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大垣城に登城!

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三成ゆかりの観音寺を出て下道で関ヶ原を抜け、プランBの思いつきで大垣城にやってきました。
関ヶ原を見れるだけ見ちゃおうかと誘惑にかられたけど、雑な思いつきの出陣ではもったいない。
ワタクシ来たる日のためにグーグルマップに陣跡や見どころをもれなくマークして準備してますのでw

複雑な乙女心だった瞬間


まずは東門から。お城は大垣公園内にあるので東門からでなければ公園側から入ることになります。
ワタクシは駐車場の都合でたまたま今でいうところの正面、東門から登城することになりました。
この門は天守が復興された時に、七口之門の 1つである柳口門を移築したものなんだそうです。

ワタクシ実は大垣城は今ある建物という意味ではあまり興味がなく、ついついスルーしてました。
しかしながら関ヶ原出陣の時は城を見るとかじゃなく大垣スタートにしようと思っていたりもして、
自分で急に登城することにしたくせに、少々屈託あり気味 Σ(゚Д゚)! 女心は複雑なのよw

色々と残念だった瞬間


木が邪魔で完全に見づらいですけど、これが復興天守。珍しい四層四階。死相につながるということで
あまり好まれないらしいです。天守は戦災で焼失する前はなんと旧国宝に指定されていたそうです。
今の天守は鉄筋コンクリート造。窓とかいらなかったし、どうせなら木造で頑張ってほしかったけどね。

中は博物館で入場料は100円。ワタクシは時短都合もあり中に入りませんでしたが、
関ヶ原の資料があるので来たる出陣の日にはやっぱり大垣スタートはアリだなと思いました。

重要拠点だった瞬間


現在は大垣公園になっている本丸の配置はこんな感じ。今見てきた天守と櫓の一部が再建されてます。
江戸期、10万石当時の大垣城は櫓が10を超え、水堀を何重にも巡らした大規模な堅城だったそうです。

関ヶ原の時には石田三成が入り、西軍の本拠地となりました。当時の大垣城は伊藤盛正3万4千石。
合戦前夜に三成の義弟、福原長堯ら7500の兵を残して大垣を出た西軍は関ヶ原に布陣、東軍と激突します。
同時に大垣城でも激しい攻防戦が行われました。 当初、よく戦っていたものの関ヶ原の敗戦により
裏切り者が出たため合戦の8日目には落城。長堯は自刀し、石川康道が5万石で入城となりました。

美濃を制する者は天下を制す・・関ヶ原の頃も江戸時代も大垣は重要な場所だったんですね。

やっぱり残念だった瞬間


鉄門跡というのが残っています。上の写真の案内図を見ると分かると思うけど、手前の砂利道のとこは
当時は堀だったのね。大垣城は明治まで続きましたが維新後、次々と建物が取り壊されて堀も埋められ、
旧藩士の運動によってかろうじて天守と艮櫓が残ったそうです。で、国宝になったのに戦火で焼失・・。
結果、維新の頃に米○俵で売られて取り壊されたとか、焚き付けの薪にされたとかよりマシって程度。

ワイルドだった瞬間


で、その鉄門のすぐ近くにあった辰巳櫓の跡がこちら。上の写真の右に映ってるのがその櫓台。
あまり広くない櫓跡に石がごろごろしてます。元からこうなのか整備されていないだけなのかは不明。

空気を読んだ瞬間


公園側に出てきました。家族連れが多く、サッカーやらキャッチボールやら広い面積を使う遊びが
思う存分出来る広い公園です。なのでカメラで城を狙ってずーっと公園の真ん中の方に下がっていくと
櫓まで入る引きの素晴らしい写真が撮れるに違いないんだけど、ワイワイ子供が遊んでるもんでね・・
ものすっごい好きな城だったら行くけど、足痛いし今回はまぁこのくらいにしといてやるか、とww

ちなみに手前にある、さも「以前からあったので復元されましたが、何か」みたいな感じの西門ですが、
これ当時は全く存在しなかった門らしいですよ。・・やっちゃったね大垣市!とひそかに思いました。

秀逸すぎた瞬間


公園にはイケてる騎馬の銅像が建っています。ポーズも立ち位置もなかなか計算されてると思います。
この方は戸田氏鉄(とだうじかね)さん。そもそも大した知識があるわけではありませんが、
それにしてもまったくワタクシの記憶の中に名がない戸田さん・・かっこいいけど誰ですか?

調べてみると大垣城の大垣戸田藩の初代藩主で、維新まで230年余続く大垣藩の藩祖のようです。
近江膳所城主である父の跡を継いで城主となり、関ヶ原、大阪の陣を経て最終的に大垣10万石へ。

譜代大名で10万石なんて相当のものよ。四天王と言われた本多忠勝だって10万石だったんだから!
天正17年くらいに家康の近習になって、文禄の役の頃には従五位下采女正になったそうですが、
戸田さんどんだけのスピードで出世したんだ! というよりどんな功でマッハ出世をしたんだ!
名前もそうですが、活躍の次第がよく分からないところが謎すぎて気になって仕方ありません。

それまで藩主が入れ替わりまくっていた大垣は、戸田氏鉄が藩主になって藩政が安定。
治水や新田開発、教育などにも力を入れた戸田氏鉄は地元のヒーロー。銅像が建ちました。

雑多すぎた瞬間


本丸北西では平成12年の関ヶ原400年目に合わせて復元された水の手門と塀が見られます。

お城のこっち側は・・といっても、復興や模擬でアレなんで歩いたのはこの通りだけだけど、
立地にとても違和感があるというか、狭い通りの反対側はすぐ住宅街で、その並びには風俗もΣ(゚Д゚)!
今の正面にあたるワタクシが登城した側は商店街のアーケード突っ切った奥になってるし・・なんか微妙。

案外どうでもよかった瞬間


水の手門跡の正面はこんな感じ。縄張り図を見ると道路になっているところが堀だったので、
当時は舟をつけられるようになっていて、水の手門を経て本丸に入る構造だったんでしょうね。

終始ノレなかった瞬間


水の手門跡を入った右側にある戌亥櫓。外側じゃなくて中から撮っちゃいましたΣ(゚Д゚)!
ワタクシ足が痛くて横山城断念したくらいだから、鉄筋コンクリートの櫓くらいじゃ、
角度にこだわってあっちから、こっちから歩き回ってジロジロ見る気にならなくて・・・。

あっさり終わりだった瞬間


当時とずいぶん違ってしまっているのは当たり前ですが、大垣城の外堀の名残りが見られます。
水が豊かだった大垣の雰囲気は感じられますね。たらい舟で川下りなんかもやってるそうです。


関ヶ原出陣の時はともかく、城めぐりとしてこれまでワタクシの攻略目標にならなかった大垣城。
お城も好き嫌いや相性あるわね。帰りがけの駄賃で登城完了めでたし!というのが正直な感想。

この後は今回行かなきゃ絶対行かないと思われる墨俣一夜城ほかへ「あも大返し」で登城します。



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2013.07.02 Tuesday 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(岐阜県) | 

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