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五郎山にて仁科盛信の祠と銅像拝見!

[戦国] ブログ村キーワード

現在の高遠城は「名君保科さん」押しだったけど、ワタクシ的には「高遠といったら仁科さん!」。
なので五郎山にあるという仁科盛信さんの祠と銅像を探しに、高遠城の近くをうろつきます。

たどりついた瞬間


高遠城から遠くないんだけど、五郎山はワタクシのナビでは影も形も出なくてね・・
仕方ないからタブレットでグーグルマップを見ながら、何とか車の登り口を発見したわ。



そんなもの好きが他にいると思えないけど、ちょいと分かりづらいので一応メモしときますと・・
車の場合、高遠城から白山トンネルに向かって走り、とりあえずトンネルを通過。
で、トンネル出たら【すぐ】ギューンと左折。するとすぐ案内版が見えるのでまた左折。

ズレズレだった瞬間


五郎山はハイキングコースになってて登山客なんかも来るらしいけど、車のが断然べんり!!
とはいえ、離合困難な道をひたすら登るので、ホントにあってる??と少々心配になったりします。
そのくせ車の停め場所とか、帰りのUターンとか、この時点であんま考えてなかったりするのよw

安心した瞬間


マジで大丈夫か〜?と心細くなった頃、徒歩の登り口らしき案内板が見えてひと安心!
車は路肩ギリギリで停めれば寸の間ならイケる。この先は未舗装で幅もさらに狭くなるので、
停め場所探してうろついてはダメよ・・・ちなみにワタクシは行ってみて失敗した人('A`)

ドラクエ気分だった瞬間


車を停めたところから少し斜面を登っていくと、ようやく祠と銅像があるっぽいとこが見えた!
手さぐり気味でやってきたし、探してるのは祠だから、今回はめっちゃ達成感がありますよw

達成感にひたる瞬間


石碑と洞、そして仁科盛信さんの銅像がある五郎山の山頂。真ん中のやつが祠みたい。
幕末の藩主は藩儒中村元恒の儀を入れて祠を建てて霊を祀り、毎年3月2日の例祭に幣帛料を供えた・・
と案内版に書いてあります。盛信さんのお墓があるから「五郎山」と名前がついたそうです。

鎮座していた瞬間


では銅像を拝見! 盛信さんは天正10年(1582)織田軍による武田攻めの時に
高遠城を守っていました。盛信さんは武田信玄の五男で、武田勝頼の異母弟です。
信玄は信濃攻略をする際、その地の有力豪族と婚姻関係を結んで支配したので
勝頼は「諏訪勝頼」に、盛信は仁科を継いで「仁科盛信」というわけです。

信玄は勝頼が諏訪の名を継いでいたため後継者には勝頼の子、信勝を指名し、
勝頼を信勝が成人するまでの後見にしたとも言われてますね。余談ですけど。

妄想がしょぼむ瞬間


アップでどーん!! ・・やっぱりでっぷりなんだね・・若さがないのもちと残念。

盛信さんの銅像は、武田信玄の大河ドラマをやった時、高遠町の小松氏という方が
常に崇敬する仁科五郎盛信公の石像を五郎山頂に建立し、寄贈したものなんだそうですよ。
床几に腰かけた陣中姿は仁科家末裔の方が所蔵する「仁科盛信画」が元になっているのだとか。

あっぱれすぎた瞬間


横からも。なかなか貫録のある厚みは甲府駅前に鎮座するオヤジ様に通ずるもんがありますね。

武田攻めのため5万の軍勢を率いて高遠を包囲した織田信長の嫡男、信忠は降伏勧告をしますが、
盛信は使者である僧の耳を切り落として追い出し、徹底抗戦の意思を表明します。

高遠城の兵はわずか3000。押し寄せる大軍に挑んで討たれる者、恐れをなして投降する者・・
しかし盛信は最後まで城に踏みとどまって織田軍を迎え撃った後、十文字に腹を掻き切り、
はらわたをつかんで唐紙に投げつけるという壮絶な最期を遂げました。享年26歳。

地元愛すぎた瞬間


銅像のそばに盛信さんの死に際やら祠の説明なんかが書かれている記念碑もあります。
盛信さんの遺体は戦いが終わって織田軍が引き上げた後、地元の農民たちが探して持ち帰り、
この地に葬られたんだそうです。以来、この山は「五郎山」と呼ばれるようになりました。

思いを馳せる瞬間


盛信さんが眠る五郎山からは高遠城下が見えます。どんな思いで見てるでしょうか・・。
一人になっても最後まで戦い続けた盛信さんは、地元で大切にされているんだと思いました。

かなり丸かった瞬間


勝頼の数少ない味方だった盛信さんの哀愁漂う男の背中をどうぞw 

ちなみに・・盛信討ち死を知った勝頼はすぐに新府城に火をかけ、逃亡を開始
岩殿城を目指すも小山田信茂に裏切られ、天目山で自害・・武田家は滅亡しました。
盛信の壮絶な死から9日後、旧暦3月・・桜の季節のことでした。

気の毒すぎた瞬間


五郎山からは高遠町が見えるというのに、盛信さんの視線の先にあるのはこの風景Σ(゚Д゚)!
もうちょい左に向けてあげれば、桜に包まれるお城が見えたのにね・・むぅ〜ん残念!!


さて。秋の夕暮はつるべ落とし・・暗くなったら怖いのでダッシュで五郎山を下りて帰ります。


次エントリーから静岡攻略パート・・いくつだ? になります。


横須賀城に登城!に続く


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2014.01.12 Sunday 15:46 | comments(2) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 15:46 | - | - | - | 
あも (2016/06/17 5:17 PM)
たなかさん

こんにちわ! 仁科さんのお墓はたどり着けてよかったですw
たなか (2016/06/10 12:16 AM)
仁科さん、お墓いったのですね〜!
いろいろなところに行かれててすごいです( ^ ^