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神戸城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

2013年夏の陣2日目は奈良の奈良から三重に移動して神戸城からスタート!
ご存知の方も多いと思いますが念のため・・神戸は「かんべ」と読みます。

ナビで楽々到着の瞬間


県立神戸高等学校の隣にある神戸城跡。現在は本丸部分が神戸城址公園として整備されています。
朝8時前、住宅街の中を抜けて駐車場に到着すると、すぐ目の前に天守石垣の裏側が見えました。

目が覚めた瞬間


石段を登り天守石垣の裏側を歩いて、正面に廻ります。野面積み見てやっと目がパッチリ開きましたw
縄張図を見るとこの天守の裏にあたる北側は、千畳敷を挟んで二の丸に通じていたようです。

気兼ねなく宣言の瞬間


神戸城に登城! 城址公園になっているけど天守台のある本丸部分とモロ公園化された部分は
きっちり分かれているので、こちら側に散歩やトレーニングの人がいないのがいいわw
それにしても8時前だってのに、この強い日差しと暑さはなんなの? 今日も熱中症に注意よ。

もやもやした瞬間


天守台正面石垣になんと鏡石のような大きな石が。天守台で鏡石ってあんまり使われないよね。
たまたま組まれただけなのか、個性を発揮してみたのか・・目に着く場所にあるので少々気になる。
ワタクシは見つけられなかったけれど、神戸城の天守台にも墓石などが使われているそうです。
武骨でワイルドな野面積みが戦国末期の匂いをプンプンさせていてよいです。残ってよかった。

城址碑の位置が微妙だった瞬間


神戸城は天文年間(1532〜1555)神戸具盛によって築かれ、澤城から移って本拠地となりました。
神戸氏は北伊勢の有力豪族でしたが、永禄11年(1568)7代友盛の時に信長の伊勢侵攻を受け、
一時は神戸の重臣、山路弾正が防ぐものの翌年、信長の三男信孝を養子に迎えることで和睦。
元亀2年(1571)信長により友盛は隠居させられ、信長の三男、神戸信孝が城主となりました。

妄想が広がる瞬間


信孝は城を拡張し、天正8年(1580)には金箔瓦を用いた五重の天守を完成させました。
5重6層の天守に小天守と付櫓がある複合連結式だったことが確認されているそうです。
天守が建っていた規模の大きな天守台は、石垣だけになった今も存在感があります。
ここに金箔瓦の5重天守がそびえていたら・・かなり迫力があったんじゃないかしら。

どっしりしていた瞬間


天守は文禄4年(1595年)に解体されて桑名城に移築され、神戸櫓と呼ばれていたのだとか。
写真手前が天守台、影になって見づらいけど奥の階段の先が小天守台だったってことですね。

野趣あふれていた瞬間


天守台に登ってみました。天守台から北東に位置する小天守台を見たところ・・・狭っ!!
5重の天守に付属する小天守にしては小さそうな。実際は櫓的な感じだったんでしょうか。

不運すぎた瞬間


天守台から本丸を見下ろしてワハハ!! 大和郡山城では天守台跡に登れなかったからw
当時、5重の天守から城下を見下ろす信長のせがれ信孝さんは何を思っていたんだろうね。

次男信雄より20日早く生まれながら、母親の身分が低く三男にされたといわれる信孝さん。
出来が悪いと言われた信雄より信長に認められていたようで、神戸信孝となった後も主な戦に出陣。
天正10年(1582)には長宗我部元親攻めの総大将として丹羽長秀とともに四国に渡り、
信長の息子としての箔をつけ長男信忠に次ぐ地位を得るはずでしたが、本能寺の変により運命が一変。

清州会議で後継者争いに敗れると柴田勝家と組んで秀吉と対立し、賤ヶ岳の合戦では岐阜城に籠って
抵抗しますが、勝家が破れると兄信雄の勧めで岐阜城を開城。知多半島の野間大坊に幽閉され、
切腹させられました。享年26歳。無念のあまり信孝ははらわたを投げつけたと言われています。

昔より主を討つ身(内海)の野間なれば 報いをまてや羽柴筑前

信孝さんの辞世の句がコレ・・凄まじすぎる。辞世の句というより呪いに近いわ。
信孝さんに切腹させたのは兄の信雄だったと言われています。本当だったら多少仲は悪くても
弟なんだから助命を願わなきゃいけないところ、秀吉にうまくそそのかされたんでしょうね〜
ここに至ってまで信孝さえいなければ・・と思う浅さがやっぱり信雄さんだわ(´Д`)

広かった瞬間


当時は堀に囲まれていた本丸。建物が見える奥は堀を挟んで三の丸になっていたようです。
信孝の後、城主は生駒氏・滝川氏・水野氏と次々代わり、関ヶ原の後、一柳直盛が5万石で入城。
慶安3年(1650)石川氏が1万石、享保17年(1732)本多氏が2万石で入り7代続いて維新を迎えました。

戦国が名残ってた瞬間


天守を降りて本丸の隅っこの方に目をやると、周囲には土塁も残っていました。
天守は文禄4年に桑名城に移築されましたが、他の建物は明治元年に取り壊されたそうです。

がらりと雰囲気が変わる瞬間


一部残されている本丸を囲む水堀を見るため、いったん公園の方へ出てみました。綺麗な広い公園です。
縄張図を見るに、本丸の西側にあたるこっちに曲輪はなく武家屋敷が並ぶ感じになっていたみたい。

謎だった瞬間


西大手と書かれた方を撮ってみたんですが・・・フラットな公園の中でこんもりしているこの辺り。
かすかにでも雰囲気は残して公園化したのか、単なる公園の風景なのか分かりませんでした。

雰囲気が薄かった瞬間


本丸南面の水堀。左側が本丸で、ずーっと正面先が今は高校が建っている三の丸方面になるようです。
神戸城は本丸が水堀に囲まれ、堀を挟んだ二の丸三の丸の外周も水堀が廻っているお城でした。

後悔先に立たずだった瞬間


最後にもう1度本丸に戻って天守台跡を眺め、案内板を確認して神戸城登城完了!!

ワタクシこの時点では知らなかったので未訪問なんだけど、現存建物がいくつかあるそうで、
市内の蓮花寺というお寺に二の丸太鼓櫓が、顕正寺に移築された大手門があるとのこと。


初日の奈良攻めほど下調べ万全じゃない2日目・・・次は忠勝さんの桑名城に登城します!!



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2013.09.16 Monday 20:50 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(三重県) | 

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2020.02.14 Friday 20:50 | - | - | - |