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多聞山城に登城!

[松永久秀] ブログ村キーワード

大和郡山城でくたびれ果てましたが、瞬撮で済むので戻りがてら多聞山城跡にも寄りました。

ちょっぴりドキドキの瞬間


現在は奈良市立若草中学校が建っている多聞山城跡。城址碑が校門内なので中に入るんだけど、
無意識に刷り込まれているアレがあるじゃない。「当校に御用のない方は立ち入りを禁ず」みたいな。
だから自分と関係ない学校に入るってのは、ちょっと緊張しますね。不審者と思われたら困るわ〜
とか言いながら、住宅街の中を抜けて校門前に着いたら、たいしたためらいもなく車のままイン!

気遣いは無用だった瞬間


部活とかないのかな・・生徒さんの姿は全く見えないので、変な気を遣わずに済んでよかったわ〜

多聞山城は永禄3年(1560年)、東に奈良坂、南東に東大寺、南に興福寺を見る大和支配の重要拠点として
松永久秀によって築城されました。四重天守があり、城塁の上に長屋状の櫓が初めて築かれた豪華な城は
その後の近世城郭に大きな影響を与えたと言われています。「多聞櫓」の名はここから広まりました。

城址碑ガン見の瞬間


元亀2年(1572)松永久秀は足利義昭が企てた織田包囲網に乗って信長に反旗を翻しますが、
信玄の死によって失敗に終わると、多聞山城を明け渡して降伏しました。

信長は多聞山城に出向いて自ら城を検分。(正倉院の「蘭奢待」が切り取られたのはこの時)
しばらくは明智光秀、佐久間信盛、柴田勝家が城番を務めますが、天正4年(1576)に筒井順慶
大和の守護に任じられた際、破却の命が出されると、石材などは筒井城や郡山城に移されました。
松永久秀が本願寺攻めに乗じて信長を再び裏切り、信貴山城で爆死したのはこの翌年のこと。

空気を読んだ瞬間


校門入って正面にある急な階段。城址碑はその右横に遠慮がちにひっそりと建っています。
城跡と知ってるから急な階段と盛られ具合を見て「なるほどな〜」ともっともらしく思ってみたりw
この城址碑のあるところまでは入って良さげな雰囲気なんだけど、こっから先はダメそな感じ。

最短レコード更新の瞬間


階段上ってモロ校内に潜入するのは気がひけるし、城址碑より先は「関係者外NG」の注意書きもあり・・
中学校の東側には大堀切があるというのだけれど、どうやって行けばいいのか全くわからない!
学校の外側も仁正皇后陵や聖武天皇陵の宮内庁指定陵墓なんかがあるので入れない場所多く・・
思っていた通り、超〜瞬撮でおわり。登城宣言する間もなく登城完了ですwwww

近代城郭の先駆けとなった城だから「遺構がよく残っている」状態だと素晴らしかっただろうけど、
信長の頃に破却され、現代では中学校も建ちながら一部残っているだけでも上々吉なんでしょうね。

攣り始めていた瞬間


初日から歩きすぎて足が痛くて攣りかけてるので、旅先に来てまで薬局探しシップ購入・・(ノд-。)
高取城から始まって多聞山城まで、確実に普段の1ヶ月分くらい歩いたのではないかとw


夏の陣〜奈良攻略はこれでいったん完了! 危険生物、登り、暑さ・・どれもきつい思い出だわw
2日目は今日のうちに三重県鈴鹿まで移動して、朝イチで神戸城からスタートします!!

早くホテルにたどりいて、ひとっ風呂浴びたら冷えたビール飲むのだ!!!!!


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2013.09.15 Sunday 15:17 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(奈良県) | 

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