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安土城に登城!その1〜大手道・黒金門跡編

[日本百名城] ブログ村キーワード

日本100名城51番 安土城に登城!

観音寺城のある繖山(きぬがさやま)とは尾根続き。あっという間の到着です。

空模様が怪しすぎた瞬間


ついに信長の城、安土に来てしまった!! もったいつけてあえて登城せずにいたから、
いざ来てみると、長い旅の終わりが近づいたみたいな気分にうっかりなりかけるわw
安土城の麓の有料駐車場(500円)に車を停めて、雨が降りそうなのでさっさと行きます。

信長イズムだった瞬間


安土城の南側にある大手口から入城します。大手のあたりは2002年に東虎口の石段が発掘されてから、
長い時間をかけて整備が進められました。写真では左奥に西虎口の片隅がチラッと映ってるだけだけど、
当時は大手門の他に3つも門が並んでいたみたい・・ヨーロッパとか中国のお城みたい感じなのかな?
入口からして天下人の城のスケールのでかさ感をアピールする効果がありそうな気がします。

幻にチェックインの瞬間


ここで入城料を払ってパンフレットをもらいます。2006年くらいまでは見学自由だったみたい。

安土城は天正4年1月(1576)信長の命を受けた丹羽長秀が普請奉行となって築城が開始されました。
各地から多くの人夫や当時最高の技術を持った職人が集められ、3年後の天正7年天主の完成後、
信長が移り住みました。標高199mの安土山を丸ごと城域として石垣をめぐらし、五層七重の豪華絢爛な
天主を持つ安土城で信長は天下人になるはずでしたが、天正10年(1582)本能寺の変が起きると、
城は明智光秀方の手に渡り、光秀が秀吉に討たれると天主・本丸は消失しました。

その後、織田家の後継者をめぐって信長の次男信雄<や孫の三法師が入城するものの、
天正13年(1591)、小牧長久手の戦いで信雄が秀吉に屈すると三法師は岐阜城に移され安土城は廃城に。
その後は信長が城内に建てた宛寺によって城跡が守られ、現在にいたっているそうです。

威風堂々だった瞬間


お金を払って中に入るとまず目に入るのが大手道。安土城と言ったら必ず写真に載るところですね!
道の幅は6メートル、これがまずは直線状に180メートル続きます。両側には幅1メートルほどの側溝、
両側に石塁が並んだ堂々たる景観です。この両脇にこれまた歴本に必ず登場する重臣の屋敷跡が並びます。
こっから山頂の天主跡まで400段ちょっと・・・またヨロヨロしながら気持ちで登って行きましょうw

心理作戦だったに違いない瞬間


まずは大手道入ってすぐの右側、前田利家の屋敷跡。大手道正面の守りを固める重要なポジション。
写真は少し上から大手門があった方向を見下ろしているもの。隅櫓が建っていたという櫓台があります。
ちょっと空いているところから中に入ると枡形になっていて、奥に向かって屋敷が建っていたようです。

少し残念だった瞬間


枡形を入って左手には上段郭が。案内版を見るとここには当時、多聞櫓が建っていたみたい。
屋敷はこの方向から右手奥の郭にあったようですが、未整備らしく奥まではいけませんでした。

仲良く防御だった瞬間


大手道を入った左側・・前田利家屋敷の向かい側には羽柴秀吉の屋敷跡もありました。
城の入口を重臣の犬猿が守る配置だったんですねw 秀吉の屋敷は大きく2段に分かれていて、
当時は下段にあたるこの位置に壮大な櫓門が建っていたようです。

ものすごい想像力が必要だった瞬間


案内版にあった復元図によるとこんな感じ。当時、大手門を入ってすぐ両側にこんな建物が建っていたと
思って今の大手道を見ると威圧感が5割増以上になりそうだから、雰囲気もかなり違ってきますね。

分かりづらかった瞬間


で、これが秀吉屋敷跡の下段の部分。当時建っていたという櫓門を入った辺りから中を見た感じですね。
ここに遠侍と呼ばれる武士が控える部屋が設けられた厩があり、馬6頭を飼うことが出来る広さだったとか。

それにしても安土城は案内板が充実してます。説明も詳しいし図もちゃんとあるのが素晴らしい。
隣にあって同じ百名城指定なのに放置プレイもいいとこの観音寺城が尚さら痛ましく思えてきます。

スケールが大きかった瞬間


下段から上段の方を見上げてみます。写真右側が大手道に面した方。櫓台があるのがわかります。
上段は生活の場で主殿や内台所などの建物が建っていました。秀吉屋敷は城内で最大規模だったそうです。

息切れしてきた瞬間


180メートルの直線が終わると大手道はここで大きく左手に曲がっています。
整備された石段とはいえ登りが続くとヨロヨロしてきます。なので休憩がてら振り返ってみました。
青々とした樹木ではなく、道の両側に櫓や門や屋敷の屋根が並んだところ見てみたいね。
ちなみに大手道の左側(写真左)手前にある入口らしきところが家康屋敷跡と総見寺の敷地。
総見寺を見学するには別料金がかかります。ワタクシは時間がなかったので割愛しましたが。

パンフ二度見の瞬間


大きく左に曲がった大手道はここから七曲の様相になってきます。道幅も狭くなってきました。
最初の方は屋敷を並べてディフェンスを固めた直線の道、そのまま行けるかと思いきや左に曲がり、
そっからはグニャグニャ曲がり道幅も狭くなる・・普通に考えたら攻め上がるの大変なんだと思うけど、
案内図を見る限りこの七曲付近には屋敷や郭とかの設備はなかったみたいで少々変な感じがします。

信頼は絶大に違いなかった瞬間


七曲を上がりきる手前左に武井夕庵の屋敷跡はありますが、下で見た重臣たちの敷地よりコンパクト。
武井夕庵は信長の側近ですが右筆などを務めた人。守りのために配置されてるわけじゃなさそうよね。

上から目線だった瞬間


大手道の石段には全体を通してあちこちに石仏が使われているのが見えます。
神をも恐れぬ信長だからってんじゃなく、当時の感覚では普通のことなんでしょうね。
光秀ですら福知山城なんかでは転用石(墓石や石塔)を惜しみなく(?)使っている。
石仏などが使われる理由はワタクシにはわからないけど、なんだかんだお寺が潰れて野ざらしになり、
後にその辺に石ころ扱いで放置されているより、お城で使われて案内版付きで残る方がいいわよ!

先は長かった瞬間


大手道の終わり。本丸のある方までは続いてなくて、ここで道が2つに分かれ、一方は本丸方面へ。
もう1方は城の西に向かっています。写真は本丸方面へ向かうところ。信忠の屋敷がここにありました。

やっぱり後継ぎだった瞬間


信長の長男、信忠の屋敷であったことを示す標柱が立っています。大手道が終わり、天主のある本丸に
至るところへ立ちはだかるように配置されています。もちろん門などが建っていたんでしょうね。
秀吉屋敷のような復元図は見当たらなかったけど、ここに配置されたなりの設備はあったと想像します。

うんざりしていた瞬間


うへぇ〜まだ石段が続きます。いい加減、膝がほほえみ出します。信長はもちろん、家臣のみなさんも
フロイスも朝廷の勅使もみんなここを登ったのよ・・と当時に思いを馳せながら引き続き気持ちで登ります。

片時も離したくなかった瞬間


二の丸〜本丸に至る入り口にある黒金門手前には、織田信澄邸と森蘭丸邸の標柱がありました。
標柱は石段から見える位置にありましたが、実際の屋敷はここよりもっと奥にあったそうです。

信澄は若かりし頃の信長が尾張統一の中で殺した実弟、信行の嫡男。自分の嫡男である信忠より
本丸に近いところに屋敷が配置されているのね。信長は信澄が幼い頃は柴田勝家に養育させ、
後に明智光秀の娘を娶らせています。戦国の習いとはいえ、実父を殺された信澄が叔父である信長に
どんな気持ちでいたか分からないけど、信長が信頼して厚遇していたことがうかがえます。
逆に言えば猜疑心が強いと言われ、身内でも気に入らなければ冷遇した信長に重用されるほど
信澄さんは手堅い人だったってことよね。信長が寵愛した小姓の森蘭丸が近いのは普通に納得w

想像しきれなかった瞬間


ようやく天主のある本丸へ続く二の丸の入り口に建っていたという黒金門跡にたどり着きました。
ここまでに見て来た石垣と明らかに規模の違う大きな石が積まれた虎口には当時、厳重な防御施設が
あったことが想像できます。黒金門も本能寺の変後、天主と共に焼失していて、発掘調査では
焼けた瓦の中に菊紋や桐紋のついた金箔瓦が見つかっているそうです。あの豪華絢爛アメージングな
天主のあった城の中枢へ続く門だもの・・そりゃ壮大で威圧感のある眺めだったに違いない!!
ああ・・・焼けてしまったの本当に惜しいですね。家に帰ったら改めて安土城3D復元でも見てみよう。

いい加減疲れて来たけど、本丸>天主跡に近づいてきたのでアドレナリンが出てきたみたいw
登城開始時よりさらに今にも雨が降ってきそうな感じになってきたけどハッスルして先へ進みます。


安土城に登城〜その2 本丸天主跡編へ続く



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2013.08.07 Wednesday 21:55 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

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