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撰要寺にて大須賀康高のお墓参り

[戦国] ブログ村キーワード

横須賀城の近くにある撰要寺には、横須賀城の不明門が移築されているというので見に来ました。
ここには横須賀城を築城した大須賀康高のお墓もあるというのでワタクシ的に一石二鳥w

ダッシュ確定の瞬間


撰要寺さんは駐車場がないんです。前の通りが広くて駐禁マークもなかったので路肩に駐車。
迷惑にならない位置に停めたとしても、こういう場合はダッシュで戻ってくるのがお約束です。

年季が入りすぎていた瞬間


入り口を入っていくと山門がありました。これが移築された横須賀城の二の丸にあった不明門。
廃城の時に移築されたもので、総松材造り。丸に立葵の紋があることから正保〜天和(1645〜1682)
在城した本多利長の頃の建造と言われているそうです。町指定文化財だというのですが・・

残念すぎた瞬間


門もかなり傷んでいるし、丸に立葵の本多家紋も欠けたり傾いちゃってるのがとても残念(´Д`)
町指定文化財なんだし、修復するとか・・もうちょっと何とかしてほしい気がしました。

格式が高かった瞬間


撰要寺は天正9年に大須賀康高が岌屋春阿上人を請じて創建した浄土宗のお寺で、
寺領50石を寄進して菩提寺として以降も歴代城主の庇護を受け、10万石の格式を与えられた
遠州一の寺格を持つ歴史あるお寺なんだそうですよ。

巨大だった瞬間


本堂の左手に大須賀康高と二代忠政のお墓があります。高さ4メートルのデカい宝篋印塔。
向かって右側が康高さんで、左側が二代養子の忠政さん。それにしても目立つお墓です。

残念すぎた瞬間


高天神城攻略のため家康の命で横須賀城を築城、城主となった大須賀康高は天正17年死去。享年63歳。
康高の死後、養子の忠政(榊原康政の子で母が康高の娘)が城主を務めますが、家康の関東移封により

上総の久留里城へ移ります。しかし元和元年(1616)榊原家に後継ぎがないことから忠政の子、忠次が
榊原家を継ぐことになり、再び後継ぎのなくなった大須賀家は断絶してしまったそうです・・・
何とでもしてやれたろうに、活躍した譜代でも容赦なく取り潰す幕府ってマジえげつないと思うわ。

ほくそ笑んでいた瞬間


撰要寺は大須賀さん以外にも、高天神城の小笠原一族の五輪塔や本多利長のお墓もあるそう。
思いがけず武将の墓大量ゲットのチャンスかも〜とウキウキしながら墓域に進んで行きます。
が、世の中そう甘くなく「武将」の小笠原さんの五輪塔は見つけられなかったのよね・・(´Д`)

怪しまれないようにした瞬間


本多利長一族のお墓は墓域奥右に発見。移築された不明門に傾いた家紋のあったあの本多家。
お墓参りの人がちょいちょい上がってきます。小笠原さんウロウロ探せなかったのよね・・

念のため勘ぐる瞬間


利長さんは岡崎から5万石で横須賀城に入りますが、悪政を行ったとされて改易されてしまいました。
本当に悪政だったのか、またまた幕府お得意の言いがかりだったのか実際は分からないけどね。

財力があった瞬間


墓石は利長が横須賀城主だった時に前任地の岡崎城から海路運ばれたものなんだそうですよ。
父・祖父のお墓が一緒に。そしてこの石玉垣の外にも一族の墓塔がずらっと並んでました。


大須賀さんや本多さんの墓石群は県指定史跡なんだそうです。不明門よりランク上ねw
これから高天神城へ行くから、小笠原さんのお墓参りがしたかったけど仕方がない・・


路駐した車も気になるので、こうなりゃさっさと小笠原さんのいた高天神城へ出発しよ!


高天神城へ登城!に続く


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2014.01.22 Wednesday 12:36 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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