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2020.02.14 Friday  | - | - | - | 

妻沼聖天山で斉藤実盛像と重文拝見!

[妻沼聖天山] ブログ村キーワード

今回はワタクシの地元、埼玉ネタです。先日、ふと地味な深谷城登城を思い立ち、
前から気になっていた妻沼聖天山や新田荘など近隣の名所旧跡にも行ってきました。
いつでも行ける県内なのに、暑くて有名な熊谷に梅雨明け直後に行くワタクシよw

日差しにやられていた瞬間


実はワタクシ、熊谷初訪問。駐車場から5分歩いただけで暑くてクラクラしてますΣ(゚Д゚)!

妻沼聖天山は日本三大聖天の1つ。他2つは東京都台東区の待乳山聖天、 奈良県生駒市の生駒聖天。
聖天ってなんだと少々思っていますが、今回はまぁ細かいことはさておき、まずは貴惣門から。
安政2年頃に建てられたもので国指定重要文化財になっているそうです。銅板葺の八脚門です。

珍しかった瞬間


この門、横から見るとほら破風が3つ!!こういう貴惣門は日本に4つしかないんですって!!
高さ18メートル。重厚のある構造がかなり迫力。よくみる山門とは雰囲気がまた全然違います。

味わいがあった瞬間


壁面の彫刻は左甚五郎の流れをくむ人が彫ったそうです。この後行く重文に指定された本殿の彫刻は
極彩色なんだけど、これは素木というの? 塗りがない分、彫りの細かさや華麗さが分かる気がします。

イメージどおりの瞬間


貴惣門の先には斉藤実盛の銅像があります。妻沼聖天山に来た理由のひとつはこの銅像を見たくて。

実盛さんは源平の頃・・平家物語に登場する武士。武闘派のワタクシは断然源氏の方が好きだけど、
生き様がかっこいい武士として畠山重忠さん同様、斉藤実盛さんも心ひそかに讃えておりまして・・。

実盛さんが右手に筆、左手に鏡を持っている姿は平家物語(巻第七「実盛最期」)の場面より。

実盛は当初源氏に仕えていて、合戦で討ち死にした源義賢の子、駒王丸を匿い木曽に送ります。
この駒王丸は後の木曽義仲。その後、実盛は平治の乱で源義朝を助けて戦いますが、敗北後、
時の流れに従って平宗盛に仕え、領地(熊谷市妻沼)を安堵された恩義を貫きました。

寿永2年(1183)、倶利伽羅峠の戦いで源平が激突しますが、平家は敗北。
源氏の追跡軍をかわしながら篠原まで退いたところで総崩れとなってしまいます。
兵士が逃げる中、実盛はたった一騎で源氏方に挑み、討ち死にする覚悟を決めます。
この時、実盛73才。老武者と見られることを恥じて白髪を黒く染めて覚悟の出陣でした。

もののふの顔だった瞬間


そして潔く一騎で斬りこみ奮戦するものの、源氏方の手塚光盛に討ち取られます。
首実検をした源氏方の大将・・・木曽義仲は実盛の首を見て人目を憚らず泣いたと言います。

この銅像は覚悟の出陣前、実盛さんが髪を染めている姿を表現していたもの。泣けます。

当時の73歳で叶わぬまでも一騎打ちして死に花咲かせようという気概もすごいし、
首実検の時に老武者と見られることを恥じて髪を染めて出陣する覚悟もすごいし、
相手方の大将が木曽義仲と知りつつ何も言わず戦い散っていく壮絶さもすごいし。

覚悟を決めて達観しているみたいな何ともいえない表情がその瞬間を切り取ったような
素晴らしい銅像だと思いました。ブレない、潔い、ちゃんとしてるってのはマジで惚れます。

見かけによらなかった瞬間


実盛さんの銅像の先には熊谷市指定文化財の中門があります。寛文の大火で唯一焼け残った
最古の建築物なんだそうです。茅葺屋根だったものを解体修理の際、銅葺にしたみたい。

なかなか迫力だった瞬間


中門をくぐると今度は仁王門。元は万治元年(1658)に建てられましたが、明治24年に台風で
倒れたイチョウの下敷きとなって倒壊、明治27年に再建されたものなんだそうです。
五間三戸の十二脚門ですって!!仁王門なので聖天山を守護する仁王様達が睨みをきかしてます。

筋骨隆々だった瞬間


金網があるところが多いけど、妻沼聖天山は柵だけなのでたまにはと仁王様を撮ってみました。
向かって右側の「阿(あ)形仁王」。阿は命や世界など全ての始まりを意味するそうです。

手相が気になった瞬間


で左にいるのが「吽(ん)形仁王」。吽は全ての終わりを意味しているそうです。
終りを意味するって一見こわいけど、口をあいてる方が悪いことしたら食われそうで怖いっす。

偶然すぎた瞬間


仁王門の前には「聖天山開創実盛公実盛忌〜七月六日」と書かれた看板が立っていました。
この妻沼聖天山は実盛さんが本拠地である武蔵国長井庄に自分の守り本尊である大聖歓喜天を奉り、
聖天宮(1179年)を開いたのが始まりとされています。命日なのかどうかわかりませんが、
ワタクシが訪れたこの日、ちょうどそういう法要が行われる予定だったみたい・・導かれたかもw

お目見えの瞬間


仁王門をくぐるとようやく本殿「歓喜院聖天堂」が見えてきました。重文になったというアレですよ。
朝早いので人はほとんどいません。真ん中の石舞台は庭儀法会に使う舞台なんだとか。

たしかに東照宮チックだった瞬間


本殿は亨保20 年(1735年)〜宝暦10年(1760年)にかけ建立されたもの。埼玉の小日光と言われるそうな。
全面修復されて2012年に重要文化財に指定されました。唐破風のカラフルな彫刻は確かに日光だw

華麗すぎた瞬間


左から絵を描く人・囲碁をする人・琴を弾く人・書を読む人の彫刻。
琴棋書画図(きんきしょがず)というんだそうです。昔の中国の位の高い人が身に着けた方がいい
四芸(必須の教養)を表しているらしい。下段に龍が、他にも虎・龍・鯉の透かし彫りがありました。

いじきたなかった瞬間


本殿の裏には中殿があって、こちらはまた違った煌びやかさなんだけど残念ながら立ち入り禁止。
金ぴかカラフル・・やっぱり東照宮っぽいです。柵の中にカメラを突っ込んで撮ってみましたw

迷子になっていた瞬間


妻沼聖天山からそう遠くない所に実盛さんの塚(?)があるというので行って見ることに。
住所をナビに入れたらこの看板までは何とか来れたんだけど、こっからが全く分からない!!
こりゃ車じゃ無理だとタブレット持って確かめながら歩いてみたけど、それでも見つからない!!
暑くてヨロってきたので民家の庭先にいた年配の奥さんに声をかけたら連れて行ってくれたのですが・・

分かりづらかった瞬間


ちょっとーー!!調べてきた住所とは道3本も違うじゃないの!!親切な奥さんがいなかったら
ここまで来て、暑さでカラータイマーの点滅により、危うく無念のリタイアするところだったわ。
看板の矢印も分かりづらいそうだ。時々来る人がいてやっぱり聞かれると奥さんが言っていた。
ということで無事に到着。住宅街と畑のどん詰まり・・川の堤防の手前の隅っこに塚がありました。

モヤっとした瞬間


水堀の跡や出土品、伝承や史実などからして大正15年頃には埼玉県指定史跡「斉藤実盛館跡実盛塚」
として指定されたが、何時の日か誤って「史跡実盛碑」となったため昭和38年、県指定史跡を解除された。
中央の板碑は実盛の孫の長井馬入道実家が死去した後、その子何某によって建てた供養塔である。

と案内板に書いてあります・・「何時の日か誤って」て誰が何をするとそういう間違い起こるのか?

でも一度は県指定史跡になったくらいだからこの辺りが実盛さんの屋敷があったというのは
全く見当違いってこともなさそうだし、地元の方が手入れをして塚として残ってるからいいのかな。

しかし。詳しいことが分かってなかったり、言い切ったりできないんだけど
史跡としての説明が何か必要みたいな時、役所とか教育委員会ってうまいこと書くな〜と思う。
色々書いてあるようで実は核心に触れてないとか、肝心なところは書いてないとか?

仕事でも場合によっちゃ使えそうだからワタクシもぜひ身に着けたいわwww


今ワタクシ夏の陣の真っ最中ですが写真や資料、ガイドさんから聞いた話の整理などあるので、
次回も引き続き、埼玉めぐり・・深谷城なんぞのエントリーをしちゃおうと思いマス。



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2013.08.13 Tuesday 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

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