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清州城に登城!

帰りがけの駄賃もいよいよ終盤。信長が小牧山城へ移る前にいた清州城にやってきました。

大人気だった瞬間


裏の路地に縦列駐車で車を停めて城前にやってくると、墨俣城なみに人がたくさんΣ(゚Д゚)!
もう結構いい時間だけど、中に入っていく人も回りうろついている人も多いのに軽くびっくり。

プラモっぽかった瞬間


信長の頃は天守はなく、後年、天守が建てられた頃には城下町ごと名古屋に移築。
金のシャチホコ、朱色の欄干のついた模擬天守。お金をかけた感がすごい。
建てられたのはバブル期。当時の市長の趣味やセンスと聞いた気が‥汗

信長アピールの瞬間


入口の門の裏側には「信長塀」が作られていました。桶狭間出陣前、戦勝祈願をした熱田神宮へ
勝利のお礼に信長が奉納した塀と言われ、本物は熱田神宮の本殿近くにあります。
三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並ぶ日本三大塀といわれるそう。

違和感過ぎた瞬間


古清洲城跡に行こうと赤い橋を渡っていると、向こうから甲冑武者が歩いてきました。
よく見ると・・・ちょっとあなた外人じゃないの!! ワタクシは物怖じしない日本人。
「ピクチャープリーズ」と日本語英語で話しかけたら、ポーズを取ってくれましたww

信長を思う瞬間


橋を渡ったところで清洲古城跡の碑を見つけました。元の清州城があった場所です。

清洲城は家督は継いだ信長が尾張の拠点とした城で、永禄3年(1560)桶狭間へは
ここから出陣しました。合戦後、徳川家康との同盟が結ばれたのも、本能寺の変後、
織田家の跡目を決める清洲会議が行われたのもここ。感慨深い気がしちゃう。

永禄6年(1562)に信長が小牧山城に移った後は信長の三男信雄、豊臣秀次、
福島正則、松平忠吉と城主が変わり、忠吉の死後、徳川義直の入城すると
家康の命により城下町ごと名古屋に移され(清洲越し)ました。

色んな意味で残念だった瞬間


その後、田畑になっていた清洲城跡は戦後の開発でJRが通り、本丸跡は線路で分断され。
天守も元あった場所に建てたかったようですが、ギリギリまで線路が迫っているため断念。
五条川を渡った側に模擬天守が建てられた今、見どころが3パートに分かれた感じになってます。

清洲古城跡の奥に進んでいくと『右大臣織田信長公古城跡』と書かれた石碑が建っていました。
夕方めだったし、木がうっそうとしていて薄暗いので写真が全然わからないけど(*°∀°)=3

神様だった瞬間


石碑の隣には信長を祀るお社がありました。毎年、信長の命日である6月2日のにはこの社前で
「織田信長公顕彰祭」というのが行われているそう。祝詞奏上や敦盛の舞なんかやるらしい。

勝手にシンクロだった瞬間


線路をくぐって今度は信長の銅像を見るため清州公園の方へ。若かりし日の信長と濃姫です。
桶狭間出陣前が表現されているそうで、当時26歳の信長の視線は桶狭間の方に向いています。
ワタクシは信長様の足もとで同じ方に視線を向けておきました。濃姫は・・・スルーでw

素敵すぎた瞬間


西洋チックでダンディなミドルになる前の・・大鎧を付けた若い頃も凛々しくていいですねw
信長銅像の中でかなり好きなのに、ミラーレスの電池切れでコンデジしかないのがつらいとこ。

バブリーすぎた瞬間


この朱色の橋が何しろ・・・墨俣城の太閤出世橋の方がまだましか?どうなの?


帰り際、天守最上階の窓辺にさっきの甲冑ガイジンの姿を発見! 観光かΣ(゚Д゚)!
そのわりにすんなりポーズ決めたねw とちょっぴり気にしながら、この旅、最後の地へ。



沓掛城に登城!〜に続く



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2013.07.19 Friday 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(愛知県) | 

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2020.02.14 Friday 20:57 | - | - | - |