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岩村城に登城!その2〜八幡曲輪から本丸

[日本百名城] ブログ村キーワード

岩村城を一番下から登り、いよいよ本丸に近づいてまいりました!

大場所に迫っている瞬間


八幡曲輪のところの虎口を通って、まずは八幡曲輪の中をちょいと見ていくことにします。
どんな門が建ってたとかは分かりませんが、要所に必ず門を設けて防御が念入りです。

広すぎた瞬間


初代遠山氏の加藤景廉を祀る八幡神社があることからその名がついた広い八幡曲輪。
東西に長い曲輪には当時、西方と北方の物見台として二層の遠見櫓も建っていたのだとか。

伝説はありがちだった瞬間


八幡曲輪には2つ目の井戸、霧ヶ井がありました。城主専用の井戸でお堂の中にあったそうです。
敵が攻めてきた時、井戸に蛇骨を投入すると霧が湧き出して山城を包み、敵を阻んだという伝説や、
どんな日照りが続いても決して水の涸れなかったと言われる井戸なんだとか。
岩村城が別名「霧が城」と呼ばれていたのは、この井戸の伝説から来ているようです。

女城主もゴクリ?だった瞬間


小さい井戸なんですけどね、見るとすぐ縁まで、しかも案外透き通った水が入っています。

岩村城は文治元年(1185)、源頼朝の重臣加藤景廉によって築城されたとされています。
景廉の長男景朝が遠山氏を名乗って代々居城していましたが、戦国時代になると美濃・信濃・三河を
結ぶ地にあることから、武田信玄と織田信長による争奪が繰り広げられます。

元亀年間の城主は遠山景任で、織田信長の叔母おつやが嫁いでいましたが元亀2年(1571)景任は病死。
信長は五男御坊丸を養子にして家督を相続させますが、実質上城主はおつやが務めることになりました。

やっぱり女だった瞬間


八幡曲輪の中ほど・・この上に遠山氏初代景康を祀った八幡神社があるので行ってみましょう。

元亀3年(1572)武田信玄が上洛を開始すると秋山信友が東美濃に侵攻。しかし岩村城の守りは堅く、
攻めあぐねた信友はおつやに「妻にして御坊丸を養子にするから開城しないか」ともちかけます。
信長の援軍が期待できない状況下、領民や城兵の命を守るため苦渋の決断だったんでしょうね。

おつやは信友と結婚し開城しますが、御坊丸は人質として甲府に送られてしまいます。
信長は激怒しますがこの頃は武田の勢いも強く、畿内に手一杯で奪還の余裕はありませんでした。

しかし天正3年(1575)で武田勝頼に勝利すると、信長は嫡子信忠に岩村城を包囲させます。
5ヶ月に渡る籠城の末、秋山信友は城兵の命を助けることを条件に降伏しますが信長はこれを許さず、
城兵を皆殺しにし、秋山信友や叔母であるおつやらを城外で逆磔にしました。

おつやは「我れ女の弱さの為にかくなりしも、現在の叔母をかかる非道の処置をなすはかならずや
因果の報いを受けん」 叫んで果てたと言われているそうです。

立場も気持ちも分かるけど信長様にそれは絶対に通用しませんね・・残念ながら。
小松姫とか立花訐藺紊箸・・豪気な女だったら少なくとも婚姻は飲まないだろうしなぁ。

放置プレイだった瞬間


八幡神社の入り口に来ました・・が何かヤブヤブでどうみても大事にされてない感じです。
あんまり行きたくない感じだけど、ここまで来たから一応見ておきますかね。

やっぱり放置だった瞬間


寂し・・当時は大事にされていたらしいんですけどね。曲輪の名前になったくらいだし。
神社というよりちょいと設えた祭壇に後から囲いを付けたような作りが何とも言えず、です。

じらしが大事だった瞬間


八幡曲輪から二の丸に入るくらいのところでいよいよ「本丸まで残り100米」。
ここでうっかり正面見たらチョロっと例の風景が見えちゃうので慌てて横を向く次第w

わかりづらかった瞬間


俄坂櫓門跡。裏門だったそうで有事の際はここから城下まで降りることができたのだとか。
搦め手なんでしょうけど、ヤブすぎて下も見えないし、櫓門跡もよく分かりませんでした。

興奮の瞬間


では心の準備を整えたところでいざ拝見! キョー!!なんかドキドキしてきたわw
右側手前に菱櫓跡があるので、それを見ながらもったいつけてゆっくり行きましょう。

珍しかった瞬間


山の地形に合わせて石を積んだので菱型になったそうです。上に建っていた櫓も石垣に合わせたので
菱形だったから菱櫓と呼ばれました。分かりやすいですw 菱っぽい感じわかりますかね?

テンションMAXの瞬間


ついにキターーーーーー!! 岩村城と言ったらコレな「六段壁」。俄然鼻息が荒くなります。
汗水たらして苦労してじらしながら来ると、目に飛び込んで来た時に感動もひとしおですw
息をのむ感じになってしばし見惚れます。ハイキングとか紅葉見物とかいなくてマジよかった。
しかしその反面、どんだけ曇天どんよりしてんだ!と少々怒りの感情もこみあげてきます。

怨念オーラまき散らす瞬間


上に登ってく前に本丸をめぐる帯曲輪を見ておきます。これ出丸までずっと続いているらしい。
青空だったらどんなに写真映えするかと思うと、やっぱり心までモヤモヤしてきますね。

下から登ってきたんだから一瞬くらい何とかしろやーー!!! あ、これ心の声ですw

女の執念岩をも砕くな瞬間


本丸の方へ上ろうと振り返ると・・おお! なんと薄日が差したじゃないか! ホホホ。
違う角度から見ても迫力のある六段壁。光がさすと陰影が生まれるから迫力が増すよ。

この六段壁は防御のために始めから六段にして積んだわけじゃなく、崩落を防ぐため
前に補強の石垣を積んでるうちに、この姿になったんだそうです。それでも見事すぎる!

元から赤でもよかった瞬間


六段壁の階段を上がるとまず細長い曲輪があります。六段壁と本丸の間に位置する感じね。
紅葉はまだの岩村城ですが、赤い葉の木が一本あるだけで風景の雰囲気が変わります。

山城らしさ全開の瞬間


曲輪から長局門跡を見上げたところ・・赤い葉っぱを意地でも入れて撮ってみましたw
折れ曲がった道の先にドーンと重厚かつ厳重な門が建っていたんだろうと思います。

ナイス規模だった瞬間


長局門は櫓門で両側の石垣に多聞櫓が乗っていたそうです。曲輪から上がってくる部分が
そんなに広くないから、真上見上げる感じに櫓門があったらけっこう威圧感ありそうな。

超ディフェンスだった瞬間


長局門を上から。長局門をくぐって左に曲がるといよいよ本丸の入り口本丸東口門です。
この位置なら万一突破されても狙い撃ちだね。六段壁からここまで厳重さがよく分かります。

脳内復元力が大事だった瞬間


長局門からずっと来て本丸東口門の枡形、そしてついに本丸。どんな門か分からないけど
ここに最後の門があったのよね。当時、六段壁の下の方から本丸の方を見上げたら、
しっかり積まれた石垣の上にいくつもの門や櫓が折り重なって、すごい迫力だっただろうな。

かみしめまくりの瞬間


この本丸は本能寺の変80日前に織田信長が宿泊したところなんだそうですよ。
信長様が見たかもしれない風景を見て(当時は門が邪魔だったと思うけど)登城をかみしめますw


岩村城へ登城!その3〜本丸から出丸 へ続く。



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2013.12.20 Friday 18:22 | comments(2) | trackbacks(0) | 中部(岐阜県) | 

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2020.02.14 Friday 18:22 | - | - | - | 
あも (2013/12/21 10:40 PM)
山城守さん こんばんは〜!
そうよ・・・出丸から登城しても全部見たら結局登ることにはなるんですよね(^_^;)
どっから登城しても全部見なきゃもったいない!
きつかったけど再登城したくなるお城だったので次は出丸作戦にしますwww


山城守 (2013/12/21 7:49 PM)
こんにちは。山城守です。
岩村城、見所たっぷりなお城ですよね。
へたれな私は迷わず車で上まで行って登城路を下りながら見て歩きました。
あもさんとは逆ルートですね。
結局、車を止めてある所まで登って戻る羽目になったんですけど(笑)。