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田峯城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

夏の陣3日目は山城シリーズ。足助城の後は愛知を東に移動して田峯城に向かいました。
中央高速と東名高速の間にある山の中の道は「国道」という名の激狭道・・・神経使います。
おまけに田峯城はナビに出ないから、住所でざっくり目指す感じで不安なことこの上ない。

喜びの瞬間


ざっくり近くに到着してからたどり着くまで長かった・・やっぱりここでもGoogleMapのGPSのお世話に。
マイマップ大活躍。辺鄙な場所の場合は面倒でもやっぱり事前にピンポイントで登録しとくのが吉。
入り口だと何だかわかりづらいけど「歴史の里 田峯城」戦国時代の山城が再現された施設です。
離合困難な道が続く山中をひた走り、必死の思いでたどりつけてマジ良かった〜と思いきや・・・

呆然の瞬間


なんじゃこりゃぁぁぁーーー!! どないなっとんねん Σ(lliд゚ノ)


本日休城日 〜休城日:毎週月曜日 祝日の翌日 


長い盆休みで浮かれてたから忘れてたけど、土・日・月の3泊だったから月曜日ドンピシャだったのね・・
何しろアクセスの悪い場所だから、そうそうリベンジできないので無念なことこの上ないです。

虚無感にさいなまれた瞬間


本当はウキウキしながら渡るはずだった木橋。両側の空堀や戦国風演出の柵もかすんで見えます。
そのうち機会があればリベンジするとして、とりあえず登城したことにはするのよ=3=3(鼻息荒い)
と急遽、勝手なマイルールを制定。そのためには行けるところまで攻め込まなければならないわ。
用意してきたメモ書き縄張図によると、木橋を渡ったところに大手があったようです。

のどかすぎた瞬間


表曲輪から本丸方面を見たところ。右の方のこんもりしてるあたりが入場料が必要な本丸で、
そこには模擬御殿が建てられているんですが・・樹木の奥なのか影も形も見えませんね。
標高387mの独立丘陵にある城跡だけど、山全体が城ということではなかったみたい。
ここまで車で登ってきて表曲輪、畷曲輪、蔵屋敷、井戸曲輪など続き、本丸がある感じ。
メモ程度の縄張図しかなく詳細は不明だけど、天然の要害である田峯城は堅城だったそうです。
寒狭川の蛇行と城を囲む山並が大蛇のようであることから「蛇頭城」とも呼ばれました。

血みどろの惨劇だった瞬間


表曲輪を進んでいきます。すぐ隣は茶畑って場所もあり、よく残って整備されたなと思います。
茶畑の奥の方にも何とかいう曲輪の跡があるようですが、よく分からないのでそこは割愛。

田峯城は文明2(1470)年、菅沼定信によって築かれました。当初は今川方に属していましたが、
今川氏親の死後、五代定忠の時に川(織田)、そして武田氏に帰属。信玄の三河侵攻に従って
戦功を上げますが、天正三年(1575)長篠の合戦で武田軍は大敗。定忠は勝頼を休息させるため
田峯城に案内しますが、留守居である叔父の菅沼定直と家老今泉道善らに入城を拒否されます。
定忠は激怒しながらも勝頼を伴って武節城へ入り、その後、飯田に逃れて1年を過ごしました。

天正四年(1576)7月、定忠は武節城に兵を集めて自身の城である田峯城に夜襲をかけると、
叔父の定直を始め、一族老若男女96人を手当たり次第に惨殺。首謀者とされた家老の今泉道善は
鋸挽きにされ、首は佐久手街道の辻にさらされたそうです。

菅沼家は今川氏の後に三河を支配した徳川家康によって家督と所領安堵された経緯があり、
これに恩義を感じていた叔父の定直や家老の今泉は武田に帰属したことに批判的だったため、
長篠合戦大敗を受け、入城拒否に至ったと言われています。

天正十年(1582)武田家が滅亡すると、菅沼定忠は徳川家康に帰参を申し出るも認められず、
飯田知久平で牧野康成に討ち取られ田峯菅沼宗家は滅びました。

同じ山家三方衆でも家康に見込まれ長篠城主に抜擢された奥平さんとは大違い・・(´Д`)

違和感だった瞬間


表曲輪を過ぎると井戸曲輪がありました。井戸の跡とかはまったく見受けられません。
何の変哲もない草むらです・・・と思ってふと気づくのが目立つ土塁がないなってこと。
さっき見て来た足助城しかり、戦国の山城は一目でそれとわかる土塁が必ずあるのに、
田峯城は独立丘陵の上にあるから曲輪に段差がついてるというだけで遮蔽物があまりない。

微妙だった瞬間


何となくつるっとした曲輪や屋敷跡を抜けると本丸へ上る斜面が見えてきました。
ちらっと模擬御殿の屋根が見えます。この斜面を登ったところまで行ったら終わり・・。
これという見どころもないまま、ワタクシもつるっとここまで来てしまったわw

負け惜しみっぽかった瞬間


屋根しか見えないくせに何だけど、何やら立派そうな御殿は中世山城と思えば何だか違和感。
資料館になってるわけでもないらしいから、入場料払ってまで見なくてもいいのかな〜なんて。

思うところありだった瞬間


休城日のため当たり前だけど門が固く閉ざされています。目の前に見える御殿はやっぱ近代風ね。
お金がかかったんじゃないかしら。これの建築費回収のために入場料200円を取る仕組みになってて、
受付に人が必要だから休城日があるのかと思うと、少々余計なことしてんじゃないの?と穿ったり。
ワタクシは模擬の御殿なんかより、本丸から寒狭川を見たり天然の要害さを体感したかったんだよ〜
誰も見てないし乗り越えるのは簡単だけど・・そういうのはダメ!! なんか色々残念な城です。

・・・・いや〜足助城はよかった!! え? なんか今にしてまたしみじみ思えてw

でも血みどろの惨劇があった舞台に立つことで、戦国の世で家を守って生き抜くことの大変さや
厳しさを改めて思ったから、それはそれでよかったかと・・ポジティブに行こ、ポジティブにw


次は信玄と馬場さんのお墓参りに福田寺、そしてまた山の中を走って高根城二俣城に向かいます。



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2013.10.29 Tuesday 16:01 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(愛知県) | 

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2020.02.14 Friday 16:01 | - | - | - |