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大和郡山城に登城!〜その1

[郡山城] ブログ村キーワード

大納言塚から大和郡山城にやってきました。時刻は3時前・・気温日差しともに致死量寸前(´Д`)

最寄を目指した瞬間


何しろ暑くて40度近くの3時前ですから、大和郡山ホールの駐車場に停めて歩くなんて自殺行為Σ(゚Д゚)!
事前調査によると復元された追手門前に車数台のスペースがあるとのことで、何はともあれ目指します。
民家と内堀に囲まれた離合困難な通路を通り・・堀越しに復元門が見えてウハハとなっているところw

天が味方した瞬間


追手門前に到着!ひいふうみい・・車8台前後いけるスペースの残1 ワタクシ超ラッキー!!!
いや〜しっかし一番暑い盆の最中の、これまた一番暑い時間帯に人のこと言えないけど物好き多いわね。
左から向隅櫓、多聞櫓と追手門・・どれも復元だけど、ちゃっちくないのでなかなか迫力があります。
昭和58年(1983)に追手門、昭和59年に追手隅櫓、昭和62年に追手向櫓の順で復元されたんだそうです。
端正な白い漆喰壁じゃなく、戦国の雰囲気が残るゴリゴリの感じがイカしていると思いました。

アングルが決まらなかった瞬間


でもって上の写真の向かって右背後には追手東隅櫓も見えます。手前の瓦屋根は民家のやつね。
櫓台石垣のすぐ前に民家があるのでこの位置から見えるのはこういう風景になってしまうんです。
これは後ほど、また違う角度から見られるので、今のところはこんなもんでよしとしましょう。

大和郡山城に登城!の瞬間


暑くてまさかのリタイアもないとは言えぬ・・なので早めに登城宣言をしておくことにw
車はあるのに人影まったくないのは解せないが、いないに越したことはないので再度ラッキー。
写真撮り放題はいいんだけど、車を降りて数分にしてもう汗ダクなのでさっさと中に入りましょう。

贅沢な作りだった瞬間


追手門をくぐったところ。造りがしっかりしてます。門扉の後ろに置かれているのは復元に使われた檜。
復元ながら重厚感が漂ってるのは、樹齢すごそうな質のよい木材にもこだわっているからなんだろうな。
追手門の別名は梅林門。柳沢さんが入城した時に梅林門に名前を変えたんだそうですよ。

紆余曲折があった瞬間


中に入って内枡形から追手門を見た所。右手高い位置にあるのは毘沙門曲輪。

郡山城は天正8年(1580)信長から大和支配を許された筒井順慶が筒井城から移る際に築城が始まり、
同年、一国一城令で郡山城以外の城が破却されるに伴い拡張、天正11年に天守も完成しました。
天正13年、豊臣秀長が100万石で入封すると、城下町の整備とともに城も大幅に拡張されます。
石垣の石が足りず、大和中から庭石や礎石、石地蔵・五輪塔のまで集められ転用されたそうです。
秀長の死後、増田長盛が入封しますが、関ヶ原で西軍について改易されると、その後はしばらく
川政権による代官支配が続き、一時は荒れはてた状態になったようです。しかし大坂夏の陣の後、
水野、松平、本多と城主がかわる中で復興され、享保9年(1724)柳沢吉里が15万石で入封。
146年間在城、6代続いて明治維新を迎え、維新後、廃城となり建造物は破却されました。

当時と同じ二重だった瞬間


内枡形を抜け、本丸の方に行く前にさっき民家の屋根越しに見た追手東隅櫓の内側を見ときます。
市民会館の裏へ行くと多聞が続いたこんな感じに見えます。郡山城では当時、一番小さい櫓だったのだとか。
窓が5、石落とし2、鉄砲狭間が6あったそうです。多聞の向こうは水堀があります。

こちらも元は「法印斜曲輪巽角櫓」(ほういんななめのくるわたつみすみやぐら) と呼ばれていて、
秀長入城時に筆頭家老で5万石を食んでいた桑山一庵法印良慶の屋敷があったことから法印郭(曲輪)、
一庵丸と呼ばれていたものが、柳沢さん入城後に追手東隅櫓と変わったそうです。

決めつけていた瞬間


とにかく暑いので何はともあれ、熱中症で倒れる前に本丸>天守台を目指しておくことにします。
追手門の内枡形に戻り、毘沙門曲輪を抜けて行きます。左から追手門、多門櫓、追手向櫓が見えます。
追手向櫓は追手門を守る櫓で、本多氏時代は大手先艮角櫓(おおてさきうしとらすみやぐら)と
呼ばれていましたが、こちらもまたまた柳沢さん入城後、追手向櫓と変わったんですって!
何だろう・・書くのも呼ぶのも長ったらしくて若干ムズイのがイヤだったのかしらねw 

お手入れ万全だった瞬間


毘沙門曲輪に建つ四阿。なぜあるのか分からないけど、上の写真の追手門などが立ち並んだ所といい、
この四阿周辺といい、よーくお手入れされてる風になっています。ちょっとした庭園風って感じに・・

絶句した瞬間


だが・・堀越しに見える本丸石垣の姿がこれだ!!・・・ギャーーー超巨大土塁空堀!?
真夏だからってまさかこれほどとは。ワタクシ見た瞬間、目の前が真っ暗になったわ。
大和郡山城と言ったら復元門もさることながら、ダイナミックに残る石垣こそ見どころなのに。
四阿のところとのギャップがすごすぎる。夏だからってここまで石が見えないのは初めてよ。

補給が問題だった瞬間


巨大内堀と元は石垣だった暑苦しい雑草の壁を恨めしげに眺めつつ、本丸入り口までやってきました。
ここを入って右に行くと柳沢神社のある本丸から天守台跡へ、左に行くと竹林門跡です。
しっかし暑いわ・・未開封の水を持って出て来たけど先は長いのに、もう間もなく空っぽよ。

くらくらしていた瞬間


天守台跡へ行く前に竹林門跡を見ておきます。本丸側から見た竹林門跡。当時はこの先が二の丸でしたが、
今は郡山高校の敷地になっています。二の丸には政務を行う御殿などがあったそうです。

実は自販機を探していた瞬間


日陰だから体力ケチらず、二の丸があった側から竹林橋と門跡を眺めてみましたw 
橋の両サイドは内堀。小さいけれど多聞に続いて櫓門がドンと建っていたんでしょうね。
右側の櫓台の上には櫓跡の碑があるみたいなんだけど、木が邪魔で全く見えません。
ついでに高校があっても、高校生が歩いていても自販機らしきもの一切見当たりません。

出世は願えそうだった瞬間


竹林門を入り、本丸に戻って柳沢神社。御祭神は柳澤吉保公です。門の名前を変えた吉里さんの父上ね。
柳沢さんは生類憐みの令を出したちょいとおかしな川5代将軍の小姓から、老中首座まで出世した御仁。
元禄元年に1万石で側用人に、元禄7年には川越城主で老中格、そして15万石で甲府城主となりました。

結果たいした興味はなかった瞬間


側用人を通さなければ老中だろうと将軍と話が出来ないため、柳沢さんは権勢を欲しいままにしたとされ、
当時の幕臣からはめっちゃ嫌われていたこともあり、時代劇でも小説でも基本イヤな奴キャラ確定。
そして忠臣蔵では赤穂浪士に切腹を命じたとされ、世間的なイメージ後世までさらにマイナス・・(´Д`)
本当はどんな人だったのか分からないけど、恨みを買いすぎると悪口×数倍言われるからね・・
でもある意味すごい人よ。あの綱吉のみならず、桂昌院のオバハンのお守だってしてたんだからw

ご予算3900万円らしかった瞬間


その柳沢神社の裏手に天守台跡があります。何年か前までは天守台にも上がれたみたいなんだけど、
倒壊の恐れがあるのか、今は立ち入り禁止になっていて上がれません。天守台の上にあがると、
城内はもちろん、奈良盆地なんかまで見渡せるらしいんですよ・・かなりがっかり。

追手門とか復元する財力あるんだから、現存している天守台くらいメンテしてくれよ〜と思ったら、
後日、平成25年から測量や発掘調査を始めて、28年完成を目途に石垣の積み直しをすると知り、
真夏で石垣見えないわ、天守は修復前だわ・・行く時期完全に間違えたとさらにがっかり(´Д`)

見応えがなかった瞬間


天守の近くから内堀の向こう・さっきいた法印曲輪の方を見ると石垣の一部が見えました。
元のダイナミックさはやっぱり本丸石垣の方がすごいので、一部見えてもなんかイマイチ。
本当はこの堀の規模だけ見ても「すごい!」って思うはずのところなんだけどねw

悪に打ち勝った瞬間


天守台跡は本来、ここから登れたようです。誰もいないから自己責任でこっそり・・とささやく
もう一人の自分「ダークあも」もいないわけではありませんが、ワタクシはモラリストなので我慢w

大和郡山城は5層の天守が建っていたとかいないとか・・天守があってもおかしくない頃の築城だけど、
5層の天守が建つ天守台の規模じゃないっていう話もあるんだって。じゃそもそも論で5層の天守って
どっから出てきたの?と思うけど、その辺は調べてないのでワタクシもよく分かりませんw

ちょいと注目した瞬間


たしかに大きくはない天守台だけど武骨な野面積みはいいですw 石が足りなくて礎石から庭石から、
地蔵から五輪塔まで持って来て積まれたというからワイルドさ、さらに倍! しっかり修復しておくれ。 
案内板は天守に積み込まれた「さかさ地蔵」の説明。あちこちあるんだろうけど見やすい位置にあるのね。

もやっとした瞬間


どらどら。ではその「さかさ地蔵」とやらを拝んでまいろうではないか。

|д゚) ・・・・・ジーーーッ  

ロープの外側からでは1・2の視力をもってしても何だかよく分かりませんが・・
カメラでズームしてみたけど奥に入り込んでいてやっぱりよく分かりませんが・・

上にある斜め奥に入り込んでるやつが逆さになった地蔵だとは思うんだけど分かりづらいね。



しっかしマジ暑い・・天守台まではと我慢してたけど水はとっくにないし、暑さと乾きでフラフラ。
山城と違って登りもない代わり、木陰も日陰もないから体力消耗はこっちのがむしろ激しいかも。
まだまだ違う角度からの石垣(という名の緑の壁)も、せっかくだから一応は見ておきたいし、
松陰門とか鉄門とか復元門の遠望とかも撮りたいけど、水がなくてはもはや命の危機を感じる・・

と、いつもなら「というわけで割愛」とか「終了」と言い出すところなんだけど、
今回のワタクシはちょっと違ーう。車に戻ってナビでコンビニを検索>水を買って出直しよw

戻ったら何が何でも同じポジに車を停めて、馬場先門跡からの本丸石垣(という名のたぶん緑の壁)、
他もろもろのまだ見ていない見どころを攻めてやるわよ〜待ってろワタクシの駐車場Σ(゚Д゚)!


大和郡山城に登城!〜その2へ続く



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2013.09.10 Tuesday 08:10 | comments(2) | trackbacks(0) | 近畿(奈良県) | 

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2020.02.14 Friday 08:10 | - | - | - | 
あも (2013/09/11 8:53 PM)
山城守さん こんばんわ!
山城守さんは大和郡山のご出身でしたか。
学生時代から見応えあるお城が身近だったんですね〜素敵!
せっかくだから草刈りしてほしいですね。
逆さ地蔵も早く天守がなおって間近で見れるようになるといいな。
100名城にならなかったのが不思議ですね。
山城守 (2013/09/11 10:15 AM)
あもさん、こんにちは。
おお、大和郡山城。
学生時代、郡山市内の学校へ通ってたので我がテリトリーみたいな所です。
天守台には昔よく登ったんですけどねぇ。
確かにこのお城、堀の草刈りは昔からあまりされてない様で。
逆さ地蔵は写真の穴、左奥にあるんですがロープ越しでは見えづらいかもしれませんね。