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長浜城に登城!

[豊臣秀吉] ブログ村キーワード

徳勝寺から何とかギリ長浜城に登城!! 豊公園の駐車場が満車で一瞬「マジか!」と思いましたが、
臨時駐車場に停めれてセーフ。粘るところじゃないのでサクっと見て退却することにします!!

奇跡!人いなかった瞬間


長浜城は琵琶湖のほとり市民憩いの場になっている豊公園内にあり、大通寺や黒壁スクエアと並ぶ
長浜観光の目玉になっているので、もっと人が多いかと思ったけれど夕方のせいかパラパラ程度。

犬山城なんかを参考にして初期の感じで建てられたという鉄筋コンクリート造の模擬天守。
琵琶湖からは巨石なんかも出てきているようですが、この石垣も建てる時に積まれた新しいもの。
模擬天守もピンからキリまであるけど、長浜城は模擬なりにちゃんとしてっぽいなと思いました。

市の文化財だった瞬間


模擬天守の横に本丸跡の碑が立っています。当時は御殿や庭園なんかがあったんでしょうね。

元は「今浜」と言ったこの地を信長に与えられた秀吉が、信長の一字をとって「長浜」に改称し、
城下町を作りました。その後、山内一豊、徳川家臣の内藤信成らが入城しますが、元和元年(1615)、
信成の子、信正が摂津高槻に移る時、伊井家の領地となって長浜城は廃城となったそうです。
建物や石垣のほとんどが彦根城に移され、天秤櫓、隅櫓などがその遺構だと言われているのだとか。
長浜城の近くにある大通寺台所門、 知善院表門なども移築門として有名らしいのですが、
日暮れも近いし・・もうワタクシ足がパンパンで攣り気味なので割愛することにしました。

もったいなかった瞬間


模擬天守の前には天守台跡が残っています。当時は東西12間×南北10間もあったと言います。
長浜城跡では石垣や礎石建物跡や舟着場らしき石組み遺構等も一部発見されているようですが、
調査は部分的で、全体の縄張や細部の構造については未だ解明されていないんだって。
秀吉が手をかけたお城でも江戸初期に廃城になってしまうと謎に包まれてしまうのね。
絵図でも縄張図でも、最悪きれっぱしでも何かしら資料が残っても良さそう気がするんだけど。

好みがうるさかった瞬間


長浜は秀吉によってつくられた城下町ということで未だ【秀吉ラブ】が強い土地柄なんだそうです。
というわけで天守台跡には太閤になった秀吉さんの銅像が建てられていました。
大阪城内の豊国神社にある秀吉像を見た時にも、銅像としては素晴らしいケド何か違うわ〜と思ったけど
長浜に来てまた違った秀吉像を見て、その思い「さらに倍!」みたいなΣ(゚ロ゚;)
長浜町人の家に伝わる絵が元ネタらしいんだけど、町人の家になぜ太閤さんの絵が・・怪しいw
そのうち名古屋の中村公園にある銅像も清正の銅像のついでに(!)見に行くつもりなんだけど
ワタクシ的には出世街道爆走中の「猿!」と呼ばれてノリに乗ってる頃の感じが欲しいんですw

夢と希望が浮かんでいた瞬間


天守台からは今は目の前に木が茂っているけど、夕日の差し込む琵琶湖が見えました。
案内板にあった復元予想図を見ると、琵琶湖の水を取り込んで曲輪の周りに堀を巡らし、
湖のほとりに張り出すような縄張になっていました。天守からは琵琶湖が丸見えだったよう。
初めて城持ちになった秀吉は「まだまだビッグになってやるぜ!」と野心に燃えて琵琶湖を、
そんで琵琶湖をと見せかけてからの〜「西」を眺めていたかもしれないねw

10分待った瞬間


模擬天守は歴史博物館となっています。混んでないと言っても人がパラパラ出たり入ったりするし、
おまけに天守横づけで某宅配便のトラックまで停まってたもんだから模擬天守でも待っちゃいましたw

足が本当にイカれ始めてプルプルしていたけど、せっかくだから景色を見るかと思って入城。
階段あがるの辛かったわ〜ちょっと動かすとピキッと攣りそうになるから本当にまいったΣ(゚ロ゚;)
中は秀吉関連の他に、小堀遠州や国友一貫斎とか長浜の歴史とともに人物の展示がありました。

ビル相当邪魔だった瞬間


どんだけ好きなんだ!って感じで長浜城に登ってまで小谷城虎御前山方面にかぶりつきますw
ビルの右に虎御前山、その重なって奥に小谷城があって、ビル左には賤ヶ岳まで見えますよ!
さっき見て来た浅井三代のお墓がある徳勝寺は、秀吉が小谷から長浜に移したというのも
この距離を見て納得。旧小谷家臣への配慮とかそういうのもあったんだろうと思いました。

北近江素敵すぎた瞬間


伊吹山と関ヶ原方面もよく見えました・・これまた中途半端なマンションが邪魔ですがw
彦根方面なんかもよく見えて・・ちょいちょい邪魔な建築物がある今でさえパノラマビューだから、
交通の要衝に睨みを利かせる意味で建てられるお城の重要さがリアルにわかりますね。

セキュリティが心配だった瞬間


発掘された石垣根石もゴロッとさりげなく置かれています。彦根に持ってかれなかったやつね。
根石と言ってもものすっごい大きいものではないんです。ポジティブにとらえるとちょうどいい感じに
女性の足が写ってますので、遠近感をどんぶり勘定してもらうと何となく大きさ分かるかも!?

微妙だった瞬間


琵琶湖のほとりにある太閤井戸。長浜築城の際、秀吉が掘らせた井戸だと言われているそうです。
昭和4年に琵琶湖の渇水で発見されて、発見当時は厚さ3僂曚匹量擇糧弔念呂泙譴討い燭鵑世辰董
琵琶湖の水位によっては石柱の部分しか見えないこともあるらしいんだけど、
西日で何だかよく分からんシルエットで全部見えるのとどっちがいいのか・・少々迷うね。
でもそれよりも琵琶湖にそんなに潮位の差があることの方が気になって仕方がなかったりw

うがちすぎだった瞬間


石垣出土地には碑の他に、他と違って豪華な案内板が設置されていました。

従来、この附近の水面下には長浜城石垣の用石と伝えられる巨石が散在していた。
昭和44年7月、この地に湖岸埋め立て工事が進められる事になり、同年11月下旬から約1ヶ月、
水底の発掘調査をしたところ、石垣の根石と認められる30数個の巨石が延長約30mに亘り、
整然と列をなしている事がわかった。 (長浜市教育委員会の案内より)

もしや・・埋め立てちゃった埋め合わせか!?

ものぐさすぎた瞬間


帰りがけわざわざ長浜駅によって「三献の茶」の銅像を見てきました。

長浜城主となった秀吉は鷹狩の帰り、領内の観音寺に立ち寄り茶を所望します。
汗をかいた秀吉の様子を見た寺の小姓、佐吉少年は一杯目は大きな茶碗にぬるいお茶をたっぷり出し、
秀吉が二杯目を所望すると、今度は先ほどより少し熱いお茶を茶碗に半分ほど出しました。
さらに秀吉がもう一杯所望すると、三杯目は小さな茶碗に熱いお茶を入れて出しました。
秀吉は相手の様子を見て、茶の入れ方一つに気を配れる佐吉少年を気に入り召し抱えます。

この佐吉少年が後の石田三成・・三成が秀吉に取り立てられた時の有名なエピソードです。
本当かどうか別として、後に官僚として頭角を現す知恵者で機転の利く三成はもちろん、
ノリに乗っていた頃の秀吉の冴えっぷりも表している感じでなるほど納得な逸話ですね。

この銅像、駅前ロータリーにあるのですが、ロータリー狭すぎて一瞬も路駐できず、
しかしワタクシもう足が本当に痛すぎて、離れたところから歩くのも難儀だったゆえ、
何とか車からちゃちゃっと撮ったろ思い、うまいこと銅像の前の信号停止線で止まれるまで
ロータリーを3周もしてしまいましたΣ(゚Д゚)! こりゃワタクシも相当知恵者だわ・・フフ。

寝ずに憧れだった戦国ど真ん中でフルに遊んで充実感に満ち溢れていますが、
足はもっと腫れ上がっています。北近江に来てまでドラッグストアに寄って冷湿布を買うワタクシ。

それでも明日はその三献の茶の舞台となった観音寺石田町、横山城を目指します!!!(鼻息荒っ)


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2013.06.20 Thursday 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

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