<< November 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
<< 徳勝寺〜浅井三代のお墓参り | main | 石田三成ゆかりの観音寺に参拝! >>

石田三成ゆかりの石田町

[石田三成] ブログ村キーワード
足痛い・・寝ても全然治らないけど、北近江攻略2日目は元気に石田町からスタートです。

聖地だった瞬間


長浜市市内からほど近くに「石田町」という町があります・・そう!石田三成の地元ですよ!!
子供の頃から観音寺で寺小姓をしていた三成なので、まぁ正確には実家・出身地ということなのかな?
スタートは石田町の入り口から。ここバス停前なんだけど「石田」って停留所なのw
バス停前には石田三成の屋敷跡と書かれている碑を建てた盛り上げる感じの一角があります。
ワタクシも何だか知らないけど盛り上ってまいりました。時空を超えた感じに勝手に酔うんですねw
ちなみに・・バスは1時間に1本とかそういう感じみたいですので車じゃない方はご注意を・・。

道の狭さ注意!だった瞬間


今回は石田町の大場所を見逃さないように念入りにポイントを確認してきたワタクシ。
細い路地を車で強引に進み、まずは八幡神社からスタート。八幡神社と言ってもあなどるなかれ。
八幡神社は石田の氏神様で、且つここに石田神社もあって「石田三成公一族及家臣供養塔」もあるのよ。

三成愛だった瞬間


ほら、八幡神社の境内に、石田神社の碑があるというね・・・由来などはわかりませんが、
とにかく石田町は「三成ラブ」なんで神社の中にさらに神社を建てる気持ちは何となくわかります。

残念だった瞬間


で、その石田神社の碑を通り過ぎた裏に、「石田三成公一族及家臣供養塔」の一角があります。
せっかく立ててある旗がしおれているのが残念。写真を撮るのに名前が見えるといいな〜と思って
一応広げてみたり引っ張ったりしてみたんだけど、すぐしな〜となっちゃうから仕方ないです。

敬虔過ぎた瞬間


造作もちゃんとしているし敷地も何気に広いです。綺麗に手入れされているのがすぐにわかります。
ワタクシが写真を撮っていると、地元の方らしきオジサンがやってきました。
オジサンまっすぐ供養塔に向かうと長いこと手を合わせます。三成ラブ度合にちょっと感動。
オジサンの邪魔をしてはいけないので、先に供養塔の周りを見てみることにします。

命がけだった瞬間


昭和16年に八幡神社の地中より故意に破壊された五輪塔の残欠が発掘され、墓石の残欠が石田三成公の先祖に
関係のあるものと推定されました。関ヶ原の戦いの後、徳川方の追求を逃れるため、神社を隠れみのに
里人が密かに埋め隠していたものと考えられているのだとか。その後、仮の墓所で30年間供養していましたが、
昭和48年この地に「石田三成公一族家臣供養塔」が建てられたんだそうです。

達観していた瞬間


供養塔の近くには石田三成の辞世の句が掘られた碑も置かれていました。

筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり

筑摩江にともるかがり火が消えるように、自分も消えていくのだな・・

筑摩江は滋賀県の琵琶湖東北端にある場所を指すようです。三成が処刑されたのは京都の六条河原。
処刑場への護送中、のどが渇いたと言って柿を勧められ、痰の毒だと断ったエピソートが有名だけど、
どのタイミングで読んだのか・・辞世の句を見るとちょっとエピソートが示す印象と違う気もします。
でも死に際に及んで変にかっこつけて気取ったお高い句を読んでいないところに逆に好感を持てたり。

フレンドリーだった瞬間


墓石出土跡と唐戸はしと書かれた碑が立っていました。ここから南西約300メートルの場所にあった
朽木街道の小川に架けられていた石橋。元は5〜6世紀頃の石棺の蓋なんだそうです。

お参りの終わったオジサンが話しかけてきました。「オハヨウ。お姉さんどこから?」「埼玉です」
なんてところから始まって、「石田会館は行ったのか」「観音寺にもよってください」なんて
世話を焼いてくれます。ええ、ええ、もちろんロックオン済みですとも!! しかし石田ラブですね。
オジサンが「三成さん」と言ったのがとても印象的。400年以上経っても地元の人に愛されてるんです。

関ヶ原を思う瞬間


香炉堂なんかもある立派な供養塔です。ガラスもぴかぴか!地元に人の手入れなんでしょうね。
命日なんかは特に、全国から石田ファンが押し寄せる石田三成の聖地なんだそうですよ。
ワタクシ東軍より断然西軍。もちろん石田三成は好きです。頭がいいのだからもっと突き抜けて、
人を転がすためには何でも出来るバカになってしまえばいいのに、それが出来ない不器用さが何かねw

合掌の瞬間


大きな五輪塔の周りに小さな五輪の塔が置かれています。石の様子から時間が経っている感じがします。
三成は善政を敷いて領民に慕われたというから、三成ラブだった当時の人々が、徳川に見つからないよう
埋めたり壊したりして、大切に守ってきたものだったんだなという感じが伝わってきますよね。
ここでも遠藤直経のお墓同様、綺麗にシャンとしたお花が綺麗に活けてあるのが印象的でした。

三文の得か微妙だった瞬間


石田会館にやってきました。この辺を散策する場合、ここに車を停めてよいようです。
ワタクシは朝8時前スタートと早かったので、先ほどの八幡神社も石田会館にも車で移動していたけど。
ただ道が狭いのと敷地もそんなに広くないので、盛り上がってる時は厳しいのかもしれませんが。

石田会館のど真ん中に石田三成公屋敷跡と書かれた碑があります。が、生家という感じだと思います。
中は三成ゆかりの展示・・京都の大徳寺三玄院で発掘された三成の頭蓋骨の写真なんかも見れるらしいけど、
朝早いのでやってなくても仕方がない・・全然関係ないけど三成の兜はかっこいいですよね〜。

思い込みが激しかった瞬間


敷地内には堀端池(冶部池)という池がありました。石田屋敷の堀の一部だったと言われているみたい。
こじんまりした池なんだけど、そう知ると何となく風情というか品があるように思うから不思議www

旅の醍醐味だった瞬間


池の隣には石田治部少輔出生地の碑とともに三成の銅像が建っています。それをジロジロ眺めていると
自転車で石田会館にオジサンが入ってきました。「オハヨウ!どちらから?」「埼玉です」
「それは朝早くからご苦労様、写真撮ってあげるからカメラ貸してごらんなさい」なんて始まって、
ワタクシ思いがけず三成とツーショットを撮ってもらうことになりましたw

ニコニコして人のよさそうなオジサンだったので、三献の茶の観音寺の行き方を聞くと親切に教えてくれ、
「時間があったらぜひ関ヶ原にもよるといいですよ、行ったことは?あ、ない? だったらぜひ」と始まり、
「三成さんのところから、島左近、島津、小西、宇喜多、大谷・・でずらーっと松尾山まで見れるから。
あ・・松尾山はあかんな、あれは小早川やから。時間があったらぜひ寄っていてください」って。

「松尾山はあかん」だって!! どんだけ三成好きなんだと思ってワタクシ言い知れぬ感動を覚えました。
熊本城に行った時も、タクシーの運転手さんから仕事で会う人みんな「清正公さん」って自慢話をしてくれたけど、
400年以上経った今も地元の人に愛されるって本当にすごいことだわ〜と改めて思いました。
ワタクシは三成好きですが、一般的にイヤな感じに言われる場合の三成像って徳川の情報操作なんだなと
思ってしまいますね〜島左近だって家臣になったくらいだしね。大谷さんと熱い友情あったしね。
筋を通して義を守る上杉家とも仲良しだったし、石田町の人は未だ三成大好きみたいだし。

オジサンと何だかんだ10分くらいしゃべっていたかしら。ひとしきり話すと、オジサン
「じゃあ気を付けて行きなさいよ」と言って自転車に乗って去っていきましたΣ(゚Д゚)!
なんだ石田会館の人じゃなかったのか!! ワタクシてっきり石田会館の人が出勤してきたのかと・・。
観光さん(私)見つけてわざわざ入ってきて話して世話を焼くくらい、やっぱ三成好きなのよw

地元愛、三成愛が強いのに観光さんを嫌がらず、むしろ受け入れて三成をもっと知ってもらおう、
って感じがするのが素敵だなと思いました。虎御前山であった管理人のおじさんもそうでしたが、
近江商人気質というのかね、愛想がよくて親切でいい人が多いなという滋賀の印象になりますね。

プロパガンダかもだった瞬間


オジサン行ってしまったので、またまた三成の銅像をジロジロ見てしまいます。
どうこれ、いいお顔じゃない? 平成2年(1990年)に三成の390回忌に際して建立されたもので、
京都の大徳寺に葬られている遺骸と青森杉山家に伝わる三成の肖像画を参考にして作られたそう。
よく細面で狐顔とか言われるけど、それも徳川の悪口作戦じゃないかと疑りたくなりますw
肖像画とか優しげな感じのやつあるものね。ゲームがイケメンすぎるのは別問題としてΣ(゚Д゚)!
知的で品があって温和な表情で・・・三成のイメージどうりかは別としていい銅像だと思いました。

みんな気づいていた瞬間


敷地内には西郷隆盛が読んだという関ヶ原軍記の碑も建っています。

東西一決関ヶ原に戦う 鬢髪冠を衝き烈士憤る
成敗存亡 君問う勿れ 水藩の先哲 公論あり

関ヶ原で東西は決戦し、三成は怒髪天を突き激闘した。しかし勝負は時の運である。
敗戦を責められるべきでない事は水戸藩の先哲が公正に判断している。

みたいな意味らしいですよ・・先哲というのは光圀・・黄門様のことですね。
ものすっごい簡単に言うと「三成は悪くない」と・・Σ(゚ロ゚;) 西郷どんも三成ラブらしいっすw

街をあげて・・だった瞬間


石田町の街灯の柱には三成と関わりのあった武将の名前がついています。凝ってますねw

リアル生誕地だった瞬間


バス停「石田町」のすぐ近くには三成産湯の井戸がありました。深さは暗くてよく見えず…。

三成は永禄3年(1560年)、坂田郡石田村(長浜市石田町)に石田正継の次男として生まれました。
幼名は佐吉。父正継は浅井の家臣でした。佐吉少年は石田町からほど近い観音寺に小姓として預けられ、
そこで秀吉に出会い家臣として取り立てられ、やがて豊臣を背負って徳川と闘うことになります。

争いが嘘のようだった瞬間


石田町の風景・・長浜浜市内なのにまぁ長閑としか言いようがないところです。
でも昨日見て来た小谷城周辺や姉川を含めて、北近江長浜ってすごく雰囲気がいいというか、
居心地がいいというか・・心がスーッとするような独特の空気感があるように思います。

ご利用は計画的に!だった瞬間


あれに見えるが横山城。元は浅井方の城だったけど姉川の合戦の後、織田軍が攻め取ると
秀吉が城将として入り、その後3年間、小谷攻め最前線として機能したお城です。標高約300m。
石田会館であったオジサンに聞いたところによると「片道90分はかかるんじゃないか」とのこと。

オーマイガーッ!!・・・((((;゚;Д;゚;)))) ワタクシ アシガ コワレテシマイマス。

翌日になっても昨日の疲労が取れず、引き続き足が攣りそうな状態が続いているので片道90分と聞いて
相当迷ったけど陣城だったし怪我したら困るから横山城登城は断念。プランBに変更します!!

プランB・・なんじゃそら? 

何しろまだ9時。とりあえず三献の茶の舞台となった観音寺に茶の湯の井戸を見に行きますw


*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング
2013.06.24 Monday 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

スポンサーサイト

2018.11.16 Friday 23:02 | - | - | - |