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長慶寺にて太原雪斎のお墓参り

[戦国武将] ブログ村キーワード

諏訪原城から次なる丸子城に向かう途中、長慶寺で太原雪斎のお墓まいりをしました。

機動力がモノをいう瞬間


静岡県藤枝市・・・ナビには出てきたけど、車じゃなきゃかなり厳しい感じのところ。
住宅街ではあるんだけど、電車やバスのアクセスがメッチャ悪そうなんです。

名刹だった瞬間


長慶寺は嘉慶年間(1387〜1388)今川氏三代の泰範が開創した由緒ある寺院。
今川泰範は足利義満に仕えて、駿河と遠江の守護職に任ぜられていたそうです。

主役を省いた瞬間


今回のタイトルは「長慶寺で太原雪斎のお墓まいり」になってますけど、
正確には「今川泰範と太原雪斎」のお墓まいり。長くなるので勝手に省略しましたw
お寺さん的には「駿河今川氏三代 今川泰範菩提寺」なのにすいませんねぇ・・

外人が喜びそうだった瞬間


長慶寺は元は真言宗で、太原雪斎が再興した時に臨済宗になったんだそうです。
枯山水プラス紅葉で、こじんまりしてるけど手入れされた素敵なお庭でした。

静かすぎた瞬間


お庭を眺めながら本堂の左に進むと、藤枝市指定史跡の案内板が見えてきます。
「今川泰範の五輪塔と雪斎長老の無縫塔」と書かれています。雪斎長老とは太原雪斎のこと。
五輪塔、宝篋印塔・・色々あるけど無縫塔は禅宗の坊さんの墓碑のことを言うようです。

やっぱり今川スルーの瞬間


太原雪斎は今川家を継いだ義元の軍師となって多くの戦に出陣しただけではなく、
外交にも秀で、人質時代の家康に兵法や帝王学の教育を行ったとも言われています。
諸説あるけど、でもすごい人には違いない。品があるイメージだから特によいです。
黒衣の宰相といわれた家康のブレーン金地院崇伝さんみたいのはワタクシ苦手よ。

武田軍で信長の野望やってると、雪斎サマが交渉に来るよね。いらん時は断るけどw

よく知らなかった瞬間


今川泰範のお墓はこちら。泰範さんは南北朝から室町前期の頃の駿河遠江の守護大名で
駿河今川氏の3代目。9代目の義元同様、僧侶修行中だったところ還俗して3代を継いだそうです。
嘉慶2年(1409)76歳で亡くなり、遺骸が長慶寺に葬られたと言われています。
そんなわけで五輪塔が残っているんですね。きれいなお花もあり手入れがされています。

豪華だった瞬間


で、こちらが太原雪斎の無縫塔。雪斎サマは今川氏の家臣の出で9才で善得寺に入寺し、
その後、今川義元とともに京都に上って建仁寺や妙心寺で修行を積みました。
今川義元が還俗して今川家を継ぐと、軍師として今川家の発展に貢献しました。

思いをはせる瞬間


雪斎サマの無縫塔の後ろにはやたら年季の入った小さな五輪塔がたくさんありました。

スゴ腕軍師、雪斎サマは武田・北条・今川の甲相駿三国同盟を締結させたことでも有名。
これにより今川は背後を気にせず、尾張の信長をロックオン出来るようになるのですが、
同盟締結の翌年、雪斎サマは亡くなります。桶狭間の戦いで義元が討死するのはこの5年後・・
雪斎サマがいたら歴史も変わってたんでしょうか・・歴史にイフは禁止でも興味わきますね。

ワタクシそのうち三国同盟が行われた善得寺にも行ってみようと思います。


さ〜て、次は今回の静岡攻略ラスト丸子城へ! 城跡前の誓願寺に寄り道してから向かいます。


誓願寺にて片桐且元のお墓参り〜に続く。




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2014.02.15 Saturday 09:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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