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信貴山城跡に登城!

[松永久秀] ブログ村キーワード

達磨寺で松永久秀の墓にお参りした後は、いよいよ彼が爆死した信貴山城跡を目指します。

あわや遭難だった瞬間


奈良県内で最大規模の中世城郭と言われる信貴山城跡は朝護孫子寺の境内にあります。
なので朝護孫子寺にお参りする人に紛れての登城ですw ワタクシは当初、ここの電話番号を
ナビに登録して目指したのですが、ナビが馬鹿なのか忠実すぎるのか、直接本堂を目指そうとする
ケモノ道のようなとんでもない山道に連れていかれてエライ目にあいました。ナビの精度によるだろうけど
電話番号入れて目指すのは注意! ナビじゃなく道沿いの案内に従って走るのが正解だと思いますw

気温40度になっていた瞬間


信貴山城址碑があるのは朝護孫子寺のてっぺんΣ(゚Д゚)! 有料駐車場のオジサンが境内図をくれたので
「ワタシ城跡に行きたいの」とに聞いたら、「おお、城跡に行く!?」とちょっと意外そうな顔をしながら
丁寧に最短ルートを教えてくれました。まずは教わったとおりお寺の境内をお参り客に交じって進みます。

やっぱり刻みすぎだった瞬間


朝護孫子寺は今から1400余年前、聖徳太子が物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、
この山に立ちよって戦勝の祈願をしたら天空遥かに毘沙門天王が出現して必勝の秘法を授かったと。
その日は寅年、寅日、寅の刻で、太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、
信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けた・・んだそうです。聖徳太子は寺を開きすぎですw

で、醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願を行ったら
天皇の御病気はたちまちにして癒えたので天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として
賜った「朝護孫子寺」の勅号がお寺の名前になっているそうです。「信貴山寺」ともいうそうな。

色んな方のブログに乗っている写真と同じだけど、トラの張りぼてがあちこちにありますw
寅の年の、寅の日の、寅に刻に毘沙門天王が出現されたからトラだらけ。寅年の人によいです。

勘違いされていた瞬間


ここらで元気な熟年女性4人組に「暑いわねぇ〜おねえさん一人でエライわねぇ」と声をかけられました。
御朱印集めとか札所めぐりをしている人から怒られそうだけど、正直このお寺に興味はないんです・・・
ワタクシは信貴山城跡を目指しているだけ。でもめんどくさいので「いえいえ〜」と意味不明な対応をし、
距離を取るべく早足で「赤門」を突破。駐車場のオジサンが行っていた通りにズンズン進んで行きます。

体力のなさ深刻だった瞬間


朝っぱらから高取城を歩いてけっこう疲れてるところ、ここでも地味に登りが続いて早くも息切れ。
お寺自体が山の上にあるので、普通に寺巡りで境内見て回るとしてもあちこち登り歩くようだし、
まして信貴山城跡なんかは一番てっぺんだから、この辺りなんてまだまだ序の口。先が思いやられます。

精がつきそうだった瞬間


ここに来るまでに虎の張りぼてやら像やらいくつか見てるんだけど・・どんだけ虎をイチオシなんだ!
ワタクシ寅年じゃないのでありがたみ感じませんが、寅年だったらご利益有りそうな気がしてきますねw

アメージングだった瞬間


これはかやの木稲荷神社。信貴山城跡はまだまだ先。後ろに見えるかやの木は樹齢1500年だって!!

蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るため争っていた大和朝廷の時代に、一粒の榧の実が萌芽して以来、
有為転変する世相を鳥瞰してきた御神木です。この御神木を敬い稲荷社を建立しました・・・

だそうです。ちなみに左の像は聖徳太子。教科書や昔の1万円札の知的な取り澄ましたイメージだから、
アグレッシブな騎馬姿ってなんかものすごい違和感w 犬といい騎馬といい建てた寺の数といいびっくりだ。 

恐れ入っていた瞬間


成福院という宿坊寺院までやってきました。けっこう登ってきたつもりだけどまだまだまだまだ・・
大きなお寺だから別院がいくつもあるみたい。ワタクシより先行していた若いカップルがここで
真剣にお参りしているのを見てちょっと驚き。こういうの見ると信心ないことに何やら恐縮を覚えます。

先は長かった瞬間


やっと駐車場のオジサンが行っていた城跡へ直通の分岐に到着! 城跡行くには空鉢護法堂を目指します。
ここで分岐をこっちに行かないと本堂の方へ行くみたい。本堂は帰りに一応見ることにしてまずは城跡へ!

ごまかされなかった瞬間


さっき見たのと同じ風景じゃないか!!地味な登りがまたしても。路面が岩肌か舗装かの違いだけで、
きっつい登りの始まりには違いありません。歩幅の合わない石段ってのは地味に疲れたりしますね。

実は休憩していた瞬間


けっこう登ってきましたよ。建物の向こうに「日本一大地蔵尊」だというでかいお地蔵様が見えます。
というか・・信貴山城に登城!ってタイトルなんだから、寺はいいから早く城跡行けって話になんだけど、
城址碑に向かうためには朝護孫子寺も必ず見て回ることになるという・・・そんな苦労もお届けしたくw

暗澹たる気持ちになってきた瞬間


ほどなく多宝塔のところに到着。江戸時代後期の建造で大日如来が安置されているそうです。
っていってもワタクシにはどうでもいいところ。はよう信貴山跡に着きたい、着かせてくれい!!

実はこの多宝塔のあるあたりまでは通常、観光で来る人も廻る参拝ルート内なのでいいとして、
駐車場のオジサンが、ここから登りが20分くらい、ちょっとキツイよと言っていた問題はここから。
多宝塔の後ろに山が見えてるでしょ? ようはあそこまで地味に登って行けということです・・

うんざりしていた瞬間


多宝塔の左わきにある鳥居の続く道を登り、折れてまた鳥居の続く坂道を延々と登って行きます。
山の中歩いてるんじゃないから少し楽かなと思うけど、ワタクシにとって登りのきつさは何でも一緒。

絶望的な気持ちになっていた瞬間


何この九十九折り・・・マジかよーーーー!! 寺なのか神社なのか、もうこの際どうでもいいけど、
鳥居のせいか城跡来てる気分になれないので、通常の城跡で七曲りが出現する以上に気持ちが萎えます。
ワタクシ本当に脚力も肺活量もなくて、登りの時は角度によるけど基本、10歩か20歩ごとに休憩が常。

城跡だ、ワタクシは城跡を登ってるんだ!と強力にマインドコントロールしようとしてるんだけど、
遺構がちょいちょい見えるわけじゃない上、追いついて抜かされていく「おばちゃんたち」が、
途中途中にある祠やお堂でお参りする姿も目に入るので、根性もいつもより出しづらいというかw

中高年以下だった瞬間


何人ものオジサンオバサンに抜かされながら、空鉢護法堂と信貴山城跡の分岐まできました。
左に行くとお堂が、ワタクシはそのまま直進して信貴山城址碑を見に行きます。

ホッとした瞬間


持って来た図によるとブルーシートが見えるところ辺りを曲がると城址碑がある場所になるみたい。

信貴山城は標高433mの信貴山に築かれた山城で、河内と大和の国を結ぶ要衝として古くは7世紀、
天智天皇の頃まで遡ることができるそうです。戦国の頃・・天文5年(1536)に木沢長政が築城し、
三好長慶と闘って敗れると、永禄年間に松永久秀が入城して本格的な山城として大改修しました。
天正5年(1577)松永久秀は織田信長に背いて大軍に包囲され、50日間の篭城の末、
自ら城に火をかけると、平蜘蛛の茶釜に火薬を詰め、茶器とともに爆死したと言われています。

信貴山城に登城!の瞬間


やっとやっと信貴山城址碑の前に到着! 標高433mのちょい手前・・頑張って登ったものだわ。
それにしてもここは城址碑の他に何もない空間。空鉢護法堂に行くルートからも外れているので
普通にお参りに来る人には気づいてもらえないかもしれない・・見方によっちゃ虚無感が漂います。

高櫓のような天守もあったという城に自ら火をかけ、あてつけに信長垂涎の平蜘蛛の茶釜を抱いて
爆死した松永さん。この辺りは二の丸だったようで最期を遂げた場所とは違うかもしれないけど、
煮ても焼いても食えないオヤジ松永さんの気概に、しばし思いを馳せます。嫌いじゃないんだよね〜w

標高だけでなくハードルも高かった瞬間


ベンチ横の案内板には「空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が良く残り、特に高櫓跡は著名で、
中世末、織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡」と書かれています。

ワタクシが事前に調べた感じだと、その空堀などを見るためには登ってきた朝護孫子寺と逆方向の
ハイキングコース(?)なるものを降り、遺構によってはさらに山の中へ入らないといけないみたいで。
しかし詳しい縄張図は見つからず持参していないという。未整備の山城は何か図がないと行けないね・・。
時々、遺構見学ツアーみたいのもあるらしいので、見たかったらそういうの参加しないと厳しいかも。

食いつきづらかった瞬間


二の丸だったという城址碑があったところを少し降りるとこういう感じのところが。
遺構の一部だったりするんでしょうか。信貴山城跡って詳しい資料があまり見つからず分からない。

浮きまくりだった瞬間


本丸は今は空鉢護法堂が建っているのですが・・ここに来る途中、ずいぶん抜かされたなと思ったら、
みなさんこのお堂へのお参りに来ていた人。この暑い中、あんな坂道を延々と登ってまでのことなので、
みなさんお酒や卵をお供えしてお参りがあまりに真剣。そういう人がびっくりするくらいたくさんいる上、
明らかに信心なく来ているのはワタクシ一人だったので、気おくれしてウロウロできませんでした(´Д`)

夢を教えてほしかった瞬間


空鉢護法堂が建つ本丸跡から見る大和の風景・・・松永弾正久秀さんもきっと目にしたことでしょう。
・・・って結局、松永さんって何がしたかったんだろうね。目指すところは何だったんだろう。

ただの野次馬根性だった瞬間


下りは本堂を廻るルートで降りてみました・・・が前に来ただけで、階段登ってはいませんがw


遺構らしきものはほとんど見れてないけど、松永さんが爆死したという信貴山城跡に登って、
空気を体感できたからワタクシそれで満足。その地に立つことが目的っていう登城もありでしょw

しっかし暑い!!暑すぎる!! 水を持参してもぬるすぎて体を冷やす意味では役立たず。
気温40度近くの炎天下・・昼前からこの調子だとマジ熱中症とかなりかねない。注意していこ。


キンキンに冷えたビールを夢見ながら、よーく冷えてる1リットルアク○リアスを買ってぐびりつつ、
次は大和郡山市へ。筒井順慶歴史公園、そして日差し致死量の中、大和郡山城に向かいます。





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2013.09.03 Tuesday 21:50 | comments(6) | trackbacks(0) | 近畿(奈良県) | 

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2020.02.14 Friday 21:50 | - | - | - | 
- (2017/01/24 12:59 PM)
管理者の承認待ちコメントです。
南行 (2016/08/20 11:53 PM)
あもさん、こんばんは。

こちらこそありがとうございます。
こちらも埼玉県民ですので、今後ともなにかとよろしくお願いいたします(^-^)

あも (2016/08/19 1:11 PM)
南行さん

28年夏旅の記事を読ませて頂きました。
すごすぎ! ワタクシもまたドンドン出陣したいなって思いました。

リンクの件ありがとうございます♪
早速リンクさせていただきました。
改めて今後ともよろしくお願いします!


南行 (2016/08/18 9:54 PM)
あもさん、こんばんは。

すでに私めのブログに来て頂いていたとは、ありがたき幸せです(^O^)

信貴山城は先日登頂しました。砥石城とか八王子城を登頂した者としては余裕でしたが、小さい虫が多くてそちらに苦戦しました。

もしよろしければ、ブログ相互リンクして頂けませんか?
よろしくお願いいたしますm(__)m

あも (2016/08/18 8:33 PM)
南行さん

こんばんわ!コメントありがとうございます!
何気なくブログを拝見したら、なんと日本隅々の旅サマ。
ワタクシこそよく下調べ中にヒットして参考にさせて頂いてますのです。
埼玉県民なので城や墓以外も今度ゆっくり読ませてもらいます(´▽`*)

信貴山登城されるのですね!楽しんできてください!
南行 (2016/08/17 6:35 PM)
信貴山城訪問前に下調べをしていたらこちらのブログに行き着きました。
信貴山城の記事、参考になりました。ありがとうございます。
ブログ拝見したら、僕と同じような事やっててある意味興味深かったです(城巡り&武将の墓めぐりなど)
僕もブログ書いてますので、良かったら見にきてみてください(^O^)/