉の右翼へ奇襲をかけ壊滅に追い込みます。

一方、織田軍の方は数では劣るものの士気が高い浅井勢に押され、13段構えの11段まで
破られてしまいます。浅井勢は信長本陣に迫る勢いでしたが朝倉敗走で形勢が逆転。
駆けつけた徳川勢に側面を突かれ、浅井は退却。戦いは午後2時には終了したと言われます。

想像以上だった瞬間


供養塔の前の姉川は話に聞く激戦があったとは思えないほど穏やかで静かな流れ。
姉川合戦が書かれた小説で姉川を渡河するというシーンを読む度、川の規模を想像していました。
人馬が渡れるのだから深くないのだろう、でも川を挟んで対峙するということから川幅はそこそこ
広いものを想像していたんだけど、川幅自体もこんなに狭いとは!!

河川敷ばっか広いけど実際に水が流れる部分はほんの一部。今はワタクシが渡った野村橋があり、
両岸も堤防のようになっているし、当時は橋もなく川の流れも今と少しは違っていたかもしれない。
それでも川の規模を見て、川面が血に染まるほど両軍が激突した戦のイメージがリアルになりました。
さっき小谷城に登城したばかりだから、浅井勢が出撃してくる距離感もばっちりつかめているのも尚よし。

迷わず到着の瞬間


実際の戦場を見た後は小谷城でロックオンした信長が陣を置いた竜ヶ鼻にやってきました。
茶臼山古墳となっていて、今見て来た姉川の現場から1キロ弱ほどのところ。小谷城も丸見え!
信長は当初、小谷城を攻めますが、構えが固いと見ると1日で兵を返し、竜ヶ鼻に陣を移します。

そこで援軍に来た徳川家康と合流し、南方の横山城の攻撃を開始、合戦の当日にあたる6月28日、
信長は「陣杭の柳」に、家康は「岡山」にそれぞれ本陣を移して戦いが行われたそうです。

間抜けすぎた瞬間


意味深な案内があるので丘程度の高さ、上まで登ってみたんだけど陣跡どこかわからず(´Д`)
合戦ゆかりの地がちゃんと整備されてるんだから碑とか案内板とか絶対あるに違いない。
何もないってことは違うんだろう・・とがっかりしながら古墳の上から降りました。

危うくたどり着けなそうになるわ、地点は見つからないわ・・・観光用地図で安心せず、
全部念入りに調べてグーグルマップに登録。可能な限り細かい縮尺で用意するんだった
と思っても後の祭り。後で調べたら陣跡は300mほど離れた所に碑があったらしくショックすぎ!

あもイズムだった瞬間


モロ本陣跡じゃないけど竜ヶ鼻には来たってことで、信長アイで小谷城だけは見ておきます。

姉川はそれより手前かぁ・・近っ!! 織田軍は浅井勢により11段まで打ち破られたそうだけど、
この空間で11段まで破られたってことは信長は相当ギリギリだったんだ〜と読んだ小説を思いだし、
勝手にリアルを構築しますw 信長が当日いたのは「陣杭の柳」で、さらにここじゃないんだけど、
まぁいいよ、学者が検証してんじゃないんだから細かいことは気にしなくったって・・

この後もちろん「陣杭の柳」を探しましたが、手元の地図を見ながらうろつくも分からずΣ(゚Д゚)!

田!田!田!だった瞬間


この竜ヶ鼻の近くに浅井家臣の遠藤直経の墓があるので地図を頼りに移動してきましたが・・
はて、辺り一面田んぼだが、いったいどこに墓があるんだ!! この地図マジで頼りにならん!
と思ったらあぜ道の途中に怪しい「こんもり」を発見! 車を降りて見に行ってみます。

見渡す限りからの〜だった瞬間


おお、あった!!案内板も建っているので間違いないわ! 観光マップ初めてちゃんと活躍w
地元の方なんでしょうね、草木の手入れもされて切ったばかりのきれいな花が活けてあります。
以前は40m先の畑の中に遠藤塚と呼ばれる墓があったそうですが、平成9年に圃場整備のため
ここに移転されたのだそうです。少し移動してますが遠藤直経が討死した場所と伝えられています。

鬼武者すぎた瞬間


浅井の重臣である遠藤直経は喜右衛門と名乗り、磯野員昌と並ぶ力自慢・戦上手の武将でした。
小説などで書かれる直経に、ワタクシは信念は曲げない豪気な男のイメージを持っています。
朝倉家の真柄直隆と力比べをするほどの猛将だけど、たしか智謀もなかなか・・信長の野望を思いだし中w

直経は浅井軍の敗色が濃くなると味方の武将首を持って織田軍になりすまし、信長陣中に忍び込みましたが、
あと一歩のところで竹中重矩(半兵衛の弟)に見破られ、討ち取られたと言われています。

ずっと若い頃、初めて小説でこれを読んだ時、彼の壮絶な死に様はすごいショックだった。
「討死を決めて突撃」以上のことに思えて、修羅になるってことが分かった気がしたのかな。
信長贔屓なのに、直経に共感して応援しかけ、討ち取られた時は残念にも思ったり・・

そんなことを思いだしながら、直経さんに敬意を表し丁寧に合掌しておきました。

かぶりつきだった瞬間


次はその直経さんと力比べをしたという朝倉家臣、真柄十郎左衛門直隆ゆかりの地にやってきました。
元は血原と呼ばれた場所は現在ちはら公園になっていて駐車場も完備w さすがにすぐわかります。
ここは駐車場にこの案内板があって、一瞬「え・・これだけ?」と思いきや裏に碑があるというw

この血原という場所は家康の本陣「岡山」と朝倉が陣を置いた「三田村氏館」の中間にある
徳川軍と朝倉軍決戦の地。多くの死者が出て血に染まったことから「血原」と呼ばれたそうです。
この戦いで有名なのが真柄十郎左衛門直隆の討死。遠藤直経ほど強烈な印象じゃなかったのか、
案内板を読んで「ああ、そうだった!」と思いだし、ワタクシ真剣に説明を読んでおります。

別の鬼武者も大暴れだった瞬間


徳川と朝倉の戦いで一進一退の後、右翼を突かれて朝倉が壊滅という時、力自慢の真柄さんは馬にまたがり、
太朗太刀という刃長5尺3寸(約160僉砲梁臈瓩鬟屮鵐屮鷽兇蟆鵑靴毒り来る徳川勢をなぎ倒しました。
返り血を浴びて怒声を張り上げる真柄さんに徳川勢は容易に近づけなかったそうです。

それを匂坂兄弟が取り囲み、切り込んだ兄が槍を撃ち落とされ兜の吹返を討ち破られると、
兄を討たせてなるものかと十文字槍持った弟が切り込んで、ついに力尽きた真柄さんは大刀を捨て、
「今は之までなり、我が首奪って武士の本懐とせよ!」首を討たせた・・という逸話が残っています。

徳川の資料には真柄さんについて「大力剛者、大太刀で無類に働く」と書かれているそうです。
猛将らしく豪快に大暴れ、そして潔く・・まさに豪傑だ!! でも遠藤さんのインパクトに軍配w

案内板の上についているのは真柄さんの刀の実寸を示したもの・・どんだけ大男なんだ!!
いくら大男でも当時のチビ馬に乗って、この長さの刀をブンブン振り回せるもんなのかしら・・
いや、馬がチビとかサラブレッドとかじゃなく、そもそも重くて持ち上げるので一杯なんじゃ・・

盛ったな・・あ!心の声を思わず書いてしまいましたw でも刀は残っていると聞くから真実やいかに!?
刀については170僂箸175僂箸盡世錣譴襪韻鼻△海海任楼篤眸弔良週のとおりにしています。

残念になっていた瞬間


で、案内板の裏の方に行くと「血原の大決戦」と書かれた真柄さんの活躍を描いたものがあるんだけど、
わざと樹木の裏に立てたのか?と思うほど木が邪魔ったらないし、木をかき分けて読もうとしたら
字が消えかけててよく読めやしない!! どうせ整備するなら細かいところもちゃんとメンテしてこ!

超ざっくりだった瞬間


姉川古戦場碑の隣にある「姉川古戦場」と書かれた案内板、前半は戦に至った経緯概要が、
後半は「両軍激突 衆寡敵せず浅井・朝倉軍は小谷城への敗走となった。しかしその3年後、
小谷城も落ちることとなる」と書かれ、最後に「両軍の死者は3000名余、辺りには血原、血川の名が
残されている」・・以上ww 当日の戦況と結果についてもう少し掘り下げた方がぽくない?
とちょっと上から目線に思っているところですw 


観光マップ頼みオンリーで下調べなし、車移動のワタクシはこんなところで終了です。
いいところはまぁ見れたし、戦場の雰囲気や距離感が分かったからワタクシ的にはとても満足。

寝ずに運転して朝から山3つプラス姉川でいい加減クタクタだけど、日が高いから動かにゃもったいない!
ということで、ワタクシこのまま討死覚悟で「突撃!隣の長浜城<!」を敢行することにいたします!!




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2013.06.16 Sunday 23:39 | comments(2) | trackbacks(0) | 古戦場に出陣 | 

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2018.11.16 Friday 23:39 | - | - | - | 
あも (2014/10/22 7:39 PM)
サムライ銅像研究会さま

こんばんわ!
小谷〜姉川〜賤ヶ岳〜長浜〜石田町を
巡ったこの時の旅がものすごく楽しくて、
色々行ってる中で充実度や時空超えた度は
多分ナンバーワンぐらいです!

サムライ銅像研究会さまも、ぜひ
訪れてくださいませ!
チャリあるときっとガッツリもれなく
まわれますね!長浜からスタートかしら?

ワタクシも北近江は是非また行きたいと
思ってます!
サムライ銅像研究会 (2014/10/22 9:13 AM)
こんにちは。私も姉川古戦場に行きたいのですが、なかなか…でもこれを読んで、来年計画しようかと思いました。
真柄の鬼神ぶり、遠藤の覚悟が行間から滲みでてくるようでした。国土地理院の地図を用意して自転車レンタルできたら最高ですね。
そういえば真柄の野太刀が熱田神宮の宝物館にありました。