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諏訪原城に登城!その1〜大手曲輪から二の曲輪

高天神城に続き、これまた武田VS徳川の戦いの舞台だった諏訪原城にやってきました。

整備されている瞬間


諏訪原城は国史跡なので広くはないけど、目の前に見学者用駐車場完備がありがたい。
ただ気軽に見れる国史跡のせいか、子供づれ家族やら熟年夫婦やら何気に人が多いです。

ざっくり確認しとく瞬間


駐車場のところには案内図もありまして・・諏訪原城は広いしたくさん曲輪もあるので、
観光で来て順路を確認するだけならいいけど、配置を覚えて廻るのはとっても大変です。

もれなくゲットの瞬間


なのでパンフレットをもれなくもらっていきましょう・・ただこちらも案内板同様、
曲輪の配置しか書いてないんだけど、城の特徴や見どころが書いてあるのはよいです。

準備が大事だった瞬間


ワタクシはパンフレットがあるとは思っていなかったので少し詳しい縄張図を持参。
帰宅後に撮った写真なのでシワシワ・・・つど確認しちゃポッケに突っ込むのでねw

お茶は飲まない人だった瞬間


では順路に沿って見ていきましょう。まずは今は茶畑になっている大手曲輪。
徳川時代に作られた曲輪で、茶畑は維新後、旧幕臣が移り住んで作ったんだそうです。

首をかしげた瞬間


茶畑の中には「武田方城主 今福浄閑戦死墓塚」の碑が立っているのですが・・

今福友清は武田の譜代衆で石見守と呼ばれ、出家して浄閑斎を名乗った人です。
天正3年(1573)の川による諏訪原攻めの時に城将だったのは浄閑の子の丹波守で、
討死したとも、小山城に逃れて後に久能山城主になったとも言われています。
・・まぁどうでもいいんだけど、それにしても何でわざわざ茶畑の中に?って感じでw

鼻の穴がふくらんでいた瞬間


二の曲輪と隔てるデカい外堀を眺めつつ、順路通り進んで二の曲輪馬出の方へ行きます。
二の曲輪の馬出は諏訪原城の見どころのひとつ。規模がすごいらしいので楽しみ!

うっとりしていた瞬間


左手には武家屋敷跡とか馬場跡もあるんだけど、右手の外堀に比べたら単なる「跡」。
めぐらされた堀やその規模に武田築城術・・馬場信春さんの縄張に感じ入ろうとする次第w

鼻息が荒くなる瞬間


二の曲輪中馬出に到着! 二の曲輪を守る三号堀と名付けられた堀がめぐらされています。
せっかくなので帯曲輪を通って、この先にある二の曲輪北馬出の方に行ってみることにします。

気勢がそがれる瞬間


堀底には12月なのにしぶとく緑が残っているので深さが分かりづらいけど10m近くはあるかと。

諏訪原城は天正元年(1573)武田勝頼が遠江侵攻の拠点とするため、馬場信春に命じて
築かれました。駿河から遠江に入る要衝の地にある牧ノ原台地に作られた諏訪原城は
高天神城攻略のための陣城として、攻略後は兵站地としての役割を担ったそうです。

崩れそうになかった瞬間


土橋手前の深さ、向こうの堀の規模・・いちいちなんてデカいんだ! 土橋も頑丈そうだ。

牧ノ原台地の先端に築かれた諏訪原城は後ろ堅固の城。今いる二の曲輪馬出付近は前面で
平坦になっているため、敵を迎え撃つための防御がとても厳重です。
対してこれから見に行く本丸は背後が断崖絶壁。本丸から扇状に曲輪が配置されています。

ダメすぎた瞬間


北馬出から駿河方面を見たところ。奥に大井川が流れているはずだけど見えませんわ。
前面は平坦だけどセキュリティ万全、背後は直接本丸だけどトンデモない断崖絶壁・・

この諏訪原城を家康は長篠の合戦で勝利した1ヶ月後には包囲しています。
しかし長篠で大敗した武田方に援軍や補給を送る余力はなく城は2ヶ月後、落城。

諏訪原城攻防で大規模な戦闘ってあったのかな? 城兵はバンバン逃げたらしいです。
今福さんは討死とも言われますが、一方で小山城に退却したとかも言いますしね。
でもどちらにしろ勝つ見込みなさ過ぎて士気激低・・死にもの狂いの攻防じゃなかったかと。

お約束だった瞬間


武田流築城術の典型と言われる城らしく、馬出とセットで三日月掘。
左に見えるのは中馬出。木が伐採されているので分かりやすくていいです。

残念な人だった瞬間


三日月堀の深さを撮ろうと真剣にやってますが腕前に加え、日差しの方向もよくなかったよ・・

諏訪原城を手に入れた家康は牧野城(牧野原城とも)と改名して城を改修し、
駿河方面の監視とともに、高天神城攻略の拠点としても機能しますが、天正10年(1582)
武田氏が滅亡すると役割を終え、天正18年(1590)には廃城となりました。

コンクリだった瞬間


二の曲輪の前面にある馬出しを廻ったところで、土橋っぽいのを渡って二の曲輪虎口へ。
舗装されてるんだけど、土橋の補強なのか、そもそも土橋じゃないのか分かりません。

分かりづらかった瞬間


土橋(?)横には二号堀と名付けられた空堀が。今見て来た馬出と二の曲輪の間にめぐってます。
ここもしぶとく草木が残ってるので規模が分かりづらいけど、まぁ簡単に攻め入れないですよとw

念入りすぎた瞬間


二の曲輪はメガ外堀に面しているんだけど、曲輪内にもさらに土塁があるという。
この奥にある本丸の方が、堀越しに直接見えないようにしてるってことなんですかね。
副将それに準ずる武士の詰所。武器保管や来城者の控所、屋敷もあったそうですよ。


思いがけず長くなってしまったので諏訪原城は2回に分割・・まだ半分いったかどうか。
ふふふ・・やっぱ詳しい縄張図はマストだわw これから扇の要、本丸へ向かいます。

諏訪原城に登城!その2〜本丸から諏訪神社編 へ続く



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2014.02.02 Sunday 13:22 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(静岡県) | 

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