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高遠城に登城!

[日本百名城] ブログ村キーワード

建福寺で由布姫の墓参りをした後は、すぐ近くにある高遠城に到着!!

とんだ誤算だった瞬間


・・のはずが、高遠城はなんと、紅葉祭りの真っ最中!! 正面にあるっぽい駐車場には入れず、
まさかの「絵島囲屋敷跡」スタート。いやはや・・城跡とはいえ城址公園は甘く見ちゃいかんね。
100名城スタンプは帰りにもらうとして、だいぶ日も落ちてきたからまずは公園を目指します。

萎え感さらに倍だった瞬間


正直ワタクシ、高遠城ってどうもあんまり興味がなくて、今回も岩村城苗木城の帰り道なので、
ここで行かなきゃ次はマジないわ〜と思っての登城。だから前日に縄張ちょと確認しただけΣ(゚Д゚)!
本丸からのルートしかシミュレートしてないので、人気のない裏通りを手さぐりで歩いていきます。
すると最初に目に飛び込んできたのがこの風景・・・高遠美術館の敷地らしいけどヤバすぎるわw

いきなりのほぼ枯れ木だった瞬間


すっごい遠回りした気がするけど、南口ゲートというところから城址公園の中に入れました。
法憧院郭(ほうとういんくるわ)というところになるようです。紅葉具合はイマイチだけど、
それでも紅葉祭りの真っ最中。多くの人があちこち木々を見上げながら散策しています。

優雅な調べすぎた瞬間


おまけに公園内はBGMなんかも流れてて「亡き王女のパヴァーヌ」とか聞こえてくるの。
そういう雰囲気の中、ワタクシは一応「登城」で来てるので一人、案内版を読んでおります。
が、そうなんだふーん・・・てな具合でとりわけ妄想もわかず、落ち着かない気分ですw

視線を感じた瞬間


法憧院郭と二の丸・南郭の間にある空堀・・広大な空堀を見て少し食いつきます。
あの人何やってんのかしら?的な視線を度々感じましたw 振り向くと目が合う・・

江戸色が濃かった瞬間


空堀にかかる白兎橋を渡ると南郭。「名君保科正之が幼少期に母お静の方と居住した」
場所なんだそうです。高遠城っていうとワタクシは江戸時代より戦国時代が好きなので、
思い出すのは武田エピソードなんだけど、伊那市としてはとにかく保科押しらしいのね。

温度差があった瞬間


南郭から土橋を渡ると本丸。この土橋は中村元恒という人の記念碑を建てるために作ったもの。
おまけに靖国招魂碑ってのを建てるために地を削って平地に整備しちゃったりもしてるそうな。

高遠城は武田信玄が天文14年(1545)高遠頼継を攻略した後、秋山信友らに大改修させ、
南信濃や駿河・三河方面へ進出する重要な軍事拠点として機能した城でした。

岡崎城に家康の人生が詰まってるように、高遠城にも武田の歴史がてんこもり。

信玄の父 武田信虎が亡くなったのも、勝頼の嫡男 秀勝が生まれたのも高遠城。
信玄の弟武田信廉(逍遙軒)や勝頼、勝頼の弟 仁科盛信が城主をつとめた高遠城。
仁科盛信が武田軍最後の戦として織田軍を迎え撃った末、散っていったのも高遠城。

高遠落城を聞いた勝頼は逃亡を決意。そして死の旅路が始まり武田氏は滅亡しました。

ワタクシにとっては武田のイメージが強いけど、江戸時代には名君保科正之様の保科氏の他、
鳥居氏、内藤氏が入封して明治維新を迎えてるので遺構も武田時代の影は薄いです・・・

そんなに興味なかった瞬間


土橋を超えたところの本丸がこちら。そこそこの広さがありますね。
高遠城は天守はなく、藩庁と城主居館を兼ねた御殿や櫓などがあったそうです。

案内板につられた瞬間


本丸に向かって右手には問屋門があるので、先にそっちに行ってみましょう。
写真手前が本丸、門をくぐって橋を渡った向こう側が二の丸になります。

関係なかった瞬間


問屋門は高遠城下の問屋役所にあったもので、昭和20年問屋役所の取り壊しの時に
売却されていたものを有志が買い取って、募金を集めてここに移築したものなんだそうです。
問屋役所ってのは公用の荷物の取次とか、人馬の手配や宿泊の管理をする役人がいたとこ。

一番人気だった瞬間


問屋門に続くのは桜雲橋(おううんきょう)。桜の時期は大人気の撮影場所で有名です。
この橋も城跡ってことじゃないけど、高遠一番のシンボルスポットになってますね。

幻想的ではなく現実的すぎた瞬間


花見の時期は橋の回りも下も桜だらけで、橋が花の中に浮かんでるみたいなんですけど、
晩秋の紅葉祭りだというのに、ワタクシが見た風景は非常に微妙なものでした(ノД`;)

ダイナミックだった瞬間


桜雲橋のかかる本丸の空堀は広大です。草木が邪魔だけど良く残ってるんじゃないかと思いつつ、
この後ろ(二の丸)には、これまた高遠城のシンボル的な「高遠閣」という建物もあるんだけど、
もはや昭和初期の建物に興味もなく、紅葉祭りの屋台が並んで人も多いので本丸に戻ります。

仁科押し発見の瞬間


本丸の北側にある新城(盛信)神社・藤原神社。文政11(1828)年、城主内藤頼寧は
織田の大軍を引き受け壮烈な最期を遂げた仁科五郎盛信の霊を城内に祀り「新城神」として
崇拝していました・・と案内版に書いてあります。ワタクシその気持ち少し分かりますw

めんどくさかった瞬間


それより先に城内には内藤頼以が藤原氏の先祖大織冠藤原鎌足公を勧請した「藤原社」があり、
廃藩後の明治12(1879)年この神社を「新城神」と合祀して今日に至っているのだとか。
なので左には「藤原神社」右には「新城神社」と書かれています。

しかし今は駐車場だった瞬間


神社の前から見える勘助曲輪。信玄の命で山本勘助が縄張りしたと伝えられてるそうです。
築城時はこの郭はなかったという説もあるらしいけど、今、城址公園として残っているのは
そもそも江戸期に大改修された高遠城の跡だから、曲輪の名前ぐらい夢があった方がいいよ!

そんなに食いついてなかった瞬間


で最後に本丸の太鼓櫓。江戸時代には櫓は搦手門の横にあって、時刻が来ると番人が
時の数だけ太鼓をたたいて知らせたそうです。廃城の時、有志の手で対岸に新設されたものが、
明治10年に今の場所に移されて、昭和18年まで時の鐘ならぬ時の太鼓を叩いていたそうですよ。

主張が激しかった瞬間


イマイチ食いつけず高遠登城はあっさり終了〜車を停めた絵島囲屋敷前に戻り、その隣にある
高遠町歴史博物館で100名城スタンプをゲット!と、バサバサ翻るのぼり旗が目に入ってきました。
保科正之公の大河ドラマをつくろう・・ほうら高遠町も伊那市もゴリゴリ「保科押し」なんですw

微妙な気がした瞬間


たくさんののぼり旗の向こうには真新しい保科正之さんと母お静さんの銅像withお地蔵さんが。
保科さんと言ったら夫人じゃなくて生母セットが定番。お静さんは徳川秀忠の乳母の侍女だった人。

秀忠はこの侍女のお静に手を出して身ごもらせてしまうのですが、キツい正室のお江与にばれぬよう
見性院(信玄の次女)にお静を預けます。お静の生んだ子は見性院の縁で旧武田家臣の高遠藩主
保科正光の子として育てられ、正之が秀忠と初対面したのはお江与がなくなった後だったとか。
正之は3代将軍家光からの信頼が厚く、家光の死後は4代将軍家綱を補佐して善政を敷きました。

〜というのがワタクシが知ってる保科さん。大名の殉死を禁止したとかもありましたっけね。
苦労してそうだからドラマはあるだろうけど、華があって盛り上がるエピソードが少なそうな・・・

心は五郎山だった瞬間


明智光秀・長宗我部元親・本多忠勝・・・他にもメジャーなライバルの居並ぶ中、
保科さんは大河の主役を射止めることができるのでしょうか・・・ガンバレ正之さんw


さて・・・保科さんも一応応援したところで、高遠と言ったら仁科押しのワタクシは
五郎山にあるという仁科盛信さんの銅像と祠探しの旅(?)に向かうことにしますw

ふふふ〜ん♪ ナビで検索・・・・・・エッΣ(゚Д゚)! 五郎山・・出ない。ドコ? 


五郎山にて仁科盛信のお墓参りに続く


2014.01.08 Wednesday 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(長野県) | 

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