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名胡桃城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

沼田城正覚寺にて小松姫のお墓参りをした後は、国道17号をかっとばして名胡桃城へゴー!!

六文銭にウキウキの瞬間


沼田城から長い坂を下って関越高速月夜野ICを越え、国道17号(月夜野バイパス)を走っていくと、
ほどなく右手に気付かない方が難しいほどの勢いで「名胡桃城址」の盛り上がりが見えてきます。

結果ラッキーだった瞬間


駐車場になっている般若郭に車を停めます。地味に車が停まっているので少々萎えましたが、
実際、登城してみたら誰もいなかったのでラッキー! 案内所でお茶でもしてたんですかね?

釘づけだった瞬間


般若郭には掘っ立て建築の居館があったことが分かっているそうですが、ワタクシは車を降りるなり
ついつい二の丸や本丸との間にある空堀ばっかに目が行ってしまい、居館跡はまったくスルーでした。
名胡桃氏(沼田景久の子 景冬が名胡桃氏を称した)の居館であったと推定されているそうです。

張り切っていた瞬間


般若郭をいったん出て案内所前を通り、でかい案内版のある馬出郭からスタートします。
標柱には「丸馬出し」と書いてあるけど、見た限り丸なのかどうかは全く分かりませんw
空堀右向こうは三の丸、空堀の正面奥は今きた般若郭。単郭で直接行き来は出来ないんです。

余計なことはしなくてよかった瞬間


三の丸から馬出し、月夜野バイパスを見たところ。郭一面に菜の花が咲く名胡桃城の写真があるけど、
あれって今でも春になったらそうなるのかしら? 秋の今、そんな気配ないから別にいいけど、
土塁と空堀のコラボが素敵な城跡に来て、全部菜の花畑だったら分かりづらくて超〜泣けるわ。

圧巻の土木量だった瞬間


三の丸のへりの方に行ってみました。右向こうは二の丸。左奥が般若郭。とてもダイナミック!

名胡桃城は沼田景久の三男、名胡桃景冬が沼田城の支城として築いたのが始まりと言われています。
戦国時代になると上杉謙信が三国峠を越えて関東に進出。名胡桃城や沼田城を落として支配しますが、
天正6年、謙信が没する武田勝頼の命を受けた真田昌幸が岩櫃城、名胡桃城、沼田城を攻略しました。

気持ちの問題だった瞬間


三の丸と二の丸の間には土橋がかかっています。二の丸虎口に唐突に六文銭の板が置かれてますが、
不自然とか思っちゃダメ。沼田城より「真田の城」を盛り上げようって気が感じられてよし!
土橋の両サイドは二の丸堀。何気に勾配があるので片側だけど手すり付。少しくらいよろけても安心。

ビビッていた瞬間


じゃあ土橋の上から二の丸堀を見てみるよ・・たいした深さ、勾配じゃなさそうだと思ってませんか?
レンズ通すと距離感ずいぶん変わるし、ワタクシも残念な腕前に加え、少し屈んで撮っちゃったしね。

珍しく根性出した瞬間


ってことで駆け降りちゃいましたww 地に足さえついてりゃ多少の高さは平気なのよ。
堀底から土橋と六文銭のある二の郭を見たところよ。草ボーボーじゃないから良く分かる!

エポックメイキングだった瞬間


ちなみにこれは車停めた般若郭から見た二の丸堀。左が二の丸。右が三の丸。郭の高低差はない。

名胡桃城は真田の城になった後も沼田城と合わせ、北条氏との領地争いの舞台になりますが、
天正17年(1589)7月、豊臣秀吉が利根川を境に東を北条領、西を真田領とする裁定を下しました。
しかしこれを不服とした北条方の沼田城代、猪俣邦憲は調略により名胡桃城を奪取してしまいます。
「名胡桃事件」に激怒した秀吉は「大名間の私闘を禁じた惣無事令に反した」として北条氏に宣戦布告。
北条氏滅亡後、沼田全域が再び真田の城になると、役割を終えた名胡桃城は廃城となりました。

妄想力が必要だった瞬間


二の丸は南北縦に長めな広い郭です。今はガラーンとして何もないただの広場状態だけど
春になったら菜の花が一面 当時この広い空間には色々な建物が建っていたはずね。

駆けおりるわけなかった瞬間


三の丸に続き、二の丸もへりに行ってみました。名胡桃城は余計な木が少ないから見やすいよ。
この空堀もどのくらいの深さがあるのか・・この高さだと地に足ついてても覗きこむのすら怖い。

念入りだった瞬間


二の丸から堀を超えて本丸へ向かいます。本丸堀が何気に深いので土橋を渡るのに真剣に確認中ですw
こっから先の本丸は両側が急な崖になっていて、見るからに堅固。攻め側だったら激萎えます。

とにかく悲劇すぎた瞬間


本丸の西側の斜面はこんな! 崖が急すぎて思うより前に出ないと底が見えないのが厳しいと思いつつ、
高い防御力ながら戦わずしてだまし取られちゃ、そりゃ無念どころの騒ぎじゃないわと切なくなります。

猪俣の策略と知らず「昌幸から」と偽った書状にだまされて自分が城を出てしまったがため、
城を乗っ取られてしまった名胡桃城代鈴木重則は不覚を恥じて、正覚寺で自害したと言われます。
華々しく討ち死にとかじゃなく、歴史の流れの中でこういう役割にされたことが悲劇すぎる・・・。

残念な人だった瞬間


いよいよ本丸に突入します! 本丸虎口は食い違いなんですが・・按配のよくない角度だった('A‘)
ここに来ると城址碑やら真田六文銭の旗なんかも見えてきて、ますます気分が盛り上がってきますw

達成感に満ちた瞬間


虎口の脇にある城址碑。城跡にはやっぱこういうドーンとした城址碑があると何気に嬉しい。
か細い石柱みたいなのとか、案内版に毛が生えた程度のとかだと何となく残念な気持ちになるw

どうでもよかった瞬間


本丸跡にイン!で登城宣言〜ここには「名胡桃城址之碑」と刻まれた石碑があります。
大正十三年三月に建てられたもので、徳富蘇峰(誰それ?)という人の書なんだそうです。

驚愕の瞬間


本丸の先に笹曲輪があるのでうねうねとした細い土橋を進んできました。笹曲輪から見た本丸跡がこれ。
空堀も両サイドは異常に深いし、土橋じたいも堀底と斜面を横切るくらいの勢いになってるのよΣ(゚Д゚)!

人間の目は優秀すぎた瞬間


ほうら、東側はこんな感じ!・・でもイマイチね。伝えたいのに伝えきれないもどかしさ。
笹曲輪は段丘の先端にあるんですが、写真じゃ、そしてワタクシの腕前じゃそれを切り取れない(´Д`)

思いを馳せる瞬間


笹曲輪じたいは予備的な狭い空間なのですが、その先にさらに「物見曲輪」ってのがあるんですよ〜
現在は目の前に草木が茂っていますが、当時は物見台でもあって街道の方を見張っていたんでしょうね。

笹曲輪に佇む瞬間


名胡桃城は決して規模は大きくないんだけれど、エポックメイキングな城、そして真田の城として
何か心を揺さぶられる城跡でした。真田太平記に出てくる草の者「お江」も思い浮かんできますねw


名胡桃城のある月夜野町は現在、合併されて利根郡みなかみ町になっていますが、
余計な樹木もなく城跡の構造が見通しよく分かりやすくなっているのは整備が行き届いたおかげ。
菜の花畑は頂けないけど空堀の底も丸見えだし、小さいながら来る価値は極めてある城跡かと。

登城を終えて戻る頃、熟年夫婦やら若いカップルやらがやってきました(女性はブーツはいて)
車は数台あったけど、誰にも会わず一人で真田の城を堪能出来て本当に本当によかったわ!!


満足したところで群馬と言ったら忘れちゃいけない、箕輪城主長野業政さんのお墓参りに向かいますw



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2013.12.04 Wednesday 20:54 | comments(2) | trackbacks(0) | 関東(群馬県) | 

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2020.02.14 Friday 20:54 | - | - | - | 
あも (2014/02/01 4:14 PM)
高崎の人サマ こんにちわ!

長純寺は高速おりてちょっとあるから
寄り道どころじゃなく目指しましたよw
由緒あるお寺なのに坊さんが親切でよかったです。

長野さんはすごい人ですね。群馬の誇れる武将です!

氏邦さんの正龍寺は春は梅とか咲くじきはよさそうですね!
ワタクシも今年もバリバリいきます(^_-)
高崎の人 (2014/01/31 10:41 PM)
あもさん、こんばんは。
上州出陣、お疲れさまでございました。
今さらとなってしまいましたが・・。

長純寺まで行かれたのですね。
名胡桃城や長年寺ならまだしも、あの山寺まで行かれたとは。
さすがです。

群馬県民ですら、”戦国時代、この辺り誰いたの?”
的な認知度ですから、こうしてコアなところまで光あててもらえると嬉しいですね。
ちなみに私は、今だ氏邦さんトコ行けてません!!
早く行かなくては。

今年もますますのご活躍を祈念します。
では、では。