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岡崎城に再登城!

[日本100名城] ブログ村キーワード

桶狭間古戦場公園から岡崎城にやってきました。5年ぶりくらいの再登城。

今回は忠勝ゆかりの桑名城跡や銅像を見たり、菩提寺でお墓参りもしたので、この際だから
岡崎にある「本多忠勝生誕地」も訪れたいわ〜という目的ついでの登城ですw

やけに人が多かった瞬間


前に来た時と比べて整備され度が増してる気がします。何だか人の多い二の丸広場。
岡崎城おもてなし隊?の出し物があるらしく三河武士の館前に集合しているようです。

お目見えの瞬間


忠勝さんの銅像があるのは二の丸広場の、三河武士の館のちょい前。
桑名城と違って、蜻蛉切を手に持ったポーズなのはかっこいいんですよ。

ちょいと残念だった瞬間


ただ顔もちんまりしてるし、全体的なサイズも微妙なので迫力はないですw
蜻蛉切を持ってるのはいいけど、銅像としては断然、桑名城の方がかっこいい!

様変わりしていた瞬間


他の四天王を差し置いて忠勝像がここにあるのは、岡崎生まれだからなんです。
ちなみに忠勝さんの銅像は生誕地には背を向けた感じで、そして前方にある家康の銅像の方も
微妙に見ていない感じで建ってますw

ナイスタイミングの瞬間


忠勝さんの銅像前にはからくり時計があって、00分と30分で「からくる」みたい。
銅像見てたらちょうど始まったので運よく見れた! 人めっちゃ集まってたw

意外とかわいかった瞬間


で、からくり中の様子がこれ。時間になると扉があいて家康人形が能を舞うんですね。
小さい家康がちょこちょこ手を挙げて舞う姿はなかなか愛くるしかったよ。

リアル過ぎた瞬間


忠勝さんの後ろの方には「しかみ像」の銅像もあります。「しかみ像」は若かりし頃の家康が
三方ヶ原の戦いで武田軍に挑んで大敗した自分の惨めな姿を描かせたと言われる肖像画のこと。
無理な戦いで多くの家臣を失ったことを忘れないために描かせた絵姿が銅像になっています。

メンタル強かった瞬間


家康はしかみ像の絵を持ち歩き、自分を戒めていたと言います。
負の自分や黒歴史と向き合うって強いよね。ハートが強い!

スタンダードだった瞬間


銅像の多い岡崎城。次は御本尊の家康さん。色んなところにあるけどコレは駿府城の次に好き。
やっぱり家康といったらある程度の貫禄がないと。浜松城の銅像はやっぱ違うな。

地味にうける瞬間


騎馬像もあります…19歳の松平元康(家康)が岡崎家臣団と共に岡崎城へ帰城する姿だって。
ワタクシは写真も実物も、見始め一瞬はオマルに乗っているように見えるんだよねw

雰囲気が出てくる瞬間


公園になっている二の丸跡を抜け、模擬天守の建つ本丸方面も一度見てるけど再見。
二の丸と本丸の間にある持仏堂曲輪の虎口。このあたりは深い空堀が残っています。

くいついた瞬間


中に入ると「天下人家康公 出世ベンチ」なるものが・・前はなかったと思ったら平成24年に出来たそう。
左側は竹千代。間にある説明によると「石都岡崎」と呼ばれる岡崎の優秀な石職人の技術と地元産の良質な
御影石を使って作られています。ベンチに座って天下人を生んだ岡崎の魂を感じてください…とあります。

念入りだった瞬間


座ると出世するとかしないとか・・せっかく来たことだし運よく誰もいないので、おもむろに着席。
誰も来ないことを確認して、さりげなく肩を組み、再度キョロキョロしてカメラを置いて家康にハグw
出世を願いつつ、「マジ忍耐とか重き荷とか遠い道とかいらないんで!」と付け足すのも忘れない。

デンジャラスそうだった瞬間


出世ベンチの後ろには持仏堂曲輪から空堀を越えて天守に通じる廊下橋があります。
かなり古そうな石橋でボロいからなのか、通行止めロープがあり渡ることはできません。
手前の持仏堂曲輪と向こうの本丸の間にはここからダイナミックな空堀がめぐっています。

丸見えだった瞬間


このダイナミックな空堀は「清海堀」と呼ばれるもので、現存する岡崎城の堀では一番の深さだとか。
大和郡山城と違ってジャングル状態じゃないので、7mぐらいありそうな空堀の規模がよく分かります。

思い出しみこみすぎだった瞬間


岡崎城は15世紀半ばに三河守護代・西郷稠頼が築いたのが始まりで、この「清海堀」もこの頃のもの。
西郷稠頼は後に出家して「清海入道」と名乗ったため、この名前がついたようです。
代々西郷家が支配していましたが、戦国期になると急速に勢力を拡大してきた松平氏に押され
家康の祖父・清康の頃に松平氏の本拠地となりました。家康は1542年にここ岡崎の二の丸で誕生。

幼少期を過ごしただけでなく、祖父の清康や父の広忠が暗殺されたのも岡崎城。
桶狭間の合戦後、今川氏から離れて独立して徳川家康と名乗ったのも岡崎城。
城主だった嫡男の信康が信長の命によって非業の最後を迎えたのも岡崎城。

家康の人生が詰まった城は、江戸期には城主を務めることが大変な名誉だったとか。

いまいちは変わらずだった瞬間


深い堀を眺めつつ本丸に到着、天守前を通りかかったのでチラッと撮っておきました。
隣にあった龍城神社が移動した分、多少マシにはなったけど、でも撮影しづらい城です。
水木しげるの妖怪イベントやっていて、砂かけ婆とネコ娘が前にいるのもキツイw

ホントは厳重だった瞬間


前回見なかった「えな塚」と「産湯の井戸」を見るために本丸から板谷曲輪に移動します。
写真は板谷曲輪側から堀を挟んだ本丸方面、埋門跡と言われるところです。
今は先まで丸見えだけど、当時は石段があったりもっと防御がされていたといいます。

よどんでいた瞬間


本丸と板谷曲輪の間の空堀は水が入っています。緑なのは草じゃなくて藻とか苔みたいな。
緑でドローンとしてるので沼っぽい感じね。清海堀の方の見事な空堀とえらく対照的です。

ずいぶん豪勢だった瞬間


堀の先に「東照公えな塚」がありました。家康の「えな(胞衣)」などを埋めたと言われています。
えなってのは胎盤とかへその尾とかそういうやつですね。元は本丸南にあったものを移したそうです。

石垣だけだった瞬間


伊賀川に面したところにある板谷門跡。当時は馬出しもあったと言われているようですが
目の前はすぐ川だし、ワタクシにはまったくその気配はわかりません。

大人気だった瞬間


板谷門のちょいと先には「東照公産湯の井戸」が。産湯に使う水は松平家が代々産湯に使った
松平館(この後登城)からも竹筒に入れ早馬で届けたそうだけど、本場はこっちですね。
なんだか知らないけど産湯の井戸のあたりだけ、やけに観光客が多かったので少々びっくりしたわw

ご苦労さまだった瞬間


帰りがけ人生初「○○武将隊」のパフォーマンスに遭遇。真夏の午後2時、炎天下。
衣装を着て汗だくで武将になりきってる人にも、それを見る黒山の人だかりにも驚き!

お土産屋さんがあったのに城マグネットも城スノードームもなかったのは残念(ノд-。)
仕方がないので(?)「徳川家康」という大吟醸のお酒を買ってしまったわwww
酒を抱えて車に乗りこんだら、次は市内にある本多忠勝の生誕地と言われる場所に向かいます。

つながってよかった瞬間


岡崎市西蔵前町にある本多忠勝さんの生誕地。ま〜場所を探すのにえらく難儀しました。
ナビではドンピシャに行けないから、近くまで行ったら、おもむろにタブレットを取り出し、
あらかじめポイントしておいたGooglemapのマイマップを見ながらうろついての到着。

民家の敷地にあるので「見学させていただきま〜す」と声をかけて見せてもらいます。
この生誕地の碑は大正4年に子孫である本多忠敬氏によって建立されたものだそうです。

忠勝三昧だった瞬間


天文17年(1548)に松平家家臣、本多忠高の長男として西蔵前町で誕生した本多忠勝さん。
忠勝という名前には「ただ勝つのみ」という願いが込められたといわれています。
幼名は鍋之助といい、永禄3年(1560)13才で初陣して以降、生涯で57回の出陣でただの一度も
負傷しなかったといわれている徳川四天王のひとり。信長からは「日本の張飛」と称えられ、
秀吉からも「天下無双の大将」とまで言われた・・・と に か く 素敵すぎる武将よw

小さい頃に父親が討ち死にしている忠勝さんは叔父の所で育てられたと言います。
体も大きくて腕っぷしも強く、剛毅で負けん気の強いやんちゃな子だったんでしょうね。
子供の頃から家康に寄り添って数々の戦を戦い抜き、徳川政権の樹立を支えた忠勝さんは
上総大多喜10万石>桑名10万石へ。桑名にある菩提寺「浄土寺」で眠っています。


満足したところで次は、岡崎出張り前の松平氏本拠地「松平氏館」に行ってみます。




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2013.10.04 Friday 20:36 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(愛知県) | 

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2020.02.14 Friday 20:36 | - | - | - |