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深谷城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

妻沼聖天山の後は深谷城に登城! ・・正直、城跡としての存在感は激薄です(´Д`)
遺構もほとんど残ってないけど、地元埼玉の城ぐらい何かのついでに足を運んでもいいかとw

立派すぎた瞬間


城跡は現在は深谷城址公園になってまして、さも立派な城があった風な佇まいで整備されてますw
実際に遺構として残っているものはこの公園には一切ないので「城風」の演出を狙っているようです。

大胆だった瞬間


上の写真の反対側にも石垣が・・ちょっとした虎口の雰囲気を出してるって感じなのかな?
本来の深谷城とはかけ離れてるのですが、人によって城の入り口を再現したものかと思っちゃうかも。

気合いが入っていた瞬間


道路から見た公園の外側。公園の周囲はぐるっと石垣風な囲いがめぐらされています。
普通に柵や生垣を造るよりよっぽど予算がかかるのに何かこだわりあったんだな〜と別の意味で感心w

スルーだった瞬間


公園の中はこんな感じ。遊具は片隅にあるだけで憩いの場の部分はかなり広いですがただそれだけ。
市民文化会館とかコミュニティーセンターとかが併設された市の文化施設の一角という感じです。

深谷城は1456年(康正2年)、深谷上杉氏の上杉房憲が古河公方のに備えて築いたといわれる城で、
南北600メートル、面積20ヘクタールの大規模な城郭には土塁と深い空堀がめぐらされていたそうです。
関東管領上杉氏の庶流で上杉房憲から5代が居城としたことから深谷上杉氏と呼ばれていました。

天文15年(1546年)川越夜戦後、北条氏の支配下に入っていたため、天正18年(1590)豊臣秀吉の
小田原征伐が始まると城主上杉氏憲は小田原に籠城。深谷城は前田利家と浅野長政に囲まれますが、
重臣、秋元長朝・杉田因幡は総攻撃を避けるため開城、深谷を戦火から救ったと言われています。

家康の関東入国により家康の甥、松平康直が1万石で入城し、その後、家康の子、松千代、
六男忠輝、酒井忠勝ら居城としますが、寛永4年(1627)廃藩と共に廃城となりました。

かけ離れていた瞬間


せっかく来たので少し公園の周りを歩いてみると次の角には城郭風の狭間つき白壁が出現!!
土塁、空堀、木柵で囲まれていただろう当時の深谷城から比べたらモダンすぎますw

執念を感じた瞬間


で、また歩いて行くと公園の別の城郭風入り口が出てきてまたびっくり!! どんだけ好きなんだw
デザイニングされた経緯や意図はよく分かりませんが、役所のエライ人に城好きな人でもいたのかしら。
いっぱしの近世城郭の城址公園のような見かけ・・知らなくて通りかかったらちょっと車降りそうだw

シミュレーション中だった瞬間


城だったことを厳重にアピールしている公園に遺構は残っていませんが、東側に隣接する富士浅間神社に
申し訳程度の外堀跡が残っているというので、公園や文化施設の駐車場裏から行って見ることにします。
左奥の方が神社なのですが、若干ヤブヤブ。でも遠回りしたくないのでショートカットを目論見中。

イメージ湧かなかった瞬間


雑草のないところから外濠跡に入ってみました。ずいぶん浅くなっちゃってるんでしょうね。
深谷城は唐沢川、福川に囲まれた低湿地にあった平城で複雑な堀がめぐっていたそうです。
深谷城の調査資料を見ると、場所によっては幅18メートル、深さ3メートル近い堀があったり、
堀の底面なんかも畝堀とか障子堀とかいろいろあったことが分かっているみたい。
市街地だから仕方ないけど、貴重な埼玉の城。もう少し残っていたらよかったのにね。

うらさみしかった瞬間


外濠跡づたいに富士浅間神社の前に来てみました・・が、人もほとんど通らなそうな寂しい佇まい。
深谷上杉氏の祈願社で智形神社(ちかた)と呼ばれていたものが、明治始めに改称されたのだとか。
最後の城主上杉氏憲と子の憲俊は領地を没収されて信濃に移住、氏憲は信濃で隠居し、子の憲俊は
上杉の名を捨て、赤穂藩主の池田輝興に仕えたとか。すぐに開城しても改易厳しいわ。。。
なんにせよ何代も続いた家が没落していく感じは、今の神社の姿とかぶるような気がします。

ギャップが激しかった瞬間


神社の入り口に「市指定文化財 深谷城外堀跡」の標柱が立っています・・・狭ーーーΣ(゚Д゚)!
奥の方に浅いながら幅の広いところがあるのに、なんでこんな小川みたいなところに立てたのか・・

あっさり終了だった瞬間


細い小川風をたどって角を曲がると急に幅が広くなり、さっき見た神社のお社の横にある外濠跡へ。
で、ワタクシが入ってきた駐車場のところで曲がると、その先はまた細くなってしまっていました。
他に見るところがないので、市内の昌平寺にあるという深谷城を築いた上杉房憲のお墓へ行くことに。

実は有名らしかった瞬間


人見山昌福寺は上杉右馬助房憲が古河公方に備えて深谷城に移った時、父祖の冥福を祈るために創建、
慶安4年(1648)には寺領20石を拝領した名刹と言われるお寺なんだそうです。

案外くいつかなかった瞬間


中に入るとまず仁王門がありました。仁王様の前には金網が貼ってあったので写真はありませんが、
妻沼聖天山の赤い仁王様と違って、こちらは塗りのないタイプ。ワタクシは塗りなしが好きですな。
案内板などがなく建立時期などは分からないけど上の方の彫り物なども古そうで立派な門です。

やっぱりくいつかなかった瞬間


でこちらが本堂。本堂内には釈迦三尊像・千手観音像・開山禅師などがあるそうです。
裏に室町時代と推定される禅宗庭園があって、特別の時だけ見せてもらえるのだとか。

奥が浅すぎた瞬間


境内には「典座和尚と若き日の道元禅師」という問答のワンシーンを表現した銅像がありました。
しいたけの話 問答をしてるところです。暑い中、笠もかぶらず汗だくで一生懸命
しいたけを干している典座和尚(ご高齢)を見かけた若き日の道元禅師が質問します。

「なぜ他の人にやらせないのか」
「他は是れ吾にあらず」(他がやったら自分の仕事にならない)
「なぜこんな暑い時なさるのか」
「更に何れの時をか待たん」(今でなくて一体いつやるのか)

典座(てんぞ)というのは食事や供膳など食べ物を司る役僧のこと。道元禅師はこの問答を通して、
典座の大切さ、修行とは何かを悟ったそうです。これはまだ何となく分かるけど禅問答はムズイですね。
「今でしょ!」って答えた場合、その後も問答は続くのでしょうか・・ワタクシ悟りは遠いですw

立派だった瞬間


話がそれましたけど、ワタクシが見に来たのはこれ。本堂の左奥にある上杉房憲のお墓です。
立てた時期とか誰がとか説明がなく調べてもよく分からないのですが、なかなか立派な佇まい。

説明が足りな過ぎだった瞬間


累代の墓ということで憲房だけでなく、何代か血筋の人のお墓も並んでいるようなのですが、
昌福寺自体の説明には「房憲と憲盛の墓」としか書いてなく案内板もないのでよくわかりません。
ついでにこの辺で○憲なんだか憲○なんだか、ワタクシもわけが分からなくなってきましたw
房憲は室町の頃の深谷上杉氏初代。憲盛は川越野戦の後、北条に乗り換えた時の城主・・ムズイ。


頭が混乱してきたので深谷上杉氏から離れたい!! というわけで次は埼玉との県境にあって
ついでに行ける距離なので、群馬県太田市にある徳川発祥の地、大田歴史公園に行ってみます。


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2013.08.15 Thursday 00:24 | comments(0) | trackbacks(0) | 関東(埼玉県) | 

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2020.02.14 Friday 00:24 | - | - | - |