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高取城に登城!〜その1

[日本百名城] ブログ村キーワード

休みだ飛び出せ! 夏の陣!! ということで、今年は奈良攻め&東海の行きそびれ城の攻略よ。
激暑で草ボーボーの夏にわざわざ城攻めと思うけど、長期休暇じゃないと遠征できないからね。
冬は冬で霜だらけの山道怖いとか、チェーン巻けないとか克服しきれぬ問題もありますしw

死して屍拾うものなし!! まずは初日、今回はこの心意気で奈良攻めをしてやります。

埼玉から毎度のごとく、寝ずに車を走らせ高取城近辺にイン! 高取城は明日香のすぐ隣。
ナビに言われるまま走っていたら、何とあの有名な石舞台の前を通過・・・しかしそれには目もくれず、
寄り道しないワタクシ良い子w 早朝過ぎて寄り道しようもなかっただけだけど無事にまずは夢想館に到着。

人っ子一人いなかった瞬間


夢想館は通常、多くの人が高取城攻めの起点にしている案内所。百名城スタンプもここにあるし、
攻略マップをもらったり、ルートや見どころなんかも教えてもらえるところです。
開館を待ってスタンプを押す時間なく、事前にメールで聞いたらスタンプ押した紙があるというので
まずはそれをいただきに来た次第。ワタクシ実はあまりこだわりなくて、百名城いけばせっかくだから
記念にもらうけど、もらえればなんでもいいのw スタンプ帳からしてゼブラ柄だしww
夢想館は皆さんが言うように親切で、メールの問い合わせ回答も早くてとても丁寧で助かりました。
縄張り図や案内図はさすがに無理だと思い、迷子になると困るからサイトから印刷して持参です。

心細かった瞬間


高取城のある山は標高583m。とてもじゃないけど体力的にも時間的にもイチから登れないので、
車で「七つ井戸」のところにある登城口まで一気に行きます。ここからだと楽して登城できますw
城の入り口はさすがにナビに出ないので、まずは「壺坂寺」を目指して車を走らせます。
寺が見えて来たらそのまま直進・・ひたすら山道を登り続けます。離合困難な場所が多いので
段々と心細くなってくるけど自分に負けちゃダメ!! とにかく道は1本なので行き止まりまで行くのだ。
あ、ちなみにこの車載オンボードカメラ(?)の映像は気持ちに余裕がある帰りに撮ったものよw

不安に打ち勝った瞬間


そうこうしているうちにドン詰まりに到着!ここが車で行けるとこまで行っちゃう場合の登城口。
写真の手前は割と広いので数台なら車は停められます。帰りに後続車が来てた時のことを考えて
Uターンして向きを変えてから停めましょうw ここで登山靴に履き替えるなどまずは装備を整えます。
が、夏の場合、エンジンつけっぱでウロウロしてると排ガスにアブが寄ってくるので注意が必要よ。

お約束だった瞬間


登城口にはこんな看板が立っています。山城行ったらこんな看板を見るのは日常茶飯事だけど、
スズメ蜂やアブはともかく、毒ヘビには遭遇したことのないワタクシ。ハイハイって感じで登城開始。

いきなりの危機一髪だった瞬間


登り始めはこんな感じ。人一人通るのがやっとみたいな石段を登って行きます。何気に急なの。
この段階でワタクシは「まじかよー!」って感じで早くもだんだん頭が下がって視線も下になるのですが・・

ギョエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

なんとここで、いきなりのマムシ発見! ガスホースくらいの太さのマムシがワタクシの前を通過中。
気付かず一歩踏み出してたら、通過終わりのしっぽあたり踏んづけてたかも・・そんくらいの距離で。

やべぇ〜高取城はリアルにマムシいるんだわ・・と思って、これまで数々の山城に【夏】に行きながら、
遭遇すらすることなく無事生還してきた自分の幸運を称えると同時に、気を引き締めねばと思いました。

頭上では重低音サラウンドな得体のしれない羽音はひっきりなしにするし、気付けばクモの巣が
顔の前をピラッピラしてるので上方も注意しなけりゃならないし、足元も注意をしなきゃならないし。

野生の勘が告げていた瞬間


下手に棒とかでつついて歩くのも危ないから、細心の注意を払って登っていくと井戸がありました。
七ツ井戸と言われているやつですね。柵で囲われているのもあるけど、とても近づいて中を覗く気になれず。
一見ゆるく見える平仮名の「きけん」という文字がワタクシに妙な危機感を感じさせます。

興奮状態だった瞬間


井戸には絡まず少し登っていくと見えてきたのがこの石垣!! たぶん足元のガード完全に緩んでますw
新櫓跡の石垣の一面です。これからこんなのがイヤちゅうほど見れるんだわ〜と思うとワクワクしちゃう。

じらしプレイ開始の瞬間


登りきると正面に見えるのが搦手門跡。この先が新櫓跡と太鼓櫓跡になるようです。

高取城は松山城岩村城とともに日本三大山城のひとつに数えられ、山城としては日本一の広さを誇るお城。
標高583mの山の上にありながら天守、櫓、門など多くの建造物があった高取城は当時、
「巽高取雪かとみれば、雪でござらぬ 土佐の城」と詠われるほど壮麗な景観だったと言われ、
美しい白壁の様子から別名「芙蓉城」とも呼ばれたそうです。今に残るは石垣だけ・・厳かな佇まいです。

ひそかにガクブルの瞬間


本当はそのまま進んで櫓跡の中に行っちゃえばいいんでしょうけど、ワタクシは先に二の丸の方へ。
上の写真の手前左手に進み、新櫓跡を回り込む形。通路が細く反対側は井戸の方で高さがあって怖いの。
高所恐怖症のワタクシ。大げさだけど自然と石垣の方にへばりつくように進む感じになりますw

うっとりしまくりだった瞬間


二の丸に到着。二の丸から見る新櫓跡と太鼓櫓跡です。刈られた草がひからびているのを見て、
逆に刈ってなかったらどんだけ草深いんだ、マムシいても気づかないじゃないか!!とビビる。
そして足元の心配が多少薄れたところで石垣を見て、寝ずにやってきた甲斐をすでに感じるw

あるはずのないものが見えていた瞬間


反対側からもうっとり。こんな高い山の上にこれだけの石垣が・・いや当時は白壁の建造物が
ニョキニョキ建っていたのかと思うと感動するとともに、残っていたらどれほどだったかと、
まだ登城して間もない段階ですでに色々な思いがめぐります。もうマムシのことはきっと頭にありませんw
ワタクシ登城前に「高取城CG再現プロジェクト」を見て行ったので脳内復元力はいつもより増幅してますw

いやがらせとしか思えなかった瞬間


うっとりしたまま案内板のある石垣の角を進み、太鼓櫓台跡や新櫓台跡を見に行きます。
アブハチがブンブン・・って広い空間なのに、アイツらなんでワタクシの周りを飛ぶの?

盛り上げが大事だった瞬間


十五間多門櫓跡です。ここを入ると天守台跡が見えてくるはず。ひとりじらしプレイであえて二の丸に
廻ってから来たので、写真で見ていつか見たいと思っていたあの風景が見えると思うとドキドキします。

チラリズムにも注意の瞬間


十五間多門櫓跡をイン! しかしじらしプレイはまだ続きますw まずは太鼓櫓台跡とか見ないと。
前には新櫓台跡と太鼓櫓台跡が、そして後ろには見ないようにしている天守台跡の高石垣の気配が。
あっちもこっちも古びた石垣に囲まれたこの空間!! 誰もいなくて独り占めだから感動倍増!!

高取城は南北朝時代に築城されたのが始まりと言われ、織田信長の大和国一国一城令により
一旦は廃城となりますが本能寺の変後、大和国主だった筒井順慶が大和郡山城の支城として改修を始めます。
天正13年(1585)豊臣秀長の大和入国後も改修が続けられて総石垣づくりとなり、秀長の死後、
入城した本多利久の頃に近代城郭としての形になったのだとか・・ああああ当時の姿を見たかった!!

危機管理能力が低すぎた瞬間


今ブログを書いている時点で思えば、もうすっかりマムシのことなんかは忘れているんでしょうね。
新櫓台跡なんかにも大胆に登り、上がってきた七つ井戸方面を眺めて悦に浸っておるところですw

残念すぎるにもほどがあった瞬間


と散々もったいつけたところで振り返ると、息をのむような素晴らしい巨大な天守台石垣の姿が!!
苔むした打ち込みハギ、反りのない算木積みの巨大な石垣のスケール感と言ったら!!!!!!
当時ここには三重の天守がそびえていたそうです。さぞかし荘厳な姿だったんだろうと思います。

高取城は元和元年(1615年)の一国一城令で重要な城として破却を免れ、明治維新を迎えますが、
明治6年(1873年)に廃城になると大半の建造物が寺院などに売却されてしまったそうです。
明治20年(1887年)頃まで天守をはじめとした建造物が残っていましたが、管理されずに放置され、
自然倒壊したと言われています。元藩士や地元の人が保存運動をして戦争前、あるいは現代まで
残ってきた城もたくさんある中、高取城は残念すぎる。松山城だって明治以降、一時は荒れるに任せ、
えらいことになっていたものが昭和になって修復されている。高取城だってチャンスはあっただろうに。
登城した人多くが言っているけど、本当に本当に本当にもったいなさすぎます。

日本100名城61番 高取城に登城!の瞬間


高取城一番の大場所で城址碑もあることだし、ここらで登城宣言でもしておきますかw
天守台とっても大きいのがお分かり頂けると思います。アブハチもマムシもなくただただ感動。
備中松山城はけっこう下から石段登り続けて頑張った結果、山の上で貴重な現存天守が拝めた。
息も絶え絶えの状態で開けた視界に飛び込んできた年季の入った天守を見た時も感動したけど、
高取城の石垣だけにして想像力をかきたてるこの迫力といったら!! ワタクシ的にはこっちに軍配!

幸福感に包まれた瞬間


天守台を見た後は本丸虎口を通って本丸跡へ向かいます。背丈を超える石垣に囲まれてルンルン。
登りもなくフラットな上、ヤブもないのでクモの巣の心配なく足取りが軽いですw

まるで要塞だった瞬間


うまい角度で撮れてないけど本丸虎口の様子がこれ。天守台からするとたいした高さの石垣じゃないけど、
折れ曲がったディフェンス重視な作りになってます。虎口付近には鉛御櫓、具足櫓があり、
天守の南には小天守があって、さらには硝煙御櫓が続く連立式天守だったそうです。
こんな高い山の上にして本丸だけでどんだけ厳重なんだ!と驚きを通り越して唖然とするばかり。

キルゾーンだらけだった瞬間


虎口を入り切ったところから振り返ってみました。複雑な構造・・これじゃ中は絶対見えません。
この城が近世城郭として完成したのは江戸時代に入ってからのこと。誰から何からの防御なんだろ。
仮にこんな高い山を登って攻めこみ本丸前まで突破できても、ここで死亡率120%は確定ですw

発想は常に庶民だった瞬間


けっこう広い本丸跡に到着。天守台が見えます。天守台には通路が約3メートルの穴蔵があったそうです。
高取城は本丸に多聞櫓で連結された3重の大小天守と3基の櫓があるだけでなく、広大な城内には櫓が27基、
33の門があったと言われています。城が近世城郭として完成した後、入城したのは旗本から大名に
取り立てられた植村家政さん2万5千石Σ(゚Д゚)! それっぽちの石高でどうやって維持したんだか。
このお城は幕府から「自由に修復していい」と特別待遇を受けてたそうですが、幕府は常にスカンピン。
許可なく修復できるのはいいけど資金を出してくれるわけじゃなし、先立つものがなきゃねぇ・・
山の上にある城の構造があまりに厳重すぎることの次に、気になって気になって仕方ない点ですw

軽く死亡直前だった瞬間


本丸まで来たらいったん二の丸まで引返し、今度は十三間多門櫓跡、大手門跡とたどって
大和の国が一望できる国見櫓跡の方に向かいます。写真は二の丸からそっちに向かう方向見たところ。
迫力ある石垣にうっとりしすぎて、いつも通りのほほ〜んと歩いてるけど山城の本当の恐怖はここから。


デンジャラスすぎる高取城に登城!〜その2に続く。



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2013.08.24 Saturday 01:59 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(奈良県) | 

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