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横須賀城に登城!

[城めぐり] ブログ村キーワード

2013年最後の出陣は静岡攻略。静岡は広いし城も多いから何度も出陣しているけど
まだデカブツは残っていて・・今回は横須賀城、高天神城諏訪原城丸子城攻めです。

油断していた瞬間


横須賀城は国指定史跡だからナビに出るので、言われるまま走って到着でひと安心と思いきや、
横須賀城と言ったらコレ! が目の前にない・・どうやら裏側の駐車場に誘導されたようです。

寒すぎた瞬間


シミュレーションしてたのと完全に逆だけど、気を取り直して北の丸から登城することにします。
縄張図によれば右手にあるのは本丸。まずは北の丸目指して梅林(?)の中を進んでいきます。

登る元気はなかった瞬間


北の丸に到着!本丸の北にある広い曲輪です。奥の搦手方向にあるこんもりは松尾山。
松尾山の向こうには高天神城があり、当時はそれに備えた防御施設として機能していたそうです。

庶民の考えだった瞬間


本丸に沿って右に曲がります。横須賀城と言ったらコレ!な玉石垣を見るには正面に行かねば・・・
正面じゃないここらは土塁です。費用や手間の問題かしら? 横矢がかかって厳重には違いないけど。

もやっとした瞬間


土塁際にお姫様と書かれたワケあり気な社がありました。が案内板などもなく意味不明。
後で調べたけど、江戸時代に亡くなった悲運のお姫様を地元の方が祀っているとしか分からず。

瞳孔が開く瞬間


ようやく玉石垣が見えてきました。本当に丸い石よ! 苔むした野面積みの石垣みたいに
ホレボレする感じはないけど、よく積んだわ〜と思って思わず凝視してしまいます。
ワタクシの後ろは三日月堀があるんだけどそれは後にして、とにかく本丸に行ってみよ。

分かりづらかった瞬間


スロープになっているところを登ると、玉石垣の手前に玉砂利敷き遺構が見えました。
発掘で見つかったもので、当時は建物内の土間であったと考えられているんだそうです。
ただし本物は埋戻されていて、今見えるのは発掘状態を表現する表面表示なんだって。

想像しにくかった瞬間


城の中で一番高い本丸。築城当時ではないと思うけど、四層の天守が建っていたそうです。
天守跡の北には土塁が築かれています。天守に使われた瓦や鯱が出土したんですってよ。

危なかった瞬間


横須賀城は天正6年(1578)武田方に奪われた高天神城奪還のため、徳川家康が大須賀康高に命じて
築かせた城。天正9年(1581)に高天神城を奪還すると、横須賀城が遠江東部における拠点となり、
280余年で8家、20代の城主を数えて明治維新を迎えます。明治維新の廃城後、建物や土地はもちろん、
石垣や樹木に至るまで民間に払い下げられ、堀も埋め立てられますが、昭和46年に本丸跡の宅地化が
持ちあがったのを機に住民から声が上がり、昭和56年、国の史跡に指定されました。

お金がかかっていた瞬間


本丸跡には横須賀城の非常にわかりやすい立体模型が設置されています。さすが国史跡!!
画面右奥・・松尾山の先に高天神城があったのでこういう縄張になってるんですね。
模型を見ると東西に長いけど、西に広がる二の丸やら何やらは後からのものみたいです。

バランスが心配だった瞬間


天守跡には礎石が残っています。建坪40余坪の四層天守。建物跡は東西六間×南北三間半が
残っていると案内板に書いてあったけど想像しにくいから復元予想図も描いてくれるといいのに。

心おどる瞬間


本丸東側から本丸下門あたりを見下ろしたところ。土塁も石垣も綺麗に残っていてよい感じ!
ただ城本とかに載ってるベストショットな角度はここじゃないので、西の丸に行ってみましょう。

へばりついていた瞬間


西の丸に廻ってそこから階段を下りかけつつ、上手い角度を探して土塁にへばりつく・・とw
本当にどっから見てもまあるい石垣です。天竜川の河原の石を使って野面積みしたのだとか。
丸い石を野面に積むってけっこう難易度が高い気がするけど、現存って何だかすごいよね。

満足すぎた瞬間


もっと広い視野で撮りたくて、土塁にへばりついたまま帯曲輪の方に下がってみましたw
これだよね〜ザ・横須賀城の風景。ワタクシが好きな苔むした野面の石垣とは違うけど、
これはこれでナイス景観!と思う。珍しい玉石垣、ちょっと日本の城じゃないみたいだ。

お上品だった瞬間


本丸南下の入り口に降りてきました。当時はここに城内最大の櫓門が建っていたそうです。
玉石垣は石ひとつひとつが小さいので威圧感は少ないけど、高いところでは7〜8mかそれ以上、
高く積まれているところもあって石垣としての機能はバッチリね。建物がある姿も見たい気が。

少々キモかった瞬間


意味ありげな石が気になって側まで見にきたけど、説明はなく何だかわからず首をかしげつつ、
近くで見た玉石垣のまるで石が生えているかのような様子に気づいて、少々後ずさります。
ワタクシ、ハチの巣とか小さい丸いタイルが敷かれた風呂場とか丸の集合系ダメなのよ。

脳内復元に励んだ瞬間


本丸南下の右側の方・・・上に見えるのが本丸。発掘調査で塀に使われた瓦が石垣から
落下した形で出土したんだそうです。玉石垣に建物があるとさらに雰囲気違うんだろうね。

丸くてもガッチリだった瞬間


でこちらが本丸南下の左側の方。この辺は大井川の石を使って復元整備されているようです。
石垣の裏には水や力を分散させるため詰めた小石、裏込の栗石跡が見つかっているのだとか。

規模は当時のままだった瞬間


本丸に戻ってぐるっとまわり、最初に見たスロープを降りて三日月堀に来てみました。
右手の方が現在の城域。縄張を見ると今は住宅街になっている左手に当時は曲輪があって、
その向こうには外堀が囲んでいたんですね。この堀は最初に登った本丸へのスロープがある
北側中段に面したところ。念には念を入れた感じなのかしら? 小さすぎる気がするけどねw

いきなりすぎた瞬間


三日月堀に沿って最後にもう1度、ザ・横須賀城の風景を見に行って横須賀城攻略完了にします。
堀沿いの道には地蔵さんたちがずらーっと並んでいて、唐突なもんで少々びっくりしました。

ワタクシはワイルドだった瞬間


ヤブがあるので堀の横っちょにある木の根元によじ登り、ザ・横須賀城をもう1度w
横須賀城って江戸期には2万石〜6万石だったらしいから、こう見ると分不相応な感じだけど、
すぐ近くにある掛川城で東海道を押さえ、海側路を横須賀城が守る役割だったというから、
きっと幕府の援助とかもあったんだろうね・・お、だから搦手側は土塁でコスト削減かw


横須賀城・・寒い中、朝早く起きてきた甲斐のあるお城でした。貸切で堪能言うことなし。

この後は横須賀城にロックオンされた高天神城諏訪原城丸子城へ鼻息荒く登城するわよ!
が、その前にすぐ近くに横須賀城の不明門が移築されている撰要寺に寄ってみることにします。


撰要寺にて大須賀康高のお墓まいりに続く


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2014.01.17 Friday 17:40 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(静岡県) | 

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